シスター・カノンが就寝から目を覚まし、日課である庭の掃除を始めた頃。
遠くから、いくつもの足音が聞こえてきた。それはあっという間に近づいてゆき、やがてアルカパの町の内部へと入ってくる。
町の人々にとって、それは驚くことではない。だが、誰もが内心に苦々しい表情を隠していることだろう。
始めに目に付くのは、ラインハットの士官服を身につけた男達。身なりがそれなりに整っているのは、正規の徴税官故である。そして、市民が最も恐れている存在が彼らの後ろに付いてきていた。
護衛として、王妃が正式に雇っている傭兵団。だが、山賊ウルフや彷徨う鎧という凶悪な魔物を傭兵といってよいのかは意見が分かれるところではあるが。
彼らは一体の例外もなく、欲と血に塗れた目でアルカパの町を睥睨している。魔物としての邪気を纏ったまま、堂々と人の暮らす町へ足を踏み入れているのだ。
徴税官以外は、全てが欲に塗れた魔物という異様な集団。これもまた、今のラインハットの現状を物語るといえよう。秩序を守る騎士は現場で力を発揮できない。あるのはただ、理不尽な暴力と建前だけ。
彼らはカノンを初めとした市民達の目を気にすることもなく、町の奥へと向かっていく。徴税官が向かうべき場所は、町の権力者の役所だ。今日も、税を取り立てに来たのだろう。
今回は、どれほど税をつり上げてくるのでしょうか。そんな捨て鉢な気持ちと共に、シスターは彼らを見送った。
そして、数刻後。
――――件の役所から、誰かの叫び声が聞こえた。
「な、何。何の騒ぎ!?」
硬直してしまったカノンの代わりに、教会から血相を変えて出てきたのは先輩のシスター・ジゼルであった。朝食を作っている途中だったためにエプロンを身につけていたが、彼女は躊躇無く外して教会の中に投げた。
「行きましょう、カノン」
「はい!」
あの悲鳴はただ事ではない。これまでも理不尽な徴税に逆らう者はいたが、せいぜい殴られる程度であった。
だが、それはこれからも拳一発で許されるという保証はない。ジゼルは先頭に立って役所へ向かう。そこにはすでに徴税官達だけではなく、遠巻きに見ている市民達もいた。全てが、役所の建物の中を注視している。
そちらに少し進むと、何か嫌な異臭が鼻をつく。
これは――――鉄分の混じった、不快な臭い。職業上、何度も目の当たりにした人間の血や肉の臭い。
そして目に入る光景は、想像の通りだった。
役所の内部へと続く出入り口の奥。かつては町長の住居でもあった場所の中で、1人の男性が仰向けになって倒れていた。その2度と動かない身体に、小さな女の子が泣いて縋っている。
血の海の中で倒れ伏している男性は――――確か、町長がラインハットへ抗議に行く際に町長代理を任命された人物だ。ということは、縋っているのは彼の娘だろう。どう見ても、10歳にも届いているようには見えなかった。
「いやああぁぁ・・・・・・! パパが、パパがぁ!!」
そんな年端もいかない少女が悲鳴のような声をあげている姿を、取り囲んでいる魔物達はさも可笑しそうに見ていた。
「・・・・・・ほんの僅か反論しただけなのに」
ポツリと、事の次第を見ていた若者が呟く。それを聞きとがめた傭兵の山賊ウルフが、いかにも不快そうに視線を向けた。
「おい。何か言ったか?」
「い、いえ。何も!」
「フン」
背筋を伸ばす男に、魔物はつまらなそうに鼻を鳴らす。あともう一言でもあれば、堂々と首を切れたのだが。代わりに、傍らに立っている人間に言う。
「おい、どうすんだ徴税官さんよ。税をくれる奴が“事故”で■んじまったぜ。可哀想にな」
切り裂いた張本人がいけしゃあしゃあと吐き捨てた。徴税官はまだ町長代理と言葉も交わしていない段階だったというのに。
