DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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派遣先はアルカパの町

「それでは、アリスよ。顔を上げなさい」

 

「・・・・・・はい」

 

 頭上から聞こえるグレン神父の声に、足下に跪いていたアリスはゆっくりと顔を上げた。ゆっくりというよりは、恐る恐るといった動作であったが。

 

 それも、無理はない。自分を見下ろす神父の視線は、かつてアリスが不注意で神父の好物であるワインの瓶を割ってしまったときと同じくらいに鋭いものだったからだ。

 

 断っておくが、グレンは神父として優秀な男だ。生真面目で、サンタローズの村民からも人格者だという声は毎日のように聞く。

 

 だからこそ。教育にも決して手を抜くことはない。

 

 ――――例えば、子供という立場をわきまえずに、危険な洞窟の中に自ら入ってしまったシスター見習いの娘に対し、教育者としての罰を与えるほどには。

 

 つまり、罰はまだ終わっていないということ。一晩外で野宿をしていただけでは不足だったらしい。

 

 教会の小さな聖堂内。参列席に座っている上司のシスター達は、全員が肩を並べて一列に立っている。その誰もが、決してアリスと目を合わせはしない。ただ目を閉じ、神父の采配を見守る立場を取っているのだ。

 

 人はそれを、成り行き任せとも言う。

 

「さて、アリスよ」

 

「はい」

 

 怖かった。

 

「処罰は覚悟しておろうな?」

 

「・・・・・・はい。どのような処罰でも」

 

 若干の間を開けてしまったが、それでもアリスは首肯した。グレン神父はそれを流して話を続ける。

 

「よろしい。それでは、申し上げる――――」

 

 

 

 

「アルカパの町まで、ですか」

 

 神父の前で、目を瞬かせている青年――――パパスは、告げられた頼み事を反芻した。頷いている神父の傍らにアリスが申し訳なさそうに立ち尽くしている姿は、なんだか子供の不始末を代わりに謝罪している親子のようにも見える。

 

 パパスの自宅の奥、居間では不思議そうにこちらを見つめているリュカと、召使いのサンチョ。いるのは当たり前だろう。ここは彼らの家でもあるのだから。

 

 そして、昨日この家に来客として訪れていたマグダレーナとビアンカまで、今は姿を見せている。どういう事かは知らないが、また遊びに来ているのだろうか。

 

「はい。実は昨日の件で、アリスには奉公の処分を下すことに決定いたしました。しかし、アリスのような子供を1人で行かせるのは流石に危ない。そこで、パパスさんに町までの護衛を頼もうかと思いましてな」

 

「奉公・・・・・・たしか、アルカパの町にも教会がありましたな。そちらに、しばらくアリスちゃんを任せると」

 

「もちろんです。違反者には善行を重ね、神を語るに相応しい者にならなければなりません。これは、神に仕える立場を目指すための試練なのです」

 

 ふむ、とパパスが考えるそぶりをする。後ろでグレン神父の話を聞いているサンチョは、それほど彼の熱弁を熱心に聞いている様子は無さそうに言った。

 

「相変わらず仕事熱心ですね、グレンさんは。教育者としては頼もしい限りですが」

 

「でも、いいのかな。サンチョ?」

 

「何がですかな、坊ちゃん」

 

 サンチョの袖を掴んでいるリュカは、若干心配そうな様子で父の召使いに訴えた。

 

「だって、ちょっと可哀想だよ。アリス、これから遠い町に1人で暮らさなきゃいけないなんて」

 

「坊ちゃん。難しいかもしれませんが、これはアリスちゃんの問題なのです。アリスちゃんのお仕事なのですから、そんなことを言ってはなりませんよ」

 

「でも・・・・・・」

 

 優しく言い聞かせるように教えたサンチョだが、リュカはまだ納得できないらしい。申し訳なさそうに俯いているひとつ年上のシスターを見ると、なんだか自分も同じような気持ちになってしまう。

 

 それに、とサンチョは続ける。

 

「あの神父様も、アリスちゃんのことが心配なんですよ。だからこそ、旦那様に一緒について行ってあげて欲しいと頼んでいるのです」

 

「そうよ、リュカ。パパスおじさまは本当に頼りになる人なんだから。信じられるのも当然よね」

 

 木の椅子に所在なげに腰かけていたビアンカが、会話に入ってくる。パパスの話題が出たせいか、どことなく目を輝かせているような気がした。

 

 まるで、自分の方が父を知っているのだといわんばかりの態度に、リュカはちょっと面白くない。その少しだけ恨めしそうな視線に、ビアンカはこれっぽっちも気付いてはいないのであるが。

 

 そうこうしているうちに、どうやら話は纏まったらしい。パパスはグレン神父の頼みを快く引き受けるようだ。

 

 申し訳なさそうに、アリスがパパスに頭を下げる。謝られている当人は、優しい笑顔で少女の頭を撫でてやることで返した。

 

 照れたように頬を染めるアリス。反対に、それを見ていたビアンカの頬がプクリと膨らんだ。

 

「ビアンカ。何を怒っているの?」

 

「知らない。今は話しかけないでよ」

 

 プイとそっぽを向いたビアンカに、リュカは目を白黒させる。

 

 なんだろう。僕、何かしたかな?

