DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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破邪の瞳

 

 

 

 

「アアアアア!」

 

 槍を構え、突進してくる。鉄で構成された槍は鋭く、これまでに幾度もの実戦をくぐり抜けてきたのだろう。

 

 人型の魔物――――突撃兵の攻撃を、メタルライダーは手に持つ鋼の剣で切り払う。よろめいた突撃兵は、自慢の特攻をあしらわれた事に屈辱の色を見せるものの、次の瞬間には槍を手に飛びかかってきた。

 

 ただし、今度は別の敵――――イエティの一種であるビッグスロースに向けて。

 

 一撃をくらったビッグスロースは、白い体毛に己の血が滲んでいく。だが、今度は巨大な腕で張り手を仕掛け、突撃兵を逆に後方へ突き飛ばした。

 

 素早く立ち上がり、再び突撃をしかけようとする突撃兵に、今度は巨大な炎が前進を包み込む。距離を取ったまま、メラミの呪文を唱えたホースデビルのしわざだ。

 

 数種の動物から造られた下級悪魔であるホースデビルは、火だるまになっている突撃兵に、容赦のない拳を喰らわせた。地面を転がっていく突撃兵は身に纏ってしまった炎こそ消えたものの、そこで完全に動かなくなる。

 

 仕留めたという確信を覚えたホースデビルに飛びかかってきたのは、剣を振りかぶったメタルライダーだ。鍛えられた肩を切り裂いたものの、そこを邪魔だと言わんばかりに背後からビッグスロースに張り手を打たれてしまう。

 

 不意を突かれて転がっていくメタルライダーを尻目に、ビッグスロースはホースデビルに追撃をした。カウンターで放たれたホースデビルと己の張り手が交差し、二匹は互いによろめく。

 

 先に踏ん張りを利かせたのは、ホースデビル。意識が朦朧としているビッグスロースに、トドメの呪文であるメラミを放った。たまらず火だるまになったビッグスロースは、先程の突撃兵と同じく完全に意識を失う。

 

 だが、ホースデビルの快進撃もそこまでであった。飛ばされていたメタルライダーが立ち上がり、跨がっていた相棒であるメタルスライムの頭を掴み、渾身の力でホースデビルの背中を叩きつけたのだ。

 

 痛恨の一撃。白目を剥いて膝を突くホースデビル。だが、最後の意地があったのか、三度目のメラミを放とうとする。

 

 だが、何も起こらなかった。ホースデビルの魔法力は、既に枯渇していたのだ。

 

 硬直するホースデビルに、メタルライダーは最後の一撃として高く飛び上がった。己の背丈よりも高く、そして鋭い一撃が振り下ろされる。ホースデビルは、悲鳴の一つもあげずに倒れた。

 

 メタルライダーは、剣を天に掲げる。この魔物の乱戦は、彼こそが勝利者となったのだ。

 

 一瞬の間の後。

 

 この場に、人間達の大歓声が巻き起こった。

 

 

 

 

 カジノのスタッフ達が、戦いに負けた魔物達を担架で運んでいく。その姿を見届けつつ、アリスはフウッと息を吐いた。どうやら、らしくもなく圧倒されていたらしい。

 

 モンスター闘技場。大勢の観客が興奮冷めやらぬ中、賭けに勝った者達が我先にと支配人の待つカウンターへ押しかけてくる。負けてしまった魔物に賭けていた者達は悔しそうに握りしめていた紙の掛札を破り捨てていた。

 

 アリスは純粋に興味本位で観戦をしていただけだったのだが、それだけでも充分に手に汗を握る戦いだったと思う。戦いのレベルはともかく、誰が勝つのか全く予想できなかったのだから。

 

 正直、このカジノへ来る前までは魔物同士を戦わせるなんて、という少々穿った考えが心の中にあったものの、いざこうして実戦を見せられると、確かにそこには需要と供給が成立しているだけではなく、ギャンブル特有の熱が嫌でも感じられた。

 

 戦っていた魔物達は、別段命を落としてしまっていたわけではない。その辺りは、魔物自身も良く教えを仕込まれているのだろう。

 

