DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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滅び。されど残されたもの。

 

 

 

 

 サンタローズは、人口こそ集落と呼んで差し支えない規模ではあるものの、美しい自然に囲まれた暖かい場所であった。

 

 崖の洞窟から流れる清流や、生い茂る木々と共に生きる村人の姿には、誰もが自然と人が一体化することの素晴らしさを教えてくれる。動植物に敬意を払い、大切に接する日々。

 

 そんな小さな世界が、今。

 

 目の前で、全てを呑み込む凶暴な炎に蹂躙されたとしたら。

 

 それはまさしく、神に弓を引く行為と呼んで差し支えないだろう。

 

 

 

 

 村の様子を目で確認できる距離まで近づくことが出来たとき、真っ先にアリスの目に飛び込んだものは炎であった。

 

 村の男達が設置した、木製の門。それが今、柱の一部を除いて完全に焼け焦げていた。屋根の部分はとうに木炭と化しており、周辺に崩れ落ちている。

 

 そして、至る所から炎によって焦げた匂いが充満している中、アリスとミランは喉が引きつるのを自覚する。いつも、この村を守っている番兵の男性がいたのだ。ただし、焦げた柱に背中を預けたまま尻餅をついている状態で。

 

 確認するまでもなかった。いつも村へ戻った時は優しく迎えてくれた番兵の青年だ。しかも、頭から血を流している。時折苦しそうに呻いているところから、どうやら命に別状はなさそうだ。

 

 つまり、誰かと戦ったのだ。おそらくは、この村に火を放った者の手によって。

 

「い、一体これは・・・・・・」

 

 回復呪文を青年にかけるミランの辛うじて出た言葉が、そんな当たり前の疑問。そんなことは、アリスだって誰かに訊きたかった。

 

 誰かに訊く。そこで、アリスは我に返る。そうだ。まだ村の中には、他にも生きている人が必ずいるはずだ。まずは生きているみんなで、力を合わせて火を消そう。その後に、誰かから事情を訊くしかない。

 

 そう。これを思いついただけでも、実は大したことなのかもしれない。そうだ。生きている人はまだいる。ならば、今はその人達を助けに行かないと。

 

 村の老人達は。武器屋のおじさんは。グレン神父は無事なのだろうか。

 

「シスター・ミラン。一緒に村の中へ行きましょう!」

 

「あ、は、はい!」

 

 未だに目を覚まさない番兵の身体をそっと横たえ、ミランもアリスの後を追う。

 

 2人の心にあるのは、ただ悲哀。そして、使命感。

 

 生きている人はきっといる。ならば、諦めてはいけないのだから。

 

 今間や何の意味もなくなってしまった門をアリスが潜った先は、村が見通せる丘の上。その全てを一望できる風景は、アリスが記憶している光景とはかけ離れたものであった。

 

 炎。ただ、炎。

 

 どこから生まれたのかも分からない炎が、人々が暮らす建築物や自然を蹂躙している光景。ただ燃えさかる音が耳に届き、あらゆるものが崩れていく。

 

 どこかの家でボヤ騒ぎでも起きたのか。いや、そうだったとしてもこれほどの被害はでないはずだ。何より、番兵は何者かに襲われているのだから。明らかに、人為的なものだ。

 

 老夫婦が暮らしていた民家が、燃え尽きた屋根と共に炭へ変わる。

 

 多くの旅人を受け入れていた宿屋が、石造りの壁ごと崩れ落ちていく。

 

 人々の行き交いによって自然と出来ていた歩道には、瓦礫の山。抉れた跡。

 

 遠くから、獣のような悲鳴が聞こえた。遅れて、それが人間の発した怒号だったことを理解する。炎の中、まだ僅かに蠢く影が見えた。

 

 アリスは走る。村人達がまだ生きている人間がいるという事実が、今のアリスの原動力だった。

 

 両手に魔力を集中させ、ヒャドを放つ。生きている人間に向かって、ではない。人影を取り巻いている炎に向かってだ。炭化しかけている住宅はそれ以上の炎の蹂躙を許さず、瞬く間に魔法の氷が包み込む。

 

 森の中に飛び火しかけている村の一角にも、もう一発。そこから、さらに氷による消化を続ける。少なくとも、これでこれ以上は周囲に火が燃え広がることはないだろう。

 

 それでも、事態は全く好転してはいない。村の中央近辺には未だに火が燃えさかっており、未だに消火できていない住宅や建造物も数多くある。なにより、今もなお原因不明の脅威から逃げ回っている村人達がいるのだ。彼らの怪我を回復させるための魔法力は、しっかりと残しておかなければ。

 

 そう、脅威。眼下には、顔を煤だらけになりながらも、どうにか戦っている村の者達がいる。

 

 誰だ、彼らが相手取っているのは? 遠目でも分かることと言えば、相手が槍を持っている事。そして、どこかの兵士のような格好をしているということだ。いや、実際に兵士なのだろう。

 

 先ほどまでは気づかなかったが、消火作業を続けたことで先ほどよりも幾分見晴らしが良くなっている。さっきまでは気づかなかったが、少なくともこの兵士の格好をした者達が村を襲った襲撃者達で間違いない。

 

 よく見れば、その兵士達は村のいたる場所で村人達と戦っている。村の武器屋から譲り受けたらしい銅の剣や手持ちの武器を手にして、兵士の持つ槍とせめぎ合っていた。

 

 何故、兵士がこの村を?

