DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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途中経過と新たな答え(修正)

 

 

 

 

「なんと。もうルラムーン草を持ってきたと申すか!」

 

 宿を出て、一行がベネットの家へ入った際、開口一番に驚かれた。どうやら、アリス達が帰ってくることをよほど楽しみに待っていたらしい。

 

 マリアから手渡されたルラムーン草は、全く劣化することもなく魔力草としての神秘を保ち続けている。それだけでも、この草がただの植物などではないことの証であった。

 

「これがルラムーン草か。あっぱれである。では、早速実験を再開するとしよう」

 

 ベネットは1階で煮込み続けている巨大な壺へと近寄る。アリス達も、同じように様子を見届けることにした。

 

 老練の学者は壺に手を近づけ、何事か呟く。インパスに似た詠唱のようだが、アリスにはハッキリとは聞こえない。そして、何かに気づいたように顔を上げ、手に持っているルラムーン草を――――壺の中へ投げた。

 

「えっ!?」

 

 同じように様子を見ていたへリンスは、つい声をあげてしまう。いいのか、そんな大雑把な使い方で?

 

 だが、その行為で壺の中身が劇的に変化していく。沸騰している幾多もの種類が混じっている魔力薬。それにルラムーン草が混ざり込んだことで魔力反応を起こしたのである。

 

 壺の入り口から、炎が生まれる。奇妙な色の煙から、純然たる白い煙に変わった。そして、色とりどりの光球が壺の中から外へ吹き出していく。その光沢がアリスとへリンスの身体に付着し、染みこむように溶けていった。

 

 ――――こ、これは・・・・・・!

 

 ベネットの家そのものが地響きを起こし、動揺が広がる一同。そして、次の瞬間。

 

「あ」

 

 間の抜けた驚愕の声は、誰のものだったのだろうか。彼女らの視界が真っ白になる。それを認識した直後に・・・・・・最後の地響きと共に全員がひっくり返った。アリスだけはお腹から倒れるようなことは避け、どうにか背中で受け身を取る。

 

「ふむ・・・・・・おかしいのう」

 

 よっこらしょ、と起き上がったベネットが不思議そうに首を傾げた。マリア達も、何事かと起き上がる。

 

「儂の考えでは、今のでルーラという呪文が蘇る筈なんじゃが・・・・・・お前さん達、呪文が使えるようになったかどうか、ちと試してみてくれんか?」

 

「分かりました。ですが、どうやって使うのでしょう?」

 

 当然の疑問を口にするアリスに、ベネットは難しい顔をする。

 

「ううむ・・・・・・確か、お主が行きたいところをイメージして、魔力を放出するそうだが」

 

「やってみます」

 

 アリスは目を閉じて、行きたい場所の風景を思い浮かべる。

 

 今の自分が行きたい場所・・・・・・それは考えるまでもなく、あの場所だ。

 

「ルーラ!」

 

 瞬間、魔力が全身を包み込んだ。足元が消え、浮遊感に襲われる。ベネットの驚きの声が聞こえたような気もするが、最後まで何を言っていたのかは分からなかった。

 

 周囲がうねるように変化し、次に風景をハッキリと認識したときには、既に自分がいた場所とは全く違う土地だった。先程まで、自分が思い出していた場所と全く同じ。

 

 遠くから聞こえるカモメの鳴き声と、潮の風。浜辺のそばに建てられている、世界の宗教の総本山。

 

 修道院。アリスが行きたかった場所とは、自分にとっての故郷だったのである。

 

 そして、ルーラは確かに成功した。古代より失われた魔法は、たった今彼女の中で蘇ったのだ。

 

「あ、ここって・・・・・・」

 

 後ろから、へリンスとマリアの驚きの声が聞こえる。彼らもまた、同じようにこちらへ飛ぶことができるらしい。仲間達も一緒に移動できるところが、きっとこのルーラという呪文の強みなのだろう。

 

「はい。私の育った場所なのですよ。ここが一番思い出しやすい場所でしたから」

 

「修道院か。小さい頃、勉強の一環で連れてこられて以来だな」

 

「へリンスさん・・・・・・昔、こちらへ来た事が?」

 

「あ、ああ。まあな」

 

「?」

 

 挙動不審になるへリンスに、アリスは疑問符を頭に浮かべた。

 

 反対に、マリアはどこか目を輝かせて年季の入った修道院の建物を見上げていた。光の教団とは比べものにならない、正真正銘の神聖さが感じられるせいだろう。彼女とて元修道女なのだから。

 

 とはいえ、これでルーラが使えることは証明された。一度ルラフェンに戻ろうかと思ったが、その前にここでやるべき事を思い出す。

 

「あの、お二人とも。少々、お時間をいただけますか?」

 

「どうしたんだよ、アリスさん?」

 

 何も知らないへリンスは不思議そうに訊いてくるが、マリアは大体の予想が付いているので何も言わなかった。

 

「実は、修道院に用ができてしまったんです。申し訳ありませんが、構わないでしょうか?」

 

「さっきまでは、そんなこと言ってなかったんじゃ?」

 

「良いではありませんか、へリンスさん。私も一度、修道院は来てみたかったのです」

 

 アリスのフォロー半分と本心を半分で、マリアはそう言った。実際、信仰心を持ちながらも光の教団のようなところで祈らなければならなかった身としては、修道院はまさに憧れの場所なのだろう。