 一体どうやって、あの魔物にそういう力加減などを教えているのかは興味が尽きないところではあったが、それはカジノ側の仕事だ。素人が知っても仕方がないことである。

 

 次の賭けが始まる気配を感じ、アリスはそっと観客席を立った。腕に抱えている退屈そうなタバサの機嫌をとりつつ、別の施設へ足を運ぶ。

 

 幾人かのカジノ客とすれ違いつつ、アリスは思う。こんな場所で、私は子供を連れて何をしているのでしょうかと。

 

 理由は分かっている。だからこそ、早いところ終わらせたいものであった。

 

 階段を降り、広々とした大部屋へ。左には新しい賭けをするための受付スタッフがカウンター越しに何事か顧客と話をしている。そして、右には――――スライムの集団。

 

 スライム専用の椅子。スライム専用の机。その休憩所のような空間の中に、緑や桃色といった身体の色をしているスライム達が寛いでいた。

 

 何を隠そう。ここは、スライムのレース場なのである。カジノでも、特に人気の賭けゲームだ。

 

 周囲を見回す。今日は来客が殆ど常連なのか、特に色とりどりのスライム達を物珍しそうに見る者はいないように見えた。

 

 目的の人は・・・・・・見えない。恐らくは入れ違いになってしまったか、観客席の奥の方にいるかのどちらかだ。

 

 どうしたものかと考えをめぐらせていると、タバサがスライム達に気づいたらしい。

 

「あっ。あう」

 

「あら、タバサ」

 

 スライムを指さし、母親を見上げるタバサ。どうやら、あのスライム達が気になって仕方がないらしい。

 

 アリスは少しだけ考え、遠慮がちにスライム達に近寄っていく。怯えられるかと思ったが、そもそも人が大勢集まる場所で和気藹々としているのだから、人に慣れているのだ。逃げ出すはずもない。

 

 アリスはタバサを床に下ろすと、一歳の少女はスライムにトコトコと駆け寄っていく。

 

「ああう。たぁさ、たぁさ」

 

 私はタバサ、と自己紹介をしているつもりなのだろう。言われた紫色のスライムは何を言っているのか分からず、ツンと尖った頭を傾げている。

 

 それでも、スライム達の興味を惹くには充分だったようだ。あっという間に、黄色や緑といったスライムに囲まれるタバサ。

 

 流石に止めようかと思ったアリスだが、我が子が嫌がるどころか嬉しそうに笑っている姿を見れば、そんな気も失せる。アリスは黙って近くの長椅子に腰掛け、しばらく様子を見ることにした。

 

 ――――そういえば、リュカもあのように魔物によく懐かれていましたね・・・・・・

 

 そんな気持ちを浮かべ、つい微笑ましく思えてしまう。あの子は、間違いなくリュカの子供なのだ。あの黒曜石のような穏やかな瞳は、父であるリュカそのものなのだ。

 

 今でも鮮明に思い出せる。ベビーパンサーのプックルをはじめ、共に心穏やかな魔物達と戯れていたあの日々を。世界には凶悪な魔物が年々増えてはいたものの、まだパパスと行動を共にしていた頃は人間に歩み寄る魔物も確かにいた。

 

 リュカとは、一日も早く会いたいと願わずにはいられない。あの占いババの言葉を聞いてからは、より強く。

 

 手がかりは、三つのリング。この仕事が終わったとき、アリスは再び旅を始めなければならないようだ。

 

 そして、今度の旅の目的はそれを探すこと。そうなると、今度はまた別の大陸へ向かうことになるのかもしれない・・・・・・

 

 いや、もしかしたら。

 

 アリスは思う。実を言うと、そのリングという名前には彼女自身心当たりがあるのだ。ただし、三つという意味が分からないだけで。

 

 リングというのは、おそらく・・・・・・

 

 と、そこまで思考が行き届いた辺りでアリスは我に返る。いつの間にか、隣に人の気配を感じたからだ。

 