 

 事情は未だに判然としない。しかし、今は考えている時間が惜しい。一刻も早く村の者達を助けて、事情を訊くのが先だ。

 

 辛うじて川の上に架かっている橋はまだ無事である。足早に通り抜けると、今度は崩れかけて変形している地形が邪魔をした。

 

 それでも、アリスは走り続ける。何度も転びそうになりながらも、そんなことは知らないと言わんばかりに、人がいるであろう場所へと奔走した。

 

 老骨に耐えながらも畑仕事をしていた老夫婦の顔。旅人にお酒を振る舞っていた優しい青年。一緒に苗を植えていた農家の男達。

 

 サンタローズの中で生まれていた思い出や人の笑顔が、頭に浮かんでは消えていく。アリスは流れる涙を拭くこともなく、ただ悲鳴のような声をあげて走り続けた。

 

 そして、見えた。炎の壁の向こう側に浮かんでいる人影を。

 

「無事ですか!?」

 

 躊躇うこともなく、アリスは炎にその身を飛び込ませた。熱いと感じる間もなく、彼女は人影の正体を視認する。

 

 やはり、若い青年の兵士だ。当然だが、紛れもなく人間である。魔物ではない。

 

 身につけている鎧には、六芒星をアレンジしたようなデザインの紋章が彫られている。これを見て、アリスはようやく相手が何者なのかを理解した。

 

「・・・・・・その鎧。何故ラインハットがこの村を!?」

 

 そして、相手取っている男は顔見知りの村人。何度も農作業を手伝っていた中年の男性だ。手には農具の鍬を持っており、それを武器に戦っていたのだ。男性はアリスの姿を見ると、厳しく睨んでいた目を僅かだけ和らげる。

 

「おお、アリスちゃんか。危ないから下がっていなさい。儂がこの村を守らなければいかんのでな!」

 

「ジャクソンさんこそ、どうか下がってください。身体中が、もう怪我だらけじゃあないですか!」

 

 アリスの言うとおり、ジャクソンという名の男は全身が赤く腫れ上がっていた。肩でゼイゼイと息をして、切り傷も至る所に生まれている。それでも鍬を離さないのは、彼の意地によるものだろう。

 

「儂なら心配はいらん。村をこんなにした奴らを放っておけんだけじゃ」

 

「・・・・・・他の村の方々は、どうしたのですか?」

 

「女房や、儂以上に年寄りの者達はみんなアルカパに逃げるように言っといたよ。国の外に知り合いがいるなら、ビスタ港に行っているはずだ」

 

「そう、ですか」

 

「それよりも、ほれ。アリスちゃんも早く逃げるんじゃ。アルカパにはビアンカちゃんもいるだろう。そっちに急ぎなさい」

 

 ジャクソンは、まるで仕事の失敗を優しく許すような笑みを浮かべる。その姿に、一瞬だけ彼の意思を汲んで、この場を離れてしまいたくなる衝動に駆られた。

 

 それを、少女は渾身の意地で堪える。後ずさりしてしまいそうな足を叱責し、ジャクソンの傍に立つ。

 

「・・・・・・出来ません」

 

「アリスちゃん?」

 

 何故寄り添ってくるかが理解できない、という顔でジャクソンは呆気にとられる。アリスは兵士を目で警戒しつつ、意識はジャクソンに向けていた。

 

「私だって、出来る事があるんです。こんな7歳の子供ですが、私だって逃げたくはありません!」

 

 最後の言葉は、むしろ懇願のようにすら聞こえた。そうとも。この兵士達が何者で、何の目的でこんな事をしているのかは知らない。だが、このサンタローズは自分にとっても単なる仕事の派遣先などではない。最早、もう一つの故郷なのだ。

 

 自然と触れあうことが好きだった。純朴な大人達と語り合うのが好きだった。そして――――パパスやリュカのような素敵な出会いがあった。

 

「私だって、この村を守りたい!」

 

「それは大人の役目じゃ。子供はもっと大きくなることを考えて――――!」

 

「・・・・・・ベホイミ!」

 

 ジャクソンの抗議に、アリスは手をかざすことで答えた。少女の手から生まれた回復呪文は、ジャクソンの身体をたちどころに回復してくれる。

 

 中級回復呪文。村人の認識では、彼女は初級の魔法しか使えなかったはずだ。それでも年齢を考えれば、充分秀才と呼べるほどの腕前だったのだが。

 

 アリスは、無理矢理のような笑みを見せる。

 

「ほら・・・・・・子供でも出来ますよ。怪我をした人を治せる仕事が」

 

 続けて、周囲にヒャドを放つ。彼らの周囲を取り囲んでいた炎は、完全に鎮火させる事が出来た。

 

「アリスちゃん・・・・・・」

 

「決して前には出ません。ですが、ジャクソンさんの後ろで手助けくらいなら出来ます」

 

 だから、とアリスは言った。

 

「村を守ります。みんなで」

 

「・・・・・・絶対に、儂の後ろを離れるでないぞ」

 

「そのつもりです」

 

 未だにある残り火に取り囲まれる中、1人の農夫とシスターは目の前の男を強い目で見据えた。若い兵士は、グッと持っている槍を握りしめる。

 

「・・・・・・言ってはおくが、子供が加わったところで何も変わらないぞ。こちらも、村人全員の命を奪えとは言われてはいないのだ。巻き込まれたくなければ、さっさと逃げるがいい」

 

「誰に言われたんじゃ。お前達は、なぜこんな事をしたのだ」

 

「・・・・・・この村に来た時に、言ったはずだ」

 

 顔を歪める兵士に、アリスは怪訝な顔をする。この兵士達が、何を言ったというのだろうか。

 

「ジャクソンさん・・・・・・それは一体?」

 

「今は話している場合ではないぞ、アリスちゃん」

 

 小声で訊ねようとしたが、バッサリと切り捨てられる。確かに、今はこの状況をどうにかすることが先決だ。事情を知るのは、その後だろう。

 

 ただし、その後があるのかどうかは分からないが。

 

「もう一度言う。抵抗していない者の命を取れとまでは言われていない。お前達がこの村を去るというのなら、止める気はないんだぞ」

 

「攻めてきたのはそちらだろうが。今更言い訳などするでない!」

 

 兵士は紛れもない本心で言ったのだが、ジャクソンからすれば都合の良い言い訳にしか聞こえなかった。鍬を構え、兵士に振りかぶる。

 

 金属の打ち合う音が鳴る。続けて2度も使い慣れた農具を振り下ろすが、全て兵士には避けられた。ジャクソンも割と鍛えてはいるのだが、それでも兵士のように実践向きに鍛えているわけではない。

 

「・・・・・・?」

 

 ジャクソンの援護をしようと呪文を詠唱していたアリスは、そのやり取りに動きを止めた。いや、止めることが出来た。

 

 おかしい。アリスは思った。さっきのやり取りを訊いた限りでは、どちらも本当のことを話していたのだろう。

 

 理由は分からないが、少なくとも兵士はこちらの人命まで奪うつもりはないという。翻って、ジャクソンは突然彼らが来て村を焼き払ったと。

 

 ふと気づくと、周囲の村人達は村のあちらこちらで戦いを続けていた。どれも懸命に村人達が戦っているが、兵士達は反撃を積極的に行っていないようにも見える。いや、それどころか、兵士によってはただ防いでいるだけしかしていない・・・・・・?

