DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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別れへの日々

 

 

 

 

 朝焼けが照らされる頃。

 

 リュカ。ビアンカ。アリス。

 

 そして、その行方を追っていた番兵。

 

 さらに、アリスと共に古城へと赴いた神父達一行は、それぞれ帰路についた。様々な思いが頭を駆け巡っていたが、まずは自分のすべきこととして、子供達は真摯にこれまでの行いを謝罪した。

 

 一連の事情は、アルカパにたどり着いた頃にはあらましを全て話してある。そのため、リュカとビアンカは町の広場に来る頃、急いで宿屋へと走ったのだ。

 

 ただ、ビアンカだけは途中で足を止め、アリスに向かって振り向いた。その表情は、どこか後悔のような色が混じっている気がする。

 

「今回のこと、本当にごめんなさいね。アリス」

 

「何のことでしょうか?」

 

「それ」

 

 ビアンカが自分の金色のお下げを触る。つられて、アリスも自分の髪に触れようとした。

 

 しかし、指は空を切る。アリスの肩まで届いていた銀色の髪は、うなじがハッキリと見えるほどに無くなっていたのだ。言うまでもなく、親分ゴーストのギラをその身で受け止めたのが原因で。

 

 それは、リュカを庇った時。だからこそ、ビアンカはリュカの前ではその事を指摘しなかったのである。

 

「元はといえば、私たちがお化け退治なんてしたのが原因なのよね。女の子の髪だし、アリスの銀色の髪って、本当に綺麗だと思っていたし。今更遅いかと思うけれど、本当にごめんなさい」

 

「いいえ。謝らないでください。私は、本当に気にしていませんから」

 

「でも・・・・・・」

 

「レヌール城に行ったのは、私が自分で決めたことです。自分の責任なんです。ビアンカさんやリュカさんに会いたかったから」

 

 そう。2人が大人達に黙ってレヌール城へ向かった事情を知り、魔物と戦った。あの時から今に至るまで、全て自分の責任だ。

 

「だから、これは私が自分で決めた行動の結果なんです。この髪も、私の責任というだけですので」

 

「・・・・・・ありがとう」

 

「それでは、私からも。勝手に来てしまった私を、守ってくれてありがとうございました」

 

「なによ、それ」

 

 最後に、ほんの少しだけ少女達は笑うと、今度こそビアンカは自分の家へと走っていく。

 

 きっと、家に到着する頃には怒られるのだろう。アルカパを出発する前のマグダレーナの様子を見る限りでは、相当な叱責が待っているに違いない。そして、リュカも。

 

 あの2人には、心配して叱ってくれる親がいる。少しだけ羨ましいなと、アリスはぼんやりと思った。

 

 周囲には、明け方とはいえ人の姿がまばらになりつつある。何人かはすでに教会の者達がレヌール城へ向かったことを知っている者もいるらしい。若干アワアワと取り乱しながらも、神父達に事情を聞こうとしている人も見えた。

 

「ああ、もう。気持ちは分かるけれど、今は休ませてもらいたいものよね」

 

 ふと気付くと、シスター・ジゼルがアリスの傍で呆れた顔をして立っている。彼女も疲労は濃いらしく、時折あくびを堪えていた。

 

「ああ、それよりもアリス」

 

「はい」

 

「本当に今回のことは、災難だったわね。あなたは元々、派遣の奉公でこっちに来ているはずなのに」

 

「いいえ。むしろ、事の深刻さを知ることが出来て良かったと思っています。こんな事でもなければ、あのエリック様とソフィア様に、お城の方達はもしかしたら・・・・・・」

 

 今もなお、苦しみ続けていたのかも知れない。助けが来ることも無く、涙を流し続けていたのかも知れない。

 

「だからこそ、後悔だけはしたく無いんです」

 

 正しくあれ。それは、神の教えを学ぶ者として、最も初めに覚えるべき心だ。

 

「・・・・・・あなたってさ。確か、元々は浜辺の修道院出身なんだっけ」

 

「はい。それが何か?」

 

「いえ。いいのよ。それよりもアリス。髪がこんなになっちゃうなんて、災難だったわね。後でお姉さんが切ってあげる」

 

「あ、ありがとうございます。正直、どんな髪型が良いのか分からなくて」

 

「・・・・・・燃やされた事そのものに対しては何も無いところがアリスらしいわね」

 

 それ以上は何も話さず、ジゼルは町民から質問攻めにあっている神父をフォローするために歩いていく。

 

 ――――そうよね。浜辺にある“あの”修道院なら・・・・・・そりゃあ、有望な子が生まれるわけよね。

 

