DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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誰よりも愛おしい生命へ

 

 

 

 

 長年のラインハットの王族による市民への圧政は、未だに記憶に新しい。だからこそ、デール王を初めとした上層部の者達は、この日も書類を睨みながらあらゆる指示を出す日々に追われていた。

 

 そしてこの日。ようやく国内の不平不満の声が僅かながらも小さくなり始めた頃、1つの声がデールの耳に届いた。

 

 アリス様がデール王に謁見を願いたい、と。本来ならば、外部の人間が気軽に王族と相対するなど許されない事だ。

 

 だが、アリスならば話は別である。その名前は、デール王にとっても大恩ある女性の名前であった。心なしか、報告をした兵士の声もどこか弾んでいるように思える。

 

 彼女の名は、城内で知らない者などいない。余計な混乱を避けるために、市民に対して大々的に知らせる事こそしてはいないものの、兵士達の間では救国の英雄の1人として話題が尽きない存在であった。

 

「了解した。では、通せ」

 

「はっ」

 

 そんな彼女が、今この城へ来訪している。デールが拒む理由などどこにもなかった。

 

 ただ、1つ。

 

 見慣れない男性を一緒に連れているという話が気にはなっていたが。

 

 

 

 

 修道院で朝食を済ませたアリスとヘンリーは、ルーラでラインハットに来た。

 

 今のアリスは、身体に負担をかけないように意識する必要がある。そういう意味では、ルーラを覚えたことは本当に良いタイミングだったと言えるだろう。まだ極端な身体の不調は覚えてはいないものの、これから産まれる命がかかっているのだから。

 

 ちなみに、ルーラはアリスだけではなく、ヘンリーも使える。現に、この城の城下町へ来たのは彼の呪文によるものだ。

 

 ベネットの手によってルーラを完成させた際、共にいたマリアには残念ながら適性はなかったらしい。古代の呪文を使えるようになったのは、あくまでもアリスとヘンリーだ。

 

 一緒にラインハットへ来てほしいと頼まれ、承諾したアリス。8年も城を開けてしまったのだから、彼の風貌もかなり変わっているのだ。誰か、彼がヘンリー王子だと証言してくれる人間といったら、アリスしかいない。

 

 城下町の中、かつての遠い記憶を再現するかのように人のざわめきが増えている。相変わらず人の通えていない路地はまだ存在しているものの、人々の顔に暗さはない。むしろ、老若男女関係なく、町の息吹を取り戻そうと仕事に勤しんでいる姿が目立っていた。

 

「なあ、アリスさん。やっぱり、偽の太后に支配されていたときは、もっと酷かったのか?」

 

 僅かに小さな声ではあったが、横を歩くアリスの耳には届いた。彼女は肯定する。

 

「そうですよ。むしろ、今は随分と人が集まっています。この辺りも、露店が少しずつ増え始めていますから」

 

「そっか。俺が覚えている限りじゃあ、この辺りはいろんな国の商人が、我先に場所取りに躍起になっていたっけなあ」

 

 足を止めないヘンリーの顔は、どこか寂しそうだった。彼の目には、これでもこの区画は寂れているように見えているのだろう。

 

 長年の圧政に対する抵抗や修繕の遅れなどが理由で、破壊されたり朽ち果ててしまった建物は、まだいくらでも残っている。それを、王家が人件費などを負担することで市民達も動いている状態なのであった。

 

 木材を抱えて、路地の奥へ向かっていく大工達が目の前を横切る。古くなった柱を自分の安価なあり合わせの道具で修繕し、商売を続ける夫婦の姿。

 

 持ちこたえているのだ。このラインハットの人々は、みんな。

 

 さらに目に入るのは、とうに閉店された店舗の隅に蹲っている、みすぼらしい布きれを身につけた子供のグループ。それはヘンリーにとって、数週間前までの自分達を思わせるようで、どうしようもなく彼の心を害した。

 

「・・・・・・っ」

 

 思わず足を止めそうになってしまうヘンリー。やはりだ。この城の爪痕は、まだまだ深い。

 

 このまま通りすがりになる気にはなれず、何かの衝動に突き動かされて彼は近くのパン屋へ駆けていく。アリスは何をするのかとは訊かず、黙って彼の後を付いていった。

 

