場所は変わって。フラフェンを南下した先。起伏の高い山々を抜けた先にある、砂丘付近にて。
一台の馬車が、砂塵を作りながらも南へと移動を続けていた。
右側には、青い海。左側には一行が抜けた山よりもなお険しい山地。南の地方へと向かうには、嫌でもこの砂丘を抜けなければならないのだ。
海の潮風と山の緑から漂う香りが鼻腔をくすぐる。だが、今は何よりも馬車の車輪が作る砂塵こそが何よりも鬱陶しいと感じてしまう。致し方が無いとはいえ、誰でも好きで砂まみれになんてなりたくはない。
御者の役割を担っているアリスは、そういった損な役割を敢えて担いつつも、馬車の奥にいる女性と話を続けていた。
「へえ。魔物使いの素質、ねえ」
アリスからの説明を受けたデボラの第一声が、それであった。モンスターじいさんに出会ったことが無い彼女は、どこか胡散臭そうな口調で言う。
「まあ、実際に魔物を仲間にしているのは事実だし、信じてあげるけれど。でも、血筋で魔物使いになれるなんて聞いたことがないわね」
「ですが、タバサさんは本当に綺麗な目をしています。私もシスターとして赤ちゃんを何度も目にしてはいますが、タバサちゃんほどの瞳を見たことはありませんでした」
反対に、フローラはむしろその説を心から信じているらしい。彼女も視線の先には、馬車の奥でスライム達にくっつかれながら楽しそうに談笑している姿があるのだから。
談笑といっても、タバサはまだ言葉を発しきれていない。それでも魔物達にとってはお構いなしなのか、意思疎通はしっかりと出来ているようだ。
それも、そのはず。
タバサに纏わり付いている魔物達は、ハッキリと言葉を話しているからだ。
「ねえねえ。ご主人様のお名前はタバサちゃんっていうんだよね。お母さんと一緒に旅をしているんでしょ?」
水色のプルプルしたスライム――――スラリンが、積極的に話しかけている。彼らのご主人様となったタバサはそうだよと言いたげに、コクコクと頷いている。
魔物とは、種族によっては人間の言語すらも話せる者もいる。それはアリス自身もよく知っている。だが、こちらに討たれる前の魔物達は魔物特有の奇声しか口に出せなかったはずだ。
数刻前、アリス達一行はオラクルベリーのモンスターじいさんにこの一件を話したのだ。彼は早速仲間にしたかと嬉しそうにしつつも、一通りの知識を簡潔に教えてくれたのである。
曰く、タバサには魔物が持つ邪気を払う不思議な力を、生まれながらに持ち合わせているのだという。モンスターじいさんにも詳しいことは分からないが、よほど神聖な家系であることは間違いないらしい。
リュカ。そしてパパス。あの家族は、一体何者なのだろうか。そんな疑問が頭を掠めたアリスだが、今はモンスターじいさんの説明を聞くことに集中する。
今は仲間となっている魔物達は、そんなタバサの破邪の力を受け、純朴な生命に浄化されたのだという。人を襲い、なおかつ餌としてみていた魔物達も心が穏やかになったことで、本来の知能を取り戻したのだ。
「ニャニャッ」
まあ、このプリズニャン――――プリズンのように元々獣としての声しか出せない魔物もいるらしいが。今のプリズニャンは普通の猫のように、タバサの後ろで丸くなっている。
そして、もう一匹の魔物といえば。
「あの、すみません。いきなり仲間にしてほしいなんて頼み、無理に聞いて貰っちゃって」
馬を操っているアリスの後ろで、ペコリと頭を下げていた。ブラウニーのブラウンという名前らしい。
「いいえ。確かに初めは驚いてしまいましたが、それだけです。魔物達にも私たちと同じように心があるということは、私とて幼少の頃より学んでおりますので」
ですから、受け入れることに抵抗などありませんよとアリスは締めくくる。それは、紛れもないアリスの本心であった。
暖かい風が吹き、馬車の中を満たす。あたかも、この新しい出会いや、我が娘のとてつもない力を世界が歓迎しているかのように。