 

「まあ、マリアさんがそう言うんだったら・・・・・・」

 

 特に宗教的なものを信じていないへリンスだったが、2人の美女にお願いされては断れない。ここは大人しく、2人の後ろを付いていくことにしよう。

 

 こうして、3人は修道院へと訪れることになった。出入り口の扉へ近寄りながら、色とりどりの花を見回す。

 

 ――――幼い頃は、こうして花に近寄る蝶を見ながら、よくヴェラ様やリディア様と勉強を教えてもらっていましたね。

 

 アリスはふと、そんな感慨を覚える。ここはもう自分の居場所では無くなってしまったとはいえ、やはり思い出が有りすぎた。もう涙こそ流れないものの、やはり邂逅に似た気持ちは湧き上がってしまう。

 

 ふと、扉を開く前にアリスはへリンス達に向き直る。

 

「言い忘れていました。その、ここにいらっしゃるシスターは、司祭であるリディア様を除いて、私の事情をご存じありません。その辺り、どうかご理解いただけると有り難いのですが」

 

「ああ、そうなのか。分かった」

 

 へリンスはそれが当たり前だよなと言わんばかりに頷いた。マリアも、誰もが信じてもらえるような話ではないと理解しているが故に、了解しましたと言う。

 

「ありがとうございます。では」

 

 ギイ、と扉を開けるアリス。突き当たりの扉を開けると、変わらずの聖堂内が彼女らを歓迎した。

 

 礼拝堂には、幾人かのシスターが長椅子に腰掛けている。私服の男性や子供がいることから、今日は来訪者がいるようだ。大方、人生や仕事に関する悩みを聞いて貰いに来たのだろう。

 

 隅に置かれている花瓶の花に水をあげていたシスターが、来訪者に気づいてこちらへと寄ってくる。アリス達はこんにちはと会釈をした。

 

「まあ、アリス様ではありませんか。お久しぶりです」

 

「はい。突然お邪魔してしまい、申し訳ありません」

 

「とんでもありませんわ。実はラインハットのことは、もう大陸中で噂になっておりますのよ。リディア司祭様や、シスター・フローラからも詳細は聞かせていただきました」

 

 そう。太后に姿を変えた魔物を討ち果たし、国を救った旅の賢者様と。

 

 いつの間にか、そんな恥ずかしい事態になっていることを知って、つい赤面してしまうアリス。自分は、まだまだ修行中の身であるというのに。

 

 ――――いえ。今の私はむしろシスターとは違う意味で、そういった求道者のような道を目指すべきなのでしょうか・・・・・・?

 

 実際、自分はもう修道女を目指しているわけではない。だが、己を磨くための修練はこれからも生涯をかけて続けていこうと思っている。そういう意味では、自分の目指すべき理想の姿は賢者のような人間と言えるのかもしれない。

 

 魔法使いを名乗るには、武を極めたいという気持ちも少なからず存在している。そうなると、今の自分は賢者の卵と言ったところか。いや、流石にそれは自画自賛に近いのかもしれない。

 

 ともあれ、そう考えてしまうと図らずも今の自分の立ち位置が見えてくる気がする。まさか自分の頭と心で見いだした目標ではなく、自分の起こした行動の結果によって己の行き着く先を見いだせることができたとは。

 

「アリス様?」

 

 突然自分の考えに没頭して黙り込んでしまったアリスに、そのシスターは声をかける。アリスは我に返って顔を上げた。

 

「いえ。重ね重ね、申し訳ありません。少々疲れているようです」

 

「まあ。それでしたら、2階の寝室をご利用していただいても構いませんよ。来客用の部屋ですので、お気軽に・・・・・・」

 

「いえ。問題ありませんので。お気持ちだけいただいておきます。それよりも・・・・・・」

 

「は、はいっ」

 

 アリスは、後ろに立っているマリアを手で指し示す。先程まで失礼にならない程度に周囲を見回していた彼女は、アリスに言われて背筋を伸ばしてしまう。

 

「実は、彼女は修道院に深い関心のある方なのです。お手数ですが、良ければこの修道院を色々とご案内いただけないかと」

 

「ああ、そういう事でしたか。この修道院は、来訪者を心からご案内いたします」

 

 修道女として、礼をするシスター。マリアもまた、同じように。

 

「なるほど。貴女様もまた、相当な修練を重ねている御方のようですね。先が本当に楽しみです」

 

「恐縮です」

 

 そんなやり取りをしながら、シスターは改めてアリスへと話しかける。

 

「実はですね、アリス様。リディア司祭様から、言付けを預かっているのです」

 

「リディア様からですか?」

 

「はい。もし、アリス様が再び修道院に参るようでしたら、お伝えしたいことがあると。ご理解いただけましたか?」

 

 伝えたいこと。それはもしや、例の滅びの世界に関することだろう。ベネット師からはある程度の仮説や意見を聞かせてくれることが出来たが、リディアの方はどうなのだろうか。

 

 何にせよ、気を引き締めて話を聞かなければ。

 

「はい。それでは、リディア司祭様は、今どちらに?」

 

「今現在は、資料室で調べ物をなさっているはずです」

 

「分かりました。これから参らせていただきます」

 