「おやおや。すいませんねえ。何しろこのご時世だから、あまり安いパンが出ないんだよ」

 

「構わない。売ってくれれば文句はないからさ」

 

 パン屋の中年女性にお金を払うと、受け取った数個のパンを抱えてホームレスの子供達が住み着いている店舗に顔を出した。

 

「おい」

 

 今は誰も使わなくなったカウンター越しに声をかける。ビクリと、子供達が震えた。

 

 何だ、邪魔だから出て行けって事か。彼らの目が、そう語っていた。

 

 だが、彼らの視線の先にいる青年は、安心させるように少しだけ笑った。続けて、抱えている紙袋をカウンターに置く。

 

「お裾分けだ。今だけ、特別にやるよ」

 

「――――」

 

 じゃあな、と軽く手を振って街並みの中へ消えていく青年。後ろに立っていた女性も礼をすると、彼の後を追っていく。

 

 後に残ったのは、紙袋に入った何か。

 

 彼らは目配せをし、代表の1人が恐る恐る紙袋を手にして戻ってくる。その温かい感触と匂いに、彼らは中に何が入っているのかを理解した。

 

「あ、あ」

 

「ああ、った、かい・・・・・・」

 

 親とは早くも永遠の別れを経験し、今もなお歯が抜け、言葉もろくに喋れない子供達。だがこの出会いと施しは、彼らに何よりの喜びの感情を覚えさせてくれた。

 

 焼きたてのパンは熱い。歯がないから噛みにくい。それでも、彼らは夢中で食べた。生まれて初めて食べた、焼きたてのパン。

 

「・・・・・・っ」

 

 涙を流して食べ続ける彼らの顔に、暗さはない。さあ、お腹がいっぱいになったなら、少しだけ外に出よう。

 

 子供は、元気に外で遊ぶもの。そうすれば、きっと新しい何かに出会えるはず。

 

 

 

 

 そして、数刻後。特に問題が起こるということもなく、アリス達はデール王に面会を求めるように取り次ぐことが出来た。

 

 取り次ぎを買って出たのは、顔色が随分と回復しているように見えるアルダン将軍。彼はロザミア太后が幽閉されたのと、ほぼ同じタイミングで牢へ入れられたという。発見時は、長年日の光をまともに浴びていなかったせいで身体が痩せこけていたものの、今では順調にリハビリを続けているらしい。

 

「いや、アリス様とお会いできるとは。このアルダン、誠に恐縮です」

 

「そんな。私はあくまでも元修道女というだけの身分。将軍の貴方様が、そのような態度をされてはなりません」

 

「英雄と呼ばれるに相応しい方を前に、そのような無礼は出来ませんとも。では、私は近衛兵にアリス様の伝言をいたしますので、これにて」

 

 頭を下げ、階段を上がっていくアルダンの背中。それを見送りつつ、ヘンリーはぼやく。

 

「アルダンの奴・・・・・・相変わらず固いんだな。まあ、ちょっと安心したけどさ」

 

「あはは・・・・・・私としては、偽物の将軍の方の印象が強いせいか、接し方に困ってしまいますが」

 

「まあ、そう考えると・・・・・・アリスさんって、あいつと嫌な縁があったのかもな」

 

「できたら、結びたくなかった縁です」

 

 まあ、そんなことは少なくとも本物のアルダンの耳に入れる必要など無い。黙って、彼が戻ってくるのを待つ。

 

 やがて、戻ってきたアルダンから王の間への入室許可が下りる。アリスとヘンリーは畏まった風を取り繕いながら、螺旋状の階段を上る。

 

 近衛兵の案内によって玉座に腰掛けているデール王と対面した。兵士達は一様に礼をし、階段の下へと姿を消す。この場に残されたのは、件のデール王とアリス達。そして、中年の男である大臣のみとなる。

 

 アリス達は片膝を付き、頭を下げた。お互いの心情がどうあれ、王の前ならば礼節を弁えなければ。

 

「・・・・・・今は、大臣なんかがいるんだな」

 

 ヘンリーの口から、ポツリと呟いた声。昔はいなかったのですねと、アリスは心の片隅で思った。

 

「お久しぶりですね、アリスさん。あの一件では、大変お世話になりました。どうか、面を上げてください」

 

「ハッ。勿体なきお言葉です、デール王」

 