 そんな投げやりのような気持ちを、胸の中にしまい込んで。

 

 

 

 

 そして朝焼けの色が晴天の群青色へ変わりきった頃。

 

 リュカとビアンカは、教会の前に集まっていた。一応は関係者と言うことで、仕事用の修道服に着替えたアリスもこの場に立っている。

 

 目の前には、例のイタズラ小僧2人組。例の変わった猫は、体格の良い少年に嫌がりながらも抱えられていた。

 

「約束だから、分かっているわよね。その猫ちゃんを、こっちに渡して」

 

 ビアンカの勝ち気な言葉に、2人は顔を見合わせる。おい、どうする。しょうがないよという言葉がボソボソと聞こえた。

 

「・・・・・・わかったよ。約束だからな。ほらよ」

 

 少年が腕の力を緩めると、子猫はリュカへ飛びつくようにしがみついた。鋭い爪が衣服にちょっと引っかかってしまうが、新しい主人になった少年は嫌がることもなく腕に抱く。

 

「よかったわね、猫ちゃん。もう苛められなくなるわよ」

 

 フニャ、と目を細めて鳴く。嬉しそうなのが手に取るようにして分かった。ついビアンカ達も顔を綻ばせてしまう。

 

「あの、私もいいですか?」

 

 アリスが遠慮がちに訊いてくる。もちろんと、2人は快諾する。

 

 恐る恐る、アリスは猫の頭を小さな手で撫でる。フサフサした毛並みが心地よく、ついずっとそうしてしまいたくなってしまう。猫も心地よさそうに欠伸をした。

 

 ちなみに、アリスの髪はヴェールに覆われているので分かりづらいが、肩の上辺りで切りそろえられている。丸みのあるショートボブは、カットしたジゼルのセンスの良さを伺わせた。

 

 仮眠を取った後の朝、アリスに会ったリュカはこう考えたという。笑顔や仕草などは以前と変わらないはずなのだが、なぜか妙にビアンカよりも年上のような、知らない女性にも見えたと。

 

 それでも、3人の仲の良さは変わらない。あのお化け退治を乗り越えて、何かが彼らの間に繋がった。そんな気持ちを心の中に感じ取っているから。

 

 そして、今日。その絆の中に、一頭の動物が増えた。

 

 しばらく、3人で笑いながら猫を構う。その様子を、どこか悔しそうに見つめている少年達。

 

 頃合いを見て、体格の良い男の子は声を荒げた。

 

「おい。お前、リュカっていったよな?」

 

「え? そうだけど」

 

「お前さ、その・・・・・・ビアンカと、つ、付き合っているのか?」

 

 子供ならではの、ストレートな言葉。リュカだけでなく、隣の少年まで目を瞬かせる。

 

「え? そりゃあレヌール城まで一緒に行ったんだから、お互いに付き合ったよ。アリスだって、途中からは僕たちに付き合って一緒に戦っていたんだから」

 

「い、いや。そういう意味じゃあなくてだなぁ・・・・・・」

 

 なぜか、どう説明したものかと視線を彷徨わせる少年。顔が真っ赤なのは、言わぬが花というものだ。

 

「だ、だったら」

 

 今度は、細身の少年だ。視線を見れば一目瞭然なのだが、なぜかアリスの方を気にしている。髪を切って雰囲気が僅かだけ変わったせいもあり、彼女に向けている視線には熱のようなものが混じっていた。

 

「そこにいる、アリスちゃんの方はどう思っているんだ?」

 

 ますます首を傾げるリュカ。今度はシスター見習いの少女が瞳をパチパチと瞬かせた。

 

「さっきも言ったじゃないか。アリスだって僕たちの戦いに付き合ってくれたって。僕たち、もうすっごい友達になったんだよ」

 

「全然分かってねえ・・・・・・」

 

「凄い友達・・・・・・」

 

 がっくり。そんな書き文字が、彼らの頭に重くのしかかる。

 

 そんな2人をこれ以上は気にすることなく、3人と1匹は意気揚々とその場を去って行った。

 

 小川の橋を渡ろうというところで、ビアンカが猫の名前を考えようと提案する。

 

 確かに、ペットを飼うのなら名前をつけてあげなければ。ビアンカ達は知恵を出し合う。

 

「それなら、ゲレゲレなんてどうかしら」

 

「・・・・・・」

 

 ビアンカの口から出た名前は、何というかアレだった。リュカもアリスも、目が点になる。ついでに猫も。

 

「じ、冗談よ冗談」

 

 流石に場の空気が固まったことを悟ったビアンカは、続けて他の候補の名前をあげる。

 

「それなら、ボロンゴは?」

 

