DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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成人時代:Ⅰ
道は示される


 

 

 

 

 青年が真っ向から相手に斬り込む。

 

 全力の踏み込みには、確かに手応えを感じた。相手は強いのだから、油断や手加減など論外。

 

 だが、青年を見る相手の眼差しは、どこまでも冷静だ。まるで、全く脅威と考えていないかのように。

 

 青年の木剣は、相手にはまるで見透かされているかのように避けられる。それと同時に、武器を持つ感覚が両手から消失した。

 

 足元に衝撃が走り、自分の身体が宙に浮く。気がつけば、背中から地面に倒れ込んでいた。

 

 仰向けにされた青年の視界には、どこまでも青い空。そして、白い雲。なにより――――

 

 先程まで自分が手にしていた木剣の切っ先を、静かに突きつけている一人の女性。逆光でも確認できるほどに整った顔立ちの彼女は、こちらを見下ろしたまま微笑を浮かべている。

 

「・・・・・・立てますか?」

 

 ただ、一言。青年は苦笑いを浮かべつつも、どうにか立ち上がった。

 

「ありがとうございました。アリスさん」

 

「成長しましたね。先日とは別人のようです」

 

 騎士の礼をする青年に、スカートを摘まんだ礼をするアリス。

 

 彼女は思う。彼は確かに成長している、と。騎士見習いを卒業したばかりだということだが、素養は充分にあると思う。

 

 僅かな間の後、周囲からおおっと歓声が上がった。一連の戦いを、ずっと観戦していた者達の声である。

 

「すげえっ。やっぱり、アリスさんは強いや!」

 

「アリスさん、お疲れ様です!」

 

「バーンも頑張ったなぁ!」

 

 青年と同じ、ラインハットの兵士達。そしてサンタローズの村人達。

 

 今やアリスの自宅となった家の前にある広場では、今日も兵士達の鍛錬が行われていた。

 

 

 

 

 シャワーを済ませたアリスは、バスタオルで身体を拭きながら脱衣所へ出る。

 

 壁に掛けられてある鏡で自分の身体を眺めると、そっと臍の下をさすった。今年の初めまでは、大きく膨らんでいた自分のお腹。あれから一年近くも経っているのだ。

 

 下腹のたるみは、もう完全に無くなっているようですね。彼女は声に出さずにそう思う。

 

 やや筋肉質ながらも、細身の腕や健康的な脚。引き締まった腰回りに、女らしさを強調するくびれ。

 

 なによりも、出産する以前よりも一回り大きく育った乳房。下品さを感じさせない張りのあるそれは、誰もが衣服の上からその形と豊かさを想像することだろう。

 

 戦乙女としての凜々しい姿。一人の女としての美。その両方を兼ね備えているのがアリスという女性であった。

 

 胸の大きさに合わせて作り直したブラジャーは、上品な白いレース柄。それに合わせてあるパンティは、彼女の臀部へ張り付くように穿かれた。続けて、衣服を身につける。

 

 装備したのは、彼女の持ち物の中では最も防御力の高い賢者のローブ。そして、最も攻撃力の高い雷神の槍。

 

 そして、頭には二年前まで身につけていた白のヴェールは無い。今の彼女には、美しくも頑丈な銀の髪飾り。これは、アリスがシスターとしての道に区切りを付けた証でもあった。

 

 準備は整った。さあ、外へ出よう。

 

 家を出ると、出口のすぐ先には見慣れたシスターが立っていた。

 

「準備は出来ましたか、アリスさん?」

 

「ミランさん。ええ、支度は既に整っておりますので」

 

「了解いたしました」

 

 アリスの格好を見て、準備は出来ていると理解するミラン。手元にある道具袋は、旅に必要なものがそろえられてある。

 

 だが、何より大事なモノは道具袋に入っているような物ではない。先程から、ミランのスカートにしがみついていた小さな存在が、アリスの方へ近寄ってくる。

 

 アリスは、世界で誰よりも愛おしい存在――――タバサを優しく抱き留めた。温かい愛娘の身体は、アリスの心をどこまでも穏やかにしてくれる。

 

