DRAGON QUEST Ⅴ ――聖女の足跡――   作:玖堂

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降り積もる雪の世界

 

 

 

 昼餉を食べた後、リュカが真っ先にしたことは家を出ることであった。

 

 何も、目的があったわけではない。毎日が退屈だというのなら、思い切って普段は行かない場所へ行ってみようと思い立ったのだ。

 

 サンチョに一言断りを入れ、外へ飛び出す。後ろにプックルの気配を感じつつ、少年はこの日の午後もサンタローズを走り回っていた。

 

 今までは大人が入る場所だと教えられていたので、ここだけは敬遠していた場所。宿屋の地下に繋がっている階段の下。

 

 名をBARといった。リュカでも分かる、お酒を飲むためのお店である。

 

 大人の世界に仲間入りしたような気分は、なんとなく緊張する。しかし、この退屈な毎日においては、むしろ心地よい緊張であった。

 

 それに、なにもこっそりと侵入しようというわけではない。一応店に入る口実として、ほんの少しのお小遣いをポーチの中に入れてある。今日は、この店でミルクの買い物をするのだ。

 

 サンタローズには、ある程度の日用品が販売されている店舗が存在している。村の住人は必要な品物をそこで購入するものだが、酒場には酒場にしかない特定の品物が取り寄せてある。それは酒だけではなく、アルコールが弱い人のためのお茶やミルク。つまみのための食材など。お酒の専門店なので、当然村の販売店よりも上質なものを出している。まあ、少々値段が高いので無理に買おうとする者は滅多にいないのだが。

 

 リュカは、あえてその酒場で買い物をするのが今回の目的だ。何日か前だが、父が武器屋の主人に誘われて酒場に行った帰り、酒場の飲み物はひと味違うと言っていたのを思い出したのである。ずっと仕事ばかりで疲れているであろうパパスのために、何かしてあげたくなったのだ。

 

 酒場は、がらんとしていた。当たり前だが、酒場が開店するのは夜からだ。常連客ならばマスターも大目に見て酒を出すものだが、今日に限っては本当に休業時間らしい。どこか気の抜けた顔でグラスを拭いている店員が、姿を見せたリュカに気づく。

 

「ありゃりゃ、可愛いお客さんが来たぞ。ここはお酒を飲む場所で、坊やにはまだちょっと早すぎるなあ」

 

「あ、すみません。僕、遊びに来たわけじゃあないんです。じつは、ちょっとミルクを1本売ってもらいたくて」

 

「ああ、そういう事か。お使い、お疲れ様」

 

 店員は拭いたばかりのグラスをカウンターの隅に押しやり、奥へと引っ込んでいく。蔵へ在庫を取りに行ったのだろう。

 

 そこでふと、カウンターの上に見慣れない人物がいることに気がついた。よく見ると、見慣れない女の子だ。

 

「・・・・・・?」

 

 よく見なければ気づかなかったのは、彼女の全身が半透明だったからである。レヌール城の幽霊のように向こう側の風景がうっすらと見えているが、少なくともその類いではなさそうだ。こんな昼間に幽霊がいるはずがないのだから。

 

 何はともあれ、話をしよう。リュカは真っ先にそう思い至った。

 

「こんにちは。カウンターの上に座るのはよくないよ」

 

 真っ先に出たのはこんなズレた言葉であったが、少女はギョッとしたように身をすくめた。どういうわけか、信じられないという顔でリュカを見てくる。

 

「まあ。もしかして、貴方には私が見えるの?」

 

「見えるよ。君は誰? 村の人じゃないよね」

 

「よかった。私が見える人に会えて。実は私、ちょっと訳ありでここにいるのよ。普通の大人じゃあ私の姿が見えなくて、途方に暮れていたところだったわ」

 

 少女は心から安堵した様子だった。きっと今まで相当に困っていたのだろう。

 

 細いつり目に、小さな口。民族衣装のような衣服を身につけていて、何より特徴的なのはピンと尖った耳だった。おそらくは、人間ではない。

 

 だが、それがどうしたというのだろう。自分だって幽霊と普通に話すことができるのだから。

 

「実は私、人間に助けを求めにこの世界へ来たのよ。私は、エルフのベラっていうの。妖精と言った方が分かりやすいかしら」

 

「ベラって言うんだね。僕は人間のリュカだよ。この子はプックル」

 

