マブラヴ トータルイクリプス ~桜舞う帝都より~【R-15版】   作:ろっくLWK

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episode 2
藤花の香り


 

  ZAP.YUYA

 

 想像していたよりずっと広い。風呂場に入って最初に出てきた感想がそれだった。

 

「『日本人は風呂好き』とは聞いてたが、さすがにこいつはカルチャーショックだな……」

 

 檜造りの半露天風呂。浴槽はどう見積もっても大の大人が四~五人はゆったり入れるだけのサイズがある。そこには満々と湛えられたお湯が張られていて、潜るどころか泳ぐことすら出来そうだ。

 床のタイルも天然ものから切り出したらしき岩石があしらわれ、湯舟と洗い場を囲う竹垣はかなり高いところまでしっかりと張り巡らされている。

 おまけに何かは分からないが風呂場全体にはふわりと良い香りが漂っていて、それに身を浸すだけでも大いに気分が安らぐほどだ。

 ひょっとしてこれ、風呂っていうより温泉なんじゃないのか? そう勘繰りたくなるぐらい、ユウヤにとってそれは異質な光景だった。

 

「日本の風呂がどこもこうってワケじゃないとは分かってるが、それにしても落ち着かんぜ。え~と、まず最初に洗い場で体を流すんで良かったよな?」

 

 順番を間違えると折角の湯を汚してしまいかねない。これだけ広ければ後から入る者もさして気にすることは無いのだろうが、それでも客には客なりの礼儀というものがある。

 こんなことなら事前に日本式の入浴マナーをさらっておくんだった。はらりと後悔の念を抱きつつ、ユウヤは洗い場へ向かう。と、

 

「ユウヤ」

 

「おあ!? ……何だ、唯依か」

 

 急に戸の向こうから声がしたもので、驚きのあまり心臓が飛び出そうになってしまった。ユウヤはなるべく平静を保ち、受け答えに不自然さを覗かせないよう腐心する。

 

「湯加減はどうだ?」

 

「いや、まだ解らん。これから体洗うとこだし」

 

「そうか」

 

 当主自ら湯加減の心配までしてくれるなんて、これも日本流のもてなしって奴か? 微かな疑問と困惑を抱きつつも、ひとまず体を洗うべく目の前のノブを捻る。シャワーヘッドから噴き出すお湯は実に丁度良い温度だった。一日の疲れと垢が一気に流れ落ちていく心地だ。続けて備えられたシャンプーで髪をわしわしと泡立てると、普段使っているものとは全然違う芳香がユウヤを包み込んだ。

 

「では、貴様の背中を流してやるとしよう」

 

「ああ頼む――って、えっ!?」

 

 ユウヤは素っ頓狂な声を上げてしまう。遥か背後でカラリと戸の開く音。状況を確認しようにも、既にシャンプーまみれになっているせいで目が開けられない。いや、開けずに済んで良かったと言うべきなのか? その判断すら付かぬ間にも、ひたひたと素足が石畳を擦る音が近付いてきた。

 

「まっ待て唯依! いくら何でもお前、そこまでする事はッ!!」

 

「何を遠慮している? 言っただろう、これは貴様に対する恩返しのようなものなんだ。人の厚意は素直に受けておけ」

 

「厚意ってレベルの話じゃ無いだろっ! 一緒に風呂入るなんて、何考えて……っ」

 

「案ずるな。その、ちゃんとタオルは巻いている」

 

「……へ?」

 

 そんなことを言われても聴覚だけでは判断がつかない。だが唯依がそう言っているからには、こちらが過度に気にしなくてもいいということなのだろうか?

 なまじ視界が塞がれているせいで、背後から近づいてくるタオル姿の唯依、その様子をついつい想像してしまう。それを振り払おうとするのに必死過ぎて、もはやユウヤには正常な思考を保つことさえ難しい。

 

「いいな、まず背中から流すぞ。――えっと、石鹸は……」

 

 すぐ耳元から聞こえる唯依の声。背中に感じる他者の濃い気配。その時辛うじて出来た事と言えばせめてもの紳士的対応として、両手で己の股間を覆い隠すことだけだった。

 落ち着け。落ち着け。戦場では男女が一緒のシャワールームに入るなんて日常茶飯事だろ。何も焦ることなんてない、平常心で居さえすりゃあそれで良いんだ。

 ――そう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、それはあたかも自己暗示を掛けているかの如く、己の意識を後方の唯依へと集中させることに繋がってしまった。

