「……もう朝か」
北海道で騒動に巻き込まれてから一週間の月日が経ったが、あれ以来妙に身体が怠く、ワックスか何かで髪を固めないと必ず髪が逆立ち、起きている最中は肌がピリピリする。そんな調子がずっと続いている。
こんな調子では仕事にならないと感じた御酒仁は、東京にある活動拠点としている能力者専用のマンションに戻り、ぼんやりと日常を過ごしていた。
(原因は不明らしいけど、能力者は過度のストレスを感じると、通常起りえないような奇妙な現象が身体に起こることがあるって学生時代に習った気がするな)
ストレスの原因だと思われる病院で治療に失敗した出来事を思い出し、自嘲気味に笑う。
御酒仁は、寝室からリビングに移動すると冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出してゴクゴクと喉を鳴らしながら飲み、身体の中に溜まったモヤモヤとした感情を吐き出すかのように盛大にため息を吐く。
やっぱりまだどこか心の中で特級能力者なのだから、今はまだ覚醒していないだけで必ず特級に相応しい隠された力があると思っていたのだろう。
能力の出力はともかく、身体に蓄えられる能力を使う為のエネルギー量は特級クラスなのは間違いない。それは検査でもしっかり証明されている。そして一般的な回復系能力者とは能力発動時に起こる現象も異なる。だからこそ自分が特別であると勘違いし続けてしまった。
一般的な回復系能力者は能力を発動した際、治癒対象の一部もしくは全身が光の粒が瞬くような柔らかな光に包まれる。光の強さや色は能力者によって異なることもあるが、概ね白、青、緑のどれかだ。
だが一級の中でも上位の者や特級になると、それら以外の違った現象が見られることがある。その理由はまだ詳しく判明していないが、力が一定水準を超えるとより自分に適した形に変化するという説が有力だ。
それ故に、御酒仁は病院で普段とは違う現象が起こった時に、隠された力がとうとう目覚めたのではと興奮した。
だがそれは勘違いに過ぎなかった。
結局どこにでもいるような有象無象の能力者に過ぎないのだろう。
それが偶然、エネルギー量が多く判定基準的に特級に分類されただけ。
自分の後に入ってきたガスマスクを被った謎の女性の発言でそれがよくわかった。彼女のような存在こそ真の特級で、自分のような存在はその引き立て役に過ぎないのだろう。彼女が一瞥しただけで、問題ないと言い切れる怪我すら満足に治すことが出来ないのだから。
(俺は特級の中の落ちこぼれ…いや能力を考えると、能力者の中でも落ちこぼれだな……)
幼い頃に能力が発出した時点で既に特級だった。通常特級になる者でも最初は三級か二級辺りが一般的で最初から特級というのは稀だ。そしてそういった者は、ほぼ例外なく傑出した能力を持っていることが多い。
多いということは全員ということではないわけで、残念ながら自分は数少ない例に漏れてしまった側なのだろう。
一体誰が。そう思いながら棚の上に置いてある時計を見ると、時計が表示している時刻はまだ八時だった。
特級なのに五級とほぼ変わらないような力しか発揮できない御酒仁は、学生時代ずっと周囲から腫物扱いで自宅に来るような親しい友人はいない。だから知り合いではないのは確実だ。かと言って仕事の関係の人や配達業者が来るにしては少し時間が早い。
奇妙に思いつつも仕事関係ならメールか電話で済ませるだろうし、きっと配達業者くらいしかいないだろうと考え、訪問者の姿も確認せずに裏返し状態になっていたサンダルを強引に履いて、ドアの横の壁に手を付きながら玄関の扉を開けた。
「朝早くにすまない。私は
大きな丸い何かが喋ってる?