 格好良くはなったけれど、猫自身はあまりお気に召さないようだ。首を傾げ、ピンとこないという様子である。

 

 続けて、今度はアリスが口を出す。

 

「モモ・・・・・・というのはどうでしょうか?」

 

「可愛くはなったけれど、さっき確認にした限りじゃ、この子って雄よ。雌っぽい名前は却下ね」

 

 どこを、とはあえてリュカもアリスも訊かない。それは無粋というものだ。

 

「では、ソロというのは?」

 

「まともだけど、ちょっとシンプルな気がするわね」

 

「そ、そうですか・・・・・・」

 

 無念そうに俯いてしまうアリスを放って、次はリュカである。

 

「ビビンバはどうかな?」

 

「食べ物の名前をつけるのも一つの方法かも知れないけれど、流石に安直すぎないかしら」

 

 と、ここでビアンカが今思いついたというように手を拳でポンと叩いた。

 

「プックルはどう?」

 

 ふにゃあ。途端、猫がビアンカに対して返事をする。足元に寄り添って、首を足に擦りつけ始めた。

 

 気に入ってくれたようだ。機嫌良くビアンカは両手で猫――――プックルを抱えると、高々と天に掲げた。

 

「良かったわね。今日からあなたの名前はプックルよ!」

 

「ぶにゃん!」

 

 元気に、プックルが鳴いた。思わず、3人そろってニッコリと笑ってしまう。

 

 

 

 

 午前中には、サンタローズのグータフ薬師から風邪の特効薬が届いた。昼食が出される頃には、パパスの体調もすっかり良くなっていく。

 

 マグダレーナとしては、あと1日だけでも泊まっていって欲しかった。しかし、これ以上世話になるわけにはいかないと、パパスはこの日のうちにサンタローズに戻ることを決めたのである。

 

 大人達が土産や荷物の準備をしている間に、リュカはビアンカとアリスに別れを告げることにした。

 

 アリスは、仕事の期間が終わったらリュカに会うことが出来る。しかし、ビアンカとはこれから先、しばらくの間は会えなくなるだろう。リュカが1人でアルカパに行くのは大人達が認めないだろうし、かといって忙しいパパスに付き合ってもらうというのも申し訳ない。

 

 そして、もう1つ。プックルを誰が育てるのか、という相談だ。

 

 ビアンカとしては自分が飼いたかった。だが母親のマグダレーナはアレルギー持ちなので、それは叶わない。

 

 アリスはシスターなので、教会の許可なく動物を直接飼うことは許されない。たまに気を利かせたシスターが野良犬や野良猫に餌を出す事があるものの、本格的に飼うとなれば話は別だ。教会の隅に糞をされたり、神へのお祈りの最中に鳴き声を上げられてはたまらない。

 

 そういうわけで、リュカが引き取ることになった。

 

「ねえ、リュカ。あんたちゃんと、この子の面倒を見れる?」

 

「大丈夫だよ。プックルは良い奴だし、人によく懐いているから」

 

 当然、という調子で答える。実際、プックルは今も大人しくアリスに首を擦りつけていた。

 

「魔物も、動物と同じです。善の魔物もいれば、悪に染まった魔物もいる。リュカさんには、それを見透かせる力を持っているのかも知れませんね」

 

 幼いシスターにそう言われ、リュカは褒めすぎだよと頭を掻いた。まんざらでもなさそうな顔なのは、友達として指摘しないでおく。

 

「それじゃあ、さようなら。リュカ、プックル」

 

 ビアンカは、あえて明るい笑顔を見せた。もう、別れの時間だ。

 

 そして、それはアリスも同じ気持ちだ。アルカパへの奉公は、まだ始まったばかり。もう夏にさしかかる頃にならなければ、サンタローズには帰れない。

 

 だからこそ、アリスもまたリュカとはしばらくのお別れだ。2人の少女は、リュカと離ればなれになる。

 

「しばらくは会えないかも知れないから、これをあげる。だからプックル、私の事も忘れないでね」

 

 プックルにつけてあげると、ビアンカは自分の髪を束ねているリボンを外し、プックルの鬣の一部に結んだ。解かれた髪が、サラリと音を立てるように解放される。

 

 魔物の子は、前足で金色のリボンが付いた鬣を弄ろうとしたが、届かない。やがて納得したらしく、大きな欠伸をする。

 

 ビアンカは最後にプックルの頭を撫でると、どこか未練を断ち切るように母親の元へと歩いた。こちらに再び顔を向けたとき、わざとなのか大きい声で言う。

 

「リュカ。また、いつか私たちで冒険しようね」

 

「はい。また3人で」

 

