海羽が長期合宿の為に海都を出てから早数日が経った。
その間、BAR・FUJINOは普段に比べると忙しさが増したのを瑠璃は実感した。
何だかんだで海羽も仕事は出来る方だったので、彼女が抜けるとその分負担が増える。幸いな事に今はネイトが居てくれるので、忙しさの度合いはそれほどでもなかった。
ただ常連客の中には海羽が居ない事を残念に思う客も少なからず居た。瑠璃とは違い少女故の溌溂とした元気の良さに癒されると言う理由らしい。そう言えばつい最近、フランシス達が1度やって来た。その時にバーツは海羽が海都に居ないと聞いて、露骨に肩を落としていたのは記憶に新しい。
そんな今までとちょっと変わった日常を送っていた瑠璃を始めとしたBAR・FUJINOの面々だったが、この日やって来たのは珍しく、だがある意味で瑠璃が待ち望んだ客であった。
「いらっしゃ……あら」
「こんばんわ」
店にやって来たのは仁とその家族だった。ドアベルの音に瑠璃が店の入り口を見るとそこには仁と亜矢、そして2人にそれぞれ抱かれた2人の赤ん坊の姿がある。
門守家の来店に対し、瑠璃は一瞬だけ驚いた顔を見せつつ直ぐに嬉しそうに目を細め、直ぐに手近なテーブル席に案内した。
「こちらの席にどうぞ」
「ありがと」
「それとこちら、赤ちゃん用のシートがありますので宜しければ」
「ありがとうございます、助かります!」
念の為述べておくが、BARは基本的に大人の店だ。料理を片手に酒を楽しむ、そんな店である。故に普通のBARは、子供や赤ちゃん用のシートなんて物はおいていない。亜矢はそれを理解していたので、赤ん坊を断られるどころか専用のシートが出てくるとは思っていなかったので喜んだ。
全ては鉄平の配慮である。子連れであっても気軽に来られるような店を、という事を考えこんな物も用意していたしメニューには子供向けの料理なんかも載っていた。生憎と今まで子連れで来るような物好きは居なかったが、この日遂にそれらが日の目を見る事になったのである。
「ご注文はお決まりですか?」
「俺は、ビールかな」
「私はカルーアミルクを」
「はい、畏まりました」
瑠璃はカウンターの向こう側へ引っ込み、ビールとカルーアミルクを持ってくる。その途中で常連の客の1人が仁達の連れてきた赤ん坊について問い掛けた。
「ねぇねぇ瑠璃ちゃん。この店赤ちゃん連れて来て良いの?」
今まで赤ん坊どころか幼い子供を連れてやって来た客などいなかったのでそんな疑問が出るのも当然か。この店に客として入って来た者の中で、一番若かったのは恐らくバーツである。
瑠璃はそんな客の問いに苦笑しながら答えた。
「実はね。ただバーに赤ちゃん連れてくる人なんて普通は居ないから」
肩を竦めながら瑠璃は答え、改めて仁達のテーブルに向かいビールとカルーアミルクを静かに置いた。
「お待たせしました。ビールとカルーアミルクです」
「ん、どうも」
2人は酒を受け取ると、ジョッキとグラスを軽く当てて乾杯し口を付けた。
新人類となった2人は、酒のアルコール程度なら体内に入ってもすぐに分解される。なので基本的に酔う事は無い。
そんな2人を見てか、赤ん坊2人が興味深そうに手を伸ばす。しかし大人の2人は大丈夫でも、赤ん坊2人は流石に危ないので絶対に近付けない。
暫く仁と亜矢は静かに杯を重ねつつ、料理を楽しんでいた。その間に赤ん坊2人は、疲れたのか眠ってしまっていた。今子供達が座らされているシートは背凭れを車や列車のシートの様に倒す事が出来る。子供達が眠ってしまった事に気付いた仁は、子供達の体に負担が掛からないようにとシートを倒した。
眠る我が子の様子を肴に酒を口に流し込んだ亜矢は、店の中を見渡しながら口を開いた。
「いいお店ですね、ここ」
「ん、だね。まさか赤ちゃん用のシートもあるとは。普通のBARにはないサービスだ」
「サービスだけの話じゃなくって。亜矢が言ってるのは店の雰囲気の話よ」
