部室棟の隅っこで日当たりの悪いこの部屋も、5月の太陽に温められてポカポカした陽気が漂っていた。
相変わらず異様に座り心地がいいトレーナー室のソファ。
その右端が、今や私の定位置になっていた。
最近は授業が終わるとすぐにこの部屋に来る。
ドアを開ければだいたいウララ先輩がいて、気持ち穏やかに過ごすことができる場所だ。
私のさらに右、肘おきの上には、ウララ先輩がちょこんと腰掛けて本を読んでいる。
内容を理解しているのかは分からないが、時々へえとかほおとか呟いている。
トレーニングが始まるまであと1時間。
どうにも中途半端な時間帯で、部屋にいるのは私たち2人だけだった。
本を読み終わったのか、それとも飽きたのか。
ごろん、と先輩が私の太ももめがけて寝転がってくる。
つー、とつむじを指でなぞると、ぶるっと気持ちよさそうに身を振るわせた。
窓から流れてくる麗らかな陽だまりが、彼女の背中を優しく温めている。
私はため息とともにスマホの画面を閉じて、ポケットにしまった。
「新しいメンバー、入ってきませんね……」
「こないねぇ〜」
先月の交流戦のあと、新入部員は結局入って来なかった。
そのせいで、最近はみんなで必死に勧誘するハメになっている。
トレセンのポータルアプリにエントリを出したり掲示板にチラシを貼ったりしているけれど、今の所成果はない。
交流戦の後、ジャイアントキリングを起こしたチームとして、私たちのことはそれなりに話題になった。
それにも関わらず未だにチーム加入者が現れないのは、スカウトされていない娘たちの中で、私やウララ先輩の評判があまりよくないせいなのだろうか。
それとも交流戦の後で、タイドアンドフロウ先輩が喜びのあまり、大量の爆竹を会場中で爆発させまくったからか。
あるいはレース後に、助っ人の参加を理由に試合結果の白紙撤回を求めてきた相手の監督を、衆目の前で完膚なきまでに反駁したデュオペルテ先輩の口調があまりに怖かったからか。
……多分、先輩たちのせいだろう。そう思いたい。
「ウララ先輩は心配じゃないんですか?」
「うーん……」
そして実際、このチームは試合の前に懸念されていた通りの事態になりつつある。
私を含めて現メンバーは全部で4人。
チームとして認められる最低人数要件は5人。
つい先日、早々にあと1人新規メンバーを入れないと近々チームの存続に関わりますよ、という警告めいた文書が学園から通達されてしまったのだ。
「まあ、トレーナーが『心配ないよ』ってキリッとしてたし、大丈夫じゃないかなぁ?」
「…………」
漏れ伝わる話では、小岩井トレーナーは学園の上層部の方から好ましく思われていないらしい。
そのせいで、チーム運営をしているのにサブトレーナーを配属してもらえていないそうだ。
まああんまりよく知らないけど、先輩とか上司から嫌われそうなタイプだと言うことは、私にも分かる。
彼のヘラヘラした顔を思い浮かべると、根も葉もない噂、と切って捨てられないのが悲しい。
まったく、とんでもないチームに入ってしまったものだ。
ぼんやりと未来を悲観しながらスマホをいじっていると、ガタン、と部屋の隅で何かが崩れて大きな音を立てた。
「わあっ!」
「ぐえっ……」
驚いて振り上げられたウララ先輩の腕が私の顔に当たる。
ジンジンする鼻を指で確かめる。
鼻血は出てないみたいだ。
「わーっ、プイちゃんごめんね!」
「いえ、大丈夫です……いま倒れたの、鉄板ですかね?」
「あ、ほんとだ! バーベキューのときに使ったやつかなぁ?」
彼女が走っていって、鉄板を持ち上げた。
私が初めてトレーナーに出会ったときの、あのバーベキューで使われたものだろうか?