言葉を発する度に、いきなり眼前に現れた黒い衣に包まれた特大の双球が揺れ動き、なぜかその動きを追っている内に大幅に思考力が低下した御酒仁は、常識的に考えればあり得ない疑問を抱く。
そこから更に一、二秒思考が停止した後、ようやくこれは人の一部であると頭が計算結果を弾き出し、一体誰だろうかと御酒仁は目線をあげる。
そこにはまるで一流の彫刻家が血反吐を吐いて作り上げたかと思う程の、容姿の整った凛とした雰囲気を漂わせる女性がいた。
瞳は澄んだ空のように綺麗で、艶やかなプラチナブロンドの髪をポニーテールにして纏めている。唇はしっとりとした綺麗なピンク色で、新雪のまだ何にも染まっていない雪のように透き通った肌と相まって、まるでおとぎ話に出てくる妖精のようで少し近づきがたい神秘性を感じる。
2072年現在、怪獣の影響による食糧難などを代表に様々な影響で、百六十五センチまで低下した日本の男性の平均身長よりも十センチ以上高い。スタイルも良く普通の人が着ればただのコスプレとしか思えない、銀の装飾をあしらった漆黒の軍服風衣装と軍帽を見事に着こなしている。
「違うのか?」
凛とした芯の通った声が再度、御酒仁に投げかけられる。
その声にハッとした御酒仁は、慌てて自分の身だしなみを整え背筋を伸ばし女性の顔を見据える。が、目が合った瞬間気恥ずかしさからさっと目線を逸らす。
「え…あ、合ってます! ま、まさか有名ヒーローが家に尋ねてくるなんて思わなくて……」
御酒仁は心臓をドキマキさせながら、少し上擦った声で返答する。
テレビやネットで美形ヒーローの特集が組まれれば、必ず名前が候補に挙がる様な大活躍している超有名特級ヒーローだ。
雷を扱う能力者で、戦いぶりや見た目から雷竜の
御酒仁もモニター越しではあるが何度か姿は見たことがあり、こうして実際に見るまでは最新のAI技術を駆使して、美顔補正でも掛けてるのかと冷めた目で見ていた。
とんでもない。実物の方が圧倒的に綺麗で、同じ人間とは思えないようなオーラというか圧力を感じる。まるで彼女のいる空間だけが別世界のように輝いて見える気がする。
「事前に連絡すべきとは思ったのだが、協会に話を通す時間が勿体なくてな。少しお邪魔してもよいだろうか?」
彼女は、無駄のない美しさすら感じる所作で頭を下げる。
豊かな胸がユサユサと揺れ、その光景に思わず御酒仁は釘付けになってつばを飲み込む。
一体俺は何をしているんだ。
いくら調子が悪いとは言え初対面の人に対して失礼すぎる。
きっと、ストレスの影響で色々と欲求が溜まっているんだろうな。
「あっ、はい。どうぞ」
そう結論付けた御酒仁は返事をしながら、彼女が帰った後に気分転換がてら近所を散歩することに決めた。
「ありがとう。感謝する。 ……あっ」
バキャッ!!!!
彼女がドアを閉じた瞬間、豪快な音が室内に響く。何事かと思い御酒仁が振り向くと、音の発生源はどうやら彼女が閉めたばかりのドアのようで、取っ手が付いていた場所が放射状にバキバキに壊れており、拳大の穴が開いてしまっていた。
開いた穴からは外の様子が丸見えで、プライベシーもへったくれもないような有様だ。
彼女の手にはひしゃげて酷い有様になっているドアノブが、しっかりと握り締められている、彼女は少しの間、無言でドアに空いた穴と自分の手にあるドアノブを交互に見比べた後、御酒仁の方をチラリと目線を送るように見て恥ずかしそうにほんのりと頬を赤く染めた。
「す、すまない。まだ病み上がりで力加減が……」
「そ、そうですか。ま、まあそういうこともありますよね…」
言葉とは裏腹に、そんな簡単に壊せるものなのかと御酒仁は激しく動揺した。
このマンションは能力者専用のマンションだ。
入居した時に、そんじょそこらの能力者が攻撃してもビクともしないと年中タンクトップ姿のムキムキな大家が、自慢していたことはまだ御酒仁の記憶にも新しい。
これが本物の特級能力者の実力なのかと、尊敬や劣等感などがごちゃ混ぜになった感情が御酒仁の心の中に渦巻く。
しかし、先ほどとは打って変わって消え入るほどに意気消沈して、申し訳なさそうにしている彼女の姿を見て
「あの…それで自分なんかに一体どんな用が……」
どんな理由で家に訪れたのだろうかと、御酒仁は普段あまり使わない頭を必死になって回転させる。しかしいくら考えたところで、縁もゆかりもない彼女が来た理由が思い浮かぶわけもなかった。
だが一方で、彼女の姿を見ると何故か既視感のようなものがあるような気がする。そんなはずはない。彼女のような美人を一度でも見たのなら絶対に記憶に残ってるはずだ。きっとテレビで見た記憶が混同してるんだろう。
そう自分を納得させようとしたものの、どうしても頭の片隅に引っかかるような感覚がした御酒仁は、まじまじと彼女の顔を見つめる。
「むっ……もしかして何か私の顔に付いているのだろうか?」
