「そ、それでは。ミーティングを始めまひゅっ!」
昼の光が窓から差し込むトレーナー室。
私の前に、チームのメンバーが1人を除いて全員座っている。
トレーニング前の、全体ミーティングだ。
小岩井先輩とウララさんが旅立った次の日から、私がチームのみんなの前で喋ることが増えた。
先輩の言った通り、全員分のトレーニングメニューはすでに調整してあったので、思ったよりは私の負担は少ない。
けれども、見られながら何かを話すのはいつまで経っても慣れなかった。
「葵ちゃ〜ん。がんばってぇ〜」
オタオタしながら資料を取り出したところを、励まされてしまって恥ずかしい。
なんとか気持ちを立て直して、今日のメニューを伝える。
先輩からもらった資料には全員分のトレーニングメニューと次走の予定が細かに記入されている。
全体の進行管理と、現場でのコーチング、そして進捗の確認とその報告が、私の今の仕事だ。
チャイムが鳴って、トレーニング開始の時間。
彼女たちはトレーナー室を元気よく飛び出していった。
このチームのメンバーは全部で5人。
一番年上で、あと2ヶ月で卒業するキャプテンのハルウララさん。
その次に年長のデュオペルテさんとタイドアンドフロウさん。
そして中等部のドミツィアーナさんと、一番年下のディープインパクトさんだ。
話を聞く限りでは、みんな小岩井先輩を慕ってチームに入ってきたらしい。
ディープさんは少し違うみたいだけど。
グラウンドに集合した彼女たちに、今日のメニューを伝える。
といっても、各々が腕に巻いている端末にデータを送信するだけだけど。
トレーニングのラインナップを見てフロウさんは顔をしかめる。
「うげっ、今日フィジカル多めのメニューかぁ……」
「あら、ちょうどいい機会じゃない。フロウは最近食べ過ぎだから」
「いやいや! ペルちゃんが食べなさすぎなんよ。ドミたんもそう思うっしょ?」
「いや〜、フロウ先輩はそのだらしない体型を何とかしたほうがいいっス。ね、プイちゃん」
「え? あ、はい。そうですね」
「は? 先輩に向かって誹謗中傷か? どちゃくそナイスバディなんだが?」
清々しいくらいに性格がバラバラな彼女たち。
でも先輩とウララさんを中心に、よくまとまったいいチームだと思う。
彼女たちは1ヶ月間いないけど。
「デュオペルテさん。次の10周を、ひと回り30秒ちょうどで行きましょう!」
「はい〜」
実際にチームの指揮をとってみて、先輩の視野の広さを改めて実感する日々だ。
よくもまああんなに、全体を見通して個別に最適な声かけができるものだと思う。
こうやって1人でチーム全体を見ようとすると、情報量が多くて目が回りそうになる。
必死でメモを取りつつ、先輩への報告事項を練りながら、そのうえで正確に記録を取っていく。
「ドミツィアーナさんっ、今のタイムがこっちに同期されてないみたいです! そっち側の端末を一回確認してもらっていいですか?」
「あれ? 了解っス!」
トレーナー業はマルチタスク中のマルチタスク。
ちょっとでも気をぬくと……。
「フロウさんはあと3本、頑張ってください!」
「あれ、あと5本じゃなかったっけ?」
「え、あ。そ、そうでした!5本お願いします!」
「うーい。がんばりまーす」
うぅ。こんな感じでやらかしてしまう。
自分の無様な指示にため息が出そうになる。
こういうちょっとしたミスをしょっちゅう犯す自分が、情けない。
一昨日はデュオペルテさんの質問にうまく答えられなくて、結局先輩に助けを求めてしまったし、昨日は練習スケジュールを間違えて、チームに迷惑をかけてしまった。
改めて考えると、自分のダメさ加減にため息が出る。
こんなことで、本当に一人前のトレーナーになれるのだろうか。
不安が募った。
「あれ……」
休憩中だったディープさんが、フラフラと何処かへ歩いていく。
怪我をしたという感じの歩き方ではないが、どうしたのだろうか。
他のメンバーはタイム計測中だ。
別にストップウォッチを握りしめているわけではないので、少しくらい私が席を外しても大丈夫だとは思うけど……。
迷ったけれど、結局後を追うことにした。
自分がミスをする恐怖より、彼女の暗い表情の方が気になったから。
「ディープさん!どこへ行くんですか?」
「あ……蹄鉄の調子が、悪くて」
その手にぶら下がっているシューズを見ると、確かに蹄鉄が歪んでしまっている。
そういえば、彼女は蹄鉄に特殊な素材を使っているって先輩が言っていたけど、その影響だろうか?