 

 火を放ったのは兵士達に間違いはないはずなのに、村人の命を奪おうとはしていない。

 

 未だ僅かに燃えている村の中で、少女の中に生まれた迷い。何でしょうか、この矛盾した光景は・・・・・・

 

 この疑問にたどり着いたとき、アリスは兵士達に対する敵対心を半ば失い駆けていた。ひとまずは、どうにかして彼らと話をしなければ。

 

 ――――神よ。どうかこの迷える子羊に、真相と真実を知る機会をお与えください。

 

 心の中で全ての思いを込めて祈りを捧げ、アリスはヒャドの魔法を放った。ただし、どちらにも当てるわけではなく、兵士とジャクソンの距離が開いたのを見計らい、2人の間に氷の氷柱を作ったのだ。

 

 そう。この戦いを仲裁するために。

 

「アリスちゃん!?」

 

「む!」

 

 2人の視線がこちらに向いた。どちらも多少の意味こそ異なるものの、困惑の色を浮かべている。少女は続けて、周囲の戦っている男達の間にも同じように魔法を放った。彼らの視線がこちらを向く。やはり、兵士達は誰1人として追撃をする気配はない。

 

 少女は努めて冷静になり、2人の傍へと近寄っていった。

 

「申し訳ありません、ジャクソンさん。私は、やはりこの方からお話を訊かなければならないようです」

 

 どうかお願いします、と頭を下げるシスター見習いの姿は、これまで見たどんな礼よりも礼儀正しかった。顔を上げるアリスの顔には、煤や火傷がこびりついているものの、全く気にする様子がない。ただ、真摯な目で付き合いの長い農夫の顔をジッと見ている。

 

「・・・・・・正気かい、アリスちゃん。こいつらはこの村を襲った奴らなんじゃよ? 儂らの家を燃やして、畑を荒らして・・・・・・」

 

「分かっています。ジャクソンさんの気持ちも分かります。それでも、この人達は・・・・・・」

 

 兵士を見る。真っ直ぐな視線のままで。

 

「人を、殺してはいません」

 

「・・・・・・それは、たまたまだろうが。現に、こいつらは」

 

「ジャクソンさんは、生きていますよ。ここにいる大人達も、みんな同じです。この村の、番兵さんだってそうでした」

 

 アリスは落ち着いた声で言った。怒りと苛立ちを隠しきれない彼を落ち着かせるように。

 

「そもそも、この方が本当に村のみんなの命が目的というのでしたら、ジャクソンさんはとうに殺されているはずです。先ほどから見ていて気づきましたが、この方はずっとジャクソンさんを殺さないように必死になっていただけに思えるのです」

 

 もとより、兵士とは戦いの専門家だ。辺境の農夫の命を奪うくらい、造作もないはず。それでもこうしてジャクソンが五体満足で戦っていられるのは、青年がやむを得ず攻撃を防いだり、動きを封じる目的で抵抗している結果だ。

 

 ジャクソンと兵士の戦いを一歩後ろから見ていたからこそ、気づけたことである。そうでなければ、アリスもまたジャクソンに加勢して兵士の行為を止めていたに違いない。

 

 まだ何か言いたそうなジャクソンをそっと手で制止しつつ、アリスは青年に向き直った。

 

「それで、改めてお伺い願いたいのです。ラインハットの兵士様。一体あなた方は、どのような目的があって、我らサンタローズの村に火を放ったのですか?」

 

「・・・・・・」

 

 7歳の少女がここまで心を自制しながらも、襲撃者であるはずの兵士達に語りかける光景。この場にいた彼らや村人達は、一体何を感じたのだろうか。

 

 兵士はしばらくアリスの目を見つめ返していたが、やがて観念したように話を始める。

 

「・・・・・・これはな。ラインハットからの正式なご命令だ」

 

 それは予想できている。兵士達だけで、どんな動機があってこの村を襲うのか。しかも、人死にを極力出さないという手間をかけてまで。

 

 眉を動かさずに聞いていたアリスだが、続く言葉は流石に意味不明な内容であった。

 

 

 

 

「この村に住んでいたパパスという男が、我が第一王子であるヘンリー王子を誘拐したとの容疑がかかったからだ」

 

 

 

 

「・・・・・・は?」

 

 唖然とするアリス。何だ。この人は今、なんと言った?