 リュカは自己紹介をすると身体を半回転して、背中にへばりついているプックルを見せる。どうやらプックルにも彼女の姿が見えるのか、左の前足だけをベラにチョイチョイと伸ばす。

 

「あら、可愛い子ね」

 

 その仕草が気に入ったのか、犬にお手をするように手を差し出すベラ。プックルも律儀に肉球を押しつけるようにする。

 

「って、そうだわ。遊んでる場合じゃなかったのよ」

 

 我に返り、ベラは慌てて話を戻す。リュカは子供ながらに、彼女の性格を大体理解した。

 

「私は元々、妖精の世界という所から来たの。実は少し前から、妖精の世界で大きな事件が起きちゃったのよ。そのせいで、こっちの世界にとっても深刻な被害が出ているの」

 

 事件。世界の被害。不穏な言葉だ。ベラが嘘を言っているようには思えない。

 

「お願い。私のことが見える貴方だから、こうして話をしているの。急ぎだから、詳しい話は私の世界にいる偉い人の所で聞いてくれないかしら」

 

「う、うん。分かった。でも、その世界って、どこにあるの?」

 

「それは・・・・・・あ」

 

「え?」

 

 ベラが何かに気づいたように顔をカウンターの奥に向ける。つられて、リュカも視線を同じ方向へ。

 

 視線の先には、ミルクを持った店員がどこか唖然とした顔でこちらを見ていた。

 

「坊や。もしかして、疲れているのかい? 1人で喋っているなんて・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 リュカの顔が、朱に染まる。さっき、ベラの姿は他人には見えないと言われたばかりなのだ。他の人から見れば、自分が虚空に向かって喋っているように見えているに違いない。

 

「ご、ごめんなさい。えっと、ここじゃあ少し落ち着かないわね・・・・・・」

 

 妖精の少女はオロオロしながらも、手をポンと打った。

 

「そうだわ。この村に地下室のある家があったわね。そこで話の続きをしましょう」

 

 地下室の家ってどこなのと言いたかったが、どこか気味悪そうに見ている店員を前に、返事をするわけにもいかなかった。そそくさと階段を上っていくベラを視界の隅に納めつつ、少年はオズオズとミルクを受け取った。

 

「す、すみません。最近、1人でいることが多くて・・・・・・つい独り言が癖になってしまって」

 

「そ、そうかい。坊やも大変だね」

 

 代金を支払うと、苦しい言い訳をする。それでもどうにか店員は納得してくれたらしい。

 

 気まずい空気が流れる前に、リュカは急いでその場を退散する。背中から受ける店員の視線が、彼には痛かった。

 

 外に出ると、リュカはベラの言葉を思い出す。地下室のある家とは、どこなのだろうか。グータフの家は横穴だし、周辺住民の家にも、そんな場所があるとは聞いたことがない。そもそも他人の家なら、リュカが入るのは難しくなる。

 

 そうなると、教会だろうか。いや、ベラは家と言った。教会は家とは言わない。

 

 しばらく、宿屋の前をウロウロしながら考える。時間が経つたびに、自分が遅刻してしまいそうな焦燥に駆られた。

 

 時間を守るのは当たり前の事だと、パパスも言っていた。そして、女の子の約束は必ず守るべきだともサンチョから教えられている。

 

 そうなると・・・・・・と、そこまで考えてリュカはようやく悟った。

 

 なんだ。自分の家の事だ。あまりにも近すぎる答えだったので、逆に気づくのが遅れてしまった。

 

 そうと分かれば、グズグズしていられない。早く、急いで家に戻らなければ。リュカはミルクを抱えたまま、急ぎ足で自宅へと向かう。

 

 と、そこで家の前に誰かがいる事に気付く。この村で、唯一の同年代の少女、アリスの姿だ。

 

 今の彼女は、午前中と違っていつものシスターの服を着ていない。どういうわけか、あのレヌール城でソフィア王妃から貰ったドレスの姿だ。いつもとは違う格好に、つい別人と思わされてしまいそうになった。

 

 とはいえ、今は急ぎなのだ。アリスは今、玄関先でサンチョと話をしている。また、何か仕事の依頼でもあるのだろう。毎日忙しい身なのだし、自分に何か用があるわけではないはずだ。

 

 そうとも。自分は今、世界が大変だと訴えている妖精の話を聞かなければならないのだから。相当遅刻してしまったはずだし、怒っていなければいいのだが。

 

