サンタローズから発った兵士長達は、2名の部下を連れて国境の河を隔てる関所へと向かっていた。
行路は彼らにとっては慣れたもので、続く草原を歩みつつ、かつて来た道を戻っていく。
関所へたどり着いた頃は、すでに夕暮れの時間。当然ながら、見張りの兵士には他の将軍を含めた兵士達がいないことに不思議な顔をされたが、そこは虚言であしらった。
「将軍の指示でな。太后様に伝達事項ができたのだ」
「そうでしたか。お疲れ様です」
上の命令とあらば、それ以上の詮索はされない。兵士長達は堂々とベッドのある部屋で夜を明かすと、早朝にラインハットへ向かっていった。
城が肉眼で確認できるほどの距離にたどり着いた頃、城下町へと足を踏みいれる。その光景は、何度見ても彼らの心に鬱屈した思いを抱えてしまう光景が広がっていた。
3人は既に、市民が身につけるような布の服に着替えている。僅かに髪型を変えてしまえば、ほぼ別人の印象に変わった。これで堂々と街中を歩くことができる。
街並みからして、既に異様といえる。かつては町人達が所狭しと露店を開いていた街並みが、今ではどこにも店を開いている様子がない。いや、そもそも通行人が細々としか見当たらないのだ。
誰もが修繕もできない古ぼけた家に引き籠もり、通行する者を警戒しているのだ。こうして道を歩いているだけでも、窓や扉の隙間を慌てて閉める音が聞こえてくる。城下の一般人にとって、兵士達はおろか通行人すらも恐怖の対象なのだ。
かつては繁盛していた店舗や民家の隅には、粗末な布切れに身を包んだ者達が身を固くする。彼らも、一昔前までは何不自由のない生活を送っていたはずなのに。
重税に堪えられず、身を崩してしまった者達。理不尽な罪を着せられ、一家の大黒柱を失ってしまった者達。今のラインハットには、貧困と不自由しかない。
「何度来ても・・・・・・俺、ここを通るのが辛いです」
兵士長の後ろを付いている兵士の1人が、ポツリと呟いた。その言葉は、今のラインハット兵士達の総意でもあったからだ。
「国のために兵士になろうと思って志願したのに・・・・・・こんな風に、一般市民の皆に恐がられるのって、やるせないですよね」
「心意気は皆も同じだ。その怒りは、もう少しだけ取っておけ」
「・・・・・・はい。あのアリスっていう人が、ラーの鏡を持ってくるんでしたよね」
「おい。あまり大きい声では言うなよ。どこに耳があるか分からないんだからな」
隣の兵士が、同僚の腰を肘でつつく。そうとも。まずは、彼女が来てから全てが始まるのだから。
アリス。あの女性は、本当に兵士達にとっては最強のジョーカーといっても過言ではない存在であった。陰鬱な日々を送ることしかできなかった彼らにとっては、まさに願ってもない希望になるだろう。
勿論、彼女の全てを信じられるほど兵士長達は警戒を解いたわけではない。彼女の過去の話は、常人には到底受け入れられないほどにスケールの大きいものだったからだ。
だが、それも出会って間もない頃に比べれば薄れ始めている。今は、信じてみようという気持ちの方が遙かに強かった。
今は、彼女らは神の塔へ入った頃だろうかと思う。修道院への交渉や塔へ向かう時間を考えると、まだしばらくは日数がかかるだろう。その間に、こちらも内部からの監視を怠らないようにしなければ。
だが、そう考えていられたのも、それと出くわすまでのことだったのかもしれない。
「――――待て」
右横の路地から突然、人影が姿を見せた。いや、人の形をしたモノであった。
魔物だ。名前を、彷徨う鎧。
兵士の怨念が宿る鎧。手に持つ剣は、明らかに敵を前に捕らえているが故に。
「貴様ら、こんな所で何をやっている」
魔物にとっても不意の遭遇だったらしい。不審な声で、兵士長達を見据えていた。
「お前達は、アルカパの様子見に向かったはずだ。将軍が戻っていないというのに、何故お前達が先んじてこの城下町にいる?」
「何のことだ。他人のそら似ではないのかな?」
兵士が反論するも、流石に悪あがきだとは誰でも分かる。彷徨う鎧の剣を握りしめる手が強くなった。