 アリスは短く答えると、真っ直ぐに目の前に座る人物に目を向けた。

 

 無知から来る純朴さを脱ぎ捨て、王としての威厳を身につけつつある若き王の視線。並の人間ならば、誰もが背筋を自然と伸ばすだろう。

 

「この国は、いつでも貴女の来訪を歓迎致します。して、今日はどのようなご用件で?」

 

「はい。その事なのですが・・・・・・西の大陸へ旅に向かった道中にて、必ずやデール王様に会っていただきたい方と巡り会った次第」

 

「会って欲しい人?」

 

 疑問の声を口にするデール王から、隣に頭を下げたままの男に視線を移す。彼はここで初めてデールに視線を向けた。

 

「では、ここから先は・・・・・・」

 

「ああ」

 

 小声でやり取りをすると、ヘンリーはおもむろに2本の足で立つ。目を瞬かせるデール王と、血相を変える大臣。

 

「な、なんだお主は。アリス様の連れというから礼節を弁えているものと思っておったが。王の前で無礼であるぞ!」

 

「大臣様、どうかお気を鎮めてください。理由は、すぐに彼の口からご説明いただけます故」

 

 そんなやり取りを無視して、ヘンリーは8年ぶりに弟と正面から向かい合った。デールも彼の不敬を咎めなければいけない立場なのだが、どういうわけかそんな言葉が出てこない。

 

「王様。無礼を承知で言わせていただきますが・・・・・・子分は親分のいうことを聞くものですぞ」

 

「あ・・・・・・」

 

 まさか。そんな言葉が聞こえてきそうな程に、デールの表情が驚愕に変わった。ついでに大臣の顔色も。

 

「兄さん・・・・・・ヘンリー兄さん。生きていたんだね!」

 

「ああ。ずいぶんと長い間、留守にしてしまってすまなかったな。デール」

 

「まさか、信じられない。まさか、兄上が生きていらっしゃったなんて」

 

 玉座から立ち上がり、瞳を潤ませながら近寄ってくるラインハット王。アリスは、目立たないように後ろへと下がる。

 

 ここから先は、家族同士の話だ。彼女は王の間を去り、階段を降りていく。

 

「おや、アリス様。お連れの方はいかがなさいましたかな?」

 

 下の通路には、アルダンが立っていた。来訪者が来る際の案内役として、彼女が戻るのを待っていたのだろう。

 

「あの方は、デール王に重要な用件があったのです。私はあくまでも、王に彼を会わせるための橋渡しに過ぎませんので」

 

「はあ」

 

 よく分かっていない様子ではあったが、アリスは別の話を彼に尋ねることにする。

 

「ところで、アルダン将軍様。少々お伺いしても?」

 

「はい。何用でしょうか?」

 

「実は、サンタローズの村のことなのですが・・・・・・」

 

 アリスは、このラインハットへ来たもう一つの用件を済ませることにした。アルダンに伝達事項を済ませた後、彼はどこか微笑ましそうに頷く。

 

「了解致しました。明日中には確保しておくように、兵士を通じて村の方に伝えておくといたしましょう」

 

「感謝致します。アルダン将軍様」

 

「いや、なんの。貴女様に頼られることは、むしろ望むところですので」

 

 しばらくアリスはアルダンと話をすると、頃合いを見て王の間へ移動することにした。アルダンが彼女の前を歩く道すがら、近衛兵らしい者にアリスの用件を伝えておく。言われた彼は、真面目に返事をしつつもその場から下がっていった。

 

 大臣の姿が見えないが、察するにヘンリー王子のことをロザミア太后を初めとした関係各所に知らせに回っているのだろう。

 

 再びデール王とヘンリーの近くに来るアリス。デールはすでに王らしく、玉座に腰掛けている。心なしか、目元が赤くなっているところは最低限の気遣いとして指摘しない。

 

 先程と違っているところは、ヘンリーがデールの隣に立っているところであった。共に来ているアルダンが目を白黒させている。

 

 この状況に驚いていない、アリスは再び礼の姿勢に。アルダンもまた、疑問を棚上げしつつも臣下の礼をした。

 

「アリスよ。色々と、兄上が世話になったそうですね。重ね重ね、貴女には感謝の言葉もありません」

 

「お、王よ。兄上とは・・・・・・」

 

