DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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乙女時代:Ⅱ
西の出会い


 

 

 

 

 港町、ポートセルミ。

 

 この西の大陸では最も大きな港として栄えており、かつては世界中の全ての大陸へ繋がる航路を持っていたほどの都市である。

 

 現在こそ魔物の活発化によって、その活気にも影響が出ているものの、その港から発せられる船の操船技術は世界でもトップクラスとも言われている。

 

 貿易業や運送業者の発祥の地でもあり、この町はまさに大陸と他国との入り口なのであった。

 

 近年、ラインハットやアルカパといった北の国からの貿易が絶たれるという憂き目に遭い、港は一時期混乱に陥ったものだ。航路の変更や各地で販売するための運送品の見直し。

 

 しかし、この日。その国が解放されるというビッグニュースと共に、北の大陸との国交が再開されることになった。これまで故郷を離れていた者達や、逆に国外への旅行を望む者達で溢れかえっている有様である。

 

 嬉しい悲鳴を上げつつも、日焼けした船乗り達は一隻の船を迎え入れることになった。

 

 足場用の渡し板を取り付け、乗客が次々にポートセルミの港へ降りていく。商人や家族連れの一般人が、思い思いの声をあげながら街の中へと入っていった。

 

 そうとも。ポートセルミの港はこうでなくっちゃな。船乗りは満足そうに彼らの背中を見送ると、まだ残っている乗客はいないかと視線を向ける。

 

 ――――おっと。まだいたか。

 

 男が見たのは、1人の女性。綺麗な銀色の髪に白のヴェールが映えた、見る者を虜にしてしまいそうな美女であった。

 

 これから船に乗ろうと心待ちにしていた者達からも、どこからか溜息が漏れる。誰もが、その精霊と見間違えそうな容姿や立ち振る舞いに目を奪われたのであった。

 

 まだ少女と呼んで差し支えなさそうな彼女は、他の乗客を追うように波止場から受付の建物の中へと入っていく。

 

 そこで、船乗りは自分が最後まであの女性を目で追っていたことに気づいた。いかんいかん。親子ほども離れていそうな歳の娘に、何を考えていたんだ。

 

 我に返り、慌てて船の中へと向かう。降り損ねた乗客がいないか、忘れ物がないかを確認しなければ。

 

 ポートセルミの船は、今日も動く。1人の英雄がこの町に降りてきたことを、誰も知らないまま。

 

 

 

 

 とうに嗅ぎ慣れた潮風の香りが、強く吹く港町。実のところ、ラインハット領外に足を踏み入れる経験は、今回が初めてなのであった。

 

 幼い頃は国外まで出る理由が無く、あの絶望の世界では船が運航する姿など一度も見たことがない。そのため、ポートセルミの内外の人間が出入りする場所は、言い知れぬほどの未知の世界に見える。

 

 とはいえ、はしゃぐわけにもいかない。あまり周囲を右往左往していれば、世間知らずと思われる。何より、あまり正直ではない人間にとってのカモにされてしまう。

 

 できる限り堂々とした態度を意識して、受付で乗船券を渡す。手続きは手慣れた従業員の手で、ものの数秒で済ませられた。

 

 流石に港町というだけあって、ラインハットと同じように露店がそこかしこに並んでいる。他国の人間らしい商人が母国の装飾品や果物を販売しており、非常に活気があった。即席の海鮮料理を開いている店もあり、美味しそうな香りが潮風と一緒に漂ってくる。

 

 心なしか、町を歩く人々は食べ物を片手にしている家族連れや、スイーツらしきモノを持ったカップルが多い。子供同士のグループが港の波止場で競争している姿もある。

 

 休日なのか、人出が多い。行き交う人混みの中に紛れつつ、アリスはまず宿を探そうと考えた。まずは腰を落ち着ける場所を探さなければ。

 

 と、大通りを歩いている突き当たりに、周辺とは倍以上に規模の大きな建物が見えた。興味を引かれて近づいてみると、どうやらここが宿屋で間違いないらしい。

 

 出入り口の扉が3つほど設置されており、右が酒場専用。左が宿屋専用。真ん中は、どうやらその両方を兼ねているようだ。港がある町なら、当然宿泊施設も不自由がないように、すぐ近くへ建てられるだろう。

 

 加えて、この規模の大きさならば大勢の旅行者を迎えるのにも不自由はしないはず。アルカパのビアンカの家だった宿屋もかなりの大きさではあったが、ここは桁違いである。

 