座布団の上にすっと背筋を伸ばして正座している彼女が、ローテーブルを挟んだ向かい側に座っている御酒仁へと問いかける。
「あっ、いえ。何もないです!」
「……もし寝ぐせがあるのなら遠慮なく言ってほしい。
「だ、大丈夫です。えと、その髪はとてもお綺麗です。それで俺、いや僕、じゃなくて私に一体何用でしょうか!」
意味深な一言に、御酒仁の脳は混乱を起こし自分でも何を言っているのかよくわからない状態に陥る。
彼女はそんな御酒仁の様子をさして気にする様子もなく、ポケットから何かを取り出し、御酒仁へと手渡した。
「手紙…?」
渡された物は手のひらサイズの花柄の封筒で、表に『御酒仁良太郎さんへ』と書かれていた。
「今すぐ読んで欲しい」
そういう彼女の頬は、ほんのりと赤く染まっている。
そんな彼女の様子に、まさかラブレターかと一瞬閃くものを感じた御酒仁だったが即座にその考えを否定する。
何しろ自分と彼女には接点がない。それに対面しているのだからそういう想いがあるなら言葉で伝えるはずだ。
だが普通の手紙にしては封筒は乙女チックな花柄模様であるし、封を閉じている部分にはハートマークのシールが貼られている。
一体この封筒の中身は何なんだろうか。
御酒仁はほんの少しだけラブレターであること期待しながら封筒を開け、中に入ってた手紙を広げて内容を確認する。手紙には達筆な字でつらつらと愛の告白…ではなく、治療に関する感謝の言葉が綴られていた。
そこでようやく目の前の彼女が、病院で苦しんでいたあの女性と同一人物であることに御酒仁は気づいた。
「あー! あなたがあの時の! 無事に治ったみたいで良かったです!」
「キミが治療してくれたおかげだ。ありがとう」
「そ、そんなことないです。自分なんかぜんぜん役に立てなくて…あ、あれ……」
何故か目から涙が溢れ、視界が歪んでいく。
「すまない。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか」
「いえ! そんなことはないです。ただ、人を治療してお礼を言われた経験があまりなかったもので…」
人を治療をして礼を言われた経験は皆無というわけではない。
だがそれは大抵がお世辞染みたもので、社交辞令的な意味合いが強いものだった。本心から感謝されたのは、知り合いを除けば一度もないだろう。こんな風に面と向かって誰かに感謝されたことに戸惑うと同時に、今まで感じたことのない喜びが心の中を満たしていくのを感じる。
「そうだったのか。あの方も感心していたくらいだから、自分を卑下することはないと私は思うぞ」
「あの方?」
「キミが治療している最中に来たと言っていたが、覚えはないか?」
言われてすぐ一人の人物が御酒仁の頭の中に思い浮かぶ。きっとガスマスクを被った奇妙な人物の事だろう。
「もしかしてガスマスクを被ってた人ですか?」
「そうだ。聞いた話だと来た時点で内傷は、ほとんど治っていたらしい。そこが一番厄介だったようだから、珍しく褒めていたくらいだ」
「そ、そうなんですか…。でもあの時、もうお前の出番は終わりだって……」
「ああ。あの人はちょっと口が悪いんだ。根は良い人なんだが…。許してあげて欲しい」
「あ、いえ。別に気にしてないので!」
本当のところはずっと引きずっていたが、こんな美人の前で格好悪くネチネチと言えるような勇気を御酒仁は持ち合わせていない。
それに今は、自身のやったことが決して無駄ではなかったことが分かったことが嬉しくて、細かいことはどうでもいい気分だった。
「ところで…そのキミの髪型はいつもそんなような感じなのか?」
彼女、
「あーこれは最近なんかこうなるんです」
「そ、そうか! 具体的にはいつ頃からだろうか? あと他に変わった症状があれば教えて欲しい」
気まずそうな表情から一転、顔を綻ばせてグイグイ迫る勢いで言葉を重ねる。
「えっと…
「ふむ。何かこう…能力を使った時に、いつもと違うような出来事は無かっただろうか?」
「うーん…思い浮かぶのは治療した時、途中からいつもと回復時の現象が違ったくらいですかね…いつもは治すとき水みたいな透明の液体が出るんですけど、雷竜乙女さんを治療した時は何故か白色だったんです」
「なるほど…」
彼女は相槌を打った後、顎に手を当て深く考え込む仕草を見せる。
随分と真剣な表情をしているが、一体何を考えているんだろうか。
妙に詳しく尋ねられたことに疑念を抱き彼女の考えていることを想像してみるが、残念ながら碌な想像がつかない。想像出来たことと言えば、精々お勧めの整髪料を勧められることくらいだが、流石にその展開はあり得ないだろう。
それから十秒、二十秒と時間が過ぎた後、彼女は真剣な表情で御酒仁の顔を見つめると徐に口を開いた。
「ヒーローを目指さないか?」
「えっ?」
まったくの想像外のことを言われた御酒仁は、呆気に取られた顔で彼女の顔を見返した。