DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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拒絶

 

 

 

 

 ――――数時間前。

 

 

 

 

「アリス様・・・・・・アリス様」

 

 定期船の職員が、船着き場に設置されているカウンター越しに客の名前を呼んだ。船員も兼ねているのか、肌は健康的に焼けている。

 

 若い女性が小さな子供の手を引きながら、カウンターへやってきた。この辺りでは見ない顔のせいか、他の客が珍しそうに視線を投げかけてくる。特に男性の視線が多かった。

 

「ありがとうございます」

 

 アリスは淡い笑みを浮かべ、職員から乗船券を受け取る。まだ若いその男性は、僅かに照れたような愛想笑いを浮かべた。

 

「そちらの魔物達は、旅のお供ですか?」

 

「はい。人に友好的な、とても頼もしい仲間達です」

 

「うあ」

 

 言葉のどこかに反応したのか、まだ舌足らずな子供が声を出す。なんとも微笑ましい親子のようだ。

 

 だが、職員の男はどうしても女性の事が気になるらしい。椅子に腰掛けたまま、アリスを見上げている。

 

 上質なローブを身につけ、銀色の髪には同じ色の髪飾り。清楚な香りが漂いそうな立ち振る舞いに、とても似合っていた。極めて整った容姿は相手に知的な印象を抱かせ、柔らかそうな唇も魅力的に映る。

 

「あの、何か?」

 

「いえいえ。お元気そうなお子さんを持って、幸せそうですね」

 

 職員は名残惜しそうにアリスを見ると、会話を終わらせる。彼女もまた、それ以上は何も言わずに仲間達を連れて船に乗り込んでいった。

 

 幸せそう、ですか。本当にそう思えるようになるには、もう少しだけかかるでしょうね。

 

 実際、自分は恵まれているとアリスは思う。世界で誰よりも愛おしい一人娘のタバサ。苦楽を共にした友人のフローラにデボラ。理解ある修道院の人々に、旅を共にする仲間の魔物達。

 

「わあ。僕、船に乗るの初めて」

 

「ニ、ニャアゴ・・・・・・」

 

 スライム特有の身体をピョンピョンと跳ねながら、スラリンがはしゃぐ。プリズンは船の揺れが気になるのか、少しだけおっかなびっくりに身体を震わせていた。

 

「人間って凄いよね。水の上を走れる乗り物を作っちゃうなんて」

 

「うあうん」

 

「うわ、ちょっと。ご主人っ」

 

 ブラウンにトコトコと近寄り、後ろから乗りかかっていくタバサ。ワタワタする部下に構わず、楽しそうに覆い被さろうとする。

 

「もう、タバサ。ブラウンが困っているではありませんか。はしたないから止めなさい」

 

「やぁ」

 

 誰に似たのか、とは言うまでもない。アリスとブラウンは声に出さずに思った。一人と一体の脳裏には、どこまでも我が道を行くお嬢様の高笑いが鳴り響いていたのだから。

 

 周囲の船客からは、そんなやり取りをクスクスと可笑しそうに見られていた。アリスは赤面しそうになるが、自分達に集まっている視線は微笑ましいものを見ているような、和んでいる時のそれであった。

 

 まったく、退屈のしない旅である。飽きることなど欠片も考えられない。

 

 それでも、と思う。アリスにとっては足りない。たった一人が、足りないのだ。

 

「リュカ・・・・・・」

 

 誰に聞こえるでもない声が、アリスの唇から囁かれる。潮の混じりがない涼しい風は、彼女が乗る船を通り抜けて大陸へと運ばれていった。

 

 ――――ああ、いけません。また、物思いに耽ってしまいそうになりました・・・・・・

 

 アリスは頬にかかった銀色の髪を、そっと指でかき上げた。気を持ち直すときの、彼女の癖なのである。

 

 本当に、少しだけ疲れているのかもしれない。火山へ行った疲労が残っているのだろう。

 

 船は進んでいく。船着き場が見えてきた頃、緑が溢れる土地もまた広がっていった。

 

 その地平が盛り上がった山の麓。自然に囲まれた中に、確かに人が暮らしている村が見える。あれが目的地の村か。

 

「あそこは名前もない村なんだよ。だけど、温泉が湧いているから旅人の出入りが多いんだ」

 

 そのうち、船客の一人がアリスに近寄って、丁寧に教えてくれる。先程から彼女を興味深く見ていた男性だ。

 

 話をしている緊張のせいか、相手は少しだけドギマギして説明を続ける。スマートな二十を過ぎた頃の男性だったが、アリスが言葉を返すたびに少年のような顔になった。

 

 アリス自身には全く自覚はないものの、彼女を前にした男性は殆どの者が純情な少年の顔になる。そして、憧れの同年代の少女を見るような目になるのだ。

 

