DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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幕間:Ⅱ
旅立つ前に


 

 

 

 

 これは、アリスが西の大陸へ向かうまでの話。

 

 

 

 

 ラインハット解放戦線。後の世にそう解放記念日として呼ばれるようになるこの日の夕暮れ。大洋が山の狭間に姿を隠してもなお、新体制を祝って国中の貴族から家を失った者達まで喜びの声で満ちている城下の雑踏を覆い尽くそうとしている刻限。

 

 城の一階にある大浴場に入るための脱衣所にて、アリスは姿を現わした。使用人が数十人ほど入る事が出来そうなほどの空間に入り、指定の場所で衣服を脱ぎ始める。

 

 身につけていた賢者のローブは、傍らに立っている女性の使用人に渡す。その年配の女性は、まるで宝物であるかのようにアリスの衣服を受け取った。

 

「すみません。洗濯をしてくれるだけでなく、修繕までお願いしてしまうなんて」

 

「いえ。これが私の仕事なのです。まして、貴女様はこの国の救世主。私のような針子1人を使わせるのに、何の躊躇いがありましょうか」

 

「わ、私は出来る事をしただけです。ですが、そのお言葉は嬉しく思います」

 

 使用人の笑顔に、頬を染めたアリスは素直に礼を言った。ジャミのバギクロスを始めとした戦いの中、流石に幾つもの傷が付いた賢者のローブ。あらゆる箇所が切り刻まれている姿は、流石にデール王も見咎めたのだ。

 

 どうか、今日は一日だけでもこの城で休んで頂きたい。王様の懇願に近いその言葉は、アリスやフローラ達といえども断ることができなかったのだ。それに、何より傷が付いていることは確かなので、衣服を新調しなければいけない。

 

 アリスとしては、出来る事なら賢者のローブ以上に優れた装備を持っていないので、他の防具品に替えることは避けたかった。すると、そこはデール王が解決してくれたのだ。優秀な針子でもある使用人を付けるので、心配しないでほしいと言ってくれたのだ。

 

 何でも、この使用人は王族の衣服を造りあげる有名な針子の家系でもあるらしく、城の専属として雇っているのだという。そんな人を任せてくれるところに、デール王のアリスに対する感謝の心が透けて見えるというものである。

 

 中年の使用人は、一瞬だけ目を細めて手元のローブを観察する。そして、すぐに柔らかい視線に変わった。

 

「大丈夫です。この程度でしたら、アリス様が入浴を済ませている間に修繕できます」

 

「あら。それは素晴らしいですね。私も針子の心得はあるつもりですが、そこまでは」

 

「恐れ入ります」

 

 頼もしい言葉に感謝を示しつつも、アリスは上下共に純白のレースをあしらった下着を外す。この下着は自分のお手製なのだが、そろそろ新しいデザインのものを作っても良いのかもしれない。その時は、この使用人にもいくつかアドバイスを貰おう。

 

 浴室のドアを開けると、そこは大浴場と呼んで差し支えないほどの広さがあった。大広間を丸々浴場に変えたかのような規模で、普段は100人近い使用人や、時には貴族が使っているのだろう。

 

 レヌール城にも使用人専用の大浴場はあったものの、アリスとリュカが生活を始める以前から、既に壊れていたのだ。そのため、2人とも入浴は恐れ多くも王室専用の風呂場を使っていたのである。実際に使用できるようになるまで苦労した記憶があった。

 

 中には、人の姿はない。使用人は脱衣所の隅でローブの修繕を始めているはずだ。アリスは身体を洗い、汗や汚れを落とすことに専念する。

 

 思っていた以上に血や汗などが肌にこびり付いていたのが、こうして身体を洗っているとよく分かる。それが泡や水と共に浮き出て流れているのだから、身体を清潔にするのは気持ちが良い。

 

 白い肌に、引き締まった腰回りや腕と脚。それでいて女性らしい柔らかな肉付きを失っていない健康美。果実のような乳房に滑らかな太腿は、男からすれば涎が出そうな程の色香を纏っていた。

 

 唯一、この肌に触れたリュカも例外ではない。何度抱いても飽き足らないアリスという美女の肢体は、彼の雄の本能を限界まで刺激し続けていたのだから。アリス自身は、今ひとつ己の魅力には自信がなさそうであるのだが。

 

 泡が纏わり付いている身体を湯で流し、湯船にそっと入る。途端、疲れが溶けていく感覚に溜息が出そうになった。

 

