DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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レヌールの真相

 

 

 

 

 遠くから、木々のざわめく音が聞こえる。遠くに行っていた子供達が戻ってきたのか、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 

 そんなざわめきも、今は遠い。

 

 このレヌール城の中庭の一角だけは、まるで別世界のようだった。たった3人の家族の空間。おおよそ15年ぶりに再会した親子ならば、ある意味では当然である。

 

「15年ぶり・・・・・・というのは、少し違うのですよ。マチュ」

 

 マチュ。それがソフィアの娘を呼ぶ愛称であった。いつの間にかテーブルの上に置かれている紅茶のカップには手をつけないまま、彼女は言った。

 

「私たちは8年前から・・・・・・あなた達をずっと見守っていたのですから」

 

「私がこの世界へ飛ばされた・・・・・・いえ、帰ってきた時から、ですか・・・・・・」

 

 その通り。実の父であるエリック王と母であるソフィア王妃は、慈しみの瞳のままゆっくりと頷く。永遠の離別であったはずの最愛の娘に再び出会えたなど、どれだけの奇跡が積み重なれば起きるというのか。

 

「貴女は私たちに気づいてはいなかったことでしょう。私たちも、傍にいることを伝える術がありませんでした。そういう意味では、少々もどかしさを覚えていたのかもしれませんね」

 

「それでも、我々は満足だった。日々成長していく我が子を見ること以上に、幸福な時間など無いのだから」

 

 我が娘を追っ手である魔物達が手の届かない世界へ避難させる。そのために、赤ん坊のままひとりぼっちにさせてしまった負い目と罪の意識。もしかしたら、誰にも拾われずに短い生涯を終えていたかもしれないのに。

 

 アリスは、その事については触れない。全ては終わったこと。責める権利があるにもかかわらず、彼女はそれら全てに蓋をする。

 

「そうですか・・・・・・では、一つお訊きしても?」

 

「・・・・・・なにかな?」

 

 その、とアリスは少しだけ目を伏せる。どこか、少しだけ恥ずかしそうな様子だった。

 

「お、お父様とお母様に・・・・・・私、似ているように見えますでしょうか?」

 

「――――」

 

 2人は、目に見えて驚いた顔をする。愛娘からずっと呼んでほしかった、その言葉を。

 

 その意味を理解した瞬間、涙を浮かべてアリスの手を取るエリック。ソフィアに至っては、席を立ち上がってアリスの肩を背後から抱きしめる。

 

「嗚呼、マチュ・・・・・・!」

 

「・・・・・・っ」

 

 ごめんなさい。ごめんなさい。2人は、何度も子供のように繰り返す。アリスはそれに、ありがとうと伝え続ける。

 

 感極まって頬を濡らす2人に、アリスもまた胸の奥が熱くなるのが分かった。2人が負い目や罪悪感など背負う必要などない。きっとこの2人は、ずっと15年間もそれに苦しみ続けてきたのだから。

 

 何をするにしても、何を話すとしても。まずはその重荷を下ろしてあげたかった。ずっと会えなかった両親に対する、初めての親孝行。

 

 会いに行けなくてごめんなさい。守ってあげられなくてごめんなさい。親らしいことが出来ずにごめんなさい。ひとりぼっちにさせてしまってごめんなさい。

 

 考えうる限りの謝罪を繰り返す王と王妃。ずっと言いたかった言葉が、堰を切ったように溢れ出てきては、口からアリスへと伝わっていく。

 

 そして、アリスもとうとう涙を流す。生まれて初めて触れた、父と母の温もり。嗚呼、本当にこの人達は私の本当の両親なのだと、身をもって実感することが出来たのだ。

 

 ――――守ってくれてありがとう。お父様。

 

 ――――助けてくれてありがとう。お母様。

 

 そう言えたのは、ずっと時間が経ってから。しばらく、自然の中にある中庭は王と王妃の涙の声が続いていたのである。

 

 

 

 

