「生業かぁ・・・・・・そりゃあ、やっぱり大工だろうな」
「へえ・・・・・・あんた、大工だったんだな」
「おうよ。何しろ、この町にある風車は、俺の親父が作ったもんだからな」
酒場の片隅。1人酒を楽しんでいた男に相席してもらったへリンスは、その名前も知らない彼から色々な話を聞かせてもらっていた。
彼に一杯奢ったことで気分を良くし、自分の仕事について語ってもらう。大工は家業として代々受け継いでおり、自分もまたその道を歩むことに誇りを持っていると。
人間がいる限り、大工の仕事は終わることはない。家族が生きる小さな空間を、人は家と呼ぶ。
へリンスはそんな彼のことを、本当に羨ましく思う。彼はもう、自分の生きるべき道も、やるべき事もしっかりと見据えていた。
最後にもう一度だけ礼を言うと、自分のお金で酒の瓶を1本注文する。いいのかと男が訊くと、人生を聞かせてくれた御礼だからなと笑った。
酒場を去ると、既に外は夕方になっている。頭がフラつくが、どうやら自分も相当酔っているらしい。一緒に付き合って酒を飲んだのがマズかったようだ。
それでも、どこか心地よい。酒に酔うという経験は初めてのことだったが、きっと大人というものは、こういう事を毎日のように楽しめるのだろう。
そう。自分も大人の歳になったのだ。奴隷の生活を続けているうちに、そんなことも忘れていた。
ボンヤリとした頭で、ふとマリアはどうしているのだろうかと思う。しばらく考え、そういえばと思い出す。
――――マリアは、確か酔っ払いに絡まれたりしないように、俺が別行動をするように言っていたんだっけ。
昼間のうちは、2人で町中の色々な職種の見学をしていた。ただ町人や商人の仕事ぶりを遠巻きに見ているだけだったが、参考にするには充分すぎる程だ。
誰もが、色々な考えや出会いを経て、今の仕事に就いている。知識としては知っているつもりだったが、こうして改めて観察してみると、その職種特有の難しさや楽しさがよく伝わってきた。
そこで、へリンスは思いきって酒場を利用して、今の仕事に至った経緯や、その思いを訊いたのだ。まあ、それで自分が酒に呑まれてしまえば世話はないが。
しかし、それも切り上げる頃だ。時刻はすでに夕方に差し掛かる頃である。流石に宿屋へ戻るとしよう。
とはいえ、この複雑な町だ。アリスはともかくとして、マリアはちゃんと宿屋へ戻れているだろうか。少しだけ近くを歩いて、マリアがいないか探しておくとしよう。勿論、自分が迷ったりしないように気を付けながら。
外に出ると、すでに空はオレンジ色に変わっていた。近くの民家で夕餉の準備をしているらしく、美味しそうな香りが辺りを漂ってくる。
道具屋の主人は、カウンターに置いていたメニュー票や見本用の道具を奥の棚へ片付けていた。子供達が明日遊ぶ約束をしながら、親と手を繋いでそれぞれの家へと帰っていく。
ずっと忘れていた、市民達の日常。ポートセルミでは楽しくも目まぐるしい日々ばかりで、こうした平穏さを見ることはなかったなと思った。
出てきた建物の屋上に設置されている風車は、吹く風に合わせて回り続けている。そういえば、ここは2階に教会も兼用しているらしい。
少し、行ってみようかと思った。少し前までは宗教関連を見ると、つい光の教団を思い出してしまうへリンスではあった。だが、今はそんなトラウマも薄れつつある。短い期間ながらも、アリスや町の人々達の出会いが影響しているのだろう。
階段を上り、そっと扉を開ける。あまり音を立てると、いるかもしれない信者達に迷惑がられてしまうからだ。
中に入ると、確かに目の前には白い十字架がかけられてある教会があった。信者が腰掛ける椅子に、赤い絨毯。祭壇の奥には、中年の神父が立っている。
そして、中には見知った姿があった。椅子から腰を上げて立っているのは、アリスとマリアである。
後ろ姿でも分かるほどアリスの祈りの姿勢は見事なもので、隣に立つマリアも然りだ。2人とも、修道院と光の教団の違いこそあれ、真摯に祈りを捧げ続けている者同士。
特に、地元のシスターが惚れ惚れするように2人を見ている。祈りの姿勢を解いた後、ついアリス達に駆け寄ってしまうほどだ。
「素晴らしいです。見事な祈りでした」
