妖精達に見送られ、リュカとアリス、プックルの2人と1頭。そして、妖精のベラは妖精の村から出た。
見渡す限りに広がるのは、白。遠くの山々も、うっそうと生い茂っているはずの森も、踏みしめる大地も全て。一体どれほどの長い冬を過ごせば、このような光景が出来上がるというのか。
いや。それは決して他人事などではない。放っておけば、自分達の住む世界も同じように雪で埋もれてしまう。そうなってしまえば、人間も動物たちも、植物たちも生きていくことが出来なくなる。その先に待っているのは、冬だけで作られた氷の世界。
させない。そんなことは、絶対に。彼らは決意を新たに、西の洞窟へと足を動かし始めた。
早くも、足の下が凍り始める。彼らは構わず進んだ。吹雪の音がうるさいが、それでも耳を意識する。近づいてくる魔物がいるかもしれないからだ。
「このあたりは、春になるととても綺麗なのよ」
ふと、ベラが言った。聴覚が悪いせいで、若干大声になっている。
「お花畑が広がって、私たち妖精がみんなそろって踊るの。蝶みたいな小さな生き物も一緒に飛んで、花もとっても喜んでくれるわ」
「それは、楽しそうですね。是非1度、見てみたいです」
本当にそう思う。妖精が舞い、色とりどりの花が咲く。小動物が飛び交い、暖かい風が吹く。それはなんと美しい光景だろうか。
だがフルートを取り返さないと、それは永久に叶わない。その事実が、アリスとリュカに現実感を取り戻させる。
「・・・・・・行こう」
「はい」
頷き、歩みを続ける少年と少女。それに感化されたのか、プックルも若干毛を逆立てて歩行を続ける。
その後ろ姿を、ベラは僅かな間だけ寒さを忘れて見つめた。
やっぱり、この人達こそが戦士よね・・・・・・
妖精は少しだけ勇気が心に生まれるのを実感した後、彼らの後を追いかけていった。
「まったく、ザイルには呆れてしまうわい!」
件のドワーフが暮らすという洞窟への道のりは、それなりに遠かった。それでも、内部に入った途端に身を切り裂きそうなほどの吹雪が止んだだけでもホッとする。
その安堵もつかの間。ザイルの祖父はリュカ達が用件を告げた直後、当たり散らすように怒鳴ったのである。足元に転がっている空き瓶は、彼の自棄酒をこれ以上無いほどに物語っていた。
「儂がポワン様に追い出されたなどと勘違いをしおって。腹を立てるのは筋違いだというのに、あろう事か妖精のフルートまで盗み出してしまうとは! 世界が凍りついたら、どう責任を取る気なのだ!!」
老練のドワーフ――――名をダニガンといった――――は、洞窟の入り口からほど近い場所に自分の部屋を造り、暮らしていた。そこそこの広さなのだが、声が周囲に響くので少しだけ話が聞き取りづらい。とはいえ、それに文句をつければ火に油なので、黙っているのだが。
「・・・・・・お怒りはごもっともです。ザイル少年の行為は、私たちが必ず止めるようにとポワン様から仰せつかっておりますので」
タイミングを見計らって、アリスが言った。ダニガンがチラリとアリスに目をやる。
「彼が現在、氷の館と呼ばれる場所に籠もっていることは分かっております。ですが、そのためには館の扉を開くことが出来なければ、会うことすらままなりません。どうか、その鍵の技法を使い、扉を開けてはもらえないでしょうか?」
「ダメじゃ。氷の館には、数多くの魔物が蔓延っておる。儂には戦う力など無い。老いぼれに無茶を言わんどくれ」
「そんな・・・・・・」
けんもほほろである。アリスは苦い顔をしているベラやリュカと顔を見合わせた。
そんな彼女達の顔色を見たわけではないだろうが、ドワーフは補足する。
「だが、扉のことならばなんとかしてやれるぞ」
「本当ですか?」
続く言葉に、アリス達は自然と声が弾む。ダニガンは少しだけもったいぶるように、酒を一口だけ飲んだ。
「この洞窟の奥に、宝箱がある。その中に鍵の技法を封印しておるのだ」
「宝箱の中に・・・・・・それって、封印できるものなのでしょうか?」
「見れば分かるぞ。とにかく、宝箱の中を調べてみるとよい。その中にある物を手にすれば、お主に鍵の技法が備わる」
手にすれば身につけることが出来る。正直なところ想像がつかないが、これもドワーフの技師としての賜物なのだろうか。
「凄いわよ、それ。魔力と技術を応用したドワーフの秘技じゃない。それならすぐにその宝箱の所へ行きましょう」
