マブラヴ トータルイクリプス ~桜舞う帝都より~【R-15版】 作:ろっくLWK
情愛の返報
ZAP.YUI
『会社の意向だ何だと言うが、やりたくもないことをそうは言わない。むしろ逆でね、会社を利用しているんだよ。――そんな人間に建前を語って、響くと思うかな?』
いつからだったのだろう。正確には覚えていない。
初めのうちはぶつかってばかり。この重要な計画を左右しうる主席開発衛士がよもやこんな男とは。そんな風に辟易としていたことは、今でも良く覚えている。
なのに、いつからだったのだろう。契機と呼べる何かは自分でも知らぬ間に訪れていた。
共に幾度も死線を潜り、高邁な目標を掲げ、それに向かって遮二無二取り組んでいるうちに、いつしか二人の見る景色が一つになっていた――心からそう思えたとき、私は嬉しかった。
他人に、ましてや異性にこんな想いを抱いたことなど、それまでには一度も無かったことで……それに気付くまでには少なからず時間を要した。後から振り返ってみたとき、いつからそうだったのか分からなくなっていたほどに。
それでも、やっと手に入れたこの感情だけは手放したくない。私は心からそう思っていた。
けれどハイネマンさんから真実を、その身に宿る血の因縁を知らされた時、私は絶望し悲嘆に暮れた。
何故運命は斯くも私を翻弄するのだろう。
どうして私だけが茨の上で血反吐を吐くような思いをしなければならないのだろう。
……その全てを恨まなかった訳が無い。だがそれでも、弁えたつもりだった。けじめを付け、篁の志を託し、それを己が峻別としたつもりでいた。
元より己の歩む道が地獄なら、そして選んだ結果が元の道に戻るだけでしかないのなら、自分は甘んじてそれを受け容れようと。
そしてあの男は全てを棄て……愛する者と共に生きる道を択んだ。
あの時私には、口を噤んでそれを見送るより他は無かった。
諦める……? それは少し、違う。
私の中で想いの尺度は何ら変わっていない。ただ質が変わっただけ。
そうであるならば、私があの男を想い続けることに何らの罪深さも無い。誰に赦しを乞う必要も無い。
ただ父様を母様を愛し、そして恭子様をお慕いしたように……あるがままの想いをあの男へ、そう、『血の繋がった肉親として』向けるだけ。
だから、私は私の尺度であの男を想い続けていられれば、それで良い。
そうやって私はいつの間にか――いや、またしても――自分を、誤魔化していたんだ。
「私は、ユウヤが――ユウヤのことが、好きなんだ……!!」
言ってしまった。
とうとう、この想いを。自分の口から本人に、告げてしまった。
あまりの高揚と羞恥に、唯依の思考はうまく回らない。目の前のユウヤにとってもこれは完全に想定外の事態だった事だろう。震える唯依の肩を優しく抱き留めながらも、彼の相貌は緊張に固く引き攣り、息を呑んでいるさまが窺えた。
「こんな私を貴様は気持ち悪いと思うかも知れない。突然何を言っているのかと混乱しているかも知れない。だがそれでも私は……貴様が血を分けた兄妹であったという事実を知るよりもずっと前から、ユウヤ=ブリッジスという男を、好いていたんだ」
これ以上、当人の顔を見ることは出来なかった。かぶりつくようにユウヤの肩へと顔をうずめ、嗚咽を必死に殺しつつも、唯依は包み隠さぬ己の心を止めどもなく吐露してゆく。
「私はユウヤを愛したいと思った。ユウヤに愛されたいと願った。だがユウヤが父様の子だと、兄妹だという事実を知って、一度は断腸の思いで決心した。この想いを終生誰にも告げず、墓場まで持っていこうと――」
けれど、言ってしまった。
それは斯衛の仕来りや篁の家、己の決断、世情の変化や法律……そういったありとあらゆるものが今、真に伝えたいことを伝える上ではただの
そしてそれは奇しくもあの日ハイネマンに言われたことと、形は違えど全く同じ事だった。
『やりたくもないことをそうは言わない。――そんな人間に建前を語って、響くと思うかな?』
そう。無意識のうちに自分は、建前でユウヤと話をしようとしていた。だからユウヤも建前で自分を諭そうとした。互いに胸の内を曝け出せていない。だから互いに響かない。それではダメだとあの日あの時、身をもって思い知った筈だったのに。
「……それなのに、こうして貴様に告げてしまった。ユウヤを困らせるばかりだと知りながら……それでも私は、もう自分に嘘はつきたくなかった」