「誤魔化せると思うか。兵士長と、その部下だろう。わざわざ市民の衣服に着替えているとは、何かの変装のつもりか。どういう理由か、説明してもらおうかな」
「・・・・・・」
マズいな、と兵士達は思う。まさか、こうも早く敵側に見つかってしまうとは。
閑散としているとはいえ、ここは城の城下町だ。さすがに、誰1人として通行人がいないというわけではない。だから、人々の中に紛れるという考えは正解と思っていたのだが。
彼らの沈黙を、見回りの魔物は敵対行為と認識したらしい。兵士長達に近寄る足の動きが、戦闘のそれに変わっていく。
「裏切りと認識したぞ。覚悟しろ!」
剣を振りかぶり、兵士長の首を狙う一撃。だが、それは別の方から伸びた剣によって防がれる。傍らの兵士が間に割って入ったのだ。
金属音が鳴り、火花が散った。それに眉1つも動かさないまま、兵士長は隠し持っていた剣を抜く。
「むんっ!」
「ごっ!?」
気合いと共に胴体を一閃。上半身と下半身が分かれた魔物は、空の鎧が転がり落ちるような音と共に絶命する事となった。
「おお、さすがは兵士長ですな」
「馬鹿、感心している場合か。見ろ!」
呑気な同僚を叱責する兵士は、通路の奥を指さす。声を聞きつけて、他の魔物達がこちらの近辺を彷徨き始めているのだ。
まだこちらには気づいてはいないようだが、このままでは見つかるのも時間の問題だろう。こうなっては、監視をする前に自分達の安全を確保しなければならない。
「――――」
彼ら3人は頷き合うと、来た道を全速力で引き返していく。城下町の入り口付近の方が、一般人の数は多いはずだからだ。
カツン、と固い床を踏む音が鳴り響く。
響く、といってもそれは傍にある壁に反響しているわけではない。神の塔の中央を大きくくり抜かれてあるように存在している大穴の奥に、だ。
流石に神への試練という言い伝えは確かなようで、この場へ足を踏み入れた人物は、まずこの穴の周辺を大きく迂回しなければ次の階段へはたどり着けない。その迂回するルートも、一歩間違えれば穴の奥へ真っ逆さまになるほどの狭い通路なのだ。
当然、この塔を上らなければならないアリス達も例外ではない。フローラとジゼルも緊張感を持ってこの試練へと挑んでいる。
先頭を歩いているアリスは、むしろ平静のまま。特に足元を気にする必要もなく、正面から現れたドラゴンキッズやエビルプラントといった魔物達を、手に持つチェーンクロスであしらっていた。
ようやく階段へ続く通路に来たとき、残りの2人は大きく息をつく。広い足元が、本当に有り難いと感じた。
「ぶ、武器を操りながら、よくもまあ余裕そうですね・・・・・・」
ジゼルが額の汗を拭いながら、アリスを恨めしげに見やる。何となく、格差を見せつけられているような気分だった。反対に、フローラは胸を押さえつつも尊敬に近い表情である。
「・・・・・・流石です、アリスさん。わ、私もこの試練が終わる頃には、アリスさんに近づけていると良いのですが」
「いえ。私の背中などを追いかけても仕方がないことですよ、フローラさん」
「いえいえ。アリスさんの姿は、まさに修道女として人を守り、導く姿に相応しいものだと思います。どうか、あまり自分を卑下せずに」
「・・・・・・私はもう、修道女ではないのですが」
つい、ポツリと呟いてしまう。神ではなく、人の子に純潔を捧げた今となっては、アリスはもはやシスターの道は閉ざされているからだ。
だが、それで良いと思う。たとえ神に見放されたとしても、私は彼の手を取ると決めたのだから。神の花嫁を捨てた事で誰に非難されようとも、甘んじて受けましょう。
3人は階段を上り、L字の通路を奥へ。その先にまた階段があり、今度は5階へ進む。この先が、屋上の筈だ。
そこで3人の前に広がったのは、常識では考えられない構造となっている橋。巨大な吹き抜けの上、人1人分の細い床が向こう側の広間に向かっている。そこにラーの鏡らしきモノが肉眼で確認できた。
だが、そこへ至るための床は中央付近が空白となっていた。まるで、渡り廊下が根こそぎ奪われたかのように。