どう声をかけるべきか迷っていると、ディープさんはそのままにロッカールームへ去って行ってしまった。
その背中に何も声をかけられず、グラウンドに立ち尽くす。
自分の未熟さを突き付けられたような気がして、さらに落ち込んだ。
新年が明けて1月に入っても、ディープさんは疲労を考慮して別メニュー調整の日々が続いている。
彼女のトレーニング予定には、ランニングと軽い筋トレしか記載されていない。
私の目から見ても、今の彼女はどことなく覇気が失せて儚げな印象を受ける。
『プイちゃんの復活のカギは、葵が握ってると思ってる』
先輩の言葉を思い出すと、ため息をつきたくなる。
あれはどういう意味だったんだろう。
まさか、本当に適当にごまかしただけだったんじゃ……。
「おい、桐生院」
「ひゃ、ひゃいっ! …………あ、えと。
急に後ろから声をかけられて飛び上がった。
振り向くと、男性のトレーナーが腕を組んでこっちを睨んでいる。
短髪のサイドを刈り上げた精悍な雰囲気。
彼、早乙女さんは、私の数少ないトレーナー職の同期だ。
同期は全部で5人いるけど、互いに面識はあまりない。
トレーナー職の新人は、集合研修など無しにいきなり実地でOJTが始まるからだ。
けれど、早乙女さんは何かと私にちょっかいを出してくるから、たまにこうして話すことがあった。
去年の4月、同じ時期に小岩井先輩のチームの研修に応募して、私は受かって彼は落ちた。
そのせいかもしれない。
「お前んとこのチームはうるさいんだよ。もうちょっと静かに練習してくれ。こっちの気が散るから。そういう基本的なルールを守ってくれないとさぁ」
「ご、ごめん……気をつけますね」
威圧的な声を出されると怖くて怯んでしまう。
小岩井先輩がいる時は、少なくとも公に怒られることはなかった。
けれど最近は、早乙女さんだけではなく、多方面から嫌な視線を感じることが増えた気がする。
「ま、お前みたいな『名家のお嬢様』には常識なんて通じないのかもしれないけど」
「……ッ! そんなこと……!」
「とにかく。周りに迷惑をかけんなよ」
トゲのある口ぶりがグサッと心に刺さる。
言うだけ言って、彼は去っていった。
その姿が見えなくなってからも、心臓が嫌な風にドキドキしてしばらく動けない。
トレセン学園のトレーナーはかなりの難関職として有名だ。
普通の職場なら同期の絆みたいなものが芽生えそうなものだ。
けれど、桐生院という『名家のお嬢様』である私は、他の同期全員から嫌われている……らしい。
それもわざわざ早乙女さんが教えてくれたことだけど。
「そんなお嬢様とかじゃ、ないんだけどな……」
そもそもの話。
このチームと小岩井先輩は、チームを作っていきなり無敗の三冠ウマ娘を輩出したことで、他のチームやトレーナーから疎まれているみたいだ。
嫌われ者のチームと、その嫌われ者のチーフトレーナー。
加えて、同期から嫌われている(らしい)私……。
考えれば考えるほどひどい状況だ。
もはやため息しか出ない。
肩を落としていると、ランメニューを終えたフロウさんが歩いてきた。
「葵ちゃーん、終わったよ〜」
「あっ……は、はい。お疲れ様です。そしたら15分ほどインターバルを取りたいので、また14時になったら集合してもらえますか」
「ういーっす……あれ、なんか顔色悪くない? どした?」
「うえっ!? い、いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「ふーん? ま、じゃあプイちゃんとかにも言っとくね」
危ない危ない。
トレーナー間のいざこざで彼女たちに迷惑をかけるわけにはいかない。
よし、気持ちを切り替えて次のメニューの準備を……。
「……あ!」
メニューテーブルによると、次のトレーニングにはメディシンボールが20個必要だ。
今朝のうちに用意しておこうと思っていたのを、すっかり忘れてしまっていた。
さっき指示したインターバルは15分、ということは、猶予は13分と少し。
メディシンボールの重量は一つ10キロ。
台車を使えば二往復で運べると思うけど、どう考えても倉庫までは往復10分かかる。
なんで朝のうちに確認しておかなかったんだろう、私。