 

 しきりに首を傾げるリュカに、そのやり取りの意味を正確に察したサンチョ。そっと、リュカの耳元に囁きかける。

 

「坊ちゃん。女性の機嫌が悪いときは、むやみに話しかけてはなりませんよ」

 

「?」

 

 

 

 

「わあっ、気持ちの良い風。パパスおじさま、休む時はあの森林の木陰が良いんじゃあないかしら?」

 

「ははは、そうだな。ただ、ビアンカちゃんのお父さんも待っていることだろう。辛いだろうが、休むのはもう少し先でな」

 

「うん、もちろんよ。だって、やっとお父さんの病気が治るんだから」

 

 興奮しているビアンカの声は、止まることを知らない。

 

 父親の病気が回復することと、パパスと一緒に青空の下を歩いていることの喜び。どちらが彼女の中で大きいのかは、まあ言わぬが花というものなのだろう。

 

 そんな2人の後ろを、リュカと母親であるマグダレーナ。そしてアリスの順番で歩いている。若干の距離があるのは、ビアンカの喜びに水を差すのが忍びないからに他ならない。

 

 2組の親子と幼いシスターの5人の背には、先ほど発ったサンタローズの建物が小さくなっている。歩き始めてそれほど経っていないのだが、やはり歩きやすい草原の存在は有り難かった。

 

 自分達以外にも、何人もの旅人や商人がこの辺りの土を踏みしめたのだろう。自然と作られた人の足によって、僅かながらも歩道らしいものが見える。それがアルカパへの道しるべとなっているのだ。

 

「リュカさんは、アルカパまで行ったことがないのですか?」

 

 アリスは退屈そうに歩いているリュカに、声をかける。父親がビアンカの相手をしているので、気を遣ったのだ。

 

「うん。昔はよく、お父さんに連れられていたみたいなんだけど。その時の事とか、全然覚えていないんだ」

 

「そうなのですか。わたしは神父様と一緒に、仕事のお手伝いをしに行っているんです。都会寄りの町だから、サンタローズから引っ越してくる人もいますよ」

 

 リュカは思わず、へぇと感心した。町が比較的に近くにあるのだから、人が移り住むことも不思議ではない。でも、サンタローズの静かな空気が好きな彼としては、そこを捨てて別の町に住むという感覚が分からなかった。

 

「わたしも、できれば静かな方が好きでしょうか。都会が嫌いという訳ではありませんが、お祈りをするのなら、やはり静かな方が良いですので」

 

「アリスって、そんなにお祈りが好きなの?」

 

「はい、もちろんです」

 

 それと、と続ける。

 

「人を助けるのが好き、だからでしょうか」

 

「ふぅん。シスターって、そういう仕事なの? 僕はてっきり、ずっとお祈りをするだけの仕事かと思ってた」

 

「もちろん、それだけではありません。リュカさんって、炊き出しって聞いたことはありますか? ひもじい人が集まっている所にご飯を分け与えるんです。他にも勉強ができない人に読み書きを教えたりするのですよ」

 

「すごい。アリスって、頭が良いんだね」

 

「じ、自慢したわけではなかったのですが」

 

 目を輝かせて賞賛するリュカに、アリスは自分の頬が熱くなるのを感じる。そんなやり取りを、マグダレーナは微笑ましそうに見つめていた。

 

「だから、呪文も使えるんだね。あの時は頭がぼうっとしていて、よく覚えていなかったんだけど、確か・・・・・・」

 

「正式にはヒャドです。氷の魔法なんですよ。あとは、怪我を治せるホイミも使えます」

 

「あ、それは前に聞いたよ。ホイミなら僕も使えるようになれたんだ。洞窟のことでお父さんに心配をかけちゃったから、お父さんが覚えておいた方が良いぞって」

 

 穏やかな風に、晴天の日光。同年代の何気ないおしゃべり。これなら、ビアンカでなくとも心が浮き立つというものである。

 

 未だに積極的にパパスへと話しかけているビアンカに、母親は声をかけた。

 

「ほらほら、ビアンカ。少し落ち着きなさいな。パパスが困っているじゃないか」

 

「いいのいいの。パパス叔父さんは優しいから、わたしみたいな女の子をエスコートする気品があるのよ」

 

 マグダレーナの呆れた声にも、ビアンカはビクともしない。母親は、背負っている小さな革袋を少しだけ揺らす。

 

 中には簡単な私物の他に、薬師のグータフから購入した特効薬の瓶が入っている。子供に持たせるのは危ないので、彼女が運んでいるのだ。だからこそ、心なしか歩みを押さえているのだが。

 

 雲の影が、緑の草原を横切る。かつてリュカは、こういう雲の影を追うのが好きだった記憶がある。晴れた日に大地の上に映っている影が動いているのが不思議で、好奇心に駆られて追っていたのである。

 

 結局、そんな影もリュカを置いてどこまでも遠くへ去って行き、もしくは壁を這って少年の見えないところまで姿を消してしまう。そんなことを何度か繰り返しているうちに、リュカはいつからか目で追うことすら止めてしまっていた。

 

 あれは、いつの頃だったか。思い出そうとすると、記憶が酷くぼやけてしまう。あまり、記憶力には自信がないのだ。それとも、影を追うことなど自分にとってはとうに見切りをつけてしまったからだろうか。

 

「どうしましたか、リュカさん?」

 

「あ、ごめん。なんでもないよ」

 