「何ですか、これは・・・・・・足場も無いのにどうやって向こう側へ行けと?」
ジゼルは至極当たり前の疑問を口にする。確かに、この場を見れば誰もがそう思うことだろう。
だが、生憎とここは神の塔。常人では成功できない試練が待っていることは百も承知だ。
「フローラさん。分かっていると思いますが・・・・・・」
「はい。確か、神の塔に関する書物には、こう記されておりました」
一拍おいて、フローラは自分の記憶の糸を探る。
「見えるものだけに惑わされてはならない。勇気を持って一歩踏み出す者にこそ、真実に到達できる、と」
「正解です」
アリスはニコリと笑う。やはり、フローラは極めて優秀な修道女だ。
実際、アリスはあの絶望の世界でこの試練をクリア済みだ。ブオーンと戦う前、初めにこの場へ訪れた時は、リュカと共に驚いたものである。
「では・・・・・・参ります」
フローラは一度だけ深呼吸をすると、通路の先へ足を踏み出す。ジゼルが緊張に満ちた目で彼女を見守る。
「・・・・・・あ」
ジゼルは思わず目を瞬かせた。フローラの身体は落下することも無く、ただ淡々と前へ進んでいるだけであった。
続いて、驚くこともないアリスがフローラの後を付いていく。ジゼルは僅かに迷ったものの、2人の後を進んでいった。
目の前にあるのは、質素ながらも立派に飾ってある鏡。その輝きは、まさに真実を映し出すに相応しいほどの神秘性が溢れていた。これが、現代に生きるラーの鏡。
「・・・・・・恐れ入ります、我らが神よ。この求道者に、真実を映し出す鏡を手にすることを、お許しください」
フローラは片手を胸に当て、高らかに叫ぶ。かつて神を疑う少女が手にしたとされる、ラーの鏡。フローラの求めに答えるように、ひときわ大きく輝いた。
――――許します・・・・・・
と、真上から声が聞こえたのは、気のせいではないだろう。
上を見上げると、視界いっぱいに広がる昼の空。雲が少なくなり、晴れが広がっている群青色の空だ。
ふと気づくと、フローラとジゼルも同じように空を見上げていた。続いてお互いを交互に見やる。どうやら、聞こえていたのはアリス1人ではなかったらしい。
「・・・・・・今の声、聞こえましたか?」
「・・・・・・聞こえました」
「な、何を言っていたのでしょうか。誰が、どこから・・・・・・?」
アリスとフローラは、ある種の確信を持って頷く。ジゼルだけは、突然のことに上手く聞き取れなかったらしい。
間違いない。今の言葉は、まさしく――――かつて神の試練を乗り越えた、少女の声。ラーの鏡に宿った思いの言葉。
「・・・・・・とにかく、このラーの鏡を我々は授かったのです。これはきっと、神のご意志ということでしょう」
フローラがラーの鏡を手に取りつつ、言う。今は、まずこちらを優先しなければならない。
「同感です。今は一刻を争う時ですから。神よ、貴女様の御慈悲に、多大なる感謝を」
アリスもまた祈りを捧げると、来た道を引き返そうとする。と、何を思ったのかアリスは吹き抜けの底を覗き込んだ。
「アリスさん?」
不思議そうにするフローラに、アリスはあくまでも真剣な目で塔5階分の高さの底を見つめる。僅かな間の後、フローラとジゼルに向かって言った。
「フローラさん、ジゼルさん。先ほども申し上げましたが、今は一刻を争う時です」
「その通りです。だからこそ、急いで階段へ向かわなければいけないのでしょう?」
何を言っているのかというジゼルに、アリスは無言でジゼルの腰に手を回す。続いて、フローラの腰にも。
「え、ちょっと何を」
「アリスさん?」
「ですので・・・・・・こうした方が早いと判断いたしました」
グッと、2人の拘束を強める。アリスはどこまでも真面目な表情のままで――――
「まさか、嘘でっ」
「あら?」
――――1階の中庭に向かって、跳躍した。
ほぼ円錐状に吹き抜けが造られている神の塔の構造。その内部の壁を螺旋状に駆け抜けながら、衝撃や落下速度を落とし続ける。いっそ発想からして既に超人芸といって差し支えないほどの運動能力を駆使するアリス。