 顔を向けると、一人分のスペースを空けた位置に、見知らぬ老人が腰掛けていた。スライムレースの客だろうか。

 

 アリスはあまり気にするのも失礼と思い、黙って娘がスライムをつついている姿を遠目で見ていた。本当に楽しそうだ。

 

「もし、娘さんや」

 

「は、はい?」

 

 老人が、唐突に話しかけてくる。娘というのは、もしかして自分のことだろうか。

 

 髭をたっぷりと蓄えた口と、老人特有のどこか達観したような瞳。不思議な瞳だと、アリスは不覚にも思ってしまった。

 

「間違っていたら申し訳ないがの。あの子は、お主の子かな?」

 

「・・・・・・はい。私の娘です」

 

 アリスは、素直に肯定する。見知らぬ老人ではあったが、少なくとも悪い人には見えなかった。

 

「そうか。あのようにスライムに懐かれている子というものは、ワシの目から見ても珍しかったものでのう」

 

「お爺さまは、スライムに詳しいのですか?」

 

「スライムだけではないぞ。こう見えても、若い頃から魔物の研究や飼育を生業としておる」

 

 当たり前のような口調で、とんでもないことを言う老人。アリスもつい、目を瞬かせてしまう。

 

「驚きました・・・・・・お爺さまは、魔物使いだったのですね」

 

 魔物使い。名前の通り、魔物に対するスペシャリストを意味する職業だ。凶暴な魔物の知識を身につけ、飼い慣らす技量を持つ者。

 

 アリス自身、こうして魔物使いを見るのは始めてのことであった。だが、そんな彼女の驚きに対して、目の前の老人は愉快そうに手を振る。

 

「ほっほっほっ。ワシが魔物使いなどと呼ばれておったのは、遠い昔の事じゃ。まだ魔物が凶暴化していなかった頃の古い話じゃよ」

 

「はあ」

 

「今では、親しみを込めて――――モンスターじいさんと呼ばれておる」

 

 モンスターじいさん。何となく、その呼び方はしっくりくる気がする。この陽気な老人にはピッタリだろう。

 

「では、あのスライム達もお爺さま・・・・・・いえ、モンスターじいさん様が?」

 

「うむ。ごく希に、種族間の交配次第ではあのようなカラフルなスライムが生まれることがあるのじゃよ。そのまま他のスライム達の群れに紛れさせるのは何となく惜しくて、カジノの支配人と相談した末、スライムレースなるギャンブルが出来上がってしまった」

 

「そ、それはまた・・・・・・」

 

 アリスは思わず呆れかえる。そんな理由で、図らずもスライムレースという賭博が生まれる切っ掛けを知ってしまうとは。

 

 いや、それよりも。モンスターじいさんというのは、それほどまでにカジノに深く関わっているというのか。まさかと思い、訊ねてみる。

 

「では、モンスターじいさん様。もしや、このカジノのモンスター格闘場の魔物も?」

 

「うむ。ワシが若い頃に手懐けたり、腕に覚えのある者が金と引き換えに魔物を捕まえてくるのじゃ」

 

 つまり、斡旋しているということか。これはまた、とんでもない御老人に声をかけられてしまったものである。

 

「しかし、の」

 

 ふと、声の調子がどこか真剣なものへと変わる。視線は、スライムをつついているタバサの方へ。

 

「正直なところ、あのような娘は見たことが無いわい。あのスライム達は人を決して襲うことはないものの、仕事以外でワシ以外のいうことを聞くことはしなかったはずなのじゃが」

 

「そうなのですか?」

 

 そう。だからこそ、モンスターじいさんも驚いている。あのスライム達がレースという賭博の対象に甘んじているのは、ここで働くことによって稼ぎがもらえるからである。そして、それを教えたのは他でもないモンスターじいさんだ。

 

 だからこそ、それ以外では基本的に思い思いの時間を過ごしている。ビジネスによって仕事が成立している以上、スライム達はスタッフの仕事を手伝うこともしないし、自分から誰かに話しかけたりもしない。

 

 だというのに。

 