 しかし、そんなリュカの考えに反し、アリスはリュカに声をかけてきた。向こうから話しかけられるとは思っていなかったリュカは、思わずのけ反りそうになる。

 

「も、申し訳ありません。驚かせてしまって・・・・・・」

 

 久しぶりに聞く、友達の声。しかし、今のリュカは動揺のあまり、視線を彷徨わせている。玄関先にはサンチョが立っており、なぜか自分とアリスのことを微笑ましく見ていた。

 

「え、ええっと」

 

 どうしよう、とリュカは思った。アリスが話しかけてくれているのは、素直に嬉しいと思う。でも、今の自分は急いで地下室へ行かなきゃ・・・・・・

 

 アリスは何かを言いたそうにしている。だが、今のリュカにはどうしても時間が惜しかったのだ。

 

「ご、ごめんっ!」

 

 それだけを言って、リュカは急いで家に駆け込んだ。驚いているサンチョの横をすり抜け、ミルクをテーブルの上に置く。その勢いのまま、彼は地下室への階段を降りていった。

 

 自宅の地下室は普段、物置として使われている。パパスの使わなくなった私物や、古びた花瓶などといった小物が所狭しと置かれていた。

 

 それでも人が入るには充分な通路ができており、その奥にある小部屋の隅を覗く。案の定、先に来ていたベラが物珍しそうに中を彷徨いている様子が窺えた。

 

「遅かったのね。何かあったの?」

 

 決して責めるような口調ではなかったのだが、なんとなく萎縮してしまうリュカ。

 

「ごめん。これでも急いで来たんだよ。それで、ベラの会ってほしい偉い人って?」

 

「人じゃないわよ。私と同じ妖精で、とっても偉いお方なの」

 

 少しだけムッとするように訂正するベラ。人間と同列に扱われたのが面白くないらしい。

 

「とにかく、まずはあの方に会って・・・・・・いえ、待って。誰かが来たわ」

 

 と、そこでまたしてもベラは声を抑えた。視線は、リュカの背後にある階段。カツンカツンと、誰かが降りてくる音がする。

 

 姿を見せたのは、使用人のサンチョ。彼はいつもの温和な顔ではなく、どこか咎めるような視線を送ってくる。

 

「坊ちゃん、いかが致しましたかな。このような場所にお1人で駆け込むなどと」

 

「あ、ええっと」

 

「坊ちゃんも退屈だったのでしょうが、それでもアリスちゃんのような子にあのような振る舞い、このサンチョは使用人として感心しません。坊ちゃんもいずれは旦那様の背丈を超えて大人になるお方。ならばこそ――――」

 

「い、いいえ。いいんです、サンチョさん」

 

 説教モードになりかかっているサンチョの背中からひょっこりと顔を出したのは、ドレス姿のアリスであった。最初から彼の後ろを歩いていたのである。家の中に入っているところからすると、むしろサンチョの方から一緒に来るように勧められたのだろう。

 

「私の方こそずっと仕事ばかりで、友達と一緒に遊ぶという当たり前の事が出来なかったのです。リュカさんを責めるのはお間違いだと分かっていますから。ですが、私は――――」

 

 と、そこでアリスが目を瞬かせる。リュカの後ろに立っているベラと目が合ったのだ。

 

「っ!?」

 

 リュカは緊張する。アリスも、ベラのことが見えているのか。

 

 自分とアリスはベラのことが見えていて、でもサンチョは見えていなくて。それはつまり・・・・・・どうなるんだろう。

 

 わけが分からぬまま、頭の中がぐるぐるに回っていくのを感じた。そのため、アリスがそっと近寄ってくることに気づくのが遅れてしまう。

 

「リュカさん」

 

「あ」

 

 我に返った時、リュカはアリスにそっと手を捕まれていた。彼女は宝石のような瞳を真っ直ぐに向けてくる。なぜかは分からないが、自然と少年の心が楽になっていくのが分かった。

 

「少しだけ、一緒に歩きませんか?」

 

 静かな声で言われ、つい頷いてしまった。慌てて、ベラに顔を向けてしまうリュカ。

 

 案の定、ベラはどこか難しい顔でリュカを見ている。これから事情を話すという時に、またしても後回しになってしまったのだから無理もないが。

 