一方で、ベラは素直に納得したらしい。活路が開いたことで、拳を上下にブンブンと振って興奮している。
「ありがとうございます。確かに、洞窟の奥にあるのですね?」
「うむ。人間の子よ、どうかザイルを正しき道へと導いてやってくだされ」
万感の思いを込めて、ダニガンは言う。その深い皺の奥にある瞳は、どこか厳しくも優しいグレン神父の眼差しに似ていた。偶に、何かの心配をかけてしまったときに見せる、悲しそうな目。
ああ、そうだったんですね。アリスは思う。この方も、ザイルを心から・・・・・・
アリスはリュカと共に頭を下げると、洞窟の奥へと向かっていった。
やるべき事は決まったのだ。一路、洞窟の奥に存在している鍵の技法を手に入れるために、先を急ぐことにする。
とはいえ――――
キイイイイィィィィィ・・・・・・!
――――この奥に巣くっている魔物達の雄叫びは、それを易々とは許さないようであったが。
階段を降りてなお、リュカ達の歩が止まることはなかった。
この洞窟は二手に分かれる箇所がいくつかあるものの、どちらを進んでも同じ通路へ出てしまうらしい。そのため、行進にはいささか手こずるハメになった。
しかし、本当に手こずるのは地下の3階に降りてからである。行き止まりが増え、分かれ道も同じ数だけ存在していた。なにより――――
「シャアアアア!」
「キエエエエエ!」
――――魔物に襲われる回数も、グッと増えたからだ。
赤い芋虫の外見をしたラーバキング。地中で生活する魔物の土わらし。全身に固いトゲが生えた魔物、スピニー。どれも人間の世界では見たことのない魔物に、リュカとアリスは戸惑いこそ覚えながらも、地に足をつけて戦う。
「ガルルルルッ!!」
「ギラ!」
プックルも自慢の爪や牙を使いこなしながら援護をし、ベラは呪文で助けていた。
特にベラは回復呪文のホイミと、ビアンカが使ったことのあるギラを併用してくれるので、サポート役として申し分ない働きを見せてくれる。
おかげで、どうにか一行は最深部の宝箱へとたどり着いた。緊張しながらもリュカは宝箱を開けると、中には古い魔道書が収められている。
「えっと、アリス・・・・・・」
少しだけ不安そうに、リュカはアリスを見る。その顔には、まだ文字が読めないよと書かれてある。ポワンの前で文字なんて読めるようになってみせると言っていたのは、まだ先の話だったらしい。
「大丈夫です。私が読みますから」
それを別に情けないなどとは思わないアリス。そもそも、一朝一夕で出来れば苦労はない。彼女はそっと魔道書を手に取り、リュカにも見えるように開く。
そこで、変化が起きた。なんと初めのページを開いた瞬間、技法の書から不思議な光が浮かび上がったのだ。その淡い光は驚くリュカとアリスを包み込む。
「あ、これって・・・・・・知らなかったことが、頭に入ってくる感じがする!」
「魔道書の力・・・・・・なのでしょうか?」
鍵の知識。鍵とは元々2つの空間を切り離し、そしてつなげる意味がある。開けるには鍵穴とそれがない場合の開け方から始まり、鍵の回し方にはそれぞれ扉の種類によっても異なり鍵がない場合に開けるにはまず己の魔力を扉の全面に押し当てるように伸ばしてから後にその残存魔力を鍵穴から右方向へ螺旋状に――――
――――そして、数刻ほど経った後。
役割を終えた書物は、音もなく崩れ去った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
立ったまま、俯いているリュカとアリス。何か空気が変わったような気配を感じていたベラは、2人を刺激しないように声をかける。
「2人とも・・・・・・大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
思いのほかしっかりとした声で応えたのはアリス。リュカはベラに向き直る。
「分かる。今の僕になら分かる。分かるようになったんだ」
「鍵の技法が・・・・・・ということ?」
「うん。今なら、どんな扉でも開けられる。鍵がかかっていたって、僕たちが開ける!」
確信を持って、そう宣言するリュカ。自分はこの技法を託されたのだ。ザイルを誰よりも心配する、あのドワーフの老人から。
「そうです。氷の館に向かって、ザイルを説得しましょう」