しかし、それでも彼らは文句を言う権利など無い。そんなことをすれば、この町長代理の二の舞だ。罪の意識に苛まれながらも、どうにか言葉を紡ぐしかない。
「・・・・・・や、やむを得ません。今日、税を徴収できなければ私達の首が飛んでしまいますからね。各員・・・・・・役所の中へ入り、できる限りの徴収を。きっと、出せる分だけは用意してあるはずです」
言い切った。口元を震わせながらも、なんとか言うことが出来た。途端、成り行きを見ていた市民達の表情が絶望に染まる。
冗談ではない。ここまで搾取されているというのに、まだ取られてしまうなんて。
反対に、傭兵達は我が意を得たとばかりに喜色が溢れる。これで、堂々と略奪し放題になるのだ。どさくさに金目のものをちょろまかす事だって容易い。
魔物達は堂々と役所の中へと入って行こうとする。そこへ、先頭に立っていた山賊ウルフが仲間達に待ったをかけた。
「ああ、一つだけ言い忘れたけどよ。俺っち、そのガキに睨まれちまったんだよな」
狼の面容をした魔物は、血に濡れた剣の先で父に縋っている少女を差した。
「これってよお、将来の反抗分子って可能性もあるんじゃねえか? こっちは仕事をしただけだってのに、こんな風に逆恨みする奴がいると困るだろ」
「おお、そういえばそうだな」
「まあ、罰を与えるついでに、今日の夕飯にしちまおうぜ」
太后の推薦で雇われた魔物達は、口々にそんなことを言い合う。対照的に、少女は自分の運命を悟って顔色が悪くなった。
父と同じだ。言いがかりをつけて、殺戮を楽しみたいだけ。しかも、自分が子供だから食べようなどとは。
父を目の前で失い、さらに自分は食べられる。こんな残酷な現実があるだろうか。少女はその奈落の底へ落とされそうな錯覚と共に、意識を失っていく。
父の身体に寄り添うように失神した少女。それを見て、ゲラゲラと笑う魔物達。誰もが嫌悪に顔を伏せる光景に、誰もが手出しをできない。市民だけではなく、カノンとジゼルも。これが、今のアルカパの現状なのである。
だが――――それもここまでであったのかもしれない。
「これ以上は・・・・・・あなた方の好きにはさせません!」
瞬間、少女と山賊ウルフとの間に一つの流星が飛び込んだ。
いや、違う。割って入ってきたのだ。建物の屋根よりも高く飛び上がり、傭兵達の狼藉を仲裁に入ったのである。
突然のことに山賊ウルフだけではなく、魔物達も驚きの様子を見せた。彼らの目の前に立っていたのは――――人間の若い女だった。美しい銀色の髪が風に靡き、卓越した賢者が身につけるというローブを纏っている。
「あ、貴女は・・・・・・!」
カノンがジゼルと顔を見合わせる。周囲はそんな2人の様子に微塵も気づかないでいるが。
命知らずが邪魔をするかと、魔物は怒鳴りつけた。だが、女性はまるで耳に入っていないかのように血まみれの男性に片手をかざした。
「――――ベホマ」
全快呪文、ベホマ。一流の僧侶として認められる回復呪文の証。魂が肉体に未だ残っている状態ならば、どのような怪我を負っているとしても健康状態に戻すことができるという。
まして、女性の魔力は既に一級の魔法使いと遜色ない域まで到達している。仮にこの男性が脳■寸前だったとしても瞬く間に回復可能なのだから。
「・・・・・・う」
ピクリ、と男性の身体が震える。流れている血液が止まり、体内で生産を始めていく。止まりかけていた心臓が動き、血色も快方へ向かっていった。そして――――彼の瞼が開く。
続けて、気を失った少女には気付けのためにホイミを。目を擦りながら起きる様は、まるで朝の目覚めのようだった。
「ああっ、パパ!」
「ノ、ノイ・・・・・・これは、いったい?」
