DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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燻り続ける光と影

 

 

 

 

「・・・・・・滅び、か」

 

 長く、常人には到底受け入れることのできない話を聞き終わった時、兵士長が辛うじて呟いた言葉がそれだった。

 

 アルカパの役所の一室。今後の身の振り方を話し合おうとした矢先に、アリスが話さざるを得なくなった彼女の過去の話は、この場にいる者にとってあまりにも衝撃的であった。誰もが口を閉ざし、重い沈黙が流れる。

 

 あの偽アルダンに話した内容よりも、なお深い説明。そして、今の人間にとっては未知の領域。

 

 どうにか話を終わらせたアリスの額にも、うっすらと汗が浮かんでいた。あまりにも複雑すぎ、あまりにも過去の傷を抉る内容を語るのは彼女にとってあまりにも負担が過ぎたのだ。道具袋から自分の水筒を取りだし、一口だけ飲む。

 

 ジゼルは机に膝をつき、両手で顔を覆っているため、表情までは窺えない。町長代理のロジャースに至っては、話の途中で泡を吹いて悶絶している始末である。

 

 改めて、アリスはこの場の全てに言った。

 

「これが・・・・・・私が経験した全てです」

 

 全ての説明は終わっていた。

 

 これまでの生い立ち。

 

 リュカやビアンカ、ジゼル達の出会い。

 

 ラインハットでの戦い。

 

 その後、世界そのものから存在を追放されてしまった事。

 

 滅びの世界へたどり着き、リュカと共に生き抜いた8年間。

 

 そして、その世界のラーの鏡の作用で、こちらの世界へ舞い戻ることができた事。

 

 そうして告げられた全ての事実を、ジゼルは。

 

「シスター・ジゼル。どうか、ご理解してはいただけないでしょうか?」

 

 そっと囁くように、あくまでもジゼル自身の気持ちで納得をして欲しいがためにアリスは尋ねた。先輩のシスターであった彼女は、どうにかアリスと目を合わせようとして――――失敗する。

 

「・・・・・・申し訳ありません。少しだけ、お時間をください」

 

 そっと告げると、ジゼルはフラリと立ち上がる。そのまま、出入り口から外へ出て行ってしまった。誰も追いかける勇気など無く、またそれをしても意味の無いことであった。

 

「ああ、その・・・・・・アリス様」

 

 兵士長が、どこか気を使うように声をかけてくる。アリスは少しだけ寂しそうに笑った。

 

「良いのです。出来る事ならば誰かに話すつもりのなかった事実なのですから。ですが、今となってはそうも言ってはいられません」

 

 アリスとて反省している。やはり事情を話すのは早かっただろうかと。だが、こればかりは必要に迫られての事だったのだ。兵士長もそれをなんとなく理解しているだけに、アリスへ向ける視線は複雑であった。

 

「それは、ごもっともですが・・・・・・」

 

「しばらくは、時間をおきましょう。しかし、ここで全員が休むわけにもいきません。まずは、これからのラインハットへの対処を考えなければならないのですから」

 

 そう。時間は待ってはくれない。この場にいないジゼルには申し訳ないが、今は今後のことを話し合うためにこの場がもうけられているのだから。

 

 兵士長もやがて気持ちを切り替え、アリスに合わせた話を始めた。先ほどまで気を失っていたロジャースも、おずおずと話に加わってくる。

 

「それで、兵士長様。ラインハットがこちらの動向に今から気づいたとして、どれほどの兵で攻め込んでくると思いますか?」

 

「正直なところ、判断はしかねますな。魔物が敵であるというのなら、人間の兵士だけでも一万は下らないかと」

 

 アリスの質問に、兵士長は言った。アルカパの現在の人口より何倍も多い。ロジャースが再び泡を吹いたことを横目に、彼女は冷静に判断する。

 

「直接戦う、という案は却下ですね。何より、私も人間を相手に戦いたくはありません。それは最も愚かな行為です」

 

 だが、いざ戦うというのなら、アリスも兵士長一団も命を賭けて戦わなければならないのだろう。これは魔物によって操られている国を開放するための戦いなのだ。だが、戦力は彼女と彼ら以外にはいない。手加減して勝てる相手ではないし、何より正面からは不可能である。

 

 そして市民の命を優先するとなると、どこか別の場所へ避難させなければならない。彼らを受け入れてくれる先は、やはりオラクルベリーかレヌール城か。

 