 それも無理はない。アリスは小造りの楚々とした美貌の持ち主である。アーモンド型の目に、スッと通った鼻。唇は小さく、頬や顎のラインはすっきりしていた。可愛いというよりは綺麗という形容が当てはまる美人で、総じてクールで個性的に見える。

 

 まして、今の彼女は子がいるのだ。それがかえって、大人としての色香と振る舞いを強調していた。たとえ彼女が正式な既婚者であったとしても、人によっては諦めずに口説こうと考える者も出てくるだろう。

 

 そして、ここにも。

 

「それでさ。よかったら、俺と一緒に村を回ってみないか? あの村だったら、俺の方が詳しいから・・・・・・」

 

「はい、そこまで」

 

「あ? 何だよ」

 

 明らかに下心が混じった男の声に被さったのは、年若い女性のものであった。男性は女性の顔を不機嫌そうに一瞥しようとして、慌てて顔を背ける。

 

 どうしたというのだろう。さっきまで無遠慮な姿勢すら見せていた男が、この女性を見た途端に苦々しい顔をしていた。

 

「村娘のナンパ目的で、村に来られたって迷惑よ。貴方は船を降りずに、大人しくサラボナに帰った方がいいわね」

 

「んだよ。顔を見れば邪魔ばかりしてきやがって・・・・・・」

 

「帰った方がいいって言ったの。村のナンシーの事、もう忘れたのかしら?」

 

「ちっ。あの時は、ちょっと口をきいただけじゃねえか。そっちが早合点して、食って掛かったんだろ?」

 

「ナンシーが言っていたわよ。腕を掴まれて、帰してくれなかったって」

 

 大袈裟だ、と呟きながら男はその場から離れていった。自然と、女性に船客の視線が集まる。

 

 彼女自身はそんなものを気にも留めず、アリスに声をかけてくれた。

 

「大丈夫? あいつ、村によくやってくるのよ。私たちのことを田舎の娘と思って、軽く見ているのよね」

 

「そ、そうでしたか・・・・・・ナンパ目的だったとは、正直気づきませんでした」

 

「あら、意外ね。貴女、綺麗な人だと思っていたから、よく声をかけられて迷惑しているのかと思っていたのよ」

 

「い、いえ。そんな」

 

 さらりと言われて、アリスは女性相手だというのに顔を赤くしてしまった。思わず、無意識に言葉が出てしまう。

 

「むしろ、声をかけられるほど素敵なのは貴女の方だとばかり」

 

「・・・・・・えっと。それ、お返しのつもりなの?」

 

「あ・・・・・・いえ、そんな意図は全くないのですが?」

 

 お互いが、顔を赤くしながらワタワタと手を振る。何をやっているのだ、自分達は、お互いに初対面の筈なのに。

 

 実際、目の前の彼女は本当に美しい女性であった。真新しい金貨のように輝いたまとめ髪に、スミレのような色の瞳。年代は自分と同じほどだろうか。

 

 僅かに日焼けしている肌は健康的で、活発な印象の中に大人の女性らしい余裕がある。どうやら、話を聞く限りではあの村の出身らしい。

 

「・・・・・・あの」

 

「はい?」

 

 アリスは、つい声に出してしまった。何を言うべきかも定まらないままだったので、他ならぬ彼女自身が動揺してしまう。

 

 自分は今、彼女に何を言おうとしていたのだろうか。少しだけ間を開けると、アリスは思いきって訊いてみることにした。

 

「私の勘違いなのかもしれませんが・・・・・・以前、どこかでお会いしたことがありませんか?」

 

 そう。訊きたかったのはそれだ。彼女は、どういうわけか初めて会った気がしない。むしろ、どこか懐かしい感じさえする。

 

「えっ? えっと・・・・・・ごめんなさい。ちょっと、覚えはないわね」

 

 言われ、彼女はしばらく記憶の糸を辿ったらしいが、結局思い当たる節はないらしい。そうですか、とアリスは目を伏せる。

 

 そこで、ふと思い出す。思えば当たり前の事だった。かつて自分を知っていた人間は、誰一人として自分を覚えていないはずなのだ。もし、仮に過去で彼女と出会ったことがあるにしても、彼女自身はその事が無かったことになっているのだから。

 

「いえ、申し訳ありませんでした。私の記憶違いだったようです」

 

 いけない。ついその事実を忘れそうになってしまう。近頃は過去の記憶が消えていても自分を受け入れてくれる人に恵まれていたせいか、気を緩めてしまったのかもしれない。

 

 ともあれ、いつまでも狼狽えていても仕方がないだろう。船が到着して早々に、二人は揃って陸に足を踏み入れることにした。

 

 すぐ傍には、川を全てせき止められるほどの水門が設置されている。ここが水の流れを管理していると同時に、船着き場の目印ということなのだろう。現に、水門の壁に隣接するように操作用の小屋が建てられている。

 

「あの水門は、私たちの村が管理しているのよ。この先は大きな滝と湖があるから、時折川の水量を調整しないといけないの」

 