当然だろう。何しろ、少し前まで本職だったのだから。流石に、誰も口には出さなかったが。
その後も、何処かの宗派に所属していたのですかなどと質問される2人を遠巻きに眺めつつ、へリンスはふと考えてしまう。
――――やっぱり、マリアさんはこういう道があっているのかな、と。
きっとマリアは、誰かのために祈りを捧げる人生がぴったりなのだろうと思う。あの修道院出身であるアリスと遜色ない直向きな祈りだったのだから。
何より、祈りの姿があまりにも素敵だったとへリンスは素直に感じたから。
勿論、どんな道に進むかはマリア自身が決めることだ。だが、へリンスは確信している。もう、彼女は自分からそういう道へ進みたいと決めるのだろうと。
そう。今度こそ、光の教団のような組織ではない、真っ当な聖職者として。
そう悟ったと同時に、へリンスは嬉しさと同時に寂しさを感じる。マリアの将来について、彼はもう心配してはいない。だが、そうなると未だに道に迷っているのは自分1人ということだ。
生業。それは、自分が未来に向かって生きていく上で、生きがいになる何か。
「そんなのが、俺にも見つかるのかな・・・・・・」
そんな独り言が自然と口に出てしまう。それが聞こえてしまったわけではないのだろうが、アリスとマリアはほぼ同時にへリンスがいる事に気付く。
「あら、へリンスさん」
「ああ、悪いなお二人方。祈りの邪魔をしちゃあ悪いと思ってさ」
「いいえ、とんでもありません」
できる限りさり気なさを装って、へリンスは近寄る。先程のシスターは別の仕事があったらしく、話を切り上げて奥へ引っ込んでいた。
「マリアさんとは先程、教会の前で会っただけなんです。私も祈ることは習慣ですので」
へリンスは、ふうんと気の抜けた返事をする。彼には、それよりも気になっていることがあった。
「それで、どうだったんだよ。ベネットっていう人の話は」
「ええ。その事なのですが・・・・・・宿へ向かいながら話しましょう」
「ああ、確かにな」
いつまでも教会の中で立ち話も、他の信者達に迷惑だろう。3人は、外へ出ることにした。
「なんと・・・・・・それは確かに凄まじい結果を残したものじゃな」
全ての事情をアリスから聞いたベネット。若い頃から魔道研究家とし活動を続けてきた彼は、アリスの説明に呻くような声で答えた。
「お主の経験は、僅かに魔道をかじった程度の者では理解などされぬだろう。空間の歪みに、バシルーラの効果を付与するなど・・・・・・そのキングダンサーとかいう奴は、とんでもない発想をしたものじゃ」
「はい。その事に関しては、当のキングダンサー本人も驚いている様子でした」
「だろうな。それは言ってみれば、この世を去った者が、生きている者に対して■後の世界の体験を教えたようなものだろう」
それは、ある意味では的確な例えなのかもしれない。ベネットは魔道をどこまでも追求している人間なのだと改めて感じてしまう。
「しかし、そこで私の存在そのものが無かったことになってしまうなど・・・・・・」
「理論上はそうなってもおかしくはない。何しろ旅の扉はあらゆる空間の狭間なのだからな。干渉した者の概念全てに対して、バシルーラの作用が触れたと考えた方が良さそうじゃ」
「・・・・・・どこまでも厄介なものですね」
「まあ、お主にとってははた迷惑の何物でもなかっただろう。人生に関わるほどにな」
その辺りは素直に同情を覚えると付け足して、ベネットは黙り込む。話を終わらせたというわけではなく、流石に頭で情報を整理したいようだ。
アリスは、その眉に皺を寄せているベネットを急かすようなことはせず、椅子に座ったまま黙っている。
ややあって、ベネットは話し始めた。
「まあ、お主の話は理解した。とはいえ、正直に言って、これはむしろ儂にとっては行幸な話だったのかもしれんな」
「は?」
首を傾げるアリスに、ベネットは笑う。深いシワが刻まれた、年相応の笑みであった。
「いや、何。実は今、ちょうどお主が言うところの、現代では失われた魔法の研究に手を付けている最中だったのじゃよ」
「それは、本当ですか?」
アリスはつい身を乗り出しそうになってしまう。まさか、それがバシルーラなのだろうか?