そして、それはアリスもまた同じ気持ち。アリスもまた感じたのだ。来たるべき時のために、誰かがこの技法を受け継いでくれることを。言葉ではなく、技法を通して心の中へ。
――――どうか、ザイルを正しき道へと・・・・・・
「・・・・・・行こう。ベラ、プックル」
「参りましょう。春を取り戻すために」
一行は決意を新たに、来た道を戻ろうとする。
と、そこで奥の階段から誰かの足音が聞こえた。人影が現れ、真っ直ぐにこちらへと歩いてくる。
自然と、警戒を覚える。なんとなくだが、そこいらの野性の魔物とは違うと感じたのだ。
姿を現したのは、覆面を被った男であった。人間のような体つきで、上半身は覆面以外には何も身につけていない。下半身は黄色く色あせたビキニパンツを穿いているという、どうにも胡散臭そうな人物だ。
何より、手には石の斧を手にしている。それだけでも、この男は腕に覚えがあるということが分かった。
「よう、小僧共。お前らも、盗賊の技法を探しているんじゃあねえのか?」
「・・・・・・」
「この俺様が先に頂いてやるぜ・・・・・・と言いたいところだが」
チラリと、男はリュカ達の背後にある宝箱に目をやった。言うまでもないが、宝箱はすでに空だ。
「どうやら、先を越されたみてえだな。技法を手に入れて、世界中の宝を集めるつもりでいたんだが」
盗賊。それが彼の正体らしい。身を固くするリュカとアリスの後ろで、ベラがこっそりと話をしてくれた。
「ここ、妖精の世界にも、偶に人間が迷い込むことがあるのよ。その者が善人ならポワン様がすぐに人間の世界に送り返す手はずなんだけど、まさかこんな奴が洞窟の中に隠れていたなんて・・・・・・」
「なんか言ったか?」
「な、何でもないわよ」
反射的に背筋を伸ばしてしまうベラを気にもせず、男はフラフラと空の宝箱へと近づいていく。自然と、リュカ達は横へ移動した。
そして、男がすれ違った瞬間――――石の斧を、振り下ろしてくる。
なんとなくそう来る予感を覚えていたリュカ達は、一斉に飛び退いた。斧が地面へ鈍い音を立てて突き刺さる。
苦も無く斧を土から抜くと、ギロリと子供達やプックルを睨む。何年も修羅場をくぐってきたような、悪事に染まりきった人間の目だ。
「へっへっへっ。流石に引っかからねえか・・・・・・だったらよ、腕尽くで奪うまでだぜ。この、カンダタ見習いの名にかけてなあっ!」
「とっくに腕尽くじゃない。って、危ないっ!」
今度は距離を詰め、石の斧を振りかぶる男、カンダタ見習い。ベラに向かって振り下ろされる一撃は、真横からの風の魔法によって防がれる。
リュカはバギを撃った体勢のまま、男の周囲を回る。アリスも逆方向へ回り込み、追撃のヒャドを唱えた。
「うおっ!」
カンダタ見習いの右足が凍りつく。重しのように氷が張り付いたため、身体のバランスを崩しそうになった。
「ギャウッ!」
そこへプックルが飛びかかる。鋭い爪で首を切り裂き、斧を持っている腕に噛みついた。刃のような牙は、丸太のような腕に鋭く食らいつく。
「てめえ、この魔物の裏切りもんがぁ!」
「大人しくしなさい。ギラ!」
今度はベラの熱の閃光が、カンダタ見習いの胴体を焼く。怯んだところに、今度はリュカが腰の鞘から抜いた銅の剣を構えた。地面を蹴り、背中から斜めに切り裂く。
「うっ・・・・・・! ぐ、ぐおおおおおお!!」
よろめくカンダタ見習い。しかし、それでもなお盗賊の大男は、気合いと共に踏みとどまった。
全身のダメージを無視して、カンダタ見習いは背後へと振り向く。狂気に満ちた盗賊の目と、怯まない真っ直ぐな眼差しが交差した。
「舐めるんじゃねえぜっ! 餓鬼に負けるなんざオレのプライドが許さねえ!!」
世界中で悪事を働いている盗賊稼業のカンダタ一族。それと同時に、彼らは恐るべき暗殺集団でもあった。この男は、そんな外道に憧れて修行中の身だったのである。
斧を滅茶苦茶に振り回し、間合いを詰めるカンダタ見習い。リュカは背後に飛びながら、隙が生まれるのを待った。
こんな大振りでは、すぐに疲れるだろうと誰もが思う。しかし、カンダタ見習いも中々に鍛えているのか、その勢いは全く衰える気配がない。むしろ避けられていることで、余計に苛立ちを増幅させている結果となっていた。
そして、リュカの背が洞窟の壁にぶつかる。しまった、狭い周囲を疎かにしていた!
