マブラヴ トータルイクリプス ~桜舞う帝都より~【R-15版】   作:ろっくLWK

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真実と告白

 

  ZAP.YUYA

 

「悪い、待たせた」

 

 離れの縁側、ちょうど池を真正面に捉える角度。そこに唯依は純白の浴衣姿で腰を下ろして待っていた。

 部屋のど真ん中には一式の布団。恐らくは侍従か誰かが敷いてくれたのだろう。あつらえ向きなシチュエーションだ……などとは考えなかった。それを横目に見つつ、脱衣所に用意されていた浴衣にそれらしく袖を通したユウヤもまた彼女の隣に座る。唯依はこちらにふわりと笑みを向けた後、再び視線を前へ戻してその口を開いた。

 

「今宵は夜風が心地良いな。湯浴みで火照った体が、芯まで梳かれるようだ」

 

「ああ、確かにな」

 

 唯依に同意しつつ、ユウヤは大きく伸びをした。草木を撫でる風の音がさわさわと身に沁み、身体に籠った熱を冷ましてゆく。緩やかに流れる水が漆黒の空に浮かぶ星を映し、ほのかな煌めきを放っていた。

 ここで過ごす時間はひどくゆったりとしている。つい先日まで身を置いていたあの戦場の殺伐さとは、まさしく雲泥の差だ。

 

「お、それ……」

 

 唯依の髪に留まっているもの。それはアラスカに居た折、雑貨店(ネオアサクサ)でたまたま見かけた一本の櫛。大して高級品でも無かったのだが母の持っていたものに似ていたこともあり、ユウヤはニクジャガの返礼としてその品を唯依に贈ったのだった。

 

「ああ。普段は大切に仕舞ってあるんだが、今日は付けたい気分になってな」

 

「なんでだよ、勿体ねえ。せっかくお前のために買ったんだ、いつも持ち歩けばいいじゃねえか」

 

「万一失くしでもしたら、その方が勿体無い。これは私がアラスカに居たことの証。そして、ユウヤと過ごした思い出の証なんだ」

 

「そんなもんかよ。……まあそこまで言ってもらえりゃ、贈った甲斐もあったってもんだけどな」

 

 くす、と吐息を震わせながら、唯依が櫛をそっと撫でる。その愛おしそうな手つきからは、彼女がその櫛を本当に大事にしてくれているのが感じられた。

 

「じゃあ、続きを聞かせてくれるか。さっきの話」

 

「全く、せっかちだな。――まあいい。貴様を待つ間に、私も心の準備が出来たしな」

 

 揺らめく水面の光を捉え、唯依の瞳も淡く輝いている。それを素直に綺麗だとユウヤは思った。

 

「ユウヤ。以前貴様に、母君のことを尋ねたのを覚えているか?」

 

「お袋の? ……ああ、オレがアラスカを出るちょっと前のことか。確かあん時もお前にニクジャガ食わせてもらったんだっけ」

 

「あの時私はユウヤの母君がどういう人物であったか、何を思ってユウヤを産み、育て上げたのか――その想いを、父君とユウヤをいかに強く愛していたのかを教えてもらった」

 

「まあ、本当にそうだったのかは分からないけどな」

 

 母はもう何年も前に亡くなった。従って彼女の本心など、今となっては誰にも質しようが無い。唯依に語り聞かせたのはユウヤなりの思惟と考察が導き出した推論であり、それを裏付けるものが何一つとして無い以上、ひとえに仮説の域を出るものでは無いのだ。

 

「私は思う。ユウヤの母君は立派な方であったと。例え貴様の解釈と事実が異なっていたとしても、母君が大変な苦労を負って貴様を育て上げ、周囲のあらゆるものと戦いながら我が子を守り抜こうとしたことに違いは無い。そうまでしてご自身の意志を貫き、生涯を懸けて信念を通した母君のことを、私は心より尊敬する」

 

「――唯依にそう言って貰えると、オレもお袋もちょっとは救われる思いがするよ」

 

「だがそれ故に私は、篁は、ユウヤと母君に対して強い贖罪の念を抱かずにはおれないのだ」

 

「さっきもそう言ってたが、その『贖罪』って何なんだ? オレやお袋と篁の家に何の関係があるってんだ」

 

「……私が今からする話を、どうか最後まで落ち着いて聞いてくれ」

 

 射抜くような唯依の瞳がユウヤを鋭く捉える。

 後から思えば、その時から既に予感はしていた。ごくりと唾を呑み、そしてユウヤは頷いた。

 