自分の段取りの悪さにほぞを噛んでいると、視線の先、10メートルほど先の壁際に、1人のトレーナーが寄りかかって何かメモを取っているのが見えた。
「あれは……」
柔和な顔つきの男性。
彼も私の同期のうちの1人だ。
何かと突っかかってくる早乙女さんと違って、話したことはない。
けれど、辞令を受けた日に見た優しい雰囲気が印象的で、何となく気になる存在だった。
お願いしたら運搬を手伝ったりしてもらえないかな。
いや、でも早乙女さんによれば、私は同期全員から嫌われてるらしいし……。
うーん……。
「あ、あの!」
結局、思い切って話しかけることにした。
私が嫌われていようが何だろうが、チームのトレーニングが優先だ。
半人前とはいえ、私はサブトレーナーなのだから。
彼女たちに迷惑はかけられない。
「と、突然すみません。あの、ご存知ないかもしれないんですが私は……」
「桐生院さんじゃないですか。どうされましたか?」
穏やかな受け答え。
とりあえず、悪くは思われていないようで安心する。
「わ、私のこと、ご存じなんですか……?」
「あはは。当たり前ですよ。僕らの代のライセンス試験トップ合格者ですから。知らない人はいないと思います」
「え!? あ、えっと。恐縮です」
「それより、今日はどうされましたか?」
とりあえず手短に事情を説明して、一緒にボール運びを手伝ってもらうことになった。
倉庫からボールの詰まったボックスをピックして、台車に乗せて2人で戻る。
横で台車を押す彼の顔を盗み見る。
迷惑をかけているのに、嫌な顔一つしていない(ような気がする)。
それどころか心なしか楽しそうに見える。
気のせいかもだけど。
「すみません、私の不手際で手伝わせてもらって」
「いえいえ。それにしても、桐生院さんもミスをしたりするんですね」
「わ、私なんてミスばかりで……。さっきも早乙女さんに怒られてしまいましたし」
「早乙女さん? …………ああ」
そう言うと、彼は何かに思い当たったような顔をする。
「まあ彼は、前から桐生院さんのことをライバル視していましたから。きっと、焦っているんでしょうね」
「そ、そうなんですか?」
「ええ。彼は、何と言うか…………独立志向が強い人なので」
お気を悪くされたらすみません、と彼が謝る。
そこで、私の家について言われているのだと気づいた。
「このところ桐生院さんがどんどん先へ行くものですから。彼なりに思うところがあるのでしょう」
「先、ですか」
キョトンとしていると、彼も少し驚いたように付け加える。
「ほら。代理とはいえ、もう1つのチームを背負ってらっしゃるじゃないですか。しかもあのディープインパクトさんのチームで」
グラウンドへ続く小道を抜け、フロウさんたちが休憩しているベンチ前に台車を止める。
彼はにっこりと笑った。
「もちろん、僕も同期として期するものはあります。一緒に切磋琢磨していきましょう!」
穏やかな口調のなかに、秘めた闘志を感じさせる言葉。
太陽は関係なく、どこかまぶしく見えた。
「運んでいただいてありがとうございました!」
「いえいえ。いい刺激になりましたよ。午後のトレーニングにも活かせそうです。では!」
去っていく彼の背中に向かって、お辞儀をした。
なんというか、久しぶりに対等な立場で話せたのがとても嬉しかった。
「いや~、葵ちゃんも隅に置けないねぇ」
「実は結構やり手だったんスね……職場内恋愛もほどほどに頼むっス」
いつの間にかフロウさんとドミツィアーナさんが後ろでニヤニヤしていて、驚いた。
「そ、そんなんじゃないですって!」
ああ、なんかムキになって余計変な感じになってしまった。
「はいはい、じゃあ、練習を再開しましょうか」
デュオペルテさんが空気を読んでか、手を叩きながら空気を変えてくれた。
ありがたい、と思いつつ、こういう切り替えも自分でできるようにならないとと反省する。
「葵ちゃーん、次のメニューなんだっけ?」
よし、いつまでも落ち込んでいる場合ではない。
パンと頬を叩いて気合を入れる。
これから始めるフィジカルトレーニングは、私が唯一(それなりに)自信のあるパートなのだから。
このパート、少し長くなってしまったので一旦切ります。
次回、桐生院葵フィジカルモンスター編です。