 他の船客が船から下りているのを眺めていると、女性が解説をしてくれた。

 

「そうでしたか。滝というのは、もしかしてルラフェンの西にある滝のことでしょうか?」

 

 あの滝なら、水を司るリングがあるという話もうなずける。今、水門は開いているところを見ると、アンディが滝の洞窟へ向かうために開けてもらったのだろう。

 

「そうよ。あの辺りを知っているのね」

 

「はい。実は所用で、あの滝の上を通過した経験があるのです」

 

 思い出すのは、ヘンリーやマリアと共にルラムーン草を取りに行った頃。あれから、もう二年にもなるのか。

 

 ベネット師は元気にしているだろうか。最後に会ったのは生まれたばかりのタバサを抱えて、顔を見せに行った時だ。

 

 あの時の溶けたような顔は、今でも忘れられない。まるで本当の孫のように抱きかかえていた。どんな貴重な研究材料よりも大事そうに、慎重に。

 

 今のタバサは、こうして自分の足で立っている。親の手がまだまだ恋しい歳なのだろうが、いつか自分に背を向けて歩いていく日が来るのだろう。その時は、ベネットおじいちゃんとでも呼んであげて欲しいと思う。

 

「あの辺りは人里が無い筈だけど・・・・・・何か用事でもあったのかしら?」

 

「はい。魔道の素材が必要でしたので」

 

「あら、研究者だったのね。私と同じくらいに見えるけれど、学者の卵ってところなのかな?」

 

「そうですね。ですが、まだまだ私の師には及びません。結果は出しているつもりなのですが、やはり年期の差は埋めがたいのです」

 

 それに、とアリスは続ける。

 

「むしろ、貴女様の方もかなりの魔力をお持ちなのでは?」

 

「・・・・・・へえ。そういうの、分かるのね」

 

「ふふ。良き師匠の元で修行をしておりますので」

 

「アリスさんって、今は誰も使わない魔法とかも出来るんだよ」

 

 スラリンが補足するように言ってくる。仲間モンスター達は、さっきからアリスと女性の周りをクルクル回っているので忙しい。

 

「誰も使わない魔法・・・・・・それって、どこかの学会で発表したら大騒ぎになるわね」

 

「貴女も、やろうと思えば出来ると思いますよ」

 

 お世辞ではない。事実、彼女から感じられる魔力はかなりのレベルである。少なくとも、この辺りの魔物なら一人でも問題なく倒せるだろう。

 

 今のアリスは、ある程度のレベルの魔力保有者を肌で感じ取ることが出来る。この領域に至っている者は、既に一国の宮廷魔道士に合格できるレベルなのだが、あいにくと彼女はそういった地位を目指してはいない。

 

 一方で、女性もまたアリスの賢者としてのレベルに舌を巻いていた。己も病気持ちの父親を守るために自己鍛錬を欠かしてはいないつもりだったのだが、正直なところ、初対面の人間にここまで見抜かれるとは思ってはいなかったのだ。

 

 その後は他愛もない話をしながら、他の客人と共に山道を進んでいく。山道といっても、ある程度道路が整備されており、起伏の少ない場所を進むことが出来た。

 

 やがて深い森の中へ足を踏み入れる。歩いている他の者達から感嘆の声が漏れた。野鳥や木々のざわめきが自然を感じさせてくれるのだ。

 

 来訪者のためにいくつかの立て札があるので、たとえ子供が一人で入ったとしても、迷うことはないのだろう。踏み固められた道を、一行は歩き続けた。

 

 途中で、腕に抱えられているタバサが空を指さした。珍しい野鳥を見て、はしゃいでいるのだろう。

 

「あら、タバサ。歩きたくなったのですか?」

 

「あるう、ある」

 

 歩く、と言いたいらしい。アリスはそっと娘を下ろす。早速、拙い走りで近くの木々へ駆け寄った。

 

 大きな樹木の幹にへばりつくと、手を上に伸ばす。だが、勿論枝に乗っている野鳥にまで届くはずもない。懸命にうんうん唸りながら野鳥に触れようとする姿は、見ている者を和ませる。

 

「あ、手が届かないんだね。僕に任せて」

 

 ブラウンがタバサの身体をヒョイと掲げると、自分の頭の上に乗せる。頭の上というよりは、肩車をさせたという方が正しいが。

 

「んい、んい」

 

 しかし、もちろんそれで遙か上の枝で羽を休めている野鳥にまで届くはずもない。タバサが手を伸ばしても、全く変わらなかった。

 

「ほら、がんばって。ご主人様」

 

 頑張っても無理なものは無理です。アリスは、つい声に出して言ってしまいそうになる。プリズンは暇そうに前足をペロペロと舐めていた。

 

「なんだか楽しそうね。あの子、いったい幾つなの?」

 