「いや、惜しいな。儂が今研究に着手している呪文は、ルーラと言われている呪文なのじゃよ」
「ルーラ・・・・・・バシルーラとは違うのですか?」
アリスは僅かに思考する。バシルーラの名前の一部が同じ呪文。つまり・・・・・・
「バシルーラは、そのルーラから派生された呪文だったという可能性がある、と?」
「ほほう。やはりお主は頭の回転が速いの。儂は、そう睨んでおる」
「そうだとすれば、確かに凄い偶然です」
実際、それはもう必然とも言えそうな程のタイミングで、アリスとベネットは出会った。お互いに未知の呪文を求め、それがほぼ似通った呪文だったなどとは。
そこで、ベネットはアリスに真面目な顔で言った。自然と、アリスも背筋を伸ばす。
「どうじゃ。お主・・・・・・いや、アリスよ。その魔道への熱意が本物だというのならば、儂の助手として働いてみる気は無いかの?」
「・・・・・・はい。むしろ、私の方からお願いをしたい程です」
元修道女は、この提案に飛びつくように承諾した。これほど頼もしい味方がいるだろうか。
純粋に魔法を覚えるだけではない。今までのような独学では届かなかった領域の魔道を学ぶことができる上に、リュカを探すために役立つ魔法も見つかるかもしれないのだから。
「うむ。やはり持つべきものは、熱意ある若い助手じゃな。そうと決まれば、これからもよろしく頼むぞ」
「はい。こちらこそ、色々と学ばせていただきます。出来る事があるのでしたら、遠慮なく申しつけてください」
2人は、しっかりと握手をする。出会ったばかりの老人と若者ではあるが、お互いを見る視線は確かに通じ合う何かがあった。
「さて、そうと分かれば早速・・・・・・」
「あ、実は・・・・・・」
何かを頼もうとしていたベネットに、アリスは突然申し訳なさそうに言った。
「何かね?」
「実は、私・・・・・・行方不明になってしまった恋人を探す旅をしているのですが。その途中で知り合った仲間と共に、この町へ来ているのです。ですので、夕方になる頃には・・・・・・一度、宿屋へ戻らせていただけると有り難いのですが」
「・・・・・・ふむ」
出鼻をくじくような話に、アリスの中で気まずい気持ちが湧き上がっていた。だが、ベネットは気を悪くした様子はない。
「まあ、それは仕方があるまい。では、その時間になったら言うが良い。今日は、研究に必要なリストに目を通してもらうだけに留めておこう」
「はい。申し訳ありません・・・・・・」
「謝らんでよい。アリスにも都合があろう」
そう言って、ベネットは机の上に置かれている本の下にある紙をアリスに渡した。彼女はそれを受け取り、書いてある内容を確認する。
これが、ルーラという呪文を完成するのに必要なモノだろう。箇条書きになっているそのリストに目を通していくうちに、アリスは目を瞬かせる。
「あの、ベネット師・・・・・・この項目なのですが」
アリスが指し示したのは、リストの1つ。そこにはベネットの少々雑な字で、火食鳥の魔石とあった。
魔石とは、魔物ならば誰もが持っている核の事である。強い魔物であるほど価値が上がり、人間の間では相応の値段で取引されるのだ。実際、武器屋や防具屋などでは、周辺で出現する魔物の魔石の相場が一覧表で記されている。
「おう、そうじゃ。だが、残念ながらこの辺りでは火食鳥など目にかかることはまず無い。生息地域も、遙か東の辺境や北の大陸に存在する山脈の奥地と言われておるからの」
流石に、そこまで足を運べというのは酷なことかもしれんと残念そうに言うベネット。いくら研究のためとはいえ、そんな危険を冒すのは気が引けているのだろう。
だが、その心配は杞憂であった。アリスは、当然のように自分の道具袋から魔石を取りだした。それを見て、ベネットは仰天する。
「なっ・・・・・・そ、それは!」
「はい。これが、火食鳥の魔石です」
「み、見せとくれ」
ベネットはアリスから炎のような色をした魔石を受け取ると、識別呪文のインパスを唱える。流石に研究者だけあって、そういう呪文はとうに身につけているようであった。
「成る程・・・・・・確かに本物じゃ。しかし、アリスよ・・・・・・もしやこれは?」
「はい。未来の世界で、私は彼と共にこういう魔物達と日常的に戦っていました」
「・・・・・・」
「あの世界では、北の大陸は魔物の生息地域が大きく変わっていましたから。他にも、ゴーレムやリザードマンといった魔物達が・・・・・・」
ベネットは、そうかと言ったきり、口を閉ざした。話は理解していたつもりだが、やはりこうして物的証拠めいた物を見せつけられると、実感が段違いだ。目の前にいる、まだ10代の女性が歩んでいた道は、あまりにも過酷すぎる。
そんな動揺は、おくびにも出さず。
「・・・・・・では、アリスよ。手伝うがよい。早速実験を始める。師である儂の指示には従ってもらうぞ」
「はい、勉強させていただきます。ベネット師」
「うむ。よい響きじゃの」
「ど、どうも・・・・・・」
こうして、ベネットの研究はこの瞬間を境に大きく進んだ。空が茜色に変わる頃には、あと2年はかけなければならない実験期間が後一手間という所まで短縮されたほどに。