 

 

「…………タカムラ……マサタダ」

 

「そうだ。それがずっと行方知れずだった貴様の父親であり――篁の先代当主であった、私の父様の名だ」

 

 愕然とするユウヤに、唯依は重ねてその事実を告げる。全てを理路整然と語られても尚、予想だにしなかった衝撃に襲われたせいもあって、まだ半分以上をうまく呑み込めなかった。

 

「……じ、じゃあ、オレとお前は――腹違いの兄妹、なのか?」

 

「……そういうことになる」

 

 足元の基盤ががらがらと崩れ落ちるような感覚。宙に浮かされたユウヤは、完全なる思考停止に陥っていた。

 もはや天涯孤独だと思っていたところに突如として亡父の正体が明らかとなり、腹違いではあっても血の繋がった妹がいることも判った。だがその妹は、事実を知るよりずっと以前から『XFJ計画』の主任として、自分と関わっていたのだ。

 これを運命の悪戯と呼ばずして何と呼ぶべきかを、ユウヤは知らない。

 

「父様とミラ女史、そしてユウヤ。これらの関係を知っていたのはハイネマンさんと巌谷中佐のお二人だけだった。私はXFJ計画に携わる中で、ハイネマンさんから全てを知らされ――」

 

「……ハイネマンは、分かってたんだな……。全部分かってて、それでオレを不知火・弐型の首席開発衛士に……」

 

「だと思う。ただ、そこにどんな意図があったのかまでは私には解らない」

 

 ハイネマンの意図など、元よりユウヤには理解出来よう筈もない。それらしい当て推量をぶら下げることも決して不可能では無いが、今はそんなことをするだけの精神的余力など少しも残されてはいなかった。

 

「これは貴様にとっては、ただの言い訳としか取られないだろうが……父・祐唯は失踪したミラ女史を八方手を尽くして捜したのだそうだ。だが結局は見つかることなく、やがて本国からの帰国命令により苦渋の思いを抱えながらも父は日本へ戻る事を余儀なくされた。その後は国内の政争に巻き込まれ……――いや、やめよう。事実だけを見れば父が非情にも婚外の妻子を棄てたと非難されるのも道理。ユウヤと母君が味わわされた艱難辛苦を思えば、こんなことは弁明どころか謝罪にもならない」

 

 そう語る唯依の顔が苦痛を堪えるように大きく歪む。

 

「後は貴様も知っての通り。崇宰を主家とする鳳家から母様がこの篁へ嫁ぎ、そして私が産まれた。その是非について、今の私はユウヤに語る資格を持たない。まして許せなどと言うことすら……」

 

「――だからさっき、贖罪がどうのと言ってたってわけか」

 

 ああ、と言葉少なに首肯した唯依の態度が、ようやっと腑に落ちる心地だった。

 正直ユウヤ自身、その可能性を一度も考えなかったという訳では無い。

 母に日本人形を贈った父。サムライと呼ばれた父。

 その名も立場も母を含めた誰からも聞いたことなど無かったが、ひょっとして斯衛かそれに近しい続柄の人間なのでは、とアタリを付けたこともある。

 だからそれほど驚いていない……などという気休めを言えるような心境では到底無かったのもまた事実ではあるのだが。

 

「貴様の混乱、察するに余りある。私とてこの話をハイネマンさんから聞かされた当初は大いに狼狽したし、貴様にも真実を告げるべきか否か相当迷った」

 

「……だろうな」

 

 それでも、一旦は腹に納めたとは言っても、唯依はこうして『教える』という選択を取ってくれた。事ここに至るまでの間、唯依には唯依なりの様々な逡巡や苦悩があったであろう事は想像に難くない。

 さっき唯依は「心の準備が出来た」と言っていた。だがそれはあくまで言葉のあやであって、本当はそれよりもずっと前から腹を括り、いつかは自分に話すつもりでいてくれたのだろう。彼女のそんな覚悟を無碍には出来ない。そう思える程度には、顔も知らぬ父親に対するユウヤの感情もまた幾らか整理されつつあった。

 

「ユウヤ。アラスカで貴様に預けた刀、今でも持っているか?」

 

「……ああ。亡命の時に一時没収はされたが、ちゃんと返してもらった。今は基地のオレの部屋に保管してある」

 