 アリスもまた、ニコリと笑う。少年もまた、ビアンカの気持ちが移ったように声を出した。

 

「うん。必ずだよ」

 

 一度だけ風が吹く。その風は、アリスとビアンカの髪をフワリと靡かせた。

 

 おさげを半分だけ解き、サラリとした金糸の髪。そして浮き上がったヴェールの裾から見えた、アリスの柔らかな銀の髪。

 

 なぜかリュカは、その瞬間をこれから先も忘れることはないのだろうと思った。

 

 

 

 

 一組の親子と、新しい家族になったプックルの背中がアルカパの町から離れ、遠くなっていった。名残惜しげに町の人たちはその場を離れ、それぞれの生活へと戻っていく。

 

 その中で、アリスとビアンカだけは、最後まで宿屋の前で立っていた。ポツリと、ビアンカが呟く。

 

「また、3人で冒険できるわよね」

 

「はい。必ず」

 

「どこか、不思議な地方とか、この国にあったかしら」

 

「それを探すのも、冒険の一つですよ」

 

「そうね。アリスの言うとおりだわ・・・・・・」

 

 2人はお互いに、暖かな視線を交わし合う。どれだけ離れていても、心と心で繋がっている。友達とは、本当に心をつなぎ止められる人のことを言うのだろう。

 

 やがて、宿屋からはマグダレーナの声が。教会からは、ジゼルの声が。

 

 お互いに顔を見合わせると、クスリと笑う。そして、どちらからともなく握手を交わした。

 

 頑張ろうね。

 

 頑張りましょう。

 

 2人は手をそっと離し、それぞれの生活へと戻っていく。ビアンカにはビアンカの、アリスにはアリスの、いつもの日常が待っている。

 

 

 

 

 1週間が経った。

 

 教会の仕事は相変わらず忙しく、サンタローズよりも広いこの町は、受け持つ仕事も多い。

 

 地方都市であるアルカパは畑仕事が少ない代わりに、品物や食料品を定期的に町へ訪れる商人に頼っている。そのため、棚卸しや都合で働けない人間の代理として、諸々の仕事を任せられることもあった。

 

 朝方に訪れた商人達は、別の大陸で取引を続ける。そのため、番兵は南に位置するビスタ港まで商人達を護衛する仕事があった。

 

 彼が町へ戻った頃には、すでに時刻は昼を過ぎていた。毎度のことだが、この仕事がある日の番兵の食事はいつも遅れてしまう。

 

 アリスは疲れた顔でアルカパの町の出入り口で休んでいる番兵に、大きな包みを差し出した。教会のシスターが作った弁当である。

 

「どうぞ。番兵さん」

 

「ああ、今日の当番はアリスちゃんか。いつもすまないね」

 

「いいえ。お仕事お疲れ様です」

 

 番兵は嬉しそうに包みを開けると、サンドウィッチや飲み物の入った水筒を取り出した。彼の好物でまとめられているそれを、彼は早速かぶりつくようにして食べる。

 

 頃合いを見て、アリスは水をコップに注いであげる。渡された彼は一気に飲み干すと、思わずゲップをしてしまう。

 

 クスリと笑うアリスに、慌てて詫びをする番兵。そして、2人とも笑ってしまう。

 

 しばらく雑談に興じる2人。そこで、話題はいつの間にかレヌール城のことに。

 

「それにしても、アリスちゃんって本当に凄い子なんだね。おじさんなんて、腰が引けちゃうくらいだったのに」

 

「いえ、私も本当は怖かったんです。ですが、リュカさんとビアンカさんがいてくれたから。それに、神父様達もあの時は一緒に来ていましたし」

 

「でも、親分をたおしたのは君たち3人だったんだろう。あのローブを着た、魔法を使う男。おじさんもこう見えて腕には自信があったんだけれど、自信をなくしそうだったよ」

 

 当時を思い出したのか、軽く身震いする番兵。正直、あの男にはもう2度と会いたくないと思っている。

 

「親分ゴーストですね。私たちが子供だったからこそ、どこかに油断があったという事でしょうか」

 

「ううん・・・・・・そうなるかな」

 

 番兵のプライドを傷つけないように、言葉を選ぶアリス。それが幸いしたのかは分からないが、とりあえず番兵自身は納得してくれたようだ。

 

 その後は食事も済み、アリスは空になった袋と水筒を持って、教会へと戻っていく。番兵もアリスに礼を言った後、仕事に戻ることにした。

 

 一度だけ伸びをすると、番兵はアルカパの出入り口へ歩いていく。彼は今日も綺麗な青空を仰ぎながら、ポツリとだけ呟いた。

 