「・・・・・・気持ちが良いものです」

 

 つい、独り言を呟いてしまう。ここのところ戦い続きであったために、この世界に来てからは久しぶりの安らぎの一時であった。

 

「失礼致します」

 

 と、声がかかる。誰かが入ってきたようだ。

 

 髪をアップにしたフローラだ。彼女も入浴を進められたらしい。髪をアップにした見た目が、何となく普段よりも活発な印象を抱いてしまう。

 

 バスタオル越しでも分かってしまう、バランスの取れた体型。出るところは出ていて、引っ込んでいるところは引っ込んでいる。アリスに負けないほどの白い肌は、まるで彫像のようであった。

 

「あら、フローラさん。お先に頂いております」

 

「いえ。アリスさんが一番お疲れでしょうから。それに、私だけではありませんもの」

 

「?」

 

 フローラだけではない。その言葉に首を傾げていると、その答えはすぐに浴場に入ってきた。

 

「ふうん。まあまあじゃない。これくらいなら使ってあげるわ」

 

「シスター・デボラ。いくら女性同士とはいえ、もう少し・・・・・・!」

 

 フローラの姉であるデボラと、司祭のリディアであった。リディアはともかくとして、デボラの方はバスタオルを片手で前に当てているだけの格好であるため、引き締まった腰回りや両手では収まりきらないほどの胸が半分零れかけている。アリスは密かに、自分と同じくらいだろうかと思った。

 

 しかし、そのデボラよりもなお大きな果実を2つ持っている女性がリディアである。この中では唯一熟女と呼ばれる年齢のため、小娘の中ではひときわ目立ってしまう。きっと、アリスがあの領域にたどり着くには数年はかかるだろう。

 

 焦ることはありませんか、と彼女は自分を納得させる。身体を洗った3人は一言断ると、揃ってアリスの傍へ足を入れてきた。

 

「ふう、いい湯ですね。修道院の浴場もそれなりの大きさなのですが、まさか王家のものを使うことができる日が来るとは」

 

「あら。私のパパだって、これくらいのお風呂場なんてすぐに造ってくれるわよ」

 

 リディアの何気ない言葉に、デボラが突っかかる。それを横目に、フローラはアリスに声をかけた。

 

「アリスさん。今回のこと、本当に感謝しております」

 

「は。感謝というのは一体?」

 

「私がアリスさんと一緒に、戦うことを許してくれたからですよ」

 

「いいえ。それは全てフローラさん自身のご意志によるもの。どうか、その言葉は誰かに対してではなく、あの時のフローラさんの心にこそ向けるべきです」

 

 それは、己の誇りから生まれたものなのですと、何気なくアリスは説いた。フローラは頬を桜色に染める。

 

「まあ、そんな。アリスさんは、まるでリディア様のようなことを仰るのですね」

 

「そうなのですか?」

 

 アリスはつい、リディアに話を振る。彼女もまた、なるほどと言いたげな様子であった。

 

「・・・・・・そうですね。同じ立場ならば、私も似たような内容を説いて、シスター・フローラを諭していたでしょう」

 

 それは、幼い頃から慕っている大先輩に近づけたと解釈しても過言ではない言葉であった。アリスはつい緩みそうになる顔を意識してしまい、手で頬を押さえる。

 

 そこからは、他愛もない世間話が始まった。お互いの趣味や、好きな色。得意な魔法といったあれこれを。デボラが自慢を交えた話題を作り、フローラがそれに相づちを打つ。アリスも自分の考えを交えた話を挟み、リディアは年長者らしく聞き役に徹する。

 

 そんな、お互いの緊張感や警戒心を解くための暗黙の了解。それでも、彼女達はそんな事を棚に上げ、楽しく話を続ける。

 

「ところで、アリスさん」

 

「はい?」

 

 フローラが何気なく尋ねる。

 

「失礼ですが、アリスさんは・・・・・・修道女の御方に戦い方を学んでいたのですか?」

 

「・・・・・・何故、そう思うのでしょうか?」

 

 質問を質問で返す無作法を申し訳なく思いながらも、アリスはあえてそう言った。同時に、彼女自身もいつかは訊かれることだろうと覚悟をしていたからだ。

 

「あのジャミという魔物と戦っていた時です。私の見間違えでなければ・・・・・・あの槍術は私たち修道院のそれに似ていましたから」

 

 アリスはフローラの観察眼に内心で舌を巻きながらも、想定された質問に返す。

 