「そうですか・・・・・・人間って、魔物を苛めることしかしない生き物って思っていたけど、ちゃんと分かってくれる人もいるんだ」
ブラウンの少しだけ寂しそうな独白に、アリスは困ったように訂正する。
「かつては、人間も魔物も穏やかに生きていた時代があったそうです。ですが、近年の魔物の活発化によって、残念ながら両者の関係にはヒビが入っていると言わざるを得ません」
「・・・・・・」
それでも、とアリスは続ける。
「私は信じています。人と魔物が差別無く生きていた時代があったことは確かなのですから。魔物が凶暴化した原因が何なのか・・・・・・それが解決できた時、また長い時間をかけて人と魔物が手を取り合える日が戻ると」
「そっか・・・・・・主人のお母さんは、諦めない人だったんだね」
そんなブラウンの率直な物言いに、ついアリスの顔が赤く染まる。
「そ、そのような大層なものではありません。ただ、これは私の素直な考えというだけですので」
「ねえ。ご主人様のお母さんはアリスさんっていうんだよね。ひょっとして、アリスさんのことは親分様って呼んだ方がいいかな?」
「お、親分様・・・・・・それは少々、止めていただきたいかと。出来る事なら、先程のアリスさんと呼んでいただければ」
ガックリと肩を落としそうになるところを、どうにか堪える。危ない。馬の扱いを間違えてしまいそうになった。
「そうよ。こいつに様なんて勿体ないわ」
そこで、先程まで様子を見ていたデボラがクッションの上で口を挟んでくる。うつ伏せのまま頬杖をついているだらしのない体勢だが、特に気にした様子は無い。
「あのね、こいつは私の下僕なの。だから、私のことは大親分と呼びなさい」
「お、大親分!?」
つい仰天するブラウン。まさか、主人の上に立つ母親のアリスを、下僕呼ばわりするほど偉い人がいたとは。
「え、ええっと・・・・・・ご主人様のお母さんが親分様のアリスさんで、デボラさんが大親分様としてその上に立っているってことは・・・・・・」
しばらくオロオロとしていたが、やがて合点がいったのかポンと手を鳴らすブラウン。というか親分は止めろと言われただろうに。
「つまりデボラさんは・・・・・・お婆ちゃんって事なんだ!」
唐突に放たれた無垢故の残酷な感想に、デボラは文字通り硬直した。
「――――・・・・・・お、ばあちゃん?」
その瞬間、成り行きを見守っていたアリスとフローラが一斉に吹き出した。フローラはクッションの上で悶絶し、アリスはまたしても馬の操作を誤りそうになってしまう。タバサやスラリン達は何が起こったのか分からずに、目を点にしているが。
「ブ、ブラウン・・・・・・貴方という方は・・・・・・」
「え、何です? 僕、変なことを言いましたか!? 人間の社会は年上の方が偉いっていう噂を聞いたことがあったから、ご主人様のお母さんのアリスさんより偉いって事は、つまりそういう事じゃないかなって・・・・・・!」
中途半端な情報で、拡大解釈をされてしまったデボラ。彼女が17年間生きてきて、初めて受けた評価。
しばらくは能面のような無表情で身体を震わせていたと思うと、おもむろに懐からシャイニーネイルを取りだし、自慢の指にはめ込む。
左手には、魔力の塊。はたしてそれはベギラマか、ザキか。
「ああ、よく分かったわ。要するにアンタは、よほど命がいらないって事ね。安心なさい。遠回しな自■がしたいなら、喜んで付き合ってあげるわよ」
「え、あれ? ちょ、そんなの喰らったらはぐぅ!?」
「姉さん、落ち着いて!!」
「デ、デボラさん! 馬車の中で暴れてはなりませんっ!!」
こうして、走る馬車の中で惨劇が始まった。
空がオレンジ色に変わり始める頃、一行は人の手が入った建物へたどり着くことが出来た。薄暗い景色に変わり始める頃、人の生活が分かる灯火を見たときは、本当に救われた気持ちになったものである。