 時間をかけて涙がゆっくりと引いていき、お互いに恥ずかしそうに椅子に座り直した後。

 

「どうか、訊かせてください・・・・・・お父様、お母様。ここは、一体どこなのでしょうか?」

 

「・・・・・・ええ、そうですね。貴女には、知る権利がありますもの」

 

 穏やかだった空気も、自然と引き締まるものに変わっていった。子を見る目から、王が臣下を見る目に変わっていく。自然と、アリスの表情も硬くなる。

 

「ここは、空間の狭間の世界。このまっさらな空間に足を踏み入れた者は、その者の心の姿を現すと言われています」

 

 テーブルの上に、一枚の鏡が出現する。これを、とソフィア王妃は手に取るように促した。

 

 アリスは言われたとおりにその鏡を目の前にかざした。ほとんど重さが感じられない、その装飾の入った円盤形の鏡。アリスはこのアイテムに、どこか心当たりがあった。

 

「これは・・・・・・ラーの鏡ですか?」

 

「はい。あの神の塔に備えられている、真実を映し出す鏡です。これこそが、あなた達の命を救ったのです」

 

 アリスは記憶の糸を辿る。あのブオーンの手によって塔が崩され、2人は落下したはず。その際に、最上階に設置してあったラーの鏡も共に落下してしまったのか。

 

 そして、地上で戦いを再開したアリス達が鏡に映ったその時、ラーの鏡の力が発揮したという事。

 

「より正確に言いますと、あの青年・・・・・・リュカさんの心の在り方に反応した、というところでしょうか」

 

「・・・・・・?」

 

 どういう意味だろうか。今ひとつ意味の分からないアリスに、ソフィアは丁寧に説明する。

 

「リュカさんはアリスとは違い、我々の世界の住人ではありません。そのため、彼にとってはあちら側の世界こそが真実の世界なのです。その思いが、ずっと心にあったのでしょう」

 

「・・・・・・それは、確かに」

 

「彼の心の中に存在していた、必ず本来の世界へ帰還するという渇望に、ラーの鏡は応えたのですよ」

 

 リュカにとってこの世界は、迷い込んでしまった滅びの世界。すなわち、自分が生まれ育った世界とは違う。自分達がいるべき世界ではないのだ。

 

 極論してしまえば、この世界は偽の世界と心のどこかで認識していたのかもしれない。

 

 そう思うのは、ある意味では当然のことだ。誰だって、自分が物心ついた時から体感している世界で生きていたい。

 

 真実を映し出す鏡は、リュカにとって真実の世界を映しだし、そして元の世界へ送ったのだ。そして、それはアリスも同様に。

 

 だが、彼女だけはこの空間に足を踏み入れた。それはアリスの生まれた世界がリュカとは違い、あの荒廃した世界だからなのか。それとも、エリックとソフィアの我が子への想いがこの場へ引き寄せたのか。きっと、真実は誰にも分からないのだろう。

 

 本来ならば、この場は何者にも侵されない空間。だからこそ色の付いた何者かが触れれば、瞬く間にその者の色に世界が染まる。

 

 だからこそ、この世界ではアリスの心の中である父と母の暮らす場所が映し出されているのだ。たとえアリス自身の記憶にはなくとも、心は生まれた瞬間から持っているものだから。

 

 これは完全な蛇足の話になるものの、極一部の妖精の中にこの世界の存在を知るものがいる。その空間におけるあらゆる特性を利用して、見る者を特定の過去に送るという画期的な魔道理論も確立しているという。

 

「そんな空間が・・・・・・いえ、それよりも」

 

 ふと、ここに来て自分は今大事なことを訊かなければならなかったことに思い当たる。先ほどから、それこそ夢でも見ているような現実感のないことを目の当たりにし続けていたため、誰にも問いただすことが出来なかったのだ。

 

「そうでした・・・・・・! リュカは今、何所へ?」

 

 そうだ。それを早く訊きたかったのだ。先ほどまで共に戦っていたリュカはどうなってしまったというのか。そして、あのブオーンは?