「ええ、そうです。私の師の名前は訳あって教えることはできませんが・・・・・・私も幼い頃はシスターを目指して修行をしていたことがあるのです」

 

 勿論、今でも鍛錬は欠かしてはいませんがと付け足した。そこへ、リディアが口を挟もうとする。

 

「では、何故諦めて・・・・・・いえ、失礼致しました」

 

 何となく理由を察したリディアは、それ以上追求を避ける。ご配慮感謝致しますと返すアリス。

 

「?」

 

「フローラ」

 

 1人だけ理由に気づかず目を瞬かせているフローラに、姉は呆れた声を出した。続けて話題を変えるデボラ。

 

「まあ、そんなことはどうでも良いわ。それじゃあ、今のあんたは何をやっているわけ?」

 

「何を、とは?」

 

「シスターを目指すのを止めちゃったんでしょ。じゃあ、今のあんたは無職ってわけ?」

 

「・・・・・・そこを突かれると、少々弱いですが」

 

 アリスは困ったように頬を掻く。なるほど。確かに今の自分は、仕事無しと思われても仕方がないのかもしれない。

 

「まあ、そうですね。旅人というのは定職ではありませんから」

 

「ふうん。一応、旅をする目的はあるのね」

 

「はい。私は・・・・・・生き別れとなってしまった彼を探したいのです」

 

「彼・・・・・・もしかして、あの時のですか?」

 

 フローラの脳裏に、神の塔で見た光景が思い起こされる。あの中庭に続く扉を開けたとき、確かにあったのだ。アリスと共に、見知らぬ男性が寄り添っている姿を。

 

 神の塔は、人の心が映し出される。つまり、あの彼と添い遂げることこそが、アリスの心の奥底にある願い。

 

「はい。私は、とある強力な魔物との戦いの際、離ればなれになってしまいました」

 

「・・・・・・」

 

「だからこそ、私は彼を探すことにこそ専念したいのです。私は、彼に会いたい」

 

「そう。そんなに惚れているのね」

 

「はい。眩しいほどに、素敵な男性です。だから、私はシスターの道よりも、人としての道を・・・・・・」

 

 アリスの頬が、熱い湯船とは別の意味で赤くなっていく。デボラはうんざりしたように手を振った。

 

「はいはい。もう分かったから、惚気なんか聞かせないでよ」

 

「話を振ったのは、デボラさんではありませんか」

 

「いい女になりたければ、これくらいは聞き流しなさい」

 

 その後、食事の用意ができたと使用人から呼ばれるまで、彼女達は浴場での井戸端会議を楽しんでいた。

 

 

 

 

 その後のデール王を交えた会食は滞りなく進み、彼女達にはそれぞれの個室が割り振られることになった。

 

 デボラ以外の3人は、流石に悪いと言って客室用を求めた。しかし、今回の件を境に器の広い王になりたいと決意しているデール王は、断固として譲らなかった。救国の恩人を客室に寝かせたとあっては、何も成長していない器の小さな王と部下達に侮られてしまうと。

 

 決意を固めた人間の成長は早い。それは、あの気弱だったデール王ですら例外ではないらしかった。

 

 元は、かつて城で暮らしていた大貴族の私室の1つ。半月ほど前に国を見限って城を去り、誰も使わない状態のまま残っているのだという。出入り口の向かい側は、壁が丸々ガラス張りになっている。

 

 そこを丸々間借りしてしまっているアリスは、どうにも落ち着かない気分のまま柔らかいベッドの上に腰掛けていた。常に手入れが行き届いているこの部屋は、調度品の1つ1つが市井に出回っていない高級品である。こういうことに無駄に税をかけていたのが、これまでの政治体制だったのだ。

 

 そうなれば、いずれはこの部屋の中にあるものは税の削減のために、市井か国外で売りに出されるのだろう。これまで奪い続けてきたものは、少しずつデール王やロザミア太后の手によって還元しなければならない。それこそが、国のあるべき姿なのだから。

 

 アリスは窓の一部を開けると、バルコニーに出る。城下には、夜闇の中で篝火に照らされた市民達が今も熱気に包まれた様子で、ラインハットの平和を祝っている。食事や酒は、城の溜まりすぎてしまった食料倉庫から提供されているのだろう。

 

「アリスさんも、眠れないのですか?」

 

「あ、リディア様」

 

 同じようにバルコニーに出ていたらしいリディアと、目が合った。彼女もアリスと同じように、貴族の寝間着を身につけている。

 

「そうですね。少し、夜風に当たりたいと思いまして」

 