「三ヶ月前に、一歳になりましたよ。言葉も良く覚えてくれて、こちらも毎日が楽しみなのです」

 

「あ、そうだったの。実は私の息子も今月で一歳になったばかりなのよ」

 

「息子さんがいらっしゃったのですね。何だか、貴女とは他人と思えません」

 

 驚いた。偶然意気投合した女性に、自分と同い年の子供がいたとは。

 

「ええ。今からやんちゃに育っちゃって。元気なのは良いことなんだけどね」

 

「ふふ。でも、可愛いのでは?」

 

「もちろん。将来は、絶対に格好いい男に育つわ」

 

 二人そろって、クスクスと笑う。何だか、この人とは気が合いそうだとお互いが思う。同年代の子供がいることにも共感できた。

 

「あいっ」

 

 と、声が聞こえた。見れば、ブラウンから降りたタバサが、樹木の下で尻餅をついている。どうやら、盛り上がっている木の根っこに躓いてしまったらしい。

 

 オロオロしている仲間達を尻目に、アリスは心配そうに駆け寄った。

 

「ああ、タバサ。大丈夫ですか?」

 

「ふえええっ、まあぁ・・・・・・」

 

 瞳を潤ませて見上げているタバサ。どうやらお尻ではなく、地面に手を突いた時の痛みの方が強いらしい。

 

「大丈夫なの?」

 

 女性も気遣うように近寄ってくる。アリスは心配そうな視線を向けつつ、タバサの小さな手をそっと取る。

 

「ほらほら、大丈夫ですよ。いたくない、いたくない」

 

「うええ」

 

 穏やかに声をかけながらも、まだ泣き止まない。アリスは娘の手を撫でると、まるで何かを放り投げるような仕草をする。

 

「はい。いたいのいたいの、とんでけ」

 

「んう・・・・・・」

 

 ほんの少しだけ未練がましく声を出すと、タバサはそれっきり泣き止む。アリスはホッと安堵した。

 

「あ、それ私もやるのよ。うちの子は意味が分かっていないみたいで、全然泣き止んでくれなくて」

 

「子供は物覚えが早いものですよ。すぐに分かってくれるはずです」

 

 アリスに抱っこされたタバサは、懐くように母親の首に手を回した。ポンポンと背中を叩いて返事をしてあげる。

 

 ふと気づくと、他の村へ向かう者達はとうに先へ行っていた。いけない。こんな所で足を止めている場合ではなかった。

 

 別にグループで村へ向かっているわけではないのだが、何となく置き去りにされたような気がしてしまう。二人は心持ち早めに足を動かした。

 

「ああっと、忘れるところだったわ。良ければ、貴女の名前を聞かせてもらえる?」

 

 女性が、今思い出したように訊いてきた。今それを訊くのだろうかと思いかけたが、遠目にはもう村の入り口らしい畑が広がっているのが見える。村へ着いたら、場合によってはもう会えなくなるかもしれない。

 

 せっかく友達になれそうな人なのだ。自己紹介は今のうちにしていた方が良いだろう。

 

「私はアリスと申します。かつては修道院出身のシスターでしたが、今はサンタローズで教師をしております。この子はタバサですよ」

 

「え・・・・・・サンタローズ?」

 

 女性の表情が驚きに変わる。他の一行が村に入っていくのを尻目に、彼女は足を止めた。自然と、アリスも同じようにその場に留まってしまう。

 

「はい。何か?」

 

「・・・・・・ううん、何でもないわ。実は、夫の故郷も実はサンタローズなの」

 

「それは・・・・・・偶然ですね」

 

 アリスは少しだけ嬉しくなる。まさか、こんな所でも共通点があるなんて。

 

「それよりも、アリス・・・・・・ね。こっちには、やっぱり温泉のため?」

 

「はい。サラボナの友人が勧めてくれたのです。疲れが取れるという話で」

 

「そうね。さっきの人達みたいに、遠くからわざわざやってくることもあるわ。温泉は場所を選べないから、こんな山奥にあるけれど・・・・・・正直、こうして人の出入りが多いのは助かっているかな」

 

「開放的な村なのですね」

 

「ええ。私も七年くらい前に父さんの身体が悪くなったから、ここに引っ越してきたのよ。自然が多くて過ごしやすいし、サラボナからの定期船もあるから生活には困っていないわね」

 

 そこで、ハッとする女性。

 

「あ、ごめんなさい。まだ私の名前を言っていなかったわね。私は――――ビアンカっていうの」

 

「――――」

 

 ビアンカ。それは、忘れるはずもない自分の幼馴染みの名前。彼女はこの山奥の村で、父を支えながら毎日を生活していた。

 

 道理で初めて会った気がしなかったわけだ。彼女の美しい金の髪や、気丈ながらも優しい瞳は今も変わっていないというのに。

 

 息を呑むアリスに不思議そうな顔をするビアンカ。何だろう。初対面の人が、自分の名前にどうしてこんな反応をするのだろうか。

 