「もらったああっ!」
その隙を逃がさず、今度こそ石の斧で横薙ぎにされそうになる。そこに、その少年を狙う一撃が1つの武器によって止められることになった。
「リュカさん!」
石の斧がリュカに向かって振りかぶられた時、真横から腕に巻き付いた物があったのだ。蛇のように絡みついたそれは、アリスが放った一撃による物である。
茨の鞭。ずっと小さく丸めて、腰のベルトに差し込んでいた武器だ。茨のようなトゲで覆われた革製の鞭は、盗賊の腕に食い込んで拘束する。
振りほどこうと腕を動かす盗賊だが、アリスも全身の力を込めて抵抗する。巨漢の男とシスターの子供では力の差など言うまでもないのだが、状況や体勢はアリスの方が有利だ。勿論、その抵抗は尋常なものではないが。
なにより、懐に入る少年がアリスへの気を逸らしてくれているから。
「ていっ! だあっ!!」
「ちいっ、テメエっ!」
銅の剣を振りかぶるリュカに、カンダタ見習いは片腕だけで防ぐ。裂傷が次々に増えていくが、それに耐えながらもリュカの攻撃をいなし、払い続ける。
「ギャウウ!!」
そこへ助太刀するプックルが、盗賊の首に牙を突きつける。たまらず尻餅をつき、カンダタ見習いは傷ついた腕でプックルを剥がそうとする。
「動くな」
その鋭い声に、カンダタ見習いは凍りついたように動きを止める。プックルを引き剥がずと、目の前には手の平をこちらに向けて呪文の準備をしているリュカが立っていた。
斧を持っている腕は、相変わらずアリスが鞭で拘束したまま。ベラもまた、ギラの構えを見せている。
――――あ、これ詰んだ。
そう悟るのに、時間はかからなかった。
泣きながら洞窟の奥へと逃げ帰っていくカンダタ見習いを、リュカ達はあえて追撃することはしなかった。彼の戦意が失われていることはみんなが分かっていたし、子供にここまでやられてしまったとあっては、自分に盗賊の才能が無いことは思い知っているはずだ。
何より、同じ人間の命を奪う気など、リュカやアリスは初めから無かったのだから。あの盗賊見習いが、これを機にまっとうな道に進んでくれることを願うばかりである。
「世の中には、人間だというのに魔物と同然の行いをする者もいるのですね」
洞窟を出て、再び雪の中を歩く道すがら、ふとアリスはそんなことを呟いた。独り言のつもりだったが、リュカには聞こえていたらしい。
「魔物だって、人間と同じだよ。いい奴もいれば、悪い奴だっているんだから」
「ええ、それは勿論です。プックルを見れば分かりますから。あと、サンタローズの洞窟にいたスライムもそうです」
魔物にも、心がある。それはアリスとて幼いなりによく知っている。彼らには彼らの価値観があって、それが人間とは相容れないから古来より争いが絶えない。
ただ、中には人間に理解を示す魔物もいる。だから、魔物と悪は必ずしもイコールではない。教会が魔を祓うのは、その対峙する魔物の心が殺戮に悦びを見いだす闇に染まっているからこそだ。
その悦びが、何かしらの理由で人間の心にも生まれてしまったとき、人もまたあのような外道へと堕ちる。
「心があれば、善悪が生まれるのは必然です。そして光があれば影もまた生まれます。神の子である私たちもまた、万人を照らしきれるような善などありはしない、と」
万物全てに受け入れられる正しい正義などありはしない。ある者には善でも、別の立場の者にとっては悪と捉えられる事もある。
暗い空から降りしきる雪の中で、アリスは機械的に足を動かし続ける。善と悪。人の心。そんな、答えが出るかどうかすら分からない問題を漠然と考えていた。
そんなアリスを、リュカとベラは小声でヒソヒソと囁き合う。なぜか、リュカの足元を歩いているプックルも興味があるかのように自分の主人を見上げていた。
「ねえ、ちょっとリュカ。アリスって、本当に7歳?」