言われて仁は店内をぐるりと見渡した。この日は店に来ている客の数が少ない方だったが、来ている客は誰も彼もが穏やかに酒と料理を楽しんでいる。時折話し声や笑い声も聞こえてくるが、穏やかで上品なものだ。決して高級な店という訳でもないのにこの雰囲気なのは、店が客に本当の意味で愛されているからだろう。そう考えるとここは本当に良い店だと言えた。
2人の会話が聞こえたからか、注文も途切れて空いてるテーブルを拭いていた瑠璃が近付いて来た。
「気に入ってもらえてようね。何よりだわ」
「あ! あなたは、あの時の……」
「大梅 瑠璃よ。宜しく」
「門守 亜矢です。あの時は助けていただいてありがとうございます」
仁同様、船で助けられた事を感謝して亜矢は深く頭を下げた。仁から話は聞いているだろうに、律儀に頭を下げてきた彼女に瑠璃は笑みを浮かべ頭を上げさせた。
「彼にも言ったけど、あそこには偶然居ただけだから。だからそこまで感謝されるのも、何だか申し訳ないわ」
「それでも、よ。人からの感謝位は、素直に受け取っても罰は当たらないんじゃない?」
表に出た真矢がウィンクしながらそう言った。真矢の存在を知らない瑠璃は、彼女の雰囲気がガラリと変わった事に目をパチクリとさせたが彼女の言いたいことは分かったのか小さく笑いながら頷いた。
そんな感じに仁と亜矢が鉄平の店を楽しんでいた。2人はどうせ大して酔えやしないからと、酒よりも料理の方を堪能する。
そうこうしていると、不意にそれまで寝ていた雄司が目を覚ました。起きた雄司は時に泣く事も無く、仁に抱っこをせがむ様に手を伸ばす。
「あ、あ~」
「ん? あ、雄司起きた?」
雄司が抱っこをせがんでいる事に気付いた仁は、息子を優しく抱き上げ膝の上に乗せようとする。だが仁が雄司を膝の上に乗せようと腕を下ろすと、雄司はそれを拒むように父の服を掴みよじ登ろうとした。
「おとと、どうした? 今日は大人しかったのに……」
「何か気になるものでもあるんでしょうか?」
雄司は非常に好奇心旺盛な赤ん坊だ。物珍しいと感じた物に対しては、赤ん坊ながら積極的に観察し接触しようとする。
仁は雄司を改めて抱き上げ、我が子の視線の先に何があるのかを探した。すると、雄司の視線の先には瑠璃が他の客を相手にルーレットで勝負している様子が見えた。
「あ、そう言えば入った時から気にはなってたけど、この店ルーレット台があるんだよね」
「そうだ。この店はBARだが、店の客はああしてルーレットを楽しむこともできる。ここは一応賭博が一番の娯楽の街だからな。ああ言うのがある方が、常連にも一見にも受けは良い」
ルーレット台を仁も興味深そうに見ていると、偶々近くに来ていたネイトが軽く説明した。仁は一瞬ネイトの事を見やるが、直ぐに視線をルーレット台の方に向ける。彼の腕の中では雄司が、何が彼の気を引いているのかジッとルーレット台の方を見ていた。
その時、瑠璃の相手をしていた男性客が頭を抱えて崩れ落ちた。どうやら彼の結果は負けだったらしい。その事にギャラリーからは歓声とまでは行かないが、負けた男性を茶化すような声がいくつか上がる。
するとその声に反応してか、愛衣がゆっくりと目を覚ました。
「ん~……」
「あ、愛衣も起きた?」
亜矢が優しく愛衣を抱き上げると、愛衣は亜矢に甘えるように抱き着きそのまま再び目を閉じた。一瞬目が覚めたがまだお眠の様だ。甘えん坊な娘に亜矢は笑みを浮かべて背中を優しくポンポンと叩く。
特にルーレットには興味を示さなかった愛衣に対し、雄司の方は更に興味をそそられたのか、ルーレット台の方に近付こうと手を伸ばし始めた。
「う、う~う~!」
「おっとっと、そんなに気になる? 分かった分かった。じゃあちょっと近付いてみようか」
仁は雄司を抱えたまま席から立ち上がるとルーレット台の方に向かう。
ルーレット台の近くでは負けた男性を他の男性客が慰めていたり、次に誰が挑戦するかを話し合っていた。
そんな場所に仁が我が子を腕に抱きながら近付いていくと、他の客からの注目を集める。この店で初めての子連れ、それも赤ん坊を連れて来店した客という事で物珍しさがあるらしい。
そんな彼が近付いて来たのを見て、瑠璃は挑戦的な笑みを浮かべ軽く手招きをした。
「お一つ如何?」