 

「では、行くぞ」

 

「お、おう……」

 

 泡まみれのスポンジが背中を擦り始める。唯依の手つきはどこかぎこちなく、恐る恐る触れるかのように背中の全面を這ってゆく。

 

「どこか痒いところはあるか?」

 

「いや、特には……」

 

「ならば、続けて腕を洗う」

 

 唯依の手にあるスポンジが、今度はユウヤの肩から肘へと滑る。その動きに合わせて「ふう、ふう、」とこぼれ出る呼吸音。石鹸のそれとは明らかに異なる唯依特有のフローラルな香りのせいで、ユウヤの脳裏は一面真っ白に埋め尽くされてしまう。

 

「よし。後は……前の方か」

 

「はっ!! 前ッ!!?」

 

 それはまずい。そう叫ぶよりも早く、唯依の腕がユウヤの胸元を巡った。同時に「ふよん」と大きくて柔らかいものが背中に密着し、その感触一つでユウヤの喉は声を失う。

 

「……思っていたよりも、ユウヤの身体は大きいな。なかなか洗いにくい……しょっ、と」

 

 唯依の声がうなじをくすぐる。腕の動きに合わせて背中のふよふよが上下左右にたわみ、重厚な弾力でもってユウヤの身体を押し返してくる。後ろから漂う甘い匂い。艶めかしい吐息。風呂場の湿気と汗でじっとり濡れたタオル地の感触。それら全てを、ユウヤはただただ硬直したまま受け止める事しか出来ない。

 

「――きゃ、」

 

「な、ど、どうした唯依!?」

 

「何でもない。その――タオルがちょっと、はだけただけだ」

 

 ハダケタ? その光景をうっかり想像した途端、物凄い勢いで体の一ヵ所に血流が集まってしまう。こればかりは健康な男子の生理的反応として仕方の無いことだった。

 

「……よし、もう大丈夫だ。では続きをするぞ」

 

「あ、あ、ああ……」

 

 再び背中に柔らかい感触。んしょ、んしょ、という鼓膜をくすぐる声色。たどたどしい手つきでユウヤの身体を擦り上げるスポンジが、ついにおへその下辺りにまで到達した。

 

「も、もういいぞ!! もう全部洗い終わったッ!」

 

「え? いやしかし、まだここより下が――」

 

「お前が見えてなかっただけだ! さっき洗ってたぞ。ああ確かに洗ったとも!!」

 

「そ……そうか。では後は流すだけだな」

 

「大丈夫だオレがやる。湯が掛からないよう、唯依は少し離れててくれッ!」

 

「あ、ああ」

 

 手探りでシャワーヘッドを手に取り、ノブを全開にして勢いよく全身をすすぐ。そうでもしないともう、色々暴発してしまいそうだった。

 

「――よし、終わった」

 

「そのようだな。では済まないが、湯船に入ったら少しの間だけあっちを見ていてもらえるか」

 

「あっち?」

 

 直視が憚られる中、薄目で視界の端に捉えた唯依の腕は完全にあさっての方向を指差していた。そこにあるのはせいぜい竹垣のみ。あんなものを見てどうしろと? ユウヤはしばし訝しむ。

 

「私も、体を洗う」

 

「ハァッ!?」

 

「だから、見ないで……くれ」

 

「ばばばばばばばバカ言うんじゃねえよお前ッ! だったらオレはもう上がるから――」

 

「駄目だ。まだ湯舟に浸かっていないのだろう? 貴様には篁家自慢の湯をたっぷりと堪能して欲しいんだ」

 

「だからそれ、お前が上がってからでもいいだろッ!?」

 

「二度湯など手間だろう。それに……その、こうしていると、私も体が冷えてだな。早く温まらないと……」

 

「――ああああああっ! 分かったよチクショウ!!」

 

 なりふり構わずユウヤは湯舟目掛けて跳躍する。ドボン、という大きな音と共に、周囲には水柱ならぬ湯柱が立った。

 

「熱っちいッッ!!?」

 

「大丈夫かユウヤ?! ――日本の湯は海外のものより幾分温度が高めだと言うからな、火傷などはしていないか?」

 

「あ、いや……、思ってたより熱かったからビックリしたってだけだ。何ともない」

 