4階、3階と数秒も経たずに地上へと近づいていく一行。まだ塔の内部に住み着いている魔物ですら、何が起きているのか理解できない表情で棒立ちになっていた。
「+SW<C`」EW<CX+S<CX・・・・・・!」
「きゃあああっ!」
ジゼルはもはや、悲鳴すらも覚束ない。フローラはむしろ、どこか楽しそうですらあった。
中庭の地面がいよいよ近づいてきた時、アリスは完全に落下速度を消すために壁を真横から蹴り飛ばし、反対方向へ飛んだ自分と2人分の身体を空中で宙返りさせる。そして、最後は優雅さすら覚えるほどの着地で地面を踏みしめた。
「突然のご無礼、申し訳ありません。ですが、これが最も早く一階へ戻る手段でしたので」
「いえ。珍しい体験でした。むしろ、少々楽しさすら覚えてしまったほどですわ」
普段の調子で話すアリスに、フローラは本心からそう言い切った。
「あ、あ、貴女という人は・・・・・・うっ、気分が・・・・・・」
血の気が失せている様子のジゼルは、口元を手で覆う。まあ、常人ならば当たり前の反応である。
「突然このような行為・・・・・・心臓に悪すぎます。貴女、本当に元修道女なのですか・・・・・・?」
「? 修道女だからこそ、ですが」
「だからこそ、ですか・・・・・・」
妙に納得をしてしまいそうになる一言であった。何か反論をしようとして、口をパクパクさせるジゼル。
「それよりも、アリスさん。こちらのラーの鏡が必要なのでは?」
そう言って、フローラは鏡を差し出してくれた。彼女の視線は、真っ直ぐにアリスに向けられている。
「はい。本当に、ご助力に感謝致します。シスター・フローラ」
「いいえ、貴女様のご協力が無ければ、ここまでの道中における負担を軽減することは叶わなかったことでしょう。こちらこそ、多大なる感謝を」
互いに礼をする。続けて、ジゼルにも。
「こちらの都合でここまでのご同行、まことに感謝致します。私はこれから、急いでラインハットへ赴かなければなりません。大変御勝手ながら、これにて失礼させていただいても?」
「ええ、ご武運を」
簡素な返事を返すジゼル。そもそも、彼女は扉を開けるために同行していたのであって、フローラが来ると分かっていれば、ここまで来る必要も無かったのだが。なにより、フローラが扉を開けた時点で、そのままアルカパまで引き返しても良かった筈。
それをわざわざここまで着いてきてくれたのは、やはり彼女の本質が律儀だからなのだろう。なんだかんだで、シスター・ジゼルという女性は本当に優しい人間なのだ。
だが、ラーの鏡を渡されたアリスに、フローラが声をかけた。
「あの、その事なのですが・・・・・・アリスさん」
「はい?」
「私も、アリスさんの戦いにご同行させてはいただけないかと」
「えっ・・・・・・」
「フローラ!?」
これには、アリスとジゼルも驚く。しかし、フローラの目は変わらずに真剣だった。
「お願い致します。私も一緒に行きたいんです。事情を聞けば、これはもうアルカパの諍いの一言で片付けられる話では無い筈。この国全ての問題なのです」
だからこそ、自分にも何かできる事をしたいと。そうフローラは訴えた。
その思いは、まさにアリスが未来を変えるための戦いに身を投じたその決意と、全く同じであった。
「それに、私の知らないところでアリスさんのような方の身にもしもの事が起こったらと思うと・・・・・・」
「・・・・・・」
アリスは、一度だけ瞳を強く閉じる。再び瞳を開いたとき、アリスもまたフローラを見返した。
「・・・・・・危険ですよ。もしかしたら、同じ人間同士で戦い合う事になるのかもしれません」
「・・・・・・命は奪いません。そして、それは魔物に対しても同じです」
アリスさんと同じように。フローラは口に出さずしてそう伝える。
「何より、フローラさんに何かあったとしても、私たちは助けられる保証はありませんよ?」
「構いません。自分の身は、自分で守ります」
しばしの間を作ることも無く、アリスはフローラと共にラインハットへ向かうことを承諾した。彼女もまた、言葉で諦めるような覚悟ではないと察していたからだろう。