「ぷるっ、ぷるっ」

 

「ぷうる、ぷう」

 

「ねえ、君。何か聞きたいことはない?」

 

「んうぅ?」

 

「わしゃあ、ヤルときはヤルけんのう。ここは一つ、わしに賭けてみぬか?」

 

「あうう」

 

 ワイワイと、タバサを取り囲んでくるスライム達。どう見ても、懐かれている。しかも、初めて会ったばかりの子供を相手に、だ。

 

 成る程。モンスターじいさんが不思議がるのも無理はない。アリスはつい、頭に浮かんだことをそのまま話してしまう。

 

「そういえば、あの子の父親も魔物によく懐かれていましたね。もしかしたら、その事も影響しているのかもしれません」

 

「ほう。お主の夫もか」

 

 正確には結婚は“まだ”していないので夫婦というわけではないのだが、アリスはあえて否定しなかった。どのみち、彼と再会できたら結婚をするつもりなので。

 

「少なくとも、彼は六歳の頃にはキラーパンサーの子を相棒にしていました。他にも、よく動物が懐いてくる所を見たことがあります」

 

「なんと。あの地獄の■し屋と言われている、あのキラーパンサーの子をか」

 

 流石に、これにはモンスターじいさんも驚くしかなかった。そんな魔物は、自分ですら懐かせたことなど無かったというのに。

 

 しかし、それも次第に納得の表情に変わっていく。スライムに囲まれているタバサを見つめ、ウンウンと頷いている。

 

「あの、娘が何か?」

 

「おお、スマンの。母親の前で不躾だった」

 

 素直に謝罪の言葉を口にすると、一度だけ咳払いをする。

 

「だだ、本当に不思議な目をしておる娘だと思ったのじゃよ。いくら手懐けてあるとはいえ、魔物の心を掴むほどとは。もしかしたら、あの子なら魔物達を改心させ、仲間に出来るかもしれん」

 

「・・・・・・あの子が、魔物を改心ですか?」

 

「左様。こと魔物において、ワシより詳しい者はおらんと自負しておる」

 

 モンスターじいさんの口調は、冗談のそれではなかった。少なくとも、彼は本気でタバサに魔物使いの才能があると信じている。

 

「失礼ながら、モンスターじいさん様。タバサはまだ一歳ですが」

 

「魔物使いの素養は、年齢ではない。むしろ、子供のような純真な心こそが瞳に現れるものなのじゃ。まあ、それを差し引いてもあの子の瞳は特別と言ってよいがな」

 

「・・・・・・」

 

「まあ、確かにお主の言いたいことも分かる。一歳の子供が魔物使いとして戦えるわけもない。それまでは、母親のお主がしっかりとあの子の才能を守ってやるが良い」

 

「才能を守る、ですか。それは、どのように?」

 

 やや不思議な言い回しに、アリスは訊く。

 

「よろしい、教えてしんぜよう。これから娘の前で魔物と戦う際には、憎む心ではなく愛を持って戦う事じゃ。その心が通じたとき、あの子の存在は必ずや魔物達の邪気を取り払うことであろう」

 

 愛を持って戦う。確かにモンスターじいさんはそう言った。

 

 アリスとて、戦いの際には憎しみの心だけで戦っているわけではない。命は平等であれとは、彼女も重々承知している。何しろ、彼女は修道院出身の元シスターだ。

 

 命には、敬意と礼節を持って接するべし。シスターの道を閉ざしてこそいるものの、学んだ心構えや修行によって身につけた精神は、今もなお磨き続けているという自負がある。

 

 だが、愛を持って戦うというのはどういう事だろうか。なんとなく、礼を尽くせという意味とは違う気がする。

 

 それを訊いてみると、モンスターじいさんは頭を振る。

 

「それは、お主の戦い方次第じゃ。ワシとしても、戦い方はこうじゃとは言えんからの。そればかりは、魔物によって千差万別である」

 

 要するに、魔物の種族でもそれぞれ価値観が違うので、魔物の性格などを踏まえた上で戦えということか。

 

