DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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邂逅(修正)

 

 

 

 

 ほんの僅かな魔力の波動を感知した。

 

 その怪物は周囲が明るくなる時刻に、己の持つ三つ目は地平線の向こうへと向く。例え宵闇の中であろうとも遠く離れた木々の数さえ見通せるほどの瞳は、山々に囲まれた塔の存在を視認することなど容易であった。

 

 

 怪物は思い出す。かつて己を封印した、あの忌々しい人間。奴だけはなんとしても血祭りに上げねばならない。

 

 ――――この屈辱は、我がブオーンの名にかけて晴らす。

 

 ブオーン。それがこの怪物の名前である。

 

 今現在から約150年前、ある人間によって封印されていた巨大な怪物。それがこの魔物の正体である。

 

 長年の間、世界中の大陸を荒らし回り、やがて怪物も悟る。この世に人間など、とうに滅び去ったものだと。だが、まだ諦めたわけではない。

 

 そうとも。なぜなら、まだ生きている人間がいたのだから。

 

 見つけた。ついに見つけた。まだ人間が生きている可能性を。

 

 残忍に巨大な口元を歪めるブオーン。全てを踏み潰す両脚は、ゆっくりと遠くの塔に向かって進んでいった。

 

 

 

 

 頭上に放ったイオは、まるで花火のような音を立てて消えていった。無駄な魔力を使わないために、あえて小規模の威力に抑えたのだから当然だが。

 

 そうとも。これから先の戦いには、魔力を一欠片も無駄にしてはいけない。

 

 そして、これであの怪物は気づいたはずだ。自分達2人がこの――――神の塔の頂上に立っていることを。

 

 手に持つ槍は、僅かに重い。これも恐怖と緊張による錯覚だろうか。普段は気にもしない僅かな感触も敏感に反応してしまう。

 

「アリス。大丈夫かい?」

 

「はい。私は大丈夫です。いつでも戦えます」

 

「それなら良いんだけれど」

 

 気を遣われてしまっている。アリスはそれに気づき、少しだけ申し訳ない気分になった。

 

 彼の地平線を真っ直ぐに見つめる瞳は、どこまでも真っ直ぐで雄々しい。なぜか、このたった一晩でもともと大人びていた顔が一気に頼もしさを増している気がする。

 

 男の人って、こんなにも変わるんですね。アリスは、改めてその事実を噛みしめる。もっとも、それはリュカもアリスに対して、内心で似たようなことを思っているのだが。

 

 同じく地平線を見つめるアリスの瞳は、凜々しくも透き通っている。とてもこれから命をかける戦いをするとは思えない立ち振る舞いだ。彼女もまた、女性特有の強さと大人としての色香が匂い立つようだった。

 

 その互いの視線が交差する。2人はまるで打ち合わせていたかのように寄り添うと、優しい口づけを交わした。

 

 唾液の糸が2人の唇を繋ぐ。アリスとリュカの切なげな瞳は、互いの信頼と切なさを語っていた。

 

「――――ご武運を。必ず、また生きて貴方に会えますように」

 

「――――僕もだ。必ず、生きてキミと一緒に会うよ」

 

 2人は武器を手にしていない手で、そっと触れあう。優しく握りしめられた2人の繋がりは、きっとこの世界で誰よりも強い。

 

 ――――やがて、地響きを感じる。そして、その騒音も。

 

 大地を踏みならし、木々をなぎ倒し。まるで全てが路傍の石であるかのように踏み越えて、悪夢の脅威がやってくる。

 

 山のような巨体。一対の角と翼。そして額に第三の瞳を持つその外見は、見るものに多大なる恐怖と絶望を覚えさせることだろう。

 

 だが、もう怪物を直視することに恐怖はない。アリスとリュカは、一歩も引くこともなく怪物の持つ3つの瞳を注視しているだけ。

 

 そうとも。この世界に、再び人間の息吹を蘇らせるため。2人はここで負けるわけにはいかないのだから。

 

 その2人の空気を感じ取ったのだろう。怪物――――ブオーンは表情を変えないまま言った。

 

「ほほう・・・・・・いつまでも隠れているだけだと思っておったが。懲りんやつめ」

 

「戦いやすい場所へ移動しただけのことです。名も知らぬ魔物様」

 

 皮肉すら返しながら、アリスは歌うような口調で言い放つ。事実、彼女の心に恐怖は無い。

 

 毅然と立ち向かう最後の人類。巨人と呼ぶに相応しい怪物は、僅かに興味が湧いたような様子になった。

 

「貴様・・・・・・この儂を知らぬとはな。よかろう。死後の世界へ持っていくがよい。このブオーンの名をな!」

 