 ついアリスの返事の前に口を挟んでしまったアルダンだが、それを咎める者はいない。デールはさも当然のように、衝撃的な事実を口にした。

 

「言葉の通りだ、アルダン。行方不明となっていた兄上を、そちらのアリスが見つけてくださったのだ」

 

「なっ・・・・・・」

 

「久しぶりだな、アルダン。お前にも昔から色々と悪戯をしてしまったことがあったな。クソ真面目な性格だったから反応が薄くて、すぐに飽きちまったけどさ」

 

 確か、私室のドアに落書きをした時だったかと、昔を懐かしむように言うヘンリー。そんなことをしていたのかと内心で呆れるアリス。

 

 一方で、驚愕するアルダン。その言葉の意味が脳に浸透していくと共に、彼の表情はみるみるうちに明るくなっていった。

 

「おお、なんと・・・・・・よもや、貴方様が。よくぞ、よくぞお帰りになられました、ヘンリー王子様!」

 

「よせよな。相変わらず、声が大きい奴だ」

 

 耳を指でほじるような仕草をしながらも、ヘンリーは楽しそうに笑った。悪戯が成功したような顔で、2人のやり取りを眺めるデール。

 

「本当に、本当に・・・・・・っ。アリス様には、なんと御礼を言ったら良いのか。このラインハットを救ってくださっただけではなく、ヘンリー王子まで・・・・・・」

 

「ああ、アルダン将軍様。涙を流しては、他の者に示しが付きません」

 

 男泣きをするアルダンに、アリスが困ったように言う。しかし、それをデールは笑った。

 

「よいのですよ、アリス。ここには我々しかおりません。それに、他の兵士達がいたとしても、アルダンと同じような反応をすることでしょう」

 

 それはそうだろう。ヘンリーは当時から悪戯少年として有名ではあったものの、同時に母を失った孤独感に苛まれていたことも理解されている。そのため、彼を心から嫌う者は城の中にはほぼ皆無だったと言っても良い。

 

「しかし・・・・・・全く僕という人間はアリスに頼りっぱなしですね。だから、兄上からも頼んでいただけませんか」

 

「?」

 

 頼むとは、何のことだろうか。アリスは礼の姿勢を崩さないまま疑問に思う。それに反応したのはヘンリーだ。

 

「王様。アリスを近衛兵としてスカウトしたいというお話でしたら・・・・・・先程申し上げたとおり、受けていただけないのではないかと」

 

「しかし・・・・・・」

 

 どうにも、デールはアリスを諦めきれないらしい。そういえば、クーデター後にも一度、彼からは正式に雇いたいという話を持ちかけられていた。

 

「子分は、親分のいうことを聞くものですぞ」

 

「・・・・・・」

 

「勿論、この兄もできうる限り、王を助けてゆくつもりです」

 

 ヘンリーからやんわりと諭され、ラインハット王は渋々ながらも承諾する。

 

 アリスとしては、別段ラインハットが嫌というわけでは無い。だが、今の自分はリュカに会いたいという目的を第一に考えたいのだ。

 

「そんなわけでさ、アリス」

 

 ヘンリーは表情を真面目なものに変える。アリスと向き合い、ハッキリとした口調で言った。

 

「俺はこれ以上、旅を一緒に付き合えなくなっちゃったな。貴女には何度も助けられたし、本当に世話になった恩人だとおもっているよ」

 

 それでも、と続ける。

 

「俺は俺にしかできないことを、これから始めていくつもりだ。変な意地を張るのはもう止めて、王子という立場でなければできないような事を山ほどやっていく覚悟でいる。だから、アリスとはここでお別れだよ」

 

「はい」

 

 アリスは、そんな彼の覚悟を込めた顔を優しい微笑で受け入れた。

 

「自分の生きるべき道を見つけていたのですね。どうか、その先にヘンリー王子様が望む答えがあらんことを」

 

「おいおい。何を決別か何かみたいに言っているんだよ。これは、アリスのためでもあるんだぞ」

 

「私のため?」

 

「ああ。今は国の足場を固めなければいけないから、しばらくは内政に尽力を傾けるつもりでいるけれど、それが落ち着いたら真っ先にアリスを助けるつもりでいるんだぞ」

 

 助ける。何をだろうか。

 

 よく分かっていないアリスに、ヘンリーは呆れたように言った。

 