やや前時代的な日干しレンガで造られたであろう建物は、宿屋の施設。隣の木製の小屋は教会である。外にはこれまた木製の椅子と机が設置されており、昼間は旅人の憩いの場として使われているのだろう。
「ここは人呼んで、噂の祠と言われています。昔から身体を休める目的で造られた祠ですが、それ故に旅人が色々な噂を話し合う場としても知られているんです」
アリス達と一緒に馬車を降りたフローラが、そう説明してくれる。アリスは西の大陸の情報にはそれほど詳しくはないので、こういった説明は有り難かった。
今日は、野宿をしなくてもすみそうですね。そんな安堵の気持ちと共に、アリス達は宿に宿泊する手続きを事通りなく終わらせる。
意外にも、魔物が人間と共に行動している点については、大して見咎められることも無かった。むしろ、この人達は魔物使いかと感心されるだけの反応に終わるだけ。世間では、魔物使いという職業はそう珍しくはないのだろうか。
とはいえ、今はやるべき事をやるとしましょうか。アリスは最低限の手荷物と着替えを部屋に置く。
女将に用件を伝えると、彼女は慣れた調子でお湯の入った桶とタオルを持ってきてくれた。この宿には立地上の理由で風呂が無いため、せめてものサービスというわけである。それでも、旅の人間にとっては有り難い。
アリスは熱い湯でタオルをよく絞り、目の前の墨――――ブラウンの身体を拭いてあげた。言うまでもなく、半日前のデボラの制裁による結果である。
怪我そのものはどうにかアリスのベホマで治療したものの、一度出てしまった墨までは戻せない。
ブラウンのプニプニした身体を拭いていると、あっという間にタオルが真っ黒になっていく。それでも、どうにかブラウニー特有の肌を取り戻すことは出来た。
「終わりましたよ」
「ありがとうございます、アリス親分。僕、もう本当に生き返ったような気分です」
「ですから、親分は止めて欲しいのだけど。それと、生き返ったという言葉は言い得て妙ですね」
と、アリスは正直な感想を述べる。
「それはそれとして、よく聞きなさいブラウン。人間の女性に、年齢と体重の話はできる限り控えるように」
「何でそれがダメなのか分からないけれど・・・・・・でも、そんなに言っちゃあいけない事なの?」
「もちろんです。人間の女性は、常にそれを気にしながら生きている生き物なのですから」
「うん・・・・・・とりあえず、それは忘れないようにする」
とりあえず、口にしてはならない禁句ということは伝わったらしい。アリスは内心で安堵する。今後はデボラさんが凶暴化する事はなさそうですね・・・・・・
「そ、それじゃあ大親分に謝ってくるね。親ぶ・・・・・・あわわ、アリスさん」
「ええ。よく言えました」
失言が多いのは致し方がないとはいえ、物わかりはいい子らしい。本当に人間の子供のようだ。
きっと、スラリンやプリズンもそうなのだろう。自分も小さな学校を開いている身なので理解できるが、接し方は教え子に対するそれと変わらなかった。
何だか嬉しく思う。心さえ通わせられるのなら、こうして繋がりを持つことも出来るのだから。何より、それを証明したのは紛れもない自分の娘。
どうですか、凄い子でしょう。世界の全てにそう言いたかった。
ブラウンが部屋を出て行った事を確認すると、アリスは身につけている賢者のローブに手をかける。他の者達は皆、部屋を出た広間で他の宿泊客や旅人達と話をしているはずだ。
布が擦れる音と共に下着姿になる。細かいレースの刺繍が入ったブラとパンティを脱ぐと、そこにはまるで女神の彫像のような均整の取れた裸身が露わになった。
先程までブラウンの身体を拭っていたタオルとは別のものを手に取り、しっかりと身体を拭く。砂埃にまみれた肌が本来の美しさを取り戻していった。