 ブオーン。それがこの怪物の名前。やはり聞いたことのない名ではあるが、それを口にはしない。代わりに向けるものは、戦闘態勢の構えのみ。

 

 リュカが聖剣を。アリスが神の槍を。

 

 この地にて無念の元に残した、同胞の武器を手に。

 

 山にすら匹敵する怪物を討たんと、真っ直ぐな瞳で見据えていた。

 

「・・・・・・なるほど、確かにな。そういう目をする者には、相手がどれだけ脆弱な肉体の持ち主であろうとも、手を抜くことはしなかったぞ」

 

 すう、と息を吸うブオーン。この魔物にも、今の2人の姿には思うところがあったらしい。

 

 だが――――だからこそ、容赦のない苛烈な一撃を加えることは必然であった。

 

「かあああああっ!!」

 

 再び放たれる、ラインハット廃墟を消し炭とした炎。神をも恐れぬ一撃は、神聖なる塔を一瞬で溶かすだろう。

 

 だが、それはさせない。その炎がブオーンの口から放たれる直前、神を守護する修道女は既に怪物の眼前へと迫っていたのだから。

 

 一足飛びに相手の懐に飛び込み、誰よりも迅速に一撃を放つ俊足の秘技。名を――――疾風突き。

 

 アリスの持つ槍は、存分違わずブオーンの額に持つ瞳を貫いた。攻撃する瞬間ならば、防御に切り替えるまでに隙が出来ると踏んだのだ。危険な判断だが、上手くいって良かった。

 

 咄嗟に瞳を閉ざすものの、もう遅い。速度こそを重視する技であるが故に、一撃そのものの威力に関しては浅かった。だが、それで充分。

 

「イオラ!」

 

 傷つけた瞳に直接叩き込む、全力の中級爆裂呪文。以前ゴーレムに対して行った戦法だ。大きな鼻を足場に、アリスは背後へと飛ぶ。

 

 だが、空中で距離を取ろうとするアリスを、黙って見送るブオーンではない。

 

 今度こそ、大口から放たれる激しい炎。だが、それは下からの一撃によって防がれる。

 

 風の刃。それも、ただのバギよりもなお鋭い風の剣。聖なる剣――――ゾンビキラーより放たれし一撃は、魔の炎を確実に切り裂いた。

 

 剣を振り下ろした体勢のまま、油断なくブオーンを見据えているリュカ。先の技は、真空斬り。竜巻の力を借りて斬りつける絶技である。

 

 アリスがリュカの横へ着地すると同時に、怪物は続けて腕を真横から振り抜く。2人は息を合わせたように飛び上がって躱し、片腕で真下を通り過ぎる一撃を払った。数回ほど空中で身体を回転して、着地する。

 

 だが、猛攻は続く。ブオーンは轟音と共に両腕でラッシュを続ける。蹄の付いた腕はそれこそ一撃がゴーレムの2倍近くにも及ぶだろう。

 

 完全な力押し。だが、それこそが今の2人には効果的であった。

 

 2人もまた俊敏性や技量を生かして、武器で受け流す。可能ならば躱しつつ、どうにか懐に入ろうとする。だが、怪物は初手でアリスに対して不覚を取ったため、轍を踏むような真似はしなかった。

 

「スカラ」

 

「っ!」

 

 ブオーンの唱えた呪文に、2人の顔が驚愕に変わる。防御力を上昇させる呪文、スカラ。この怪物は、どうやら防御呪文まで使えるというのか。

 

 全身を魔力の粒子で覆ったブオーンは、より一層隙が見えなくなる。そして、攻撃はより苛烈さを増して攻めてきた。

 

 蹄の拳が、まるで壁のように迫ってくる。打撃を加えようにも、もはや懐に入るどころではない。できる限り受け流しに徹しつつ、反撃のチャンスを待つしかなくなった。

 

 加えて、ダメージが完全に通らない。受け流す中で、腕に僅かでも傷をつけようと槍で斬りつけるものの、素手で鋼鉄を叩くような感覚が返ってくるだけ。これでは腕と武器を痛めつけるだけだ。今のブオーンにはもう直接攻撃などまともに通じるのかどうか。

 

 アリスは危険を承知で、槍を片腕のみに持ち替える。迫ってくる打撃をどうにか最小限のダメージで防御すると、もう片方の手で魔力を込めた。

 

「ヒャダルコ!」

 

 鋭い氷柱が入り交じった吹雪の魔法。神の塔の一部すら凍りつかせ、ブオーンに向かう。ラインハットで放ったそれよりも強力な魔法だ。

 

 だが、ブオーンとて仮にも一度受けた魔法である。あの時よりも勢いが増していることなど承知の上。鬱陶しい小動物を払うかのように、蹄の拳を裏拳で叩きつけた。弾かれたヒャダルコの魔法はあらぬ方向の地平線に飛んでいき、消えていく。