「決まっているだろ。リュカを探すんだよ。ラインハットの兵士の中から、捜索隊を編成してさ」

 

「あ・・・・・・」

 

「告白するけどさ、今までの俺は愚かだった。自分の変な意地や言い訳を盾にして、ただのヘンリーとして生きようなんて考えていた。だけど、アリスさんやリュカのことを思うのなら、そんな事・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 腑に落ちるアリス。人を探すなら捜索隊を出す。それは、確かに一国の王子の一声さえあれば、すぐに実現できる。それはきっと、アリスが1人でリュカを探すよりも、よほど効率的な手段。

 

 ヘンリーとて、アリスが自分の足で探したいという気持ちを理解していないわけではない。事実、自分だってリュカに会いたいと思っている。

 

 だが、そんな意地に囚われている場合ではないのだ。自分の出来る事を自覚したヘンリーは、これから国民に生存していることを公にした後、あらゆる政治に関わらなければならない。

 

 なにより・・・・・・アリスも。

 

「分かるだろう。アリスだって、もう無理をしたらいけない身体なんだ。だから・・・・・・」

 

 と、そこまで言ってハッとしたように自分の口元を手で押さえるヘンリー。しまった、と言わんばかりの様子を見せる彼に、デールとアルダンは不思議そうな顔をした。

 

「兄上。それは一体?」

 

「ヘンリー王子?」

 

「あ、えっと・・・・・・」

 

 ヘンリーのうっかりに、視線で助けを求められるアリス。彼女は困ったように笑うと、軽く片手で挙手する。

 

「あ・・・・・・ご説明致します」

 

 アリスは下腹部を、そっと撫でながら言った。

 

「実は今・・・・・・お腹に赤ちゃんがいるんです。だから、あまり無理はできませんという意味で」

 

「な、なんと・・・・・・」

 

「ははあ・・・・・・そうでありましたか」

 

 驚きと共に、感嘆の声。確かに、そういう理由ならば当然かもしれない。

 

「では、訊くまでもありませんが・・・・・・父親のお名前をお伺いしても?」

 

 デールの確認に、アリスは胸に手を当てて答える。

 

「はい。勿論、リュカです」

 

 それを聞いたラインハット王は、満足そうに笑った。一方で、アルダンはてっきりヘンリーとの子供なのかと勘違いしていたため、動揺を誤魔化すように咳払いをしていたが。

 

「本当に、そのリュカという方は幸せ者ですね。私も、早くお2人が再会するお姿を見てみたくなりました」

 

「王よ・・・・・・」

 

 お戯れが過ぎます、と言いたげなアルダンがどこか咎めるようなそぶりをするが、デールは気にした様子もない。

 

「了解致しました。そのリュカという方の捜索においては、改めて我々もできる限り尽力を。アリスは、どうかご自身のお身体の事にお気を付けいただければ」

 

「ご配慮感謝致します、デール王様。そして、愛しい方の捜索へのご協力を承っていただき、重ね重ね感謝の意を」

 

 アリスの心からの言葉に、デールは己の中で安堵の気持ちが浮かんでくるのが分かる。これで少しは彼女へ恩を返すことができたのでしょうか、と。

 

 もう少しだけアリスとは話をしてみたい気分だったデールだが、今はまだまだ内政の回復は程遠い有様だ。王の立場として退出を促し、アリスはアルダンと共に王の間を去っていく。

 

 階段を降りる間際、アリスは最後にスカートを摘まんで礼をする。その時、ヘンリーと一度だけ目が合った。

 

 ――――どうか、この国を。

 

 ――――当たり前だろ、アリス。

 

 2人の視線は、間違いなく信頼の意。短い旅ではあったが、きっと彼女らはあの日々を忘れない。この刹那のような出会いは、きっとこれからも心の中に残り続けるのだろう。

 

 

 

 

「ほほう、成る程な。それはこの先大変であろう」

 

「お気遣いをありがとうございます、ベネット師」

 

 ラインハットを出たアリスは、続けてルラフェンへと足を運んでいた。もちろん、ルーラの効果の報告と、自身のご懐妊についてだ。

 

 ベネットは再び来訪した愛弟子に安堵の色を浮かべながらも、当然ながら歓迎する。手に持っている魔道書を乱雑した机の上に置き、代わりに入れ立ての紅茶を差し出してくれた。