「それで、そのルーラって言う呪文を完成させるためには、最後の一品が必要って事か」
事情を聞いたへリンスは、宿屋の食堂でコーンスープを啜りながら言う。もう片方の手にはフライドチキン。酒場での酔いが残っているせいか、いつにも増して食欲があるらしい。
「確か、ルラムーン草というのですよね。見たことはないそうですが、大丈夫なのですか?」
マリアは魚肉のフライに野菜サラダ。元々がっつりした物は抑えているせいか、マイペースに食事を取っている。
ルラムーン草。古来より、呪文の研究に用いられてきたという草。独特の魔力を含んでいる地域に僅かながら育っているため、今では目にすることすらも滅多にない。
アリスに依頼されたことは、そのルラムーン草を手に入れること。彼女自身、実は名前しか知らない魔力草である。一見すると、難しい内容に思えるが・・・・・・
「大丈夫ですよ。ルラムーン草の特性は、月の光を浴びると淡く光るのです。その区域に行きさえすれば、発見するのはそう難しくはないでしょう」
「まあ、アリスさんなら楽勝だろうけどさ」
へリンスは最後にグラスのミネラルウォーターを一気飲みし、食事を終わらせる。そこで、不思議そうな顔で彼女に訊いた。
「でもさ――――なんで、今日は何も食べていないんだ?」
そう。彼女のテーブルの上には何も置かれてはいない。昼間の時も食べるのに苦労をしていた。宿に戻る途中で軽食でも取っていたのだろうか。
「少々、食欲が湧かないのです・・・・・・この町に来る前辺りからでしょうか」
どこか困ったように言うアリス。今ひとつ、自分が不調なのは自覚しているのだろう。
「・・・・・・まあ、アリスさんも体調を崩す時はあるんだろうけどさ。疲れているんだよ」
何なら俺だけで行こうかと言うへリンスに、流石にそれは申し訳ないですと断る。
「そうかもしれませんが、頼まれたのは私ですから。身体を動かす分にはそれほど影響はないかと」
「そうだとしてもさ。あまり無理はして欲しくないな。せめて、今日は俺が先頭を歩くってことで手を打ってくれないか?」
「申し訳ありません。それでは、お言葉に甘えて」
苦笑いを浮かべるアリス。その顔に、マリアは少しだけ複雑な顔をした。
彼女は、アリスの体調不良の理由に、1つだけ心当たりがあったのだ。だが、それをこの場で確認するのは・・・・・・
結局、マリアは黙ったまま食事を終わらせる。フロントに鍵を預け、3人はルラフェンを出た。
目指すのは、大陸の西。海が見える草原の一角に、目的のルラムーン草があるのだ。
夜闇の森は、酷く頼りない空気がある。冷たい風に木々がざわめき、遠くから動物の鳴き声が聞こえてきた。
松明を持って戦闘を歩くへリンスは、偶に後ろの2人を確認する。周囲を警戒するアリスに、毒針を片手に緊張した面持ちで歩いてくるマリアの姿。
夜というものは、魔物が好む世界だ。魔物の攻撃性が増し、活発化してしまうものなのである。
昼間は難なく肉薄できた魔物も、夜となれば話が変わる。へリンスは油断なく、アリスと同じように周囲に気を配りながら歩いていた。
「――――そこだっ!」
突然、へリンスが真上を向き、マリアの頭の上に剣を振りかぶった。金属がぶつかり合う特有の音が鳴り響き、その襲撃者は3人とは若干距離を取った位置に着地する。
メタルライダー。メタルスライムに乗った、魔界の騎士であった。
そして、襲撃者はそれだけではない。赤紫の体毛を持つ魔獣、モーザが森の奥から浮き出るように姿を現わした。
「アリスさん、モーザを頼んだ。メタルライダーは俺が!」
「了解しました」
元修道女は、指を動かす。人差し指の先には、氷の結晶。そして、それはモーザに向かって矢のように放たれる。
「・・・・・・!?」
避ける暇も無い。その結晶が真っ直ぐにモーザの体毛に触れた瞬間、決着が付いた。
魔物の巨大な身体を、魔力の氷が全て覆い尽くす。悲鳴すら上げられず、モーザの氷像が出来上がった。戦闘が落ち着いたら、溶かしてあげるとしよう。
一方で、へリンスはメタルライダーの素早さを駆使した戦いを制し、魔物の騎士が持つ剣を弾き飛ばす。トドメとばかりに一太刀を加えようとするものの、それは間一髪で避けられてしまった。
危機を感じた騎乗用のメタルスライムが、主を守るために一旦身を引いたのだ。敵ながら良いチームワークだと思ってしまうへリンス。
「どうするんだ。お前が剣を取りに行くよりも、俺の方が速いぜ」
それは当然であった。何しろ、メタルライダーの剣が落ちているのは、へリンスの背後なのだ。
だが、魔界の騎士は諦めることはない。何故なら、武器ならばすぐ近くにあるからだ。
「何っ!?」
メタルライダーは乗っていたメタルスライムの頭の突起を掴むと、まるでハンマーのように振り下ろした。
これこそが、メタルライダーの奥の手。メタルの身体を最大限に利用した攻撃は、剣で傷つけられるよりも尚深刻なダメージを受けることになるだろう。
――――しまった。メタルライダーにこんな攻撃方法が・・・・・・!
