パン、と空に向けて銃声が一つ。
その合図に合わせて1チーム5人、計10人のウマ娘たちが互いに向かって激突する。
トゥインクル・シリーズで走る選手が子どもをおんぶして、かぶった帽子を奪い合う団体騎バ戦。
シリーズのファン感謝祭などでは定番の競技だ。
「やぁ〜〜!!」
「あ! ウララ先輩、待ってください!!」
事前に考えた作戦などなかったかのように、ウララ先輩が単騎で相手陣地に突撃していく。
このまま誰かがカバーしなければ、あっという間にやられてしまうだろう。
おんぶしている幼いウマ娘に素早く声をかける。
「ね、いける?」
「は、は、はいっ!!」
少女の返事を確認して、ウララ先輩の後を追った。
晴れ渡る空の下で無事開催された『ハルウララ引退記念』。
メインレースの前座ではあるが、5対5で戦う騎バ戦は大盛り上がりだ。
「ウララ先輩、待ってください!」
「あ、プイちゃん、来てくれたんだ!」
ボコボコとアップダウンのある戦場を駆け抜けて、我らが『ハルウララチーム』の総大将の背中に、やっとの思いで追いついた。
この勝負は大将の帽子が取られた時点で負け。
先輩が1人で突っ込んで、いきなり落とされてしまったら目も当てられない。
せっかくの引退興行だ。
せめて、たくさん盛り上がって欲しい。
「先輩。いきなり走って行っちゃダメじゃないですか。危ないですよ」
「えっへっへ。みんなをビックリさせたくって!」
「もう……」
私たちの会話を遮るようにして、さっと影が差した。
「おーっほっほ! ウララさん、やっぱり来たわね」
「!!」
奥から『キングヘイローチーム』の大将が出てくる。
そしてもう一組。
「わぁ、みんな凄い気迫だべ……」
「ちょっと、スペシャルウィークさんっ! ボサッとしてる暇はないわよ! ほら、キングを守る権利をあげるわ!」
「えっ? う、うん。行ってくるねキングちゃん!」
そう返事をするやいなや、爆発的な加速でスペシャルウィークさんが突進してくる。
どうしよう、どうするべきか。
頭の中で瞬時に作戦を組み立て、先輩の方を向く。
「ウララ先輩、聞いてください」
「えっ?」
素直にこの場所で構えて、突貫してくるスペシャルウィークさんを迎え撃つか。
いや。
2対1なら彼女を仕留められるかもしれないが、きっとある程度の時間はかかる。
その間に後ろから別動隊に囲まれても面倒だ。
それならば。
「ここは私が食い止めます! ウララ先輩は、大将を獲りに行ってください!」
「わかったー!」
大きな声を出して、ウララ先輩が迂回しながら大将を狙いに行く。
遊びではあるが、何となく胸が熱くなるような展開だった。
先輩の動きに気づいたスペシャルウィークさんがさせまいと進路を妨害しようと動く。
私はその2人の間に入り込んでブロックの構えをとった。
「させませんよ……」
「ぷ、ディープちゃん……」
初めて会ってからもう何年も経つけど、尊敬する彼女から名前を呼ばれるといまだに嬉しい。
でも、ここで感慨に浸っている暇はない。
おぶっているウマ娘に合図をして、私もアタックをかける。
右、左、右と見せかけてステップを踏んで左から後ろに回り込む。
レースでは相手を幻惑する高次元のステップを踏む。
が、相手もさるもの。
ピボットの動きで全て打ち落とされてしまった。
私が担いでいる子どもも手を伸ばしながら頑張ってくれているけど、相手の帽子を取れる気配はない。
スペシャルウィークさんの動きが機敏なのもあるけど、多分その上に乗っている子どもが、私の将よりアグレッシブなんだ。
後ろをチラリと見る。
仲間の騎バがこっちへ近づいて来ていた。
よし、あと10秒くらいで2体1の構図に持ち込める。
このまま粘って、スペシャルウィークさんを落としたらすぐにウララ先輩をサポートにーー。
「ほーっほっほ! ウララさん、かかったわね!」
会場中に響き渡る大きな笑い声が聞こえて、思わず敵の大将の方に目をやった。
「あなたが1人で突っ込んでくることくらい、このキングにはお見通し! さ、スカイさん! 出番よ!!」
「な……」
ウララ先輩を敵の大将と一騎打ちさせるためにスペシャルウィークさんを足止めしたのに、まだもう一組、奥に伏せていたのか?