 遠い目をしていたリュカは、横から聞こえたアリスの声で我に返る。いつの間にか、父とビアンカとはさっきよりも若干の距離ができてしまっている。

 

 歩みが遅いことを心配してくれたのだろう。アリスとマグダレーナは、そろって少年の顔を見ていた。

 

「もしかして、疲れてしまったのかい? だとしたら悪かったねぇ。無理に来るのを誘っちゃって」

 

 優しいビアンカの母に、リュカはぶんぶんと首を左右に振る。これくらい、父親との旅で慣れている。自分だけがバテたなんて思われたくない。

 

「少し考え事をしていただけです。気を遣わせてしまってすみませんでした」

 

「あら、そう。それなら良いんだけどねぇ」

 

 リュカは心持ち、足を速めに動かした。さすがにそろそろ前を歩く2人とも距離を詰めなければ。

 

 と、ガサリと音がする。リュカ達は近くの草むらに目を向けた。

 

 ヒョイと顔を出したのは、一羽のウサギ。しかも、額に一本の角が生えている。

 

 一角ウサギ。見ての通り、ウサギのモンスターだ。角で旅人に傷をつけたり、突進して戦うのが特徴である。

 

 だが、そんな小さな魔物も人間の子供2人を前にして、襲いかかるようなことはしなかった。正確には、できないという方が正しいのだが。

 

 なぜなら、つぶらな魔物の瞳には――――

 

「・・・・・・」

 

 静かな視線で、こちらを射貫いている青年の姿があったのだから。

 

 傍らの少女は、どこか不安そうに母親を見ている。一角ウサギが襲いかからないかどうか心配しているのだろう。

 

 それは、もちろん杞憂だった。ウサギの魔物は再びガサガサと草むらを揺すると、遠くに見える森へと逃げ出していったのである。

 

「あははははっ、さすがパパスおじさん。見てるだけで逃げ出しちゃった!」

 

 ビアンカやアリス達は笑った。

 

 まったくもって、のんびりとした旅であった。アリスは思う。パパスという男性がいるだけで、こんなに楽しい道程になるとは。

 

「ああ、ごめんなさい。私ばかりパパスおじさんと喋っちゃって」

 

 いつしか、ビアンカもアリスとリュカに混じって話をするようになっていた。先ほどの騒動に気付いて、ようやく距離が離れていたと気付いたらしい。

 

「さっきから、あんな感じなのよ。あいつらモンスターって、パパスおじさんを怖がって、近寄りもしないし」

 

「お父さんって強いから。どんなに怖い魔物でも、すぐにいつも追い払ってくれるんだよ」

 

「本当に頼りになるお父さんなのですね。もしかして神父様よりも強いのでしょうか」

 

 同じ頃、グレン神父がくしゃみをしていた・・・・・・のは置いといて、子供達は3人組で固まりつつ、アルカパを目指すことにする。

 

 時は木陰で休み。時にははるか遠くまで続く山脈に目を奪われたり。日向ぼっこをして眠っているネコ型モンスターのプリズニャンを突こうとして、マグダレーナに止められたり。

 

「それじゃあ、ビアンカは火の魔法が使えるんだ?」

 

「そうよ。メラっていうんだけれど、名前くらいなら知っているでしょ」

 

 ふふん、と自慢するように言う。いや、実際に自慢しているのだろう。なにしろ、リュカもアリスも、身につけていない呪文なのだから。

 

 リュカはまだ攻撃呪文が使えない。もう少し勉強と経験を積めばホイミを使えるようになれる程度だ。

 

 アリスはどちらかというと、シスターらしく回復系統の呪文が得意である。護身としてヒャドが使えるものの、メラの系統は残念ながら未だに身についていない。

 

 日が暮れ始める頃、一行は人の手による灯火が集まる街並みにたどり着く。その数の多さだけでも、サンタローズとは人の営みの違いを察することができた。

 

 近づくにつれて、人の声も風に乗って聞こえてくる。そしていくつかの木々に囲まれた造りの街並みの前に、1人の武装した兵士が立っていた。

 

 特に警戒する様子もなく、パパスはその男に話しかけた。強面の男はパパスの顔を見るなり、驚いた顔になる。

 

「やあ、ごくろうさん。久しぶりだ」

 

「やや、これはパパスさん。どうも、ご無沙汰しております」

 

 屈強な男はアルカパの番兵だ。アリス自身、何度か神父と共にこの街に入った時に顔を覚えられているので、町に入っても気さくに挨拶をしてくれた。

 

「アリスちゃんも。今日はパパスさんと一緒に来たんだね?」

 

「はい。今日からしばらくの間だけ、この町で奉公に参りました」

 

「そうかあ。いや、いつも仕事熱心で感心するよ。私がアリスちゃんくらいの頃は、外で遊び回っていたのに」

 

「あはは」

 

 この番兵のおおらかな性格は、アリスも好きだった。リュカとビアンカ親子にも同じような調子で話す彼。

 

「ああ、あの時のパパスさんのお子さんか。大きくなったなあ」

 

「僕のこと、知っているの?」

 

「もちろんだ。ビアンカちゃんとよく遊んでいただろう」

 

 リュカもアリスと同じ印象を持ったのか、すぐに打ち解ける。自分の覚えていないことも語ってくれ、少年は目を輝かせた。

 

「ほら、リュカ。そろそろ行かなきゃ」

 