 そうなると、これは時間との勝負になる。あまりのんびりと考えている暇はなさそうだ。

 

 誰もが口にはしないが、この中で最も強い者を上げろと言われれば、アリスの名を答えるだろう。つまり、ラインハットと戦うには彼女の力が必要不可欠となる。

 

 だからこそ、アリスは提案をする。兵士長がどこか期待をするように目を向けた。

 

「アリス様。何か腹案が?」

 

「ええ。1つ、案があります。あまり良案とは言えないかもしれませんが」

 

 その言葉に、兵士長が身を乗り出す。アリスはチラリと出入り口に視線を向ける。

 

「そのためにも・・・・・・やはりあの人には、ご協力頂きたいのです」

 

 そのアリスの案は、確かに全員を納得させられるに足るものであった。

 

 

 

 

 先輩シスターの居場所を捜し出すのは、シスター・カノンに訊けばすぐに分かった。町の出入り口からそう遠くない平原で、一心不乱に竹の槍を振るっていたのである。

 

 アリスは思い出す。あの幽霊退治の後も、アリスは教会で護身のための教育を受けていた。あの頃もこの辺りで大勢のシスターに混じって、夕暮れまで竹の槍を振るっていたものだ。つい感慨深くなりそうになるが、今はそれどころではない。

 

 アリスが近寄ってくることは何となく察していたのだろう。目が合いそうになるとそっぽを向く。だが、アリスはそれに今更気を悪くしたりはしない。

 

 今、ジゼルの心にあるのは余人には分からない焦燥と恐怖、そして苛立ちだ。勿論、未だにアリスのことを信じられない気持ちから来る忌避感もあるのだろう。まして、あんな話を聞いた後なのだから。

 

 それでも・・・・・・何はともあれ、ジゼルはアリスを突き放すようなことはしなかった。

 

「・・・・・・何か?」

 

「精錬されているのですね。無駄のない槍術だと思います」

 

「まあ、日課ですので」

 

 素っ気ない反応にも、もう慣れた。アリスは不快感を与えない程度に、疲労で息の荒いシスターへ近寄る。

 

「私の槍は、ほとんどが我流なのです。基礎は一通り教わってはいたのですが、やはりそれだけでは実践で生きていくには厳しいので」

 

「嫌味にしか聞こえませんね。あれほどの槍を日頃から持ち歩いているということは、それだけ■と隣り合わせの人生を歩んでいるということでしょう」

 

 あの時、あの槍を預けられた時に、ジゼルは思い知ったのである。アリスという女性が、どれほど苦難に満ちた戦いを経験している人間なのかを。

 

「否定はしません。実際に、私1人では生きていく事はできなかったでしょう」

 

「それが、リュカくんですか・・・・・・」

 

 アリスは黙って頷く。

 

 手を取り合っている人がいた。同じ境遇の同志がいた。今日の自分が生きていると思えるのは、傍にいる大切な人と手を取り合っていたから。

 

 あの日々を、誰かに理解してほしいとは思わない。だが、リュカとの日々が本物であったことだけは決して忘れるつもりはなかった。

 

 そんなアリスの思いの丈を聞いたジゼルは、強く目を閉じる。ゆっくりと深い息をついた。

 

「・・・・・・本当に、信じられなかったです」

 

「・・・・・・はい」

 

 ジゼルの震えた声に、アリスは一言だけ返す。

 

「貴女が私の後輩で、私や他の人は貴女の記憶を無かったことにされた?」

 

「あの頃は、本当にお世話になったものです」

 

「貴女が世界から飛ばされた?」

 

「偽将軍・・・・・・いいえ、当時は偽王妃でした。彼が城の地下に存在していた旅の扉に、失われた魔法の術式を加えたそうです。魔物の言葉ですが、嘘は言ってはいなかったでしょう」

 

「その先は人が滅んだ未来の世界?」

 

「間違いありません。人間は私とリュカ以外には誰1人として見つかりませんでした。8年もの間、ずっと私たち以外の人間とは会うことは叶わなかったのです」

 

「さらに山のような怪物が世界中を彷徨いていた?」

 

「ブオーンという名の怪物です。私とリュカが2人がかりでも、手傷を負わせることが精一杯でした。申し上げにくいのですが、恐らくはそう遠くない未来にて生まれる魔物かと」

 

「・・・・・・」

 

 改めて事実のみを語るアリスに、ジゼルは頭を降る。そうでもしなければ、どうにかなってしまいそうだったからだ。

 