「そういえば、あれからバーベキュー、一回もしてないですね」
「たしかにたしかに! またみんなでにんじん焼きたいねっ!」
「私、てっきりチームでよくやってるのかと思ってましたよ」
恥ずかしいから口には出さないけど、正直次のバーベキューがいつなのか、すごく気になっていた。
あの日食べた人参の味が忘れられなかったのだ。
「うーん、バーベキューしたのはこないだが初めてだよ。あの時は確か、練習が終わった時に、トレーナーが急にやろうって言い出したんだ〜〜」
あの用意周到に小細工を弄するタイプのトレーナーも、急に何かを提案することがあるのか。
意外なところもある、と思った。
「あ、チョウチョ!」
ウララ先輩が指さした方向を見ると、小さい蝶々がパタパタと羽をはためかせている。
窓辺からひらひらと飛んできて、やがて棚の虫かごの上に止まった。
小さな昆虫の羽に合わせて、私の膝の上のキラキラした瞳がパチパチと開閉する。
そういえば、彼女と初めて話した日もこんな蝶が飛んでいたっけ。
「ウララ先輩は、どうしてあの時私に声をかけてくれたんですか?」
「え? あの時?」
私たちが初めて会った時です、と付け足すと、先輩がうんうん唸って思い出そうとしている。
そのうちにピンときたのか、ポンと手を打ち付けた。
「あの時ねぇ、プイちゃんがチラッと廊下から見えたんだ。 まるで綺麗でカッコいいチョウチョみたいな娘だなって思ったの!」
私が、蝶々みたい……?
よくわからないけど、光栄ですと答えておく。
「そしたらね、ホントにチョウチョが肩に乗ってたんだよ! ビックリしちゃった!」
「そういえば、そんなこともありましたね」
緑色のプラスチックの感触に飽きたのか、蝶がふわりと舞い上がって窓から飛び立った。
あの生物がこの部屋に舞い降りたのは、おそらく偶然だろう。
彼女が私を見つけたことも、あの日蝶が私の肩に止まったことも。
なんとなく、選択の偶然性が身に染みて感じられるような気になった。
勝つことが全てで、負ければなんの意味もない。
今でもまあ少しはそう思っている。
でも、ウララ先輩がたくさん負けたおかげで、今こうして一緒にいられるとしたら。
彼女の沢山の負けにもたしかに意味はあったのかもしれない。
そう思った。
トントン、とドアがノックされて、来訪者の気配。
ウララ先輩は眠そうに目を細めているから、私が出よう。
「あ、プイちゃん。ありがと」
「いえ、そこで寝ててください」
こんな時間に、誰だろう。
学園のスタッフとかだったら嫌だな。
急にチーム解散を命じられたらどうしよう。
いや、流石にそれはないか。
なんにせよ、面倒ごとだったら小岩井トレーナーに全部押し付けてしまおう。
少しの警戒を手に込めて、ドアノブを回した。
「はい、どなたでしょう」
「ども。 ちわッス」
ドアを開けた瞬間に、目の前のウマ娘がものすごい勢いで頭を下げた。
後ろで小さく2つに括られた、燃えるような赤髪。
「あ、え? はい。こ、こんにちは」
「ウス」
相手がババっと顔をあげて、まともに見つめ合う格好になる。
ものすごい目力だ。
見たことない娘だけど、何の用だろう?
「あの、自分フロウさんとこのチームに移籍したいと思って来たんスけど。アンタ、ここのチームの娘っスか?」
うー。
なんかクセの強そうな娘が来た。
フロウさん、ってタイドアンドフロウ先輩のことか。
どうしよう。
中に通したほうがいいのだろうか?
でも、まあ。
私がここのチームの娘か、と聞かれたら。
「……はい。とりあえず、中へどうぞ。お茶を入れますので」
「プイちゃん、お客さん? わっ、よーこそ! 」
「はい! お世話になります!」
ウララ先輩がニコニコと中へ案内する。
彼女が促されて、一礼してからドカッとソファへ座る。
粗暴なのか礼儀正しいのかよくわからない態度だ。
また変なのが増えちゃったな。
「私、ハルウララ! そんで、あそこにいるのがプイちゃん! 私のチームメイトだよ」
「っス。自分は……」
彼女たちの会話をバックに、水道をやかんに注いで火にかける。
なんだかよく分からないけど、待望の部員候補が来たらしい。
とりあえず、すぐに私の居場所が無くなることはなさそうだ。
ほのかな安堵とともに、茶葉の缶をパコッと開ける。
スプーンで掬った茶葉の香りが立つ。
あの窓から舞い降りた蝶や、この突然の来訪者もまた、何かの偶然に導かれたのだろう。
偶然の選択を、とりあえずはもてなしてみよう。
そんな気分にさせられるくらいには、麗らかな陽気だった。
コトリと湯呑みを彼女の前に置いた。
急須を片手に、ぎこちなく手のひらを広げた。
「えー、どうぞどうぞ。粗茶ですが」
はい、第1部完です。
たくさん読んでいただきましてありがとうございました。
皆様の評価や感想が大変励みになっています。
元々はすぐに第2部を投稿し始めようと思っていたのですが、シャカファイで短編を一本書きたくなったので、そっちが終わり次第1週間後くらいには再開しようと思っています。
引き続きよろしくお願いします。