 唯依から譲り受けたあの刀はユウヤにとっても大切な宝だ。ユーコンを出奔する際、身の回りの品を持ち出す余裕など一切無かった状況にあってさえ、あれだけは管制ユニットに貼り付けてまで持って来たほどだ。

 あれを手放すのは自分が死ぬ時か、本来の持ち主である唯依に返上する時。ユウヤはそう心に決めていた。

 

「あれをユウヤに託した際、私が言ったこと……覚えているか?」

 

「確か――受け継ぐべき者がそれを授かる。それが自然であり、正しい……とか」

 

「あの刀……『緋焔(ひえん)白霊(びゃくれい)』はな、単に私の魂や、免許皆伝の証というだけでは無いんだ」

 

「どういうことだ?」

 

「緋焔白霊は篁家に先祖代々伝わる当主の証。即ちあの刀を有する者こそが、篁の名を継ぐに相応しい……そういうことだ」

 

 当主の証。篁の名。その言葉を聞いて、ユウヤは一つのことに思い至る。

 

「じゃあお前はもしかして、あの時から、」

 

「ハイネマンさんから事の全てを聞かされたのは、あの数日前だった。初めのうちは戸惑ったしどうすべきか考えあぐねもした。だが世が世であれば篁の家は私ではなくユウヤ、篁の長子たる貴様が継ぐ筈だったんだ。ならばその証たる刀も、そうあるべき者の手にあった方が自然であろう」

 

「で、でもオレはそんなこと、何も知らないままでッ!」

 

「……許せユウヤ。本来許しを乞える立場ですらないことは重々承知している。全てを知ってしまったからこそ私は、篁は、ユウヤと母君にどれだけ贖っても贖い切れぬ罪の意識を抱いているんだ。そう、知らなかったでは済まされぬほどの……」

 

「だからって、あれはオレが受け取っていいものじゃないだろ。過去がどうあれ、オレが何者であれ……今の篁の当主は唯依、お前以外に居ないんだ」

 

 それはユウヤなりの、心からの本音だった。

 例え自分の中に篁の血が流れているのだとしても、実質的には篁家の長兄なのだとしても、『だったら自分が当主になるべき』などという発想を抱くことなんて出来やしない。そもそもそんな発想自体が烏滸がましいことだ。

 篁を体現し篁の家を継承するなら、それにはもっと相応しい人物が目の前に居る。であるならば当然、継承者の証たる刀もその人物が授かることこそが自然であり、正しい。その筈だ。

 

「そうだな。私は篁の矜持に生きているし、家名を背負う者としてその道に殉ずる覚悟もある。元より投げ出すつもりも無い。だがそれでもあの刀……篁の魂、その象徴たる緋焔白霊は、ユウヤにこそ持っていて欲しいと思っている」

 

「……それも、お前の言う贖罪、なのか……?」

 

 引き絞るようなユウヤの声に対し、唯依は自嘲とも取れる含み笑いを一つ落とす。

 

「さてな……。正直、自分でも良く分からない。だが他の誰が何と言おうと、私はユウヤのことを篁の血を引く人間として認めている――そういう想いを込めたつもりではいる。もしどうしても要らないと言うのであれば、返してもらっても構わないが」

 

 そこで迷わなかったと言えば嘘になる。まして唯依のことを思えば、緋焔白霊を手にする事こそが彼女の矜持を裏打ちするものであり、唯依を名実共に篁の当主としてくれるに違いないのだから。

 だがそれは少なくとも唯依の望みではない。何より唯依は自分なんかよりもずっと以前に真実を知り、悩みに悩んだ末に覚悟して、緋焔白霊を譲ってくれたのだ。

 ならば、その想いに応え得るユウヤの選択は。

 

「……唯依」

 

 ユウヤは正面から唯依と向き合う。今にも消え入りそうな唯依の長い黒髪が夜風になびき、虚空に波を打っていた。

 

「正直、色んな事がいっぺんに解ってビックリしてるし、心の整理も付いてない。けどな、少なくとも許すとか許さないとか、そういうのはもう考えても仕方ねえって思ってんだ。過去がどうであれ、その積み重ねの上に今のオレがいる。それを否定するのは自分の何もかもを否定しちまうのと同じだって、ユーコンでお前らと過ごした日々がオレに教えてくれた。それに親父も親父で色々あったんだってことも分かったし……今はそれで十分だよ」

 

 ユウヤは唯依の手を取り、両の手で固く握り締める。細く小さな彼女の手は雪のように白く透き通っていて、精巧な銀細工のように隅々まで整っていた。

 