それは、この短い時間の中で生まれていた確かなsympathy。
「シスター・フローラ・・・・・・」
そのやり取りを見ていたジゼルが、天を仰ぐ。自分よりも遙かに年下の女性が2人、命を賭けた戦いに自分から飛び込もうとしている。いったい、いつの間にフローラもまたアリスの影響を受けてしまったのだろうか。いや、もともと心の奥底ではそんな心を持っている女性だったのかもしれない。
「・・・・・・」
私は、その領域へ行くことはできない。彼女達よりもずっと年上で、先輩なのに。戦いの訓練を受けているかどうかという問題では無い。もっと単純な、人としての強い心の差なのだろう。
ジゼルは、何となく確信があった。きっと、フローラならばアリスの過去を知ったとしても、ありのままの心で理解して受け止めることができるのだろうと。自分のような器では、それができなかったが故に。
だから、そんな2人の姿が少しだけ悔しくて。意地を張って、さっき怖い思いをしたばかりだというのに笑顔などを作って。
「素晴らしい覚悟です、シスター・フローラ。それでは、一刻を争う事態ですのでアリスさん共々お急ぎを。リディア司祭の説得は、どうかお任せください」
――――共に神を信じる者として、自分が出来る事をしなければ。
「ふ、う・・・・・・はあ、ハア・・・・・・!」
息が整わない。汗が水分として流れているというのに、口の中だけは乾ききったまま。
唾を呑み込もうとするが、今は気を抜く暇などありはしない。手で握っている剣の感覚が、やたらと重く感じた。
男――――兵士は、人気の無い大通りでひとり、己の疲弊を感じ取っている。自分とて軍の兵士として鍛えていた身だ。だが、それを差し引いてもこの状況は、いささかあんまりではないかと思う。
もう、この城下町へと舞い戻ってから丸1日が経った。その中で、何度自分を挟み撃ちにしてくる魔物達と戦ったのであろうか。骸骨兵やスライムナイト、さらには魔法を使う魔道士までが、途方も無い数で襲いかかってくる。
どれもこれも、あの偽将軍や偽であろう太后が雇った魔物達だ。もはや、こちらの存在は完全に上層部に知れ渡ってしまったらしい。完全に包囲された。
今の自分達は袋のネズミ。上司である兵士長と同僚の兵士は、つい先ほど離ればなれになってしまっている。どうやら、意図的に分断させられたようだ。
真横から、鋭い槍が突いてくる。兵士は剣を振るい、弾く。身を隠していた骸骨兵は、地面に転がった己の槍に手を伸ばすものの、返す一太刀で首を落とす。兜に覆われたしゃれこうべは、力無く地面に転がっていった。
だが、それは他の魔物達に対する挑発行為。飛び上がったスライムナイトが兵士を脳天から真下に向かって剣を振り下ろす。
間一髪で身体を横に躱し、魔物の胴体を切り裂いた。悲鳴すら上げる間もなく、スライムナイトは地面に突っ伏す。それを最期まで見届けることも無く、兵士はまた足を動かして逃げる。
建物と建物の間にある、路地裏に入り込む。程なくして、自分を負ってきた魔物達の足音が近づいてきた。
やってきた相手は、およそ5体。山賊ウルフが2体。ドラゴンキッズが1体。ブラウニーが2体。
タイミングを見計らって、兵士は飛び出す。不意を突かれた山賊ウルフは剣を振り回すが、それはこの狭い路地に限っていえば悪手である。民家の壁に剣の先が刺さり、動きが封じられてしまう。
チンピラ上がりな仲間の間抜けな行動を無視して、ドラゴンキッズが火の息を放つ。兵士はもう1体の山賊ウルフの影に隠れ、同士討ちを誘った。
「ぐおおっ!」
背中を火傷した山賊ウルフ。殺意を込めた瞳は、兵士から同僚であるはずのドラゴンキッズへと向けられた。
「――――!」
「――――!」
何事か独自の吠えるような声で叫び合っているが、兵士にはその意味が理解できない。また、内容は何となく想像できるので、どうでも良いことであった。
それを尻目に、飛びかかってきたブラウニーへと肉薄する。木槌を振り下ろす魔物に、兵士は冷静にバックステップで躱す。カウンターで一撃。もう1体は――――
「せいっ!」