お誘いを受ける仁だったが、仁はあまり乗り気ではない。以前船のカジノで彼女の手際の良さは見ている。とてもではないが勝てるとは思えなかった。
「搾り取られそうだから遠慮しておくよ」
「あ、ここ初回はサービスでチップ10枚タダで始められるけど?」
家庭もあるのに、ギャンブルで無駄遣いする訳にはいかないと最初断る仁だったが、初回は無料と聞いてちょっと興味を抱いた。
チラリと腕の中の雄司を見れば、近付いた事で更に興味を引かれたのか仁の腕から抜け出さんばかりに身を乗り出そうとしていた。自分に似て好奇心に忠実な我が子に仁は思わず苦笑しつつ、少しやるくらいなら良いかと席に着く。
仁が席に着くと、彼のすぐ傍に愛衣を抱いた亜矢が近付いてくる。その周りには、子連れでルーレットに挑戦しようとする仁に他の客が興味を引かれ集まって来た。
ざわめくギャラリーを前に、瑠璃は手をパンと叩き不敵な笑みを浮かべながら両手を広げた。
「
それは始まりの合図。ここからは仁と瑠璃による、ルーレットでの勝負となる。
まずは瑠璃がウィールを回し、ボールを放り込む。仁は回るウィールとその上を転がるボールを暫し字と見つめると、チップを3枚赤にカラーベットした。
ボールが転がる事数秒、瑠璃がベットの終了を告げるベルを鳴らすとボールがポケットに入る。ボールが入ったのは赤の19のポケット。結果は仁の勝利だ。配当2倍だが、勝ちは勝ちである。
仁の勝利に、周囲のギャラリーは軽く沸いた。配当が小さくても、瑠璃を相手に勝利する者は久しぶりだったのだ。
ギャラリーの反応から仁がチラリと瑠璃の顔を見上げると、彼女は薄く笑いながら小さく拍手していた。この程度では彼女の余裕を崩す事は出来ないらしい。彼女の涼しい笑みは、逆に仁の闘争心を刺激した。
「ネクストゲームを」
「はい」
再び瑠璃がウィールを回し、ボールを投げ込む。転がるボールの動きを仁はじっと眺め、その腕の中では雄司が同じくボールの動きを見つめている。
「……ここだ」
ベット受付時間のギリギリまでボールの動きを眺め、仁はボールが入るポケットを予想。ボールの回転とウィールの回転から計算して一点に賭けたチップは見事に当たり、仁の手持ちのチップは一気に増えた。
歓声を上げるギャラリー。未だ嘗て、瑠璃を相手にここまで善戦した挑戦者は居なかったのだ。これで興奮するなと言う方が無理だろう。
だが仁は油断しない。彼は瑠璃が、指先の動き一つでボールが入るポケットを自由に出来るという事を知っている。彼が見る限りまだ彼女はそこまでの事をしていないので、まだ彼女は本気を出していないという事になる。
つまり本番はこれから。それを証明する様に、瑠璃はニコリと笑みを浮かべた。
即座に始まる第3ゲーム。ここで瑠璃は一気に本気を出した。回るウィールにボールを投げ込む際、彼女は指先の動きでボールに僅かに回転を加え先程とは違う動きをさせた。
その事に仁も気付いていたが、気付けたからと言ってそれを指摘するような無粋なことはしない。これは彼女なりの挑戦状だ。この状態で当てれる者なら当ててみろと、そう言っているのだ。
仁はそれを受けて発つ。ウィールとボールの回転数から入るポケットを計算して予想するが、先程と動きが違うからかどうにも狙いが定まらない。
それでも最終的に入るポケットがいくつか予想出来たので、仁は今回はストレートアップベット(0~36までの一点賭け)を避けコーナーベット(隣接する4つの数字の中心に賭ける)にしてそれを複数賭ける事で対処。コーナーベットは配当9倍なので、8枚まででどこかに当てればギリギリ利益は出る計算になる。
仁はコーナーベットで4か所にチップを1枚ずつベット。チップがテーブルに置かれた直後、受付終了のベルが鳴らされる。
誰もが固唾を飲んでボールの動きを注視し…………入ったのはよりにもよって0のポケットだった。
「「「あぁぁ~……」」」
ギャラリーから落胆の声が上がる。仁のチップはいずれも0に掛かる様には賭けられていなかったのだ。先程の勝ちでまだ仁の手持ちには余裕があるが、それでも油断はできない。何しろここから先は本気の瑠璃を相手にしなければならないのだから。