「うん。でも・・・・・・アリスって時々、大人に混じって色々な話をしていることがあるから」
「本当? シスターの見習いっていうけど、いくら何でも勉強しすぎじゃないかしら」
「実はさ、もう1人ビアンカっていう女の子の友達がいるんだ。ビアンカも文字は読めるし、すっごい頭が良い子なんだけど、それでもアリスほど難しいことは言わなかったなあ」
もしこの場にビアンカがいれば・・・・・・
――――だったらどっちの頭が良いと思うか決めようかしら。勿論決めるのはリュカよ。
・・・・・・とでも言ったのかもしれない。額に青筋を浮かべる幼馴染みの顔を想像し、リュカは雪とは違う理由で身震いする。
「ふうん・・・・・・でもリュカってアリスとは1歳しか違わないんでしょう? そろそろ自分の名前くらいは書けるようになった方が良いんじゃないかしら」
「うぐう」
純粋な気遣いとして言われた忠告。それが、リュカの心に深く突き刺さった。
そうだ。僕もそろそろ勉強というものを思いっきりした方が良いのかもしれない。アリスやビアンカを見ていて、そう思った。
そういえば、とふと思い出す。サンチョは最近、退屈でしたら本でも読まれたらいかがですかと勧められることがある。アレは遠回しに、勉強した方が良いという意味だったのかもしれない。
召使いの気遣いを、この期に及んでようやく理解する少年。ごめんねサンチョ。これからは文字も覚えるから。
一行は、妖精の村から若干の東あたりまで戻る。そこからはそのまま道伝いに北へ向かっていく。細かい霰から大粒の雪へと変わっていき、目元を庇わないと前が見えなくなりそうになった。
そして、こちらの視界が悪くなっているのを見計らうかのように、次々と魔物が姿を見せていく。
コロボックル族の勇者であるコロヒーロー。同じく戦士であるコロファイター。僧侶であるコロプリースト。そして魔法使いのコロマージ。
一見すると愛らしい姿で、見栄を張った攻撃をしてくる。しかしその姿に和むことはない。彼らの一撃は全て殺意の籠もった攻撃で、油断すれば足元をすくわれかねなかったからだ。
足を取る雪と、厳しい寒さ。際限なく襲いかかってくる魔物達。そんな苦難を乗り越えて、リュカ達一行はようやくザイルが隠れ潜んでいるという氷の館へとたどり着いた。
館の外観は、壁が氷をレンガ状に積み重ねて建てられており、柱や装飾も全てが氷で構成されている。足元は歩道のように整備されているものの、それは扉へと続く通路だけで、それ以外は館を取り囲むように床が氷で出来ていた。
ふう、とリュカは深呼吸をした。目の前には魔神を象ったのか、不気味な彫刻が彫られている重厚な扉。ここだけは氷ではなく、大の大人でも開けられそうにないほどの岩で造られていた。
アリスと目を見合わせる。一つ上の少女は、信じるように頷く。ベラとプックルは後ろで事の成り行きを見守っていた。
リュカは右の扉を。アリスは左の扉を。それぞれが、打ち合わせをしていたかのようにゆっくりと力を込める。頭の中に刻まれた知識の通りに魔力を通し、触れた扉を取り払うように。
「凄い。誰も開けられなかったのに、こんなに簡単に開いちゃうなんて!」
後ろからベラの喜色に満ちた声が聞こえる。これが鍵の技法の力なのだ。
かといって、今は喜んでばかりもいられない。一行はそっと内部へ足を踏み入れた。
「わあ、すごいや」
ついリュカは、内部の美しさに声をあげてしまう。ベラも中に入るのは初めてらしく、周囲をしきりに見回している。
それは、アリスも同じだ。なにしろ氷の館というだけあって、外観の周囲と同じく、床一面が氷で作られていた。そこいらに建っている柱も、壁も。
「予想はしていたつもりですが・・・・・・やはりこの目で見ると、また違いますね」