「ああ、ごめんなさいタバサ。お待たせしてしまいましたか?」

 

「あうぅ。おはぁはん」

 

 言葉を覚えようとしている口調の子は、本当に愛おしい。お母さんと初めて呼んでくれた時の事は、今でも思い浮かべると涙が出そうだった。

 

 パッチリとした瞳に、愛くるしい顔立ち。瞳はどこかリュカを思わせるようで、誰もが心を和まされる。

 

「いつも申し訳ありません、ミランさん。この子、いつもミランさんに構って欲しいらしく」

 

「良いのですよ。私も子供は好きですから」

 

 笑うミランに、アリスもつられて微笑む。近頃のサンタローズの村人達は、本当にこうして笑う事が多くなった。

 

「ですが・・・・・・」

 

 と、ミランが言う。

 

「私の方こそ、申し訳ありません。本来なら、シスターの私がタバサちゃんを預かるべきなのですが」

 

「いいえ。それこそお気になさる必要はありません。私はルーラが使えますし、なによりラインハットの方のお心遣いもありますから」

 

 ふと気づけば、そろそろ出発の時間だ。アリスは最後にミランへ挨拶をすると、村の外へ向かっていく。

 

 腕に抱えているのは、勿論タバサの幼い身体。この子にとっては、初めて村の外へ出る大冒険。子供なりにその高揚を感じるのか、キャッキャと嬉しそうに笑っている。

 

 村の出入り口には、兵士の格好をした男。ラインハットから派遣されている門番だ。

 

 アリスが近づいている事に気づいたその男は、普段の仏頂面を僅かにほころばせる。顔見知りのアリスは慣れたもので、微笑んで会釈をする。

 

「アリスさん。そういえば、今日から出かけるんでしたね」

 

「はい。少々の間、家を空ける事になりますので。どうか、この村をよろしくお願いいたします」

 

「もちろんです。アリスさんこそ、お気を付けて」

 

 頼もしい返事だ。そう思いながら、アリスは全身の魔力を意識する。

 

 脳裏に浮かべるのは、修道院。記憶の中の光景と、今の位置を意識する。魔力と魔力をつなげ、空間と空間の距離を1から0に。

 

 ――――ルーラ。

 

 足元が浮かび、周囲の風景が瞬時に切り替わる。見渡す限りの草原が絶大な大海に。

 

 浜辺の修道院。相変わらずの潮風に、カモメの声。そして、砂浜のすぐ近くにそびえ立ち修道院。

 

「あうっ。あ、なんへ?」

 

 何でいきなりこんな所に来れたの、と言いたいらしい。ルーラの呪文など理解しようもない1歳の子供には、こちらとしても説明のしようがない。心配しないでというように、アリスは我が子の髪が生え始めた頭を優しく撫でる。

 

「さあ、参りましょうか。タバサ」

 

 そう言って、彼女はもう一つの故郷である修道院の扉に手をかけた。

 

 

 

 

 タバスティア・エル・ロム・レヌールは、今は亡きレヌール家の新たな世代、マチュアリスとリュカの第一子である。

 

 髪の色がハッキリと分かる長さまで伸びている銀糸は、まさに母親譲り。父親譲りの澄んだ瞳。朗らかに笑えば太陽のように愛らしく、静かに立てば絵画のように麗しい。誰もが見惚れる少女である。

 

 言葉を覚えようと絵本を読み、出来る事は自分で行おうとする。アリスとしてはもう少し親に甘えて欲しいと思うところだが、子供の自主性を損ねるのも気が咎め、結局愛娘の自由意志を尊重している有様だ。

 

 一歳を過ぎてから、もう数ヶ月。いつの間にこんなに大きく・・・・・・と常々アリスやミランは子供の成長を実感している。

 

 そして、この修道院にも。

 

「まあ、タバサちゃん。もうこんなに話せるようになったのですね」

 

「ああっ、あう。ろぉらはんっ」

 

「ええ、ええ。フローラですよっ」

 

 数名のシスターの中で、誰かがきゃあっと声をあげた。無垢な子は、どこまでも可愛らしいのだ。

 