へリンスに向かうメタルスライム。だが、そこに割って入る物があった。
メタルライダーに向かっていくのは、先程モーザを倒したものとは違う、小さな光の球。魔界の騎士の鎧に触れた瞬間、まるで破裂するような音と共に暗い森の奥へと吹き飛ばされていく。
そのために振り下ろされるはずだったメタルスライムは、あらぬ方向へとすっぽ抜ける。そのままへリンスの頭上に放物線を描いて飛び越えていき、あろう事かマリアの手前へ落ちていった。
そう。マリアが持っている毒針の上へと。
「アッ――――!」
プスリ、といささか気の抜ける音がしたと思った瞬間、メタルスライムはなんとも言えない顔をしてコロリと彼女の足元に転がっていく。
「きゃ・・・・・・!」
思わず後ずさりをしてしまうマリア。
「わ、私・・・・・・なんという事を」
血の気が引くマリアに、へリンスは慰めるように肩を叩く。
「大丈夫だ、マリアさん。今のは単なる事故だから。襲いかかってきたのはあっちからだし、何より俺たちの命が危なかったんだから。そうだよな、アリスさん?」
慌てたように諭す彼に、話を振られたアリスも便乗する。
「そうですね。命を慈しむという心は立派なことですが、それも自己防衛のためならば話は別です。少なくとも、マリアさんは命を奪うつもりなど無かったのでしょう。ならば、神もきっとお許しになられるはずです」
「そう、でしょうか・・・・・・?」
元修道女の言葉に、何となく納得がいっていない様子のマリア。足元の息をしていないメタルスライムを拾い上げ、グッと抱きしめる。
「すみません。少々お手数をおかけ致します・・・・・・」
「わ、分かりました」
ありがとうございます、とマリアはアリスに礼を言う。後は無言で、メタルスライムの亡骸を近くの木の根っこに埋める作業を始める。当然ながら、へリンスとアリスも手伝った。
「ところで、アリスさん・・・・・・ちょっと気になったんだが」
「何でしょうか?」
へリンスが、埋葬されたメタルスライムに祈りを捧げているマリアに聞こえないように小声で訊いてくる。
「今まであまり深く考えたことはなかったんだが・・・・・・その、毒針って、確か魔物の急所に刺すと効果があるんだよな?」
「ええ。そうですよ」
「もしかして急所って、まさか・・・・・・モガ」
その先は結構ですとばかりに、アリスはへリンスの口を手で塞ぐ。あの刺された瞬間のメタルスライムの顔は、なるべく思い出さないようにしているのだから。
そうして僅かな時間の後、3人は再び出発をすることにした。あまりこの場に長居をしてしまうと、ルラムーン草の元へたどり着く前に朝を迎えてしまう。
一行の足は進み、やがて人工的な階段の前へと差し掛かる。大きな山の上へ向かうために、昔の人間が造った階段のようだった。
アリスは思い出す。確か、この山から滝が流れていた風景が灯台から見えていた。ここは、ちょうどあの辺りか。
階段を上っていくうちに、滝の大きな音も次第に大きくなっていく。地響きのような水の音は、大自然の驚異を思わせた。
3人は滝の音が聞こえなくなるまで、無言で階段を上りきった。どのみち、この大きすぎる音の近くでは、まともな会話など聞こえるわけもない。
この先を少し歩けば、また階段がある。今度はそこを降りなければならない。心なしか、早めに降りる3人。この状態で再び魔物に近寄られた場合、気づける自信は全くなかった。
階段を降りきってから南へ向かっていくと、ようやく滝の音も聞こえなくなる。周囲の小動物の音も聞こえるようになったほどだ。
「この辺り、ですね」
アリスが周囲を見回しながら言った。ベネットから教えられた場所は、海が見える草原。条件としてはピッタリである。
「それでは、二手に分かれましょう。へリンスさんとマリアさんは西側をお願い致します」
「わかった。行こうぜ、マリアさん」
「はい」
そうして、3人のルラムーン草探しが始まった。月光に反応して淡く光るという特性を持つ魔力草だと言うが、本当にあるのだろうか。
まあ、疑っても始まらない。アリスは疑問を棚上げしつつも、草原を中心に注意深く散策を始めた。
しばらくの間、ガサガサという草を分ける音が聞こえる。偶におばけキノコやスモールグールといった魔物が姿を見せるものの、アリスが僅かにヒャドを出して氷漬けにしただけで、大半は一目散に逃げていくだけ。
