シャニマス猫物語   作:小林流

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黛冬優子 1

 お昼を少し過ぎた頃、私は窓から景色を眺めることにした。

 電話を片手に走っているのは営業のサラリーマンだろうか。世話しない様子で駅の方に向かっていった。部活帰りの女子生徒の一群は気だるそうな表情で、木陰になっているベンチに座っている。仲睦まじい様子の老夫婦は、日傘をさして散歩を楽しんでいる。

 

 

 照りつける日差しが行きかう人々をジリジリと焼いていた。

 空には大きな入道雲が天高く伸びていて、耳を澄ますと少し遠くから蝉の鳴き声が聞こえた。カレンダーを見てみるとまだまだ7月の半ばであり、これからさらに暑さを増していくことは想像に難くなかった。

 

 

 暑いのは苦手である。私は現実逃避するように窓から離れ、エアコンの風が一番よく届くソファの真ん中に座り込んだ。背を撫でる涼しい風を感じながらほぅと嘆息する。

 外に出て、汗水を垂らしながら労働に勤しむ人々には敬服せざるを得ない。しかし、一方で私は夏の日にエアコンのついた事務所でダラダラと過ごすという贅沢を楽しんでいた。そしてこんな素晴らしい環境を提供し続けてくれる彼女たちに心底感謝した。

 

 

 カンカンカンと事務所の階段を上る音がする。

 いつもなら出迎えにいくのだが、冷風のあまりの心地よさに断念してしまった。ドアノブをガチャガチャとひねる音。鍵が閉まっていることに気づいたのか、舌打ちが聞こえてくる。どう考えても不機嫌なその人から、がさこそと何かを探す音がする。自慢ではないが、私の耳はとても良いのだ。

 

 

 少しして事務所に入ってきたのは一人の少女。

 まず艶やかな黒髪が見えた。この暑いのに肌を焼かぬためか長袖を着て、トレードマークともいえる不織布マスクを外しながら、不機嫌そうに眉を歪めている。283プロダクション所属アイドル、黛冬優子であった。

 

「いい身分ね、あんたは」

 

 

 

 彼女はソファでくつろぐ私を見るや否や、つぶやいた。黛は短く息を吐き、備え付けの冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出して、冷風の特等席であるソファへと近づいてくる。

「邪魔よ、どきなさいほら」

 黛は私の背を軽く叩く。いつもは少し冷ややかな彼女の手も、手汗で濡れていた。よほど外が暑かったのであろう。どうぞどうぞ、と私はソファから離れると、彼女は少々乱暴に腰を下ろした。

 

 

 

「暑すぎよ、ほんと」

 悪態を一つついて彼女は水に口をつける。コクリと一口程度を口に含んだ彼女を何気なく見ていると、目が合った。あげないわよ、と黛は言った。別にいらないですけども。

 何も返さない私を尻目に、一息ついた黛はテーブルに置いてあるリモコンに手を伸ばす。テレビに映しだされたのはバラエティ番組である。有名司会者と芸人に紛れて数人のアイドル達の顔があった。そして驚くべきことに、そのアイドルの中には、私の横で憮然としている黛の姿もある。

「あー、この放送、今日だったのね」

 

 

 黛はとくに面白くなさそうに言う。

 この世の中はまさにアイドル戦国時代といえる。アイドルを見ない日などないだろう。様々な分野や現場でアイドルは存在感を示している。そして黛はテレビ番組に呼ばれる程度には成功を収めている数少ない人気アイドルの一人であった。

 

 

 詳しくは知らないが、この黛は中々に稼いでいるはずである。彼女とそのユニットがライブを行えばCMが組まれ、CDはオリコンの常連になりつつある。私は、暇なときTVを見ているので知っているのだ。

 

 

『え~、ふゆ、わかんないです』

 

 

 TVから黛の声が聞こえてくる。まるで別人のように甘ったるく、実に優しそうな少女の姿がそこにあった。画面の黛に芸能人がデレデレとしていて、司会者に突っ込まれ、笑いが生まれていた。

 その様子を見ている隣の彼女がフフンと得意げに鼻で笑った。黛の変わりぶり、私は当初、二重人格かな?と思ったほどである。どうやら黛は仕事の顔と日常の顔を持っているようで、ほとんど自分の素を出すことがない。素の黛を知るのは一握りであった。

 

 

 ピピピという電子音が聞こえた。黛はポケットからスマホを取り出して電話に出る。

「もう着いてるわよ、あんた達は今どこ?」

 黛は話しながら立ち上がり移動していく。彼女は事務所の中で電話をしない。基本的に屋上か別の部屋に移動する。おそらくは素の自分を隠すための手立てなのだろう。私はドアの向こうに消えていく彼女を見送って机の上に載っているミネラルウォーターを見る。行儀は悪いのを自覚しつつ、私は机の上に飛び乗った。一口含んだ程度でのどの渇きが潤うのだろうか。ほとんど減っていないではないか。まるで新品のようであった。