状況が飲み込めずに混乱する男性だったが、娘は先ほどとは別の意味で泣きじゃくったまま抱きついてくるばかり。女性――――アリスは間一髪で間に合ったことに、心の奥で安堵を覚える。
だが、それを表情には出せない。目の前には、敵愾心を込めた瞳を向けてくる魔物達の集団。改めて、アリスは親子を背中に庇うようにしながら傭兵達に向き直る。
「・・・・・・先ほども告げましたが、これ以上の狼藉は人道に反する行いです。いかに国の命令とはいえど、抵抗される程度の行為は承知の上の筈では?」
「なんだ、お前は。自分が何をしているのか分かっているのか?」
彷徨う鎧が威圧をしてくる。勿論、それに怯むような女性ではないが。
「言葉の通りです。この町の現状はあなた達とて理解しているはずでしょう」
「こちらの知ったことでは無いわ。決められた税を払えぬなど、我が国民にあらず!」
「聞いたような言い回しですね。それがマニュアルということでしょうか」
アリスは、あえて小馬鹿にするような言い回しをする。案の定、彷徨う鎧が怒りに満ちたように身を震わせて黙り込んだ。
「命知らずな奴め。お前を血祭りに上げたあと、身ぐるみを剥がしてでも持ち帰ってやる!」
「不埒な魔物は同族でも嫌われますよ。まあ、やれるものでしたらどうぞ」
「黙れ、侮辱罪に反逆罪だ! この場で打ち首にしてやる!!」
我慢など元からするつもりはなかった。挑発に憤った魔物達は、手に持つ武器を振るいあげ、たった1人の人間へと斬りかかっていく。ここまでの展開に硬直していた周囲の市民達は、一斉に顔を背けようとした。
だが、そんな必要は無い。彼女は何も持っていない右手を真横に一閃する。その指の先から魔力が粉のように舞い上がり、それが透明の氷柱に変化した。
幾本もの鋭く尖った氷の刃は、幾多もの魔物の身体を一瞬で貫いていく――――事はなく、魔物達の肉体に触れた瞬間、彼らの全身を覆い尽くすように変化した。
「・・・・・・っ! ――――っ!」
声が出せない。悲鳴すら上がらない。あまりにも突然に、魔物達全員が氷の中へ拘束されるなど誰が予想できたのだろうか。おそらくは、この女性以外にはあり得まい。
アリスは基本的に温厚な性格だ。たとえ魔物といえども、命を奪うことは極力控えるように心がけている。しかし、何の罪も無い者に理不尽な■傷行為を笑って実行するような外道に情けをかけるほど、現実が見えていない人間では無かった。
いや、情けはある。この期に及んでも、アリスという女性は命を奪わない。せいぜい、彼ら程度の実力では決して脱出することは叶わない氷の中で、せいぜい寒すぎる思いをしてもらうだけだ。
指を組み、祈りの姿勢をとる。どうかこの魔物達が、己の意思で反省してくれる時が来ますように。
あまりにも突然の光景。あまりにも圧倒的。唖然としている市民の視線を一身に浴びながらも、それを気にもしない様子で町長代理の親子へと向き直る。
「ご無事ですか? 傷はもう塞いだはずですが」
「えっ、あ・・・・・・はい。もう、痛くもありません」
どこか呆けていながらも肯定する男性に対し、娘は無邪気に父の腰へ抱きついた。
「パパ!!」
その声を皮切りに、尻餅をついていた男性はようやく現状を受け入れたらしい。既に傷跡すらない胸をさすりながら、深々と頭を下げる。
周囲の市民から、安堵の声が湧く。これまでの圧政の中で苦しめられていた身分としては、まさに痛快な光景だっただろう。
「いやいや、このご時世にまだ貴女のようなお方がいらっしゃったとは。まことに感謝致します。貴女は命の恩人ですよ」
「いえ。どうしても放っておけませんでしたので。それよりも、無事で本当に何よりです」
「おねえちゃん、凄い!」