 と、そこでリュカの小さな身体が細い腕に抱きすくめられる。アリスが自分を抱擁したのだと遅れて理解した。

 

「話して、いただけますか?」

 

 耳元で囁く声。自然と、リュカが身をすくめた。それは、アリスの吐息によるくすぐったさからなのか。それとも、この短いやり取りである程度の状況を察することができたアリスへの驚きからなのか。きっと、両方なのだろう。

 

 そして、その驚きはベラも同じである。今の言葉は、自分に向けたものなのだ。サンチョはベラの存在に気づいていない。だからこそ、何か訳ありのベラを気遣って、事情を訊いてもいいですかと遠回しに断りを入れているのだと。

 

 もちろん、これを逃す手はない。コクコクと声に出さずに頷くベラ。アリスはポカンとしているサンチョに向き直ると、ニコリと笑った。

 

「申し訳ありません、サンチョさん。私たち、一緒に出かけたいんです」

 

 言うが早いが、トコトコとリュカの手を握ったまま地下室を出て行くアリス。その後ろを、慌ててついていくベラ。

 

 結果的に、一人地下室に残されることになったサンチョは、黙って彼らの背中を見送っていた。そして、思わずボソリと呟く。

 

「女性とは、子供といえど恐ろしいものですな・・・・・・」

 

 

 

 

「妖精については、私も話は聞いているのです」

 

 サンタローズの村の歩道。小川が流れる風景を眺めながら歩くことができる道。そこを歩きながらリュカとアリスは、手をつないだまま歩いていた。周囲の目には、あたかも2人きりでデートをしているかのように映っていることだろう。

 

 だが、その話の内容は到底デートなどというようなものではなかった。何より、実際の彼らは2人ではなく3人だ。

 

 その3人目であるベラは、道中で自分の名前やエルフであることを明かしていた。その反応が、冒頭のアリスの言葉である。

 

「何でも、私のシスターの先輩が私たちくらいの年齢だった頃は、希に妖精がこの地域にも見られたとか。私自身は、こうして会うのは初めてでしたが」

 

「そうだったの・・・・・・確かに、外の世界へ遊びに行くような妖精はいたわね。今では魔物が活発になっているから、私みたいな事情でもない限りは来ることがなくなってしまったし」

 

「魔物って、妖精も襲っちゃうの?」

 

 リュカの素朴な疑問に、ベラは言いづらそうに頷いた。

 

「そうね。実際、妖精の世界にも魔物は数多くいるわ。昔はそうでも無かったんだけれど、近頃は数が増えてしまって」

 

「そうなんですか。その辺りは、私も知りませんでした」

 

 それに、とアリスは続ける。

 

「まさか、村の紛失物が後を絶たなかったのは、ベラさんが原因だったなんて」

 

「あ、あれは仕方がなかったのよ。誰も私に気づいてくれなかったから、関心を引くためにしていたの。誰かがこの村に来ているという事を分かってほしくて」

 

 それと助けを求められる立場の人間を困らせることは違うでしょうと言いたくなったが、止めておいた。ベラとて必死だったのだろうし、今更それを責めても仕方がないことだ。

 

 ただし、隠した物は返しておくようにと後で念を押しておこうと思ってはいるが。

 

 小川を跨ぐ橋を渡りきり、民家の畑を通り抜ける農道に差し掛かっていった。

 

「おお、アリスちゃん。今日はリュカ君と一緒かい。仲良く2人で手をつないじゃってねえ」

 

「たまにはゆっくりしなさいな。子供は遊ぶのが仕事なんだからさ」

 

 途中、農家の夫婦がこちらに気づき、挨拶をしてくる。2人は返事をすると、丘を降りて河原道を歩いていく。

 

「・・・・・・やっぱり、他の人には私は見えないみたいね」

 

 どこか寂しそうに呟くベラ。なんと言っていいのか分からず、顔を見合わせる2人。

 

 そして、それは同時にベラの頼みを聞いてあげることができるのは、自分達だけだということを確信させるものであった。

 

「ともかく、私達の国に来てほしいの。リュカには言ったけれど、詳しい話しは妖精の村にいる偉い方に訊いてくれればいいわ」

 

「それは分かりましたが・・・・・・その妖精の村という場所には、一体どうすれば?」

 

「だから、そのための地下室だったのよ。あの場所なら人目につかないだろうし、私たち以外には妖精の村への道は見えないから」

 