「・・・・・・アリスさん。やはり、私は貴女の言っている事が信じられません。貴女がラインハットの一味で、私たちを混乱させるために派遣されたとでも言われた方が、よほどしっくりときます」

 

 それは流石に心外です、とは言わなかった。今はまず、ジゼルの心を落ち着かせるためにも、苛立ちの矛先を自分に受け止めなければ。

 

 承知しています。受け入れられない話なのでしょう。さあ、苛立ちをぶつける相手は目の前にいますよ・・・・・・

 

 迷える修道女も、そんなアリスの気遣いを理性で理解してしまっているからこそ、遠慮無く言いたい事を口から吐き出すことにした。

 

「・・・・・・私は、貴女なんて知りません」

 

「そうですね・・・・・・」

 

「会ったこともありません。アリスなんて名前の女の子になんて、全く記憶にないんですよ! どうあっても記憶にない人なんて、赤の他人と同じじゃあないですか!!」

 

「そうですね・・・・・・ジゼルさんにとっては」

 

「やめてください!」

 

 ジゼルは、アリスを睨む。

 

「何をどう納得しろと言うんですか! 得体の知れない人間が現れただけではなく、私たちがこれから滅ぶ未来で生きていた人間とか・・・・・・頭がおかしくなりそうなんですよ、私たちは!!」

 

 そう言われてしまうのも無理はないと、アリスは思う。実際、自分がジゼルの立場なら、相手を信じられるか自信が持てなかった。そして、それはきっとあの兵士長やロジャースも同じ。

 

 事情を話し終えた後、彼らもまたジゼルと同じようにアリスに疑いの色を交えていたような気がする。いや、交えていたのだろう。ただ、あの時は彼女以外に頼れる人間がいなかったために、数々の疑念を棚上げしてくれていただけなのだと。

 

 だって、とジゼルは興奮がいくらか冷めたように呟く。

 

「・・・・・・そう信じた方が、ずっと楽ですから」

 

 そう。楽なのだ。そう思い込んでいれば、心の平穏を保てるから。

 

 だが――――

 

「ジゼルさん」

 

 アリスは、諭すように静かな口調で言った。

 

「私のことは、いくらでも疑って頂いても構いません。そして、約束致します。事が全て終わった後は、私は2度とジゼルさん達の前には現れませんと」

 

「・・・・・・」

 

「その方が、きっとお互いのために一番良いのでしょう。勿論、我らが神に誓わせて頂きます」

 

 ジゼルは、疑念の目に僅かな動揺が混じった視線を向ける。アリスはただ、真摯にその瞳を見つめ返すだけ。

 

「ですが、それでも私はジゼルさんにお願いしたいのです。どうか、お力をお貸し頂けませんでしょうか」

 

「・・・・・・」

 

「私は、あの滅びの未来を変えるために、その足がかりとして・・・・・・今、ラインハットと戦うことを決意したのです」

 

 ラインハットとの戦いの道は避けられない。誰もがそれぞれの力を最大限に生かせる状況になって、初めて勝ち目が見えてくるのである。信頼できないからといって、それに背を向けることなど許されないから。

 

 そして、それはジゼルとて理解している。頭を下げるアリスにそっぽを向いて答えた。

 

「何度でもハッキリと言わせて頂きます。私は貴女を信用してはおりません。ですが、今はアルカパのためにやるべき事があるのでしょう。私もまた、その事なら尽力を尽くすつもりです」

 

 アリスのためではない。それでも、アルカパのためならば彼女と力を合わせることを承諾する。ジゼルは確かに本心からそう言った。

 

「それでも構いません。本当に感謝致します。シスター・ジゼル」

 

 今度は深々と頭を下げる。頭を上げたとき、アリスは複雑な視線を向けている彼女と目を合わせる。

 

「それでは、先ほど兵士張様と話し合ったことを、ご報告させて頂いても?」

 

「・・・・・・ええ」

 

「今回の戦いは、アルカパの市民達の警護が必要ということもあり、ラインハットへ赴くのは少数精鋭ということになります。よって、戦いへ参加するのは兵士長を含めた3人の兵士のみです」

 

「・・・・・・兵士だけ? 貴女は行かないのですか?」

 

 多少の失望感を交えて言うジゼル。たとえどれだけ得体が知れなくとも、実力だけは本物だと信じていたのだが。それも、アリスから即座に否定が入る。

 