いつの間にか彼女の周囲に纏わり付いている娘が、凄い凄いとはしゃぎ回る。それを聞き流しつつ、男性はふと顔を曇らせる。
「本当にままならぬものです。貴女のような方がもっと早くこの町に来てくださったなら、アルカパもここまでの姿にはならなかったのかもしれませんのに」
「・・・・・・やはり、ラインハットの行いですか」
「当然ですとも。あの国が変わってからというもの、私たちの暮らしは苦しくなるばかりなのですから」
無念の色を浮かべる男性に、さっきまで遠巻きに見ていた市民が近寄ってくる。誰もが男性に同調しているようだ。
まあ、当然の反応である。彼らの中に、今のラインハットを歓迎している人間などいるはずもないのだから。
アリスは慎重に言葉を重ねる。
「・・・・・・方針に反対をする方も、いらっしゃったのでは?」
その言葉に反応したのは町長代理の彼ではなく、近寄ってきた市民の1人であった。彼はどこか苦々しい表情で言う。
「いたさ。少し前の話だけどな。町長が抗議をしに行ったけれど、それ以来帰っていないんだ。きっと、もうとっくに・・・・・・畜生」
今度は、建物の壁に身を寄せるように立っている2人組の男に目を向ける。彼らは、揃って身体を震わせた。
「・・・・・・もし。あなた方は、徴税官にお間違いはありませんね?」
「な、な、な、何のことだ?」
「いや、誤魔化せるはずがないでしょう。あの魔物達を連れてきていたではありませんか」
呆れた様子のアリス。市民達も存在を忘れていたらしく、うって変わって厳しい目で徴税官を睨み付けた。
「そうだった。こいつら、いつも俺たちを・・・・・・!」
「もうお前らなんか怖くないぞ!」
怯えてお互いに抱き合う徴税官。そこへ、アリスが前に出た。こういう時、誰よりも止めなければならないのは暴発した市民の怒りだ。
「ご安心を。あなた方とて、不本意な命令だったのでしょう。そのような泣きそうな顔をしないでください」
あえて穏やかな口調で諭す。もし逆らえば、立場も命も握りつぶされてしまうから。それが分からないアリスではなかった。
「そこで、提案があるのですが――――」
「ひいっ!」
と、ここで意外な行動を起こす徴税官。完全に怯えきった2人は、市民達を押しのけてこの場から逃げ出したのだ。これから交渉に入ろうという矢先だったため、アリスは止めるタイミングを逃してしまう。
取り囲んでいる輪から抜け出した2人は、一目散に町の出口へと走る。だが、そこには既に待ち構えている2つの影があった。
「そう来ると――――」
「――――思いましたよ!」
待ち構えていたのは、2人のシスター。護身用の檜の棒を、憎々しい相手である徴税官の顔面に叩きつけたのだ。
ジゼルとカノン。2人の息の合った一撃である。
「いぶはぁ!」
「うごふっ!」
鈍い音がして、背中からひっくり返る男2人。それを遠巻きに見ていた市民達は、今度は歓声を上げて2人に駆け寄っていく。ついでに、徴税官2人はその場で縛り上げられた。
アリスはゆっくりと賞賛されているジゼル達へ近寄っていく。それに気づいたジゼルは少々硬い顔ではあったものの、アリスに対して頭を下げる。
「この度は、まことに助かりました。アルカパの市民として、心からのお礼を申し上げます」
「いいえ。こちらこそ私の不手際をお救い頂き、まことに感謝しております」
スカートをつまみ、礼をするジゼルとアリス。明らかに格式張った感謝ではあったものの、ジゼルは間違いなくアリスと向き合ってくれているのだ。心そのものを許してもらえるようになるには、まだまだといったところか。
仕方がない、とアリスは思う。悪いのはこちらなのだから。
だからといって、個人的な人間関係を気にしている場合ではない。今は一刻の猶予もないのだ。