 何はともあれ、早速見つけることができた。アリスは宿屋の出入り口へと入る。内装は巨大なホールと化しており、宿屋のカウンターはむしろ壁の隅に設置されている。建物の反対側には遠目で酒場のカウンターが酒の準備をしていた。複数の席には仕事終わりなのか、船乗りらしい男達が思い思いにくつろいでいる。

 

 何より目を引いたのが、ホールの中央にある巨大なステージであった。何か定期的に催し物を行うらしく、スタッフの人間が箒を片手に清掃を行っている。

 

 ――――こういう場所は、初めて来ました・・・・・・

 

 心なしか、ドキドキしてしまう。何だか大人の世界に、図らずも入ってしまったような気分であった。

 

 と、アリスは我に返る。いけない。まずは宿屋にチェックインしなければ。

 

 受付の女性に確認したところ、部屋は空いていた。アリスはお金を払って適当な部屋を指定し、スタッフの案内で部屋へ入る。

 

 清潔な手入れが行き届いている部屋で、アリスはベッドに横になると一息つく。旅の疲れがあるせいか、このまま柔らかいベッドで目を閉じれば一眠りできそうだった。だが、流石にそれには早い。

 

 食事の時間にはまだ早そうだ。今のうちに外に出て、探索を始めよう。

 

 なにより、リュカの行方を捜さなければ。

 

 最低限の荷物を手にして、鍵をフロントに預ける。食事前までには戻りますと伝え、彼女は同じ宿泊客らしい人々とすれ違いつつも外に出た。

 

 町の中央にある教会に寄り、祈ることを忘れない。もはや、これは習慣のようなものだ。神の花嫁でなくなったとしても、彼女にとって教会とは我が家のようなものなのだから。

 

「見事な祈りでした。もしや、旅の尼なのでしょうか?」

 

 シスターに尋ねられ、かつてはそうでしたと笑って答えておいた。どういう理由でか、その建物の地下で銀行が経営していたために、そちらにも寄っておく。

 

 この際なので、自分の口座を作っておこう。そう思い立ち、彼女は所持金を当面の生活費以外を残し、他を全て預けることにした。この旅で何が起こるか分からないので、用心に越したことはない。

 

 ついでとばかりに、アリスは気になっていることを尋ねてみる。何故、わざわざ教会の地下に銀行を設立しようと思ったのでしょうか、と。

 

 それに対し、受付の中年女性は困ったような顔をした。何でも、強盗対策のために教会を通して運営する必要があるらしい。

 

 ポートセルミは、確かに世界一の港町として盛んな都市だ。だが、その分仕事や会社の浮き沈みも多く、中には色々な事情で職を失ったりする者もウロつくことがあるのだ。

 

 仕事も資産もない人間ならば、自然と犯罪に走る者が増えることも必然。そういえば、解放する前のラインハットでも、城下はそんな感じでしたねと、アリスはつい考えてしまう。

 

 何所の町でもそういう者は生まれてしまう。成功すれば失敗する人間もいる。人生とは、ままならないもの。自分も、他人事と思わない方が良いのだ。

 

「特に、昨日だったかしら。見るからに浮浪者の2人組を見かけちゃったのよ。この辺りにもそういう人がウロつくようになるなんてねえ」

 

「お気の毒に・・・・・・きっと、色々な苦労をしてきた方なのでしょう」

 

 女性に礼を言うと、アリスは再び外に出る。その後は、住宅街や日用雑貨を販売する店を通り過ぎるだけ。

 

 その後は専門店も色々と目に付くようになり、いくつか目に付いた店舗で買い物を済ませておいた。武器や防具は今使っている物の方がよほど強いが、私服は購入しておくに越したことはない。

 

 絹で作られた衣服を何点か購入し、特に下着はかなりオシャレさや可愛さが前面に押し出されたデザインで、自分が作ったものとはかなりセンスが違う。

 

 勿論、アリスの手作りの下着もかなりレベルの高い物なのだが、やはり人が作った物というのは参考になる。気がつけば、数種類の下着を色違いで購入してしまった。

 

 おかげで生活費として残しておいた金額はかなり少なくなってしまったが、後悔はない。むしろ充実感に満ちた気分で宿へ戻った。

 

 購入した物を道具袋へ。手洗いとうがいを済ませると、アリスは椅子に腰掛けた。

 