「奇遇ですね。私もです」

 

 リディアはアリスに近寄り、一緒に城下を見つめる。ふと、彼女はアリスにポツリと呟くように言った。

 

「・・・・・・話して、いただけますか?」

 

「・・・・・・」

 

「貴女の、本当の事情を」

 

 かつて先輩のシスターだった女性は、城下のお祭りから目を離さないまま言う。

 

 まあ、そうですよね。アリスはどこか、諦めと共にそう思っていた。そうとも。こちらが何か意図的に隠していることがあるなど、とうに気づいていたはずだ。

 

 修道女の聖母とも言われていた前司祭、ヴェラ。その彼女が自分の公認として選んだのがリディアなのだから。自分のような小娘の微細な態度の変化など、すぐに気づく。

 

 そして、その隠している事実とは、きっとリディアや修道院にも関係のあること。

 

「・・・・・・やはり、リディア様には隠せませんか。出来る事でしたら、私はもう誰かにこちらの事情を話さないつもりでいたのですよ?」

 

「もう、という事は、誰かには打ち明けた経験があると言うことですか」

 

「はい。アルカパの町長代理のロジャース様と、この国の兵士長様。そして、シスター・ジゼルです」

 

「ああ。道理で、彼女は・・・・・・」

 

「シスター・ジゼルが、何か?」

 

 今度はアリスがリディアに質問をする。彼女は僅かに言いづらそうにしたものの、ハッキリと答える。

 

「おかしいとは思っていたのです。あの人当たりの良いシスター・ジゼルが、ああもアリスさんを忌諱しているなど」

 

「まあ、そうでしょう。実際、私の話を聞いた方々は、似たり寄ったりな反応でした」

 

 そうだ。だからこそ、出来る事なら2度と話したくはなかった。

 

 ――――だって、かつて大切だった人に拒絶される悲しみは、もう嫌だったのだから。

 

 それでも、と思う。彼女自身の心の奥底では・・・・・・誰かに話したかった。

 

 これは甘えだ。アリスはそう思っている。あの時、自分の事情を打ち明けたのは、ジゼル達に追求されたからではない。アリス自身が誰かに話して楽になりたかっただけなのだと。

 

 あの時。彼女は誰かから、そうだねという言葉が欲しかっただけなのだ。そんなアリスの心の弱さと孤独感が、ジゼル達の心を惑わせた。

 

 そんな彼女の内心をどう受け取ったのか、リディアは指を組む。それはアリスとて馴染み深い、修道女の祈りの姿勢。

 

「では、神に誓わせて頂きます。私は、アリスさんがこれから話すことを、全て信じましょう」

 

「・・・・・・リディア様」

 

 修道院の司祭が、神に誓う。それがどんな意味を持つのか、理解できないアリスではなかった。

 

 それは、騎士が王に対する誓いと同等と呼んで差し支えないほどの、絶対的な宣告。リディアは、アリスという少女が嘘偽りで人を騙すような人間ではないということを、司祭である己の立場をかけて信じると言ったのだ。

 

 アリスの中で、光が生まれていくのが分かる。欲しかった言葉を、物心ついた時から傍にいてくれた彼女が、言ってくれた。

 

「・・・・・・」

 

 きっと、今の自分は本当にみっともない顔をしているのだろう。上手く言葉を話そうとするが、しゃくり上げるだけで喉から息しか出てこない。

 

 涙があふれて、止まらない。バルコニーの手すりにも、足元にも。ボタボタと頬を伝った雫が落ちていく。

 

 そんなアリスの姿を、リディアはまるで我が子のように抱きしめる。それはまるで、母親のソフィア王妃のような優しい暖かさで。

 

 シスター・リディアは神に仕える修道女。迷える子羊を慰めるのに、何の躊躇いがありましょうか。

 

 アリスは思う。いつか、自分もこのような女性になれるだろうか。誰からもまるで母のように認められるような人に。

 

 

 

 

 全てを話すことができたのは、日付が変わった後のことであった・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませ、リディア司祭」

 

 ラインハットの解放が国民に認知されるようになってから3日後、修道院に2人のシスターを連れた司祭が帰還した。

 

 すでに一連の事情はラインハットの使者から聞いているらしく、事情をわざわざ尋ねてくる者はいない。彼女ら修道女一同は、純粋にリディア達の帰還を喜んでいるのだ。

 

「留守の間、お疲れ様です。何か、変わったことはありませんでしたか?」

 