 勇ましい人間を好む魔物がいる。心穏やかな人間に惹かれる魔物がいる。つまりはそういう事なのだろう。

 

「うむ。お主は相当に理解が早いな。それと、もう一つ。どんな魔物も、自分よりも強い者にしか従わん。それだけは、どのような魔物だろうとも共通の認識じゃ」

 

 だからこそ、仲間になるのはその戦闘が終わった後。これは、確かに覚えておかなければならない大事なことのようだ。

 

「どうじゃ、分かったかな?」

 

「はい。貴重なご意見に、感謝致します」

 

「ほっほっほっ。そんなに畏まらんでも良いぞ。他に何かあれば、気軽に街角にあるワシの仕事場を訪ねるが良い。お主等なら、いつでも歓迎しよう」

 

「ありがとうございます、モンスターじいさん様。では、何か相談に乗って欲しいことが出来たときは、是非」

 

 アリスは、万感の思いを込めて頭を下げた。これはまた、思わぬ場所で大きな出会いをしてしまった。

 

「うむ。ではな」

 

 モンスターじいさんは椅子から腰を上げて、スライムレースの奥へ入っていく。恐らくは、何か従業員と仕事の話でもするのだろう。それを追うように、色とりどりのスライム達が追っていく。

 

 置き去りにされる形になったタバサは、どことなくしょんぼりとした顔になっている。そこを、アリスが抱きかかえた。

 

「沢山のスライムに囲まれて楽しかったですか、タバサ?」

 

「んん」

 

 うん、と言わんばかりの笑顔を浮かべるタバサ。つられて、アリスもまた同じように笑ってしまう。

 

 よしよしと頭を撫で、アリスはタバサを床に立たせた。そこに、二人へ声がかかる。

 

「そろそろいいかしら? 主人を待たせるなんて、いい度胸ね」

 

「あ」

 

 恐る恐る振り返るアリス。後ろには、いつの間にか機嫌悪そうに腕を組んで立っている、己の主人(?)がいたのだ。

 

 腰を上げ、静々と近寄るアリス。手を引かれているタバサといえば、デボラの目が怖いのか母親の後ろに隠れている。

 

「お待たせいたしました。カジノの方は、もうよろしいのですか?」

 

「そうね。今日はスライムレースで儲けさせてもらったわ。それよりも、フローラは?」

 

「フローラさんは、宿に戻るように伝えておきました。明日はサラボナへ向かいますので、お早めにと」

 

「ふうん。それはそうと、実はカジノの用事はまだ済んでいないのよね」

 

「・・・・・・まだ何か遊び足りないと?」

 

 アリスは流石に眉根を寄せる。夜になっても遊び続けておきながら、まだギャンブルを続ける気らしい。宿にフローラをずっと一人にさせておくのも申し訳ないので、出来る事なら早めに戻りたいのだが。

 

「違うわよ。もうギャンブルはいいの。用事は、あんたのこと」

 

「はい?」

 

 アリスのこと。それは一体、どういう意味だろうか。

 

 彼女の疑問には答えず、デボラは後ろを振り向いて、来ていいわよと声をかける。

 

 会談の奥から姿を見せたのは、見知らぬ黒いスーツ姿の中年の紳士。そして、若い男女の集団。

 

 どういうわけか、兵士や船乗りのような格好をしている。槍や斧などを持っているものもいるが、アリスの目には作り物のレプリカだと理解できた。

 

「ほほう。彼女がデボラさんの仰っていた?」

 

「ええ」

 

 紳士がデボラと親しげに話し始める。こういう人達を、アリスはかつて見たことがあった。二年前、ポートセルミで踊り子として働いていたときと同じ。

 

「・・・・・・もしかして、一階のステージで演劇をしていた方でしょうか?」

 

「正解よ。ちょっと休憩のつもりで演劇を鑑賞したの。その時に知り合ったわ」

 

 あっさりと答える。正直、どういう経緯で気さくに話せる間柄になったのか気になる所だが、何となく訊くのが躊躇われた。

 