思いの丈を吐き出し切り、唯依はおずおずと顔を上げる。やはりと言うべきか、ユウヤの表情にも苦渋が滲んでいた。
けれどそれはきっと嫌悪や拒絶の意志ではない。何の根拠もなくそう思えたのは、これまで歩んだ道のお陰で、自分がユウヤという人間のことを幾らかでも理解できるようになったからだ。
「――済まなかった唯依。お前がそういう気持ちでいてくれたこと……今の今まで、これっぽっちも気付いてなかった」
「……良いんだ。元より私も、ユウヤには伝えるつもりなど無かったのだからな……」
ユウヤの体温があったかい。ユウヤの匂いが優しい。許されるならもう少しだけ、この心地良さに包まれていたい。そんな想いに身を委ねるように、唯依はユウヤの胸へ頭を預ける。
「正直を言えば、オレだって兄妹だ何だというより先に、お前のことを女として見てる部分はある。血の繋がりなんて今まで思いもよらないことだったし、それに――男からそういう目で見られるのも当然なぐらい、唯依は魅力的な女だ。お前の気持ちだって、本音を言えば嬉しくも思ってる」
「……ユ、ウヤ……」
その言葉は、何よりも嬉しくて、泣きたい気持ちでいっぱいだった。
ユウヤが自分をそういう目で見てくれている。仲間としてでなく、一人の女として。それなら良かった。勇気を振り絞った甲斐があった。
先ほど湯殿でユウヤの前に己が裸体を晒したこと。恥ずかしさを堪えつつも、身を挺して彼の身体を洗い上げたこと。それらは当然『篁流のもてなし』でも『自分なりの恩返し』でも何でも無かった。女として意中の男の気を惹かんとする、色恋沙汰に不器用な唯依なりの精いっぱいの行動だった。
「けどだからこそ、お前の気持ちに応えるためにも、オレは言わなきゃならない。聞いてくれ唯依。あのな、オレ……」
「言うな」
開きかけたユウヤの唇に、唯依は人差し指で封をする。
「言わなくても解っている。ユウヤのことなら」
ユウヤの息遣いを頬に感じる。ユウヤの体温を胸に感じる。ユウヤの瞬きを眼に感じる。それが、狂おしくて、せつない。
「貴様の心にあるもの。未だ忘れ得ぬもの。……それはビャーチェノワ少尉――いや、クリスカのことだろう?」
その名を口にしたとき、ユウヤは明らかに目を瞠った。
クリスカ=ビャーチェノワ。彼女はソ連軍の開発衛士であり、戦術機開発において自分たちと雌雄を争った好敵手であり、同じ戦場で命を懸けた戦友であり、そしてもっと個人的には……
「……知ってたのか」
「帝国の情報収集力を甘く見るな。貴様とシェスチナ少尉の安否が確認されたのと、ほぼ同時に……な」
ソ連から飛来したと思しき戦術機一機、国連軍北海道基地に強行着陸を敢行。我が国に亡命を申請する国籍不明の搭乗者
その報せを聞いた時から、予感はしていた。
持ちうる伝手を辿って詳報に行き着いた時、唯依は自分のこと以上にユウヤとクリスカに待ち受けていた運命を、その過酷さを呪いもした。
何故だ。何故なんだ。愛する者同士がやっと手を取り合える時が来たというのに、どうしてほんの僅かなひと時しか、それは許されなかったのか――
「それまでユウヤが必死の思いで積み上げてきた開発衛士としての実績も、米国民としての地位も何もかも、全てをかなぐり捨ててまで彼女を選び取ったんだ。それがどれほどに重い選択であったことか……。彼女をどれほど大切に思っていたか、別たれる二人の苦しみや悲しみが如何ばかりであったか、私には想像を絶する。お世辞にもユウヤの気持ちが分かるなどと言えたものではない」
「何だよ……そこは嘘でも慰めてくれるところじゃないのか?」
「そんなことは出来ない。何故なら、私とクリスカは……
そう。その一点で今も、自分とクリスカは繋がっている。どんなに歪であっても、他人から理解されがたくとも、それは二人にとって確かに『絆』と呼ぶに相応しいものだ。
「こい……がたき……」
何かを思い返すように、ユウヤがおぼろげな口調でその語句を復唱する。
「だからこそユウヤがクリスカを択び、私の元から去った時……私は祝福したんだ。クリスカがしあわせであって欲しいと。……その幸せがどれほど長く続いたかは解らない。私の願いなど何の意味も無かったのかも知れない。それでも私は願ったんだ、恋敵の幸せを。何故だか分かるか?」
「――いや」