「勿論、私も戦力として参加致します。ただ、初めに赴く兵士長の方々は、あくまでもラインハットに対する動向の監視が目的です。私はラインハットへ向かう前に、どうしても手に入れなければならない物がありますから」

 

「手に入れるべきもの・・・・・・ああ、そうですか」

 

 合点がいった、という顔をするジゼル。ご明察ですとアリス。

 

「この世界に存在している、ラーの鏡です。それを修道院の許可を得た上で、必ず手に入れなければなりませんから」

 

 現在、正体不明の魔物が必ず太后に姿を変えているはずだ。そして、その魔物は少なくとも偽アルダンよりは実力が上の筈。

 

 ただ、相手もまた太后が偽物であるという事実を、こちらが知っているとは気づいていないはずだ。その辺りは、間違いなくアドバンテージになるはず。

 

「なるほど。それを手にした後、ラインハットで兵士長達と合流するのですね」

 

「はい。あの城には地下聖堂がありますので、城への侵入はそこから。ですが、まずは鏡を手に入れないことには何も始まりませんから」

 

「大筋は分かりました。それで、私は何をしろと?」

 

「そこで、お願いです。私と一緒に神の塔へ向かってはくださいませんか?」

 

 真摯に頼むアリス。ジゼルは若干の間を開けた後、首を左右に振った。

 

「その前に、こちらからもよろしいでしょうか?」

 

「あ、はい。何か?」

 

 ジゼルが逆に訊いてきたため、アリスはつい目を瞬かせる。

 

「確かに、私たちにはラーの鏡が必要でしょう。しかし、私に任せるのが不安というのでしたら、むしろ貴女が1人で取りに行く方が確実なのでは?」

 

 見抜かれていた。アリスは顔に出てしまっただろうかと反省する。流石にジゼルを1人で行かせるのは忍びないと思ったのだ。

 

 実際に、先輩シスターの言った通りの方が何よりも早いのだろう。アリスとて、あの世界では神の塔の扉を開けた実績のある修道女だ。何より魔物にも不覚は取らない。わざわざジゼルを連れて行く意味は無いはずだ。

 

 だが、1人で行くという選択肢は“もう”出来ない。出来ない理由が存在してしまっているのだ。

 

 こればかりは、説明するべきなのだろうかと迷う。ロジャースや兵士長の前で、唯一話さなかった事実。

 

「?」

 

 ジゼルは、突然黙り込んでしまったアリスに眉根を寄せる。何だろうか。何かおかしな質問だっただろうかと。

 

「・・・・・・じ」

 

「じ?」

 

「実は、大変申し上げにくいのですが、その・・・・・・」

 

 どことなく顔を引き攣らせ、しどろもどろになるアリスに、何か嫌な予感を覚えるジゼル。

 

 ふと、神の塔に関する逸話を思い出す。あの塔は神が信者の修練のためにお造りになられたと。そしてその扉は、信仰心を持つ乙女にしか開くことは出来ないという。

 

 そう。つまり“清き乙女”にしか・・・・・・

 

 ハッとするジゼル。アリスの訴えたいことを、ようやく察したのだ。

 

「・・・・・・アリスさん。貴女、まさか」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい」

 

 長い、とても長い沈黙の後、彼女はゆっくりと頷いた。顔を真っ赤にし、非常に気まずさを覚えつつも彼女は肯定したのだ。何となく、証拠を突きつけられた犯人の気分を味わうアリス。

 

「実は、その・・・・・・リュカと」

 

「な、な、な・・・・・・!」

 

「ついでに申し上げますと・・・・・・塔の中で」

 

 そこまでは訊いていない。

 

「kl;cjsdlK・・・・・・!」

 

 口をパクパクさせ、ジゼルの方こそ顔色がリンゴのように変化していく。ワナワナと竹の槍を持つ手が震え、身に染みついた動作で構えを取った。

 

「いえ、しかし言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、後悔はしていません。神のお膝元で何をと思われることは重々承知ですが、こちらと致しましてもあの状況下でしたし、お互いに生きて帰れるか分からなかったのです。さらにあの時は色々と勢いに任せてしまったという反省も今となっては無いこともありませんが、きっと神もあの世界の状況は誰よりもご理解していらっしゃっていたはずですので、きっとお許しになられているでしょうという確信があったのです。ならばこそ、彼を受け入れるというのでしたら、あの一夜をおいて他にはあり得ません。リュカは私にとってかけがえのない相棒にして愛した人。痛いくらいにひたむきで頼もしい男性で・・・・・・あの、シスター・ジゼル?」