もしそうなら、まずい。
ウララ先輩が1対2で不利になってしまう。
「き、キングちゃん!」
だが、なぜか目の前のスペシャルウィークさんまで何故か狼狽したように叫んだ。
「セイちゃんはさっき前線に突撃しちゃったよ!」
「え……?」
逆方向を見ると、すでに落とされたセイウンスカイさんがヘラヘラ笑いながら手を振っている。
どうやら合戦開始と同時に先陣を切って、そのまま帽子を取られていたようだ。
「ちょ、ちょっと、スカイさん! 作戦と全然違うじゃ……きゃあっ」
「わわわ……! やったー、帽子取れたー!!」
ウララ先輩が乗せている子どもが、天高く帽子を掲げる。
スタジアムのオーロラビジョンにハルウララの文字が踊った。
観客から温かい拍手が贈られる。
先輩が子どもを抱きしめて祝福している。
晴天に恵まれた中山の競技場には満員の観客が訪れていた。
みんなが、ハルウララというウマ娘の引退を惜しみ、そして祝福しにやって来たのだ。
この場にいる誰もが笑顔で楽しそうにしている。
同じ勝負事でもレースとは全然違うな、と思った。
トゥインクル・シリーズのレース以外にも、勝負をする瞬間はたくさんある。
日常のトレーニングでもそうだし、さっきの騎バ戦もそう。
けれど、レースのように勝利を義務付けられているわけではないから。
「ディープさん、そろそろ準備しましょう」
桐生院さんが後ろから話しかけてきた。
この後は先輩のために駆け付けた同期のスターたちによるライブショーケース。
それが終わったら、いよいよメインレースだ。
パドックでのパフォーマンスを終え、ウララ先輩とは間隔を空けてスターティングゲートへ向かう。
普段ならこのままパドックから直接地下バ道を通ってコースに出るのだが、勝負服にほつれを発見したので一旦控え室へ戻ることにした。
急いで部屋に駆け込み、カバンからハサミを取り出した。
「……?」
服から飛び出している糸をつまむ手が、震えている。
今までどんなレースでもこんな状態になったことはないのに。
大きく深呼吸をして、気持ちを沈めた。
そのままほつれた糸をハサミで切る。
控室の姿見で確認して、うん、大丈夫。
このレースが終わったら勝負服をオーバーホールに出そう。
そんなことを考えながら廊下に出ると、なんだかピリピリした会話が廊下の奥から聞こえて来た。
なんとなく立ち止まって、そっと覗いてみる。
そこで、話の主が桐生院さんだと気づいた。
「いい気なもんだよなあ。コネでチームに入れてもらっといて、お次は現役最強ウマ娘のトレーナー気取りかよ?」
「そ、そんなこと……」
私のいる曲がり角から10メートルほど離れた廊下。
桐生院さんと、男のトレーナーが口論している。
たしか、よく彼女に絡んでくる人で見覚えはあった。
「まったく、小岩井さんも見る目ないよな。まあ、あの人も口ばっかでたいしたことないってみんな言ってるぜ」
カチンときた。
小岩井のおっさんは確かに変なヤツだけど、他人から貶められる筋合いはない。
もう少しだけ顔を出して、2人の方をよく見てみる。
ああ、思い出した。
確か、桐生院さんと一緒にチームの研修生として申し込みしてた人じゃないか。
「しかも、お前、こないだ阪神の記者会見で泣いてただろ」
「う、そ、それは……」
「いや、マジで器じゃないんだって。腕がないクセにディープインパクトの担当になんかになるからじゃん? 悪いこと言わないから辞めた方がいいぜ。お前のためを思って言ってやってんの、俺はさ」
後ろから見える桐生院さんの肩は震えている。
他人の人間関係に口を出すのは良くない。
けれど、時々例外がある。
私の仲間達のことを悪様に罵られて、黙って参られなかった。
「あの!」
「うっ……でぃ、ディープ……インパクト」
何か言ってやろうと前に出ると、桐生院さんの手が前に出た。
「!」
私の体を守るように遮る、ほのかに震えている力強い腕。