 そこで、これまで黙っていたへリンスが挙手する。

 

「なあ、アリスさん。もしかして、ここの司祭と話し合うって事は、もしかしてアリスさんが前に言っていた、別の世界ってやつの事か?」

 

「はい。おそらくはそうではないかと」

 

「あのさ。悪いんだけど・・・・・・俺も一緒に、聞いても構わないかな。ちょっと、前にアリスさんの事情を聞いてから、ずっと気になっていたから」

 

 邪魔はしないからさ、とへリンスは念を押す。

 

「それは・・・・・・はい。分かりました」

 

 僅かだけ考え、アリスは承諾する。へリンスがこちらに興味を示すとは思っていなかったが、彼はもとよりこちらの事情を知っているし、リディアの話で新しいことが分かったとしても、別段聞かれて困ることはないはず。

 

 何より、できる限り仲間に対して隠し事をしたくはなかったからだ。

 

 資料室へ向かい、ドアをノックする。どうぞ、とリディアの声が聞こえ、アリス達は入室した。

 

「お久しぶりです、リディア司祭様。少々ご用件がありまして」

 

「こちらこそ、お久しぶりですね。アリスさん」

 

 机に向かって読書をしていたリディアは、そっと本を閉じる。彼女のアリスを見る目は、立派に巣立った教え子を見るような瞳であった。

 

 そこで、ふとアリスに続いて入ってきたへリンスを視界に収め、僅かに驚きの様子を見せる。

 

「アリスさん・・・・・・もしや、そちらの方が恋人のリュカさんでしょうか?」

 

「え?」

 

 思わず、間の抜けた声を出すへリンス。続けて顔を真っ赤にし、手を振った。

 

「い、いえいえ。違いますよ。俺にはもう心に決めた人がいるんです」

 

「まあ、そうでしたか。申し訳ありません。どうやら早とちりをしてしまったようで」

 

「いえ、構いませんよ。俺はアリスさんと旅の道中で知り合ったへリンスと言います。少し、アリスさんの過去の出来事をもう少し詳しく知りたいと思いまして、勝手ながらこの場に・・・・・・」

 

「それは、また・・・・・・」

 

 そこで、リディアはアリスに視線を向ける。聞かせてもよろしいのですか、と。

 

「はい。彼には私の事情を話しております」

 

「それでしたら良いのですが」

 

 そこで、リディアは腰掛けている椅子に座り直す。現司祭の目元が細まった。

 

 自然と、へリンスは背筋を伸ばしてしまう。リディアは無意識だろうが、妙に空気が固くなったような錯覚を覚えたのだ。幼い頃、父であるベルギスから真剣な顔で頼まれ事などを受けた時のように。

 

「こちらでも、過去の文献などを読み直し、僅かながらも進展はありました。ですが、正直なところ・・・・・・未だに根本的な解決の糸口にはまだ届いていない有様です」

 

 心から申し訳なさそうにするリディアに、アリスは落ち着かせるように言った。

 

「いいえ。リディア司祭様がそのようなお顔をする必要はありません。むしろ、無理難題をお任せしてしまったこの不徳、心から謝罪致します」

 

「アリスさん。事態解決のためと貴女様の手をお取りしたのは、こちらが決めたことです。謝罪の必要などはありません」

 

 お互いに謝り合っている。2人とも責任感のある真面目な人間だからなのだろう。らしいといえばらしいのだが。

 

 とはいえ、これでは話が進まない。へリンスはわざとらしく咳払いをする。

 

「ところで、1つよろしいですか」

 

「ああ、申し訳ありません。何でしょうか、へリンス様?」

 

「お伺いしたいのですが。それで、過去の文献から新たに解った事というのは?」

 

 そう。まずはそこを訊かなければ。リディアは過去の文献とやらから、何を見つけたというのか。

 

「ラーの鏡、です」

 

 リディアはハッキリと言った。

 

「ラーの鏡に関して、もう少し詳しく調べてみたのです。私自身、一通りの書物にはシスターの勉強の一環で、もう何年も前から目を通していたつもりなのですが・・・・・・今現在に起きた出来事や、アリスさんの話を踏まえた上で調査をした結果、新たに解ったことがあるのです」

 

「・・・・・・」

 

「ラーの鏡は真実を映し出す鏡。古代の天空より舞い上がりし城が確立されるより、なお古き時代から存在する、神からの授かり物。その鏡の神秘を持ってすれば、アリスさんの概念を再びこの世に取り戻す事も不可能ではなくなったのです」

 

 アリスは思わず、声をあげてしまいそうになった。今、聞き違いでなければ、自分の消されてしまった概念が元に戻ると?