――――魔物の背後で待ち伏せていた男の一撃により、地面に倒れ伏した。そして、仲間割れをしていた2匹も同様に仕留める。
「よし」
兵士は打ち合わせ通りに魔物を蹴散らせたと判断し、やっと息をつく。だが、この様子ではすぐに増援がこちらへと向かってくるだろう。
だからこそ、今だけは小休止だ。大きく息をつき、使い古された鋼の剣を手にしている男に向かって、声をかけた。
「思っていたより、スムーズに終わったな。誘ったとはいえ、上手く仲間割れをしてくれるとは」
それに対し、男は苦笑いをして剣を腰の鞘に収める。長年この武器一本で戦ってきたのだ。大事に使わなければいけない。
「所詮は金で雇われているだけの、ならず者ですからね。統率力が無いのは大分前から分かっていましたし」
「それでも、魔物達の軍団とずっと戦っている熟練者だろう、お前は。いや――――“お前達”か」
男は頷く。それに反応するように、彼の後ろから複数の人間が姿を現わしはじめる。建物のドアや窓を開き、先ほどまで魔物達を監視していた者達もいた。
全て、今のラインハットの圧政に反旗を翻し続けている者達である。理不尽に軍を辞めさせられた者、罪を着せられて行方をくらませた者。中には、サンタローズやアルカパ出身の者達までいた。
ラインハットは長い歴史を持つ軍事国家だ。その誇りを失わず、今でも市民達の中に隠れつつも機を伺い続けていたのである。
そして、今。アリスがラインハットに立ち向かったことをきっかけに、彼らもまた悟った。今こそ、我らも立ち上がろうと。
「兵士長は、ご一緒ではないのですか?」
「ああ。流石にそこは、奴らの方が一枚上手だったな。分断されちまったよ」
「分かりました。ゲイツ達と連絡を取ります」
ビルと呼ばれた元兵士は、近くの男にハンドサインで指示を出す。その者は頷くと、仲間を連れて反対側の路地へと向かう。その視線は、共に希望を信じる人間の目。
「それにしても、やっぱり仲間がいるのは心強いな。まさかちょっと声をかけただけで、ここまで集まってくれるとは」
兵士のどこか嬉しそうな口調に、ビルの傍らに立っている女性が微笑む。彼女は8年ほど前、魔物に襲われていたところを間一髪でビルに助けられた過去を持っている女性だった。
「どのように闇がまかり通っていようとも、信じる心がある限り神は決して見捨てたりなど致しません。全ては、神の采配に感謝を」
女性の名は――――ミラン。シスター・ミラン。
彼女は今もサンタローズにいた頃と変わらず、信仰の心を失わないままであった。
そんなミランも、今や正義を信じるラインハットの一員。兵士はすっかり顔なじみになった彼女に笑った。
「おうおう、相変わらず頼もしいね。こりゃあ、ビルが入れ込むわけだな」
「まあ。以前も言わせていただきましたが、そういうご冗談は」
「ああ、すまんね。神様の花嫁に対して、失礼だったな」
愛想笑いをして、兵士はビルを見る。彼は苦笑いをしながら頬を掻いていた。まだ、相変わらず進展は無しかと察する。
まあ、同期の恋愛事情をとやかく言っている場合ではない。兵士は気を引き締めると、周囲の警戒に入った。
「・・・・・・フン。人間風情が一丁前に抵抗するなどとは」
そんな城下町で起きている反乱を、太后の姿をした者は冷めた目で見ていた。妙齢の貴婦人にしては、あまりにも凄まじい冷徹な瞳で人間の抵抗の様を見下ろしている。
城の屋上は、城下や遠くの山脈が一望できるほどの眺めだ。そこに魔物の視力を持ってすれば、城下でどこに誰かがいるかということくらい容易に視認できる。
傍らには、兵士の姿をした者が2人。親衛隊らしく、膝を突いて忠誠の意を見せていた。しかし、国のお膝元で魔物達が駆逐されている様を見ているせいか、どこか表情が硬い。
「恐れながら、太后様。やはり、この国の同胞達では少々心許ないかと」
「おい、お前。まさかとは思うが、太后様の采配が不満なのかよ?」
隣の兵士が、どこか馬鹿にしたように言う。言われた兵士は、どこか苦々しい顔だ。
「不満というほどではない。ただ、この国の魔物は緩すぎるという話だ。太后様のご期待にも応えられんなど」