顔を上げると、にこ、と彼女が小さく笑った。
そうして男に向き直る。
桐生院さんがスッと息を吸った。
「……早乙女さん。そこを、退いてください。私は、トレーナーとしてレースに向かわなければならないので」
低く、堂々とした声だった。
いつもの彼女とは違う雰囲気。
「な、なんだよ……まだ研修中の、サブトレーナーのくせしやがって……」
「いいえ!」
ピシャリと一括するようなトーン。
桐生院さんの手が、私の手首をぐっと掴んだ。
「私は。ディープインパクトさんの、トレーナーです。これから彼女と共に戦うために、私は行かなければいけないんです」
凛とした声色だった。
ピシッと伸びたその背中がとても広く見える。
「お願いです。そこを、退いてください」
「ぐっ……」
後退りした彼の前にできた道を、桐生院さんが私の手を引いて通り過ぎる。
先導する彼女の後ろ姿が、なんだか別人のように見えた。
控室と地下バ道を繋ぐ通路に入って、ようやく彼女は止まった。
「ふぅ〜。ディープさん、すみませんでした」
そう言って、桐生院さんは少し笑った。
「い、いえ」
「さて、いよいよレース本番ですね」
遠くから、ライブの音楽が小さく漏れ聞こえてくる。
カサカサと音が鳴って下を見下ろしてみれば、私の指が震えて衣装に擦れる音だった。
「今日、ダートの1000メートル右回りです。昨日も確認しましたが最初のコーナーのところで……」
そこまで言って、桐生院さんが振り返った。
地下バ道へと出る出口の前で、私が足を止めたからだ。
「どう、されました?」
不思議そうに彼女が尋ねる。
だが、それ以上に私自身が戸惑っていた。
足が動かない。
さっき、騎バ戦では走り回っていたのに。
この小刻みな震えが足の内側から来るものか、それとも会場を揺らすライブの熱狂故か、区別がつかなかった。
「大丈夫です、ディープさん。行きましょう」
桐生院さんが私の手を握った。
温かい手だと思った。
ひんやりとして冷たい地下バ道を、2人で歩く。
長い長い通路の先に、コースが待っている。
普段であれば出場するウマ娘たちの話し声がそれなりに聞こえてくるこの道。
だが、今日は静けさが壁に深く沁み入るほど森閑としていた。
深く、息を吐く。
最初にこの場所で、体が震えたのはいつのことだっただろう。
この空間に塗り込められた濃縮された怨念に気付いたのは、いつのことだったか。
背中に積み重なる一つ一つの敵意が、足を重たくする。
勝てば背中が重くなり、負ければ名もなき敗者となる。
勝っても負けても、出口がないように思えた。
「……う」
また足が止まる。
かかとからトゲが飛び出して地面に刺さったかのように、足を上げることができない。
俯いていると、桐生院さんが私の前に立ったのが見えた。
ああ、そうだ。
彼女と歩いていたんだっけ。
顔を上げると、何か覚悟を決めたかのような瞳が、私を見据えた。
「……ウララさんと、レースをするんでしょう」
「!」
先輩とレースをする。
その響きはなぜか耐え難く、生理的な嫌悪感を宿していた。
唐突な嘔吐感すら、胃の縁を揺蕩っている。
「ディープさん、あなたは、これからハルウララさんと……」
「やめて、ください」
切れかけた蛍光灯がジジジ、と音を立てる。
何も聞きたくない気分だった。
顔を逸らして下を向く。
「ディープさん、聞いて、ください。これからウララさんとレースをするんでしょう」
「……ッ!」
バン!と桐生院さんの体を壁に押し付けて、黙らせる。
異常な熱量の苛立ちが、身体中を駆け巡っていた。
なぜ苛立っているのか、なぜ暴力的な衝動が堰を切って仕方ないのか、まるで分からなかった。
ただ、桐生院さんのに口をふさぐため、反射的に体が動いたのだ。
「!」
少し私の手の力が緩んだ瞬間に、桐生院さんがホールドを抜け出す。
そうしてガバッと両腕で、私を抱きしめた。
彼女の体は震えていた。