「最初にこの事実を知って、お前も辛かったと思う。苦しんだと思う。だからオレも真正面からこの事実を受け止める。そのシンボルとして、あの刀はもうしばらくオレの手に預からせておいてくれ」

 

「ユウヤ……」

 

「そしていつか、オレが本当の意味で自分の道を歩めるようになった時……そう、オレが篁の血に心から誇りを持てるようになった時には、オレがこの手でお前に返す。当主の証なんだろ? だったら誰が持つべきかなんて、答えは明白だ。だからその日が来るまでもう少しだけ、待っていてくれ」

 

「……何を言うかと思えば」

 

 ふ、と唯依が浮かべた笑みは、あたかも諦観を形相に変えたかの如き淡さだった。

 

「それで貴様の気が済むというのであれば、私に否やは無い。――あの日言った通り、ユウヤの剣術は既に篁示現流を離れ独自の道を歩んでいる。その道を極めるのには一生涯を費やすことになるだろうが……それを真に悟った時にはユウヤもまた緋焔白霊を手放し、己の道を体現する一刀を手にすべきなのかも知れんな」

 

「そう、なのかな。まああの頃よりは多少マシになったとは思っちゃいるが、それでもまだまだお前の足元にも及ばねえって気がする」

 

「当然だろう、私とて日々鍛錬を積んでいるのだからな。……まあ返す返さないは、この後の話次第でもあるんだが……」

 

「この後?」

 

 そう言えば、とユウヤは思い出す。先ほどの入浴中、唯依はもてなしの理由を三つ挙げた。

 

「恩返し。贖罪。それと……唯依の個人的な感情、って言ってたな」

 

「……ああ」

 

「さっきまでの話の流れからすれば、それってやっぱ『血を分けた肉親への親愛』とかか? それとも『戦友同士の友情』とかそういうヤツか?」

 

「いや、そういうのもあるにはあるんだが、そうではなくて、だな……――その……」

 

 唯依の口調が急にたどたどしくなった。何だよ、と追って尋ねようとするのはしかし、唯依の何かを逡巡するような気配に憚られる。

 

「……ユウヤはその、過日発表された日本復興計画の詳細について、どこまで聞き及んでいる?」

 

「あ? どうしたよ急に」

 

 復興計画。いかにも軍人ならば知り得て当然……と思われそうな話だが、ユウヤとて所詮は現場のいち士官に過ぎない身。公共メディアの報道から得られる以上の情報など入っては来ない。そんなもの、巷の井戸端でとっくに出涸らした語り種の筈だ。

 その程度の話でも良いのか? 訝りつつも、ユウヤは己の知り得る限りを列挙してみる。

 

「ええと――まず、ここに来る時にも話してた食品養殖プラントの建設計画だろ。それと並んで、本州を縦横に結ぶ専用道路と高速鉄道網の整備計画、なんてのもあったな」

 

「他には?」

 

「うろ覚えだが、確か……海外に移転させてた一部産業の生産拠点呼び戻し補助。BETA再侵攻を警戒しての新潟・北九州防衛都市化構想。後は、既に自主帰還している一部住民の居住と治安確立を目的とした大阪および京都の復興五ヵ年計画。……まあ、この程度だな」

 

 これら計画の一部は昨年、桜花作戦の成功直後からその構想が練られ、幾つかは議会の決定を待たず発布された政威大将軍令により既に着手されている。衣・食・住を含めBETAによってズタズタにされたありとあらゆるインフラを早急に整えることは、日本の国際的立ち位置を確保する意味でも喫緊かつ最重要の課題である……というところまでが先般の報道から得ていた知識だ。

 

「施策としては概ねそうだな。では、法整備の面についてはどこまで知っている?」

 

「いや……それほど詳しくは」

 

「『桜花作戦』成功の報を受け、元枢府および帝国政府は昨春『国家体制回復のための特別措置法』を制定した。これは短期間での国体復旧や国民の生活基盤再構築を目的とした二十ヵ年の時限立法であり、先に挙げた施策もこれらの法の下に進められている。国一丸となって取り組むべき諸問題に迅速かつ円滑に対処する為に、この法制は必要な措置であったと言える」

 

「まあ、そうだろうな」

 

「で、だな。その……婚姻に関する民法も一部改正されたことは、知っているか?」

 

「……全然」

 