 いや、それよりも。

 

「あの、私が何か?」

 

「ああ、いえ。実はデボラさんから貴女様を紹介されましてな」

 

 紳士が大袈裟に手を振る。

 

「なんでも、アリス様はあのマヌハーンの世界地図の舞台にて、共にステージに上がった経験があるとか。それを聞いて、是非ともと」

 

「・・・・・・」

 

 自分でも、顔が若干引き攣っていくのが分かるアリス。錆びた機械のように顔をデボラに向けると、さも当然といわんばかりにデボラは言った。

 

「前にあんたから聞いた話を思い出したのよ。この際だから、ちょっと下僕の踊りを拝見してやろうと思って」

 

 私が興味を示したんだから嫌とはいわないわよね、と視線だけで黙らせようとするデボラ。不機嫌な山猫のような瞳が、アリスを射貫く。

 

 彼女は内心で、言わなくてもいいものをと思わずにはいられなかった。支配人を始めとした名も知らぬ劇団の方々は、まるで宝の山を見つけた山賊ウルフのそれである。

 

「あの伝説と言われているクラリス様直伝の踊り、是非ともこの夜にご披露いただきたい」

 

「一日だけ! 一日だけでいいからっ!!」

 

「・・・・・・」

 

 何故、こうなってしまったのでしょう。納得がいかないアリス。

 

 ――――デボラさん。楽しそうに見ていないで、なんとかしてください!

 

 ――――命令よ。私の娯楽のために や り な さ い。

 

 まあ、そんな抗議など届くはずもなかったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、翌朝。

 

 正確には、既に朝という時刻ではない。朝と昼の中間頃が近かった。

 

 彼女達が今いるのは、オラクルベリー周辺の平原。太陽は大地を平等に照らし、風も穏やかな日中。遠くの山々まで肉眼で見える風景の中、一台の馬車が北へ向かって平原を走っていた。

 

 向かっている、といっても大した目的があるわけではない。ただ単に、購入したばかりの馬車の運転に慣れておきたかっただけだ。

 

 オラクル屋の見立てた馬車とは、かなり機能性の高い代物である。ちょっとした大手の店舗から中古で購入できるものとは違う、新品同然の高級車であるはずだ。

 

 それが、オラクル屋の手にかかれば驚くほどの格安で手に入れることが出来た。デボラが目を付けただけのことはあり、乗り心地も上等である。

 

 だが、それも。

 

「ああ・・・・・・またしてもリュカ以外の方に肌を見られることになるとは・・・・・・」

 

 外の世界の壮大な風景も、今のアリスの心を慰めるには至らない。彼女は御者の席に腰掛けて順調に馬車を乗りこなしつつも、陰鬱な気持ちを拭いきれないままである。

 

 半日前までの、自分へ注がれるカジノの顧客の視線が未だに脳裏から離れない。感心するような目や、見惚れるような視線はまだ良かった。

 

 だが、大きく開いた胸や腰回り。何よりバニースーツが食い込む臀部や股間に注がれる視線には、耐えがたい羞恥を終始覚えるしかなかった。できる限り、踊りに意識を集中していたものの、何か不自然な動きなどはしなかっただろうか。そこが心配だ。

 

 なによりアリスの脳裏に浮かぶのは、やはりリュカの事。愛する男性以外の前で薄着になることは、彼女には耐えがたいことであった。元シスターという背景もあり、アリスはもとより貞淑な女性なのだから。

 

「見られたからなんだっていうのよ。それで嫁に行けなくなるわけじゃあるまいし。大体あんなのは、踊り専用のれっきとした衣装なの。肌を見せるだけが目的じゃないんだから」

 

 いい加減に落ち込むのを止めなさい。そう言いたげな口調で、デボラは馬車奥の真ん中で座っている。丁寧に、下にはオラクルベリーで購入したクッションが敷かれていた。

 

「あの、姉さん。アリスさんの踊りというのは、そこまで盛り上がったのですか?」

 