 

「安心して、マチュ。貴女の大切な人は生きていますよ。ただ、この空間には姿が見えないようですが」

 

「それは・・・・・・確かですか?」

 

「もちろんです。あれほどの良き方が、早々に命を落とすはずがありませんとも」

 

 彼が――――リュカが生きている。その言葉だけでも、アリスの焦っていた心は幾分落ち着いた。

 

「・・・・・・お母様は、リュカのことをよくご存じなのですね」

 

「それはもう。8年もずっと見守っていたと言ったでしょうに。2人きりで仲睦まじく城で生活している姿は、まるで私たちの若い頃を思い出させてくれたわ」

 

「我々も使用人の者達に休暇を取らせ、2人だけの時間を過ごしていたものだよ。まあ、それが終わった頃には城中が洗濯物や埃だらけになってしまったがな。はっはっは」

 

「当時の使用人の方々の苦労が偲ばれます・・・・・・」

 

 アリスどころか、元の世界の市民すら知らなかったであろう王族の一コマ。これは両親の新しい部分を知ることができて喜ぶべきか、それとも呆れの感情に身を任せるべきか。こんな時だというのに、つい実の娘は悩んでしまった。

 

 だが、そんな思考もソフィアの次の言葉で消える。

 

「ただ、心苦しいことですが・・・・・・彼は、リュカさんとは、遠く離れてしまうかもしれません」

 

「なっ・・・・・・それは、どういう事ですか?」

 

 リュカと離ればなれになる。納得できない。何故、実の母からそんな残酷なことを告げられなければならないのか。

 

 思わず立ち上がってしまった彼女は、テーブルに着いている自分の両手に視線を下ろす。槍を握る手に、そっと己の手を乗せてくれたあの温もり。忘れられるわけがないというのに。

 

「落ち着きなさい、マチュ」

 

 静かな声で諫めるエリック王の声。我に返るアリスの目には、体制者としての威厳を見せる国王の顔が映る。

 

 申し訳ありませんと、椅子に座りなおす娘。

 

「我々は、もはやこの世の者ではない存在だからこそ感じとれるのだ。リュカ君が確かに我らの世界から消えてしまったことは事実であろう。だが、それから彼が何所へ向かってしまったのかまでは確認のしようがない。分かっていることは、彼が生きたままお前達の向かうべき世界へ姿を消してしまった。ただそれだけなのだよ」

 

 淡々と、アリスにとって聞きたくなかった事実が耳に飛び込んでくる。だが、辛うじて取り乱さなかったのは、やはり彼が生きている事を他ならぬ両親が保証してくれたからだ。

 

 リュカは生きている。少なくとも、今は。

 

 ただ、具体的な行き先が分からないという事。仮に今すぐアリスが後を追ったとしても、行き着く土地は全く違う可能性もあるのだ。

 

「心配しないで。今でこそ貴女はこの空間に留まっていますが、この場所はいつまでも残り続けるわけではないのです。ただ、あるべき世界へあなた達が帰るだけ。それだけのことなのです」

 

「そうとも。お前の生きるべき場所はこの世界では無い。お前が物心ついた頃から生きていた世界にこそ帰るべきだ」

 

 そして、それは――――エリックとソフィアも同じ。誰もが命を落とした後、誰もが向かっていく世界へ旅立つのだ。

 

「それでは・・・・・・お父様とお母様はこのまま?」

 

 声が詰まるアリスに、2人はただ静かに無言を貫く。それは、言葉にするよりもなお分かりやすい返事であった。

 

「アリス。こうして私たちがいられる時間はそう長くはありません。ですので、心して聞きなさい」

 

「は、い・・・・・・!」

 

 有無を言わせない口調。先ほどのエリックと同じく、王族の誇りを持った威厳のある態度であった。それこそが、アリスに涙を流すことを許さなかった。

 