 

「それは、本当なのですか? つまり、私のことを忘れてしまった方が、再び思い出していただけると」

 

「あくまでも可能性の段階ですが。ハッキリと戻ると口に出来ない事に関しては、本当に申し訳ないと思います」

 

 それでも、アリスにとっては朗報だった。自分でも分かるほど顔に安堵の色が浮かんでしまう。まだ可能性の話だとは理解していても。

 

 一方で、へリンスにとっては色々と理解しきれない話である。ラーの鏡というものは、それほどまでに凄いものなのだろうか。

 

「・・・・・・ラーの鏡って、天空の勇者の伝説が生まれるよりも、ずっと昔から?」

 

「はい。むしろ、天空の勇者もまた旅の道中でラーの鏡を手にしたという記録も残されております」

 

 どうやら、本当らしい。しかし、まだ訊きたいことはあった。

 

「それが何故、アリスさんの消えてしまった概念・・・・・・でしたっけ。それを復活させることが出来るんです?」

 

「まだ可能性の段階です。しかし、この辺りは実際にご覧になっていただいた方が早いでしょう」

 

 リディアは椅子から立ち上がり、付いてくるように促す。2人は黙って共に廊下を歩く。

 

「司祭様。お疲れ様です」

 

「ありがとう。貴女達も裁縫の仕事は終わりましたか?」

 

 通りすがりのシスターと挨拶をする。リディアは司祭として、威厳のある姿勢を心がけているようだ。

 

 シスターの緊張に満ちた顔は、とりあえず気にしないでおく。あの表情は、アリスが幼い頃からよく勉強に追われていた頃にそっくりだったからだ。

 

 そんな感慨を覚えつつも、3人は礼拝堂へたどり着いた。先程までいた、周囲のシスターの影はまばらだ。みんな、それぞれの場所で仕事を行っているのだろう。

 

 リディアが片腕で抱えているものは――――ラーの鏡。古代より存在し続けている神秘は、現代の司祭の手の中にある。

 

「リディア司祭様。それは・・・・・・」

 

「あのラインハットの件の後も、このラーの鏡は修道院で一時的に保管しております。もう一度、この鏡を調べないことには何も始まりませんので」

 

 ラーの鏡は、神の塔の象徴として奉られているものだ。それを司祭の権限を使ってまで、こうして調査に応じてくれているというのは、本当に頭が下がる思いだった。

 

 そんなアリスの内心を察したのか、リディアが言葉を続ける。

 

「実はアリスさんが旅立ってから、ラインハットのデール王様から直々に頼まれたのです。今回の、光の教団がラインハットを狙った件に関する詳細な調査を行って欲しいと」

 

「ああ、成る程。あの時に・・・・・・」

 

 そういえば、と元修道女は思い出す。あのジャミという魔物を倒した後、確かにデール王から国の内情を回復させるために修道院の力を借りたいと言っていた。

 

「はい。あの場にはアリスさんもいらっしゃいましたね」

 

 アリスさんの件も、その延長ですからとリディアは言う。

 

「・・・・・・」

 

 一方でデールの名前が出た時、へリンスの肩が僅かに動いていた。だが、2人は話に集中していたために気づくことはない。

 

「まずは、アリスさんにご覧いただきたいことが」

 

 一言だけ断って、リディアはアリスの前にラーの鏡を向けた。何だろうかと僅かに緊張したアリスの目に映ったものは――――背後に飾られている、あのシスター達の集合絵。

 

「え・・・・・・?」

 

 思わず、目を見開いてしまう。ラーの鏡には、リディアの前に立っている、当時の幼い頃の自分の姿が存在していたのである。完成された、全員が描かれている絵画の姿。

 

「これは・・・・・・私の姿が描かれてあった時に戻っているのですか?」

 

 反射的に、背後を肉眼で確認してしまう。だが、視界には自分がいないことで奇妙な構図になっているままの絵画で。

 

「このラーの鏡に映し出されている女の子は、アリスさん・・・・・・貴女で間違いはありませんね?」

 

「はい・・・・・・」

 

「やはり。アリスさんにもご理解いただけたでしょうか」

 

 リディアはどこか、固い声で言う。動揺を隠せないアリスだが、司祭の話には続きがあった。

 

「正直なところ、アリスさんが以前お話ししていただいた内容には・・・・・・こういった物言いには語弊があるかもしれませんが、心から納得できるほどの証拠らしいものが何一つ存在していませんでした。しかしながら、これを確認してしまった以上、最早信じる以外にはありませんね」

 

「・・・・・・ラーの鏡には、この世から失われてしまった概念すらも、映し出す事が出来るという事ですか」

 

「そういう事です。きっかけに気づいたのはシスター・デボラですが」

 

 どこまでも、ラーの鏡の神秘は計り知れない。超古代より存在している神秘は、それほどのものだというのか。

 

「これで、1つの疑問が氷解しました。だからこそ、こちらの持つラーの鏡もこの世界に存在し続けることが出来ているのですね・・・・・・」

 

 アリスが道具袋から取りだしたのは、あの狭間の世界にて実の両親から渡された、もう一つのラーの鏡。今までアリスはあの曖昧な世界の中で受け取ったが故に、これまで概念の壁をすり抜けて存在していたのだろうと思っていた。

 

 だが、違ったのだ。この世で唯一、ラーの鏡に限って言えば、真実を映し出すという特性によって世界の矛盾すら弾いてしまうらしい。何しろ、真実の鏡だ。一度そこに存在しているという概念が生まれている以上、それが真実であり現実として世界に受け取られるから。

 

「それが、例の世界に存在していた・・・・・・」

 

「はい。今でこそ、あのキングダンサーの手によって破壊されてしまいましたが・・・・・・」

 

 リディアはアリスから手渡されたラーの鏡を、ジッと凝視する。今でこそ割れてしまっているものの、間違いなくこれは本物だ。それが分からないリディアではない。

 