 

 

 

 瞬間、ガチャリと事務所のドアが開いた。振り向くと黛、ではなくこの事務所のアイドルを一手に率いる男。プロデューサーである。いつもはニコニコと微笑んでいる彼だが、あの日差しの中で消耗したのだろう。覇気のない表情はどこか情けない。

「………暑い」

 

 

 のそりのそりと入ってくる彼は汗だくである。すぐさまジャケットを上着掛けにかけ、もっていたハンカチで汗を拭って、流れるようにソファに近づいてくる。皆、ここがベストポジションだと知っているのだ。

「おはよう」

 彼は私の頭をぽんぽんと撫でたたいた。じっとりと湿っている彼の手は気持ちの良いものではないが、それでも一応、私は感謝の意を込めて一鳴きしてやった。

 

 

にゃーん

 

 

 プロデューサーの表情が少し緩んだ。彼は大きく息を吐いて冷風に体を当てる。彼に纏っていた熱気が私の方に流れてきた。ちょっと不快であるが、仕方なし。この暑さは頑張る社会人の証拠である。私は無意識に黛が飲んでいたペットボトルの側面に体を擦り付けた。プラスチックの冷たい表面は実に心地が良かった。

 

 

「おっ、それ新品かな?」

プロデューサーは私の眼前のペットボトルを持ち上げる。今の彼にとって、ミネラルウォーターはまさにオアシスと言えるだろう。彼は、まだ誰も手を付けていないと判断したのか。蓋を開けて、勢いよくのどを鳴らして水を流し込んでいった。

 

 おいおい、それは黛が飲んでいたものだぞ。新品はまだ冷蔵庫にいくつかあるぞ。私は、プロデューサーを注意するために鳴き、彼の足を手でフニフニとつつく。私を見てプロデューサーは再び微笑むばかりである。普段はアイドルの機微に敏いくせして、こういう時だけ鈍感になるのがこの男であった。

 

 

「あっ、あんた」

 プロデューサーが存分にのどを潤していると、黛が電話を終えて事務所に帰ってきていた。

「おっ、冬優子もう来てたのか。すまん、少し遅れてしまった」

「まぁ、いいわよ。ふゆも早く着いたし………」

 

 

 黛は何かを言おうとして黙る。その視線はプロデューサーの顔から、手元のペットボトルに移動。机をチラリと見て、再びプロデューサーの顔を見る。黛はなんだか覇気のない声で「あっ、それ………」と呟いた。

 プロデューサーは黛の声には気づかなかったようである。彼は飲みかけのペットボトルを何気なく私の近くにおいて、「車を回してくるから、もう少し待っててくれ」と言って、下へ降りてしまった。

 

 

 黛はなぜか少しソワソワしつつ再びソファに座った。そしてペットボトルを見ながら百面相を披露する。「いやいやいや、小学生じゃないんだから………」などと言いつつ、ペットボトルを掴もうとしたり、触れる直前で引っ込めたりしたりしている。何とも落ち着きがない娘であろう。

 

 

 私はため息をつくように、思わず一鳴き。

 にゃーん

 

 

 私の鳴き声にビクリ肩を揺らす黛。

「な、なによ。そもそもこれは私が最初に出したんだから、私が飲んでも何もおかしく………って、なんで私はアンタに言い訳してんのよ」

 

 

 全くその通りですね。と意味を込めてまた一鳴き。

 にゃーん

 

 

 飲むなら早く飲めば良いのに。黛はよくわからないタイミングで右往左往するきらいがあった。特にプロデューサーが絡むとその頻度は多くなるのだ。私の顔とペットボトルを交互に見た黛は、決心したようにペットボトルを掴んだ。

 

 

 ガチャりと音がして。

「冬優子、お待たせ」

と、プロデューサーが入ってくる。

 

 

 黛はこれまた体をビクンとさせて、ポケットに入れていた不織布マスクを顔につける。

「遅いわよ!」

 黛はズンズンとプロデューサーに近づくと、持っていたペットボトルを強引に渡してドアの向こうに消えていった。

「な、なんだ?急に………ま、いっか」

 プロデューサーは上着を羽織って、冷蔵庫に近づいて新しいペットボトルを持って黛を追いかける。閉まりきらないドアの隙間からプロデューサーの声が聞こえてくる。私の耳は良いのである。

「おい、冬優子。そんな顔を赤くして熱中症になったらどうする。ほれ、これでも飲んで……なんで、俺の足を踏むんだ!?冬優子!?」

 

 

 二人は色々な音をたてながら車に乗り込んだようだ。私はふむと息を吐いて再びソファに陣取った。TVを見ると黛が笑顔で歌を披露していた。

 黛が楽しそうで、今日も何よりだ。

 

 

 私は283プロに厄介になっている三毛猫である。

 天井は事務所と同じ名前であるツバサと名付けてくれたが、私を名前で呼ぶ者は少なかった。

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