「・・・・・・アリスさん。何か?」

 

「い・・・・・・いいえ。失礼致しました。知人によく名前が似ていたものですから」

 

 そう、絞り出すような声が出てしまうアリス。これでもかなり平静を装ったつもりなのだが、やはり動揺は隠せなかった。

 

 危ない。辛うじて踏みとどまることが出来た。アリスはどうにか心を落ち着けるように努める。

 

 そう。動揺してはいけない。自分はもう、一度この世界から無かったことにされているのだから。それでも、感激の気持ちだけはどうしても抑えられそうになかった。

 

 ――――ビアンカ・・・・・・こうして会うことが出来て、本当に嬉しいです。

 

「あの、本当に大丈夫ですか? もしかして、貴女って私と会ったことが・・・・・・」

 

「ああ、まんまぁ」

 

 と、まるで女性の声を遮るかのようなタイミングで、子供の舌っ足らずな声が割り込んでくる。

 

 その声がタバサのものではないと分かったのは、声を発した男の子が村の入り口から駆け寄ってきたからだ。まだ歩き始めたばかりのような足取りで、ビアンカへと近寄る。

 

「レックス!」

 

 彼女が驚き、慌てて子供を抱き上げた。ビアンカの温もりが恋しいのか彼女の首に抱きつく。二人の母親は、図らずも同じ格好になった。

 

 レックス。それが、ビアンカの息子の名前らしい。

 

「ああ。その子が、ビアンカ・・・・・・さんの?」

 

 つい、昔のように呼び捨てにしそうになるのを堪える。幸いにも、ビアンカに聞かれることはなかった。

 

「もう、危ないでしょ。家にはお父さんもあの人もいるのに。何をやっていたのかしら?」

 

 先程アリスがしていたように息子の背を叩く。そこで――――

 

 

 

 

「ビアンカ!」

 

 

 

 

 不意に聞こえた、澄んでいる男性の声。アリスは、反射的に顔を向ける。

 

 そこには、彼がいた。

 

 アリスが再会を望んで止まなかった、彼女の恋人。そして、タバサの父親。最愛の男性と、時を超えてもう一度出会う願い。それが今、この瞬間に叶えられた。

 

 一瞬のうちに、涙がこみ上げてくる。もう一度会いたい。それこそが、彼女の心の支えであった。あの時と変わらない、タバサに受け継がれた黒曜石の瞳。鍛えられた腕に、忘れようのない笑顔。

 

「リ――――」

 

「リュカ。もう、どこに行っていたのよ?」

 

 思わず駆け寄ろうとした足は、自然体なビアンカの声に遮られる。彼女はまるで、それが当然と言わんばかりにリュカの傍へ歩み寄ったのだ。

 

「え・・・・・・あ」

 

 目の前の光景に、思わず足が止まった。これは、一体どういう事なのか。

 

 ビアンカとリュカが仲睦まじいのは良い。幼馴染みなのだから当然だ。だが、明らかに二人の空気は――――

 

 混乱する脳内で、アリスは思い出す。この場へ来た彼が、誰の名を真っ先に呼んでいたのかを。

 

「ごめん。レックスが君の姿を見かけたみたいでさ。せっかく二人で迎えるつもりだったのに」

 

「もう。しっかりしてって、いつも言っているじゃない。ただでさえレックスの悪戯にオロオロしているんだから」

 

「だって、ビアンカのようには出来ないよ。レックスはビアンカの言うことだけは素直に聞くんだから」

 

「子供に甘く見られてたら、この先やっていけないわよ。もっとお父さんとしての自覚を持ってね」

 

 お父さん。レックスの父がリュカ。アリスの耳に届いた言葉は、彼女にとってあまりにも衝撃的であった。思わず、頭を殴られたような錯覚を受ける。

 

「そんな・・・・・・」

 

 リュカは、結婚していたのだ。ビアンカと出会い、子供も生まれて。

 

 だけど、何故?

 

 リュカは、私に会おうとは思っていなかったという事なのだろうか。もう会えないと見切りを付け、新たに再会したビアンカに思いを寄せてしまった、と?

 

 違う。そんなはずがない。リュカという男は、決して思い人を簡単に切り替えられるような、そんな軽薄な男ではない。

 

 アリスの渦巻くような疑問の羅列には答えが出ないまま、目の前の三人は話を続けている。

 

「ところで、どうしたんだい。こんな所で」

 

「あ、そうだったわね」

 

 ビアンカは、ここでようやくアリスの存在を思い出したらしい。すまなそうな視線を向けつつも、アリスを紹介する。

 

「実は、この人と知り合いになったのよ」

 

 手で指し示され、リュカはアリスと目が合う。内心がどうであろうとも、心を落ち着かせてくれるような視線は、忘れるはずもない記憶の中のものと全く変わっていなかった。

 