この徴税官の処遇は、市民の者達に任せようと思う。これまでの鬱憤もあるだろうから、どのような行為を加えるのかは不安が残るものの、その辺りはシスター達に念を押しておけば良い。この町の惨状の中でも、彼女達はまだ理性的な方だ。
徴税官に逆らってしまうどころか、返り討ちにしてしまった今の状況。このまま彼らを拘束しておけば、ラインハットは彼らの不在を知り、このアルカパの現状を知るだろう。
そうなる前に、市民はできる限りオラクルベリーにでも避難させるべきだろうか。いや、距離を考えればレヌール城も候補に入れた方が良い。あのカップルには申し訳ないが、しばらくの間は辛抱してもらうしか・・・・・・
考えを巡らせるアリス。だが、そんな悠長な時間など、初めから無かったのだと思い知ることになる。
市民達の喜びの声が止まった。
シスター達の笑顔が消えた。
今を持って、アルカパの行為を賞賛する言葉は、そのまま己への死刑宣告と同義であることを思い知った。
何故ならば――――いつの間にか、アルカパの出入り口には膨大な数の魔物達が待ち構えていたのである。
いつから、ここへたどり着いたのか。
何故ここまでの数の魔物がここにいるのか。
初めから、アルカパへ向かう徴税官達に追従していたというのか。
目の錯覚などではない。誰もが視線の先に夥しい数の数百を超える魔物達が、こちらを睥睨しているのだ。そのどれもが、冷たい殺意に満ち満ちている。
その中で、前に出てくる者がいた。堂々とアリス達に近づいてゆき、一定の距離を取った位置で立ち止まる。背後には人間の兵士達もついていた。
「アルカパの市民よ。徴税官を拘束するとは、どういう事かな?」
「あ、アルダン将軍様・・・・・・」
町長代理の男から血の気が失せていく。口をパクパクさせて、後ずさりさえしつつあった。
鎧を身につけた姿の、アルダン将軍。その名前にアリスの目が細まった。それに気づかず、今度は声をより鋭くして威圧する。
「町長代理よ、何故黙っている。アルダン将軍の問いに答えよ。なぜ徴税官を拘束した?」
「・・・・・・」
代理の男性が無言で震え上がっている姿に痺れを切らせたのか、ジゼルが負けじと言い返す。
「搾取し続けるだけのあなた達には、私たちの苦痛など理解できないでしょう。権力者以外には生きる権利すらないとでもいうのですか?」
「居もしない神に縋っているだけの女が、生意気な口を利くな。権利とは、義務を全うしている者だけが口にできるものだ。払えないと分かった途端に力で抵抗するような者に、権利など無いのだよ」
それに反論したのは、もう1人のシスターであった。
「ならば、貴方達は我々からその権利を奪うために、無理な重税を課したというわけですか」
カノンの怒りに震わせた声。このタイミングで、ようやくアルカパの人々も理解をする。遅かれ早かれ、ラインハットはこちらが手を出すことを待っていたのだと。
それにも、涼しい顔を返すだけのアルダン。片手を上げ、後ろの魔物の軍勢に合図をする。
それを皮切りに、市民の者達は町の奥へと逃げ出した。我先へと背を向けて走っていく者達に、容赦の無い制裁の声が出る。
「どのみち、これはれっきとしたクーデターだ。者ども、反逆者に制裁を加えるの――――」
「お待ちください。この惨状は、全て私が行ったことです」
そこで、誰よりも前に出た者がいた。言うまでもない、アリスである。
彼女はいつものように、毅然とした瞳でアルダンを見据えて言葉を放ったのだ。
「――――む?」
「繰り返します。私が徴税官の護衛を討ちました。彼らを拘束したのは、私が市民の方々へそうしてほしいと頼んだからです」
「お、おい・・・・・・!」