「……それなら良い」

 

 冷静になってみると己の慌てっぷりが恥ずかしい。その後ろで「しゅる、」とタオルの取り去られる音。あっちを見ていろ。それは『こっちを見るな』というのと同義だ。

 無論その言いつけを紳士らしく守る気が無いでは無かったし、見たい、などと考えていたわけでも無い。だが悲しいかな、ユウヤにだって男の性というものがある。この状況下、理性のみでそれを抑え切ることは、出来なかった。なるべく直視しないように。そう思いつつもそっと薄目を開けた先には、石鹸の泡に包まれた唯依の裸身があった。

 瑞々しく張りのある肌。思いのほか細やかな肩と背。引き絞られた腰から美麗な曲線を描いて広がるヒップラインに乗る極上の色香。そして極めつけは、洗い上げた腕の向こうに見え隠れする、ふるふる揺れる豊満な丘。

 ――ダメだ。これ以上見たらあらゆる意味でアウトになっちまう。強く自分を戒めて、ユウヤは当初示された方角へと己の視線を戻した。

 

「よし。では私が良いと言ったら、後は自由にしてくれ」

 

「……あ、ああ。分かった」

 

 ややあって、ちゃぷ、と湯船に足を付ける音。自分と唯依が今、同じ一つの湯に入っている。それはユウヤにとって完全に想定外の事態であり、ある意味においては半ば拷問のようなものだった。

 

「……もう、良いぞ」

 

「おう――」

 

 恐る恐る視線を向ける。そこには洗い上げた髪をタオルでまとめ、湯船に身を浸す唯依の上気した姿があった。僅かに白く濁った湯にはバスソルトか何かが入れられているのか、湯面より下のものはおぼろげな影しか映ってはいない。そのことにほんの少しユウヤは安堵を覚える。

 

「ど、どうだ、篁の湯殿は……?」

 

「ああ。き、気持ち良いぞ、すんごく」

 

「香りはどうだ?」

 

「……そう言や何か、ふんわり香ってるな。花の匂いか?」

 

「藤の花だ。ちょっとした伝手から篁家に卸して貰っているもので、花弁から抽出したエキスを岩塩などと混ぜ合わせ入浴剤にしているんだ」

 

「へえ……」

 

 こうして会話をしていても、その内容がまるで頭に入ってこない。ユウヤとて男だ。いかに戦友でありかつての上官であるとは言えど、女と一緒の湯に浸かってもなお平常心でなど居られない。

 ……そうと意識せずにはおれぬほど篁唯依は客観的見解として美人であり、その精神も肉体も極めて魅力的な女だった。そんな思考を彼女に悟られぬよう、ユウヤは無理くりに会話のタネを頭の中から捻り出す。

 

「んに、にしてもお前、毎日こんなゴージャスな風呂に入ってんのか?」

 

「毎日と言えばそうだが、入浴剤についてはその限りではない。良いことがあった日や大事な客人を迎え入れる時にだけ特別に使っているんだ。それなりに貴重品で量も限られているからな」

 

「そうか。まあこんだけデカい風呂に入れるってだけで、オレからしてみりゃ充分ゴージャスだ」

 

「米国の文化では、こういう湯殿をしつらえたりはしないのか?」

 

「一部の金持ちの家にならあるかも知れないが、大抵はシャワーだけだよ。ユニットバスだってある方が珍しいぐらいだ。オレの……そう、オレの実家にしたって、こんなもんは無かったな」

 

「ふむ……そういうものなのか」

 

「祖父さんの住んでた本宅にならもしかして、温水プールみたいなのはあったかも知れないけどな。近寄ることすら出来なかったオレにはそんなモン、確認のしようも無かった」

 

 そこまで言って口をつぐむと、唯依も何も言わずに湯舟へ肩を沈めた。ぴちょん、と天井から垂れた水滴の撥ねる音だけが、沈黙のひと時に感情の波紋を描き出す。それに堪えかねたユウヤは意を決し、口を開いた。

 

「あのさ、唯依」

 

「……何だ」

 

「どうしてお前、オレにここまでしてくれるんだ?」

 

 その問いに、唯依はすぐには答えなかった。

 

「米国生まれのオレにだって、この扱いが並大抵じゃないってことぐらいは解る。それは正直ありがたいし悪い気はしていない。けどそれと同じぐらい、お前に対する申し訳なさだってあるにはある」