「事の経緯は、我々が貴女の夢を通して伝えています。そのため、いくらかの説明は省きますよ?」

 

「あのレヌール城の夢は、お母様が・・・・・・?」

 

「続けます。我が城を襲った魔物達は、光の教団と呼ばれている邪悪な組織の手による者です。これを、決して忘れてはなりません」

 

 それは、ソフィアの命を奪った魔物の口から聞いている。だが、アリスには気になることがあった。

 

「あの、お母様。光の教団とは、何者なのでしょうか?」

 

「エリックが戴冠して、間もない頃でしょうか。一般的に布教されている宗教と、それほど変わらない教えとしてしか当時は認識されていませんでした」

 

「・・・・・・」

 

「ただ、ある時期を境に、彼らの行いは少しずつですが非道行為に手を染めるようになりました。初めは窃盗などの軽犯罪から始まり、やがては誘拐や■人行為といった重罪にまで及んだのです」

 

「・・・・・・その、光の教団の目的というのは?」

 

「教団の教祖の教えに従えば、光の国に行くことができると。そのような触れ込みで人を集め、何かしら心に傷のある者や集団心理などを利用して、人の自由意志をコントロールしているのです。実際に我が国でも何人かの王族に関する親族や有力貴族が、教団の元へ寝返っていたのですから」

 

 レヌール王家が敗北したのは、それが大きかったのだろう。確かに内部に裏切り者がいるのなら、国王派は初めから不利な戦いを強いられてしまう。

 

「レヌール家は、跡継ぎがいなかったが故に滅んだと聞いていましたが、違っていたのですね。これまでの夢がお母様のメッセージだったと知るまでは、ずっとそう思い込んでいました」

 

「まあ、そう後世に伝わってしまうのも無理はない」

 

 その質問に答えたのは、何所か複雑な顔をしたエリックであった。どこかから暖かい風が流れ、3人の髪を揺らす。

 

「実際に、跡継ぎに恵まれなかったことは事実であった。ラインハットに国土の統治権を譲り渡したことも、その辺りが理由である。だが、それから僅かな月日が流れた頃、ソフィアの懐妊が発覚したのだ」

 

「そこで生まれたのが、私なのですか?」

 

「うむ。私たち夫婦は勿論のこと、王家に仕えていた家臣や兵士達も熱狂的な騒ぎになったものだ。誰もが出産は今か今かと日々落ち着かなかったよ」

 

 それほどまでに、アリスの誕生は国の全てから期待されていたものだ。あとは無事に子供が生まれてさえくれれば、国民の全てにその事実を発表するのみとなった。

 

 男の子でも、女の子でも良い。念願の、世界でたった一つの宝がこの世に生まれる日が待ち遠しい。

 

 そして、生まれた赤ん坊は女の子。誰よりも愛らしい夫婦の結晶。

 

 名を、マチュアリス。父親がマチュアと希望し、母親がアリスと希望したのだ。2人は深く悩むこともなく、2人で1つの名付け親になるために。

 

 高齢出産のために疲弊したソフィアは眠りにつき、エリックは家臣を通じて国中の全てに子供が誕生したことを伝える手続きを始める。

 

 だが、その日の夜――――

 

 その、希望から絶望へ変わった光景が脳裏に過ぎり、エリック王の表情は暗くなる。そんな胸躍る日々を全て地獄の劫火に消していった魔物達の姿。

 

「・・・・・・それが、光の教団だった。マチュが生まれたことを知った教団の者達が、お前を誘拐するために攻め込んできたのだ。おそらくは、その時点で教団のスパイはかなり王家に近い人物まで癒着していたのだろう」

 

「何故、私が狙われたのでしょうか? 話を聞く限りでは、教団がまるで初めから私だけを狙っているかのようですが」

 

「まさに、その通りだよマチュ。奴らは、お前だけが目的であった。光の教団は犯罪者の温床ではあったという話はしたと思うが、特に盛んだったことが子供の誘拐だ。特に身分の高い子供を中心にな」

