「いや〜、しかし完成された走りだね! キミなら三冠も夢じゃないよ」
「そうですか。ありがとうございます」
タオルでレースの汗をぬぐいながら機械的に受け答えをする。
声をかけてきた女性が快活に笑った。
私が今日練習に参加した、トレセン学園の中でも名門と呼ばれるチームの一つ。
彼女はそのチーフトレーナーだ。
参加したチーム内のレースで、シニア級の上級生を相手に12人中3着と悪くない結果。
内容的にもほとんど勝っていたレースだった。
フットワークもトップスピードも、全てが予想の範囲内。
ギリギリ最後だけ届かなかったけど、私が本格化を迎えればまず敵ではないだろう。
「噂には聞いていたけど、スピードもスタミナも。とても新入生とは思えないな」
「……どうも」
褒められるのは悪い気分ではない。
このトレーナーはいい人そうだし本気でそう言ってくれているんだろうけれど、あまりおおっぴらに賞賛されると少しきまりが悪い。
チーフの背中越しに、レースで戦った上級生と目が合った。
私の方をはっきり向いて、苦々しげに睨んでいる。
結果で勝って勝負に負けたことを自覚しているんだろう。
まるで速く走ったことを咎めるようなその視線を振り切って、私は下を向いた。
「それで、どう。ウチに入る気になった?」
「あ……えっと。考えさせて、もらいます」
スカウトを断るのはいつも心苦しい。
だが、このチームが自分の居場所になる未来が想像できなかった。
そもそも、レースは1人で走るものだ。
チームでつるむことが、何の役に立つというのだろう?
いろんなチームに練習参加しても、その答えは未だ出ない。
残念そうなチーフに軽く挨拶をして、その場を立ち去った。
やっと太陽が沈んでくれた。
夕闇の中を歩きながらそう思う。
長く伸ばしている髪が夜に馴染むからか、この時間帯になると煩わしいスカウトに会うこともない。
でも、寮にはまだ帰りたくはなかった。
共有リビングの団欒ムードにはついていけなかったし、部屋にこもったとしてもルームメイトがいるから、1人にはなれない。
長く歩いてきて、足が棒のようだ。
どこか、適当な場所に腰を下ろして休みたいと思う。
だが、周りにはベンチもなく、生憎ちょうどいい高さの花壇もない。
どこかの岩でもいい。あるいはもういっそ地面に座り込んでしまおうか。
そんなことを思いながら、『いつか』を求めて当てもなく歩き続けている……。
もうずっと、ひょっとすると生まれた時から、そんな思いが胸の中に重たくのしかかっていた。
空を見上げても月のない夜。
お腹、空いたな……。
ぐぅと音を出して胃が空腹に抗議している。
今から食堂へ行くか、それとも学園の外に食べに行くか。
でもそのためには、どちらにしろ最低限シャワーを浴びて服を着替えなければならない。
見ず知らずのチームの人と一緒に着替えたくないがために、そのまま飛び出してきてしまったことを後悔した。
ふわっと夜の風を背中に感じる。
同時ににんじんの焼ける匂いが漂ってきて、空腹がさらに刺激された。
すごくいい匂い。
もし屋台とかが出ているのなら、そこで何か買おうかな。
味の濃いニンジン串なんかを夜風に吹かれながら食べるのは、ちょっとだけ素敵かもしれない。
香りの方向へふらふらと歩いていくと、火の回りに数人が集っているのが見える。
どうやらバーベキューでにんじんを焼いているようだ。
なんだ、バーベキューか。
とてもとてもがっかりした気分。
騒がしい集団の中に、ひとりドカドカ入っていく元気はない。
……というか、仮に元気な状態でもそんな勇気はなかった。
無念な気持ちと空腹だけを持ってその場を立ち去ろうと振り返った。
「あ! プイちゃん!」
急に変な名前で呼ばれて、私は恐る恐る後ろを向く。
聞き覚えのある、馴れ馴れしい声。