 

 だが、これで充分。アリスと同じようにブオーンのラッシュを捌いていたリュカは、一瞬だけ自分に向かう攻撃が緩んだことを見逃さなかった。塔の頂上を蹴り、直接頭部に向かって呪文を放つ。

 

「バギマ!」

 

 渾身の魔力を込めた風の刃。アリスが傷をつけた第三の瞳。直接攻撃が通じないなら、魔法で切り刻むだけ。

 

「かああああっ!」

 

 雄叫びと共に吐き出される、激しい炎。ブオーンはリュカの風魔法を真っ向から受けて立ったのだ。

 

 全てを切り刻む刃と竜巻。全てを溶かし尽くす魔の炎。衝突した瞬間、炎と風が入り交じった円球型のドームが生まれる。

 

 遙か遠くにすら響き渡る魔力と衝撃波。傍に立っているアリスすらも、彼らに近づけないほどであった。

 

 両手を前面にかざし、魔力を送り続けるリュカ。絶えず炎を吐き続けるブオーン。

 

 均衡が崩れたのは、数秒ほど後。ブオーンの炎がリュカの竜巻を押し返したのだ。もとより正面からの腕力や魔力で、この怪物に勝てる道理などなかった。

 

 だからこそ、リュカには共に戦ってくれる人がいる。

 

 竜巻を呑み込みかけている炎へ、真横から一つのイオラの光弾が放たれた。二つの魔法と魔の炎は凄まじい爆音を立てて誘爆する。神の塔から離れ、山の陰に隠れながら神の塔を恐る恐る見ていた周辺の魔物達は、その大地を震わせるほどの衝撃波で一目散に逃げ出していった。

 

 だが、怪物はその程度で怯むような存在ではない。そして、それは人類2人も同じだ。

 

 再び雄叫びを上げ、ブオーンの直接攻撃。だが、今度はアリスも防戦一方ではなかった。

 

 ――――甘いですよ!

 

 正面から放たれた蹄の拳を、アリスはまるで羽毛のように軽やかな動きですれ違う。先ほどとは、明らかに違う動きだった。まるで、彼女の背中に羽でも生えたかのように。

 

 一瞬遅れ、ブオーンはアリスの足元を見て気づく。いや、己としたことが何故気づけなかったのか。

 

 彼女の足元は、完全に凍りついていたのだ。激しい炎との撃ち合いの前、彼女が放ったヒャダルコの効果だ。アリスは初めから、自分にとって動きやすい足場を作るために魔法を放ったに過ぎなかったのである。

 

 これはリュカやブオーンは勿論のこと、アリスですらも知らぬ事実ではあったが、この世に天空の勇者なるものが存在する頃よりもさらに古代の時代、踊り子の職業を肩書きとする者達の一部が編み出した技に酷似していた。

 

 名を、身躱し脚。世にはびこる魔物から身を守るため、踊り子が独自のステップや振り付けを応用した護身術である。この場でアリスは図らずも、古代より生まれし技術を独自に編み出したのだ。

 

 もっとも、アリスは別段それを意識していたわけではない。かつて妖精の世界における氷の館の経験を元にしただけだ。滑る氷の床を応用して不規則な動きを作り、放たれる力の流れに逆らわない。なおかつ相手の力を利用して迎撃の隙を作る。

 

「はああああっ!」

 

 何度目かの一撃を受け流し、その勢いを利用して飛びかかるアリス。振り下ろすようにブオーンの額に槍を振り下ろす。

 

 だが、その一撃は今のブオーンにとって何の苦にもならない。スカラで強化されたブオーンの肉体は、今や傷ついた瞳すら傷つけることを許さなかった。

 

「く・・・・・・!」

 

「温いわ!」

 

 頭を振り、ブオーンは簡単にアリスを振りほどく。放物線を描くアリスの身体に、今度こそ巨大な一撃が直撃する。

 

 喰らった。今度こそまともに喰らった。槍を盾代わりにしても、なお凄まじい衝撃が全身に走る。

 

 塔の頂上に叩きつけられ、アリスは吐血する。魔力を込め続けたバギマの後遺症が残っていない身体で、リュカは彼女に駆け寄った。

 

「しっかり!」

 

「ごほっ・・・・・・ま、まだ戦えます」

 

 だが、それでブオーンの攻撃は終わらない。2人の頭上に、いくつもの光が蛇のようにのたうつ。

 

 ――――稲妻!