 

 言い訳なのか惚気なのか分からない言葉をまくしたてるアリスに、一切の表情が消えたジゼルが竹の槍でアリスの脳天、を――――

 

「神に代わって・・・・・・神罰です」

 

 ――――渾身の力で、ぶん殴っていた。

 

 

 

 

 迎えた翌日の朝は、澄んだ晴れ空だった。

 

 前日の昼間から夜を休息に費やしたおかげか、このアルカパで目を覚ました者達は少なくとも昨日よりは若干ではあるものの、心に余裕を取り戻している様子だ。

 

 それでも、彼らの顔には緊張の色が浮かんでいる。無理もない。これから国を相手に反乱を起こすのだから。しかも、ほんの一握りの人間だけで。

 

 町の出入り口でこれから旅立つ者達を見送るシスター・カノンの表情は、まさにその事実を噛みしめていたと言えよう。

 

 そしてラインハットへと向かう兵士長と兵士数名は、別働隊として既にこの地を発った。神の塔へ向かうジゼルとアリスも、途中まで同行する。

 

 途中といっても、この日だけは少なくとも共に移動をする予定だ。平原沿いに東に向かえば、途中でサンタローズの村へ立ち寄る。そこで夜を明かし、改めて東に向かいつつ、それぞれが南北へ別れる手はずなのだ。

 

 サンタローズの村。そういえば、この世界に来てからというものアリスにとっては足を踏み入れるのが8年ぶりとなる。幼少時代の時点でラインハットの兵士達に焼き払われてからは噂すら聞いていないが、今はどうなっているのだろうか。

 

 青々とした雑草を踏みながら行軍する一行の中、アリスは何気なく村の現状を訊いてみることにした。ジゼルは平坦な声で答える。

 

「人はいます。故郷を離れたくないのだそうで」

 

「ああ・・・・・・誰かが暮らしてはいるのですね。」

 

 納得する。残念ながら、あの村は焼き払われてからも復興の気配は全くないという。一番出資や人手に尽力を傾けるべきラインハットが、この有様なのだから当然だが。

 

 だが、それでもアリスにとっては僅かながらも安心した。何しろ未来の世界では、人がいたかどうかすら分からないほどに踏み固められていたのだ。誰があの場所に、かつて人が暮らしていたなどと思うのだろうか。

 

 そして、数時間ほどの時間をかけて一行はサンタローズへと到着した。

 

 村は、アリスの記憶にあった風景に酷似している。燃えてなお残った木製の門。あちらこちらに点在している民家は、壁や屋根が崩れたまま手が加えられてはいない。瓦礫を撤去できる者がいないのだろう。

 

 村の出入り口付近には、今や有毒な浅い沼が発生している。触れただけでも健康を害する恐れがあるので、村に入る際にはいくらか迂回しなければならなかった。

 

 丘の上に上がると、朽ち果てた墓が纏まって建てられてあるのが見える。随分と古いようだが、アリスが村を出てから何かがあったのだろうか。

 

「少々申し上げにくいのですが、我が国はこの村にも一度攻め入ったことがあるのです」

 

 兵士長は、どこか言いづらそうだった。今この場で訊く事ではなかっただろうかと思ったが、彼は言葉を続ける。

 

「自分はその時、まだ一般兵になったばかりですので、詳しいことは人聞きでしかありませんが」

 

「パパスさんが、当時の第一王子誘拐事件の容疑をかけられたためでしょうか?」

 

 それだったら、アリスもよく知っている。というよりも、村の中で兵士達を説得したのが他ならぬ彼女だったからだ。

 

「それもありますが・・・・・・しかし、その後の事です」

 

「その後?」

 

 その後といえば、確かビルという名の青年を初めとした兵士達が、サンタローズで村人達を守ってくれていた頃だ。一体、彼らはどうなったのだろう。

 

「それが、当時は誘拐事件についてかなり懐疑的に考えている方もいらっしゃいまして。サンタローズの代表として、我が国の兵士が村のシスターと共に抗議をするために参ったのです」

 

 間違いない。アリスを助けてくれたシスターのミランだ。自分を命がけで逃がしてくれた恩人でもある、優しい先輩。

 

 そして、そのシスターには本来、自分も混じっていたのだろう。だが、この世界ではアリスの存在が無かったことになっているので、ミランだけが村の代表として向かったという事になっているのか。

 