「親分ゴーストか。よく覚えていないけれど、あいつ・・・・・・そんな名前だったっけか?」

 

 アリスを混乱させるのも悪いと思い、あえて指摘しなかったお互いの認識の齟齬。それは小さな違和感であったが故に、やがて時間の流れと共に彼の記憶から消えていった。

 

 

 

 

 半月が過ぎた。

 

 今日は、久しぶりにビアンカの宿屋での仕事である。

 

 元々ビアンカの家はアルカパでも一番の宿屋であり、客の入れ替えがひっきりなしなのは周知の事実だ。

 

 普段は従業員の人数は充分に足りているため、教会の手を借りる必要は無い。そのために、今までビアンカがアリスに会う口実としてマグダレーナに頼んでも、彼女は首を縦には振らなかった。

 

 しかし、この日は少々勝手が違った。いつも町に来る商人団が乗る船が、事故によって故障してしまったのである。かなり船の大事な部分の破損という事情らしく、商人団の人々は急遽、アルカパに泊まることになった。

 

 当然、商団というからには部屋数も確保しなければならない。連絡が入ってからというもの、ビアンカやダンカン達は全ての従業員と共に部屋の用意をすることになった。

 

 小一時間ほどかけて、どうにか部屋の数は確保できた。しかし、今度は別の問題が浮かんだのである。それは、人手。

 

 流石に今回ばかりは、マグダレーナといえども教会に頼まざるを得なくなった。応対した神父は、もちろん了承。

 

 ベッドメイキングができるシスターを数人派遣されることになり、その中には当然というかアリスも参加。

 

 しかし、アリスは実をいうとベッドメイキングは初体験だったのである。あらかじめ一連の作業は教わってはいたものの、実際にぶっつけ本番で実戦してみれば、到底成功とは言えない出来。強いて言えば、素人よりはマシというレベルという有様。

 

 先輩シスターのフォローもあり、どうにか形だけはこなせるようになったものの、アリス自身は本当に情けない気持ちをかみ殺すしかなかった。まだ7歳なのだからという言い訳は、神の元で修行をする者には通じない。

 

 これも神様の試練です。アリスはそう思うことにしておいた。

 

 よって、マグダレーナや従業員に混じって食事の用意をする仕事に割り振られる事に。料理は普段から大人に混じって手伝いをしているので、どうにか仕事人として格好が付いた形になった。

 

 ビアンカ一家や従業員はまだまだ余裕がありそうだが、アリスは初体験の仕事も多く経験したせいか、すっかりフラついてしまう。正直なところ、仕事についていくだけで精一杯。でも、まだ頑張らなければ。

 

「あのねえ、アリスちゃん。無理なら辞めてくれても良いんだよ」

 

 掃除道具を持ったまま千鳥足のように歩いているアリスを見かねたダンカンが、気を遣ったつもりでこんな事を言ってくる。

 

「いえ、やらせてください。ベッドメイキングも、今度こそ覚えました」

 

「・・・・・・あ、そう。それならいいんだけどね」

 

 依頼してくれた側にそんなことを言われては、立つ瀬が無い。アリスは自分の頬をパチンと叩くと、気合いも新たに階段を降りていった。

 

「ああ、もう。お父さんったら、何をアリスに言っているのよ」

 

 振り向くと、そこにはビアンカが呆れ顔で立っていた。片手には空になった皿が重ねられている。ルームサービスの後片付けなのだろう。

 

「あんな言い方したら、火に油よ。まったく、お父さんって仕事をする女の子の気持ちを全く分かっていないのね」

 

「気持ちったって・・・・・・慣れない仕事であんなに倒れそうだったじゃないか。気を遣うのは当たり前だろ?」

 

「そうじゃなくて・・・・・・はあ、もういいわ。仕事が溜まっているし、時間が惜しいし」

 

 一方的に話を切り上げると、ビアンカは父を横切ってアリスを追うように姿を消していく。残されたダンカンは、娘の言葉の意味を漠然と考えていた。

 

 まだまだ大人へ成長したがる少女の気持ちが理解できるのは、当分先のようである。

 

 

 

 

 そして、1ヶ月が過ぎた。

 

 アリスは他のシスターと一緒に、日課の掃除をしていた。竹箒で教会の周囲を掃き、枯れきった花の残骸をまとめる。

 

 アルカパの教会には、いくつかの花畑が存在していた。元々自然に種が生まれ、育っていたこの地方固有の群集である。一部の学者には他の地方にも育てられないかを研究するため、偶に他国から姿を見せることもあるという。

 

 だが、この分ではその学者も今年は来るまい。春の季節に花びらを開くはずが、日々の冷たい風に晒され続けては、満足に育つなど叶わないのだ。

 