 妖精の村への道。ベラは、そういった能力が使えるのだろうか。いや、それよりも。

 

「もしかして、私達が来なければベラさんは・・・・・・リュカさんと一緒に?」

 

「ええ、それはそうよ。リュカは、私がようやく見つけた戦士ですもの」

 

 当然、といわんばかりのベラ。おそらく、家に帰ってきた時のリュカの様子は、そういう事だったのだろう。突然こんな事を頼まれて、さぞ色々と悩んでいたに違いない。

 

 まあ、リュカに拒絶されたり絶交されたわけではなかったことの方が、アリスにとっては嬉しかったのだが。

 

 とはいえ、喜んでなどいられない。どのみちリュカが大きな問題に巻き込まれているというのに、自分だけがのんびりするなど出来るはずがないのだから。

 

「それならば・・・・・・私も一緒に行かせていただきます」

 

「え? まあ、いいんだけど」

 

 あまりにも適当な返事。気を張っていた分、ガックリと項垂れそうになるアリス。もしかして、ベラにとって途中参加の自分はおまけということなのだろうか。

 

 とはいえ、これで言質は取った。教会の前までたどり着くと、アリスはリュカの手をそっと離す。実は、今までずっと繋いでいたままだったのだ。準備をしてきますと言って、教会の中へ入っていく。

 

 見慣れた教会の中にはグレン神父が1人いるだけであった。ミランはすでに出かけているらしく、姿が見えない。神父はすでにあの妙な祈りは終わらせたらしく、いつもの厳格な佇まいでこちらを見た。

 

「アリスよ。今日はリュカ君とのお出かけはもうお終いかな?」

 

「いいえ、神父様。実はこれから、リュカさんと出かけたいのです。長くなることが予想されますので、大変勝手ながら休暇の許可をいただけないでしょうか?」

 

 こんな一方的な休暇申請は怒られてしまうだろうか、と内心で心配していたアリスだが、意外にも許可はあっさりと出た。何でも、ここ最近のアリスは本当に働き過ぎだったという。むしろ、神父には喜ばれてしまったほどだ。

 

 本当に、自分はそんなに働いていたのだろうか、と首をひねるアリス。そういえば、午前中にも同じ事を言われてしまった気がする。しかし、いつまでもこうしていても仕方がない。アリスは神父に礼を言うと、自室に入って準備を始める。

 

 幼い修道女は予感があった。以前のお化け退治と同じように、今回もおそらく戦いがあるのだろうと。それも、世界を跨ぐほどの大きな何かが。

 

 自然と、準備にも余念が入る。腰にポーチのついたベルトを巻き、装備を調えていく。

 

 自室を出た時、アリスの姿に目を瞬かせた神父を尻目に彼女は教会を出た。リュカの家に行くと、出迎えた彼はすでに準備を終わらせていたらしい。

 

 2人はうなずき合い、地下室へ向かう。すぐ後ろにはプックルもついてきていた。薄暗い地下室には、さっきもリュカが見た時と同じように、ベラがいる。ただ以前と違うことは、隣にアリスがいるということ。

 

「あら、やっと来てくれたのね。それじゃあ、準備はいい?」

 

「もちろん」

 

「大丈夫です」

 

「ふにゃあ」

 

 2人と1頭の返事を聞くと、ベラは天井を見上げる。何かの言語を口にしているようだが、リュカはもちろんのこと、アリスにも聞いたことのない言葉であった。

 

 そして、2人は目を疑う。なんと、地下室の床の真ん中から、光の柱が斜めに向かって造られたのだ。輝く柱はより形を鮮明に変化してゆき、やがて光の階段へと完成した。

 

「さあ、ここから先が妖精の世界よ。2人とも、私についてきて」

 

 ベラは言うが早いが、さっさと昇っていってしまう。リュカとアリスは緊張しながらも足を光の階段へ踏み入れる。足元は光の段差を踏み、身体が地下室の床から離れてしまう。天井と光の階段の境目は、何か白い靄のようなものが生まれている。おそらくは、そこが人間と妖精の世界の境界なのだろう。

 

 好奇心旺盛なのか、プックルは特に躊躇うこともなく先に進んでいく。リュカが何かを言う前に、世界の境界へ向かっていった。そして――――姿が消える。

 

「プックル!?」

 