 まあ、今日は収穫無しでしたか。

 

 収穫、というのは勿論買い物のことではない。リュカの情報だ。

 

 レヌール城にいたアリシア達の話によれば、自分はあの絶望の世界からこちらの世界へ戻った際、大きな光に包まれて舞い降りたという。恐らくは、ラーの鏡によって世界を越えたために、何かしらの魔力現象が生まれた事によるものだろう。

 

 ならば、同じようにこの世界へ戻ってきたリュカにも、きっと同じ現象が生まれているはずだ。それを誰かが目撃してくれていれば、きっとリュカの居場所にも繋がる。

 

 可能性としては低いものの、探す手がかりとしてはそれが現実的だ。リュカの容姿を人に話しただけでは、情報が弱すぎる。

 

 一応、リュカのことを尋ねた人には、アリスという女性が彼を探していたと理解してくれている。もし見つかったら、その人に伝えておくよと快く言ってくれた。しかし、それにもあまり期待しすぎてもいけない。

 

 アリスは食事を済ませるために、一階へ降りる。スタッフに案内された場所は、酒場の一角。どうやら、この酒場は食堂を兼任しているらしい。

 

 周囲には、既に船乗りや宿泊客が酒を片手に雑談を盛り上げている。知り合いがおらず、また騒ぐのが苦手なアリスは、できる限り邪魔にならないように隅のテーブルに腰掛けた。

 

 食事はパンとシチューといった具合だ。酒場を借りているせいなのか、メニューの殆どは酒や肉類が多すぎる。いくらシスターを止めたとはいっても、やはり重い食事は遠慮したかった。

 

 オーダーを頼み、しばらく待つことに。ステージには、まだ人はいない。そろそろ夕暮れになる頃なので、始まるのも近いのかもしれなかった。

 

「――――っ」

 

 すると周囲の笑い声に混じって、何か悲鳴のような声が聞こえてくる。何事かと周囲を見回した。

 

 どうやら食事処の外から、誰かが怒鳴り声を発しているようだ。アリスは周囲の客に混じって視線を向ける。

 

「おい、いいからその袋をよこせってんだよ」

 

「できません! これは私たちの最後の・・・・・・」

 

「どうせどっかの町人から盗んできたもんだろうが。俺等が有効に使ってやるぞ?」

 

 なんと、酒場の前に人混みの空間ができており、その中で諍いが起きているようだ。アリスは気になり、席を立つ。

 

 近寄ると、1人の女性が2人の男に詰め寄られている。男達2人は、いかにも荒くれといった外見で、目つきも悪い。かなり筋肉が付いていて、そこいらの船乗りとそう変わらない体格だ。

 

 翻って、女性の方はこう言っては何だが、まるでぼろ切れのような衣服を身につけている。もしや、銀行の女性が教えてくれた浮浪者なのだろうか。

 

 腕に抱えている袋には、金銭の類いが入っているらしい。それに目を付けて、男2人が強奪しようとしているのか。相手が浮浪者という事もあり、奪うことに躊躇いがない様子だ。それとも、普段から暴力行為には慣れているのだろうか。

 

 何はともあれ、いつまでも様子を窺っている場合ではなさそうだ。アリスは、こういった狼藉者を見過ごせるような女性ではない。

 

 人混みの中から足を踏み出し、声をかける。できる限り、自分に矛先を変えてくれそうな態度を意識した。

 

「そこの方々。いい加減にしていただけますか?」

 

 その声に、男達が顔を向けた。口を強く結んで袋を抱きしめていた女性も、困惑の瞳を向けてくる。

 

「んあっ?」

 

「何か用か」

 

 彼らなりに凄みを利かせた声で威嚇してくる。実際、周囲の町人は怖じ気づいたようにアリス達から一歩引く。

 

 だが、彼女からすれば全く効果はない。所詮は暴力を覚えただけの人間だ。全く平静なままで言葉を続ける。

 

「その女性から離れてください。他人から奪うほど力が有り余っているというのなら、真面目に働くことです」

 

「ケッ。とぼけた女だ」

 

「でもまあ、美人って事には違いねえな。俺等に一杯奢ってくれたら、考えてやっても良いぜ?」

 

「そりゃあいい。勿論、お触りオッケーでな」

 

 ゲラゲラと下品な提案をする男達に、浮浪者風の女性を含め、この場にいる女性陣は嫌悪に顔を俯かせる。アリス以外は。

 