 だが、それと同時にアリスに向ける視線の意味は――――

 

「初めまして。ビアンカの夫のリュカです」

 

 ――――赤の他人に向けるそれと、全く同じであった。

 

 フラリと、身体が倒れかかる。

 

 何かの間違いであって欲しい。夫は別にいて、彼はたまたま子供の面倒を見ていただけであって欲しい。そんな都合の良い、縋り付きたくなるような期待が完全に砕かれた。

 

「リュカ・・・・・・」

 

「はい。僕の名前はリュカですが」

 

 困ったように名前を繰り返す彼。一方で、アリスの顔から血の気が引いていく。

 

 なんということだ。たとえ他の誰かが忘れていたとしても、彼だけは自分のことを覚えてくれていると信じていたというのに。

 

 つまり、彼もまた・・・・・・ジゼル達と同じように?

 

「・・・・・・?」

 

 なに、この様子?

 

 一方で傍から見ていたビアンカは、この場の空気の変化に眉根を寄せる。アリスの震える唇から発せられた言葉は、辛うじて三人の耳に届いた。

 

「私は・・・・・・アリスです。ここには、友人から紹介されまして・・・・・・」

 

「――――そう。アリスって言うんだね。これからも、僕の妻と仲良くしてあげて欲しい」

 

 胸に、鋭い何かが食い込んだ。血のような何かが噴き出し、大切にしていたモノが流れ落ちていく。

 

 今はもう、アリスにとってリュカの笑顔と言葉こそが、己の心を貫く槍そのものであった。

 

 そうだ。二人はもう、結婚をしている。最愛のリュカと、大切な幼馴染みのビアンカが。

 

 ――――お互いを伴侶として認め合うことを、神に誓った。

 

 かつて、シスターとして生きていた時代。その最中で、あらゆる男女が結ばれた後ろ姿を見送った記憶が脳裏に過ぎる。そう、ヘンリーとマリアのように。

 

 いつ、二人は共に歩むことを神に誓ったのだろう。自分がリュカを探している間か。それともタバサを出産している間か。全く分からない。だけど一つだけ言えることは、二人には既に愛の結晶が新しく誕生しているのだ。

 

 だから、つまり。たとえラーの鏡を甦らせたところで。記憶が戻ったところで。

 

 リュカは、私とは・・・・・・

 

 

 

 

「リュカ・・・・・・貴方だけは、私を覚えていて欲しかった・・・・・・!」

 

 

 

 

 その訴えは、無意識に出たものであった。自分でも驚くほど、大きい声が出てしまう。

 

 抱かれているタバサが目を瞬かせ、仲間のモンスター達は目がまん丸になっていた。

 

「えっ・・・・・・?」

 

 当然、初対面と認識しているリュカも、名前を呼ばれたことで動揺した。その自分に向ける表情を見て、アリスは我に返る。

 

「あ・・・・・・!」

 

 頭が真っ白になったアリスは、反射的に口を手で押さえた。だが、もう遅い。

 

 それは口にしてはならない言葉であった。だから、ずっと堪えていたというのに。

 

「・・・・・・ちょっと」

 

 そこまでが、リュカの前に出てきた彼女の限界だったらしい。先程までの友好的な視線は既に無く、疑念の視線がアリスに向けられる。

 

 当然だ。ビアンカからすれば、初対面の女性が突然自分の夫に対して、訳の分からないことで詰め寄ってきたのだから。

 

「夫のリュカに、何か用でも?」

 

 その他人行儀に戻った静かな声に、アリスは自分の背中がじっとりと汗をかいていることが分かる。

 

 ビアンカがリュカを、リュカがレックスをそれぞれ庇い、そして不審の目を向けている相手がアリス。

 

 風が寒く感じる。元々山奥の村なので空気が澄んでいるせいもあるのだろうが、この時ばかりは溶けかけた氷のように冷えていた。木々が揺れる音が、どこか遠い。

 

 言葉を探そうと必死になっているアリスに、ビアンカは言葉を続けた。妻として、夫に近づこうとする女性は見過ごせないからだ。

 

「貴女は・・・・・・誰なんですか。本当に、ここには温泉が目的で?」

 

「あ・・・・・・それは本当に温泉、ですが・・・・・・彼がこの村にいるとは、知らなかったもので」

 

 こうなってしまえば、認める以外にはない。アリスは、リュカと初対面ではないと。

 

 ビアンカは少しだけ考え、それは本当なのだろうと感じた。どういう事情かは知らないが、少なくともアリスは冷静とは程遠い心理状態なのは確かだ。嘘をつける余裕などあるはずもない。

 

「そうですか。そこは信じます。では――――もう一度分かりやすく訊いてあげる」

 

 再び口調が変わるビアンカ。言い逃れは許さない、という意思の表れだ。

 

「貴女は、リュカの事を知っているわね。リュカとはどういう関係?」

 