 

 紅茶の入れ方には拘りがあるらしく、本当に美味しいと思う。世間の魔法使いにはこういう飲み物に対して、常に魔力を若干ながら回復させる魔力草を混ぜる者がいるのだが、ベネットはそういう行為は好まないらしい。

 

「ですが、未だに心の何処かでは信じられない気持ちです。まさか、成人の年齢になって間もなく、子を授かることになるとは思いませんでした」

 

 しかも、あの最愛のリュカと。行方不明になってしまった彼との間にできていた、絆の証。

 

 そう。まるで、彼がアリスのことをひとりぼっちにならないように授けてくれたかのようで。

 

 椅子に腰掛けたまま、アリスは自分の下腹部を優しく撫でる。まだ我が子の存在を感じられるほど目立っていないものの、少しずつ日を越すごとに成長していくのだ。

 

「・・・・・・ふうむ。まあ、そういう事情というのならば、仕方がないかの。アリスよ、お主はしばらく、弟子の仕事は無しじゃ」

 

 まあ、言うまでもないがと付け足しておくベネット。そんな調子が、なんだか可笑しくなってしまうアリス。なるほど。自分の師匠はちょっと回りくどい言い回しが好きらしい。

 

「お気遣い、ありがとうございます。ただ、勝手ながら1つだけお願いが。身体が動けるうちは、もうしばらくこちらへ魔道の勉強をさせていただいても構わないでしょうか?」

 

「ああ、好きにせい。見ての通り、こちらもひとり暮らしじゃからな。研究以外は割と暇なもんだ。お主のような魔道に理解がある者・・・・・・特に若い娘が来るなら歓迎するぞ」

 

「あ、あはは・・・・・・お世辞として受け取っておきますので」

 

 前言撤回。割とストレートが好きなようだ。それとも、老成した男性らしいと思うべきか。

 

「では、しばらくの間、私は通いということにさせていただきます。それと・・・・・・」

 

「まだ、何かあるのか?」

 

「何か、というほどではありません。ただ、半年以上もの間、弟子として研究を手伝えないというのは、少々心苦しいのですよ」

 

 アリスは道具袋を取りだし、中からこれまた大きな皮袋を取りだした。それを、机の上で中身を解放する。ザラザラと金属音が鳴り、色とりどりの宝石のような物が山のような形になった。

 

 それを見て、ベネットは目の色を変える。驚きが冷めやらない様子で宝石の1つを手にした。それを、ジックリと目の前で観察し始める。

 

「これは・・・・・・」

 

「はい。はぐれメタルの魔石です」

 

 はぐれメタルの魔石。言うまでもなく、アリスがあの未来の世界で手に入れた魔石の1つだ。元々はぐれメタルは希少価値の高い存在で、従来の戦士ではまず姿を見かけることすら難しい。

 

 その魔石など、いかにベネットといえどそう何度も見かけたことはないだろう。あの魔物が支配している世界だからこそ、ごく当たり前のように目にすることが出来たのだから。

 

「他には、リザードマン。デンタザウルス。シャドーサタン・・・・・・」

 

 ベネットがチェックを進める。顔を真っ赤にして、血圧が心配になるほどに興奮していた。

 

 だが、それは無理もない。何しろ、この周辺の大陸ではまずお目にかかれない魔物なのだから。

 

 一通り目を通した後は、ハッとしてアリスを見る。その目には、僅かな畏怖すら浮かばせていた。

 

「アリスよ・・・・・・もしや、これほどの魔物を毎日のように相手取っていたと?」

 

「はい。リュカと共に」

 

「な、なんとまあ。以前から話は聞いていたが、こうして目の前で見せられると・・・・・・改めて本当に存在している世界なのだなと思うぞ」

 

 もしかして、まだ心の何処かでは疑われていたのだろうか。アリスはそう思ったが、口には出さなかった。

 

 ベネットはしばらく手の中で魔石を弄っていたが、やがて落ち着いたように懐に仕舞う。

 

「あいわかった。この魔石は、これから先のお主からの授業料として、有効に使わせてもらう。その対価として、儂のこれまでの研究を全てお主に授けるとしよう」

 

「え」

 

 思わず声を出してしまうアリス。それは、あまりにも彼女にとって思ってもいない対価だったからだ。

 