意外といって良いのか、内装は氷で構成されているだけあって明るく、広々としている。芸術の域に達していると言っても過言ではなかった。
とはいえ、それは自分達のような闖入者にとってはあまり歓迎できる造りではないのかもしれない。なぜなら――――
「うわわっ! す、滑るぅ!!」
――――氷の上で歩けば、当然のように滑るのだから。
あるいは、それを見越して床が氷で出来ているのかもしれなかったのだが。しかし、そんなことは彼らには関係が無かった。
一歩だけ侵入したつもりが、慣性の法則でツルツルと前へ滑ってしまう。踏ん張ろうと足を動かしても、そのせいで余計に勢いを増してしまった。
「きゃっ!」
「にゃっ!」
「ひゃっ!」
後ろを歩いていたはずのアリスも、勢い余って先頭のリュカにぶつかってしまう。続いてプックル、ベラとサンドイッチのようにくっついて、壁に激突する。
箒で集められたかのように壁の隅に集まっている一同。山積みのようになっている彼らの頂上で目を回していたプックルは、真っ先に飛び起きる。リュカとベラに覆い被さるように倒れていたアリスは、プックルに前足でタシタシと叩かれることで顔を上げた。
「いたた・・・・・・大丈夫ですか。リュカさん、ベラさ・・・・・・」
身体を起こし、2人の状態を確認する。リュカとベラの格好は、彼が妖精の少女の上にうつ伏せになっていた。
ただし、ベラの胸に顔を埋めて。
「ううん・・・・・・参ったわね。こんなに滑るなんて・・・・・・って」
硬直しているアリスをよそに、ベラは頭をさすりながら上半身を起こそうとする。そこで、リュカがどこに顔を埋めているかに気づいたらしい。
「ちょ、ちょっとリュカ。早く離れてっ」
「むう、んん!?」
「きゃあっ、息を吐かないでよ!」
リュカは、自分がどういう状況になっているのかを理解できていないらしい。離そうとジタバタするベラに、逆にしがみつく。
「・・・・・・はっ。な、何をしているのですかリュカさん!?」
我に返ったアリスはリュカの肩を掴むと、そのまま引き剥がす。リュカは硬直したまま、目を瞬かせていた。
「大丈夫ですか、ベラさん?」
「・・・・・・うん。ありがとう。もう大丈夫よ」
「あ、あれ。僕、さっきまでどこに顔を?」
オロオロする少年に、女の子2人は色々と言いたいことをグッと堪える。事故。そう、これは事故だ。やがて諦めたように溜息を一つつくと、ベラはポンポンとリュカの頭を叩く。
「何でもないわよ。そろそろ先に行きましょう」
「う、うん」
どこか納得していないような顔をしつつも、ベラとアリスが先に進み始めたので、リュカは付いていくしかなくなってしまった。
氷の床はその後も行進を妨害するように、足元の自由を奪い続ける。通常ならばどうということのない距離に上へと続く階段があるのだが、そこへ行くにはむしろ滑ることを前提に進まなければならなかった。
そして、障害はそれだけではない。氷の館にも魔物は数多く存在しているのだ。
集団で突撃を敢行してくるアルミラージや、ドラキーの亜種であるドラキーマ。さらにやっかいなのは、冷たい息を吐く骨の大蛇であるカパーラナーガ。こちらから仕掛けるのは不利なので、どうにか迎撃中心のスタイルで撃退した。
部屋の内部を大きく迂回するように進みつつ、ようやく階段にたどり着いたときには本当に安堵したものである。正直なところこの時点で足が疲れていたのだが、ここで帰るわけにもいかない。
階段を上がりきると、またしても氷の床。そしてこの場は、もう屋上だ。雪の交じった風が、再び容赦なくアリス達に吹きかかった。
アリス達は目をこらす。屋上の中心部分に、小部屋ほどの大きな台座のような空間が存在していた。リュカ達はその中央部分に向かう。