「クリスカの幸せが、ユウヤの幸せ――私自身が、心の底からそう信じていたから」
ユウヤが択んだクリスカが、クリスカが択んだユウヤが、互いが幸せであったのならば。そうして結ばれた二人ならば、例え死によって別たれたとしても、残された方はその存在を胸に宿し生き続けられる筈だと、そう信じているから。
「だから……いいんだ。ユウヤの中には今もクリスカがいて、ユウヤは今でもクリスカを愛している。それでもいいんだ。私はそれすらも含めて、丸ごと全部のユウヤを愛している。兄妹としてではなく、一人の……女として」
「唯依……」
「もし私という存在が、ユウヤを少しでも幸せに出来るのなら……私は迷いなくこの身をユウヤに捧ぐ。それをきっと、クリスカも望んでいる。もし立場が逆だったなら、私もきっと、クリスカにそうして欲しいと願った筈だから」
ユウヤが無言でこちらを見つめている。抱き留められた肩が少しずつ、ユウヤの胸元へと引き寄せられていく。
「今すぐに答えを決めなくても良い。……だが、もしもこんな私を、ほんの少しでも想ってくれるなら、」
ユウヤの唇がすぐ目の前にある。一度弾けた想いの波濤は、もう止めることなど出来そうも無かった。
「せめて今宵だけでいい。――……私の想いを、受け止めてくれ……」
蒼の夜空に滲んだ欠け月。初めて重ねた接吻は、冷たい泪の味がした。
・
・
その夢のようなひと時を、何と例えれば良いのだろう。
熱くて、苦しくて、もどかしくて、切なくて。
けれどそれ以上に、何もかもが満たされて。
それは唯依にとっては初めての事だった。こんな事がこの世にあるだなんて、人生にあるだなんて知らなかった。そういう言葉ですらも言い表し切れない。だが全てが終わって後、唯依が感じていたかったのはたった一つの存在、それだけだった。
「そのままだと気持ち悪いだろ? ほら、今拭いてやるから」
気遣いから枕元のティッシュを手に取ろうとしたユウヤを、しかし唯依は「いい」と制した。
「もうしばらく、このままで居させてくれ。――今はこうして、ユウヤを……ユウヤが注いでくれたものを、感じていたい」
「そうか……?」
「それに情事の後というのは、二人寝そべって余韻に浸るものなんだろう……?」
「まあ、な。――それじゃあ定番だし、ほら、こっち来いよ」
隣に寝そべったユウヤがその腕をこちらへ伸ばした。そこに頭を付け、腕枕の体勢を取った唯依はユウヤの厚い胸板へと顔を寄せる。ユウヤはしばらく唯依の背中や乳房をゆっくりとまさぐり、絶頂に昂り切った唯依の心身を落ち着かせてくれた。
「――……ふふ、ユウヤはあったかいな。……不思議なものだ。こうしていると、一人でいるより何倍も心が安らぐ」
「人ってのはそういうもんだからな。お互いに無い部分を求め合うし、心や体で埋め合い補い合う……その繋がりがどんどん大きくなって、色んな人同士が固く強く、繋がっていくんだろうな」
「似た話を、ずっと昔にも聞かされたことがある……とてもお世話になった、私の尊敬する方から……」
「そうなのか?」
「ああ……もう亡くなられたが、その方もユウヤと同じくらい暖かくて、お優しい方だった」
きっと恭子の言葉とユウヤのそれは、本質の部分で同じだ。人は誰もが周囲から何かを受け取って育ち、そして何かを明け渡して育ててゆく。そうして紡がれた営みの中に誰もが身を置いて生きている。
だからこそ、受け取ったものは返さなければならない。そして与えてくれた本人にそれを返せるのは、本当に幸せなことだ。
今の唯依にはそのことが身をもって理解できる。この体に注がれたユウヤの愛と一緒に。
「……なあ、ユウヤ。私はお前に……沢山のものを、与えてもらった。本当に、沢山のものを、だ」
夢見心地のひと時。唯依の視界は徐々に輪郭を失い、ぼわぼわとたわみ始める。
「それを、私は……ほんの少しでも、お前に、返せて、いるだろうか……?」
「唯依、眠いのか? 疲れちまったか……?」
いま感じるのは、ユウヤの温もりだけ。瞼を閉じ、唯依はその揺り篭に身を、心を委ねる。
「いいや、『返したい』じゃないな……。ほんとうは『与えたい』……与えられるように、なりたい。そう思わせてくれたのは、ユウヤなんだ……だから……」
――ありがとう、ユウヤ――
意識がふつと閉じる寸前。ユウヤの唇が額に触れた、ような気がした。
それだけで、唯依はしあわせだった。