「あ、あの・・・・・・?」

 

「なんじゃ。今更嫌とはいうまいな」

 

「いえ、そんなつもりは毛頭ありませんが・・・・・・よろしいのですか?」

 

 アリスの反応も当然である。ベネットほどの研究者ならば、研究結果は自分の家宝と言っても差し支えないほど貴重な物の筈だ。無論、ルーラの時のように場合によっては第三者の手を借りる必要もあるだろうが、基本的には研究は1人で行うものである。

 

 それを、ベネットはカカカと笑う。

 

「今更何を言っておるのだ。そんな考えは、極一部の研究者や学者くらいなものじゃよ。魔道とは人に認知され、使われるもの。知られず、使える者がいない魔道など無駄以外の何物でもない」

 

「・・・・・・ベネット師が魔道を研究する理由は、そういう事なのですね」

 

「いや、儂の場合は少し違うな」

 

 ベネットはあっさりと言う。それに首を傾げてしまう弟子。

 

「儂は、魔道を知ることに生きがいを感じておる。そのために、あらゆるものを犠牲にしてきたのじゃ」

 

「・・・・・・」

 

 ベネットの目には、悲しみも苦悩もない。ただ、1つの何か以外を見ていない。そんな静かな瞳であった。

 

「だからこそ、魔道を知り続ける人生に後悔などない。だが、儂も歳には勝てん。だからこそ・・・・・・」

 

 そこで、ベネットはアリスを見る。老練の研究者と、若い修行者の視線が交差する。

 

「後を継ぐ者がこの家のドアを叩いてくれたことを、心から嬉しく思っておる。お主になら、きっと儂の人生をかけて手に入れた全てを託すことが出来ると」

 

「あ・・・・・・ありがとうございます」

 

 アリスは、つい畏まって頭を下げる。胸の奥が熱くなる気分だった。

 

 深々と礼をしようとして、ベネットに止められる。お腹に負担をかけることをしてはならんぞ、と。弟子は慌てて腰を元に戻した。

 

「さて、アリスよ。この後、時間はあるかな?」

 

 魔石を大事そうに袋に詰め直しながら、話題を変えるようにベネットは言った。

 

「時間ですか。まあ、今のところは急ぎの予定はありませんが」

 

「ならばよし」

 

 老練の師匠は棚から一冊の本を取り出し、パラパラとページをめくる。本に癖が付いているらしく、目当ての項目はすぐに見つかった。

 

「ここじゃ。読んでみるといい」

 

 言われるがまま、アリスは指さされた文を読んだ。素人には暗号のような文字の羅列に見えるそれも、彼女には難なく解読できる。

 

「あ・・・・・・」

 

 彼女の口から出たのは、驚きの声。つい、食い入るように見てしまった。

 

「すっかり忘れておったわい。この呪文もまた、ルーラと同じように失われてしまった呪文の1つ。お主の魔石のおかげで、研究が大幅に進歩しそうなのじゃよ」

 

「そうでしたか・・・・・・これに関しては、私も以前に修道院の古文書で名前だけは存じていました。もしや、これも同じように復活できるようになると?」

 

「そういう事じゃ」

 

 ベネットは自信たっぷりだ。恐らくだが、ルーラほどの手間はかからないという。

 

「他にも、まだ研究の余地がある呪文はあるぞ。これに、これもじゃな」

 

 ドサドサと、ベネットは遠慮もなくアリスの前に見たこともない魔道書を積み上げていく。目を白黒させている彼女に、ご老体の研究者は言った。

 

「しばらくの間、貸してやる。それが全て読み終わるまでは、しばらく家でゆっくりしていると良いぞ」

 

「は、はあ」

 

 しばらくアリスは考え、やがて諦めたように道具袋へ押しつけられた書物を回収していく。ベネットはそれを尻目に、玄関前の大きな壺の中に、何やら怪しげな黒い粉を入れる作業を始めた。

 

 また、呪文の研究を一から始めるつもりらしい。どうやら、ベネットからの話は以上のようだ。

 

 アリスは師匠の背中に挨拶をすると、家を出る。住宅街の路地を歩きながら、アリスはルラフェンの街並みの風景に溶け込んでいった。

 

 不器用な師匠ですね、とアリスは思う。おそらく、魔道書を大量に渡したのはアリスの身体の為なのだろう。

 