この場の足元は、意外と内部に比べて歩きやすかった。屋上として吹きさらしになっている関係のためか、氷の質が違うのかもしれない。
その時だ。その台座の影から、一つの小さな影が現れた。
「おい、そこのお前ら。今すぐに止まれ!」
「っ!」
反射的に、足を止める一行。その姿は予想していたよりも幼く、むしろアリスやリュカと同年代かと思えるほどの高い声ですらあった。
「何者だ、お前達は。館の鍵を開けたのもお前達だな!」
「・・・・・・キミが、ザイルっていうのかい?」
努めて平静に声をかけるリュカに、それがどうしたといわんばかりの態度で手に持っている斧を構える少年。なぜか、いつぞやの盗賊のように頭から覆面を被っている。
「そうだ、オレがザイルだ。お前らこそ名前を名乗れ!」
「僕はリュカ。フルートを取り返しに来たんだよ」
「私はアリス。ポワン様に頼まれて、ここへ来ました」
「私は妖精のベラ。今すぐ、ポワン様の前で謝ってもらうわ」
名乗りを上げる。プックルもまた、喉を鳴らして威嚇をする。
「やっぱり! お前達、あのにっくきポワンの回し者か!?」
「ポワン様を悪くいわないで!」
ザイルの合点がいった様子に、ベラが反応する。だが、ザイルはその抗議を無視した。
「俺のじいちゃんを村から追い出した、薄情者のポワン! 俺はあの女が嫌がることだったら、どんなことでもするんだ!!」
「それは誤解です、ザイル」
静かな声で、アリスが一歩前に出る。ザイルは眉をひそめて少女を見る。
「何が誤解だって? じいちゃんはあの洞窟で周りの目を気にしながら、毎日肩身の狭い思いをして・・・・・・」
「貴方の祖父であるダニガンさんの話は、あの方自身から聞いております。あのダニガンさんは、先代の村長に追い出されてしまったのだと。ですから、ポワン様は本当に無関係なのですよ」
「何だ、お前。良くもそんなデタラメを」
「嘘ではありません。お疑いならば、一度ダニガンさんとお話をしてみてはいかがでしょうか」
「騙されるか! そんな都合のいい話がっ!!」
頭に血が上ったザイルは、斧を上段に構えて飛びかかった。アリス達は分散して、その一撃を躱す。
「止めてください。私たちは貴方に危害なんて・・・・・・!」
「うるさいっ! ポワンの手下は黙っていろ!!」
――――耳障りなことを言う女だ。まずはこいつから倒してやる!
斧を強く握りしめ、今度はアリスに狙いを絞って飛びかかる。滅茶苦茶に武器を振り回し、距離を詰めた。斧はかなり使い慣れているらしく、太刀筋が素人のそれではない。
距離を離しつつ、時には横に動いて攻撃を避ける。先ほどのカンダタ見習いよりも動きは遅いため、彼女はかすり傷も負わなかった。
かといって、楽観は出来ない。そもそもこのザイルとは、戦いをしに来たわけではないのだ。アリス達の目的は、あくまでも春風のフルートを取り返すこと。ザイルはポワンのことを誤解しているので、こちらからは交渉しなければならないというのに。
「お前、アリスに触るなっ!」
そんな内心を知らないリュカは、ザイルに斬りかかった。彼からすれば、友達を守るための当然の行為。
「ちいっ!」
応戦するため、ザイルは身体を反転させてリュカに向き直る。アリスの脳裏に、冷たい予感が走った。
ダメだ。1度でも刃をぶつけ合ってしまったら、それこそ話どころではなくなってしまう。
とっさに、アリスは2人の間に身体を割り込ませる。争い合いを止めるために。
「あ!」
「げっ!」
理解できないアリスの行動に、リュカは慌てて剣を持っている腕を止めた。跳び上がっていた足も、アリスの目の前で着地する。
翻って、ザイルは腕を止めるなどということはしなかった。元々全員と戦う気でいた彼からすれば、狙いが目の前に入ってきたからといって、攻撃を止める必要などないのだから。
赤い一筋の線が、少女の頬に生まれる。血の雫が、床の氷に垂れ堕ちた。