 一見すると、我が子が大人の女性達に囲まれている様子を、アリスは礼拝堂の隅で微笑ましそうに見つめていた。親以外のコミュニケーションも良い刺激なのである。

 

「・・・・・・そろそろお話をよろしいでしょうか、アリスさん?」

 

「あ、はい。もちろんです。失礼いたしました」

 

 言われて、目の前に向き直るアリス。視線のすぐ先には、相変わらず司祭としての威厳を持っているリディアが立っている。年々、ヴェラ司祭の雰囲気に近づいているような印象を受ける彼女も、今はありきたりな粗相をした教え子に向けるような苦笑を浮かべていた。

 

 コホン、と咳払いをするリディアは話を始める事にした。そう、ここへアリスを呼んだ理由を。

 

「用件は、もうご理解いただいているはずですね?」

 

「はい。私が――――シスター・フローラ様とシスター・デボラ様の護衛を承る件ですね」

 

 そう。リディアの用件とはそれである。サラボナという2人のシスターの故郷へ、彼女達を送り届けて欲しいという頼みであった。

 

 先日、アリスが受け取った手紙にはフローラが正式に結婚をするための婿を探すという内容が記されていたのである。元々、二人が修道院にいたのは花嫁修業の為だったのだから。

 

 父親のルドマンという男は一度決めた事を変えない頑固な一面こそあるものの、基本的には良き父親として娘に接しているという。そんな父の意向をできる限り尊重してあげたいという心を持ち合わせているフローラも、今回の里帰りを承諾したのであった。

 

 もっとも、デボラに至っては結婚の話は一切無い。妹が帰郷する話に乗っかり、窮屈な修道女の生活を抜け出したいという腹らしかった。その辺りは、あえて誰も言及する者はいなかったが。

 

 なにはともあれ、結婚とは。確かに、シスター・フローラはアリスよりも一つ年上の年齢。自分ですら既にタバサという子供を作っているのだから、そういう話が出てきてもおかしくはない。

 

 そうとも。友人であるフローラの新たな人生が始まる。むしろ、このリディアからの依頼は喜んで受けるべきだろう。道中、魔物に襲われる可能性も充分にあるのだから。

 

 無論、フローラやデボラの実力ならば道中の魔物に苦戦するとは思えないが、それとこれとは別だ。旅に慣れているアリスに声がかかるのは、ある意味では当たり前である。

 

 何より、リディアがわざわざアリスに頼む理由は、もう一つあった。

 

「ご存じかとは思いますが、サラボナの町はルラフェンを南下し、洞窟を抜けた先に位置する都会です。本来ならば、こちらのシスターが共に参れば問題は無いのですが・・・・・・」

 

「はい、了解しております。ポートセルミの定期船ですね?」

 

 リディアは申し訳なさそうに頷く。実は現在、この大陸からポートセルミへ向かう船は停止してしまっているのである。今日で、そろそろ半月になるだろうか。

 

 今回は、ラインハットが原因というわけではない。むしろ、あの国は再び船を通じた国交を積極的に復活させようとしていた。だが、まだまだ内政の方で手一杯という有様のため、どうにも結果が付いてこないらしいのである。

 

 原因は、やはり魔物の活発化。解放戦線以降、一度は船の航路が復活した時期があったものの、それに反応するように海の魔物が積極的に活動を初め、金持ちの船や漁船などが襲われる被害が後を絶たなくなってしまったのである。

 

 そのため、港の町は自然と定期船すらも運航を中止。西の大陸とは、再び繋がりが消えてしまうという憂き目に遭っているのが現状なのだ。今頃、稼ぎの無い船乗り達が解雇になっていなければ良いのだが。

 

 言うまでもないが、アリスは失われた呪文であるルーラが使えるのだ。加えて、彼女には西の大陸に何度も足を運んだ事がある。リディアが護衛を依頼するのは、ある意味では当然と言えた。

 

「それでは、この話を?」

 

「もちろんです。喜んで承諾いたします」

 

 リディアの顔に、安堵の色が浮かぶ。その一方で、これまで黙っていたもう一人の人物が当然のように頷く。

 

「当たり前ね。主人の面倒を見るのは下僕の役目だもの」

 