中で沸騰する感情のマグマが渦巻いているような、そんな振動だった。
「大丈夫、大丈夫です。きっと大丈夫ですから」
身をよじって彼女の体から逃れる。
まだ走ってもないのに、息が切れて仕方なかった。
「何が、大丈夫なんですかっ!」
何も、何も大丈夫なことなんてない。
あの日負けてしまったことも。
みんなに迷惑をかけたことも。
これから。
ウララ先輩とレースしなきゃいけないことも。
怒声が2人きりの廊下に響き渡って、耳がワンワンと鳴った。
もう気持ちがグチャグチャだった。
感情があふれて、こぼれそうになる。
必死で拳を握って堪えた。
「……すみません」
そう謝るのが精一杯だった。
グッと熱いものが喉元にこみ上げる。
手に温かいものを感じて思わず前を向くと、桐生院さんが跪いて私の手を握っていた。
片膝をついて、私の手を取りながら優しく笑っている。
「私が両親に連れられて、ここに初めて来たのは、まだ幼稚園生の時でした」
桐生院さんが静かに、そう口にした。
小さく呟くように、けれど、その言葉は壁に反響してしっかりと耳に届いた。
「レースへ向かうウマ娘たちがカッコよくて、この道全体がキラキラ輝いて見えたものです」
今思えばこんなに暗い場所なのに、不思議ですね、と笑う。
どう返答するべきか迷った。
そもそも、なんの話なんだ。
「けれどーー」
彼女がゆっくりと立ち上がる。
「いつからかそんな風にはとても思えなくなりました。ウマ娘の皆さんは途轍もない努力をして、それでも報われないこともある。いや、そっちの方が多い。ここは、そんな彼女たちに冷酷なジャッジを下す、そんな場所だと思ったから」
そう言って桐生院さんが、私の手を離した。
ワッ、と奥から歓声が聞こえてきて、ライブが終わったことを告げている。
「ファンやトレーナー、親や友達の期待を一身に背負って走ることが、どれほどのことなのか、私にはわかりません。ましてや、ディープさん。あなたがここで何を望んでいるのか、私には分からない」
「桐生院、さん」
両手を体の前でぎゅっと握って、どこか祈るような姿勢で彼女が私を見ている。
「私は……、私は。自分の居場所を、チームを、守りたい。それだけです」
仲間たちに囲まれたあのチームを。
私の世界でたった一つの居場所を。
「どんなレースだろうと、私は勝ちます。もう二度と、負けないように」
歩き去ろうとする私の腕を、桐生院さんが引きとめた。
ヒトにしては力強いその手のひらに、軽く驚いて顔を見る。
ああ、なるほど、とその口が呟いたように見えた。
ギュっと手に力が入る。
「あなたが望むものは、きっと勝つことでは手に入れることができないと思います」
顔を見上げると、その目は温かく、私を見返していた。
その瞳の奥に、鋼のような堅い意志を感じさせる色。
本当に思っていることを言っている、と直感で思った。
「言ってる意味が……よく理解できません」
「いいですか、ディープさん」
強い、意志の力を感じる瞳が2つ。
私をグッと見つめる。
「今から始まるレースは、世界中でたった一つ。
もちろん私もその1人です、と桐生院さんが笑った。
それは、と口を開いて、言葉に詰まる。
なんと言えばいいのかは分かっていたが、口が動いてくれなかった。
「あ、プイちゃんいた! みんな待ってるよー!」
振り向くと、ウララ先輩が出口の方から手を振っている。
もうこの地下から出て、コースへと行かなければならない。
桐生院さんの横を通り過ぎて、地上へ向かう。
今度は引き止められなかった。
「……よく、分かりません」
トントン、と2回ジャンプして脚を確認する。
不思議と軽い感覚があった。
ウララ先輩の後を追って光の中へ足を踏み入れる。
振り返ると、桐生院さんが暗闇から手を振っていた。
「終わったら、また話しましょう。行ってきます……桐生院トレーナー」
「はい! 頑張ってください」
次がラストで、エピローグも含めてあと2話で完結です。