「あ、そうだね。それじゃあおじさん、僕たち、ビアンカの家に行かなきゃいけないから」

 

「ああ、呼び止めてしまってすまないね。おじさんが暇なときにでも、また気軽に話しかけてくれよ」

 

「はい」

 

 リュカは、アリスとそろって頭を下げた。町の中は足元が石の歩道で構成されており、そこいらに分かれ道が作られている。これが道案内の意味も込めてあるので、すむ人はさぞ暮らしやすいだろう。

 

 また建物の質も頑丈に見える。畑の匂いこそ感じないが、風の穏やかさは同じという印象を受けた。

 

 さらに活気があり、さっきからひっきりなしに人とすれ違う。サンタローズではすれ違うたびに挨拶をしてくる者がいたが、こちらでは人口密度もあって知人でも無い限り素通りする。こういう所にも、町と村の違いが浮き彫りになっていた。

 

 ふと、サラサラと音が耳に届く。緩やかな水が流れる川の音だ。アリスは前を歩くパパスに声をかける。

 

「あの、パパスさん。同行させていただき、本当にありがとうございました。私はここで」

 

「うむ。アリスちゃんの方は、教会に用があるんだったね。それじゃあ、リュカ。挨拶してやりなさい」

 

「うん。アリス、お仕事頑張ってね」

 

「それじゃあ、またね。しばらくはこの町にいるんだから、宿屋にも来なさいよ」

 

 リュカに続いて、ビアンカもお別れの挨拶をする。マグダレーナは、頑張ってと言わんばかりに年相応のおおらかな笑顔で会釈をする。

 

 彼らの列から数歩ほど離れ、深々と頭を下げるアリス。本当にお世話になりました、と。

 

 パパスはこの先に位置する、アルカパ自慢の宿屋へ向かっていく。その背中が夕暮れの人混みの中へと消えていくのを、アリスは最後まで見送った。

 

 彼女の背には、清涼な小川の手前に建つ白い教会。十字架を象った特有の屋根や、壁に使われている素材は、おそらくサンタローズのそれと比べては失礼なのだろう。

 

 ここが、アリスの新しい仕事先になる。ここだけは年季の入った重厚な木製の扉を、少女は小さな手でコンコンと叩いた。

 

 

 

 

 大扉のような正面玄関を開け、一行は宿屋へとたどり着いた。

 

 吹き抜けになっている玄関ホールを通り過ぎ、パパス達一行は従業員と家族専用の部屋の奥へと案内された。途中、受付の仕事を任せている青年に挨拶をすると、彼は本当に安堵したように顔をほころばせる。

 

「おかみさん、お嬢様。お帰りなさいませ」

 

「ああ、お疲れさん。それで、うちの旦那は変わりないだろうね?」

 

「はい。ただ、先日よりも若干顔色が悪くなっており・・・・・・」

 

「何を言っているんだい。だからこその薬じゃないか。ほら、どいたどいた」

 

 マグダレーナはいつもの気の強さのまま、ズンズンと部屋の奥の扉を開く。もちろん、手にはグータフの薬を手に持ったまま。

 

「どれ。私も見舞うとしよう」

 

 続いて、パパスも付いていく形で部屋に入る。ビアンカとリュカも後ろに続いた。

 

2つ並んだベッドの片方に横になっているのは、彫りの深い顔が特徴の男性。おそらくは、この人がダンカンなのだろう。

 

 顔色は赤く、ゼイゼイと苦しそうに息をしている。気のせいが、部屋の中が妙に蒸し暑く感じた。なんとなく、リュカの胸もドキドキしてしまう。

 

「ほらほら、しっかりおし。パパスさんが薬を届けに来てくれたよ。これで良くなるはずだから、早く飲みなさいな」

 

「ん・・・・・・おお、パパスか。何年ぶりかな。わざわざ来てくれるなんて、いや本当に嬉しいよ」

 

「久しぶりだな、ダンカン。積もる話もあるとは思うが、まずは薬を飲んでゆっくりしてからだぞ」

 

「はい、お父さん。お水」

 

 いつの間にか台所からコップを持って、父親に渡すビアンカ。娘から請け負ったダンカンは、粉薬と一緒にゴクゴクと飲んでいく。

 

 よかった。リュカは思った。これで、ビアンカのお父さんは大丈夫に違いない。

 

 思わずパパスと顔を見合わせると、彼も息子を見て笑っていた。自分の父も、きっと心配していたに違いない。父と同じ気持ちだと思うと、なんだか嬉しくなってしまった。

 

 とはいえ、これで用件は済んだ。頃合いを見て、パパスは片手をあげて部屋を出ようとする。リュカもそれに続いた。

 

「パパスさん、パパスさん」

 

 と、ここで背中から声がかかる。マグダレーナが慌ててこちらへ駆け寄ってきたのだ。

 

「このまま帰るなんて、とんでもないよ。せめて一晩だけは、うちに泊まっていっておくれ」

 

「いや、しかしこの程度でお世話になるわけには」

 

「お願いだよ。もう夕方近いし、今から帰ったら夜になっちまう。あたしの奢りで良いから、今夜はうちに泊まっていってくれよ」

 

「むう」

 

 パパスはしばらく考えると、やがて観念したのか頷いた。

 

「分かった。今日はあんたに付き合うとしよう」

 

「やったあ!」

 