 修道院のトップは一度だけ目を閉じると、彼女の隣に立っているシスターへ顔を向けた。

 

「デボラ。こちらは頼み込んでいる立場なのですよ?」

 

「いちいち固いのよ、リディアは。こいつは私の下に付いている立場なんだから。どういう言い方をしようと、私の勝手でしょ」

 

「アリスさんは貴女の下に付いているわけではありません。デボラとフローラは今日限りでシスターを卒業する身分ですが、せめて最後は修道女らしく・・・・・・」

 

「お断りよ。シスターじゃないなら、もうあんたのお説教を聞くいわれはないわね」

 

「あ、貴女という人は・・・・・・」

 

 そこで話を打ち切るデボラは、アリスに勝ち気な視線を向けた。見られた側のアリスは、尊敬している人が苦々しい顔をしているところを見て、少々複雑な様子ではあったが。

 

「アリス。あんた、ルーラっていう呪文が使えるんだってね」

 

「はい、そうです。ルラフェンのベネット師の手で身につける事が出来ました」

 

「経緯はどうでもいいわ。そんなのが使えるって事は、さぞ移動時間も短縮できるでしょうね」

 

「そうです。むしろ、それがルーラの特性ですので」

 

 ふうん、とデボラは満足そうに頷く。

 

「じゃあ、下僕のあんたに命令。ルラフェンの前に、オラクルベリーに連れて行きなさい」

 

「――――は?」

 

 アリスの瞼がパチパチと上下する。なぜ、帰郷する前にオラクルベリーへ?

 

 もしや、と彼女は思う。父親に何かお土産でも買いに行くのだろうか。だが、それなら前日のうちに済ませているはずだ。現に、デボラとフローラの私物はまとめられ、それぞれの道具袋へ入れられている。

 

「あの、デボラさん。もしや、実家へのお土産でも?」

 

「何を言っているのよ。パパにお土産なんて必要ないわよ。私という娘が帰れば、それで充分でしょ」

 

「では、どのようなご用件でしょうか?」

 

「決まっているじゃない。ルラフェンから家までは徒歩なんでしょ。あんた、まさか私に遠い道のりを歩かせろっていうの?」

 

 分かりきっている事を訊くな、といわんばかりの態度。相変わらずのデボラ節であった。

 

「世間知らずのあんたに教えてあげる。オラクルベリーにはね、珍しいものを売っているオラクル屋っていうお店があるの。そこでちょっと珍しい馬車を売っているそうだから、まずはそっちで足を確保しておくのよ」

 

 オラクル屋。そういえば、そのような店もありましたね。

 

 実を言うと、オラクルベリーにはごく希に生活用品を購入する程度しか足を運んだ事がないアリス。幼少時代は自由にそういった都会へ行く機会がなく、あの絶望の世界では既に廃墟と化した後だった。

 

 少し前まで出産を理由に家に籠もっていた彼女にとって、大都会のオラクルベリーはほとんど未踏の街なのである。

 

 いや、それよりも。もしかしたら、デボラの真意は・・・・・・

 

「あんた、仮にもこの大陸出身でしょ。都会を知らない田舎娘にも程があるわね。下僕って言葉がこれほど似合う女も初めてよ」

 

「ほ、放っておいてください。別に行った事がないわけではありません」

 

 顔を赤くして、アリスは抵抗した。ただ、わざわざ必要以上に街中を歩く機会がなかっただけだというのに。

 

「いいわ。それなら、主人にちゃんと付いてきなさい。田舎娘丸出しな振る舞いを見せたら、タダじゃおかないからね」

 

 さっさと行くわよ、とデボラはアリスのローブの襟を掴むと、ズリズリと引きずりながら出入り口へと向かっていく。それを見て、タバサを抱えたままのフローラが慌てて追いかけてくる。

 

「姉さん。アリスさんにあまり乱暴は・・・・・・」

 

「こいつが鈍間だからよ。ほら、フローラもさっさと付いてきなさい。まずはオラクルベリーへ行くんだからね」

 

「ああっ、フローラさん。タバサを守ってくれて心からの感謝を・・・・・・!」

 

「あう。まぁま、まあぁう」

 