「へっ。まあ、俺らが退屈なのは否定しないけどな」
その部下の様子に、太后はフッと薄笑いをする。部下の言いたいことを察したのである。
「確かに。あまりお前達を持て余すのも忍びないと思っていたところだ」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、2人の兵士はニンマリと笑みを深めた。これは事実上の出撃許可だ。自分達ならば、人間がどれだけ束になろうとも容易く制圧できる。
「私が太后の名にかけて許しましょう。反逆者は1人残らず処刑します。なおも抵抗するというのなら、裁判を待たずしてその場で鉄槌を下しなさい」
「ははっ。反逆者は1人たりとも逃がしません」
立ち上がる兵士達。太后は、2人の実力を信頼している。彼らは、そこいらの魔物など問題にならない力を持っているのだ。
だが、そのやり取りに声をかける者がいた。兵士のさらに後ろからかけられた声に、面々はやや面倒そうな顔を向ける。
立っているのは、1人の人間。その恐る恐るといった様子には、権力者としての覇気は無い。それでもこの空気の中で意見を出そうとする勇気は、果たして賞賛して良いものかどうかの意見は分かれるところだが。
「何ですか、デール。まさか、この母上に意見をしようとでも?」
デール王。ロザミア太后の実子で、今は行方不明になっているヘンリー王子の弟である。平時ならば人の良さそうな温和な顔立ちの青年も、今のラインハットの現状に体調不良を繰り返しながら、母親の顔色を伺うことしかできない毎日を送っていた。
「意見・・・・・・そう、そうです。母上は、これまでの我が国での政治をご理解していらっしゃるはずでしょう。あれでは、民が反感を覚えるのも無理のないこと。一度、話し合いの場を設けた方が・・・・・・」
「おお、デールよ。よもや、この期に及んで反逆者に対して譲歩しようなどとは。王としての責務を放棄するのですか?」
大袈裟に悲しむ素振りをするロザミア。デールは、それが演技であることは承知しながらも話を続けるしかない。
「放棄などとは一言も申し上げてはおりません。しかし、民に理不尽を強要していることは事実で・・・・・・」
「なんということか、デールよ。母は悲しいぞえ。幼き頃から王とはなんたるかを説いて聞かせていたというのに。そこまで王家に牙を剥く者達を容認するというのならば――――」
ロザミアの鋭い瞳が細まる。その視線は、母が愛する息子に向けるものではなかった。
「――――お前も、反逆者の仲間という事かな?」
瞬間、背筋が凍りつくデール。傍らの兵士の視線からも威圧感が増していく。
ダメだ。彼は、もう何度目になるかも分からない諦めを覚える。そもそも抵抗などしようものなら、一息のうちに自分は切り伏せられるだろう。
あらゆる無念を押し殺し、現代のラインハット王は肩を落とす。
「・・・・・・いいえ。我が国の実権は母上のみにあります。先ほどの愚かな意見はお忘れください」
「ならばよい」
もう用は無いとばかりに、ロザミアは息子に背を向ける。兵士達に至っては嘲ることもせず、当然のように無関心に戻る。
嗚呼、なんということだろう。いったい、いつまでこのような愚行を民に強要しなければならないのか。
かつてのロザミアは、ここまでの女性ではなかったはず。厳しくも息子を第一に思い、決して民を悪戯に害するような人間ではなかった。
それが、今やこの有様。国は枯渇し、かつての軍事大国と呼ばれていた姿は過去の栄光。今では貧困と暴力に支配された独裁者の国と化している。
デール王の存在意義は、ただの飾りとして。実際は何の実権もない、太后の傀儡。
そして数日前から始まった城下町での反乱。それを知っても、デールの心にあるのは諦念。嗚呼、とうとう起きてしまったか、と。
実際、反乱が起きたのは今が初めてではない。自分が即位してからも、地方の各地で小規模ながらもクーデターは起こっている。その度に、軍が派遣されて鎮圧するのだ。