一銭も使っていないし命も掛かっていない賭けであるにも関わらず、仁は冷や汗を流してしまう。
そこから先の勝負は瑠璃の圧勝だった。瑠璃は仁がウィールとボールの回転数から入るポケットが何処になるのかを予想していることに気付き、それを逆手に取り彼が賭けるだろうポケットを予想しそこを避けるようにボールに回転を加えて放り込む。瑠璃の巧みなテクニックにより投げ込まれたボールは仁の予想を上回り、彼の予想を外して次々とポケットに入った。
次々と瑠璃に勝ちを持って行かれ、仁の手持ちは最初に渡されたチップ10枚に戻ってしまっていた。序盤の勝ちっぷりなど見る影もない。
(こりゃ完敗だな)
仁が諦めの溜め息と共にチラリと瑠璃の事を見ると、彼女は勝ち誇った笑みを浮かべていた。仮面ライダーとしては確かに仁の方が先輩で実戦経験も豊富だが、ギャンブルが相手となるとそうではない。こちらは彼女の分野なのだ。それを今までロクにギャンブルもした事のない彼が挑んでも、小手先の方法だけで勝ち続けられるほど甘くはなかった。
ラストゲーム、仁はこのゲームで残りの手持ちを全部一点に賭けて有終の美を飾ろうとした。それが一番後腐れなくていい。どうせこのチップはサービスだったのだ。失ってもそこまで痛くはない。
そう思いながら仁が残りのチップの全てを赤の23一か所に賭けた。直後瑠璃が受付時間終了のベルを鳴らそうとする。
その時、一瞬の隙を見て雄司が仁の腕からすり抜けルーレットテーブルの上に乗ると、仁が賭けたチップに手を伸ばし賭ける数字を動かしてしまった。
「あ~!」
「あっ!?」
雄司によりチップの山は綺麗に場所を移動し、仁が賭けた数字の隣の黒の24に移ってしまった。直後瑠璃がベルを鳴らす。
最早後は黙って見守るしかなくなり、それでもまぁどうせここで全て使い切るつもりだったと仁は雄司を抱き上げルーレットテーブルの上から退かした。再び父の腕の中に納まった雄司は、父とルーレットに視線を行ったり来たりさせている。
徐々にルーレットの回転が弱まり、回転が止まるとボールがポケットに入った。入ったポケットは…………黒の24。
「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」」」
「あらら?」
「おっとぉ?」
まさかの結果にギャラリーは歓声を上げ、仁と瑠璃は驚きに目を見開き固まった。こんな展開誰が予想出来ると言うのか。雄司が見事にジャックポットを当ててしまった。
それを成した当の本人は、状況を理解していないのか仁の顔を見上げながら首を傾げている。そんな我が子に仁は苦笑し、何も言わず頭を撫でた。
遅れて瑠璃が拍手を送る。その顔にはしてやられたと言いたげな笑みが浮かんでいる。
「お見事。次のゲームに挑戦されますか?」
「いや、遠慮しとくよ。これ以上運は向かなそうだ」
「チップはどうします? 一応換金する事も出来ますけど?」
チップの枚数は360枚。この店ではチップ10枚を1000円で取れるので、単純に計算して36000円になる。それは仁の家族がここで飲み食いした金額を補って更におつりがくる金額だ。お得と言えばお得である。
しかし仁はここで換金するのは止めておいた。元ではタダだし、最後の勝ちは雄司の手柄だ。何よりここまで楽しませてもらった店から、金を貰うのは何だか申し訳ない。
「遠慮しとくよ。その代わり、今この店に居る人達に一杯奢ってあげて」
「ふふっ、畏まりました」
仁の言葉に瑠璃は笑みを浮かべて頷き、他の客達は先程とは別の歓声を上げた。いい勝負が見れた上にタダ酒が飲めるのだから、嬉しくならない訳がない。
店に来ていた客はタダで酒が飲めることに、仁に感謝し酒も手伝ってか肩などを叩いてくる。雄司に対しては頭を優しく撫でる者も居た。
雄司は何故自分が見ず知らずの人達に親しくされるのか分からないのか、自分に触れてくる客を不思議そうに眺め仁にどういう事かと聞きたげな視線を向けていた。
暫しの店での騒ぎを仁達も楽しみ、落ち着いてきた頃合いを見計らい店を後にしようとする。