だが、逃げない魔物とも当然出くわす。その魔物は、アリスにとっても馴染み深いものだった。
地獄の■し屋、キラーパンサー。野生動物の豹に似た姿の魔獣である。極めて凶暴な魔物として、この辺りにしか生息していない魔物だ。言うまでもなく、アリスの記憶の奥底を刺激させる相手。
かつて、この魔物の子供であるベビーパンサーとの出会い。リュカとの共通の友達であり、相棒だった存在。幼馴染みのビアンカと共にプックルと名付けた、幼い頃の思い出。
このキラーパンサーは・・・・・・野生の魔物ですね。
我ながら馬鹿馬鹿しいことを考えてしまったと思うアリス。確かにプックルが成長していれば、今頃はこういう姿になっているのだろう。
しかし、目の前にいるキラーパンサーは人間の肉を欲し、鋭い牙の口から涎をたらしながら近寄ってくる。何より、アリスを見る目は純然たる■意の目。あれほど人間に懐いていたプックルが、たとえ野に帰ったとしてもこんな目をするはずがない。
それでも、と思う。アリスは命を奪わない姿勢を変えなかった。氷漬けにし、ほんの少しだけ寒い思いをしてもらうだけ。ここを去るときに、しっかりと魔法を解くとしよう。
あっという間に氷の中に閉じ込められた哀れなキラーパンサーは、ガクガクと震えながら丸くなる。そんな姿を横目に、アリスは僅かにかつての友達の無事を祈った。
プックル・・・・・・貴方も、どこへ行ってしまったのでしょうか?
そんな過去の哀愁を振り返りつつも、時は過ぎていく。雲1つ無い夜空の中、月がいくらか反対側へ向かっていく。
――――そして、その目的の魔力草が見つかったのは、空が白み始める数刻前。まだ僅かに月光の余韻が残っているそれは、確かにルラムーン草である。淡い光を放ち続け、見る者に神秘性を感じさせる。
「やったじゃないか、アリスさん。これで、そのルーラっていう魔法が使えるようになるんだな!」
「はい。本当に、ありがとうございます」
破顔するアリスに、へリンスとマリアはお互いに顔を見合わせて笑う。3人とも手が泥だらけになっていたが、全く気にならない。
ルラムーン草を初めに見つけたのは、実を言うとマリアであった。だが、ルラムーン草を使うためには、根っこの部分もできる限りは残しておかなければならないらしく、引き抜くのに時間を要したのである。
目的を果たした3人は、意気揚々と草原から去っていく。滝の流れる川で手を洗いつつ、ルラフェンへと帰っていった。
途中、剛毛に包まれた一つ目の魔物であるビッグアイが2体ほど現れたものの、特に何かをしてくるような気配はなかったので放っておいた。元々この種族はうずくまっている体勢のまま、ぼうっとしていることが多い。極めてのんびりした性格の魔物なので、あまり人間からも警戒されないのだ。
そんなこんなで宿屋へと到着した頃には、既に朝食の時間を過ぎていた。空腹を覚えていたので、朝のシャワーを浴びてから遅めの食事を取ることにする。
宿を出るのは、その後。昼食前までには部屋を出なければ、延泊扱いになってしまうからだ。
だから、ベネットの自宅へ向かうのはその頃。ルラムーン草も専用の袋に保存したまま道具袋に入れてあるので、少なくとも腐るようなことにはならない。
時間帯のせいか、他の宿泊客がまばらな食堂で席に着いた3人。何を食べようかとメニューに目を通す。
調理室からも、美味しそうな匂いが流れてくる。つい、どんな料理を作っているのかを彼らが想像してしまった時・・・・・・
「――――うっ!」
突然、アリスが苦しそうに口元を抑えた。音を立てて席から立ち上がり、目を丸くしているへリンス達と客達を尻目に、出入り口へと走り去っていく。
おおよそ、彼女らしくない行動であった。誰もが、アリスが出ていったまま開いている扉を見ている。
「な、なんだ? どうしたんだよ、アリスさん・・・・・・」
「・・・・・・すみません。私も、ちょっと失礼致します」
「マリアさん?」
彼女もまた、断りを入れてアリスを追うように食堂を出て行く。今度は、ちゃんと扉を閉めて。
宿屋の出入り口を出たアリスは、そのままの勢いで近くの生い茂っている木々へ駆け込んだ。その様子を、ついてきていたマリアはゆっくりと近寄っていく。
「ゴホ、ケホッ・・・・・・」