「な、何やってんだよ、テメエ・・・・・・」
それでも、追撃はなかった。女の子が自分から怪我をしに来たという行為が、ザイルには信じられなかったのである。
「あ、アリス。どうして?」
信じられないというリュカの声に、アリスは血を流したまま僅かに笑うだけ。大丈夫ですからという意味を込めた、どこか大人がするような印象を受ける微笑み。
「なんで、止めたんだよ・・・・・・お前」
「信じられないというのは、仕方がありません。ですが、信じてください。私たちは、ザイルと話し合いをしに来ただけなのです」
「ふ、ふん。ポワンの手下なんか話したくもないって、さっき言っただろうが」
そう言いながらも、声には先ほどまで怒鳴っていたときの勢いはない。その様子に、少しだけ安堵するアリス。よかった。とりあえずは話を聞いてくれそうだ。
「ザイル。貴方には全ての事情をお話しいたします。その上でどうしたいかは、どうか己のご意志のままに」
「・・・・・・」
まるで、神父が迷える子羊に教えを説くかのような口調。ふとザイルは、妖精の村にも教会があったな・・・・・・などと、そんな過去のことを考えてしまった。
まだ物心がついて間もない頃。妖精の村で遊び回っていた時期。
読み書きを教えてくれた、優しかった神父様。初恋の相手だった、綺麗なシスターの笑顔。
そして、祖父を頼って壊れた道具を治してほしいと、いつも困ったような顔で縋り付いて妖精の子供達。
ああ、そうだった。ザイルは思い出す。ポワンは憎い相手でもあったけれど、誰が尊敬している祖父を追い出したのかとは、一言も訊けなかったっけ。
事の発端を全て話し終えたアリスの目の前には、もはや先ほどまでの怒りに満ちた瞳はなかった。怒ろうにも、もうその対象は目の前にいる彼女達ではないのだから。
「・・・・・・と、いうわけなのです。ダニガンさんが追い出された時期、妖精の村は先代の村長によって治められていたからなのですよ。どうか、春風のフルートを返していただけないでしょうか。それがなければ、無関係の人々が――――」
「・・・・・・ああ、いいよ」
その言葉に、成り行きを見守っていたベラは唖然とした。まさか、本当に戦い抜くこともなく、説得できてしまったとは。そして、ザイルの心を変えてしまったことにも。
「フルートは返してやるよ。正直、まだ色々とモヤモヤするけど・・・・・・でも、まあ、これ以上こんな事をしていたって、何にもならないかもしれないしな」
「本当に、返してくれるの?」
リュカの声にも、頬を掻くザイル。その表情は、リュカのようにどこかあどけなさを残した、普通の男の子のものだった。
「じいちゃんとはあれ以来会っていないし、俺のしたことを知って、喜んでいるとは限らないからな。だから・・・・・・雪の女王様に、もう一回掛け合ってみるよ」
「・・・・・・?」
雪の女王。聞き慣れない名前だ。アリスはベラに視線を向けた。
ベラは、フルフルと首を左右に振る。妖精であるベラが知らない名前。一体誰なのだろうか。
その様子に、ザイルは眉をひそめる。もしかして、こいつらは雪の女王様を知らないのだろうか。
「なんだ、そんなことも知らないのかよお前ら。いいか、雪の女王様ってのはだな・・・・・・」
――――そこまでですよ、ザイル・・・・・・いや、愚かなドワーフの小僧よ。
突然、女性の声がした。
どこまでも、世界の全てに冷ややかな絶望を届けようとする野心の固まり。雪の女王。
この一連の事件である、全ての元凶が姿を見せた。
つづく
リュカ「そういえば、ザイル。何でそんな格好なの?」
ザイル「俺に斧の戦い方を教えてくれた奴が、こういう格好だったんだよ。流石に寒いから、黒いタイツを下に着ているけどな」
アリス「あの人は・・・・・・」