思わず、何を言い出すのかと咎めようとする市民の男達を、アリスは視線だけで黙らせる。
「ほう・・・・・・相違ないか?」
「はい。アルカパの方々は、私の一方的な義憤に呑まれただけです。逮捕と拘束を行うのでしたら、私1人で充分の筈です」
事実、初めに戦いをしかけたのはアリスの方だ。何一つ嘘は言ってはいない。
「フン、そんなことはどうでも良い」
アルダンは近くに立っている彷徨う鎧に、この町を見張っておけと命令する。当然の措置だろう。
それ以外にも、山賊ウルフやパペットマンが数体残った事を確認して、アルダンはアリスの両腕を縄で縛り付ける。かなり強く締め付けられ、彼女の顔が苦痛に歪んだ。
「おい、それも没収しておけ」
「はい」
兵士の1人が、アリスが背負っている道具袋を取り上げた。続けて、魔物の中から魔道士が出てくる。アルダンはマホトーンの呪文をかけるように言った。
アリスの全身を包む魔方陣が浮かび上がった。これで彼女は呪文が一切使えない状態になる。城の処刑台の前へ連行する準備は整った。
「馬鹿な女め。こんなくだらない人間などを庇いおって」
魔道士はそう一言だけ吐き捨てると、群れの中へと戻っていく。アルダンはアリスを促し、ビルと共に町の外へ去っていった。それを、黙って見送ることしかできない市民。ようやく現れた希望は、瞬く間に悪の者達に摘み取られてしまったのである。
「あ・・・・・・」
完全に魔物に取り囲まれ、アルカパから去っていく名も知らぬ女性。市民達の前に残されたのは、血に飢えた魔物達だけ。
彼らが、これから市民達に何をするのかは想像に難くない。不気味な笑いを浮かべるパペットマンや山賊ウルフ達に、怖気が走るアルカパの市民達。彼らは、己の行く末を震えながら待ち続けることしかできなかった。
ただ、1つだけ。
去り際にアリスが残した希望だけが、今もアルカパに残っていることを除けば。
周囲の全てを魔物に取り囲まれながら、平原を歩くアリス。縛られた先の縄は兵士が握っているので、逃げることはできないだろう。ただでさえこの状況は、常人ならばとうに恐怖に震えていてもおかしくはない。
だが、アリスは少なくとも表面上は平静を装ったまま黙々と歩き続ける。むしろ、どこか周囲の山や木々を眺めて、どこか懐かしむような素振りすらあった。
そういえば、この辺りをパパスさんやマグダレーナさん、ビアンカやリュカと一緒に歩いていたんですよね・・・・・・と。
「何が可笑しい」
「別に可笑しかったわけではありません。風が少々心地よかったもので」
「チッ・・・・・・まあいい。そろそろ止まって、ツラを貸せ。マホトーンが切れる頃だからな」
魔道士の忌々しそうな舌打ちにも、アリスはどこ吹く風だ。黙って、兵士共々足を止める。
呪文の詠唱を始める魔道士。アリスの魔法の威力は、遠目に確認していた。だからこそ、マホトーンは念入りに行わなければならない。
後ろを振り向けば、まだアルカパの街並みが見えるだろう。だが、今そちらに目を向けるわけにはいかない。彼女が視線を向けるべきは――――こちらに手を向けている、魔道士なのだから。
さて。この辺りでいいでしょうか。連行されているアリスは、そんな呑気なことを考える。
最後の詠唱が終わり、呪文封じが放たれる瞬間の事だった。アリスの身体がブレたと思った瞬間、乾いた音と共に魔道士の手首が奇妙な方向へ向いたのである。
この場にいた者は、何が起きたのかが理解できなかった。彼女の足が弧を描き、さらに魔道士の首を真横から打ち抜いたところで、ようやく現状を理解する。
魔道士がローブをはためかせたまま、何重にも横回転して大地に倒れ伏した。同時に、魔物達の怒号が響く。
「テメエッ、今更抵抗する気かっ!」