 と、声を出したのはビアンカ。

 

「おじさまが泊まってくれるなんて、本当に嬉しい! 今日のご飯は私も手伝うから、期待して待っていてねっ」

 

 ビアンカの弾む声に、パパスはチラリと足元に立っているリュカを見る。息子から向けられる複雑な視線に、なんとなく申し訳なさが混じっている気がした。

 

 きっと、今夜は散々飲みに付き合わされるのだろう。昔話などを、根掘り葉掘り話し合うに違いない。それが嫌というわけではないのだが、今夜は当分寝るのは後になりそうだ。

 

 そんな父の内心を察したのか、リュカは外に散歩に行くよと部屋を出ていった。ビアンカもまた、町を案内してあげると言いながら2人そろって玄関へ向かっていく。

 

「おやおや。本当に子供は元気で良いねえ」

 

 マグダレーナの笑顔に、なんとなくパパスは言いたいことを呑み込む。子供に気を遣われてしまったとは、なんとなく言いづらかったからだ。

 

 

 

 

 実際の所、アリスが新しい教会への仕事を認められるのはトントン拍子に進んだ。奉公をするために修行者を貸し与えるというのは、別段珍しいことでもないからだ。手続きなど、事務処理のようなものである。

 

 アリスから渡された手紙を読むと、初老の神父はウンウンと頷きながら彼女に視線を向ける。なんとなく、グレン神父よりも人の良さそうな笑顔の人だなとシスター見習いの少女は思った。

 

 この教会には、日頃から約20人ほどの大人数で修道女が働いているのだという。この辺りでは唯一の地方都市ということもあって、色々な理由で修道女の肩書きを持つ者が集まりやすいのだ。

 

 そんなシスター達も、今の教会には数名ほどのまばらな人数しか姿が見えない。訪問者らしい老人と長椅子に腰掛け、相談を聞いている者。祭壇の清掃に勤しんでいる者。

 

 大きな町に駐屯する聖職者は、基本的に人の出入りが多い。他の者達は、おそらく町のどこかに訪問しているのだろう。

 

 今日から、この教会がアリスの仕事場となる。忙しい毎日になるのかもしれないが、それはこちらも承知の上だ。

 

「それでは、早速仕事に入らせていただきます」

 

「うむ。手順は分かっているな?」

 

「はい。慣れていますので」

 

 迷いのない立ち振る舞いに、神父も安心したように笑みを深める。夕暮れにさしかかるこの時間は、夕餉の手伝いだ。

 

 厨房に入ったアリスは、すでに準備をしている年配のシスター達に挨拶を済ませる。台所から漂うシチューやパンの香りが食欲をそそるが、自分達が食べるのはまだ後だ。

 

 一通り下ごしらえを終わらせると、今度はまた仕事。まだ教会に居残っている来訪者の相談が残っているからだ。

 

 もっとも、そんな人影もまばらだ。相談といっても、暇を持て余している老人や一人暮らしの人間が大半だからである。中には本当に深刻な相談を打ち明けてくる者もいるが、そういう相談者に対しては人生経験豊富な神父や年配のシスターが対応するのだ。

 

 そんな来訪者の1人の老人が、アリスの姿を視界に入れる。見習いの少女が挨拶をすると、年配の男性は顔にあるシワを深くして笑った。

 

「おうおう、こんな小さな子が教会で仕事なんて、感心な子じゃのう。ワシの若い頃を思い出すようじゃわい」

 

「ありがとうございます。おじいさんも、道中お気をつけて」

 

 笑いながら小さくなっていく老人の背中を見送ると、1人のシスターが出入り口の扉を閉めた。

 

 いや、閉めようとした。

 

「ちょっと待ちなさいよっ。その子に何をしているのよ!」

 

「?」

 

 あまりにも大きな声に、シスターの手が扉から離れたのだ。聞き覚えのある声に、思わずアリスは扉の前に近寄る。

 

 外を見ると、教会から小川を挟んだ向こう側に人影が目に入った。目をこらすまでもなく、声を上げていたのはビアンカだ。隣にはリュカもいる。

 

 それに相対しているのは、アリスには見覚えのない男の子2人。片方は小太りな外見をしている。もう1人は背こそ高いものの、やや細身だ。

 

 かなり腹を立てている様子で口論をしているらしい。何があったのだろうかと、アリスはついシスターと一緒に様子をうかがってしまう。

 

「嫌がっているじゃない。あんた達って、何でそんな弱い者いじめしかできないのよっ!」

 

「おい、生意気だぞ。いつも俺たちのことを目の敵にしやがって」

 

「そうだ。俺たちが何していようと勝手だろ。ちょっと良い家に生まれているからって調子に乗るなよなっ」

 

 ビアンカの抗議にも、少年2人は負けじと言い返す。小太りの少年が、手に持っている何かを大袈裟に振ってみせた。

 

 驚いたことに手に持っているのは小さな生き物だった。おそらくは、その生き物を巡って喧嘩が始まったのだろう。この位置からではよく分からないが、子犬か猫の類いのようだ。

 

 橙色の鬣(たてがみ)に、黄金の毛並み。黒のまだら模様に、鋭い牙と爪。猫というよりは、ネコ科の獣といった方が当てはまる外見である。

 

 その見慣れぬ獣は鋭い目で少年達を睨んでいるが、不思議と凶悪さのようなものは感じられなかった。人に慣れているのか、それとも見かけによらず争いをしない性格なのだろうか。