 

「身代金目的、というわけではないのですね」

 

「そうだ。光の教団は金銭を目当てに動いてはいない。その本当の目的までは、済まないが我々が生きている間は最後まで分からなかった」

 

 神を語り、犯罪行為を世界規模で行う宗教。それは、アリスが今まで学び続けていた教えとは真逆の在り方であった。自然と、拳が握りしめられる。

 

 人々が崇める神は、悪行を決して人に強制などさせない。神に仕える者は優秀であれ。だからこそ、シスターは真摯に勉学に取り組み、魔に屈しない心を育むために修練を重ねる。

 

 光の教団とは、単なる邪教だ。ただ人の弱みや縋り付ける物を用意して、相手を洗脳させるなど、言語道断と言うほかない。

 

「きっと、世界中でも子供の誘拐は相次いでいたことでしょう。だからこそ、私たちは貴女を・・・・・・」

 

「いいえ。もうそれは良いのです」

 

「あ、あら。ごめんなさいね、マチュ」

 

 ふとしたことで、また話をぶり返しそうになる。アリスは母親に咎める目を送ってしまう。

 

「そういえばお父様、お母様」

 

 そこで、話題を変えるアリス。

 

「こちらの世界では、私はこうしてこの世に生をもうけましたが・・・・・・向こう側の世界でも、もしや私はどこかで生きているのでしょうか?」

 

 向こう側、というのはアリスがシスターとして育った世界だ。それはあの世界でも、同様に自分が生まれ、また別の世界へ避難させられているのだろうか。

 

 それにはエリックが頭を振る。

 

「いいや、残念だがそれはない。現実の世界は同一人物が存在することは許されないからだ。アリスも魔術論を読んでいるのならば、薄々理解はしているだろう。万が一、そんなことが起きてしまえば時間的なパラドックスが起き、その人間そのものがお互いに消えてしまう」

 

 もっとも、我々が今存在する空間のような場所ならば話は別だがと、エリックは付け足した。

 

 つまりアリスが育った世界では、エリックとソフィアの間には本当に子供が生まれていない事になる。史実通り、後継者がいなかったが故に滅んだのか。

 

 いや、とアリスはふと思い出す。あのレヌール城の幽霊騒ぎのあと、アルカパの神父が休憩時間中の話題の中で呟いていたことだ。

 

 ――――どうやら、レヌール王家は跡継ぎがいなくて滅びたわけではなかったようだな。どうやら、魔物の襲撃に遭った可能性があるやもしれぬ。

 

 あの時は、魔物がそんなことをする理由が分からなくて、いつしか考えることを保留していた。だが、もしあの世界でも自分が生まれ、なおかつ同じような事件が起きていたとしたなら。

 

「・・・・・・私は、あの世界で■されていたのですね」

 

「・・・・・・そう、か。お前の知る世界では、私たちは逃がすことが出来なかったのだな」

 

 ■んでしまえば、同一の存在が生きて出会うことは無い。だからこそ、アリスはあの世界へ・・・・・・

 

 光の教団は、アリスの身柄を狙っていた。だからこそ、あの世界のエリック王とソフィア王妃は、亡霊になってもなおアリスの存在を口にはしなかったのだ。

 

 なぜか。それは、アリスが既に■んでしまっていることを知らないから。

 

 あの2人の時間は、教団の襲撃から我が子を守るために必死に抵抗し尽くしたまま、この世を去った時点で止まっているから。娘が生まれたことを口にしてしまえば、それを聞いた者からどんな形で教団の耳に入るのか分からないから。

 

 あの王と王妃は、アリス達がお化け退治を解決したあと、死後の世界へ旅立ってしまう瞬間まで戦い続けていたのだ。今もどこかで生きていると思い込んでいる娘の存在を、教団に伝えないために。

 

 それは――――なんと悲しいemptiness。

 