涙を浮かべて咳き込みつつも、アリスはようやく木の陰から姿を見せた。肩で息をしているアリスに、マリアは声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「あ、マリアさん・・・・・・」
「やっぱり、そうだったんですね。最近のアリスさん、あまり食欲がなさそうでしたから」
「はい、お恥ずかしながら。先程も、料理の匂いを嗅いだときに、突然気持ちが悪くなってしまって」
料理人の方達に申し訳がありませんねと、アリスは申し訳なさそうな顔をする。だが、マリアは彼女にそんな顔をして欲しくないと思った。なぜなら、今の彼女のその体調は、心から喜ぶべき事なのだから。
「アリスさん。思い当たる節はございませんか?」
「えっ?」
困惑するアリスに、マリアは微笑みながら小声で言った。
「・・・・・・女の子の日が来なくなってから、何日でしょうか」
「――――」
その言葉の意味を理解するのに、アリスは数秒ほど時間を要した。みるみるうちに顔が赤くなり、瞳も心なしか潤んでいる。
マリアもまた、心からのお祝いの気持ちと共に大恩人へ言った。
「――――おめでとうございます、アリスさん!」
その時のアリスの顔は、誰もが見たことがないほどの幸福な笑顔であった。
「ゴホンッ、ゴホン・・・・・・!」
これで、何度目の咳だろうかと思う。ダンカンの身体は、相変わらず良くなる兆しはない。
丸太で作られた、ログハウスの寝室。この家に越してから随分経つ。この山奥の村で暮らしている村人達も好意的で、よく見舞いや差し入れなどで気を遣ってくれているのだ。
本当にありがたいと思う。申し訳なさが募るものの、実際に助かっているのである。娘のビアンカが家を空けていられるのも、そういう支えがあるからこそだ。
いや。ダンカンは思う。支えになってくれている者は、最近になってもう1人増えてくれた。
「大丈夫ですか、ダンカンさん!?」
その人物は、声を聞いてすぐに寝室へと入ってくる。娘のビアンカではない。彼女の幼馴染みの男だ。
名前を――――リュカ。
彼は、元々この村に住んでいたわけではない。ある日、頭から怪我をしていた彼を、村の外へ出ていたビアンカが発見し、家に連れてきたのである。
思わぬ再会に、当時の自分は目を白黒させてしまったものだった。怪我の手当てをしたところで、ビアンカも交えて事情を聞こうとする。
だが、それには何一つ理由を話すことはできなかった。
――――なぜなら、リュカはこれまでの記憶を全て失っていたのである。
何故、あの場に自分がいたのかも判然とせず。自分の名前すらも思い出せなかった彼。
ビアンカはそれを知ると、すぐに村で神父の見習いをしている者に相談した。その神父の卵は、リュカの怪我を注意深く観察した後、次のように判断する。
――――どうやら、高いところから落ちて、頭を強くぶつけたことが原因ですね。俗に言う記憶障害です。
困惑するリュカに、ビアンカは目眩を覚えそうになった。まさか、大切な幼馴染みに会えたと思ったら、過去の事を失っている状態になってしまうなんて。
忘れていることは、これまでに出会った人間関係。そして、今までに自分がいた場所。物の数え方や、文字の読み書きまでは失っていないところが不幸中の幸いであったが。
それでも、そんなショックも過ぎてしまえば、ビアンカはリュカに献身的に接した。故郷のサンタローズが滅んでいることは、できる限り最小限の情報に留めつつ。
その後も日々を重ねつつ、ビアンカはリュカと沢山のことを教えた。自分が知っている限りのことを、思い出話と共に。
2人が初めて出会ったのは、10年前のアルカパという町。2年ぶりにサンタローズで再会し、旅の話を宿屋で教えてくれたこと。
なにより、彼女らの関係を語る上で外せない思い出があった。リュカと2人で、レヌール城のお化け退治を成し遂げた事。後にアルカパの教会の者達が駆けつけてくれたものの、魔物の大将は自分達2人でやっつけた事。
それをきっかけに、2人はずっと遊んだ。だが、父親の身体が回復したために、リュカとはお別れをする事になってしまった。
それ以降は、2人はずっと会ってはいない。色々大変な目に遭っていたはずだろうが、ビアンカはリュカが必ず生きていると信じていたのだ。また、冒険をしようと約束をしていたから。
そして、今。
「さあ、身体を起こしてください。これ、薬です」
「おお、いつもすまないね。リュカ君」