 

 全く理解が追いつかない少女の前で、兵士はさらに言葉を続ける。

 

「半月前の事だ。我がラインハットに訪れたパパスという男が、王の名によって第一王子のヘンリー王子のお目付役となった。その男はそれを利用して王子を誘拐したのだ。そのため、我々は容疑者の故郷であるこの村を襲えという命令に従って――――」

 

「嘘です!」

 

 言葉を遮ったのは絶句したままのアリスではなく、こちらに駆け寄っていたシスター・ミランであった。彼女はいつもの穏やかな表情を、見たこともないほどの怒りに染めて怒鳴る。

 

「パパスさんはそのような愚かな事をする方ではありません。そんな見え透いた嘘で誤魔化さないで!」

 

「嘘でこのような命令が出るはずがない。気持ちは分かるが、我らとて不本意な命令だったのだ」

 

「分かるはずがありません!」

 

「現場近くから、王子を抱えて走り去っていく男を見たという目撃証言も出ている。その男はパパスで間違いなかったそうだ。他でもない王妃がな」

 

「それが嘘なんです!」

 

「王妃の言葉を疑うのか!?」

 

 青年はミランを睨む。彼女もまた、決して目を逸らさない。アリスは感情を見せているミランとは違い、兵士から聞いた話と現状に全く頭が追いついておらず、ただ立ち尽くしているだけだった。

 

 静寂が、今日の朝まではサンタローズだった廃墟に降りる。こんな時でも空は晴れていて、太陽の光も平等に降り注いでいた。それが、今の彼らや彼女らにはどこか酷く空しい。

 

 いつの間にか、周囲の兵士や村人もアリス達の元へ自然と集まっていた。兵士達にはもとより殺意など無く、村人達も空気が変わったことを察して、剣を下ろしていたのだ。

 

 それ以降も何度も口論を続ける兵士とシスターだが、結局は平行線のまま話は進まない。やがて、どちらも根負けしたように顔を背ける。

 

「・・・・・・とにかく、だ。だからこそ、国から命令が下ったのだ。その男の故郷を焼いて逃亡する土地を無くした後、王子を誘拐したパパスの足取りを辿れと」

 

「・・・・・・」

 

「理解して欲しいとは言わん。だが、こちらとて、本意ではなかったのだ・・・・・・せめて、人命だけでも逃がそうとみんなで相談したのだ」

 

 苦しげに言葉を吐く青年に、他の兵士達も俯く。きっと、彼らも同意見に違いない。彼らにとっては、村人達が抵抗することなど百も承知だったのだ。

 

 ラインハットという国に忠誠を誓っている兵士達は、こんな理不尽な命令であろうとも立場上逆らうことが出来ず、自分達に出来る範囲内で逆らっている。今、こうしている間も。

 

 未だに現実を受け止め切れていないアリスだが、話の大筋だけはどうにか呑み込もうとする。分からないところは、兵士に時折質問したり。

 

 第一王子のことは、アリスもよく知らない。そもそも、ラインハットなど用事でもない限りは行くこともないのだから。たかがシスター見習いが遊び気分で足を運べるわけもない。ただ、非常に軍事国家として栄えている国で、人や物流の出入りも激しいという事くらいしか知らなかった。

 

 その国の第一王子が、ヘンリーという名前の王子。しかしアリスの関心事は勿論、隣国の王子の名前を知ったからではない。パパスが、その王子を誘拐したという話である。

 

 正直なところ、アリスは勿論信じられないし、信じない。今でも思い起こせる、パパスの逞しくも優しい笑顔。あんな人が誘拐などという犯罪に手を染めるはずがない。それが、村の者達による共通の認識であった。

 

 村の全員、パパスが潔白であることを疑わない。疑えるはずがなかった。あのようにリュカに向ける笑顔だって――――

 

「あ・・・・・・!」

 

 アリスはこの時、自分がとんでもない事を失念していた事に気づいた。全ての目が、アリスに注目する。

 

「そ、そうでした! あのっ、兵士さん!?」

 

「・・・・・・何だ?」

 

 さっきまでとはうって変わり、目に見えて狼狽える少女に兵士は訝しんだ。いや、年相応の反応になったと思うべきだろうか。

 

「リュカさんは・・・・・・パパスさんと一緒にラインハットへ行ったリュカさんはどちらに?」

 

 そう。パパスと一緒にラインハットへ向かった幼馴染みだ。馬鹿ですか、私は。何故、よりにもよってリュカのことを失念していた? 少女は自分を殴りたい衝動に駆られる。

 

 村に起きたことやパパスの身に降りかかっている疑惑を考えれば、仕方がないことだとも言える。だが、今のアリスにはそんな発想はなかった。

 

「リュカ?」

 

「パパスさんの息子です!」

 

 驚きが一周回って冷静になったものの、リュカのことを思い出して再び取り乱すアリス。兵士は訝しげな顔をするが、すぐに首を左右に振る。

 

「いや、悪いが心当たりはないな。確かに城に容疑者が来たときは、子供を連れてはいた気がするが・・・・・・」

 

「その子です。思い出せませんか?」

 

「思い出すも何も、それ以降は子供なんて見ていないさ。てっきり、城のどこかで遊んでいるものだとばかり思っていたが」

 

 周囲の兵士にも視線を向ける。煤で汚れた彼らの面々は、そろって知らないという様子であった。

 

「そう、ですか」

 

 どうやら本当に知らないようだ。アリスは詰め寄っていた体勢から下がり、頭を抱えるしかなかった。

 

 一体、何がどうなっているのでしょうか。アリスはただ思い悩むことしか出来ない。

 

 ここ数時間で、色々なことがありすぎた。村が突如焼き尽くされ、襲ってきたのは不本意な命令を受けたラインハットの兵士達。理由はパパスがラインハットの第一王子を誘拐し、行方をくらましたから。息子のリュカに至っては、そもそもどこで何をしているのかも分からずじまい。

 

 目眩がする。耳の中がおかしな音で呻っていた。この現実は、寝れば治るだろうか。起きれば、これまでのことは全て夢で・・・・・・本当は家も畑も人々も、いつも通りのどかで――――

 

「・・・・・・っ」

 

 頭を振る。いけません。今は現実なのです。夢に逃避するのは、せめて眠ってからにしないと。

 

 どうやら、無意識に気力も体力も限界に来ているらしい。だが、意識を切らせてはならない。踏ん張りどころはこれからなのだから。

 

「・・・・・・それでよ、兵士さん。儂らのことは、どうなるんだぁ?」

 

 アリス達を取り囲んでいる農夫達の声に、少女は我に返った。見回すと、村の者達は例外なくラインハットの兵士達を冷たい目で睨んでいる。

 

「話は分かったけどよ、正直なところ納得は出来ねえや。オラ達はもう、住む場所も働く場所もなくなっちまったしなあ」

 