 

 そう察した2人。だが、もう遅い。こればかりは、身を躱した程度でどうにかなるものではないのだ。

 

 ブオーンの、天をも影響を与える力によって神の塔へ落ちる雷。それが、存分違わず神の塔へ落とされた。

 

「あああああ・・・・・・っ!」

 

「うああああ・・・・・・!」

 

 瞬間、視界が真っ白になる。全身が焼けた。耳が聞こえない。自分の口から、どんな悲鳴が出ているのかも分からなかった。

 

 グラリ、と身体が倒れかかる。足元の感覚が無くなった。

 

 いや、これは――――本当に“足元が無い”のだ。浮遊感と共に、リュカとアリスは自分達が真っ逆さまに落ちていることに気づけなかった。

 

 凄まじい衝撃。目の前が真っ白から真っ赤に。

 

 全身に激痛が走る。そのおかげと言っていいのかは分からないが、リュカの視界が徐々に回復していった。

 

 真っ先に感じたのは、自分が今、瓦礫の山に埋もれていることであった。砕かれた大理石の破片が背中に覆い被さってしまっている。周辺の砂埃や煙も相まって、何度も激しく咳き込んだ。

 

 まだ煙幕が周辺を覆っているので確認できないが、今の稲妻の一撃で神の塔はかなりの部分を破壊されてしまったのだろう。そして、自分達はその破壊に巻き込まれたのだ。

 

 煙幕が消えかかったとき、その向こうに広がっている光景にリュカは声も出なかった。

 

 ――――神の塔が、割れていた。

 

 比喩ではない。言葉通りに、真っ二つに割れていた。塔の頂上から最下層まで届いている巨大な裂け目。まるで薪を割ったかのように内部の階層を外に晒している。

 

 嗚呼、神が造りあげた塔が。まるで、神が悪魔に捌かれたかのような無残な光景に――――

 

 恐怖に屈してはならない。そうと分かっていても、無念ばかりはどうしようもなかった。今は冷静な自分を取り戻さなければ。

 

 背中に感じるのは、押しつぶされそうな重量の瓦礫。不幸中の幸いで、背中にある大理石さえ動かせればこの場から解放されそうだ。どうにかして押しのけようとするが、左腕の感覚が無い。

 

 いや。これは、誰かに腕を捕まれている・・・・・・?

 

「あ・・・・・・アリス・・・・・・?」

 

 愕然とする。なんと、自分は彼女の腕の中にいた。彼女の身体が下敷きになってくれたことで、リュカは致命傷を避けることが出来たのだ。

 

「アリス、アリス・・・・・・! しっかり!!」

 

 彼は自分を叱責した。何故真っ先に気づかなかったのか。あの状況で、彼女が自分を庇わないはずがないのに。

 

 彼女からの反応はない。埃と傷だらけになったまま、眠るように目を閉じている。仰向けの状態で、背にしている瓦礫から大量の血液が広がっていた。

 

 一瞬、彼の頭に最悪の可能性が浮かんでしまった。

 

 頭を振るリュカ。今はやるべき事をやるだけだ。即座に、ベホマの回復呪文をかける。

 

 お願いだ。早く目を覚ましてくれ・・・・・・!

 

 一心に回復呪文を続けるリュカ。だが、それは長くは続かなかった。瓦礫の山を易々となぎ倒す一撃が2人に襲いかかったのだ。

 

 目にとまった小石を蹴るかのような調子で、アリスとリュカは蹴り飛ばされたのだ。そう、ブオーンによって。

 

「ぐ、う・・・・・・!」

 

 大理石や岩の中で、リュカは血まみれのまま立ち上がる。呆れたことに、ゾンビキラーはずっと変わらずに手に持っていたらしい。

 

 杖のように身体を支えながら、リュカは大地の上からブオーンを見上げた。こうしてみると、改めてブオーンという魔物がいかに規格外な存在かが理解できる。

 

 今はもう、地形からして不利になった。ブオーンの全身は、未だにスカラの効力が続いている。

 

 なにより、相棒のアリスは生死すら不明になってしまった。彼女の姿は目で確認できる範囲にいない。瓦礫の影にでも隠れてしまったのだろうか。

 

 敗北。その二文字が頭を掠める。だが、それでも・・・・・・生きる希望だけは守らなくては。

 

「・・・・・・褒めてやるぞ、人間。肩慣らしにしては、これ以上無く楽しめた」

 

 野太い声で、ブオーンは賞賛の言葉を述べる。彼もまた、これで戦いが終わるのだと悟っているのだろう。

 

「だが、このブオーンは我が宿敵、ルドルフを血祭りに上げなければならぬ。これ以上は貴様らを相手にする気は無い」

 

「・・・・・・」

 

「さらばだ」

 

 ブオーンは、スウッと息を吸う。魔力が天に向かい、天罰のように大地に立つ人間へ落ちていく。

 

 灰色の空から降り注ぐ、魔の雷。全てを穿つ光は、大地に這いずることしか出来ない人間の命を刈らんと――――

 