 

「だいたい、こんな生き物が犬や猫のわけがないだろ。近くの森で見つけて、俺たちが正体を調べてやってんのさ。いじめなんて勘違いするような間抜けは引っ込んでろよ」

 

「ま、間抜けですってぇ・・・・・・!」

 

 遠目からでも分かるくらい、ビアンカの眉がつり上がった。これはマズいと思ったのか、リュカがビアンカを庇うように前に出る。

 

「やめなよ。どう見たっていじめているだけじゃないか! 弱い者いじめはしてはいけないって、お父さんに教えてもらったんだぞ!!」

 

「ああん、なんだお前。よそ者が粋がってんじゃないぞ」

 

 案の定、矛先がリュカに移る。子供達は明らかにリュカを邪魔者として扱うようだ。

 

「そんな汚い格好でウロウロするなよ。俺たちの町が汚れるじゃないか!」

 

「俺たちはこの町で生まれたんだから、俺たちの言うことを聞けよな。女と遊んでいるよそ者くんよぉ!」

 

「そりゃあいいや。貧乏な家で生まれたオカマ君は黙って、おままごとでもしてろっ」

 

 ゲラゲラと笑う2人組の子供。手に持っている生き物を放すどころか、さらに強く振り回す始末。そのせいで、生き物が悲鳴のようにグゥンと鳴きだした。

 

 それに対し、ビアンカだけでなくリュカもまた、拳を固めて睨んでいくのが分かった。自分だけならともかく、サンタローズの村まで馬鹿にされたことが悔しくて仕方がないのだろう。

 

 何より、動物の心を全く配慮しない態度にも。見ろ。乱暴に掴んでいるせいで、苦しそうにうめいているじゃないか。

 

「っ・・・・・・!」

 

 流石に不穏な空気を感じ取り、アリスは外へと飛び出してしまう。まずい。このままでは取っ組み合いの喧嘩になってしまう。背後からシスターの声が聞こえたが、それを言語として認識することはなかった。

 

 小川を迂回して、修道女見習いは走る。それに気付かない少年少女達は、さらに口論を続けていた。

 

「止めなさいって言っているでしょう。そんなに振り回して、可哀想に。それにリュカは立派な男の子よ。あんた達みたいに昔、野良猫にちょっかいを出して引っかかれて、大泣きしていた奴とは違って」

 

「な、なんだよ。そんな昔のことをいつまでも!」

 

「あら。それとも去年の秋に最後のおねしょをしていたような奴は、ご立派な大人の子とでも言いたいのかしら。宿屋の二階からこっそりと布団を干しているの、見えていたんだからね」

 

 その言葉に、とうとう男の子達も顔を赤くした。自分達の過去の失敗を堂々と言われれば、流石に心中穏やかではいられまい。

 

「なんだよ。僕のことをよそ者だのオカマだのって。君たちの方が、よっぽど子供じゃないか。弱い者いじめもおねしょも、僕は絶対にしないぞ」

 

 リュカもまた、ビアンカに便乗して反論する。そうとも。こんな男の子達に負けちゃあいけないんだ。女の子だけに戦わせてはいけない。

 

 実際の所、この猫もどきに対するいじめも、当人達の過去の失敗を払拭したくてやっているだけなのだ。ただ、本当に珍しい声で鳴くのでつい夢中になっていたため、今更他の者に渡すのも惜しいという独占欲が生まれてしまっていた。

 

 だが、今はそんなことはどうでも良い。どうにかして、ビアンカと新参者の少年を黙らせなければという子供ならではの短絡的な思考が、少年の身体を動かす。

 

「う、うるさい。もう黙れよっ!」

 

 小動物を持ったまま、少年がビアンカを突き飛ばそうと手を出す。突然の行動にビアンカが身を固くした。

 

「やめてください!」

 

 と、そこで小さな影がビアンカと少年の間に割って入る。リュカ、ではない。彼もまたそうしようとして、乱入してきた影よりも一歩遅れてしまったのだから。

 

 少年に、ドンと強く押された影――――仲裁に入ったアリスは、衝撃に脚のバランスを崩してしまう。彼女も年齢の割に体力はある方なのだが、流石に飛び込んだ際の勢いを殺しきれていなかったせいもあり、押された方向に向かってよろめいた。

 

 さらに、アリスにとって大変運の悪いことに、倒れ込んだ先は――――小川。

 

「あ?」

 

「は?」

 

「え?」

 

「お?」

 

「ウ?」

 

 間の抜けた子供4人と一匹の声。それと同時に、アリスは――――

 

 ――――飛沫を立てて、頭から水浸しになった。

 

 

 

 

 温かい湯気が立ち上る湯船に肩までつかり、ようやくアリスは一息つくことが出来た。サンタローズの教会には設置されていないシャワーを浴びるというのは、地方都市アルカパならではの贅沢なのだろう。

 

 とはいえ、今はそれを素直に喜ぶことは出来ない。そもそもアリスのような派遣の見習いシスターが、なぜ他の神父や先輩シスターを差し置いて一番風呂に入っていることが出来るのか。

 

 言うまでもない。未だ冬の気配の濃い空気の中、冷えた小川に頭から突っ込んだからだ。それが、数刻前の出来事である。

 