 当然だ。今回のことで、みんなが大事なものを失ってしまった。お互いの事情こそ理解でいたものの、感情では納得できるはずもない。

 

 それを予想していたように、兵士の中で中年の男が前に出る。

 

「それに関しては、勿論ごもっともだ。今すぐに、私たちと一緒にアルカパへ向かってほしい。アルカパの町長に話をつけるから、あなた方はしばらくそこに滞在すればいい」

 

「働き先なら、俺にも一枚噛ませてくれ。こう見えて、俺はアルカパ出身だからな。ちょうど住み込みで働ける従業員が欲しいっていう販売店があるんだ」

 

 他の兵士達も、我も我もと名乗り出る。サンタローズの村人も、これには困惑の顔になるしかなかった。

 

 元々、この村の人々は皆が穏やかな性格の持ち主だ。少しずつ、被害者である村人達から負の感情が抜け落ちていく。

 

 もちろん、まだ納得し切れていない部分や、心からの笑顔を見せることは難しいだろう。だけど、それも時間が解決してくれるはず。これから、償いの時間を噛みしめることによって。

 

「・・・・・・言っておくがな。お前らを許したわけじゃねえ」

 

「当然だとも」

 

「だからな」

 

 ジャクソンは腕を組み、忌々しそうな顔でそっぽを向く。

 

「お前らもパパスを見つけたら、さっさと村を直すのを手伝え。ベソをかくくらい、こき使ってやるからな。そんで・・・・・・」

 

「・・・・・・?」

 

「もし、儂が覚えているよりも村が見栄え良くなっているなんて事になったら、そんときゃあおめえらの事は忘れてやらぁ」

 

「・・・・・・あ、ああ。もちろんだ。その容疑者・・・・・・いや、パパスという方を見つけ次第、すぐに復旧作業に取りかかるとしよう」

 

「それでしたら、次は私ですね」

 

 頃合いを見て、ミランは中年の兵士に声をかける。彼女もまた、そんな空気に当てられたうちの1人だった。

 

「兵士様。1つお願いがあるのですが」

 

「む」

 

「確か、この後はパパスさんを捜索するという命令がある、と仰いましたが」

 

「そう、だな・・・・・・」

 

 僅かに言いづらそうに返す兵士。しかし、ミランはまるでお使いを頼むかのような様子で言った。

 

「もしよければ、あの方を見つけたとしたら・・・・・・上の方に報告する前に、私たちに教えていただけませんでしょうか?」

 

 誰よりも先に王妃に命令しろとは言われていないのでしょう? そういう意味を込めると、兵士は一瞬だけ唖然とした後、快く頷いてくれた。

 

「心得た。せめて、それくらいは我々も上に逆らってやらねばな」

 

「お願い致します」

 

 頭を深々と下げるミラン。それにつられ、周囲の兵士達もつられて頭を下げる。

 

 よかった。アリスは心からそう思う。

 

 彼らの空気が明らかに柔らかくなっている。ほんの少し前までは、曲がりなりにも殺し合いすらしていた人達だったというのに。

 

 そこで、声をかけてくる者がいた。先ほどの、青年の兵士だ。

 

「キミ・・・・・・さっきまで言えなかったが。本当にありがとう」

 

「え?」

 

「実のところ、こちらも立場を気にしていたから俺も引っ込みがつかなくて、どうすれば村の者達を説得できるか分からなかったんだ。だってのに、キミがそれを全て解決してしまった。なんとお礼を言って良いのか分からない」

 

「いえ、私のしたことなど微々たるものです。それでしたら、どうぞ村の方々にこそ言ってください」

 

「そんなことはない。元々はキミが俺の話を聞こうと、みんなを止めてくれたのが始まりだった。あんな状況にさせてしまったというのに、キミは根気よく襲撃者だった俺たちに対話を始めたんだよ」

 

 それは、誇って良いことだと青年は賞賛する。アリスは頬が熱くなるのを自覚し、顔を背けた。

 

「私など、まだまだ見習いのシスターでございます」

 

「見習いでそこまで出来てしまうから、凄いと言っているんだよ。正直、俺の息子を紹介したいくらいに」

 

「ご冗談を」

 

「いや、もしよければ――――」

 

「ダメだっ」

 

 と、そこで声が割り込む。しかめっ面になったジャクソンがズンズンと近づき、アリスを自分の背中へと隠してしまう。

 

「いいか、くそったれのラインハットのあんちゃんよ。このアリスちゃんは、うちの村の宝なんだ。おめえなんざのクソガキの嫁にやれるかってんだ」

 

 口調がいつにも増して乱暴だ。おそらく、彼にとってはよほど許されない事だったのだろう。むしろ、村を守っているときよりも怒髪天になっている気がする。

 

「そうだ。アリスちゃんは将来とんでもない美人になるんだ!」

 

「だいたい、アリスちゃんにはリュカ君がいるんだよ!」

 

「な、なんですかそれは・・・・・・!」

 

 どさくさ紛れに言われた言葉に、アリスは耳まで真っ赤になる。一方で、村の男達から非難の的になってしまった青年は、狼狽えるだけだった。

 

 彼は助けを求めるように仲間の兵士達を見るが、彼らはそろって目を合わせたりせず、それどころか笑いを堪えるように肩を震わせていた。ガックリと項垂れる青年。

 

「よ、弱ったな・・・・・・」

 

 青年が頬を掻きつつも、顔を上げる。それでも、困ったような顔の中にあるものは、間違いなく笑顔であった。

 

 

 

 

 そして、彼らラインハット兵士達はサンタローズで一夜を明かすことになった。

 

 兵士達とは一緒にいる気は無いと突っぱねる声も村人達の中にあったものの、そこはアリスや冷静な村人達が説得した。誰もが疲れているので、今だけは大目に見ましょうと。

 

 何より、兵士達は焼け焦げた民家から、まだ使えそうな道具や食材を取り出すのに協力をしてくれた。屋根がそのまま瓦礫の上に覆い被さっている家もあり、とても村人だけでは手が足りなかったのだ。