サラボナの町に到着したら、宿屋に風呂場があるかを確認するのもいいかもしれない。髪を洗えないというのはやはり不便だ。
そんなことを考えていたせいか――――
「ねえねえ。それっておっぱいって言うんだよね?」
――――いつの間にか出入り口の傍にいた闖入者に気づくのが遅れてしまった。
アリスは過剰なほどに肩をビクつかせた。一瞬でベッドの白いシーツを身体の前まで引っ張ると、無邪気かつデリカシーのない言葉を発した者に恐る恐る顔を向ける。
「ス、スラリン。貴方、そこで何をしているのですか?」
やや低くなってしまっているアリスの声を気にした風もなく、スラリンは目をぱちくりとさせた。
「何って、何しているのか気になったから。さっきブラウンが綺麗な身体になって出てきたし、アリスさんはさっきから来なかったし」
それで、堂々と入ってきたというのか。それよりも、種族が違うとはいえ女性の裸身を覗くのがどういう事なのか理解していないとは・・・・・・
「え、ええ。そうですか。しかしスラリン、私も身体を拭いている最中なのです。出来れば、部屋を出てもらえると助かるのですが」
「何で。身体を拭くのは一人じゃなきゃ出来ないの?」
「・・・・・・人間の世界では、そうなのです。人は誰かの前で、必要以上に肌を晒すことは恥という認識があるのですから」
「変なの。まあ、僕はスライムだから関係ないよね」
そう言うと、スラリンはむしろアリスにピョンピョンと跳びはねながら近寄ってくる。
「ス、スラリン。部屋を出てほしいと言ったはずです」
「ねえ。アリスさんの胸に付いているのって、柔らかそうだよね。何だか僕の身体みたいで」
「・・・・・・」
どうやら、早速アリスの身体に興味を示したらしい。このスライムは、どうやら男性と女性の区別が付いていないようだ。さすがは仲間になったばかりで賢さ1。
「僕とどっちが柔らかいかな。それっと」
「きゃっ・・・・・・こ、困ります、スラリン!」
プニョン。そんな擬音が聞こえそうな弾力が、一体と二房の間に生まれる。リュカにしか触らせたことがないのにと、些か問題発言的なことを考えてしまった。
「うわっ、凄い。柔らかさは僕と同じくらいなのに、温かいから気持ちいいや」
狼狽えるアリスに構わず、スラリンはアリスの胸の上で、ピョンピョンとクッションのように跳ねた。どうやら、胸の感触がよほど気に入ったらしい。
「も、もう。スラリン、いけません!」
流石にこれ以上は看破できず、アリスは飛び上がったスラリンを掴んだ。グッと自分と目を合わせる。
「いいですか、スラリン。人間の女性にこういう事をすると、嫌われてしまいます。可愛がってもらえなくなるんですよ。しっかり覚えておいて下さいね」
「えっ、そうなの? でも、アリスさんの胸って柔らかくって気持ちいいから」
未練がましいスラリンに、アリスは困ったように一つだけ息を吐く。先程のブラウンといい、彼らはもう少し人間という者を勉強させるべきだろう。
「だからといって、人が嫌がることをしてはいけないのです。難しいかもしれませんが、これから少しずつ教えてあげますから」
「はぁい」
不満そうに頬をプクリと膨らませるスラリンに、退出を促した。それから、ようやくアリスは衣服に袖を通す。
「・・・・・・まあ、教え子を相手にしていると思えばいいでしょう」
サンタローズにて、色気づいてきたが故にアリスのスカートを捲ってくる悪戯小僧の教え子達を思い出す。そういう子供は大概宿題を多めに出せば黙ってくれるものだが、魔物達はどうだろうか。
アリスは部屋着用のローブ姿で、部屋を出る。いくつかの椅子に腰掛けているデボラ達や他の宿泊客が、こちらを見た。
「?」
と思ったら、何故か大半の者達が顔を背ける。旅人らしい若者や中年の夫婦が、何故か顔を赤くしていた。
何でしょうか、この反応は?