山賊ウルフが剣を抜き、斬りかかってくる。アリスは拘束されている腕を強く引き、縄を掴んでいる兵士を転ばせた。上段から振り下ろされる剣に向かって、アリスは身を躱しつつ体当たりをする。
今度は全方位から剣や槍、爪や牙とアリスに容赦なく襲いかかる。取り囲まれている中、彼女は冷静に態勢を低くすると、拘束された両手を地面に当てた。
「はっ!」
気合いをもって地面を蹴ると、まるで独楽のように回転して足刀を魔物達に叩き込む。魔物達が悶絶して吹き飛んだ。
そのままアリスは飛び上がり、己を取り囲んでいる魔物達の軍勢に向かって一瞬だけ見下ろすような格好になる。
タイミングは計算通り。魔道士のマホトーンならば、この程度の封印時間が限界。
魔力は、既にアリスの周囲でコントロール済み。幾多もの球体状の魔力弾が、アリスの周囲に発生する。
見上げる魔物達は、大口を開けて見ているだけ。流石に、これほどまでの実力差があるとは思っていなかったのだろうか。
「――――」
降り注ぐ光弾は、神の裁きが天から降り注ぐかの如く。諦念すら覚えたような状態のまま、魔物の傭兵団はアリスのイオをその身に受けた。
地響きすらも引き起こし、幾多もの爆発が発生する。煙が立ちこめる中、アリスはそこから何事もなかったかのように姿を見せた。既に、腕の拘束は解かれている。
悲鳴が爆音の中に紛れ、その場で吹き飛んだまま失神する者。武器を捨てて、我先にと逃げ出す者まで生まれる始末であった。
先ほどのアルカパでは魔物を全て氷漬けにさせてもらったが、この者達は少なくともアリスの目の前で■傷沙汰を行ったわけではない。逃げ出す余地は与えるべきだと考えていた。
案の定、残った者はアリス本人。そして驚愕から冷めきれていない人間の兵士達。そして、アルダン将軍のみ。
「な、何だ今の呪文・・・・・・」
「イオです。少々撃ち方を工夫させていますが」
「く、工夫・・・・・・? あんなコントロール、ラインハットの宮廷魔道士でもできる奴が限られているのに・・・・・・」
律儀に答えたアリスはブツブツと呟いている兵士達に一瞥をくれると、頭を振りながら立ち上がるアルダン将軍へと近づいた。
「残ったのはあなた達だけなのですが・・・・・・どうか降伏して頂けますか?」
「・・・・・・」
その言葉に、即座に剣や槍を捨てたのが兵士達であった。自分では戦ったところで勝てないと理解したのだろう。いや、そもそも今回のアルカパへの侵攻とて心の中では不本意だったに違いない。
むしろ、人間と戦わなくてすんだと内心で安堵している者もいるはずだ。その事に、アリスは安堵感を覚える。まだ上層部に逆らおうという気位を持っている者がラインハットに残っているのだから。
だが、アルダンは顔を伏せたまま沈黙しているだけ。だが、何かブツブツと呟いているのは理解した。
呪文の詠唱でしょうかと思った瞬間、凄まじい形相でアリスを睨んだのだ。顔の全てに血管が浮き上がり、牙の生えた口が露わになる。
「・・・・・・るなよ」
「・・・・・・?」
「――――舐めるなよ、小娘ぇ!」
腰に収めている鋼の剣を抜き、アリスへと斬りかかった。そう来ることを予想していたアリスは慌てずにイオの光弾を目の前に作り出し、正確にアルダンへ直撃させた。
「あ、将軍・・・・・・!」
兵士達は恐怖に息を呑む。まさか、人間まで容赦なく命を奪う女性だったとは。
しかし、彼らの誤解はすぐに解ける。爆炎の中から、アルダンがよろめきながらも姿を見せたのだ。
兵士達が息を呑む。服が焦げているが、火傷らしきものは負ってはいないアルダン。そのアリスを睨む形相は、それこそ怪物と呼ぶに相応しいほどに変貌していたからだ。