「い、いえ。お気になさらず・・・・・・」

 

 分かっている。赤ん坊であるタバサを連れたまま旅をするのは危険だろうという、デボラなりの気遣いなのであると。

 

 本来ならば、タバサは修道院なりサンタローズのミランの元へ預けるなりするべきである。だが、アリスはどうしても母が傍にいなければ泣き叫ぶ我が子を放ってはおけなかった。

 

 目が覚めたときに、母がいない。それは、赤ん坊にとってどれほどの恐怖だろうか。

 

 結局、熟考の末にアリスはタバサを連れて行く事に決めた。リディアを初めとしたシスターからはあまり良い顔をされなかったが、最終的には納得をしてくれた。フローラとデボラも了承済みである。

 

 決してその辺り、アリスの気が回らなかったというわけではない。だが、馬車というものは一般人がおいそれと手に入れる事はできない高級品なのだ。まず、欲しいから買おうという発想など出るはずもなかった。

 

 それが今、オラクル屋で販売されている。こればかりは、デボラのオラクルベリーに対する情報力に助けられたという事だろう。

 

「ア、 アリスさん。承知の上かとは思いますが、ラーの鏡の件は・・・・・・」

 

 離れていくリディアが焦ったように声をかけてくれる。アリスは承知しています、と辛うじて返事をする。

 

「は、はいっ。大丈夫です。お二人方をサラボナまで送った後は、そちらの用件に取りかからせていただきますので・・・・・・っ」

 

「それなら良いのです。では、どうかご武運を・・・・・・!」

 

「リディア様も、どうか神のご加護を・・・・・・!」

 

 修道院の外へ出ると、誰かが扉をゆっくりと閉める。そこで、アリスがデボラに向き直った。

 

「デボラさん・・・・・・ありがとうございます。それと、お気を使わせてしまったようで、申し訳ありません」

 

 情けない姿をそこまでにして自分の足で歩くアリスは、やはり御礼を言う事にした。この口調や態度は乱暴ながらも、自分のルールに則った上で優しさを見せる彼女に対して。

 

「なに言ってんのよ。この大陸ともしばらくお別れだから、最後に都会で遊びたいだけだから。あんたの馬車は、そのついでなの」

 

 他意はないわよ、とデボラは言葉を締めくくる。そんな彼女に、アリスとフローラは顔を見合わせ、思わずクスリと笑ってしまう。

 

「少し、フローラさんが羨ましいです」

 

「姉さんは分かりづらいだけですから。言葉の裏を理解できる方に巡り会えたら、私よりも先に婚約の話が来ていたのかもしれませんね」

 

 実際、富豪の娘というだけあってデボラへの求婚をする男性は多かった。ただ、あくまでも多“かった”という話だ。理由は説明するまでもあるまい。

 

「何かムカつく声が聞こえた気がするわ」

 

「気のせいでしょう」

 

 さらっと受け流したアリスは、そっとデボラとフローラの手を取る。ルーラのためにイメージしたのは、勿論オラクルベリー。

 

 あの都会に入れば、きっと疲れ果てるまでデボラの買い物三昧に同行させられるのだろう。だが、不思議と悪い気はしない。これもまたポートセルミと同じく、都会の何たるかを覚える社会勉強として受け入れましょうか、と。

 

 そう。騙されたと思って、付き合えばいいでしょう。

 

 

 

 

 

 と、そう思っていたのも束の間。

 

 街の隅に位置する、入り組んだ通路の奥に存在しているオラクル屋。その前で、アリス達三人は立ち往生していた。

 

 彼女らの視線の先には、オラクル屋のこぢんまりとした民家のような建物。その扉の前には、一枚の張り紙。そこには――――営業は夜からです、と一文。

 

「あら。朝はお休みだったのですね。私自身はこのお店に来た事はなかったので知りませんでした」

 

「・・・・・・デボラさん」

 

 呑気に今思い出したようなフローラの横で、つい普段の丁寧な態度を突き破って、半眼を向けるアリス。そんな営業時間だったなんて、今初めて知ったのである。

 

 それをわざとらしく受け流しつつ、デボラはさっさと無人のオラクル屋に背を向けた。

 