 

「申し訳なさ、とは?」

 

「日本の女ってのは奥ゆかしさを大事にするもんなんだろ? 普段の唯依だってそうだしな。そんなお前がここまで体を張ってくれてんのは、恩返しだとか篁の礼だとか、そういうモンだけとは思えない」

 

 それは憚らぬユウヤの本音だった。

 客人を屋敷に招き入れて、ご馳走を振る舞って、風呂にも入れて。ここまでならまだ分かる。だがこうして風呂にまで来て、しかも異性の身体を手ずから洗う。これはさすがにやり過ぎだ。いくら日本人がもてなしを大事にする文化なのだと言われたって、度を越しているとしか思えない。

 

「もちろん裏があるだなんて勘繰ってるワケじゃないぞ。だけど何かがある筈だ。お前がオレにそうまでしてくれる、何かが。それが分からないほどオレだってバカじゃないし、日本のことを何一つ理解してないつもりも無い」

 

 唯依は黙したまま、けれど強い視線をこちらに注いでいた。それに負けじと、ユウヤもまた真正面に唯依を見据える。

 

「正直、それが何なのかまではサッパリ解らない。だが唯依ほど高貴な奴にここまでしてもらえるほどの価値が、オレなんかにあるとも思えないんだ。それは何も篁の家柄がどうのって話だけじゃない。オレにとってのお前はいつだってタフで、クールで、尊敬に値する存在なんだよ」

 

「――尊敬、か」

 

 唯依は少しだけ寂しそうに湯の底へと視線を落とした。その仕草が何を意味するものだったのか、この時のユウヤには解らなかった。

 

「陳腐に聞こえたかも知れないが、今のは全てオレの偽らざる本心だ。だから……何か理由があるのなら、きちんと教えてくれ」

 

「……そうだな。一方的なお仕着せに終始したのでは、貴様も混乱を深めるばかりだろうし、な。理由と呼べるかまでは解らんが、動機の一端に関してはここで話しておこう」

 

 ふう、と唯依は何かを観念するかのように目を瞑り、そして語り始めた。

 

「始めに言っておくが、ユウヤへの恩返しだと言った事に関しては一切のウソ偽りは無い。ユウヤのお陰で私たち日本の民は、こうして平穏無事に一日を過ごせるだけの余力を取り戻すことが出来たんだ。国や人類などといった括りではなく、私個人としても感謝の念に堪えない。これが一つ目の動機だ。過度な対応ゆえ疑いたくもなっただろうが、このことだけは信じて欲しい」

 

「それは……まあ、分かった」

 

「その上で二つ目の動機だが、これは……贖罪、と言うべきなのだろうな。私からユウヤへの、というだけでは無く篁の当主として」

 

「贖罪? どういう事だ?」

 

 言っている事の意味が分からず、ユウヤは懐疑の目を向ける。贖罪。それは少なくとも、唯依が自分に対して何らかの負い目を感じている事を意味している筈だ。だがそれが何であるかなど皆目見当がつかない。そのむず痒さが苛々とユウヤの喉元を掠める。

 

「そして三つ目は篁のそれとも関係の無い、私の個人的な感情によるものだ」

 

「感情、って、どういう……。一つ目はいいとして、後の二つは全然意味分かんねえぞ」

 

「だろうな。――さて、ずいぶん長湯をしてしまった。続きは夜風に涼みながらするとしよう。これ以上浸かっていては、互いにのぼせてしまう」

 

「あ? ちょっと待て――ってオイ!!」

 

 ざばあ、と先んじて湯船から上がった唯依からユウヤはとっさに視線を逸らす。それでも脳裏にはしっかりとその瞬間が焼き付けられてしまった。

 

「先に着替える。……湯を満喫したら上がってきてくれ。離れで待っている」

 

 どぎまぎするこちらになど目もくれず、唯依は確かな足取りで脱衣所へと立ち去ってゆく。そのしなやかな後ろ姿を半ば呆然と見送ってから、はたとユウヤは我に返った。

 

「……くそっ。ご無沙汰だからって節操なくサカってんじゃねえ! 鎮まれ!」

 

 本能に忠実な己の体がこの上なく恨めしい。

 むらむらと高まる欲求にどうにか収拾を付けたユウヤがようやっと湯船を出たのは、それから五分ほど経って後のことだった。

 

 

 

 

 

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