 来た。ビアンカにとって、一番ハッキリさせなければいけない質問。だが、今度ばかりはアリスとて怯むわけにはいかなかった。

 

 言うべきだ。たとえ今、彼が他の女性と結ばれていようとも。

 

 言わなければ。それが真実だというのなら、そうと伝えなければ。

 

 言いたい。今のリュカが、再び自分を見てくれる可能性が僅かでも生まれるのなら。

 

「――――私、は」

 

 俯いていた状態から、顔を上げる。アリスは、自分こそがリュカの恋人であると。そして、タバサの父親がリュカなのだと伝えようと、口を開いた。

 

 ただ、その刹那。

 

 ――――

 

 リュカの後ろに隠れながら、こちらに視線を投げかけている存在と――――目が合った。

 

 そこで、今度こそ冷静になるアリス。彼女の心に浮かんだのは焦りや焦燥でもなく、ただの恥。

 

 何をしているのでしょうか、私は。何も知らない子供の前で、こんな話を切り出すとは・・・・・・

 

 目の前にいるレックスと呼ばれた少年は、不思議そうに自分を見ているだけ。その視線こそが、アリスの思考を正常に戻したのだ。

 

「――――まず、こちらの事情をお話し致します。ただ、そのためにも場所を変えさせていただけないでしょうか?」

 

「・・・・・・」

 

 そう言われ、ビアンカも少しだけ頭が冷える。確かに、込み入った話になりそうだ。子供に聞かせる話ではないだろう。

 

「・・・・・・分かったわ。それじゃあ、私の家に来て」

 

 ビアンカはレックスを抱えているリュカの手を取って、村の中へと入っていく。アリスはやや遅れつつも、後を追う。

 

「おお、ビアンカちゃん。この前採れたミカンはどうだった?」

 

「ガンさん。とても美味しかったですよ。特にレックスが何個も食べちゃって」

 

「ビアンカさん。また今度、そっちの仕事に行くから」

 

「無理しなくて良いんですよ。あれでしたらリュカと一緒に出来ていますから」

 

 目の前の一家は、途中の畑仕事に精を出している男性や、散歩中の女性からも気さくに挨拶をされていた。この村では特に慕われているのだろう。

 

 途中の宿屋が目に入る。すぐ隣の大岩が囲みを作っているが、その奥が温泉だ。硫黄の香りと共に、白い湯気が空へ上っている。

 

「温泉が気になるんだったら、先に受付でも済ませておく?」

 

「いえ・・・・・・」

 

 どこか挑発的に聞こえるビアンカの言葉にも、アリスは否定の意だけを見せる。彼女にとって、アリスは半ば得体の知れない敵のようにも見えていることだろう。

 

 それでも、ビアンカは本当に優しい女性だと思った。人によっては今の時点で自分を拒絶しているだろうに、彼女はわざわざ家に案内してまでこちらの話を聞こうとしてくれている。こういう所は、昔と変わっていないらしい。

 

 グッと、拳を一度だけ強く握る。しっかりしなさい。今は、リュカ達に事情を説明するのが先でしょう。

 

 やがてたどり着いたのは、村の奥に位置するログハウス。まだ新築らしく、この辺りから見える民家の中では一番立派に見える。軒下が高く造られており、人が余裕でくぐれるスペースがあった。

 

「ただいま」

 

 ビアンカがドアを開けると、中から返事が聞こえた。リュカ、レックスと続き、最後にアリスが入る。

 

 玄関の先には、やや小太りの中年男性が大きなテーブルのある部屋の椅子に腰掛けている。記憶の奥にある顔だ。

 

 ビアンカの父であるダンカン。在りし日の姿よりも眉や髭が白くなっている。こんな時でもなければ懐かしさと再会に涙が溢れていたのかもしれない。

 

「やあ、おかえり。レックスがビアンカに会いたかったらしくてね。リュカ君、何か迷惑をかけなかったかい?」

 

「いえ。すぐにビアンカを見つけたみたいで」

 

「そうか。それならよかった・・・・・・おや、お客さんかい?」

 

 そこで、アリスの存在に気づく。彼女はスカートを摘まみ、そっと頭を下げた。

 

「失礼致しました。アリスと申します」

 

「おお、礼儀正しいお嬢さんだ。もしかして、何処かの貴族の娘さんかな?」

 

「元シスターです」

 

 事実だけを告げておく。素っ気なく聞こえてしまったかもしれないが、ダンカンは特に気にした様子もない。

 

「ふうむ。見ない顔だが、何かこの村に御用かな。もしかして、水門のことかな?」

 

 水門。それは、船着き場から見えた、あの水門のことか。この村で管理しているという話であったが。

 

「違うわよ、父さん。この人は、ちょっと私たちと話があって来たの」

 

「そうなのか。午前中にも、水門を開けて欲しいと頼まれたから、てっきりと思ったよ」

 