「いいえ。特には」

 

 院の庭で、花の手入れをしているシスターが報告する。

 

「先日、ラインハットからの伝達があったきりでございます。それ以外は、日常的な活動を継続しておりますが」

 

「それなら良いのです。それでは、私は少々調べ物がありますので」

 

「はい。資料室は先程、清掃を終わらせたばかりですので。どうぞごゆるりと」

 

「感謝致します」

 

 リディアは礼を言うと、修道院の中へ入っていく。後に続いていくフローラとデボラだが、横から先程のシスターに声をかけられる。

 

「あ、シスター・フローラ」

 

「はい」

 

「何か、ありましたか?」

 

 どこか、神妙な顔だった。フローラはその意味が分からずに、目を瞬かせる。

 

「何か、というのは?」

 

「その・・・・・・少し、嬉しそうな顔をしていますから。勿論、この国が開放された事は喜ばしいことではあるのですが」

 

 フローラは、思わずデボラと顔を見合わせる。少しだけ呆れたような姉の視線が目に入った。

 

「そうですか。顔に出ていたのかもしれませんね」

 

「表情くらい取り繕いなさい」

 

 照れたように笑うフローラ。続けて、彼女はシスターに言った。

 

「私たち、友達ができたんです」

 

「私にとっては下僕だけどね」

 

「?」

 

 脳天に疑問符を浮かべるシスター。後でゆっくりと話しますと告げ、2人は修道院の中へ。大聖堂に姿を見せると、他のシスター達が心配そうに駆け寄ってきた。

 

「まあ、シスター・フローラ。ご無事で何よりです」

 

「国を救う大役のためとはいえ、無茶をなさらないでくださいまし」

 

 ある意味では勝手な行動を取ってしまったフローラに、彼女達は口々に労いや安堵の言葉をかけてくれる。

 

「そういえば、シスター・フローラ。ラーの鏡はどちらに?」

 

「はい。私が預かっております」

 

 シスターの1人の言葉に、フローラは手にしている道具袋から鏡を取りだした。神の塔に奉られているアーティファクトは、今もなお神秘的な魔力が込められている。

 

「これがそうなのですね・・・・・・」

 

 シスターの中には、ラーの鏡を見るのが初めてという者もいて、興味深そうに観察していた。彼女達も、そう遠くないうちに神の塔の試練を受けるだろうに。

 

「っ・・・・・・」

 

 そんな中、フローラの隣に立っていたデボラが妙な反応を示した。自分の背後を振り返り、ラーの鏡に視線を戻すという行為を繰り返す。

 

「姉さん。どうかしましたか?」

 

「ちょっと。それ、貸しなさい」

 

 デボラは、フローラの手からラーの鏡を取り上げる。突然の行為に目を丸くする周囲に構わず、彼女は鏡で背後を確認するような仕草をした。

 

「姉さん?」

 

「ちょっと。これ、どういう事なのよ・・・・・・?」

 

 彼女にしては珍しく、声が固くなる。映っているのは、自分の顔と、背後の壁に掛けられている絵画。院の卒業生が残したという、当時のシスター達の姿。リディアが手前の不自然な空間に手を添えている奇妙な一作だったはず。

 

 だが、ラーの鏡には・・・・・・そのくり抜かれたような空間に、少女の姿が映っている。聖書を両腕で抱き、後ろのリディアが愛おしそうに少女の肩に手を添えていた。

 

 そして、その聖書を抱いた女の子は――――あまりにもアリスに似すぎていたのである。

 

 

 

 

 年期ある大型のテーブルには、ゆうに10人以上の人間が椅子を並べられる広さがあった。この資料室には、そんな机が数カ所に設置されている。

 

 そして、そんな机の数など問題にならないほどの本棚が、所狭しと壁や本棚同士を背後にして存在していた。資料室と名目上は呼んでいるものの、実際の用途は図書館が近い。

 

 勉学や鍛錬を徹底する修道院。だからこそ、書物の出入りなど日常茶飯事だ。中には、まだリディアすら目を通していない学術書や、学者でしか読めない神秘学といった専門書なども存在している。

 

 そして、今。リディアはテーブルに数冊もの魔道書を置いたまま椅子に腰掛け、そのうちの一冊に目を通していた。

 

 その書物は――――現在では、辛うじて名前のみが残っているような古代の呪文に関する記述。その中に、目的の名前が記されていた。

 

 本当は呪文以外にも魔物のみが使うような特技などを探そうと思っていたが、リディアはどうやら一冊目で当たりを引いてしまったらしい。

 