 

 グレン神父も、少し前まではその崩壊した建物の中で閉じ込められていたらしい。アリス達が来る前にどうにか自力で脱出していたそうだが、煙を多く吸っている状態で発見されたために早急な手当が必要な有様であった。それでも、命に別状はないことが何よりである。

 

 人命が守られただけでも神に感謝せねばな、とはグレン神父の弁であった。

 

 その後も、彼らと彼女らは救命活動を続ける。老夫婦はサンタローズの洞窟まで薬師のグータフとその弟子と共に避難しており、特に問題はなかった。彼らは頃合いを見て村へ姿を現し、事が済んだことを心から喜んでいた。

 

 その作業が終わりに近づく頃、アリスとミランは全員分の食事を作ることに尽力する。兵士達の持っている僅かな食料を分けて貰った事もあり、全員の腹を満たすことが出来た。

 

 就寝は、辛うじて無事であった教会で済ませる事に決めた。兵士達は外でも構わないと言ったものの、こちらも素直に聞き入るようなことはしない。今はもう加害者や被害者だのと言っている場合ではないのだから。

 

 最低限のやるべき事を終わらせた頃、すでに周囲は小隊の隊長である青年が村人達の前で告げた。

 

「それでは、皆様・・・・・・お手数ですが、勝手ながら明朝に我々はラインハットへ出発しようと思います。村の警護や諸々のこともございますので、最低限の人数はこの村に待機させていただきますので、どうかご心配なく」

 

 隊長の名は、ビルといった。彼はまだ兵士の中では若いながらも、着実に手柄を立てて出世をしている男なのだという。彼のその真摯な態度には、今の村人達も信用してくれるのかもしれない。

 

 そんなビル隊長が、チラリとシスターの2人を見た。アリスとミランは食事の後片付けを終わらせて、教会の前に集まった村人の中に混じって立っている。

 

「そして、今回の件を改めて上司へ抗議をさせていただく上で、ひとつお願いがございます。どうか、シスター・ミラン。並びに、シスター・アリス」

 

 名前を呼ばれ、2人は同時に背筋を伸ばす。周囲の村人達の視線が、自分達に向いたからだ。

 

 それを気にすることもなく、ビルはどこか申し訳なさそうに言う。

 

「我々と共に、ラインハットへ赴いていただきたい」

 

「――――」

 

「被害を受けてしまった方々の代表者として、です」

 

 プライドを棚上げして頭を下げるビル。周囲が、一瞬だけ静まりかえる。

 

「分かりました。このシスター・ミラン。謹んでお受け致します」

 

「同感です。並びに、このシスター・アリス。ご同行させていただきます」

 

 胸元に手を当て、礼をするシスター達。彼女らの仕事は、まだ終わりを迎えてはいない。

 

 それでも、きっとこれで終わる。ラインハットへ向かったあとは兵士達の指示に従い、今回の件の証人として立ち回る必要がある。これもまた、事後処理をする上で避けては通れないことだ。

 

 それが終わってしまえば、この件は自分達の手を離れる。証拠不十分のまま村を焼くという暴挙に関しては、上層部の椅子に座っているであろう責任者にも何らかの疑惑の目が行くはずだろう。しかし、そこまで干渉できる権利は、いかに被害者の立場であろうとも関われない。

 

 それでも。アリスは思う。

 

 出来る事があるのなら、それを懸命にやればいい。一から十まで関わろうとするのは思い上がりだ。それが出来るのは、それこそ神だけでいいのだから。

 

 ビルとアリス達は、村人達が解散したあとで簡単な打ち合わせをする事になった。城へ帰還するのは、明日の朝になるという。ラインハットにつき次第、宿で一泊。その後は、王妃へと謁見。

 

 王妃と対面する。その事にアリスとミランは緊張の顔を隠せなかった。しかし、そんな反応を予想していたビルは笑うだけ。

 

「心配はいりません。王妃様は確かに実子であるデール第二王子にしか関心の無い方ですが、当日は将軍も同席しています。実直な方で、悪いようにはなりません」

 

「将軍・・・・・・ですか?」

 

「はい。今回の王妃様の命令には、あの方も思うところがあるはず。諦めずに訴えが届きさえすれば、きっとこちらの味方となっていただけるはずです」

 

 ビルの顔は、とても真摯なものだった。そんな彼がそこまで言うのだから、きっと信頼できる人なのだろう。ラインハットの上層部にも、頼れる人間はいるのだ。

 

 その後もいくつかの話を終わらせたあと、解放されたのはすでに深夜に近い時刻であった。村を出発するのは明日。それまでアリスらはラインハットへの旅に備えて、身体を癒やさなければならない。

 

 が・・・・・・それを承知の上で、アリスにはやっておくべき事があった。

 

 暗闇の中でそっと外に出て、真っ直ぐにある場所を目指す。外は初夏の残り香に混じって生暖かい風が吹いている。やがて坂を下り、サラサラと水の流れる音が聞こえ始めた。

 

 夜は暗い。アルカパのような街へ赴けば、小さな松明が見えるはずなのだが、ここサンタローズはそういった資源に乏しい。そのため、夜に照らされる明かりは、いつも民家から漏れる蝋燭の光だけ。

 

 そして、そんな僅かな灯火も今は無い。その事が無性に寂しさを感じるけれど、今は涙を流していても仕方が無い。

 

 適当な川岸へ近づくと、アリスは手に持っていた籠を砂利の上に置く。

 

 星が出ている。空は輝いていて、とても昼間はあんな炎の地獄にあった世界と同じとは思えない。

 

 夜空の星々に見守られている中、アリスはそっと身につけている尼の服に手をかける。シュルリと、滑らかな肌と布が擦れる音。

 

 白いスリップに、純白のパンティ。それにも指をかけ、生まれたままの姿になるアリス。

 

 7歳の身体にしては健康的な足が、穏やかに流れる川の水に触れる。そのまま腰までゆっくりとつかると、両の手の平で身体をそっと洗い始めた。

 