「あら、あたしとした事が。久しぶりに来たものだから忘れていたわ。まあ、休みなら仕方がないわね。夜になるまで、何処かで時間を潰さなきゃいけなくなっちゃうなんて」

 

 本当に忘れていたのか、惚けているのか。どちらとも判断しづらい様子であった。さっさと来た道を戻っていくデボラを追うアリスとフローラ。

 

「・・・・・・それで、どうするつもりですか。宿で大人しく休みますか?」

 

 デボラの性格を考えると、それはないと思いながらも訊くアリス。案の定、その意見は却下された。

 

「私の下僕にしては、察しが悪いわね。まあ、優雅にお昼寝するっていうのも有りかも知れないけれど、ここは仮にもオラクルベリーよ。ここに来たなら、する事は一つでしょ?」

 

 ああ、やっぱり。アリスは思う。フローラはこうなる展開を予想していたらしく、困ったように笑うだけであった。

 

 この街に入ったとき、真正面にあった巨大な建物が目に入ったのだ。そのカラフルな看板には、でかでかとカジノと書かれてあったのである。

 

 そう。なんといっても、このオラクルベリーの目玉はカジノの存在であった。シスターだった頃は流石にデボラも“堂々と”入る事は出来なかったが、今はもう一人の令嬢である。

 

 というより、初めからデボラの最大の目的はこれなのである。一応、タバサのために馬車を手に入れるという目的もあるにはあったが、もう一つの目的はギャンブルだったのだろう。

 

「では、せめて私は宿で待たせていただいても? タバサがいますので」

 

「誰も子供まで連れてきなさいとは言っていないわ。好きにすればいいわよ」

 

 流石に子連れにギャンブルを強要するような常識知らずではないデボラ。だが、彼女は自分のやりたい事は基本的に我慢しない性格なのである。

 

「分かりました。それでは、私は宿屋でチェックインをしてきますので」

 

「あ、待ってください。それでしたら、私もご一緒させていただきます」

 

 宿屋に向かおうとしていたアリスに、フローラが近寄ってくる。彼女も、あまりカジノのような場所は好まないらしい。

 

 結果的に一人になったデボラだが、彼女は全く気にもせずにカジノへと歩いていく。その姿が妙に様になっているのは、気のせいだろうか。

 

「あの、フローラさん。デボラさんは、前からいつも?」

 

「・・・・・・お察しの通りです」

 

 フローラは、少しだけ恥ずかしそうに頷いた。何でも、彼女の姉はシスター時代から買い出しと称して、カジノの遊びを覚えていたらしい。帰る時間が遅かった事を切っ掛けにカジノ通いがバレて、リディアの雷が落ちた事があるとか。

 

 ちなみに、修道院から渡された所持金を使っていたわけではない。父親から送金された小遣いが資金源だったという。

 

「・・・・・・参りましょうか」

 

「・・・・・・はい」

 

 やがて、どちらからともなく宿屋へと向かう。

 

 今は何となく、デボラが消えていくカジノから離れたかったので。

 

 

 

 

 宿の手続きを済ませたアリス。荷物を部屋に置くと、三人は部屋で眠るよりも外を歩く方を選んだ。せっかくの都会という事で、アリスはフローラにこの街を案内してもらうことになったのである。

 

 好奇心旺盛なタバサは、アリスに手を引かれながらも街並みや都会特有の空気に目を輝かせていた。思えば、タバサはアルカパへ何度か連れていった事はあるものの、ここまでの街は初めてだったはずだ。まあ、かくいう母親も同じなのだが。

 

 とにかく、店が目立つ。それも露店のような即席の店舗ではなく、殆どがちゃんとした一戸建ての店ばかりなのだ。それだけでも、この街には多数の商人がこの地に根付いている様子が窺える。

 

 この街の住人が、纏まった財産を稼いでいる証拠だ。大都会といわれているだけあって、暮らしている市民の富裕層はアルカパ以上である。

 

 アリスはいくつかの喫茶店を紹介してもらい、三人で昼間のお茶を楽しんだ。タバサは初めて母親以外が作るスイーツを食べて、口の周りをクリームだらけにしてしまう。店員と一緒にフローラにも微笑ましそうに見られてしまった。