「・・・・・・」

 

 リディアはしばらく何かを考えるような仕草をしていたが、ややあってアリスに声をかける。

 

「アリスさん・・・・・・このラーの鏡は、しばらくの間こちらで預からせていただいても?」

 

「はい、構いませんが・・・・・・何かお考えでも?」

 

「申し訳ありません。今は詳しくはお伝えできませんが・・・・・・時が来れば、その際に」

 

「・・・・・・?」

 

 言われるがままに了承する。どのみち、これほどの神秘を持つ道具を直す手段をアリスは知らない。ならば、修道院の司祭であるリディアに預けるのが一番なのだろう。

 

 加えて、リディアには何か考えがあるようだ。それが何なのかはハッキリとはしないが、ここは彼女を信じよう。きっと悪いようにはならないはずだ。

 

「・・・・・・あ、そういえば」

 

 と、ここでアリスはようやく思い出す。ここに来た、もう一つの用件を。

 

「何でしょうか?」

 

 リディアもラーの鏡から視線を外し、アリスの顔を見る。中年の年代に差し掛かっていても、なお在りし日の面影を感じさせる瞳が、アリスの顔を映していた。

 

「実は、リディア司祭様。折り入って、ご相談があるのです」

 

「はい。何なりと」

 

 アリスは一度だけ深く深呼吸をすると、顔を桜色に染めながら訊いた。

 

「私の身体を、診てはいただけないでしょうか?」

 

「それは構いませんが・・・・・・どこかお加減でも?」

 

「ある意味では、そうです。ただ、これは病気にかかってしまったわけではありません」

 

「病気ではない・・・・・・もしや?」

 

 どこか含みのある言い方に、リディアは長年の経験から答えを導き出す。アリスはニッコリと笑顔を浮かべた。

 

「はい・・・・・・リュカとの子が」

 

「えっ!?」

 

 その驚きの声が出たのはリディアではなく、これまで黙っていたへリンスであった。今まで、何も知らされていなかったのである。

 

「ほ、本当なのかよアリスさん。子供、リュカとの・・・・・・ええ・・・・・・」

 

 よほど驚いているのだろう。動揺のあまり、ブツブツと心の中に浮かんだ言葉をそのまま呟いている。

 

「申し訳ありません、へリンスさん。仲間であるというのに、伝え損ねてしまって。私も気が急いていたようです」

 

 アリスはすまなそうに言った。実際、ルーラを覚えたらすぐに修道院で身体を診てもらいたいと思っていたのだろう。自分の子供が誕生しているのだから、焦ってしまうのも無理はない。

 

「ああ、いいんだ。それよりも、こっちこそ話の腰を折ってすまなかったよ」

 

「私も驚きました。それは、本当にめでたいことですね。子宝は神からの何よりの授かりもの。アリスさんのような方の子ならば、きっとたまのように可愛らしい子であるはずです」

 

「ありがとうございます、リディア司祭。その事でお手数なのですが、もし今現在、産婦の経験が豊富なシスターがいらっしゃるのならば、その方に診てもらいたいと思いまして」

 

「ご安心を。それならば、良きシスターをご紹介致します。本当は、私が受け持ちたいところなのですが・・・・・・仕事の都合上の関係もありますので。どうかご了承くださいませ」

 

「い、いえ。そんなリディア司祭様ご本人の診断など、恐れ多いです」

 

 そんなやり取りをしながら、アリスはリディアに連れられて奥の部屋へと向かっていく。当然ながら、へリンスはそれを追うことはしない。これから先は女性だけの話だ。

 

 結果的にポツンと置いてけぼりのような形になってしまったへリンスは、手持ち無沙汰になった気分で傍の長椅子に腰掛けた。

 

 周囲には、それぞれの仕事を担当しているシスターが、思い思いの方向へ向かっている。やるべき事を背負った人間というものは、どんな職業でも立派に見えるものだ。

 

 2階の通路には、今もなおシスターに一通りの部屋を紹介してもらっているマリアの姿が見える。彼女の横顔は好奇心に満ちており、それは同時に彼女が神を信じる仕事に誇りを持っていることの証明でもあった。光の教団と修道院では、どちらが素晴らしいかなど考えるまでもないからだ。

 

 ――――俺は、このままでいいんだろうか。

 

 その疑問は、あの大神殿を脱走してからというもの、ずっとへリンスの心の中で問いかけてきた事であった。

 

 勿論、良い訳がない。このまま城に帰ることもせず、自分が何をするべきかという目標を見つけられないままで。

 

 宙ぶらりんでいいはずがない。だけど・・・・・・

 

 一緒に脱走をしたマリアは今、この修道院に心惹かれている。きっと遅かれ早かれ、ここで新たに神を祈る道を歩き始めるだろう。

 

 そうなれば、マリアとはここでお別れという形になるのかもしれない。それは自分にとってとても残念なことだと思うけれど、これから先も魔物を相手取りながら旅を続けるよりは、ずっと幸せに生きていうことが出来る。

 

 そして、大恩人であるアリスも。

 

 アリスが妊娠していたという事実はとても驚いたが、落ち着いた今ではそういう可能性もあるだろうと思い始めていた。なにしろ、アリスはリュカの恋人なのだから。当然ながら“そういう行為”があったとしても不思議ではない。ただ、それが発覚する前に2人が物理的に別れてしまったことは不幸な事だっただろうが。

 

「ちょっと。さっきから暗い顔で何をブツブツ言っているのよ。鬱陶しいから止めてくれない?」

 

「へ?」

 

 横から苛立ったような声がかけられる。我に返って顔を横に向けると、何やら勝ち気そうなシスターがこちらを不機嫌そうに見ていた。

 

 へリンスは思う。あれ、俺って今、何かブツブツ言っていたのか?