 今年は、妙に春の息吹が遅いと思う。それはアリスに限らず、町の人間の殆どがそう感じていることだろう。暦の上ではもう夏に差し掛かるはずなのだが、人々は未だに桜の蕾すらも見たことがないのだ。

 

 そのため、町中を歩けば通りすがるのは誰もが冬の衣服を身につけている者達ばかり。洗濯物が乾きにくいと不満を表わす主婦の声。野菜の物価が高くなると商売人の声。

 

「そういえば、先日も山に雪が降っていませんでしたか?」

 

「ビアンカさんの宿屋も、最近は薪がすぐになくなって困ると言っていましたし」

 

 教会の中にも、最近の気候についてシスターが口々に言っている。みんな、そろそろ不安になっているのだ。

 

 ここ最近、教会には冬特有の手助けを欲しがる声が後を絶たない。老夫婦からは、凍傷で身体を痛めてしまったという訴え。男達が薪のために木を切り倒さなければならないので、手を貸して欲しいという訴え。

 

 そのため、ここ最近は教会の祈りを終わらせてすぐ、アリスを含めたシスターがそれぞれが所定の仕事に取りかかる毎日。そして、それもいつしか当たり前になっていく。

 

 そして、ある日の夜。空に浮かぶ半月が輝く頃。

 

 アリスとジゼルは、教会の浴室を使用していた。ここ数日は本当に忙しさが増していく。まして、気候は一向に変化の施しを見せない。そんな中で、熱い浴槽につかる安らぎは、何よりも代えがたいものであった。

 

 教会に、浴室は一部屋しかない。大抵の場合は年功序列で使用する順番が決まっている者だが、シスター達が仕事に追われているせいで仕事を終わらせる順番がアトランダムになってしまっていた。そのために入浴する順番も、もはや形だけになりつつある。

 

 今は時間が遅かったせいか、2人は一緒に入ることになったのだ。女同士なのだから遠慮することはない、とはジゼルの談。

 

「私は別に気にはしませんが・・・・・・ジゼルさんは、少し前を隠した方がよいのでは?」

 

 彼女は性格のせいもあって、人がいても前をタオルで隠そうとはしない。同性しかいないと分かっているし、何より一緒に入っているアリスはまだ子供だ。恥じらう以前の問題なのだろう。

 

 ジゼルは胸の膨らみが大きい方で、肉付きのある肌は、すでに大人の女性のそれだった。確か、年齢は17だそうだが、きっとこれから先もまだまだ豊満な身体に近づいていくのだろう。

 

 しかし、ジゼルからすればアリスの肌こそ羨ましかった。幼いからというだけが理由ではない、剥いた卵のように艶めいた、水を弾く絹の肌。色白なところも、どこか儚さを見る者に与える。

 

 水の滴る銀色の髪。切りそろえられたそれは、ジゼルが整えたものだった。あれ以降、アリスはずっとその髪型を止めていない。気に入ってくれたようで、本当に良かったと思う。

 

「アリスが恥ずかしがり過ぎるのよ。別に男の子といるわけでもないのに」

 

「男の子がいたら、絶対にヒャドを撃っています」

 

「そうでしょう。だから、こういう時くらいはオープンでいたいのよ」

 

「・・・・・・仕方がありませんね」

 

 それ以上はその話題を続ける気にはなれず、アリスは黙って湯船に身を任せることにした。

 

「ふう・・・・・・それにしても、本当にこの寒さには参るわね。そろそろ本気で肌が荒れちゃいそう」

 

「もう初夏の季節に差し掛かるはずですよね。この地方では、偶にそういう気象になることがあるのですか?」

 

「あるわけないじゃない。私はここに来て5年くらいになるけれど、少なくとも私は知らないわね。修道院の方はどうなの?」

 

「私も知りません。何らかの理由で季節風が来なくなったとしか」

 

 しばらく、ウンウンと唸りながら考えを巡らせる2人。外は、相変わらず冷たい風が吹くばかり。

 

 彼女達の意見交換は、のぼせて気を失うまで続いていた。

 

 

 

 

 ちなみに、その少し後。

 

 シスター達の入浴を覗こうと、小さな換気窓からノゾキを決行した例の悪ガキ2人組がいたこと(片割れはむしろアリス目的)。しかし、見えたのは若い大人やアリスの裸ではなく、神父の裸体だったこと。さらにノゾキをしたことが他ならぬ神父にバレ、その場で神罰を下されるハメになったこと。挙げ句の果てには、それを親や親族、町中の全てに伝わったことで1週間ほど引きこもりになったことはどうでもいい話である。