「アリス」
首を傾げているアリスに、こめかみを指で押さえているデボラが言った。どことなく、呆れているようにも見える。
「この宿、ドアが薄いから。騒がない方がいいわよ」
そして、この日以降。
噂の祠の宿にて、旅人が噂話を書き留めるという噂のノートに、新たな一文が記されることになった。
――――旅の賢者であるアリスの胸は、スライムと同じくらいの弾力らしい、と。
アンディ・インガルスは真剣この上ない顔つきで匙を傾けた。黒絵の具が青絵の具の中にたらたらと混ざる。匙に半分ほど手を止め、へらでよく混ぜる。
試し塗りとして、傍らの木片に塗った。理想通りの色ではない。もう少し黒を減らすべきだろうか。
アンディは袖で顔の汗を拭き、もう一度色作りに挑戦する。
麦藁色の髪を真ん中で分け、背に長くたらしている青年。肌は白く、全体的にスリムな印象を受ける。普段は優男と言っていいほどの顔立ちだが、今は職人としての仕事をしている事もあって、その瞳は鋭く細められていた。
まだ若いながらも、腕は既に一人前と呼んでいいほどの職工として認められている。そんな彼でも、今の仕事は中々に手こずる仕事らしい。
「アンディ、いい加減に休め。スープが冷めてしまうぞ」
南側の窓は空気の入れ換えのために開け放たれていて、さんさんと降り注ぐ陽光に、仲間の職人達が卓を囲んでいるのが分かる。麦酒の瓶を片手に声をかけてくれたのはアノール。化粧箪笥や鏡の設計を作らせれば、右に出る者はいない指物師だ。
声をかけられたことで、アンディの集中力も解ける。乾いた絵の具が滲んだ机の上にコトリと匙を置き、絵の具缶の蓋を閉めた。傍らのボロ布で両手を拭う。
仲間達と昼食をすすめていると、床に散らばった木材の削りカスを押して、扉が開かれた。
「おう。邪魔するぞ」
彼らの親方であるジブラが、しわくちゃになった顔を覗かせた。今年で既に70を越えているはずなのだが、その技量は他の若手を届かせる気配はないほどだ。
「親方。こっちへどうぞ」
職人の一人が彼専用の椅子に師匠を座らせると、すぐにスープを運んでくる。アンディ達もまた腰掛けたまま頭を下げた。
ジブラ老は節くれ立った指でスープの入った椀を摘まむと、ゆっくりと中身を啜る。
「仕事の方は、順調か?」
「これから、例のガラス細工に入るところです」
と、同僚のヴァン。アンディとは二つ年上の先輩だ。
「ポートセルミの貨物船が利用できなくなってしまったので、ラインハット方面の運び手が減っているのが悩みの種でしたがね。今はとりあえず、造り溜めに専念していますよ」
アノールが愚痴半分に言うが、ジブラ老は別段気を悪くした様子はない。実際、それで完成した品々を依頼人に運べなくなっているのだから。
「ふむ。ならば、引き受けても構わぬかな」
「引き受けるとは?」
ヴァンが訊く。ニュアンスからして、また依頼だろうか。
「子供用の机と椅子じゃ。ルドマンの娘姉妹が修道院から戻ってきた。いよいよ婿を取るらしい」
麦酒を飲もうとしていたアンディの手が、ピタリと止まった。
「将来の我が孫のために、とびきりの品を期待しているそうだ。気の早い男だが、それだけ時間をかければ国の王族級のモノも造れるに違いない。ルドマンの事じゃ、金に糸目は付けまい。どうじゃ、みなで腕によりをかけて、最高の机と椅子を造ってもらえんかね」
「それは面白い。早速図面を引いてみましょう」
「確か十年前に、何処かの国の富豪から家具の依頼を受けたことがあったな。あれをもう一度見直してみるか」
職人達は、思い思いのペースで仕事に取りかかる。アンディだけはしばらく無言のまま椅子に腰掛けていたが、老人に見つめられていることに気づいて会釈をする。
「まあ、慌てることもあるまい。家具作りはお主の専門ではないだろう」
「親方・・・・・・」
「フローラの事か」
真っ直ぐに言い当てられ、アンディは目を伏せる。その頬が赤く染まっていることには指摘しないでおく。
「八年前だったかな。あの子がデボラと共に浜辺の修道院へ送られたのは」
「・・・・・・」
「いちだんと美しくなっておったぞ。清楚な振る舞いをしっかりと残したままでな」
「親方は、フローラに会っていたのですか?」
「ああ。今日の昼、ルドマンが自慢げに見せびらかしておったわ。娘を持つ父親というものは、あそこまで可愛がるのかと半ば呆れてしまったよ」