「それじゃ、そろそろ帰ろうか?」
「そうですね。すみません、お会計を」
「はい!」
亜矢に呼ばれ、瑠璃が伝票を持ってやって来た。仁は代金を支払い、我が子を抱き上げて店の扉に向かう。その際瑠璃が先んじて扉に向かい、赤ん坊を抱き上げて両手が埋まっている2人の為に開けてやった。
「ありがと。今日は楽しかったよ、機会があればまた来るかも」
「何時でも来店を待ってるわ。気が向いたらまた来てね」
店を出て、一気に気安く話す瑠璃に仁も頷き亜矢と共にホテルに戻ろうとする。
が、何を思ったのか唐突に立ち止まると瑠璃の方を振り返った。そして亜矢に一言告げてから元来た道を戻り、瑠璃の傍に近寄ると少し声を抑えて話し掛けてきた。
「そう言えば、一つ言い忘れるところだった」
「ん? 何?」
「あの北條博士には注意した方が良いよ。確証がある訳じゃないけど、ちょっと嫌な感じがする」
「え?」
仁の口から語られたのは、芳江に対する警戒を促す忠告だった。確かに芳江に対しては、よく分からない部分が多い。彼女を前にすると言いようのない感覚に襲われるし、何よりも芳江とは片手で数える程度にしか顔を合わせた覚えがなかった。だから瑠璃としても芳江はよく分からない女と言うのが正直な評価である。
しかし同時に芳江は現時点において学術的にディーパーに関する知識を齎してくれる貴重な存在であることも確かだった。そんな彼女を、証拠も何もなしに疑うと言うのは流石の瑠璃にも難しい物がある。
とは言え、仁も親切心で忠告してくれている訳だし無下にする訳にもいかない。なので瑠璃に今できる事は、一応は納得した様子を見せる事だった。
「うん……分かった。気を付けるわ」
「その方が良いよ。それじゃ、」
そうして仁は今度こそ帰っていく。彼が来るのを待っていた亜矢は、瑠璃に頭を下げ彼と共にホテルへと帰っていった。
2人が帰っていくのを見送った瑠璃は、先程の仁の言葉に一抹の不安を感じつつ残りの営業時間内で客を持て成すべく店の中へと入るのだった。
***
その翌日、瑠璃は唐突に芳江から呼び出されていた。
朝起きて、何時も通りの身支度を済ませその日の夜の営業の準備をしようと気合を入れた直後、突然芳江から直接電話が来たのだ。教えた覚えがないのに芳江から瑠璃の携帯に着信が来た時は地味に驚いた。どうやら慎司に教えてもらったらしい。
突然の呼び出しに驚き、そして鉄平への言い訳をどうするかで悩み、何とか適当に言いくるめ(+ネイトの手助けもあり)瑠璃は地下研究所の芳江の部屋へとやって来ていた。
「えっと、失礼します」
「いらっしゃい。こんな朝から呼び出してごめんなさいね?」
「いえ、それは別に。でも一体どうしたんですか?」
来訪した瑠璃を芳江は快く迎え入れ、朝から呼び出してしまった事への詫びも込めてか椅子を持ってきて座らせ、更にコーヒーメーカーからコーヒーを淹れて渡してくれた。その気遣いに瑠璃は、昨夜の仁の忠告も忘れて芳江を相手にちょっぴり心を許しそうになる。
しかしやはり芳江を前にすると変な緊張感と言うか、言葉では言い表せない感覚に陥り心を開く気にはなれなかった。
そんな瑠璃の警戒に近い遠慮を感じてか、芳江は自分の分のコーヒーを淹れ一口飲んでから口を開いた。
「そう硬くならないでください。今回お呼びしたのは、仮面ライダーである貴方に色々と聞きたい事があるからなんです」
「私に、聞きたい事?」
「えぇ。端的にお聞きしますが、仮面ライダーになるようになってから何か変わった事はありませんか?」
そんな事、いきなり聞かれてもそんなピンとくるものではない。変わった事なんて、仮面ライダーになる前と後を比べれば戦うようになったことを始め違うことだらけで――――
「――――あ」
そう言えば、リールドライバーを手にしてから妙に親しく話し掛けてくる声が聞こえてくるようになった。それ以前からも、海に入ると時々何かが自分の事を呼ぶ声が聞こえてきたが、あの声はそれとは一線を画す。と言うより、声の主そのものも違うように感じられた。