 

 その1週間の間、アルカパには悪戯をされることがなくなり、本当に平和に過ごすことが出来たという。

 

 

 

 

 そして、さらに1ヶ月。

 

 アルカパの宿屋は相変わらず好評で、この日も盛況といって過言ではないほどの客の入り用であった。

 

 この異常気象の中では暖を取りたがる人間は後を絶たず、宿屋の暖炉には常に前日とは違う客が居座っている。無理もないことだ。

 

 従業員も休む暇はない。誰もが客への応対や、食事のリクエストなどに奔走しなければならないのだ。そして、それは娘であるビアンカも例外ではない。この辺り、どこかアリスの今の仕事ぶりと似たようなものがあるのかもしれなかった。

 

「・・・・・・あら?」

 

 外の物置から新しい薪を運んでいたビアンカの目に、ふと見慣れた集団が視界に入る。

 

 修道服を着た女性達。間違いなく、教会のシスター達だ。

 

 こんな時間に何の用だろうか。見回りの時間は、小一時間ほど前に終わっているはずなのに。しかも、どういうわけか全員が町の外へ向かっていた。

 

 疑問に思うものの、彼女達が手に持っているモノを見た時、合点がいった。ビアンカ自身も何度か目にしたことがある、教会の“アレ”だ。思わず、遠い目になった宿屋の娘。

 

 家から薪を催促する母の声が聞こえてくる。少女は慌てて家の中に入った。

 

 そんな少女の複雑な視線が向けられていたことなど知る由もないシスター達は、番兵に挨拶をしながら町を抜け、さらに南の小さな森の傍へ足を運ぶ。

 

 簡単な荷物を木々の傍に下ろし、それぞれのシスター達が所定の位置に立つ。2人1組でペアとなり、お互いに一定の距離を取って向かい合った。

 

 手には檜の棒や、竹の槍。火と氷の魔法の準備をしている者達もいる。いつもは常に微笑みを浮かべているシスター達も、今だけはそれが消えていた。

 

 頃合いを見て、神父が声を張った。

 

「始めいっ!」

 

 瞬間、ありとあらゆる声や音が、この周辺に響き渡った。

 

 

 

 

 そして、その日の夕暮れ時。アルカパの住宅街から、夕餉の支度の香りが広がり始めた。

 

 もちろん、宿屋の厨房にも食事の準備が進められている。マグダレーナが調理で出た生ゴミを手に、外の所定のゴミ捨て場へ向かっていた時。

 

 夕焼けを背に、神父やシスター達がアルカパの町へと帰ってきたのが見える。

 

 町へたどり着いた神父や彼女達は誰もが肩で息をしており、生傷も腕や足についていた状態であった。怪我は後で回復呪文をかけるので傷跡も残らないのだが、いかんせん体力や気力までは完全に底をつきかけているようだ。

 

 それを見て、マグダレーナは思う。ああ、今回“も”派手にやっていたんだねぇ・・・・・・

 

 偶に、遠くから風に乗って聞こえてくる爆発音や、固い物が打ち合う音。旅の人間がこの音を聞けば、近くで戦闘が行われていると慌て出す光景が多々あった。

 

 だが、原因はこの町の誰もが知っている。あれは、教会の護身訓練なのだから。

 

 牧師や修道女は神の教えを説く職業でもあるために、世界中に派遣されることもあれば、独自の旅を通して町や村を訪れることがある。

 

 その際、魔物や盗賊といった狂気の手から、護身や人助けのために戦闘を経験することは決して珍しいことではない。

 

 正義のない力は暴力。力の無い正義は無力。どちらが欠けてもいけないからこそ、教会は戦う知識や術も教える。

 

 ただ祈っているだけの人間には、神も慈悲を与えない。蒔かない種が生えない事と同じように。

 

 神父もシスター達も、そんな仕事に誇りを持ってやっている。そして、アリスも。

 

 幼いシスターは1人、竹の槍をまるで杖のようにしながら先輩達の集団を追っていた。誇りならぬ埃を顔にベタベタと貼り付けて、ボロボロのシスター服を身に纏ったまま。そして、それこそまるで老人のようにフラフラと左右に揺れながら。

 

 マグダレーナは茜空の下、険しいシスターへの道を素足で歩んでいる少女に、心の中で合掌した。

 

 ――――頑張っとくれ。もう本当に、頑張っておくれ・・・・・・

 

 

 

 

 そして、最後の日。

 

 アリスの奉公期間も、この日が最後となる。教会の神父や、今まで先輩として働いていたシスター達は本当に別れを惜しんでくれた。

 