 

「あんたよ、あんた。何か悩みがあるんだったら、誰か適当なシスターに頼みなさいよね。あたし以外の誰かに」

 

 へリンスを指さした後、言いたいことだけを言う。そのまま舌打ちでもしかねない様子で、さっさと踵を返してその場を去って行った。

 

 相手の態度よりも、瀟洒だと思っていたシスターから突然の言葉に、呆気にとられてしまったへリンス。そこへ、1人のシスターが近寄ってきた。

 

「申し訳ありません。あの方は、私の姉なのです。姉が失礼なことを・・・・・・」

 

 こちらの女性は、さっきの姉らしき女性とは違うらしい。穏やかな瞳を、今は申し訳なさそうに伏せている。こちらを気遣う物腰は、どこかアリスやマリアに似ている雰囲気があった。

 

「ああ、いえいえ。ちょっとビックリしただけですよ。それよりも・・・・・・」

 

「はい?」

 

「俺、そんなに声に出てました?」

 

「え?」

 

 姉の挑発的な態度よりも、彼がそんなことを気にしてしまっている事が可笑しく感じ、女性はつい微笑ましそうになってしまう。へリンスもつい、笑ってしまった。

 

 不思議と、さっきまで悩んでいた気持ちが楽になっていくように思える。自然と、雑談を交えた話が始まった。

 

 話は次第に、自分の旅の話やアリスとの出会い。驚いたことに、この女性――――フローラは、アリスと共にラインハットのクーデターで一役買った人物だという。

 

 アリスという共通の話題が出たことで、話も弾むように。彼女との旅の話は、フローラも興味深く聞いてくれた。

 

 何だか相談というよりは、ただの世間話になってしまっているが、それを咎める者はこの場にはいない。シスターは、単純に客人の話し相手になることも仕事のうちなのだ。

 

 そして、へリンスは話した。今、自分が何に対して悩んでいるのか。自分の胸に、再び誇りや責任を取り戻すために、何をするべきなのか。

 

 一通りの話を、フローラは真摯に聞いた。へリンスの迷いを持つ瞳を前に、フローラはここまで話してくれたことに感謝の意を込める祈りの姿勢を取った。

 

「よく、ここまで話していただきました」

 

「いえ、どうも・・・・・・」

 

 へリンスとしては、別段フローラでなくとも話を聞いてくれる人間ならば誰でも良かった。ただ、声をかけてくれたのが彼女だったからだ。

 

 しかし、へリンスは本当に幸運だったと言えよう。なぜなら彼の間の前にいる女性は、修道院の誰もが誇るシスターなのだから。

 

「へリンスさん。人生の道に迷いし時は、誰にでも訪れるものです。人とのすれ違いで迷う。生業の選択で迷う。様々な事情によって、人の子の迷いし時は、本当に焦りを覚えるもの」

 

「・・・・・・」

 

 ですが、とフローラは続ける。

 

「その時は、人は誰しも己の心へ訊くのです。答えは全て、己の中にしかないのですから」

 

「いや、だから俺は悩んでいるんだよ。ずっと自分が何をしたいのかをさ。結構当たり前の事を言ってないか?」

 

 やや失礼な言葉になってしまったが、フローラは顔色を変えない。

 

「ただ答えを訊くのではないのです。それは湖面に映し出された己の姿の如く」

 

「?」

 

「へリンスさん。これまで貴方の人生の中で、最も楽しいと思えた時期はいつでしょうか?」

 

「それは・・・・・・」

 

 言われて、記憶の糸を辿るへリンス。楽しいと思えていた時期。そんなのは、考えるまでもない。自然と、その頃を言葉にする。

 

「小さかった頃・・・・・・お袋と親父が、まだ生きていた頃だったな」

 

「そうですね・・・・・・誰しも、その時期が最も幸福だと思えることでしょう」

 

 そこで、僅かにフローラは悲しそうな顔をする。

 

「そうですね・・・・・・しかし、ずっと過去に神の元へ召された方は、最早取り戻すことは叶いません。そればかりは、取り戻しようのない時間です」

 

「まあ、それはそうだけどな」

 

 世の中には蘇生呪文も存在しているのだが、色々と制約があるので誰でも蘇らせられるというわけではない。へリンスの両親も、そのうちの1つだ。

 

「では、ここ最近のこと・・・・・・へリンスさんがその大神殿という場所から解放されて以降は、どのようなことが胸躍る時間と思えましたでしょうか?」

 

「・・・・・・それは、やっぱり」

 

 そこで、再び記憶の糸を辿る。

 

 脱走してからの自分は、マリアと共に数少ない所持金を手に町を彷徨くことしか出来なかった。食い扶持にも困り果てていた頃、出会ったのがアリス。彼女の出会いで、2人の未来は大きく変わった。