 きっと、それは滝の洞窟へと向かったアンディのことだろう。彼はもう、あの水門の先に向かっているのだ。

 

「それよりも、もう薬を飲む時間だから、部屋に戻ったほうがいいわよ」

 

「ああ、そういえばそうだったね」

 

 よっこらしょ、と重い腰を上げるダンカンをビアンカがそっと支えつつ、隣室の扉を開いた。しばらくしてビアンカだけが出てくると、しっかりと扉を閉めた。

 

 これで、この食卓のある部屋の中には、アリス、ビアンカ、リュカの三人だけが残された。レックスは昼寝がしたくなったらしく、自分から自室へ入っている。

 

 タバサは仲間モンスターと共に、家の外で遊んでいる。この時ばかりは、たとえ一歳の娘といえど、同じ空間にいさせるわけにはいかなかった。ブラウン達には、娘を守るように言い聞かせている。

 

 そう。ここからは、彼女達三人だけの時間だ。

 

 ビアンカに促され、椅子に腰掛けるアリス。テーブルを挟んだ反対側に、ビアンカとリュカが。

 

 自然と呼吸を整えつつ、今の状況を冷静に受け入れるアリス。これから話す内容は、誰もが受け入れられるわけではない。それは、シスター・ジゼルやアルカパの者達の件で証明済みだ。

 

 修道院の者達が信じてくれたのは、あくまでも彼女達が神の教えを真摯に受け止めることを心がけているからこそ。人の言葉に疑念を混ぜずに受け止めてくれたから。

 

 では、ビアンカとリュカは?

 

 二人は間違いなく善良な人間で、大切な幼馴染みと愛しい男性。しかし、今の二人の中に自分の存在は消えてしまっている。

 

「ご配慮を感謝致します、ビアンカさん。それでは、私のことをお話ししたいと思います」

 

 それでも――――アリスは思う。自分だけは、二人の事を覚えている。

 

 たとえ誰が忘れても、自分だけはあのアルカパで笑って走り回っていた日々を、確かに覚えている。

 

 彼女は、語り始めた。

 

 最後まで、語った。

 

 それは――――今の世界では消え去ってしまった事実。

 

 あの美しい村の中で、少女は確かに少年と出会っていたと。そして、滅びを迎えた城の無念の声を、新たに出会った少女と共に救いあげたのだと。そして世界に春を取り戻し、少女と少年は一時の別れを経験したと。

 

 そして、ラインハットで起きた、己の運命が大きく折れ曲がる出来事。

 

 滅びの世界。

 

 リュカとの再会。

 

 懸命に生き続けた、二人だけの八年間。

 

 山と同じほどの巨大な魔物、ブオーンの襲来。

 

 そして、この世界への帰還。

 

「ずっと、世界中を探していたのですよ、リュカ。あのサンタローズにあった、貴方の家も買い取っています。いつか、またあの村で暮らせるように」

 

 時間は過ぎていく。それでも、アリスの話は終わらない。あまりにも伝えるべき事や、知って欲しい想いがありすぎて。

 

「正直なところ、ビアンカさんと結婚の儀を済ませていたことは、本当に悲しいことでした」

 

 しかし。二人の愛の象徴である存在がいた。それが、レックス。

 

 新たに生まれた命がある以上、きっと今のアリス達の存在は今のリュカとビアンカにとって、迷惑になってしまうだけなのだろう。

 

 二人の夫婦の仲に割り込む気が無いというのなら、そもそもこんな事実など教えなければよかった。墓まで持っていけばよかったのだ。こうして家に誘われる前に、リュカの事は知り合いに似ていただけとでも言って、早々に温泉にでも向かっていれば。

 

 だが、あの時・・・・・・それをするにはアリスの心はあまりにも乱れすぎていた。二年越しに出会うことが出来たリュカを前にして、とてもそんな対応など思いつくことすら出来なかったのだから。

 

「リュカ」

 

 全てを話し終わった後。静かに、声をかけるアリス。

 

「どうか、これだけは返事を聞きたいのです」

 

「・・・・・・」

 

「私のことを、思い出していただけましたか?」

 

 誰も、言葉が出ない。あまりにも受け入れがたいことばかりだったから。

 

 両の肘をテーブルにつき、額に手の甲を当てているビアンカ。まるで、今の表情を見せまいとしているかのように。

 

 そして、表情を失っているリュカ。口を固く閉じ、アリスを見返しているだけ。

 

 沈黙は続く。空気の音すらも聞こえてくるようだった。

 

 このまま、永遠にこの空間が固まり続けていくのではないかと思われた頃。リュカは、ポツリと絞り出すような声を発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――申し訳ないけれど・・・・・・僕は、キミなんて知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界のどこか。

 

 強大な魔の力が、地下深くで燻り続ける。

 

 世界の危機は、刻一刻と大きくなっていくのだ。一人の女性の挫折など、何の関係もなく。

 

 

 

 

つづく

 

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