 

 続いて、自然とタバサの買い物に。一つの大きな建物に複数の店舗が入っている百貨店へ。品揃えの良い子供服売り場では、ついタバサに色々な格好をさせてしまった。

 

 中でも、白のブラウスに膝の丈までのフレアスカートは、アリスの全身が硬直してしまうくらいに似合っていた。他にも色違いの衣服を購入し、意気揚々と店を出る三人。

 

 他にも街中を歩き始める頃には、既に空はオレンジ色に変わっていた。流石に、ちょっと時間を忘れて楽しみすぎたらしい。

 

 それでも、オラクル屋が開くのはまだ早い。彼女らは、もう少しゆっくりと街を歩く事にした。

 

 食料品売り場を中心としたマーケットや、日用品を売っている雑貨屋。離れた地区は纏まった住宅街となっており、今の時間は皆が仕事に出ているせいか人の気配はない。

 

「この街は、幼い頃から父に良く連れられているのです」

 

 ある程度の店を紹介しながら、フローラはふとそんな事を口にした。

 

「当時は社会勉強の一環として、父の仕事先に同行していました。オラクルベリーは、この大陸の中でも商売の要として栄えている場所なので、特に」

 

「そうでしたか。私はてっきり、この街にフローラさんのお父様の商売仲間でもいらっしゃるものだとばかり」

 

「ふふ。確かに父は世界を相手取るといっても過言ではないほど手を広げていらっしゃいます。ですが、特に仲良くしている商人の話は、実を言うと私たち姉妹も聞かないのですよ」

 

「何か事情があるのでしょうね。仕事の話となると、私には想像も出来ませんが」

 

「守秘義務だそうです。私たちは父を信じていますので」

 

 と、そこでフローラは話を終わらせる。たどり着いたのは、住宅街と繁華街の境に位置する路地。母と手を繋いだタバサがキョロキョロと周囲を見回している。

 

 なんだろう。商売をするには半端な場所にも思える。こんな場所で、フローラは何を紹介してくれるのだろうか。

 

「ただ、それでも教えてくれる事はありました。幼い頃、私たち姉妹のこれからを決定づけてくれた方を、父が紹介してくださったのです」

 

「えっ」

 

「こちらの方です」

 

 フローラが、建物の間に存在しているカウンターを手で指し示す。人一人が余裕で座れる程度の小さな店。この活気あるオラクルベリーには、些か不釣り合いに見えた。

 

 よく見れば、そのカウンターには白い水晶玉が鎮座してある。その奥には、小柄な老婆の姿が。どういうわけか、アリスをして全く気配が感じられなかった。

 

「おお、フローラちゃんかい。今日が、修道院の卒業だったね」

 

 老人らしいゆったりとした声だったが、言葉そのものはハッキリと聞こえる。皺の深い顔が、にんまりと笑みを浮かべた。

 

「はい。貴女様こそお変わりないようで」

 

「ほっほっほ。まだまだ隠居するわけにはいかんのでね」

 

 それを気味悪がるどころか、どこか懐かしむような笑顔を返すフローラ。どうやら、二人にはある程度の友好関係があるらしい。タイミングを見て、アリスが声をかける。

 

「フローラさん。こちらの御老人は?」

 

「私も本名は存じませんが、この街では占いババ様と呼ばれている占い師です。幼い頃の私たちもまた父に勧められ、自身の運命を占っていただいた事がありました」

 

 その当時、フローラとデボラはこれから己がなすべき事を告げられたのだ。曰く――――

 

 ――――この姉妹はこの先に訪れるであろう特殊な運命を背負っている。そのための対峙すべき争いのため、心が強くなれるように修行をさせておくべきだ、と。

 

 父親であるルドマンは、占いババの運命を占う腕を信じていた。なにより、そこまでの過酷な運命を経験するというのなら、確かに娘もまた心身を鍛えなくてはならない。

 

 そこで、父は愛娘達を修道院へと預けた。徹底した淑女教育と、英才教育。その両方を兼ね備える修行場といえば、神に仕える修道院以外になかったのだ。

 