口調とは裏腹に、ジブラはどこか羨むような表情で語る。彼には息子が一人いるが、妻には先立たれている。その息子は職人の道に理解を示さず、半ば家出同然に父親の前から姿を消した。今では、どこで何をしているのかも分からない。
ここの職人達は、そんな彼の孤独さと職人の誇りを理解している。老人もまた、我が弟子達を息子の分まで大切に育ててきたつもりだ。アンディに至っては、既にこの若さで職人として独り立ちできるほどにまで、立派に成長することが出来ている。
「のう、アンディ・・・・・・明日は、休みをとるがよい。なんでも、ルドマンがフローラとの結婚に関して、重大な発表をするらしいぞ。場所は、あやつの本邸だ」
「・・・・・・ありがとうございます、親方」
かつては頼りなかった瞳が、一つの決意を固めた瞬間。ジブラは、それを誇らしそうに見つめていた。
「本当は、修道女として生きて欲しかったそうです」
王族の別荘と言って差し支えないような豪邸の前で、アリスは言った。
「フローラさんは、実に清楚勝つ聡明であられます。このまま私たちと共に、シスターの道を歩んでいただきたかったと大層惜しまれておりました」
「そうまで言っていただけるとは光栄の至極ですな。まあ、どうぞどうぞ」
ルドマン・トュルネックは満面崩れんばかりの笑顔で、中に入るように誘う。挨拶だけをして帰るつもりだったアリスは、戸惑ったように断りを入れる。
「いえ、私はあくまでも修道院から雇われた護衛に過ぎませんので。ただ、欲を言わせていただければ、一つだけ所用でお訊ねしたいことがございます。それさえ済ませていただければ、それ以上のお邪魔は致しません」
「いいじゃあありませんか。それに、ここまではるばる娘の身を守っていただいた方を手ぶらで帰してしまっては、私の立つ瀬がありません。せめて、今夜だけでもお泊まりいただければ」
「しかし」
「どうぞご遠慮なく。お付き合い下さい。聞けば、貴女は娘達のご友人と呼ばれるご関係だとか。むしろ、我が家で雇いたいほどです」
「確かに、私は友人として差し支えない関係であると自負しております。ですが、仕事に私情を挟むわけには参りませんので」
「では、これもお仕事のうちと思っていただければ。今しばらく、娘達の話し相手としてご滞在下さい。こちらにお訊きしたい事とは、また後ほどということで」
口調は穏やかだが、どういうわけか強く押されているような感覚を受ける。これもまた、大商人としての貫禄なのだろうか。
結局、アリスは個人の自宅にしては広すぎるほどの広間へ誘われることになった。成り行きで流されてしまった自分を恥じるべきか、それともルドマンの押しの強さに感心するべきか。彼女は迷う。
室内には、既に部屋着へ着替えたフローラとデボラが食卓を囲んだ椅子に腰掛けていた。使用人のメイドと共に姿を見せたアリスの姿に、フローラとデボラも大小の反応の違いこそあれ、喜びの色を見せる。
上座の近くに腰掛けているのは、ルドマンの妻であろうシャルロット夫人である。かなりの歳を召しているはずなのだが、不思議と若々しさを感じる印象を受けた。貫禄のせいか、どことなく雰囲気もリディアに似ている気がする。
彼女はアリスと目が合うと、ニコリと微笑む。夫の性格を熟知しているせいか、突然の食事の同席にも驚く様子は見せなかった。
とはいえ。アリスは思う。これは、城と見間違うほどの豪華さである。
まず、広い。この場で舞踏会が開催できるほどの大広間だ。薔薇色がかった大理石の円柱が支えている高天井には、氷のホルンを鳴らす天使と花びらのドレスを身につけた乙女が玻璃細工の丸窓を中心に、楽しそうに踊っている。磨き込まれた繊細な燭台、指二本分も厚みがある赤い上質な絨毯。
アリスに遅れて広間へ入ってきたルドマンは、上座に慣れた足取りのまま歩いて席に腰かける。
出入り口に二人、両の壁に十名ほど執事とメイドが同じ体勢のまま直立しているのは、主因やその客の世話するためにいるのだろう。もし誰かが曲がり間違って服でも汚してしまえば、すぐさま誰かが動いて丁寧に面倒を見るはずだ。
実際、タバサはこの家までフローラ達を送り届けた時点で、早々に使用人達の手で広間へ連れられたのだ。子供が食べられるホットケーキを用意され、娘は母親の隣の席で今も嬉しそうに食べている。流石に、仲間の魔物達はこの場には来ておらず、大きな庭で新鮮な肉をご馳走されていた。