 

 マリアを助けてくれただけではなく、仕事を紹介してくれて、アリス自身も一緒になって働いてくれた。まして、思い出すのはあのバニーガール姿のダンスに、踊り子の衣装を身につけた、露出度多めのアリスの姿・・・・・・

 

「へ、へリンスさん?」

 

「ハッ!? い、いえ。何でもありません」

 

 少し前の記憶を思い出し、だんだんとやに下がっていくへリンスが我に返ると、フローラはやや怯えたように身を引いていた。つい敬語で取り繕ってしまう。コホン、と咳払いをする。

 

「やっぱり、マリアとアリスさんの3人で旅をしている時かな。実は、あの2人とはもしかしたら一緒に旅が出来なくなるかもしれないから、それが今は本当に残念でね」

 

 だからこそ、いざ1人になってしまうかもしれない今、何を心の拠り所にして、何をやればいいのかが分からない、と。

 

 だからこそ、フローラはこの迷える子羊の背中を押すことにした。

 

「では、僭越ながら・・・・・・へリンスさん。誰かと共に歩むことが叶わないと仰るのでしたら、こういう考え方はいかがでしょうか」

 

「考え方?」

 

「はい。共に歩めない理由があるのでしたら、恩人であるその者の為に役立つ何かをするという道もあるのではないかと」

 

 アリスのために役立つ何か。その言葉は、妙にへリンスの心に残った。

 

 恩人のために、自分は何が出来るか。つまり、自分の人生の為ではなく、借りを返すべきアリスの為。

 

 へリンスは、アリスとリディアが入っていった扉に視線を向けた。今頃、彼女の赤ん坊の経過を検査している。それがどのような結果にしろ、アリスはもう旅を続けることはしないだろう。

 

 ならば、アリスのリュカを捜すという旅は・・・・・・

 

「・・・・・・やっぱり。そうだったんだよな」

 

 そう。自分の気づけた答えに、誰よりも自分自身が納得した。

 

 アリスが何よりも望んでいることは、リュカに会うこと。そして、それは自分自身もだ。

 

 ほんの、僅かな時間だったかもしれない。だが、へリンス――――否、ヘンリーは今でもリュカを覚えている。あの黒曜石のような、純真な瞳の少年を。

 

 そんな彼を求めている女性がいる。ならば、会わせてあげたい。2人を会わせて、彼らの間に生まれた結晶を腕に抱かせてあげたい。

 

 それが、ヘンリー王子でなければ出来ないこと。へリンスというただの人間では不可能なこと。

 

 ――――そのためには・・・・・・

 

 ヘンリーは己の結論を心の中で反芻する。なんだ。答えは、こんな近くにあったんじゃないか。

 

 アリスとリュカの間には、既に命が生まれている。その姿に、ヘンリーの意思は固まった。いや、背中を押されたのだ。

 

 本当は、自分が何をしなければ良いかなんてとっくに気づいていた。ただ、己自身のなけなしの意地と不安が邪魔をして、ずっと目を逸らし続けていただけ。

 

 だけど、今は違う。自分の不安から、ようやく向き合うことが出来た。たった今、この瞬間から。

 

「ありがとうな、フローラさん。俺、何をしなきゃいけないかが少しだけ見えた気がする」

 

 まるで憑き物が落ちたかのように、ヘンリーは笑う。

 

「そうでしたか。お力になれたようで何よりです。貴方の人生に、神のご加護があらんことを」

 

 花のようにニコリと笑うシスター・フローラに、ヘンリーも照れくさそうに頬を掻く。

 

 ここは修道院。迷いを持つ者が訪れる場所。神は、この日も1人、迷える子羊を導いたのであった。

 

 

 

 

 夕刻が過ぎ、就寝時間となった夜。雲1つ無い晴天の夜空が、月明かりを伴って浜辺の海を淡く輝かせる。

 

 明日からは、それぞれが己の生き方のために別れることになる。今が、アリス達の人生における分岐点なのだろう。それは、彼女達も承諾済みだ。

 

 暗闇の中、アリスは何となく眠る気分になれず、客人用の寝室から廊下に出た。寝間着用のローブに身を包んだ彼女の姿は、質素ながらも彼女の美しさを映えさせている。

 

 静まった廊下の窓から見える夜景。それは幼い頃から何度も見ている風景だ。だが、こうして今の視点から見える夜景は、むしろ幻想的な美しさが増しているようにも見える。

 

 アリスは片手で、自分のお腹をそっとさする。もう、今日一日で何度目かの仕草。

 

 手の平からは、あまり自覚する以前と変わらない感触が返ってくる。だが、ここに間違いなく生まれているのだ。愛しい彼との新しい生命が。

 

「名前は、どうしましょうか・・・・・・」

 

 出来る事なら、リュカと2人きりで決めたい。いや、それよりも男の子か、女の子なのか。きっと、どちらでも可愛くて仕方が無いのだろう。

 

 アリスもまた、幼い頃から出産には立ち会ったことがある。あの、苦しそうにしながらも我が子を抱いたときの母親の気持ちは、きっとすぐに体験できるのだろう。

 

 少なくとも、子供が生まれるまでは旅をすることは出来ない。だが、まだ満足に動けるうちに色々と準備しておきたいことがある。明日からは、きっと旅とは別の意味で忙しい日々を過ごすのだろう。