「落ち着いてください。妖精の世界へ入ったのでしょう」

 

 そう言うと、アリスはそっとリュカの手を握る。そこで、リュカは彼女の手が僅かに震えていることに気づいた。ハッと顔を上げると、そこにはいつものように、穏やかに微笑む少女の顔。

 

「一緒に行きましょう。リュカさん」

 

「あ・・・・・・うん」

 

 少年はしっかりと少女の手を握り返し、一緒に昇っていく。白い境界が頭に触れるかどうかという時に突如、身体がフワリと浮かぶ感触がした。

 

 落ちると思った瞬間、ギュッと目を閉じて身体を強ばらせる。繋いでいる少女の手だけが、心の拠り所であった。

 

 足元の感触が、階段から唐突に変わる。恐る恐る目を開けると、辺り一面が湖に変化していたのだ。大きな湖の中に浮かんでいる、家一つ分程度の小さな小島。その上に立っていたのだ。

 

 降っている雪が、絶え間なく落ち続けている。降り積もった銀色の大地は、人間の世界と同じように寒々しさを覚えさせる。

 

 周辺は、睡蓮のような足場がそれぞれ反対方向へ続いており、正面には巨大な切り株のような建物がそびえ立っている。後ろには湖の麓らしい土地が広がっており、ちらほらと建物も見えた。

 

「うわぁ・・・・・・ここが妖精の世界なのですね」

 

「にゅあ」

 

 隣には、同じように周囲を見回しているアリスとプックルの姿。ベラはすでに睡蓮の上に立ち、案内をする準備に入っている。

 

「来てくれたのね。さあ、ポワン様のところに案内するわ」

 

 切り株に似た建物――――実際切り株なのだろう。屋敷ほどの巨木が寿命になり、建物として再利用している、といったところだろうか。アリスはなんとなくそう思う。

 

 エルフとは、人間と違って無闇に自然を壊すようなことはしないのだ。シスター・ミランに妖精のことを聞かされた時、アリスはそういう印象を持った。

 

 ベラに連れられて内部へ入ると、図書館のようなフロアが目に入る。本がまんべんなく並べられている棚がいくつも連なっており、その中を数人の妖精が彷徨いている。何か調べ物があるのだろう。

 

 隅には、青い純正の水で構成された階があり、それが螺旋状になって上の階へと続いている。昇る時に少しだけ緊張したが、ベラが何の問題もなく歩いているので、ここに来たときの光の階段よりはまだ余裕があった。

 

 登り切った先には、アリスにとっては馴染み深い十字架。そして、若い神父とシスター。なんと、妖精の世界にも教会が存在しているらしい。

 

「すみませんが、ベラさん。ここ、妖精の世界にも教会が存在しているのですか?」

 

「ええ。私たち妖精にも、崇めるべき存在はいるわ。人間が想像しているような神様とは少し違うけれど」

 

 聞くところによると、妖精の教会は人間の国々に存在している宗派とはどれも違うようだが、独自の解釈や修行を行い、確立させているらしい。

 

 私も詳しいことは知らないけど、と締めくくって先を行く。話が長くなりそうな空気を察したのだろう。

 

「アリス・・・・・・今はそういう話は」

 

「す、すみません。妖精の世界にも宗教があるなど、初めて聞いたものですから」

 

 リュカの呆れ顔に、耳まで真っ赤にしながらベラについていくアリス。いけない。自分の悪い癖だ。

 

 そんな寄り道があったものの、ベラは2人の少年少女を主の前に連れて来ることができた。屋上に位置するこの場所には赤い絨毯が敷いてある。その上に玉座のような椅子があり、そこに1人の人物が腰掛けていた。その主は美しい女性で、近づきがたいほどの高貴な立場だと思わせられる。

 

 ――――エルフの村の長、ポワン様であった。頭には繊細な冠を被っており、ゆったりとした衣服を身に纏っている。

 

 リュカは、アリスと共に自然と頭を垂れた。プックルも身体を伏せ、腹這いになって敬意を表わしている。

 

「ポワン様。仰せの通りに、人間族の戦士を連れて参りました」

 

 主であるポワンは伏せていた長い睫毛をあげ、切れ目の瞳を真っ直ぐに目の前の子供達に向けていた。

 

「ずいぶんとかわいらしい戦士を連れてきましたね、ベラ」

 

 失望されたと思ったのか、慌てるベラ。

 