お世話になるつもりはなかったのですがと思わざるを得なかった。ルドマンには、娘を送り届けたことの確認と、この世の何処かにあるというリングに関することで訊きたいことがあっただけだったというのに。
以前から、話は聞いてみたいと思っていたのだ。世界を股に掛ける大商人であるルドマン。彼ならば、ラーの鏡を復活させるのに必要なリングの情報も知っているのかもしれないから。
――――この歓迎されている空気の中では、到底訊けません・・・・・・
そんな弱気に負けそうになるものの、今は気持ちを切り替えなければと思い直す。どのみち、焦っても仕方がないことだ。
アリスとて、テーブルマナーはリュカに出会う前の五歳の時点で身につけている。食事の場に相席することになった以上は、まず失礼のないように振る舞わなければならない。
それでも。まるで王侯貴族のような扱いにはやはり落ち着かないものを感じてしまう。自分も一応は王族の血を受け継いでいるというのに。いや、それは関係ないことか。
まずは、素直に食事を頂くことにしましょう。アリスは、手元にある専用のタオルで手を拭くことから始めた。
「炎のリングと水のリング、ですかな。ええ、それならば存じていますとも」
食事を済ませ、ようやく頃合いを見てルドマンに相談を持ちかけたところ、帰ってきた返事はそれであった。
「えっ・・・・・・」
「何を驚いているのですかな。まあ、東の大陸にはその情報が伝わっていないのも無理はありませんがね。私とて名を知らしめた商人という自負はありますとも。そのくらいの情報ならとうに掴んでおります」
ルドマンは大商人という評価を得ているだけあって、情報通でもある。手に持った食後のワインを一口呑むと、上機嫌で話を続けてくれた。
炎のリング。
水のリング。
もとより、このリングは古来により生まれたそれぞれの精霊が、己の力が具現化した産物なのだという。
世界で最も炎が生まれる場所、火山の最深部に火の精霊が炎のリングを。
世界で最も澄んだ水が生まれる場所、滝の洞窟に水の精霊が水のリングを。
その精霊が、今はどうなっているのかは諸説ある。寿命が尽きたために己の力をリングに残したとも言われており、別の仮説では人間の可能性を試すためにリングを報酬に強者を待っているとも。
「・・・・・・まあ、強者を待っているという話は流石に眉唾物だろうがね」
「あ、はは・・・・・・」
ゴホン、と咳払いをするルドマン。
「とにかくだ。その二つのリングを探しているということかな、キミは」
「はい」
「・・・・・・だとしたら、申し訳ないことになってしまったね。これは前々から決めていたことだったのでな」
「?」
コトリ、と食卓の上に空になったグラスを置く。すぐさま、傍らの執事がそれを片付けた。
「つい先程、キミが馬車から娘達の荷物を下ろしてくれていた頃なのだが・・・・・・フローラの結婚相手を探すために町中の男に発表を出したのだよ」
「発表ですか?」
「うむ。ワシはただの男に愛娘のフローラを嫁に出そうとは思わん。従って――――この炎のリングと水のリングを手に入れた者こそを婿と認めるとな」
「・・・・・・」
絶句するアリス。
それは、あまりにもそこいらの人間では荷が重すぎるのでは、と思った。先程から良くも悪くも豪胆な人物だとは思っていたが、まさかここまでとは・・・・・・
いや、それよりも。
リングが既に、他の者達が探しに行っている事が判明してしまった。しかも、フローラを妻にしようと意気込んでいる者達が我先にと。これでは、自分がリングを手に入れるなど・・・・・・
アリスは自分の肩がズシンと重くなるのを確かに感じた。これでは、下手をしたらラーの鏡を甦らせることが出来なくなってしまうかもしれない。
「そういうわけで、すまないね。キミは確かに娘の友人ではあるが、それとこれとは別だ。もし誰かが二つのリングを手に入れたとしたなら、キミがその者と交渉をするがいい」
「そう、ですか。いえ、確かに現状はそうするしかなさそうです・・・・・・」
どうにか気を取り直し、アリスは隣の席でうたた寝をしているタバサを抱いて席を立つ。ルドマンは客室に案内してやりなさいとメイドに指示を出し、彼女と共に大広間を出て行く。