「この程度で、俺がやられるか・・・・・・! 俺はこう見えて、イオの呪文には耐性を持っているんでなぁ!!」
ギロリと、アルダンは兵士達に目を向ける。目が合った兵士達が、揃って後ずさりをした。
「何をしている、貴様ら。この女は我がラインハットの反逆者だ。こうなっては、この場で処刑するしかあるまい!」
「は、いえ・・・・・・」
彼らは自分の足元に捨てた武器と、アルダン達に視線を彷徨わせた。アルダンの言っていることは間違いではないのだろうが、今は彼の変貌ぶりに戸惑っているのだろう。
無論、攻撃をされて怒り狂っているというのは分かる。だが、この様子はあまりにも・・・・・・
「何をしているか! 将軍の命令だぞ!!」
「た、確かにそうですが・・・・・・」
今にも兵士ごと斬りつけかねないアルダンの気迫に対する迷いが、兵士達の判断を鈍らせた。アリスは落ち着いた様子で彼らに近寄り、兵士達が抱えている道具袋を取り上げる。
「相手の許可無く持ち物を手にするのは流儀に反しますが・・・・・・失礼します」
「あ」
気づいたときは、既に道具袋はアリスの手に。慣れた手つきで、中に手を入れた。
「貴様ぁ、この俺を無視するとは!」
とうとう我慢の限界に達し、アルダンは腰の鞘から剣を抜く。山賊ウルフなどとは比べものにならない太刀筋が、アリスに襲いかかった。
アリスは身体を反らし、刃の軌道から身を躱す。彼女はこの状況だというのに、相手の力量を正確に推し量っていたのだ。
「無視をしていたわけではありません。ですが――――」
「黙れぇ!」
「――――これを使わないことには、話が始まりませんので」
この状況で、道具袋から取りだしたものは――――1枚の鏡であった。立派な装飾が施されている、円盤形の鏡。
そう。狭間の世界で、愛する父と母から譲り渡された鏡。真実の姿を映し出し、アリスとリュカにとっての真実の世界へと呼び戻してくれたマジックアイテムである。
「二番煎じは通用しませんよ、将軍様」
「そ、その鏡はっ!?」
それを見たアルダンは驚愕の表情に変わるのと同時に、視界の全てが白く光った。己を包み込んでいた変化の呪文が、太陽に当てられた影のように消え去っていく。
真実の姿が、ラインハットの将軍から魔物へと変わった。兵士達の中から、悲鳴のような声が漏れる。
だが――――それはアリスも同じであった。目を見開き、信じられないといった表情で目の前の魔物を見てしまう。
内心は、馬鹿なという思い。その修道女の驚愕の意味を、この魔物は知り得ない。ただ、その一瞬だけアリスに隙ができてしまった。
それを見逃す魔物ではない。腕を力ませて筋力を増幅させ、アリスが持つラーの鏡に一撃を込める。アルダンの姿を借りていた時とは比べものにならないほどの力の入った、重い一撃だった。
――――しまった!
その取り返しのつかない失態に怯みながらも、アリスは背後に飛んで追撃をかわす。ラーの鏡に亀裂が入り、もともと込められていた魔力と共に放たれていた光が消え去ってしまった。
もう、ラーの鏡は意味を成さない。単なる割れた鏡になってしまったのだ。だが、それを気にしている場合ではない。
「あ、アルダン将軍が!」
「魔物だと!?」
兵士達が状況を理解し、1度は放り捨てた武器を拾い上げて構える。魔物を取り囲んでいく様子にも、魔物はおろかアリスも関心を向けない。
かつて世界から追放された修道女は、目の前の魔物と向き直る。忘れられるはずもない、宿敵といっても過言ではない存在の魔物に、彼女は問いかけた。
「なぜ、あなたがここにいるのですか。偽の太后様?」
つづく
アリス「今も偽太后として振る舞っていると思っていたら、将軍に格下げられていて驚きましたの巻」
偽太后「解せぬ」