 一部始終を見ていたシスターが血相を変えて駆け寄ってくれるまで、アリスはずっと男の子達2人組の嘲笑に晒され続けた。実を言うと、その辺りの記憶が曖昧なのである。突然凍えそうな目に遭えば無理もないかも知れないが。

 

 気がついたら、シスターに連れられて入浴の用意をすることになり、彼女は言われるがままに入浴することになった。

 

 本当に申し訳ないことをしてしまったと思う。アルカパで奉公をするべき一日目で、こんな迷惑をかけてしまうとは。両手で火照った顔を覆う。

 

 と、いつまでも落ち込んでいても何もならない。早めに上がらないと、次に入りたがっている人に迷惑だ。

 

 浴槽から出ると、僅かに赤みがかった少女の一糸纏わぬ肢体があらわになる。湯の雫が名残惜しげに彼女の肌や銀の髪を伝い、浴槽に入っていった。

 

 用意してくれたタオルで身体を丹念に拭く。それから清潔な白い下着を穿いて、スリップの紐を肩にかける。その上から修道女の衣服に着替えた。

 

 よし。これで、準備万端。今からでも何か仕事を始められる気分だ。まずは、夕飯の洗い物から始めるとしよう。

 

 しかし、その前に。

 

「アリス。怪我はない?」

 

「ごめんね。私を庇っちゃったから・・・・・・」

 

「いいえ。私が勝手に落ちてしまっただけなんです。どうか気にしないでください」

 

 それよりも、差し出がましいことをしてすみませんでした、と頭を下げるアリス。その様子に慌ててつられたように頭を下げるのは、ビアンカとリュカ。

 

 そう。2人はアリスが心配で、ずっと礼拝堂の椅子に腰掛けていたのである。事情を知っているシスターも一緒に付いており、神父や戻ってきたシスターにも一通りの事情を話していた。

 

 本当に優しい2人だ。アリスは思う。それと同時に、本当に良い友達が出来て良かったと、嬉しい気持ちも湧いてしまった。あんな事があったばかりだというのに、もう気にならなくなってしまうそうになる。

 

 だからこそ、いつまでも負い目を持たせるわけにはいかない。アリスはできる限り2人は悪くないと諭そうとする。

 

「ごめんなさい」

 

「いえ、私が・・・・・・」

 

 謝ろうとするアリスに、ビアンカとリュカは同じように謝ろうとする。しばらくそんなやり取りが続き、見かねた神父がやんわりと口を挟む。

 

「アリスを案じるその純粋な心、誠に痛み入る。こちらも事情は聞いたので、今日の所は帰りなさい。早くしなければ、夜中と呼んで差し支えない時刻となってしまうぞ」

 

「あ・・・・・・お、お母さんが待ってる!」

 

「お父さん、怒っているかな・・・・・・?」

 

 心配している親がいるのであろうと告げると、ビアンカとリュカはつい窓から外の空の様子を確認してしまう。すでに茜空は消えかけ、群青色の夜の気配がさしかかっていた。

 

 それじゃあ失礼しますと、慌てて出入り口へと向かっていく少年少女。最後にアリスに最後の詫びの言葉を口にすると、彼女の返事も聞かずに夜の町へ姿を消した。

 

 さてと、と神父はアリスに向き直る。自然と、修道女見習いの少女は背筋を伸ばしたものの、すぐに危うく俯きそうになる。

 

 でも、とアリスは黙って神父を見返した。

 

 叱責なら甘んじて受け入れよう。だが、友達を助けようとしたという気持ちだけは間違ってはいないはず。それだけは、たとえ夜空の外へたたき出されたとしても曲げるつもりはなかった。

 

 その神父は、ニッコリと。まるで聖者のような微笑みを浮かべて。

 

「ご飯抜きと拳骨、どっちが好みかね?」

 

「・・・・・・・・・・・・拳骨です」

 

 少なくとも、外で空腹に耐えながら一夜を過ごすよりは温情がある。アリスはそう思うことにした。

 

 人助けは、とても尊いこと。けれど、それとこれは別なのだ。

 

 

 

 

「アリス。次はこれを」

 

「はい・・・・・・ああっ、まだフラフラします」

 

「情けない声を出してはなりません。これも、神父様の試練です」

 

 夕餉が終わった後、アリスは洗い物をしていた。監視役の先輩が出入り口を背にこちらを厳しく見ているので、手抜きは許されない。別に仕事に手を抜く気もないのだが。

 

 偶に、脳天にぷっくりと膨らんだタンコブが修道女のヴェールを持ち上げている姿は、中々にシュールなものがある。かといって、それを笑う者などいなかったが。

 

 これで何枚目の皿洗いだろうか。もう数えるのも億劫だ。それでも手元は休めず、慣れた手つきで皿を洗う。水道があるので、わざわざ川からくみ上げなくて良いという意味では確かに楽と言えば楽だ。だが、その洗う数が半端ではない。

 

 ええっと・・・・・・この教会って確か約20人くらいの人が働いているんですよね?