 女性らしい肢体には程遠い、起伏の少ない少女の身体。だが、その肌の滑らかさや本人の容姿も相まって、将来の美しさを予感させる。

 

 温めの川の温度が、むしろ心地よい。妖精の世界へ赴く前は、冷たい水を含ませた手ぬぐいで身体を拭いていたため、こうして水浴びが出来るようになったことは素直に嬉しいと思う。

 

 それでも、今の心を穏やかにする分には今ひとつ足りないというのが本音ではあったが。

 

 この日、サンタローズの村が滅んだ。もはや、あの美しい自然に囲まれた姿は失われたのだ。

 

 そして、さらにアリス達の心をかき乱すことがあった。パパスが、ラインハットのヘンリー王子を誘拐した容疑がかかっている。

 

 これは一体、なんの冗談だろうか。あの優しくも頼もしかった人がそんなことをするなんて、誰もが信じられない。

 

 そして、それはリュカもだ。彼に至っては行方不明。アリスは彼の誰もが心を穏やかにさせる瞳を思い出す。あの真っ直ぐな少年は今、どこで何をしているのだろうか。

 

 何か、怖い目に遭っていないだろうか。パパスさんや、プックルは一緒だろうか。サンチョサントも、ちゃんと会えているだろうか。

 

「・・・・・・っ」

 

 両手で水をすくい、顔にかける。涙が出そうになったので、そうしたのだ。

 

 これで大丈夫。今、顔が濡れているのは川の水のせい。

 

 視線を向ける。その先には、屋根を無くした一軒の民家。

 

 あの家に、私は何度も通っていた。ひとつの家族が暮らしていた。

 

 パパスの背中。サンチョの笑顔。プックルの鳴き声。そして、リュカの小さな手。今はもう、いない。

 

  肩を震わせるアリス。会いたかった。あの純粋すぎる少年に会って、もう大丈夫ですよと言ってあげたい。

 

「アリス・・・・・・どうしたのですか、アリス?」

 

「あ・・・・・・」

 

 声が聞こえてきて、アリスは我に返る。慌てて周囲を見回すと、川岸にシスター・ミランが立っていた。彼女はどこか不安そうな顔でこちらを見ている。

 

「・・・・・・シスター・アリス。どうか無理は止めてください。貴女はまだ、7歳の女の子なのですから」

 

 不安げな瞳を揺らして、ミランがこちらの瞳を覗き込む。ミランとて今日の一連の出来事には参っているはずだというのに、こちらを気遣ってくれている。

 

「いえ、申し訳ありません。心配をおかけしてしまって」

 

「・・・・・・こちらこそ。先ほどまでのアリスは、本当にお辛そうでしたから・・・・・・あの、よければ私も失礼しても?」

 

 失礼とは、水浴びのことだろう。特に断る理由など全くない。

 

「ありがとうございます、アリス」

 

 微笑んだミランは、自分と同じく修道女の服を脱いでいく。自分と違って大人の年齢であるミランは、さながら絵画から出てきたかのような裸体の持ち主でもあった。

 

 下品さを感じない胸元の美しさ。ある程度鍛えていながらも、決して女らしさを失っていない腰回り。無駄な贅肉が無い太腿。

 

 芸術品も同然の肢体を惜しげも無く晒し、ミランはサンタローズの清涼な水に足をそっと踏み入れた。

 

「あ、あの。シスター・ミラン?」

 

「今はミランで構いません。神も微笑ましく見ていることでしょう」

 

 ミランはアリスの背後から、そっと少女の肢体を抱える。そのまま、ゆっくりと腰まで浸かる。清流が心地よく、まるでお風呂にでも入っているかのようだった。

 

「私も、アリスと同じですよ。色々とありすぎてしまって、身を清めるのが随分と遅くなってしまいましたので」

 

「そうですね。きっと、みんなもそうです」

 

 月を見上げ、ほんの少しだけ微睡みの時間を作る。本当に眠ってしまうわけにはいかないが、今だけは全ての力を抜くくらいはいいだろう。

 

 もうミランとはこの村に来てからの付き合いになるが、こういう機会はいくらあってもいいと思う。いずれ自分が見習いの課程を修了する頃には、きっと別々の場所でシスターとして生きていくのかもしれないから。

 

 それからしばらく、アリスはミランとお話をした。

 

 それはとりとめのない内容で、益体もない話ばかりだった。あそこの星が綺麗だとか、どんな星座なのかとか、今日のあり合わせで作った野菜スープは本当に美味しかったとか、そんなありふれた話――――つまるところ明朝には出発しなければいけないから出来る話などではなく、そうでなくとも出来る話ばかり。

 

 けれど、それは何よりも大切な時間のように思える。

 

 これまでのことがあったからこそ肩肘を張るのではなくて、これからも続いていくだろう日常のピースとして、アリスとミランは他愛のない話を、ただ緩やかに続けた。飽きることなんてあるはずもなく、輝くようにサンタローズの中で在りし日のサンタローズの日常を語らう。

 

 そんな会話が、どれだけ続いたのだろうか。まだまだ話せそうなくらいだった時間の中で、ミランの瞳に僅かながらも真剣さが混じる。

 

「・・・・・・アリス。大丈夫ですよ」

 

「え?」

 

「パパスさんも、リュカ君も、きっと無事でいるはずです」

 

 あ、と声が漏れるアリス。それは、彼女が誰かに言って欲しかった言葉そのものであった。

 

「根拠はありませんが、私はそう信じています。そんな気がするんです」

 

 アリスは信じられないのですか? そう言ってあげると、銀髪の少女はブンブンと首を左右に振った。

 

「だって、あんなに強くて格好いいパパスさんがいるんですもの」

 

「まあ、同感ですが」

 

 ふと、ミランはパパスに憧れている事実を思い出したアリス。とりあえず、余計なことは言わないでおこうと思う。

 

 ミランの方も少し私情の入った信頼を口にしてしまったと気づき、コホンと咳払いをひとつすると、真面目な表情を作った。

 