「へっへっへっ。それじゃあ、早速付き合って貰おうじゃねえか」

 

 男の野太い腕が、アリスのローブの肩をグッと掴む。だが、その瞬間――――

 

「へっ?」

 

 ――――男の身体が宙返りをして、背中から床に叩きつけられた。

 

 悲鳴も上げられずに、悶絶する男。自分の仲間よりも一回り小さい女性が、軽々と投げ飛ばす。その事実を理解するのに荒くれは数秒もの時間を要した。

 

「はじめから止める気など無く、ただ暴力を振るいたいだけだと仰るのならば、始めに言ってくださればすぐにお相手致しましたのに」

 

「テメエっ!」

 

 腰に収めていた鞘から剣を引き抜いた男。周囲のギャラリーから悲鳴が上がる。

 

「後悔させてやる!!」

 

 荒くれがアリスに斬りかかる。顔を額から顎まで切りつけるつもりで振り下ろした。

 

 だが、手応えが無い。アリスの身体は、まるで分身でもしたかのように複数の姿に増えていたのだ。

 

 いや、それは荒くれの錯覚だ。そう見えてしまうほどの俊敏さで、アリスは身を躱しただけなのである。

 

 身躱し脚。あらゆる敵の攻撃に対応して、身を躱すことができる特技。荒くれの目には、残像によってアリスが増えているようにしか見えなかった。

 

「戯れはそこまでです」

 

「う、お・・・・・・」

 

 いつの間にか、アリスは荒くれの背後に回っていた。トンと背中を押してやると、男は受け身を取ることも出来ずに、直立のまま床へ倒れ込んでしまう。周囲から笑いの声が上がった。

 

 慌てて起き上がるが、もう先程までの戦意は失われていた。彼の瞳には、ハッキリと怯えが生まれている。

 

「今すぐに、お引き取りください。戦意の無い者を痛めつける事は致しません」

 

「・・・・・・く、そ」

 

 そんな絞り出すような声をあげることが精一杯の荒くれ。野次馬からも失笑の声が上がるが、それに怒鳴れるだけの気力はなかった。

 

「ま、待てや・・・・・・恥を掻かせやがって」

 

 先ほど投げ飛ばされた男が立ち上がり、剣を抜く。相方と違い、彼はまだ戦意を失ってはいないらしい。

 

「おい、よせよ・・・・・・この女、相当できる奴だぜ」

 

「そうはいくかよ。こちとら、稼ぎが無くて苛ついてんだからな・・・・・・」

 

 アリスは内心で嘆息しつつも、一応はいつでも迎撃できるように姿勢を微妙に変える。どのみち実力差がある上に、相手は千鳥足も同然だ。あと一回投げ飛ばせばそれで済むだろう。

 

 だが、その必要は無くなった。剣を構えていた男の背後から、1人の男が近寄ってきたのだ。

 

「おい、何やってんだ!」

 

「ぐおっ!?」

 

 後頭部を拳で殴られ、膝を付く荒くれ。殴った男は、女性と似たような格好の薄着の男である。彼も荒くれほどとまではいかないものの、かなり鍛えている体格をしていた。服や肌こそ汚れてはいるものの、清潔にしてそれなりの衣服に着替えれば、かなりスマートな外見になるだろう。

 

「すみません。俺が受付と交渉している間に・・・・・・!」

 

 男は女性に近寄り、安心させるように肩を抱く。先程とはうって変わって、相手を労る優しい声である。

 

「いいえ、気にしないでください。あの方に助けていただきましたので」

 

「あの方・・・・・・?」

 

 その若い男性は、アリスと目が合う。僅かに目を瞬かせると、彼女に頭を下げる。丁寧な物腰を見て、元は教養の高いところで生まれ育ったのだろうと思った。

 

「あの、危ないところをありがとうございました。彼女は、俺の連れなんです」

 

「いいえ。ただ見過ごせなかっただけです」

 

 さて、とアリスは荒くれ達に視線を向けた。彼ら2人は、親に睨まれた子供のようにビクリと肩を震わせる。

 

「もう一度言います。今すぐにお引き取りください。そして、その鍛えた腕を真っ当な仕事にこそ費やせるように願います」

 

「う・・・・・・」

 

 なんともバツの悪そうに、男は相棒に肩を貸して、この場を去っていく。姿が見えなくなったとき、一瞬の静寂の後でホゥと誰かから溜息が漏れた。

 