 

 その準備に関しては、色々とアテがある。だが、それは全て明日からだ。せめて今は、眠気が訪れるまで夜空を眺めているとしよう。

 

「アリスさん」

 

 声が聞こえてきて、廊下の奥に顔を向けた。暗い廊下の奥から、1人の青年が歩いてくる。別の寝室で眠っているはずのへリンスだ。

 

 彼も眠れなかったらしく、アリスの隣に立つ。自然と一緒になって、夜空を見上げる形になった。

 

「身体の方は、何か調子が悪いとかはないか?」

 

「はい。お気遣いいただき、ありがとうございます」

 

「その・・・・・・何ヶ月だったんだ?」

 

 少々デリカシーに欠ける訊き方だったかもしれないが、アリスは嬉しそうに話す。

 

「おおよそ2ヶ月らしいです。そろそろ身体に違和感を覚える頃ですから、今から色々なことに気を遣わなければいけませんね」

 

「そっか。元気な子供が生まれると良いな」

 

 本当は、この言葉をリュカから言って欲しいだろうに。だけど、彼はここにいないから。

 

 リュカは今、どこにいるのだろう。こんな綺麗な恋人を放って。この同じ夜空の下、ちゃんとアリスを探してくれているのだろうか。

 

 その後は、他愛のない話の中にも自分達の今後を確認し合う会話が続く。修道院はいつもどういう食事を取るものなのかとか、シスターの修行とはどういうものなのかとか。

 

 仲間でいるうちは、いつでも聞けるような話。だが、そういったありふれた話こそが、今の彼女らには大切であった。

 

 未来の世界とは、どれだけ大変だったのだとか。その世界にいる間、リュカはどんな男に育っていったのだとか。そんな少し間違えれば場の空気を重くしかねない話題すらも、アリスは楽しく伝える。

 

 そして、話はいつしか今の旅の話を通して、マリアの事に。

 

「マリアさんは明日、この修道院で正式に洗礼の儀を受けるそうです」

 

「そっか、やっぱりな。マリアさんなら、絶対にここを再出発の場所にすると思っていたぜ」

 

「彼女も、かつては修道女だったことが理由でしょうか?」

 

「それもあるけどな。やっぱり、あの地獄みたいなところで頑張っている人達のために祈り続ける人生を送りたいんだろうな。気持ちは分かるぜ」

 

 確かに、とアリスも思う。マリアの性格を考えれば、むしろ必然だとも言える。

 

「それでは、へリンスさんは・・・・・・」

 

「ああ、そうだ。俺も決意が固まったしな。マリアさんは修道院に入るし、アリスさんは旅をしばらく休むんだろ?」

 

「はい。ただ、実は私は・・・・・・未来から戻ってからというもの、自分の家を持ってはいないのです」

 

 お恥ずかしい限りですが、と付け加える。未来の世界へ飛ばされる前は、サンタローズのシスターとして住み込みで働いていたので、事実上は村の教会が帰る場所だったのだろう。それ以前では修道院で。

 

 つまり、今のアリスはただの旅人。どこにでも行ける代わりに、どこにも彼女の居場所はない。

 

 だからこそ、今の自分が暮らす家は既に決めていた。自分にとって、教会と同じくらいに馴染みのある、あの家を。

 

「ですから、買い取ることにしたのですよ。リュカが暮らしていた家を」

 

「買い取る、か」

 

 ヘンリーは、どこか面白そうに口元を歪ませる。なるほど。それは確かに良い引っ越し先だろう。

 

 リディアを通して知ったことなのだが、今のサンタローズは急ピッチで再建が続いているらしい。一方的に攻め込んでいったかつての愚行を、今になってようやく詫びる意味を込めて、城の兵士達を使って働かせている。

 

 その中には、修道院のシスターの姿もあった。工事の過程で怪我をしてしまったり、極端に疲弊してしまった者達を癒やすなど、魔法を使って作業を効率化させることで効率的な復旧作業を進めているという。

 

 しかも――――あの村には今、ミランがいるのだという。やはり、彼女はあのラインハットの戦いを乗り越えて、今もなお生きていた。クーデターが終わった後、あの後ろ姿を見たのは人違いではなかったのだ。

 

 それを知った時、アリスはつい涙があふれてしまった。リディアには随分と心配されてしまったが。

 

 いつか、パパスやリュカが帰ってきた時、あの家で一緒に暮らそうと思っている。それまで、あの親子が帰るべき家は自分が守ろう。

 

「へリンスさんは」

 

「ん?」

 

「へリンスさんは、これからどうするのですか。このまま、旅を続けると?」

 

 アリスの素直な質問に、ヘンリーは僅かに背筋を伸ばす。

 

 さあ言ってやれ、ヘンリー王子。心の中で、自分自身に対して言い聞かせてやった。

 

「アリスさん。その事について、貴女に言っておかなければいけない事があるんだ」

 

「はい?」

 

「俺、ここを離れた後は・・・・・・城に帰ろうと思ってる」

 

 城。確かに彼はそう言った。アリスは僅かに驚きの顔になる。

 

「実は、俺の名前は――――」

 

 

 

 

つづく

 




今後のプロットを変更するため、最後近くを修正致しました。
ご了承ください。
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