 現に、その運命を暗示する戦いを、フローラ達は既に経験している。それが、ラインハット解放戦線だ。フローラもまた、アリスと同じく一連の件に深く関わっている人物の一人なのだから。

 

 それはもう、過ぎ去った事だ。だが、それでもルドマンに安心は無い。

 

 それもそのはず。彼には、占いババが暗示する特殊な運命という言葉に、もう一つ心当たりがあったからだ。それが何なのかは、今のところ誰にも話してはいないが。

 

「アリスさん。貴女には、初めて会ったときから何かしらの運命のようなものを感じていました」

 

 フローラの、どこか真剣な声。アリスもまた、真面目な顔で彼女を見返す。

 

「そうですね。実は、私もフローラさんとデボラさんを見たときから、似たような思いを感じていました。何となくですが、当時の私はこの出会いが偶然ではないかもしれないと」

 

 そう。アリスは当初からそう感じていたのだ。フローラとデボラには、どこか普通の人とは違う何かを持っているのではないかと。

 

 分かっていた、とばかりに一度だけ頷くフローラ。

 

「ですから、占ってみていただけませんか。これから先の事を、アリスさんにも一度、占いババ様に」

 

「・・・・・・」

 

「きっと、アリスさんの未来の道筋が、分かると思うのです」

 

 アリスは、占いババへ顔を向けた。小さな店を開いている老婆は、どこか心を見透かすかのような瞳でジッとアリスを見つめている。

 

 フローラは、きっと初めからこの老婆を紹介させるつもりでいたらしい。かつて自分の運命を占ってくれたように、今度はアリスの人生を占ってほしいのだ。それで何かが分かれば、きっとこれまでも過酷な人生を歩んでいたアリスの力になれるだろうから、と。

 

 気を遣われてしまいましたか。そんな反省と感謝は心の中に仕舞い。

 

「お気遣いありがとうございます、フローラさん。それでは、少々お時間を頂いても?」

 

「はい」

 

 アリスは占いババの前に立ち、会釈をする。

 

「初めまして。アリスと申します。既にご存じかと思いますが、私の今後を占わせていただいても?」

 

「言われんでも分かっておるよ。さっきまでのやり取りの中で、お主がどこから来たのかは既に理解しておる」

 

 当たり前の事を聞くな、と言いたげな言葉。アリスは思わず、目を瞬かせてしまう。

 

「わ、私がどこから来たかをですか?」

 

「おお。儂をそこいらの詐欺師と同じにしてもらっては困るぞ。なるほど。お主なら、フローラが心配するのも理解できる。なあ、マチュアリス・エル・ロム・レヌールよ」

 

「なっ・・・・・・」

 

 アリスは絶句する。自分の本名など、この場では誰にも言っていないのに。

 

 フローラが事前に教えていたのかと一瞬だけ考えが過ぎったが、それはないとすぐに結論づける。アリスの本名を簡単に第三者に話すなど、フローラの性格を考えればあり得ない。

 

「ほっほっほ。名前を当てられて動揺しておるか。まあ、これで儂の占いが本物であると分かってくれたろう。ほれ、ちゃんと目の前に立ちなされ」

 

「・・・・・・」

 

 アリスは、無言で言われたとおりにする。奇妙なプレッシャーを感じつつも、視線は占いババが手を伸ばす水晶へ。

 

 何か、よく聞き取れないほどの小さい声でブツブツと呟いている。それはもしかしたら、何かの呪文の詠唱のようにも聞こえたが、正直に言ってハッキリとしない。ともあれ、アリスはジッと御老人の占いが終わるのを待つ以外にはなかった。

 

「・・・・・・む」

 

 僅かに、水晶が光った。同時に、一度だけ強く目を閉じる。そして、見開いたときには占いは終わったらしい。無言で、水晶に向けていた手の平を下ろす。

 

「なるほど、の。アリスよ、心して聞くがよい」

 

「は、はい」

 

 この場の者達に、緊張が走る。占いババは、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

「――――3つのリングを揃えよ。その過程で、お主は愛しい男と再会できるであろう!」

 

 

 

 

つづく

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