「ラインハットに着き次第、ラインハットの王妃様の前にて申し開きの機会があるはずです。確かに私たちのような身分の方が対面するには、色々と緊張もするでしょう。ですが、此方にはやましい事などは何一つないのです。堂々と、聞かれたことを丁寧に答える事を考えましょう」

 

 アリスは頷く。申し開きとは、兵士達が王妃によってパパスにかけられた嫌疑に対して、正式に抗議をする事。そして、村の者達とラインハットの現場の兵士達とは正式に和解が済んでいるという事。

 

 これらを踏まえた上で、改めて今後の対応について上層部を加えた上で検討する。村の中で、最も冷静に話を出来るのがミラン達なので、7歳のアリスも含めて代表者として選ばれることになったのだ。気を抜くことは許されない。

 

 だが、その前に言おう。自分の素直な気持ちを。今、何をしたいのかを。信頼している先輩の前で。

 

「ミランさん」

 

「はい」

 

「私・・・・・・その会合が終わりましたら、リュカ君達を探します」

 

 アリスは、ハッキリと言った。

 

「兵士の皆様方の捜索に、私も参加したいんです。出来る事があるのなら、何でもしたい」

 

「・・・・・・」

 

「リュカ君やパパスさんが、心配なんです。凄い友達だって、言ってくれた男の子ですから。お別れをする時に、また会えるって言ってくれた事、私、まだ覚えていて・・・・・・」

 

 少女の脳裏に浮かぶのは、別れ際の背中。遠くなっていく2人の親子。

 

「また、会いたいんです。もっと一緒に勉強がしたいです。一緒に遊びたいです」

 

「はい」

 

「ですから・・・・・・私はリュカ君を探します。パパスさんも、です。あの人達が何か恐ろしいことに巻き込まれてしまったというのなら、私は必ず探しに行きたい」

 

 ミランは、後輩の少女の胸にある思いを、ずっと聞いていた。どうやら、想像以上にアリスの不安と焦燥は大きいらしい。

 

「アリス・・・・・・貴女はまだ7歳なのですよ。悪いことは言いません。大人に任せなさい」

 

「確かに・・・・・・私はまだ未熟もいいところの子供です。ミランさんには申し訳ありませんし、院長やリディア様にもご迷惑をおかけするかと思います。それでも・・・・・・」

 

 アリスは、ミランの目を真っ直ぐに見返す。

 

「私自身が、そうせずにはいられないからです」

 

 あまりにも青臭い、未発達な子供の言葉。それでいて神の僕としての言葉ではなく、自分自身の思いと決断。

 

 シスターは思う。一体、この子はどこまで早く大人になっていくのでしょう。それだけ、リュカとの冒険がこの子の心に足跡を残しているということなのだろうか。その事実がほんの少しだけ感嘆を覚え、また少しだけ寂しさを感じた。

 

 だからこそ、ミランは言い返す。先走りそうになっている無知な子供を叱るのではなく、決意を秘めた1人のアリスという人間に対して。

 

「アリス、貴女の思いは本物なのでしょう。だからこそ、私は人を導くシスターとして、その行為を認めるわけにはいきません」

 

「――――っ」

 

「ですから」

 

 何か言おうとするアリスに、優しく微笑む。まだ、ミランの言葉には続きがあるのだ。

 

「私も一緒に探す、というのが条件です」

 

「あ・・・・・・」

 

「なんですか。嫌とは言わせませんよ?」

 

 アリスの顔が驚きに染まり、そこから徐々に破顔していった。万感の思いで、頭を下げる少女。

 

「はい・・・・・・頼りにしています!」

 

 彼女にとって、これほど嬉しいことはなかった。そして、それと同時に自分の至らなさをまざまざと教えられてしまった気分になる。

 

 一体、いつから自分は一人でリュカ達を探すことを前提としていたのか。すぐ近くに、ここまで頼もしい大人がいたというのに。

 

「頼りにされるのは嬉しいことです。ですが、その前にラインハットでのやるべき事を忘れてはなりませんよ?」

 

「はい、もちろんです。王妃様との謁見ですね」

 

「はい。まずはそこから――――」

 

 と、ミランとアリスが真剣な表情で話を続けようとした時。

 

 ふと、カランと軽い音がした。まるで、固い物が転がったような音。

 

 2人は、揃ってその方向に顔を向ける。正確には、川岸の先にある丘の上。

 

 そこには、1人の男が立っていた。夜闇の中でもハッキリと分かるほど、驚愕の表情になっている男。

 

 隊長の、ビルであった。彼は2人と目が合うと、あからさまに狼狽える。

 

「ああ、い、いや・・・・・・大変失礼致しました。ちょうどこの辺りから声がしたもので何事かと足を運んでいた次第でありましてでもこのような覗きに近い行為などする意図は全くなかったというか考えてみればあれだけのことがあったのですから水浴びをするなどごく当たり前ですしその可能性が頭から抜け落ちてしまっていたというのは全く私の至らなさから来るものでありまして――――あの、お2人方?」

 

 顔を真っ赤にし、汗まみれになっている顔のまま、後ずさりするビル。全裸のままニッコリと不自然なほどに笑みを浮かべている女性と少女に、とてつもなく嫌な予感を感じたのである。

 

 アリスの手から、魔力の固まりが浮かぶ。ミランが川岸に置かれている衣類の中から、護身用のブロンズナイフを取り出す。

 

 あ、俺死んだ。

 

 抵抗の気持ちすらないまま、己に向かってくる魔法とナイフを受け入れるしかなかった。

 

 あ、この子ってイオなんか使えるんだ。ナイフもこんなに正確だ。凄いなぁ・・・・・・

 

 場違いな感想を頭に思い浮かべつつ、ビルは意識を失った。

 

 

 

 

 そして、次の日の朝。

 

「それでは、参りましょう」

 

 黒焦げになったまま、今ひとつ格好の付かないビル隊長の下、一行はラインハットへと向かうのであった。

 

 

 

 

つづく

 

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