「――――お父様。お母様」

 

 気づけば、アリスは告げていた。いつの間にか溢れている涙を止めることもなく。

 

「私は、あの世界へ戻りたい・・・・・・いいえ、帰りたいのです」

 

「うむ」

 

「ええ」

 

 初めて出会った両親は、優しく笑ってくれていた。娘の成長を喜ぶ親は、きっとこんな風に心から笑えるのだろう。たとえそれが、親と永遠に別れる言葉を告げられたのだとしても。

 

「あの世界が、私が生きるべき世界なのです。大切な人が生まれて、今もなお生き続けている。その方達があらゆる困難に見舞われるというのでしたら、私はその方達の助けになりたい」

 

 そう。光の教団だけではない。あのラインハットの偽王妃に虐げられている人々も。そして、あのブオーンも。世界の全てが、あらゆる脅威によって悲鳴を上げている。

 

 このままでは終われない。必ず“あの世界”へ帰るのだ。そして人類が敗北するような未来を、絶対に変えなければ。

 

 それはきっと、アリス1人の力では到底届かないだろう。だが、力を貸してくれる者達はきっといる。そして、それはこれから自分が出会う者達の中にだって。

 

 アリスは、それこそ地に伏せるかのような勢いで頭を下げた。

 

「お父様、お母様。お願いがあります。私は、どうすれば元の世界へ――――」

 

 アリスの言葉は、最後まで続かなかった。彼女は、目の前の光景に言葉を失ったのだ。

 

 目の前には、変わらずに微笑んでいる両親の姿。だが、その2人の身体はゆっくりと薄くなり始めているのだ。

 

 それだけではない。目の前のテーブルも、足元の芝生が透けて見えてしまうくらいに透明になっている。先ほどまでざわめいていた木々も。遠くで遊んでいたはずの子供達の姿も。

 

 そして、彼女らを囲うようにそびえ立っている白亜の城も。

 

「あ――――」

 

 アリスは気づいてしまった。もう、これでお別れなのだと。

 

 実の両親に会うことが出来た奇跡のような時間は、既に消えかかっているのだと。初めに母が教えてくれたはずではないか。こうしていられる時間は長くない、と。

 

 アリスの心によって映し出された空間は、再びまっさらな空間に戻っていくのだ。そして、今度こそ足を踏み入れることは叶わない。

 

「ずっと・・・・・・言いたかった。大きくなりましたね、マチュ」

 

「本当に美しく育ったな、マチュ。さすがは、私たちの娘だ」

 

「お父様・・・・・・お母様・・・・・・!」

 

 涙が止まらない。駆け出し、アリスは2人の胸の中に飛び込んだ。

 

 まだ両親の温もりがある。その事に少しだけ安堵した。父と母は、そっとアリスの頭を撫でた。

 

「マチュアリス・・・・・・可愛い我が娘よ。心してお聞きなさい。貴女はこれから、幾多もの困難に立ち向かうときが来るでしょう」

 

「はい」

 

「貴女はこの世界へ追放された身。その際、あちら側の世界ではマチュアリスの存在がどうなっているのかも定かではないはずです」

 

「はい」

 

 きっと、向こうの世界ではアリスはラインハットで既に■くなっている扱いを受けているのだろう。その程度は、アリスとて覚悟の上だ。

 

 すると、ソフィアが悲しそうに首を横に振る。

 

「いいえ、きっとマチュの想像とは違うはずです。おそらくは貴女にとって、より残酷な現実、が――――」

 

「それは、一体・・・・・・?」

 

 訊こうとしたアリスだが、もう2人の身体は視認すら困難なほどにまで消えかかっている。もはや、どんな表情をしているのかも不鮮明だ。

 

「ああ――――もう、お別れ、なんて・・・・・・」

 

「マチュ・・・・・・我が最愛の娘、よ・・・・・・」

 

 確かに触れていた感覚が消えた。確かにあった温もりが冷めていく。

 