しかしこれを他人に話すのは気が引けた。何と言っても、頭の中に見知らぬ人物の声が響くなど一歩間違えなくても頭の可笑しい・可哀想な奴と見られても仕方ない。
そんなリスクを冒すのは……しかし……
「大丈夫です。ここでの事は外部には漏らしません。軽い悩み相談の様な物だと思って、ね?」
「う……」
瑠璃の葛藤を知ってか知らずか、芳江が柔らかな笑みと共にそう告げてきた。その笑みは顔を合わす度に感じる不信感とはかけ離れて穏やかなもので、瑠璃も思わず警戒を解いてしまいそうになった。
もう、いっその事話してしまおうか。瑠璃がそう考え口を開いたその時、突如部屋の中にノック音が響いた。
「「!?」」
「話の途中失礼」
予想外の音に2人が驚いて音のする方を見れば、いつの間にかドアが開けられ仁がドアの近くに立っていた。今のノック音は、ドアを開けた上でドアをノックした音らしい。
「門守さん?」
「仁さん? どうして……」
「どうしてって、俺も博士と一緒にディーパーの研究に期間限定でとは言え携わってるんだよ? ここに来ることに変なところなんてないでしょ?」
「でも普段はもうちょっと後の時間に来てませんでしたか?」
「こういう日もあるよ、北條博士」
話しながら仁は部屋の中に入り、コーヒーメーカーからコーヒーを淹れ飲みつつ2人から等間隔に離れた所に椅子を置き腰掛けた。
「それで、何の話? 仮面ライダーに関係する事だったら、俺もアドバイスできると思うけど? それともディーパーに関係する事?」
「どっちかって言うと、前者かな? 私が仮面ライダーになってから、何か変わった事はないかって博士に聞かれたの」
素直に話の内容を瑠璃が仁に話すと、その瞬間芳江の瑠璃への視線が一瞬だけ鋭くなった。瑠璃はその視線に気付く事はなかったし、傍から見ていてもその事に気付ける者は殆ど居ないだろう。だが仁はその視線に気付いた。
気付きながら、それを指摘することなく冷めた目で芳江の事を一瞥しつつ視線を瑠璃に向け話を続けた。
「変わった事って? 何かあるの?」
「うん……その、実はね……」
芳江だけが相手だった時はかなり悩んだが、仁が居るとなれば話は別と瑠璃はあっさり口を開く。仁は仮面ライダーとして先輩であるし、同時に研究員でもあるので頭も良い。相談をするにはうってつけの存在だ。
気付けば瑠璃はここ最近強く感じるようになった異変を仁と芳江に話していた。
「声が……聞こえるの」
「声?」
「うん。海に入るとね、誰かが私の事を呼び寄せる声が聞こえるの。前から時々あって、でもその時は凄く遠くから声を掛けてるみたいに何処かぼんやりしたものだったんだけど……」
「最近はそうではないと?」
確かめるような芳江の言葉に、瑠璃は無言で頷いた。
「この間、ネイトと一緒に海に潜りに行ったんだけど……その時は今までにない位はっきり聞こえて。それで、ネイトの話だと私、海の中で気絶して溺れてたみたいなんだけど…………その時、私、もう1人の私に海の底まで連れていかれて……」
瑠璃はそこで話を区切った。今思い出してもあの時の事は妙にリアリティがあり、ネイトのお陰で夢だとは分かったがただの夢と断じる事は難しかった。
「その声って言うのは、瑠璃さんに対してそんなに攻撃的なの?」
「ん~……あぁ、全部がそうって訳じゃないわ。初めて仮面ライダーに変身した時から聞こえ始めた声だけど、私にアドバイスしてくれる声もあって。そっちは、何て言うか聞いてると安心できると言うか……」
把握している限りで、瑠璃の中には二つの声の持ち主が居た。一方は得体が知れず、ともすれば瑠璃に対して攻撃的と言うか彼女を害そうとする。それに対してもう一方は、瑠璃を導き彼女に利すると言う何とも対照的な存在と言えた。
仁は最初瑠璃の中に彼女自身の知らない別の人格が潜んでいるのかと思ったが、一方が彼女に害意を持って接しているらしいと聞き必ずしもそう言う訳ではないのかもしれないという結論に至った。瑠璃の身に何かあれば、彼女の内に潜む存在も生存が危ぶまれる。寄生虫の様な存在でもない限りは、瑠璃の内に潜むものが瑠璃自身に危害を加えるとは考え難かった。
(……とすると、何らかの外部からの影響か?)