 恐る恐る、という様子でフローラが声をかけてくる。彼女もデボラのクッションを借りて、隣に腰掛けていた。まあ、二人ともお嬢様なのでこれくらいの贅沢は必要だろう。

 

 ちなみに、タバサもまた馬車の隅にあるクッションの上で寝そべっている。さっきまでは馬車の中と言うことではしゃぎ回っていたが、すぐに気持ちよく目を閉じていた。

 

「そうね。まあ、なかなかのものだったわよ。ただ、客のアンコールに応えなかったっていうのは減点ね」

 

「はあ・・・・・・姉さんがそこまで」

 

 口調はぶっきらぼうなデボラだが、フローラにとってはそれがかなりの賛辞という意味で口にしている事は理解していた。あの、滅多に人を褒めない姉が人を褒めている。それだけでも、その踊りとはとてつもなく素晴らしいものだったのだろう。

 

 アリスは自覚こそないが、クラリスから受け継いだ踊りはまさしく上級者向けのそれである。マヌハーンの世界地図も、伊達に世界規模で名を売っている劇団のトップをやっているわけではない。

 

 オラクルベリーでアリスの踊りを見た者達は、ほぼ全員が間違いなく彼女の素晴らしい踊りそのものに圧倒されていたのだ。余計な下心を込めて視線を向けていた者は、本当に芸術性の欠片も理解できない極少数の男共だけだったのである。

 

「あの、アリスさん。もしお時間がありましたなら、私も是非一度は拝見を・・・・・・」

 

「フローラさんまで・・・・・・もうご容赦いただけると助かるのですが」

 

「あら、妹の頼みが聞けないって言うの? それなら、今日は一日中バニーガール姿のまま馬車を操ってもらおうかしら」

 

「デボラさん。それ以上は冗談では――――っ」

 

 唐突に、アリスは馬車の馬に取り付けられている紐を引いた。それに反応して、馬がゆっくりと停止する。

 

「・・・・・・なによ?」

 

「近づいています」

 

 それだけを小声で告げるアリス。何を、とは流石に訊かない。デボラも先程までの弛緩した空気を止め、懐からシャイニーネイルを取りだした。

 

「フローラさんは、どうかタバサを」

 

 そう一言だけ告げると、アリスは馬車を降りた。

 

 周囲は、見回すまでもない。この辺りは弱い魔物しか生息していないし、実際に魔物の気配も強く感じなかった。

 

 だが、今馬車の中にはタバサがいる。相手がたとえスライムだろうとも、油断をするつもりはなかった。

 

 普段ならばアリスが持つ強者特有の雰囲気を感じ取って、自分達から避けてくる魔物達。しかし、先程までの弛緩した空気が魔物の本能を刺激させてしまったのかもしれない。今なら倒せるのではないか、と。

 

 まあ、そんな魔物達の期待も今から摘み取るのだが。

 

 僅かに風が吹く。草原の草木が、ざわざわと音を立てて揺れた。

 

 生い茂った草原の影から放たれたのは、炎の柱。隠れている魔物が放ったギラの呪文だ。

 

 狙いはデボラ。だが、それに焦りを覚える者などこの場には一人もいなかった。

 

「ふん」

 

 僅かに手首から先に魔力を込めた片手で、彼女は閃光呪文を弾いたのだ。まるで、しつこい男を叩くかのような調子で。

 

 あらぬ方向へ消えていったギラを見届けることもなく、デボラは呪文を詠唱する。

 

「ベギラマ」

 

「ギャアアアア!」

 

 他に隠れている仲間もいたのか、複数の魔物――――ベビーニュートのグループが纏めて火だるまになった。

 

 それに焦りを覚えた生き残りの魔物達は、一斉に影から飛び出して襲いかかってきた。だが、それも不意打ちに失敗した今となっては、無意味と言っていいほどの悪あがきである。

 

 今度はアリスが道具袋からチェーンクロスを取りだし、周囲を囲うように一振り。鉛の付いた先端は存分違わず、魔物の群れを打ち倒した。

 

 ベビーニュート以外は、その場にひっくり返ったまま悶絶する。目を回してはいるが、命に別状はないはずだ。

 