「そんな。僕の方こそ、この家で居候させてもらっているんです。せめて、これくらいは」
受け取った薬を飲み、フウと一息つくビアンカの父。とりあえずは治まったのか、先程よりは顔色が良い状態で笑う。
「ところでリュカ君。そろそろ、授業をする時間じゃあないかな?」
「あ、そうでした。でも、ダンカンさんを1人にするのは・・・・・・」
「私のことならいいよ。いつものことだろう」
リュカは少しだけ心配そうな顔をした後、寝室を出て行く。その後ろ姿を見ながら、ダンカンはポツリと呟く。
「私はこんな身体だからどうなるか分からないし・・・・・・このままビアンカと暮らしてくれれば最高なんだがなあ・・・・・・」
「ごめんねリュカ。わざわざ」
家の食卓部屋へ戻ると、テーブルの前にある椅子に複数の人間が腰掛けていた。声をかけてきたのは、美しく成長したビアンカ。自分の幼馴染みと聞かされていた関係も、今ではすっかりそれに馴染みつつある。
その隣の席にいるのが、村の宿屋の息子である。確か、今年で6歳になったばかりの筈だ。
「リュカ先生。早くお勉強教えて!」
「もう。リュカ先生はお父さん・・・・・・いえ、ダンカンさんの面倒を見てくれていたのよ」
ビアンカが咎めるが、リュカは笑いながら良いんだよと言う。彼女とは男の子を挟んだ隣に座り、手元の問題用紙を確認する。
「・・・・・・うぅん。ここは、この公式を使うんだよ。かけ算を先にするって、前に教えたよね?」
「あ、そうだった」
さも些細な間違えをしたかのように、男の子はペンを片手に笑う。計算し直した答えは、今度こそ正解であった。
「よくやったね。偉いよ」
リュカは頭を撫でてあげると、男の子は嬉しそうに目を細めた。どこか羨ましそうに、その光景を見ているビアンカには気づくこともなく。
そう。今のリュカは、この村で勉強を教えているのだ。記憶を失っても尚残った知識は、今のリュカを大いに役立ててくれていた。
記憶が無くても、出来ることがないか。その悩みをきっかけに思い立ったのが、勉強なのだ。
先生の真似事をするために、彼の人格を保障してくれたのがビアンカだった。彼女は村の中で多くの人に慕われているため、村人はリュカをすぐに信用してくれたのである。
「それじゃあ、次は文字を書いてみようか。僕はこれから道具屋へ行きます、って書いてくれるかい?」
「ええっと・・・・・・こう?」
「ほら。これだと、行かれますになっちゃうだろう。この文字はいらないからね」
男の子が修正するところを確認しつつ、リュカは次の問題へ。
「次は、僕は羽ペンを持っています、だよ」
「うん」
早速手元の紙に書き記す男の子。ビアンカはそんな子供を微笑ましく見ていたが、ふとリュカの顔を見て、やや驚いた顔をする。
「・・・・・・」
「リュカ。どうしたの?」
突然、呆然としたような顔をするリュカに、ビアンカは声をかけた。男の子は、そんな2人の様子に目を瞬かせている。
「・・・・・・僕、この言葉を知っている」
「?」
何を言っているのだろうか。ビアンカは不思議そうな顔をする。
それは知っているだろう。特に珍しくも無い日常会話の文なのだから。とはいえ、それをこの場で言うのは止めておいた。
その後も授業は続き、夕方になる前に男の子は手を振りながら帰っていく。また来てねと玄関先でビアンカが手を振り返し、振り向いた彼は遠くで笑った。
「お疲れ様、リュカ」
「ビアンカこそ。いつもありがとう」
「今日は、新しいパンが手に入ったのよ。ご馳走してあげるね」
「ありがとう。楽しみにしているよ・・・・・・痛っ」
唐突に、リュカが頭を押さえた。ビアンカが慌てて近寄ってくる。
「大丈夫、リュカ?」
「ああ、うん・・・・・・また、いつもの頭痛みたいだ」
記憶を失ってからというもの、リュカは偶に妙な偏頭痛を起こすことがあるのだ。いったい、彼の過去に何があったのか・・・・・・
「無理はしないでね。焦って思い出す必要なんてないんだから」
それでも、ビアンカは無理に知ろうとは思ってはいなかった。彼女のリュカを見る目は、どこまでも心配の色。
2人は、揃って家の中へと入る。
リュカの記憶が戻る気配は、今のところは無い。遠い町で彼を求める女性の存在にも。
そして、その彼女との間でたった今、新しい生命が誕生したという事実も知らないまま。
つづく