 

 

 

「まさか・・・・・・!」

 

 驚愕は一体、誰のものか。リュカ達の命を刈る寸前だった稲妻は、横から放たれた一撃によって止められたのだ。

 

 稲妻がドーム状に集中され、リュカの頭上で止まっている。彼の目には一目瞭然だ。後ろから近づいてくる気配を、彼は確信と共に振り返った。

 

「アリス!」

 

「間に合いました・・・・・・リュカ」

 

 そう。彼女が持っていた槍は、人呼んで雷神の槍。雷神の力が宿ると言われており、振りかざせば天から稲妻を呼ぶことが出来る特性を持っている。

 

 だが、その雷は勇者が放つようなデイン系統の呪文より威力が劣る。いくら魔術的素材や精巧な職人の手で造られた武具であろうとも、人の身で作り上げたものだからだ。

 

 それが、今はどうだろう。アリスが持つ雷神の槍は、雷の力をため込む特性を最大限まで利用し、エネルギーを限界近くまで蓄積してした。

 

 ブオーンが、稲妻の特技を持っている事を事前に知っていた訳ではなかった。そして、彼女が戦いの場に雷の特性を持つ槍を所持していたことも偶然である。

 

 ならばこれは、人が滅んでなお残る神の采配か。そして、この直後の彼女の変化も。

 

 吐血の筋を口元から流しつつも、アリスの瞳は真っ直ぐにブオーンという名の怪物を見上げている。彼女は己の怪我など意に介さないというように立っている。

 

「さあ、リュカ。この一撃を共に!」

 

 雷を纏った槍を手にし、リュカへ肩が触れるほどに寄り添う。

 

「あ、うん!」

 

 リュカは己の剣を鞘に収め、雷神の槍を挟んだ左右対称の構えをとる。

 

 2人の目が合う。その瞳にあるものは、信頼。共に長年背中を預けながら、心も全て捧げた相手への。

 

「おのれっ!」

 

 ブオーンが息を吸い込む。それも、今までとは桁違いに酸素を体内へ取り込んだのだ。

 

 酸素は体内物質と化合し、やがてそれはこれまでにない炎と化す。今までの比ではないその炎は、今度こそ目に見える周辺一帯の全てを焼き尽くすだろう。

 

 だが、その脅威を目の当たりにしても、2人の瞳に恐怖はない。あるのはただ、目の前の脅威を穿つことだけ。

 

 そして――――機は満ちる。

 

 怪物は灼熱の炎を。人類は神の槍を。

 

 互いの、最後の一撃が放たれた。

 

 そして、その一瞬の刹那。

 

「ガッ――――ハァ――――ッ!!??」

 

 全てを喰らい尽くす己の口から吐き出されたものは、炎ではなかった。ブオーン自身の血液だ。

 

 肩から胴体にかけて、斜めに切り裂かれた。そして、そのダメージに耐えられずに膝をつく姿。これは、誇り高き魔物であるという自負に泥を塗る、ブオーンにとって決して認めてはならない現実。

 

 だが、今の怪物の心はそこには無い。肉体が裂かれる感覚すら、あの光の前には遠かったからだ。

 

 己が渾身の力を込めた、あの灼熱の炎。それごとブオーンの胴体を切り裂くなど、いったい誰が想像できようか。

 

 まして、今のブオーンは防御力強化呪文に守られているのだ。それを貫いて、なお肉体にこれほどの傷をつけたなどとは。

 

 足元には、唖然とした顔で膝をついたブオーンを見上げている人間共の姿。当然だ。もしまともに喰らっていたら、怪物とてその時点で終わっていたかもしれない。

 

 先ほどの一撃は、間違いなくブオーンの命を脅かすものだった。それは認めよう。だが――――ブオーンは今、確実に生きている。それが現実だ。

 

「ブウウゥゥィィ・・・・・・ッ。なるほど、大した威力じゃ・・・・・・だが、甘いぞ。このブオーンがまだ、この程度で倒れると思うか・・・・・・!」

 

 足を僅かに震わせながらも、ブオーンは間違いなく立ち上がった。その言葉の通り、まだ怪物には余力が残っている。ダメージを与えたことは確かだが、命を奪うまでには至らなかったのだ。

 

 何という強靱な肉体。何という精神力か。

 

 だが・・・・・・それはこちらとて同じだ。

 

「ならば――――次こそ、終わらせます!」

 

「アリスと共に――――お前を倒す!」

 

 一方で、リュカとアリスは気丈にも構えを解かなかった。そうとも。2人の胸の中には諦めない不屈の心のみ。ならば倒せるまで、何度でも撃つのみ。

 