 何となくばつの悪い思いを感じつつも、ユウヤは素直に首を振る。他の衛士たちが何やら話題に挙げていたような気もするが、ユウヤ自身はさして関心を抱かなかったが故に、法改正の細かいところまでは知らぬままでいた。

 

「日本では度重なるBETA戦役において段階的に男子の徴兵年齢が引き下げられた為に、戦死した男子の割合が過度に高いんだ。とりわけ結婚適齢期における現在人口の男女比は、平均で一対六。軍関係者に限れば一対八とも言われている」

 

「BETA支配地域やハイヴに接してる国はどこもそんなもんだからな。日本みたく、一度でも被支配地域にされちまってたんなら尚更だろ」

 

「そう。そして今後数十年における迅速な人口回復を課題とした際、最大の障害とされたのもこの点だった。女性ばかりの力では出生率の改善は成し得ない。これを解決するために法の改正点として出されたのが『日本国籍を持つ男性の重婚認可』、『医療補助と助成金交付による出産育児の推進施策』――そして、」

 

 そして……? 唯依はそこでやけに長い間を置き、たっぷり溜めた息と共に、最後の項を吐き出した。

 

「『異父母兄妹間での婚姻、及び出産の認可』……だ」

 

「…………は?」

 

 唯依が顔を真っ赤にしている。頭での理解が及ばずとも、彼女の言葉と仕草は、ユウヤを大いに動揺させた。

 

「だから、『異父母兄妹間での婚姻、及び出産の認可』だ」

 

「いや、二回言わなくても分かる。聞きそびれた訳じゃねえし」

 

「そ、そうか。済まない」

 

「つか、何で今、そんな話してんだよ……?」

 

 途端に唯依との距離感を意識してしまい、ユウヤは手持ち無沙汰に自分の膝頭を引っ掻く。浴衣という日本の装いはついさっきまでは風流で涼やかなものだった筈なのに、今は妙に通気性が悪いと感じる。そう思ってしまうくらい、緊張と動揺のせいで全身がカアッと熱くなっていた。

 

「この三番目の改正点は、これも時限法ではあるのだが――遍く日本国民の為と言うよりもむしろ、斯衛を始めとした武家や上流家庭への配慮が根底にあるらしい。篁に限らず今次戦争において継嗣を喪い継承者が女ばかりとなった家も少なくない上、武家というのは家格に応じた婚儀に重きを置く側面もあるからな。『男子であれば誰でも良い』という訳には行かぬが故の、やむを得ぬ特別措置なのだろう」

 

「け、けどよ、実際そんな例なんてどんだけあるんだ?」

 

「日本では古来より御家存続の為、分家筋などから養子を取る慣習があるんだ。以前にも話した通り、女が家督を継ぐことには未だ否定的な声も多くてな。――尤もこの世情のせいで、他家においても五摂家を始めとして婦女子が当主に据えられる例も増えつつあるが」

 

 ふむ、とユウヤは心の中で相槌を打つ。そう言われれば確か、この日本を統べる現在の政威大将軍も唯依とそう歳の変わらない女の子、と知って驚かされた記憶があった。トップがそうであるならば下に付く者もまたその範に倣う。それが武家社会における暗黙の了解と、そういうことなのだろう。

 

「だが熾烈を極めるBETAとの戦は、そうした武家にも多大な犠牲をもたらした。女子も含め世継ぎが断たれてしまった家も珍しくは無い。そこで、例えば他家へ養子に出された妾腹の者や婚外子同士が婚儀を結び、生まれた子を本家の養子に据えて跡目を継がせる事で各々の御家を存続させる――そうした意図がこの法には少なからずある」

 

「け、けどよ。異母兄妹同士ってアレだろ、その、こ、子供とかが」

 

「異父母レベルに離れた近親者同士の交配による遺伝的な諸問題も、一世代に限れば妊娠期からの医科学的処置で解決可能らしい。図らずも、BETA戦役のお陰で医療の水準はここ数十年で飛躍的に高まっているからな。つまり……その、異母兄妹同士が結ばれることは少なくともこの国の現行法や社会観念上、何ら問題は無い、ということだ」

 

 こちらを見る唯依の目が少し熱っぽい。それに胃の腑をずぐりと抉られ、ユウヤは言葉に窮してしまう。

 

「……わ、私が何を言いたいか、ユウヤにももう解っているのだろう……?」

 