軍といっても、戦いに赴くのは兵士ではなく、太后が重税によって雇った魔物の傭兵団。反逆者の中にはラインハットの兵士もいたが、魔物の数の暴力には為す術もなかったのである。
そして、今。この目の前に控えている兵士達は、中でも特に格別の強さを持っているのだ。一体何者なのか、このどちらか1人だけでも反乱を鎮圧することができそうなほど。
その兵士が、反乱の続いている城下――――ではなく、デールに視線を向けていた。
「な、何だ?」
震えが止まらないまま、デールは気丈に声を出す。兵士の男は数歩だけラインハット王に近寄る。
「我が王よ。これは親切心からのご忠告ですぞ。今後は命が惜しくば、太后様には余計な口を慎んだ方がよろしいかと」
「・・・・・・」
「立場を弁えることですぞ。誇り高きラインハット王殿下」
形だけの礼を済ませる兵士に、もう1人の兵士は遠慮なく笑った。それは、デールの今の姿を心底嘲ったものであった。
ロザミアもまた、そんな息子を見て口元を歪めている。思わず反抗的な目を向けそうになるが、それはいけないと彼の理性が叫ぶ。
デールは切に願った。誰でもいい。どうか、この者達をどうにかしてほしいと。そのためならば、悪魔にだって魂を売ろうと。
そんな、都合の良い願いなど――――
「王の前ならば、立場を弁えた方がよろしいかと」
――――世界のどこかに、あったりするものだ。
突如、王に近寄っていた兵士が何かの影に隠れる。不審に思った兵士は日の光を遮るものは何かと頭上を見上げた。
どこか冷静な声が降りかかってきたと思えば、兵士は突如として己の姿が変貌をはじめたことに気づく。ボワンと、どこか間抜けな音と共に姿を現わしたのは――――1体の魔物。
「なっ!?」
「お、オーク!?」
兵士の正体は、人間ではなかった。人間に化けていた魔物だったのだ。その事実に、デールの全身が硬直する。
全身の毛皮にまみれた姿のオークは、自分に掛かっていたモシャスが唐突に解けてしまったことに動揺を隠せない。もう1人の兵士と太后は、それを行った闖入者の姿を確かに視認した。
優れた賢者が身につけるという、賢者のローブを身に纏った人間の女。白いヴェールを被った容姿は、まるで彼女こそが王族であるかのような気品を感じさせた。
その彼女が手にしている鏡は、太后にとっても見覚えのある一品。そして、それは同時にこの世には既に破壊されたはずのアイテムであった。
馬鹿な、と内心の動揺を隠せない太后。それを無視するかのように、その女性はその鏡をこちらへと向ける。
しまった、と己の失敗を悟る。だが、もう遅い。
己に掛かっているモシャスの効果が、強制的に解除される。真実を映し出す鏡は、確かに真の姿を暴く神秘の力を持っていた。
新たに呪文の効果が消えた兵士の姿は、魔物のキメラ。従来のそれとは姿形が違う、より強力な変異種であるキメーラ。
この場にいるオークもキメーラも、数々の戦いを乗り越えて鍛えられ、今や固有種として昇華された存在。その魔物達が、共通して己の主として従っている魔物の正体は――――
「・・・・・・貴様。どうやってラーの鏡を復活させた?」
――――筋肉質の肉体。手足には蹄。全身が白く頑丈な肌で覆われている、馬の頭を持った魔獣。
「・・・・・・あなたは、まさか」
闖入者――――アリスもまた、太后に姿を変えていた魔物には驚きの表情を浮かべる。その姿は、かつて母が見せてくれた過去の光景に映っていた、ローブの男の手下。
そう。両親の敵。我がレヌール王家を滅ぼした光の教団の一味。
「まあいい・・・・・・痛めつけてから聞き出せば良いだけだ」
――――名前を、ジャミ。
アリスは、この時をもって出会った。もう1人の、己が討つべき宿敵と。
つづく
神の塔からラインハットへ向かう道中の、森深き祠にて。
アリス「・・・・・・フローラさん。本当にこの旅の扉を使うのですか?」
フローラ「はい。ここからが近道と教えてくださったのはアリスさんでは?」
アリス「ま、まあ・・・・・・この旅の扉には妙な術式は無いようですし。大丈夫の筈、ですよね?」
フローラ「?」
ちょっとトラウマが発動していたアリス。