 改めて相対する巨人の怪物。迎え撃つ人類。戦いは、まだまだこれからなのだから。

 

 互いが、そうして決意を見せた時。

 

 世界が、白く変わっていった。

 

 

 

 

 ――――そして、視点は俯瞰する。

 

 怪物も、人間も。お互いに討つべき相手しか見てはいなかった。だからこそ、先ほどの神の塔より崩れ落ちた際、瓦礫と共に落下してしまった一つのアーティファクトが存在していたことに気づかなかったのだ。

 

 その“何か”が突如発光し、この場にいる全ての身体を呑み込んだことにも、最後まで認識することはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今、何が起きたのだろう。アリスの心に疑問が浮かぶ。

 

 ブオーンと最後の決戦をするというタイミングで。リュカが力を合わせてくれた矢先に。

 

 私は何故、こんな所を彷徨っているのだろう。この、何も見えない白い世界の中で。

 

 戦わないと。リュカを助けないと。

 

 そう思いながらも、ここがどこなのかが分からなければ、それも出来ない。

 

 しばらく考え、アリスは思う。そう考えるまでもなく、結論が頭に浮かんだ。

 

 ああ、またこの夢か。アリスが分かったのは、それだけであった。

 

 これこそが、最後の夢なのだろう。アリスは無意識の中で、漠然とそう感じた。

 

 森深き祠の前で、涙を流す王妃の姿。目の前には、我が最愛の赤子が消えていった光り輝く旅の扉。

 

 頬に伝う涙をそっと拭うと、彼女は凜々しい体制者としての瞳を取り戻していた。

 

 空間の狭間に背を向け、彼女は森の外にまで続く一本道を見据える。先ほどまで争う音が聞こえていたはずなのだが、今は静寂に包まれている。

 

 その事に疑問を抱くこともなく、王妃は視線の先に存在するものに向かって声を出した。

 

 ――――いるのは分かっています。姿を見せなさい。

 

 誰に向かって言ったのだろうか。アリスの疑問は、すぐに氷解する。

 

 ――――ほっほっほっ・・・・・・

 

 なんともいえない、気味の悪い笑い声が聞こえた。

 

 ――――ほっほっほっ・・・・・・ほっほっほっ・・・・・・

 

 笑い声は、四方八方から寄せてくる。声そのものが形と重さを持った物体のようで、聞く者に得体の知れない恐怖を覚えさせるようだった。

 

 ――――ようやく追い詰めましたよ。貴方の部下には、少々手こずらされました。

 

 それは楽しそうで、なおかつ口調とは真逆のことを考えている事を嫌でも理解してしまう声であった。何を考えているのかが理解できない、決して信じてはいけない何者かの声。

 

 木々の影から、ゆらりと影が動き出す。それは人の形を形成し、やがて古い血痕のような色をしたローブを纏った人物。深々と引き下ろした頭巾から覗ける表情は、見るからに怪しい目つきの男だと言うことが分かる。一見して老人のようだが、どこか魔物のネクロマンサーを彷彿とさせた。

 

 静かに歩み寄ってくるご老人に、王妃は鋭い一言を放つ。彼女もまた、この男を警戒しているようだ。

 

 ――――それ以上近寄らないで。名を名乗りなさい!

 

 王族の名に恥じない、気勢のある声。それにも、男はわざとらしい困った顔を作る。

 

 ――――おやおや、これは貴婦人に対して失礼を。私の名はゲマ。我が光の教団の幹部ですよ。

 

 光の教団。この男は確かにそう言った。

 

 ――――やはり。あの忌まわしい教団の一味ですか。我が城に攻め入ったのも、娘の命を狙ってのこと・・・・・・

 

 ――――いえいえ。あれは我が部下が勝手にやったことですよ。私はもう少し穏便にと伝えておいたはずなのですが・・・・・・どうにも我が教団は血の気が多い者が多くてねえ。

 

 まるで城を襲ったことを他人事のように語るゲマという名の男。王妃は一瞬だけ顔を赤くするものの、今ここで感情的になることは得策ではないと思ったらしい。静かに呼吸をすると、表情を整える。

 

 ――――さて、そろそろこちらの話をしましょうか。あなたはレヌール家の王妃と見受けましたが、お間違いはありませんね。

 

 レヌール家の王妃。それはつまり、ソフィア様がこの女性ということなのだろうか。アリス自身は面識がなかったので、気づかなかったが・・・・・・

 

 ――――ならばどうだというのですか。我が王家を傷つけた、憎き魔物共よ。

 

 ――――いえいえ。口にするまでもないでしょう。何のために、我らがここまで足を運んだというのです?