「もし。ご無事でしたか?」

 

 袋を抱きしめたまま、硬直している女性に声をかける。彼女は我に返ったように、何度も頭を下げた。男も、揃って同じようにする。

 

「は、はいっ。危ないところを、ありがとうございました」

 

「俺が目を離してしまったせいです。貴女のような人がいてくれて、本当に助かりました」

 

「お怪我は・・・・・・失礼致しました。愚問でしたね」

 

 アリスの目に映っているのは、薄着の格好をしている男女の手足に浮かんでいる痣や裂傷。見ていて、痛々しくなるほどだ。

 

 それを察し、女性は違うんですと告げる。回復呪文をかけようとしていたアリスは、その言葉につい動きを止めてしまう。

 

「実はこの怪我は、この町に来る前からあったものなんです。ですので、どうかお構いなく」

 

「来る前から?」

 

「あっ・・・・・・」

 

 女性は、思わず自分の手で口元を押さえる。今のは明らかに失言であった。男も流石に咎めるような視線を女性に向ける。

 

 何か深い事情があるらしい。そう悟ったアリスだが、目の前の彼女はどうやら自分の事情を話したくはないようだ。

 

「・・・・・・とにかく、今はどうか怪我を治させてはいただけませんか。私は回復呪文が使えます。これも何かの縁。このままというのは、あまりにもお気の毒でならないのです」

 

 とりあえず疑問を棚上げして、アリスは女性に手をかざした。回復呪文のホイミが淡い光となって女性を包み込む。

 

「ああ・・・・・・」

 

 痣が癒やされていく心地良さに、女性がつい声をあげてしまう。アリスは傷1つ無くなった身体を確認して、安堵の微笑みを浮かべた。続けて、男性も回復させる。

 

「どうぞお大事に。それでは」

 

「あの・・・・・・本当に重ね重ね、ありがとうございました」

 

「ありがとうございます。このご恩は、一生忘れません」

 

 2人の感謝の言葉に、アリスはスカートを摘まんで礼をする。まるで王族の娘と錯覚してしまいそうな立ち振る舞いに、周囲の人間が感嘆の声をあげた。

 

 男女はその場で別れ、アリスは酒場の席へと戻る。遅れて食事が運ばれた後も、彼女には周囲の視線を集めるようになってしまった。

 

「すげえな、あの女の子。賢者みたいな格好しているけど、ホントなんだな」

 

「どっかの旅の尼だろうよ。あんなに美人なんじゃ、すぐに別の町に行っちまうのか?」

 

「名前が知りたいわね・・・・・・」

 

 いえ、聞こえているのですが。アリスは声に出さずにそう思った。

 

 何となく居心地の悪いものを感じつつも、どうにか丁寧に食事を済ませる。今更になって、派手にやってしまっただろうかという後悔を覚えそうになってしまう。

 

 ――――いいえ。人助けは人の道。当然のことをしただけです。

 

 そうとも。人の注目を僅かばかり集めたから何だというのか。自分の行動が招いたことなのだから、責任を持って背負うべきだ。

 

 そう思い直し、アリスは会計を済ませる。宿泊客の食事料金は自己負担らしいが、その分値段が相応の割引をされていたので、正直に言って通いやすい。

 

 そろそろ部屋に戻りましょうかとホールへ向かいはじめるアリスの背中に、一本の影が伸びる。

 

「な、なあ!」

 

「?」

 

 僅かに緊張したような声が響く。アリスが振り向くと、酒場のカウンターの席から白いシャツに作業ズボンを穿いた若者がこちらを見ていた。頭にバンダナを巻いており、年齢からして見習いの船乗りだろう。

 

「あの、もしや私に声を?」

 

 若者は無言で2回ほど頷く。一体何の用事だろうかと思っていると、男は椅子から立ち上がる。

 

「あ、あのさ・・・・・・」

 

「はい?」

 

「さっきのチンピラ達・・・・・・この辺じゃあ有名な奴らだったんだ。だけど、誰も止められなくて。だから、あんたの姿、滅茶苦茶・・・・・・格好良くて、その、綺麗で。ひ、一目惚れですっ。俺と付き合ってくださいっ!」

 

 突如としてぶつけられる告白。声が大きく、酒場の人間どころかホールにいる者達の耳まで届いているであろう。

 

「あらあら。勇気のある子ねぇ」

 