「命は大事にすることです。無闇に人を襲う必要などないのですから」

 

「舐められたものね。こんな奴らが不意を突いた程度で、勝てるとでも思っているのかしら」

 

 アリスだけではなく、デボラとフローラもまた修道院にて修練を重ねた強者だ。襲われたことに腹を立てているのではなく、この程度の魔物に勝てると思われた事こそが心外だった。

 

 悪態をつくデボラを宥めようとしたアリス。だが、視界に意外な光景が映る。

 

 スライムだ。失神したはずのスライムが、ゆっくりと起き上がってきたのだ。それを切っ掛けに、プリズニャン、ブラウニーと次々に立ち上がってくる。

 

 仕留め損ねたか、と思ったが・・・・・・何だろうか。様子がおかしい気がした。

 

「・・・・・・ちょっと、アリス。こいつらに何かやった?」

 

 デボラも妙に思ったらしく、アリスに訊いてくる。勿論、言われた彼女だって分からない。

 

 とりあえず追い打ちをかけるのは後回しにして、様子を見ることにする。少なくとも、こちらを攻撃する意図は無いようだ。あれば、とっくにそうしているだろう。

 

 ふと気づくと、フローラとタバサが揃って馬車から降りている姿が目に入った。アリスは二人に駆け寄る。

 

「フローラさん?」

 

「申し訳ありません、アリスさん。ただ、タバサちゃんが起きていて、やたらと外のことを気にしていましたから・・・・・・」

 

「?」

 

 戦っている音を聞いて、興味をそそられたのだろうか。だが、アリスが首を傾げたのはそんなことではない。

 

「ピキィ」

 

 特有の声を出すスライム。

 

「ニャーゴ」

 

 まるで普通の猫のように鳴くプリズニャン。

 

「よいしょ」

 

 愛用の木槌を重そうに運ぶブラウニー。

 

「・・・・・・」

 

「あう」

 

 三匹の魔物達が、揃ってアリスのスカートを掴んでいるタバサをジーッと見ている。驚いたことに、先程までの魔に取り憑かれたような雰囲気は欠片ほども感じなくなっていた。

 

「あ、ちょっと」

 

「んゆ?」

 

 三匹が静々と母子を取り囲み、アリスは思いっきり狼狽えた。タバサは何が起きているのか理解していない様子だったが。

 

「ああう」

 

 恐る恐る、といった様子でタバサが細い腕を伸ばす。大人の手で簡単に包み込んでしまえる小さな手が、スライムの頭に触れた。

 

「ピィ」

 

 目を細め、嬉しそうに鳴く。これは、まさか・・・・・・

 

「な、懐いているのですね・・・・・・タバサに」

 

「それ以外の何だっていうのよ」

 

 腕を組み、どこか不機嫌そうに言い放つデボラ。いつの間にか、アリス達から若干の距離を取っている。

 

「あの、アリスさん。何か心当たりはありませんか?」

 

「こ、心当たりと言われましても・・・・・・」

 

 フローラもどこか困惑したように状況を見守っていた。どうにか頭をめぐらせるアリス。

 

 魔物が突然子供に懐く。倒した後に起き上がって・・・・・・そういえば、タバサに魔物というと、誰かが・・・・・・

 

 状況を整理しつつ、ふと昨日の夜にモンスターじいさんから言われた言葉を思い出した。

 

 

 

 

 ――――魔物達を改心させ、仲間に出来るかもしれん・・・・・・

 

 

 

 

「あ・・・・・・」

 

 気づいた。そういう事だったのか。

 

 やはりこの子も、リュカと同じ・・・・・・

 

「アリスさん。何か?」

 

 フローラの声に、アリスは頷く。彼女はそっと、未だに魔物達に纏わり付かれているタバサを抱き上げた。

 

「フローラさん、デボラさん」

 

 彼女は、二人の視線を見返した。

 

「この子は間違いなく、リュカの心を受け継いだ子供なのです」

 

 

 

 

つづく

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