 嗚呼、待って。待ってください――――お父様。お母様。

 

 もっと話したかった。一緒に手を取って歩きたかった。愛していると言いたかった。

 

 おはようございますと、一緒の朝を迎えたかった。沢山練習した料理を食べてほしかった。おやすみなさいと、共に明日への希望を胸に夜を越したかった。

 

「ああああ・・・・・・あ――――あ」

 

 手を伸ばす。届かない。もう、その先には誰もいないのに。

 

 そして、世界は変わる。あるべき世界へ、異分子は戻される。

 

 上下の感覚が無くなり、アリスは自分が今どこを彷徨っているのかも分からなくなる。ただ、身体が何かに引かれるような錯覚を覚えるだけで。

 

 それでも、アリスの心に寂しさこそあれど恐怖は無い。分かるのだ。自分が今、帰るべき世界へ向かっていることが。

 

 そして――――アリスの意識は真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さようなら、私たちの愛するたった1人の娘よ。

 

 私たちは、過去も・・・・・・今も・・・・・・未来も・・・・・・

 

 貴女の行く末を、ずっと見守っています・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かの腕の中で微睡むような、暖かな風が吹いた。

 

 全身が心地良さで包まれる日差しが、窓を通して入り込んでくる。そんな感覚と共に、その女性は意識を取り戻していく。

 

 ついうたた寝をしてしまったと気づき、女性はゆっくりと瞼を開ける。

 

 今や見慣れてしまった部屋。かつては一国の城として栄えていた事を証明するかのように、大広間ほどの面積にいくつもの本棚が並べられていた。

 

 彼女が腰掛けているのは、窓際にある机の席。日の光が入ってくるので、勉強や読書はいつもこの席を使う。

 

 向かい側に座っているのは、1人の男性。いつもの本を開いているが、目線は穏やかに自分へ向けている。遅れて、眠っている間もずっと見られていたと気づく。

 

「や、やだ・・・・・・起こしてくれても良かったのに」

 

 頬を染めて、髪を手櫛で直す。幸い、寝癖はできていないようだ。

 

「気持ちよさそうに眠っていたからね。起こすのが忍びなかったのさ」

 

 笑みを深めて、彼は返す。もっともな事を言っているが、この笑い方は彼が自分をからかうときの癖だ。

 

「もう。変ないたずらでもしていたら怒るわよ、ヨーゼフ」

 

「僕はそんなことをする男に見えるかい? だとしたら悲しいな」

 

「そう言っていつも誤魔化すんだから」

 

 プリプリと怒る女性は、本を閉じて立ち上がる。つられて、ヨーゼフと呼ばれた男性も立ち上がった。もとより、彼女はこれくらいのことで簡単に怒るような女性ではないと理解している。

 

「アリシア。どこに行くんだい?」

 

「そろそろお昼の時間でしょう。私、先に準備してくるから」

 

「ヘソを曲げないでくれよ。僕も行くからさ」

 

 彼は本にしおりを挟み、机の上に置く。アリシアという名の女性の後を追って、書庫の部屋を出た。

 

 今日は晴天だ。白い雲もまばらで、小鳥たちが囀りながら城の窓の外を飛んでいく。

 

 階段を降り、壁に掛けられてあるいくつかの絵画を横目に歩いた。最低限の区域は掃除をしているので、埃臭さが広まるなどということはない。2人で住むには広すぎる城なので、その辺りの加減はしているのだ。

 

 ふと、ヨーゼフが一枚の絵画の前で足を止めた。つられて、彼女も。

 

「アリシア。この絵って、この城に住んでいた王様と王妃様なんだって」

 

「ああ、これって肖像画だったの? 道理で細かく描かれているわけよね」

 

 通路の壁に掛けられているのは、上質な椅子に腰掛けた王妃と、その後ろに立つ勇ましい王の姿。どちらも、こちらに向かって優しく微笑んでいる。

 