「がっはっは。よく言ったな小僧」

 

「えっ。なに、会ったばかりなのに告白?」

 

「この場だけの出会いにしたくなかったんだろうな。大したもんだ」

 

 周囲から発せられる、好奇心に満ちた声。更なる注目の的になってしまったアリスは、たっぷりと5秒の間を作った後で、思考が再開する。

 

「と、突然そのようなことを・・・・・・」

 

 こういう告白をしてくる人もいるのですねと妙な事に感心しながらも、アリスは頬に熱が帯びるのを感じる。照れではなく、周囲の好奇に満ちた視線が恥ずかしいという意味で。

 

 少なくとも、青年の目は真剣だ。ならば、こちらも正直な気持ちを伝えないと。

 

「・・・・・・申し訳ありません。お気持ちは大変嬉しく思います。ですが、貴方と交際はできません」

 

「な、何でですか?」

 

 狼狽える様子の、名前も知らない男。アリスは、自分には恋人がいるのだと告げようとするが、男は興奮したように詰め寄ってくる。

 

「俺だったら、絶対に後悔はさせません。今は確かに船乗りになったばかりですが、貴女のためだと思えばどんな事にも堪えられます。だから――――」

 

「あ、あの。手を放していただけま・・・・・・」

 

 いつの間にかアリスのほっそりとした手を掴まれ、彼は自分の胸元近くに寄せている。乱暴に振り払うのはどうかと思ったので、どうしたものかと狼狽えた。

 

「おら、若造が生意気言うんじゃねえ」

 

「あっ!」

 

 瞬間、横から伸びた腕が若者の肩を掴み、アリスの手が解放される。先程まで若者の隣に座っていた中年の男性だ。どうやら船乗りの先輩らしい。そこに一緒に飲んでいた同僚達が2人ほど近寄って、若者を酒場から追い出そうとする。

 

「あ、あの。せめて、名前を・・・・・・!」

 

 何とか取り囲まれながらも、アリスに声をかけようとする若者。しかし、彼女との距離はどんどん遠くなっていくばかり。

 

「度胸は認めてやる。だけどな、こういう時は引き際ってモンが大事だろうが」

 

「安月給のオメーには勿体ねえよ。恥かく前に帰んな」

 

「新入りが迷惑かけるんじゃねえぞ」

 

 僅かに嫉妬を交えた同僚の手によって、勝手に事態が収拾されていく。目を瞬かせているアリスに、陽気な声がかかった。

 

「やあ。大丈夫かい、賢者様」

 

「あ、大丈夫ですが・・・・・・って、賢者様?」

 

 今度は同じ宿泊客らしく、金髪で身なりの整った男だ。いや、それよりも賢者様とは?

 

「いやいや。君の格好や、さっきの騒動を見ればそう呼びたくもなるよ」

 

「別段、賢者を目指しているわけではありませんが」

 

「まあ、周りの人はそういう憧れを抱いてしまっているということさ」

 

 言うだけ言って、彼は自分の席に戻る。彼は別に、妙な下心があったわけではなかったらしい。何しろ、すでに向かいの席には上質な絹のローブを身に纏った、同年代の女性が座っている。

 

 勝手にそんなイメージを作られても困るのですが。アリスはどこか納得がいかない気持ちになりつつも、今度こそ自分の部屋へと向かう。

 

 世の中には色々な人がいるのですね。旅をしていると、こういう事もあるのだろう。

 

 思えば、アリスはこの歳になるまでラインハット領から出た記憶が無い。6歳の頃のリュカですら、父親のパパスに連れられて世界中を回っていたというのに。

 

 国が変われば、文化や価値観も変わる。知識としては知っているつもりだったが、やはり実際に体験してみると、身にしみて実感した。

 

 2階の部屋に戻るためにロビーの階段を使おうとすると、近くには受付のカウンターが視界に入る。

 

「・・・・・・あら?」

 

 よく見れば、先程の男女が受付嬢と話をしている。彼女達も、どうやらこの宿屋へ泊まるらしい。

 

 女性は手元の袋から、宿泊費を出す。受け取った側の女性は、どこか複雑そうな顔をしながらも部屋の鍵を渡した。宿泊希望なら、それなりの格好でいてほしいというのが本音なのだろう。

 

 ともあれ、2人は問題なく泊まれるようだ。ならば、自分がどうこう言うことはない。次に会うことがあれば挨拶をしようと思いつつ、アリスは自分の部屋に向かっていった。

 