 

 気が遠くなる。終わる頃には、すでに就寝する時間になっているのではないか。

 

 やはりと言えば良いのか、ゲンコツ一発だけでは到底罰としては軽すぎる。頭にいいのをくらった後、夕食にはありつくことが出来た。だが、神父の慈悲はそこまでだったらしい。

 

 体よく、後片付けを自分1人だけに押しつけられたアリス。遠い目になりながらも、アリスは自分への試練と言い聞かせながら皿洗いを続けていた。

 

 泣くな、アリス。神様はいつも公平とは限らない。

 

「その・・・・・・ごめんなさいね、アリス」

 

「ふぇ?」

 

 唐突な声と涙を堪えていたために、少々引きつった口調で返事をしてしまう。

 

 僅かに離れた横では、年上のシスターが洗い物をしているアリスの様子を見ていた。一瞬遅れて、彼女は自分と一緒にリュカ達の様子をうかがっていた人だと思い出す。

 

 名前はジゼル。彼女はどこか、申し訳ない様子で視線を彷徨わせていた。

 

「ちょっと、私の伝え方が良くなかったみたい。ビアンカちゃん達を守るためにした事だって言ったんだけれど・・・・・・」

 

「い、いえ。迷惑をかけてしまったのですから、皿洗いくらいは出来ます。いつもしているので、ジゼルさんが気にすることではありません」

 

 慌てて、洗い物をしている手を早める。何度か手伝おうとするようなそぶりを見せるジゼルだが、監視しているシスターの視線に足を止めてしまう。

 

 しばらく、皿洗いの音だけが厨房に響く。アリスは7歳だが、家事の手つきはすでに慣れきった人間のそれだ。洗い物もあと5人分程度まで減った頃、ジゼルがアリスに声をかける。

 

 仕事をしながらで良いから、とジゼルは前置きをした。

 

「実はね。あの子達って、この町じゃあ有名な2人組なのよ」

 

「2人組って、あの猫みたいな生き物をいじめていた、あの2人ですか?」

 

「そうよ。お店の壁に落書きをしたり、歩いている大人に水をかけたり。自分達は子供だから何をやっても許されると勘違いしてしまっているみたい」

 

「そうなんですか。それは、ご両親の方も困り果てているのでは?」

 

「もちろんよ。でも、あの子達にとっては親の言葉なんてどこ吹く風で。この前なんて、他のシスターが注意をしたことがあるんだけれど、逆にイタズラをされて逃げられてしまったらしいの」

 

「イタズラですか?」

 

「そう。中でも顔が可愛い女の子なんか特に」

 

「それは、どのようなイタズラなんですか?」

 

「スカートめくり」

 

 あっさりと言ったその単語に、アリスは一瞬だけ硬直する。それはまた、なんとも子供じみたイタズラを。

 

 いや、この場合は悪ガキらしいと言うべきか。

 

「近所の女の子は、大概狙われたことがあるらしいわよ。ビアンカちゃんも含めて。アリスも気をつけてね」

 

「は、はい」

 

 アリスは素直に頷いた。ビアンカが元から男の子2人に対して敵愾心剥き出しだったのは、そういう背景があったかららしい。

 

「あ、でも」

 

 と、ジゼルは思い出したように付け足した。

 

「もしかしたら、アリスはもう狙われているかも知れないわね」

 

「え?」

 

「ほら、アリスはフラフラしていたから覚えていないかも知れないけれど。あの時の姿、バッチリあの2人に見られていたわよ」

 

「あの時?」

 

「水浸しになった時、濡れた服が身体に張り付いていたから。下着のライン、ハッキリと浮き出てたじゃない。あいつら笑っているフリをしていたけど、明らかに興味津々だったし」

 

「え、あっ。変なこと言わないでください!」

 

 頬が熱を帯びるのを自覚しつつ、ジゼルに抗議をするアリス。すでに洗い物は全て終わっていた。

 

 その反応が面白かったのか、わざとらしく思い出す仕草をするジゼル。どうやら彼女は、人をおちょくるのが好きなタイプのようだった。にんまりと笑う顔が、なんとも聖職者らしくない。

 

 シスターにも色々な人がいる。アリスは7歳にしてそう悟った。

 

「そういえばアリスって、子供なのに変な色気があるわよね。ただでさえプラチナブロンドなんて珍しいのに、濡れてキラキラ光っていたし。濡れたスカートを絞っているときなんか、脚が思いっきり見えていたっけ。あの子達、無言で凝視してたわよ」

 

「やめてくださいよっ。アレは、水浸しになっているのが気持ち悪かったからで!」

 

 赤面が止められないまま、両腕をブンブンと動かす。ジゼルにはそんなアリスの反応が楽しかった。

 

「あとは――――」

 

「ですから――――」

 

「うおっほん」

 

 キャアキャアと騒ぐ中、一つのわざとらしい咳払いがそれを中断させる。

 

 あ、と2人は思い出す。すっかり存在を忘れていた、監視役のシスターを。

 

「さて、と。シスター・アリス。並びに、シスター・ジゼル」

 

 ポキポキと指を鳴らしながら、近寄ってくるシスター。修道女というよりは、どこぞの武道家のような空気を纏わせている。

 

 うん。本当にシスターはいろんな人が集まる職業だ。

 

 あ、そういえばこの人、怒ると怖いんだった。そんな今更な情報を、顔を引きつらせて呟くジゼル。

 

「私も、拳骨は得意でしてよ?」

 

 

 

 

 次の日。

 

 就寝するというよりは失神しながら夜を過ごしたアリス。そんな彼女に、早朝から一つの事件が飛び込んだ。

 

 ビアンカとリュカが、行方不明になったのである。

 

 

 

 

つづく

 

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