「め、滅相もございません。こう見えましても、彼らは私の姿が見えたのです。ただの人間でないことは確かで・・・・・・」

 

「よいのです。言いたいことは理解していますわ、ベラ」

 

 ポワンは薄く微笑み、リュカとアリスに向かって言葉を口にする。

 

「わたくしはこの村の長、ポワン。人間族の戦士達よ、よくぞ来てくれました。勝手ながら、あなた方の助けが必要なのです」

 

「はい。出来る事でしたらお力になります。僕はリュカ」

 

「アリスと申します。私もリュカさんと同じです。微力ながら、お手伝いさせていただきます」

 

 リュカとアリスは答えた。その姿は、幼いながらも決意を込めた言葉である。

 

「それでは、ポワン様。失礼ですが、詳しくお話をお伺いしても?」

 

「助けが欲しいとは、他でもありません。あなた方には、春風のフルートを取り戻してほしいのです」

 

「春風のフルート?」

 

「私たち妖精は、季節を司るために欠かすことのできない存在。冬から春の季節を呼び込むためには、その春風のフルートが必要なのです。それがなければ、いつまでも世界は冷たい冬のまま、生き物たちの全てを弱らせ続けてしまうことでしょう」

 

「そんな・・・・・・」

 

 リュカとアリスは絶句する。確かにこれは、世界の今後に関わる危機だ。

 

 これで、世界中から春が来ない事への謎が解けた。春を告げるために必要な、春風のフルートという道具。それが、今の彼女達の手には無いという。

 

 気になったリュカは、もう1つ質問をすることにした。

 

「しかし、どうしてそのフルートが無くなったんです?」

 

「ザイルという名前の、ドワーフの少年です。彼の手で、フルートが盗まれてしまったのです」

 

 ポワンは、少しだけ目を伏せる。

 

「彼は少なくとも、ここから北にある氷の館へ逃げ込んだことが判明しております。しかし、その館は普段から重く閉ざされた扉によって、侵入すらままなりません」

 

「それでは、どうすれば?」

 

 今度はアリスが訊ねる。

 

「西に存在する洞窟に、ザイルの祖父にあたる方がそこに暮らしております。私の先代がこの村を治めていた時、彼が盗賊の技法と呼ばれる技法を編み出しました。それが原因で、この村を追い出されてしまったそうなのです。その者の協力をどうにかして仰げば、あるいは」

 

 盗賊の技法。一体何のことだろうか。

 

「盗賊の技法に関しては私もあまり知らないことなのですが、ある程度の条件の扉ならばどんな鍵でも開けてしまう技法のようなのです。古来より盗賊と呼ばれる者達は、その技法を持ってあらゆる窃盗を中心とした犯罪行為に悪用していたとか」

 

 なるほど、と思う。それならば、確かに村を追い出されるのは道理。

 

 しかし・・・・・・と、アリスは思う。彼女は思いきって、疑問を口にすることにした。

 

「一つ、よろしいでしょうか」

 

「はい」

 

「その、ザイルという方の祖父が暮らしている場所が分かっているのでしたら、使者を派遣してこちらに戻っていただくということは出来ないのでしょうか?」

 

「それはならないのです。こちらにも色々と妖精の秩序を守るための掟がありますので」

 

「・・・・・・追放した者は、いかなる理由があろうとも村の土を踏むことは許されない、ということですか」

 

 だからこそ、エルフ達は第三者の協力者を探していたのだ。彼を追い出してしまった妖精達では声など届かない。ならば、妖精の姿が見える誰か。ある程度の戦いの心得がある誰か。そんな条件を持つ者を。

 

「お察しの通りです。どうか分かってください、アリス」

 

「いえ。心中、お察しいたします」

 

 そう言って締めくくる。上の立場ならではのしがらみ。その中で耐えていかなければならないこと、目を瞑らなければならないこと。それに気づきながらも必要以上に追求しないアリスの佇まいに、ポワンは内心で感心してしまった。人間の子供でありながら、頭の回転も速いとは。

 

 なるほど。ベラが見込んだだけのことはありますね。

 

 実際には見込まれているのはリュカの方であって、アリスは成り行きという関係である。しかし、ポワンはその事に気づいていても、あえてそれを度外視していた。ベラの姿が見えているのはアリスも同じなのだから。

 