「そのシスターを含めた兵士達が・・・・・・全員、姿を消してしまったのです」

 

「・・・・・・全員が行方不明、ですか?」

 

「はい。残念ながら、今はもう生きている可能性は低いかと」

 

 当然だ。8年も姿が消えてしまった挙げ句、今のラインハットは反抗分子を徹底して処刑している有様なのだから。

 

「了解しました。わざわざ教えていただき、感謝致します」

 

「いえ・・・・・・」

 

 それ以降は話題を打ち切り、村の奥へと向かう。兵士が崖の壁をくり抜いたように存在している扉を開けると、中には最低限の宿泊用の設備が整った空間があった。

 

 アリスは思い出す。ここはかつて、薬師のグータフが暮らしていた自宅であり、工房でもあった。村人が病気になった時は、本当によくお世話になったものだ。

 

 今はもう、助手共々別の土地へと去っていったらしい。村が焼き討ちになった時、まだビスタ港に船が行き来している間に、別の大陸へと移ったのだ。今はもう、どこで何をしているのかも分からない。

 

「まあ、お客様なんて珍しいこと」

 

 そんな調子で宿の女将らしい女性に驚かれつつも、彼らは一泊する手続きを取る。もともと儲けるために経営しているわけではないらしく、払ったお金も安上がりな額であった。

 

「昔はもっとしっかりした宿屋があったんだけどねえ・・・・・・こんな所だけど、ゆっくりと疲れを癒やしていっておくれよ」

 

「ありがとうございます」

 

 ラインハットの兵士の手前、あまり多くを語らなかった女将だが、心中お察し致しますと言葉を続けたアリス。

 

 それぞれのベッドのそばに荷物を置く。食事や就寝にはまだ時間的な余裕があったため、アリスは一度村の中を歩いて回ることにした。痛ましい風景の中を歩くことになるのだろうが、それ以上に今現在のサンタローズの姿を覚えておきたかったのである。

 

 散歩に行ってきますと告げて、外に出るアリス。僅かな風と荒廃した村の風景が再び彼女を出迎えた。

 

 かつて人口こそそれほどでも無かったものの、自然と共に生きる人々が確かにこの村にはいたのだ。畑を耕し、清涼な川の水を汲む毎日。野菜と共に時間を過ごし、温かい食事と共に夜を越す。

 

「・・・・・・」

 

 やはり、この村がいつまでもこの風景のままというものは、寂しかった。未来の世界に比べれば、まだ人の生活の名残があるとはいえ、あんな光景と比べてはいけない。

 

 ふと、アリスは立ち寄るべき場所があったことを思い出す。いけない。半分はそのために外へ出たというのに。

 

 足早に、アリスはこの村で唯一無事な建物へ向かう。かつて暮らしていた場所、教会へ。

 

 記憶にあった教会の建物は、今では所々にヒビや傷が目立つようになっている。人手が無く、手入れが行き届いていないのだろう。

 

 それでも、人は居る筈。そんな期待を込めて、今は何となく小さくなってしまったような印象を覚える扉を開けた。

 

「あ・・・・・・」

 

 思わず、声が出てしまう。中には、あの見慣れた長椅子に、小さな聖堂や懺悔室。僅かに奥の扉の向こうには、神父やシスターが寝泊まりする寝室がある筈。

 

 だが、そんなアリスにとっての懐かしい光景の中に、人間は誰1人としていなかった。床には埃が積もり、もう何年も人の出入りが無いことの証拠だ。

 

 あの厳しくも優しかったグレン神父も、あのシスター・ミランも。かつて居た家族も同然の人達は、ずっとここには来ていない。

 

 そう。理解していた。あの時点では生きていたグレン神父も、今ではどうなっているのかは分からない。ミランに至っては、もはや生きているかすら不明だ。

 

「・・・・・・」

 

 アリスは、無言で扉を閉めた。おそらく、ここへはもう来る事は無いだろう。またこの場へ足を踏み入れるときは、きっとこの教会に居た誰かがこの村へ戻ってきたときだけだ。

 

 ――――それまでは、どうかお許しください。

 

 心の中でかつての思い出の場に礼をしつつ、彼女は背を向けた。

 

 歩いていくうちに、リュカが暮らしていた家を通り過ぎる。あの逞しかったパパスや、大らかなサンチョの記憶は、今でも思い出せた。そして、心が和むあの瞳を持った彼の事も。

 