 いくらルーラのおかげで距離が短縮されたとはいえ、妊婦にいつまでも家に来訪させるわけにはいかない。家の中で身体を労りつつ、暇を持て余さないようにこれだけの量の魔道書を渡したのだ。

 

 だからこそ、その辺りには触れずに黙って好意に甘えることにしたのだが。

 

 通り過ぎる若い夫婦らしい2人組。買い物の帰りらしく、大きい袋を持って歩いている。住宅の隅に、野良らしい猫の尻尾が見えた。住人に餌でもねだっているらしく、やたらとニャァニャァ鳴いている。

 

 元は魔物の対策のために、複雑な構造に造られているルラフェン。だが、そこで暮らしている人々の姿は紛れもない平和。

 

 しばらくの間、アリスがこの町に来ることは無いのだろう。これから、ゆっくりと養成する日々を過ごすことになる。

 

 それは、誰もが経験するべき一時。愛する誰かと子を育て、共に寄り添いたいと思うのなら。

 

 きっと、それには痛みが伴う。だがそれは、母であろうとするならば絶対に耐えられる痛み。

 

 ならば、堪えよう。いつか、2人の結晶を彼に喜んでもらうために。

 

 先の修道院にて。妊娠の一報をリディアへ伝えた。彼女は驚くと共に、お祝いの言葉をかけられたのだ。

 

 そこで、続けて告げられた言葉。リディアはまるで、娘へ大切なことを伝える母のような口調で。

 

 ――――よいですか、アリス。子が生まれたから母になるのではありません。反対に、子から少しずつ教わって母として成長してゆくのです。

 

 そう教えてくれたリディアの言葉を、アリスは生涯忘れるつもりはない。たとえ在りし日の記憶が無くなったとしても、あの人は自分にとっての姉代わりのような人に違いはなかった。

 

「・・・・・・はい。決して、忘れはしません」

 

 ルラフェンの名所である風車から流れる、穏やかな風が届く大通りの片隅。アリスは1人、足を止める。

 

 お腹にそっと手を当てれば、間違いなく生命の気配を感じる。今はまだ目立っていなくとも、これから彼女の中で大きく育っていくのだろう。

 

 どうか健やかに。そう遠くないうちに、あなたの元気な顔を見せてください。

 

 愛しい、私達の子・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、季節が移る。

 

 ラインハットの助力をもって復興作業が続いているサンタローズの村。

 

 この村の一軒家を、たった1人で買い取った女性が現れた。

 

 その家は未だに修復が終わってはいないものの、ラインハットのとある将軍の口添えもあって破格の値段で取引が成立したのである。

 

 その家の住人は、当然ながら他の村人と同じく行方不明だ。そのため、何故彼女がその家を欲しがったのかを不思議に思う者も存在しない。

 

 その女性は最低限の生活が可能なほどにまで復元されている家で生活をしながらも、ラインハットの建築家や村人達の作業をできうる限り手助けした。食事を振る舞い、時にはかつてのサンタローズの風景を再現することに助力する。

 

 そこまで来れば、彼らも気づく。彼女は、このサンタローズの住人だったのだと。あの美しい風景を記憶に留めている者が増えることは、村人にとっても歓迎するべき事である。

 

 やがて、女性は間もなく家を出ることが億劫になってしまった。無理もない、と誰もが思う。彼女は身重だったのだ。

 

 彼女はかつてこの村でシスターとして仕えていた女性の手を借りつつも、毎日の生活を穏やかに過ごしていく。不思議と、女性はそのシスターとは初対面の時から馴染んでいるようにも見えた。

 

 時には宿屋の息子や、少しずつ村へ戻ってきた人々と交流を深めつつも、女性は大きく目立っていく己のお腹を、愛おしそうに撫でる日々。

 

 そして桜が乱れ、花吹雪が吹き始めた頃。

 

 

 

 

 ――――1人の生命が、産声と共にこの世へ姿を見せた。

 

 

 

 

 

つづく




シスター・ミランはサンタローズの復興作業が始まったことを切っ掛けに、村へ戻っています。彼女も村のかつての姿を取り戻したいと思っていますので。
ビルとはどうなったのかは、もしかしたら活動報告あたりでさらっと描くかもしれません。
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