「ザイルがなぜそのような事をしたのかは、私にも分かりません。せめて事情を訊こうとしましたが、氷の館にはすでに数多くの悪意に満ちた魔物達で溢れかえっています。まして館の中に入ることすら出来ないとあっては、もはや技法を身につけられるほどの誰かが赴かなければなりません。どうか、引き受けてはもらえないでしょうか」

 

「分かりました」

 

「承知いたしました」

 

「みゃうん」

 

 2人と1頭は頷いた。

 

「僕、その子に会ってみます。そして、フルートを返してくれるように頼みます」

 

「まあ、なんと頼もしい。引き受けてくださるのですね」

 

「だって、フルートを取り返さないと、いつまでも寒いままだから。野菜が育たないし、外で蝶蝶と追いかけっこできないから。それに・・・・・・」

 

 チラリと、アリスの方を見る。

 

「アリスが、何時まで経っても働かなくちゃいけないから」

 

「――――」

 

 一瞬、言葉が出なくなるのが分かるアリス。口をパクパクさせている少女には気づかず、リュカはポワンに向き直った。

 

「だから僕、春を取り戻します。アリスとまた遊びたいし、ビアンカとも3人で遊びたいです」

 

「幼き戦士、貴方は本当に将来が楽しみな子ですね」

 

 そこに、色々な意味を込めていることには果たして誰が気づいただろうか。少なくとも、それに気づいたうちの1人であるベラは、主に咎めるような視線を向ける。

 

「ポワン様」

 

「ベラ、貴方もお供をしなさい。そして、階下の書典の間へ案内して差し上げてね。出来る範囲内で、できる限りの協力をするようにと司書官に伝えておくこと」

 

 それはつまり、この世界の地理だけではなく、妖精の世界独自の知識を教えて構わないという意味だ。文字の読めないリュカには不安があるらしく、顔を少しだけ曇らせる。

 

「・・・・・・大丈夫です、リュカさん。読めないところは、私が教えますので」

 

 心配しなくていいのです、と付け足すアリス。少年は目を瞬かせた後、うんと元気よく頷いた。

 

 そこで、ふと色々なことがありすぎて、つい後回しにしていたことを思い出すアリス。このタイミングで言っていいものかという気持ちが一瞬だけ頭によぎるものの、思い切って言うことにした。

 

「あの、リュカさん。ずっと言おうと思っていたことがあるのですが」

 

「なに?」

 

「その・・・・・・今までごめんなさい」

 

「え、アリス?」

 

 頭を下げるアリスに、リュカは慌てる。

 

「もう・・・・・・私、アルカパから帰ってから、1度もリュカさんとは遊んでいなかったではありませんか」

 

「え、いいよ別に。僕、アリスが忙しいことは知っていたし。大人の人と一緒に、難しいことを話していたから、声をかけられなくって」

 

「それでも、です。私は、リュカさんの友達なのに」

 

 ペチン、とアリスの額に平手が当たる。叩いた、というよりは触れたと言った方が正しかったが。そこで、アリスの顔が上がる。

 

「リュカさん?」

 

「友達は」

 

 グッと、リュカがアリスの顔を覗き込む。黒曜石の瞳がアリスの目に映った。

 

「そんなことで謝ったりしないよ。友達は、忙しいときはしっかりと応援するものなんだから。僕はずっとアリスが働いているところを、ちゃんと応援していたよ」

 

「あ・・・・・・」

 

「ほら、行こう。僕だって、すぐに文字を読めるようになってやるんだから」

 

 クイとアリスの手を掴んで、螺旋階段へ向かうリュカ。大して力を込めていないはずなのに、アリスは全く逆らえなかった。そのうち、自分の足で歩くようになる。ただし、繋いだ手はそのまま。

 

 その背中を、ポワンはどこまでも微笑ましく見送っていた。

 

「ねえ、ベラ。本当に、あの子達に頼んでよかったと思うわ。少なくとも、あの子達の心には一足早く春が訪れているようですしね」

 

「ですから、私はそういうつもりでは・・・・・・はあ、まあいいです。それでは、私もこれにて」

 

 呆れ顔になりながら、ベラは礼をする。そして、そのままリュカ達を追っていった。

 

 

 

 

 そんな当事者達の心境はともかくとして。

 

 妖精の世界の空は、今もなお絶え間なく雪が降り続けていた・・・・・・

 

 

 

 

つづく

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