 肖像画の隅には、レヌール王と最愛の妻ソフィアとサインが記されていた。

 

「この人達が今も生きていたら、どういう国になっていたんだろうね」

 

「そうね。ただ、少なくとも私たちは城に住まわせてはもらえなかったかも」

 

 二人して、声に出して笑う。そうだね、と。

 

 ひとしきり笑ったあとは、そろってその場をあとにする。ドアを開け、さらにその向こうへ。

 

 いつもながら1つの部屋に行くにも苦労する間取りの城ではあるが、少なくとも2人にとっては許容範囲であった。

 

 そう。2人の仲を他人に裂かれる苦痛に比べれば。

 

 かつては港町の宿屋で暮らしていたアリシア。あの頃は商売が軌道に乗っている真っ最中であり、富豪と呼んで差し支えない収入もあった。彼女もその時点では、家を出ようなどと考えてもいなかったのである。

 

 ヨーゼフが使用人として雇われたのは、ちょうどその頃だったと思う。彼は都会の人間だが、故郷から離れたくて旅をしていた経歴の持ち主であった。

 

 アリシアは、初めはそんな彼を良く思ってはいなかった。口調は何所か女慣れした雰囲気が垣間見えたし、よく嘘も口にする。軽薄な男というのが彼女の第一印象であった。

 

 だが、月日が経つうちにそれは少しずつ親愛に変わる。彼は確かに女性に慣れてはいたものの、それはつまり彼がそれだけ魅力的な男だということの裏返しでもあったのだと知る。日頃の仕事の真面目さや、アリシアを喜ばせようとする気配りも男として魅力的だと思えた。

 

 2人が愛し合い、結婚を考えようとするのにそう時間はかからなかったのだ。実際、周囲の同僚や友人達も賛成してくれた。

 

 だが、ここで母親のジョジョルから猛反対の声が上がる。アリシアの母は、かねてより結婚してほしい相手を自分で決めていたというのだ。相手は、都会の裕福な男性だという。

 

 結婚相手は自分で決めると言い張るアリシアに対し、ジョジョルも強情であった。不幸中の幸いで、父や他の使用人はアリシアとヨーゼフの味方であったため、彼らの伝手を使って家を出たのだ。要は、駆け落ちである。

 

 その後は各地を転々として、この城――――レヌール城へとたどり着いた。ここに来て、ようやく彼らは安らぎを得たのだ。

 

 そして、今。そんな王族のような生活にも慣れてきた頃。2人は今日も、平穏な昼を過ごすことにした。

 

 だが、この日は少々特別が混じる日でもあったのだろう。

 

「ん、あれ・・・・・・?」

 

「なに・・・・・・?」

 

 通路の窓から白い光が差し込んできた事に気付いた。明らかに太陽の光ではない事は一目瞭然だ。

 

 2人は、そっと窓の外を見る。そこで、彼らは信じられないものを目にした。

 

 白い光の球体だ。その人間が丸々入れそうな大きさの光球は、城の高さとそう変わらない程度の位置から、ゆっくりと中庭に向かって降りていく。

 

 幾多もの花が咲いている中庭へ光が地面へ触れると、その光は1つの人影へと変化した。輝きを失い、残っているのは人間らしき誰か。

 

 2人は顔を見合わせ、階下へと降りていく。

 

 

 

 

 その人物は、女性であった。年齢は15才。ちょうど、世間では成人と呼ばれる年齢である。

 

 風が吹き、女性の美しい銀色の髪が揺れる。目は閉じたまま、未だに目覚める様子はない。身につけている賢者のローブも相まって、どこか神秘性すら思わせた。

 

 眠るように閉じている瞳には、涙の痕。

 

 

 

 

 ――――マチュアリス・エル・ロム・レヌール。

 

 

 

 

 この世界へと舞い降りた、たった1人の王女の帰還である。

 

 

 

 

つづく

 




アリス帰還。
そして、レヌール城の駆け落ちカップル登場。
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