 解らない、とはとても言えなかった。

 篁家の血を引くのは今やユウヤと唯依、この二人きり。そのうちユウヤは婚外子の身であり、唯依は女であるが故に、いつ家が取り潰しになるかも分かったものではない。

 だがもしもその二人が結ばれ後継ぎを儲けたならば? 唯依の言っているのはつまり、そういうことだった。

 篁の家を守るため。篁の血と意志を後代に継ぐため。そのためとあらばこういう決断をすら厭わない、それが篁唯依という女だ。それはこの話を切り出されるよりも前から、いやアラスカにいた時分からとっくに分かっていた事である。だがユウヤが口をつぐんでしまったのは何も、唯依が半分とは言え血の繋がった肉親だから、というだけではない。

 

「ど、どうなんだ。――あ、いや、急な話だという事は充分承知している。ユウヤが驚くあまり言葉も無いのは無理からぬ話だぞ。私はただ、返答を迫っているのではなく、そういうことを念頭に置いてもらってだな……」

 

「……悪い、唯依」

 

 殊に、唯依には本人も述べていた通り、自分への贖罪意識というものもある。こうすることで八方全てが丸く収まる。そう考えてのことなのだとしたら、しかし、それを受け入れる資格は自分には無い。

 ――それはユウヤなりに可能な限り唯依のことを慮っての発言をした、そのつもりだった。

 

「お前がそうやってオレのことを気に掛けてくれるのは嬉しいし、ありがたいとも思うよ。けどな、それと一生に関わる大事を一緒くたに考えちゃいけない」

 

「――え、」

 

「武家の風習だとか斯衛の仕来りだとか、そういうのは正直オレもほとんど解っちゃいねえ。だが国を問わず名士の家ってのは、どこもかしこも似たような性質を帯びるモンだ。特に日本ってのはガッチガチの保守国家だろ? そんな社会で重責を背負ってるお前がオレみたいな異分子を家系に加えたとなれば……当主である唯依がどれだけ辛い思いをすることになるか、お前にだって薄々分かってる筈だ」

 

 その時果たして唯依は何を思っていただろう。淡い桜色の唇が微かに震えているのが判る。胸元で握り締めた両手の指が甲に食い込んでいるのが見て取れる。それでも尚、ユウヤは言わないわけにはいかない。

 

「オレのお袋もそうだったし、お前のお袋さん……栴納さんだって篁より上流の家柄から嫁いできたってんなら、家のことで色々苦労した筈だ。それがオレ自身のことだったら、オレは耐えられる。誰に何を言われようがオレはオレのすべきことをやるだけだ、って覚悟もできる。だがそれと同じかそれ以上の苦労を今生きる人間、特にお前にさせてしまうのは、オレには我慢がならない」

 

 そこまでを語ったところでユウヤはふと異変に気付く。あまりの剣幕に気圧され呆気に取られたかのように、それでいて話の半分も聞いていないみたいな虚ろさで、黙した唯依がただじっとこちらを覗き込んでいた。

 

「おい? 大丈夫か、急にボーっとして」

 

「――……ああ、成る程。……こういうことだったのか」

 

「……唯依?」

 

「ハイネマンさんがあの時言っていたことの意味が――今、とても良く分かった……」

 

 ひとりごちた唯依の表情は、空疎と悲嘆、そのどちらでも無い。

 ハイネマンが何だって? 何を言うべきかを迷ったユウヤは固唾を呑んで口を結び、しばし唯依を見つめ続ける。

 

「済まないユウヤ、私の言い方が悪かった。あのような物言いでは私の真意など貴様に伝わる筈も無い。――ましてや、そんなものでユウヤを動かそうなどと……」

 

「いや……そんなことは無い。オレだってちゃんと分かってるさ、お前がどれだけオレの身を案じてくれてるのかってことは、」

 

「そうじゃない。そうじゃ……ないんだ……ッ」

 

 ひときわ強く体を震わせ、そしてやにわに、唯依が懐へ飛び込んできた。一瞬驚きはしたものの、ユウヤは彼女の細くしなやかな肩をおずおずと受け止める。

 

「ゆ、唯依? どうしたんだ、さっきから」

 

「……ユウヤ……私……私は……」

 

 唯依の切ない吐息が、苦しげな声が、胸の内をくすぐる。湯上がりの甘いシャンプーの香りが嗅覚を痺れさせる。顔を上げた唯依の今にも涙をこぼしそうな瞳が、ユウヤの視界をいっぱいに埋め尽くす。

 

「私は、ユウヤが――ユウヤのことが、好きなんだ……!!」

 

 

 

 

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