二階の階段を上り、手入れの行き届いている上質な壁伝いに廊下を進んでいくと、客室らしい部屋へ入る。
そこは一個人の客室というよりは一流の宿屋のような部屋であり、調度品やベッドも細かい装飾が施された立派な代物であった。壁に掛けられている絵画やベッドの傍にある化粧台も、金額に換算すればいくらになるのか分からない。
奥には水道が設置されており、その右隣には衝立がある個人用の風呂場になっていた。宿屋以外でこんな部屋を見たのはラインハット城以来だ。
「では、ごゆっくりと」
そう言い残し、年若いメイドはプロらしい動きで、物音も立てずに部屋を出る。部屋に残された形になったアリスは、手荷物を持ったまま白いベッドに腰掛ける。フワリとした感触が、そこいらの市販のそれとは全く違うことを理解させられた。
腕の中でスヤスヤと眠っているタバサをベッドに寝かせ、そっと立ち上がる。手荷物から歯ブラシを取りだし、部屋の隅には備えたばかりのような水道が設置されているので、遠慮なく備えのコップに水を汲む。
娘を起こさないように注意しつつ、優しい手つきで小さな歯を磨いた。まだ生えそろっていない歯も、これから生えてくる。
出来る事なら、そうなっていく姿をリュカと一緒に見ていたいと思う。
もう少しの辛抱ですからね、タバサ。すぐに、貴女のお父様に会わせてあげますから。
アリスは、何となく予感があった。何よりも愛おしい彼と会える日は、そう遠くはないのではないかと。
あの占いババの影響かもしれない。三つのリングを求めていれば、リュカに会えるという予言だ。本当に、その通りであった。
――――ラーの鏡を甦らせるには、炎のリングと水のリングが必要である、と。これは、リディアからの調査の結果であるのだから。
・・・・・・まあ、ある意味ではそれが目の前で他の人間に渡ってしまうかもしれないという事に関しては、まだ問題が残っているということでもあるのだが。
だが、その辺りは自分の苦労だ。どうにかこちらの事情を話して、一時的に借り受けるという形に持っていくしかない。出来れば、どうにか理解のある男性がフローラの婿になってくれるといいのだが。
「んあ・・・・・・まぁま?」
「あ、ごめんなさいね。タバサ」
「んあ」
どうやら、起こしてしまったらしい。目をショボショボと擦り、欠伸を一つ。
朝と勘違いしているのか上半身だけ起き上がり、衣服の上着を脱ぎ始める。
「?」
そこで、着ている服がいつもの寝間着でないことに気がつくタバサ。何で私、この格好で寝ていたのといわんばかりに母親を見上げる。
アリスはそっと、愛しい我が子を抱く。
「何でもないんですよ。さあ、長い旅で疲れてしまったのでしょう? 今から、お母さんとお風呂に入りましょうか。着替えは、ちゃんと持ってきていますから」
「お、ふろ」
ようやくハッキリと言葉を言えた娘。それだけでも、つい笑みが深まってしまうことが分かる。
ほら、こっちです。娘の小さな手を引いて、風呂場へと向かう。その姿は、母親としての貫禄が身についている立派な背中であった。
明日は、きっと忙しくなるだろう。だからこそ、今だけはゆっくりと身体を休めたい。勿論、最愛の娘と一緒に。
思わぬ事で一夜を過ごすことになった、友人の実家。その風呂場では、娘の楽しそうな声が鳴り響く。
微笑ましい声は、客室の外で待機しているメイドや執事にも。
上の階で、ワインを片手に久しぶりの自室を満喫しているデボラにも。
下の広間で、久しぶりに団らんの一時を過ごしているルドマン夫妻とフローラにも。
――――きっと、聞こえているはずだ。
そして、次の日の朝。一つの騒ぎが起きる。
フローラの幼馴染みであるアンディが、行方不明になったという。
つづく
三階の部屋
デボラ「・・・・・・子供がしていることだから大目に見ておいてあげるけど、もう少し静かにはしゃげないのかしら。アリスも苦労しているでしょうね」
ブラウン「い、椅子にされている僕は無視ですか・・・・・・大親分様・・・・・・」
デボラ「は? 椅子が喋るんじゃないわよ。言っとくけど、あんたの制裁はまだ終わっていないんだからね」
ブラウン「ひぃ!」
ルドマン邸の庭
スラリン「ZZZ」
プリズン「ZZZ」
飼い犬のリリアン「ZZZ」