 年季の入った橋を渡り、いくつもの崩壊した建物に礼をする。そして、たどり着いた先は――――この村で■くなってしまった人々の墓。

 

 アリスには分かる。あの8年前、この村を守ってくれた兵士達は、全員が■されてしまったのだと。兵士長は行方不明と言っていたが、あれは言葉を濁しただけ。もしくは、ただ■体が見つかっていないだけなのだろう。

 

 せめて、あの人達がかつて生きていた事実を残すために、あえて墓を作ったのかもしれない。もちろん、すでに■体が見つかっており、ここへ埋葬されたという可能性もあるが。

 

 アリスには、出来る事など決まっている。彼らが、神の元へ召されるように。せめて、魂は安らかに・・・・・・

 

 ――――この魂に、我らの神より哀れみを。我らは主神たるmasterの身心のままに。

 

 祈りを捧げるアリス。そこへ、背中から声がかかる。

 

「あれ、何してるの。お姉ちゃん?」

 

 閉じていた目を開け、後ろを振り向いた。いつの間にか、目を瞬かせてこちらを見上げている小さな男の子が立っていたのだ。

 

 誰だろうかと思ったが、まずはこんな小さな子供の疑問を解く方が先だと思い直す。アリスは膝を曲げて、少年と同じ目線になった。

 

「こんにちは。実は、このお墓で眠っている人達にお祈りを捧げていたところなんです」

 

「ふうん。お姉ちゃんって、この村の人?」

 

 子供らしい不躾な質問ではあったが、アリスは困ったように笑う。それは少しだけ答えにくい質問だったからだ。

 

「そうですね。少しだけ、この村に住んで仕事をしていました。あそこの教会で、毎日働いていたことがあるんですよ」

 

 遠くに建っている教会を、手で指し示す。納得がいったのか、少年は目を輝かせてアリスに詰め寄った。

 

「そうなんだ。でもあそこって、凄い昔から人が来てないんだってさ。お母さんが言ってた」

 

「そう、ですね。今は私も、別の場所で暮らしていますので」

 

 やはり、あの教会は管理している者すらいない。その寂しさを心にしまい込み、アリスは笑顔を少年に向けた。つられて、男の子も歯を見せて笑った。

 

「ねえ、お姉さん。この村に人が来たのって、久しぶりなんだ。よかったら、一緒に遊んでよ」

 

「あ・・・・・・」

 

 一緒に遊んでほしい。その何気ない言葉に、アリスは心の中で何かが温かくなったような気がした。

 

 そうだ。思えば、そんな場所で遊ぶという行為ができるというのは、どれだけこの村にとって意味のある事だろうか。

 

 全てが焼かれ、人が居ない小さな世界。だが“それがどうした”というのか。

 

 それが“これからも滅んだままの世界でいる理由”になるのか。そんなはずが無い。

 

 なるほど、確かに村を焼かれたことは悲劇だ。人が去っていったことも道理だろう。だが、それだけだ。

 

 避けられない悲劇によって滅んでしまったというのなら、また始めればいい。その村をもう一度甦らせたいという意思があるのなら。

 

 村はもともと過去の人間が力を合わせて、長い年月をかけて造りあげた土地だ。初めからその土地にあったわけでは無いのだから。

 

 そんな当たり前の事を、まさか子供から教わるなどとは。アリスは、自分の未熟さを痛感する。

 

「あれ、どうしたの?」

 

「え・・・・・・?」

 

「目から、涙が零れてる・・・・・・」

 

 その心配そうな声に、アリスは自分が涙を流していることにようやく気づいた。いけない。どうりで視界が歪んでいると思った。

 

「あの、僕・・・・・・酷いこと言っちゃったの? だったら、ごめんなさい」

 

「いいえ、違うのですよ。謝るのは私の方なのです。突然泣いてしまうなんて」

 

 そっと指で目元を拭う。僅かに顔が赤くなっているが、もう先ほどまでの過去の不幸に憂鬱になっていた時の暗さは消え去っていた。

 

「わかりました。一緒に遊びましょう。何をしましょうか?」

 

「いいの? ありがとう! それじゃあさ、僕――――」

 

 こうして、アリスは男の子と遊んだ。

 

 村中でかけっこをして、疲れたら川辺で休む。昔のサンタローズがどんな村だったのかを教え、男の子が驚いたり笑ったり。

 

 過去のサンタローズの村人が、もしこの場にいたら誰もがこう思ったであろう。まるで、在りし日のリュカ君とアリスちゃんのようだ、と。

 