瑠璃に利する声が聞こえるようになったのは、リールドライバーを手に入れた後の事だと言う。そのタイミングで聞こえ始めたという事は、リールドライバーに何らかの秘密がありそれが声として瑠璃に認識されている可能性がある。
とすれば、瑠璃を害そうとする声も瑠璃の感性が感じ取った害意を声として認識しているのではないだろうか。
仁が1人脳内であれこれ考えている間、芳江の方も仁には悟られないようにしながら瑠璃の話から得られる情報を脳内で纏めていた。
(あ~らら、やっぱりしっかりと
芳江は自身の考えに、笑みが顔に滲み出そうになるのを抑え切れない。瑠璃に向ける視線に危険な光が混じり、ゆっくりと口角が上に釣り上がり始めた。
その時、再び部屋の扉からノック音が響いた。今度は扉がしっかり閉められた状態でのノック音に、3人の視線が一斉に扉に向かう。
『失礼します。北條博士、門守君は今いらっしゃいますか?』
訪問者は慎司だった。彼は扉越しに仁の所在を芳江に尋ねてきたので、仁が直接それに答えた。
「俺ならもう居ますよ」
「鍵は開いてますので、入ってくださっても構いません」
2人の声に、慎司は静かに扉を開けて中に入ると瑠璃の存在に一瞬面食らったように動きを止める。この時間に彼女が居るのは想定外だったのだろう。だが直ぐに彼女と、共に居る芳江に対して会釈すると真っ直ぐ仁に近付いていった。
「ホテルの方に連絡したら、既に出た後だと聞いたので」
「ちょっとね。それで、何か?」
「それに関しては、道中で話します。仮設指令室の方に来ていただけますか?」
「ん、分かった。それじゃ、俺はこれで」
仁は2人に断りを入れ、立ち上がると慎司の後について行き研究室を後にした。それを見送ると、芳江はカップに残ったコーヒーを飲み干し同じく空になった瑠璃のカップを受け取る。
「取り合えず、現時点ではハッキリと何かを言う事は出来ませんね。ですが、最近起こり始めたと言うのであれば、活動が活発になったディーパーも関係しているのかもしれません。詳しく調べてみたいので、今後も定期的に来てもらえますか?」
「あ……はい。分かり、ました」
一瞬芳江の目の中に危険な色を見た気がした瑠璃だったが、次の瞬間には何時もの様子に戻っていたので気の所為かと思い直し適当に返事をした。
そのままこの日は解散となり、瑠璃も店に戻るべく研究室から出て行った。
後に残された芳江は、瑠璃が出て行った扉を眺めつつそれまで堪えていた笑みを浮かべた。
その笑みは、彼女の隠された内心が表現されたかのような怪しく危険な雰囲気を纏っていた。
という訳で第25話でした。
BAR・FUJINOは実は赤ん坊同伴OKです。リアルのBARがどうかは入った事ないので知りませんが、FUJINOは家族皆で来れるBARです。実はメニューにも子供向けのものがあったり。
芳江が徐々に徐々に本性を現し、仁がそれに気付き始めました。瑠璃の秘密が明らかとなるのも、そう遠くはないかもしれませんね。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。