 

 いかにも軽薄そうに手を振りながらも、ゲマの視線は真っ直ぐに王妃を射貫いている。

 

 ――――無駄な抵抗を続けたことが仇となりましたね。我らは別段、あなた方の国そのものに興味があるわけではないのですよ。我らが主のため、高貴な身分の赤ん坊を頂きたいだけだというのに。そうすれば、他の人間の命は見逃してあげてもよかったのですよ。

 

 ――――・・・・・・外道な。目的は何です?

 

 嫌悪を込めた一言。実際、アリスも同じ気持ちであった。

 

 ――――いえ、なに。我が主様の予言で、少々見過ごせない事が出来てしまったのですよ。かねてより、めぼしい子供をこちらに招待しているのだけですとも。あなた様さえよければ別段、国中の貴族の赤子をこちらの元で“働かせて”差し上げてもよかったのですがね。

 

 ――――そのようなことを、王妃であるこの私が許すと思いますか?

 

 ――――ほっほっほ。勇ましい女性は嫌いではありませんが・・・・・・頭の悪い方は苦手ですよ。

 

 ザク、とゲマが一歩前に出る。そこで、ソフィア王妃も覚悟を決めたらしい。

 

 ――――来ないで! 近づいたら、始末します!!

 

 ソフィアの手から生み出される魔力。それをゲマに向けて放った。

 

 それは、メラミの呪文。中級火炎呪文だ。

 

 大型の火球が、ゲマへと向かっていく。それに対し、ゲマは片手でその魔法の炎を掴んだ。そして、次の瞬間にはもみ消すように消滅する。

 

 王族であるソフィアも、魔法使いとして鍛錬をしているのだろう。だが、ゲマとはそれ以上の実力の差があったのだ。

 

 ――――全く効きません。呪文とは、こう使うのですよ。

 

 今度はゲマの指から蝋燭のような炎が発射される。ソフィアのものよりもさらに小さな炎だが、見ているアリスはどこか嫌な予感を覚える。

 

 そして、その予感は的中した。ソフィアの衣服に僅かに触れた瞬間、その小さな炎は瞬間的に身体を包み込むほどに巨大化したのだ。火柱が上がり、中に閉じ込められた王妃は炎が消え去った頃には、すでに黒焦げの状態と化していた。

 

 ――――う、うう・・・・・・

 

 だが、僅かに声を出している。ゲマは今の一撃で■す気は無かったらしい。ツカツカと歩み寄り、火傷と炭に塗れた女性の首を高々と持ち上げる。

 

 もうやめたらどうですか! アリスのそんな声も、あのゲマには届かない。

 

 ――――さて、そろそろ話す気になったでしょう。貴女の娘は、今どこへ隠したのですか?

 

 ――――ふ、ふふ・・・・・・おめでたい、方達ですね。

 

 ――――おや?

 

 返ってきたのは、まさかの笑い声。王妃はこの状況で、まるで自分が勝者であるかのようにゲマを笑っているのだ。

 

 ――――今更、あの子がどうなったのか・・・・・・知ったところで、もう手遅れなのです・・・・・・から。

 

 ――――・・・・・・

 

 ゲマは沈黙する。ただ、心なしか王妃を見る目が険しくなってきたのは気のせいではあるまい。

 

 ギリ、と音が聞こえた。アリスはそれが、王妃の首を絞める音なのだと理解してしまう。

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・

 

 最後に、王妃は何を口にしようとしたのだろう。

 

 彼女の目尻から一筋の涙が流れたのと、ゲマが首の骨を折ったのは果たしてどちらが先だったのだろうか。力無く四肢が大地へ向けられた亡骸を、ゲマは草むらの中へゴミのように放り投げた。

 

 ――――ふん、まあこれで良しとしましょうか。子を思う気持ちというものは、いつ見ても良いものですからね。では――――ジャミ、ゴンズ!

 

 背後に向かって声をかけると、一本道の奥の方から二体の魔物が姿を現した。一体は牛が武装したような外見の魔物。もう一体は二足歩行が特徴の、筋肉質の馬に似た魔物。

 

 ――――お呼びでございますか、ゲマ様。

 

 どのようなご用件でありましょうか、ゲマ様。

 

 怪物達はそれぞれによく響く声で言った。

 

 ――――ジャミよ、ただちにその旅の扉を調査しなさい。レヌール家の血を継ぐものは、1人たりとも生かしてはなりません。

 

 ――――ははっ!

 

 ――――ゴンズよ。貴方は念のため、この周辺を徹底して探しなさい。念入りに、ですよ。

 

 ――――はっ!