 2人は遊んだ。日が暮れるまで、遊んだ。

 

 

 

 

 夕暮れの中、何度目かのかけっこをするアリスと男の子の姿を、宿の近くに立ったまま眺めていた兵士長は、どこか微笑ましいものを見るようであった。

 

「美しいものですな。ああいった天真爛漫な姿を見るのは、本当に何年ぶりでしょうか」

 

 実際、それは今の情勢を生きている者にとっては本当に眩しい光景だったのだ。日々、圧政と弾圧を味わい続けている彼らは、子供の笑顔やそれと共に楽しむ誰かという姿など、記憶の彼方にあるのだとずっと思い込んでいた。

 

 だが、違った。そんな光景はほんの少し見るのが難しくなってしまっただけで、確かにあったのだ。まだ残り続けている平和への階は、今もなお目の前にある。

 

そんなアリスと男の子の姿に、彼らは勇気を貰う。そして、それは傍に同じように見ている兵士達と――――ジゼルも。

 

「シスター・・・・・・いえ、ジゼルさんでしたね。貴女は、まだあの女性の事を信じられませんか?」

 

 兵士長は、ジゼルに呼びかける。彼女も、やはり眩しそうに――――だが、どこか複雑な目でアリスの笑顔を見つめていた。

 

「・・・・・・アリスさんが、私たちを騙そうとしていたわけでは無いことは、早いうちから気づいていました。ただ、ずっと彼女の話には色々と齟齬が生じていたため、それを中々信じることが出来なかったのです」

 

 遠目には、アリスよりも早く橋を渡りきる男の子と、必死に追いかけるフリをしているアリスの姿が見える。あんな20歳にも届いていない女の子が乗り越えてきた過酷な道を、ジゼルは昨日のアルカパで知ってしまったのだ。

 

 従来の人間の人生では、到底堪えることの出来ない重さ。己の器などでは決して受け止めきることの出来ないほどの。

 

 ――――これまで己が絶対に否定したかった、滅びの定め。

 

「初めて会った時から、心のどこかで思っていました。この人は、嘘を言っていないんじゃないかと。ただ、何故自分の認識と違うことを言っているのかが理解できなかっただけで」

 

「そうですな。私も、にわかには信じられませんでした。だが、あの子の話にはどこか説得力を感じたのです。まあ、世界が変わってしまったような錯覚を受けてしまったことは事実ですが」

 

 そしてアリスは今、本当に世界を変えるための人生を“歩まなければならない”。その、滅んだ世界で生き抜いてきた人類として。

 

「それでも・・・・・・」

 

 僅かな間を開け、ジゼルは言った。

 

「それでも、私は・・・・・・あの子を認めたくはないのです」

 

「・・・・・・」

 

「何一つ、実感が無いのです。私がかつてあの子と会っていたという話も。私の記憶が、まるで偽物なのではないかなどと、考えたくもないんですから」

 

「そう、ですね。それは、本当にお辛いことです」

 

 当然だ。ジゼルの叫びに近い言葉は、誰もが当たり前の事なのである。

 

 誰であろうと、自分の記憶は本物かどうかなどという可能性を突きつけられて、冷静になれるはずも無い。これだけは、ジゼルの意地だ。

 

「きっとこの旅の道中は、私があの子に心を開くことはないのでしょう。これさえ乗り切ってしまえば、私たちはきっと2度と会うことは無い。それが、お互いの為なのです」

 

 あの子も承諾済みですからと、ジゼルは力無く笑った。兵士長はその弱々しい笑みが、アリスという人間を理解しようとする事を放棄した諦念からくるもののようにも見えた。

 

「あの、ジゼルさ・・・・・・」

 

「すみません、兵士長様。私は、早めに休ませて頂きます」

 

 兵士長が何かを口にする前に、ジゼルは背を向けた。そのまま宿屋に入り――――

 

 ――――そっと、扉を閉めた。

 

 

 

 

 そして、次の日の朝。名残惜しそうな男の子を宥めつつ、サンタローズを出発した一行。

 

 兵士達は北の関所へ。

 

 アリス達は南の修道院へ。

 

 新たなる決意や、未だに燻り続ける迷い。誰もが己の心に思いを秘めて。

 

 それぞれが、向かうべき道を歩み続けた。

 

 

 

 

つづく

 




「物語を書いていると、キャラが勝手に動く時ってありますよね?」
(男の子をここまで活躍させるつもりはなかった人)
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