 特にジゼルに至っては、切なげな顔でこれまでのお礼を言ってくれたものだ。まるで妹が出来たみたいだったと言ってくれた時は、アリスの方こそ涙が出てしまったほどに。

 

 アリスもまた、リュカと同じだ。この奉公の期間が終われば、もう仕事の都合も相まってアルカパには来れなくなる。これが一生の別れというわけではないのだが、次に会う時は当分先になってしまうだろう。

 

 アリスは午前中の最後の仕事を終わらせると、アルカパの人々へ挨拶に回った。たまにはおじさんのことも思い出してくれよ、といった声。また一緒に遊んでよと言ってくれた年下の子供の声。

 

 ダンカンも、マグダレーナも。そして、ビアンカも。

 

「アリスちゃんの料理、お客さんにも好評だったよ」

 

「うちで覚えたベッドメイキング、忘れないようにね」

 

「リュカによろしく言っておいてね。私たち、ずっと友達だって」

 

 誰もがアリスにとってはありがたく、心を温かくしてくれる言葉だった。

 

 あの悪戯少年2人にも会った。教会の前で待っていたらしく、挨拶回りを終わらせて教会へ入る前に呼び止められたのである。

 

「・・・・・・お前さ、今日で帰っちまうってホントか?」

 

「はい。今日でお別れになります」

 

 アリスは頭を下げた。そのため、細身の少年がどんな顔をしたのかまでは分からない。

 

「?」

 

 妙な沈黙が続く。目の前の少年2人――――特に細身の男の子は、なにかオドオドしはじめた。

 

「あ、あのさ、その・・・・・・」

 

「はい?」

 

「だから、あの、よければ・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 さっきから要領を得ない言葉ばかりで、何を言いたいのかがハッキリしない。隣の体格の良い少年が、横目で相棒を呆れたように見ていた。

 

 しばらく相手が何を言いたいのかを待っていたが、教会の中からジゼルが姿を見せたことでそれも終わった。

 

「アリス、最後のお祈りがあるでしょう。主役がいないんじゃあ、何時まで経っても・・・・・・あ」

 

 ジゼルの目が、2人の少年を捉える。細身の少年が、見ていて可哀想になるくらいに情けない顔になった。肩を落とし、そのまま背を向けて帰っていく。そして頭を抱えつつも追っていく相方の少年。

 

「・・・・・・えっと、もしかしてお邪魔しちゃった?」

 

「いえ、正直なところ、何を言いたいのかが理解できませんでしたので、これで良かったのだと思います。それよりも、申し訳ありません。すぐに祈りを始めたいと思いますので」

 

「あ、そう」

 

 なんとなく理由を察していたジゼルは、それ以上追求を避けてアリスを教会へ迎え入れた。

 

 そして、最後の別れ。

 

 アルカパの町には、数多くの人々が見送りに来てくれた。神父も、ジゼルも。教会のシスター達も、ビアンカ一家も。そして、仕事で世話になった町の顔なじみの人達も。

 

「研鑽を怠らぬようにな、シスター・アリス」

 

「またね、アリス!」

 

 温かい声。温かい笑顔。別れを惜しんでくれる、優しい人達。

 

 この3ヶ月のアルカパの奉公。辛いことも、大変なこともあったけれど。今や、何もかもが愛おしい。

 

 きっとこれから先も思い出すだろう。この冷たい風が吹き続ける中で、それでもどこか暖かかった日々を。

 

 アリスは涙を堪えつつ、頭を深々と下げた。この町の全てに、心からのお礼が言いたかったから。

 

「ありがとうございました、アルカパの皆様。これまでの3ヶ月間、決して忘れません。それでは、失礼いたします!」

 

 背を向け、町の出入り口を通り抜けていくアリス。その先には、すっかり顔なじみとなった番兵が立っていた。

 

「お待たせ致しました。それではよろしくお願いします」

 

「ああ。サンタローズでも、元気でな。おじさんも実を言うと、ちょっと寂しいけどさ」

 

「ありがとうございます。私も、番兵さんにしばらく会えなくなってしまうのは、寂しいですよ」

 

「ははは。言うようになったねえ」

 

 こりゃあ、将来は大した男泣かせになるな。そんな取り留めも無いことを考えながら、彼は一つ大人に近づいた少女を連れて、草原に足を踏み出していった。

 

 

 

 

つづく

 




少年2人のノゾキに神父が気付いた一コマにて。

神父「な、なんと。この儂を見たかったと申すか!? そ、その道に進むのはいかん。よく考えなさい!」
少年達「」




どこかの大富豪「む。どこかで儂の台詞を取られたような?」
大富豪の奥様「あなた、疲れているのよ」
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