 探している項目は――――バシルーラ。

 

 そう。アリスから教えられた呪文だ。魔物の中で再現に成功し、旅の扉へ付与したという。

 

 彼女からの話は、常人には信じられない内容であった事は確かだ。だが、リディアは信じた。それは、彼女が単に疑うことを知らなかったからというわけでも、誓いを立ててしまった手前、表向きそうしたというわけでもない。

 

 リディア自身も、長い年月の中で失われた魔法があるという事は知っていたからだ。アリスから聞いた名前を元に、そのバシルーラという呪文を調べなければ。

 

 そして、その記述を見つけた。心なしか、背筋を伸ばして真剣な目のまま読み始める。

 

「これは・・・・・・」

 

 

 

 

 デール王に別れの挨拶を済ませたアリスは、ラインハット城を出た。その際、この国に仕えてみる気はありませんかと提案されたものの、アリスは丁寧に断ったのである。

 

 城を出る途中、アルダン将軍とも出会った。幼い頃に一度。アルカパの前でもあの魔物が姿を借りていた相手。この時、初めてアリスは本物の将軍に出会ったのだ。

 

 生きていたのかとは思わない。姿を化けるのに、モデルが生きていなければ困るのだろう。アリスが初めてラインハットに来る前から、彼はずっと深い城の地下で幽閉されていたのだ。

 

 それが、今。ようやく日の当たる世界へ戻ったのだ。これからは、この国のために尽力を尽くすことだろう。

 

「この度の事、大変申し訳ありませんでした。そして、我が国をお救い頂いたこと、私は生涯忘れることはありません」

 

 頭を深く下げ、アリスに謝罪をしたのだ。彼女はどうか頭を上げてくださいと言う。

 

「感謝のお言葉は、有り難く受け取らせて頂きます。ですが、将軍様を救った者は、私だけではありませんよ」

 

 そう諭し、アリスは城下の道路を踏みしめる。人々は既に堂々と外を出歩き、ずっと塞がっていた店舗には新しい商品が出そろっていた。

 

 人々はいまだ覚めやらぬ解放の喜びに満ちあふれ、笑顔で品物を売り買いしている。少し前までは、考えられなかった光景だ。

 

 兵士達は誰にでも来訪者に向かって、我が国へようこそと言える。市民達は、笑ってお客様にサービスができる。

 

 そんな人々の在り方の中、アリスはゆっくりと歩く。誰かが彼女の存在に気づき、アリス様だと声をあげた。気恥ずかしそうに会釈をすると、僅かながら足を速める。恐れ多い事だが、自分もまた英雄の1人として、ラインハットの人々に顔を覚えられてしまっているのだから。

 

「・・・・・・?」

 

 ふと、遠くの露店が目に入った。売られている野菜や特産品の前を横切っていく、2人の男女が見える。

 

 カップルなど、別に珍しくもない。だが、その2人の姿だけはアリスの中で妙に印象に残ったのだ。

 

 気のせいか。その女性の方は、どこかシスター・ミランを思わせる雰囲気があった。遠目であり、何よりすぐに人混みに紛れてしまったため、確認をすることは叶わなかったが。

 

 何かの衝動に駆られ、小走りに駆けていく。突き当たりを曲がると、衣料品を中心とした市井に出た。

 

「・・・・・・」

 

 人はいる。だが、探していた女性は見当たらない。どうやら、見失ってしまったようだ。あるいは、ただ何処かの店の中に入っていっただけか。

 

 だが、流石に居るかも分からない店の中まで探す気は無かった。何より、それは店の店員に失礼だ。

 

 赤の他人だったのかもしれない。見間違えだったのかもしれない。

 

 それでも良かったと、アリスは思う。彼女は、今でもミランが何所かで生きていると信じている。きっと、それはそう遠くない場所で。

 

 あの優しい先輩が、今も生きている可能性。それだけでも、アリスにとっては大きな希望なのだから。

 

 きっと会える。また、いつかきっと。

 

 ラインハットの市民達はどこまでも足取りを軽くして、今日という日を力強く生きている。そして、アリスも。

 

 空を見上げた。暖かい風が、大陸の全てに安らぎを与えてくれる。

 

 そして、そんな新しい風は――――アリスの背中をそっと押してくれていた。

 

 

 

 

つづく

 




前話に組み込んでおくべき話でしたが、諸事情で番外編的な形として1本にまとめさせていただきました。
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