 

 ジャミと呼ばれた魔物は魔法に精通しているらしく、慣れた様子で旅の扉へと近寄った。部下らしい魔道士数体がどこからともなく現れ、助手を始める。

 

 ゴンズは部下らしいソルジャーブル数体と共に、森の中へと消えていった。

 

 それらを尻目に、ゲマはゆっくりとこの場を去っていく。まだ生き残っているであろう、レヌール家の親族全てを滅ぼすために――――

 

 そして、世界が暗転した。

 

 

 

 

 白亜の城。歴史ある大国を象徴する、威厳のある空気を漂わせる。

 

 名を、レヌール城。その出入り口の門の前に、緑の溢れる美しい中庭がある。春になればいくつもの花が開き、いくつもの小動物が集まってくる。そんな趣深い自慢の庭。

 

 その隅に設置されている、白い上質なテーブルや椅子。その一角に、アリスは腰掛けていた。

 

 森に囲まれた美しい自然の中で、小さな子供達が揃って追いかけっこをしている。身につけている衣服が上質なものから質素なものまで見かけるので、貴族と平民が分け隔てなく遊んでいることが分かった。

 

 使用人が洗濯物を抱えながら、兵士達に挨拶をする。彼らは笑って挨拶を返す。誰もが差別のない、理想的な国。それが、レヌール王家の在り方だったのだ。

 

 この場に、何故自分がいるのか。それを不思議には思わない。彼女はどういうわけか、自分でも驚くほど冷静にこの事実を受け止めているのだ。

 

 そう。何度も夢を通して見ていたから。

 

 あの絶望の世界へ迷い込んでから、何度も見た光景だから。

 

 何度も、何年も。レヌール家の繁栄と滅びを見ていたから。

 

「もし・・・・・・そこのお方」

 

 声をかけられた。アリスにとって、何度も夢の中で聞いた声だ。

 

 いつの間にか、一組の男女がこちらへ歩いてきている。夢の中にいた、エリック王とソフィア王妃だ。

 

「お一人の時間に割り込んで、済まないと思う。もしよければ、ご同席させて頂けぬかな?」

 

「もちろんです、王様。並びに、王妃様」

 

 王様の言葉だ。アリスは当然のように快諾する。2人は淡い微笑を浮かべて、空いている席へ腰をかけた。

 

 国王と王妃。対面しているのがシスター。端から見ればなんともおかしな組み合わせなんだろうなとアリスは思う。本来なら自分こそが席を立つべきなのだろうが、この時はそんな発想はなかった。何より、それは相手も望んではいないだろう。

 

 しばらく、日光と鳥のさえずりだけが3人の世界だった。子供達の声は、もうどこかへ行ってしまっている。

 

「この国では――――身分に囚われない生き方が出来るのですね」

 

 そう、アリスが口にした。エリック王は気品のある瞳を細め、さも嬉しそうに言う。

 

「うむ。我らは同じ人の子である。立場や義務の差こそあれど、垣根のない社会こそを目指しているのだよ」

 

「素晴らしいお考えです。しかし、そのような公平さを貫くことこそ、何よりも難しい道のりなのではないかと思いますが」

 

 それでも、この国は目指し続けた。後の歴史にも、優しい王と王妃であると記されたように。

 

「民のために導くことこそ、王の勤めであるが故に・・・・・・な」

 

 静かに、堂々と語る王の姿。滅びを迎えても、なお残り続ける王の貫禄。

 

 そこで、頼もしそうに夫の話を聞いていた王妃がこちらへ視線を向ける。

 

「――――あなたも、あるはずです。赤子の頃、良き人に手を差し伸べられ、慈しんで育てられた貴女ならば、その気高さが理解できるはず」

 

「はい。司祭様や、数多くのシスター様。リュカやパパスさんのような出会いは、私という人間の心に多くの潤いを頂きました」

 

 アリスもまた、堂々と告げる。それはまるで、生まれて初めて司祭の前でシスターの道を選ぶと誓った時のように。

 

「そうですか・・・・・・そうですものね。貴女は、ずっと私たち夫婦が見守っておりましたから」

 

「志半ばに倒れたとしても・・・・・・このような形であろうとも・・・・・・私たちは、こうして出会うことが出来た・・・・・・」

 

 ソフィア王妃とエリック王のアリスを見つめる瞳は、どこまでも優しかった。アリスもまた、出会えるはずのなかった人を前にして、胸の中が熱くなっている。

 

 そう。出会えたのだ。あの滅びの悪夢から、2度と会えまいと思っていた1人の女の子と。

 

 

 

 

「大きくなりましたね、マチュ・・・・・・」

 

「はい・・・・・・お父様。お母様」

 

 

 

 

 ――――マチュアリス・エル・ロム・レヌール。

 

 彼女が育った世界で、誰も知ることの無かった本当の名前であった。

 

 

 

 

つづく

 




雷神の槍(デイン系)+ブオーンの稲妻+愛の力=ギガスラッシュ

そして、満を持してアリスの本名バレ。

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