 

 

 

「くっはあ・・・・・・生き返った気分だぜ」

 

 シャワー室から上がった男性は、身体の汚れが全て落ちた爽快感を噛みしめた。清潔な熱い湯を浴びたことなど、何年ぶりだろう。

 

 無理もないことです、と女性は思う。彼の苦労は、本人の次に女性がよく知っているからだ。

 

 女性はすでにシャワーを終えており、髪も丁寧に拭き取られている。彼女の金糸のように美しいストレートヘアが、男の視線を向けさせてしまう。

 

「い、いやですわ。そうして見られてしまうと、意識しそうですので」

 

「いや、すまない」

 

 一方で、男の顔つきも壮観なものに変わっている。身体中の汚れや垢を落とし、先程までとはまるで別人であった。勝ち気な瞳に、彫りの深い若者の顔だ。鍛えている身体とも相まって、美丈夫と呼んで差し支えない。

 

 照れたような女性に、男も顔を背ける。話題を変えるように、男は言った。

 

「それよりも、さっきは危ないところで心配したぜ。怖い思いをさせちゃったみたいで、悪いと思っているんだ」

 

「それは言いっこなしですと申し上げたではありませんか。あの女性の方が助けに来てくれたのですから」

 

「いや。運が良かったの一言で終わらせたくないんだよ、俺の中ではさ」

 

 そうとも。自分達は運が良かった。もし、あの女性が仲裁に入っていなかった場合、戦いの経験のない女性はあのまま暴行を受けて命を落とし、なけなしの財産まで全て奪われる事になっていたのだから。

 

 男は机の上に置いてある袋に目を向ける。中に入っていた資金は、今や1ゴールドも無い。このポートセルミに来るまでの所持金は、全て宿泊費に使うことになってしまったのだ。

 

 明日からは無一文。その事実が、2人の表情を暗くさせる。

 

「あのさ。俺、明日の午前中までに仕事を探すよ」

 

「私もです。いつまでも迷惑をかけられませんから」

 

「いや。迷惑をかけているのはむしろ俺の方じゃ・・・・・・」

 

 つい押し問答になってしまいそうになり、2人は口を閉ざす。こんな事に時間を費やす必要など無いはずなのに。

 

 とにかく、と2人は休むことにした。2人分のベッドにそれぞれ包まり、体力を回復させなければならないのだから。

 

「あのさ。一日の宿泊時間は、確か正午までだったかな」

 

「はい。それまでには、仕事が見つかると良いですね」

 

「うん」

 

 やれやれ、と思う。こんなお金のない生活が始まろうとも、これまでの長い過酷な日々に比べれば、充分に堪えられてしまう。自分のタフさ加減が今だけはどうかと思った。

 

 そうだ。仕事が無いなら見つければ良い。この程度で、弱音を吐いてたまるものか。

 

 あの地獄の日々は、瞼の裏に焼き付いている。だからこそ、自分は彼女と共に懸命に生きなければいけないのだから。

 

 なんとしても生き延びてやる。どれだけ落ちぶれようとも、あのチャンスを掴んだ自分は、絶対に日の当たる世界でこれからも・・・・・・

 

「それじゃあ、おやすみなさい」

 

 女性の擦れる声が聞こえる。既に、眠気を感じているらしい。

 

「ああ、おやすみ――――マリアさん」

 

 そう愛しい女性の名をポツリと呟き、へリンスと名乗る男性は微睡みの中へと沈んでいった。

 

 

 

 

つづく

 




Q:アリスの資金源はどこから出ているんですか?

A:この世界には倒した魔物の身体から手に入れることができる魔石と呼ばれるものがあります。別名、魔物の核とも言われています。それを道具屋などに売ることで、相応の金銭に換えることができるのです。
アリスとリュカはこれまでの冒険や絶望の世界で幾つもの魔石を手に入れているので、割とお金を持っています。最初に現代へ戻って、アルカパを訪れた際には既に殆どを換金していました。全部そうしないのは、同じ魔物の魔石でも土地によっては価値が変わる事もあるため。この世界観では旅をする者としての嗜みです。

Q:カボチ村は?

A:原作から2年前の時間軸であることに加えて、とある事情により畑荒し事件は起きていないからです。(重要なネタバレ)
書いちゃマズかった? 原作でもスルー可能なイベントだし、良いよね。
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