トングを持って、ハルウララがブンブンと手を振っていた。
「トレーナー! あの娘がプイちゃんだよっ。 えっとね、本名はね……」
「ディープインパクトだろ。知ってるよ」
「ええっ、知り合いだったの!?」
有名だからさ、とトレーナーらしき男が笑って答える。
どうするべきか分からず立ち尽くしていると、グイグイと腕をハルウララに引っ張られて、輪の中心へ連れ込まれた。
お腹が減っていて抵抗もできず、しょうがないので周囲に挨拶をする。
喧騒は苦手だったが、目の前でじゅわじゅわと焼けるにんじんの魅力には抗えない。
気づけば口いっぱいに頬張って、にんじんの塊を胃の中に爆撃していた。
「プイちゃん! いっぱい食べてねっ!」
「ふぁ、ふぁい。ありがとうございます」
周りにはトレーナーとハルウララ、それに彼のチームのメンバーと
みんな恍惚とした表情で、一心に箸を動かしている。
ホクホクの身が詰まったにんじんも絶品だが、用意されているソースもまた最高だった。
少し辛めのコク深いタレが、甘い人参の分厚い塊にしっかりと絡まっている。
なんというか、私の好きな味。懐かしい味がした。
トレーナーの男が凄まじい手さばきで具材を焼いていき、メンバー全員の皿に気を配りながら場を回している。
右手に持っている皿が空になれば彼が即時追撃してくるので、気づけばすっかり立ち去る機会を逸してしまっていた。
「プイちゃん、プイちゃん」
ツンツン、とハルウララが私の袖を引っ張る。
彼女の手が、人参を頬張る別の生徒を指した。
「ペルちゃんと、おふろちゃんだよ!2人とも、私のチームのメンバーなんだあ」
「デュオペルテです。よろしくお願いします」
サラサラと上品に輝くグレーの髪に、白いリボンが印象的なウマ娘。
見覚えのある顔だった。
確か、入学式の日に高等部の代表者として挨拶していたウマ娘。
きっと、学業で相当優秀なんだろう。
手を差し出されたので握ると、すごく柔らかい感触だった。
「あっはっは。タイドアンドフロウです〜。いや〜、どーもどーも」
真っ赤なショートヘアが印象的なウマ娘。
豪快な笑い声で、親しみやすい雰囲気だ。
彼女にも見覚えがある。
同じく入学式の日に、校庭でデカデカと花火を打ち上げたウマ娘だ。
すぐに生徒会の腕章をつけた娘に捕まって引きずられていったから、印象に残っている。
正直、あんまり関わり合いになりたくない、かも。
軽く握手しようと思ったら、思い切り握られてちょっと痛かったし。
ハルウララと、デュオペルテさんと、タイドアンド……なんとかさん。
トレセン学園でチームを組むためには原則としてメンバーが5人以上必要になる。
もしここにいる3人のウマ娘たちで全員なら、まだ彼女たちは正式なチームとして活動はしていないのだろう。
「トレーナー、明日の練習は何するの?」
「うーん。コースを使えるのが15時からだから、13時半からは座学でそのあと芝に出ようか」
「わーいっ! 芝で走るの久しぶりだねっ!」
座学……?
聞きなれない言葉で、頭の中で変換した漢字で合っているのかよくわからない。
通常の、一般レース教養の授業とは違うのだろうか?
まあ、私には関係ないことだけれど。
それよりもっと人参を食べたいな……。
食べても食べても、まるで飽きない。
多分、微妙に人参の品種を変えているんだ。
甘み、渋み、コク、スパイス、そして食感のそれぞれが、食べるたびに変化する。
箸を運ぶ手がまるで止まらなかった。
我慢ができなくてそっと網に腕を伸ばそうとすると、振り返ったハルウララと目があった。
「プイちゃんも明日一緒にはしろーよ!」
「えっ。わ、私は……」
「みんなで走ったら、楽しいよ!」
正直に言って面倒だったが、これだけバクバクとご馳走になっておきながら無下に断るのは気まずい。
まあ体験するだけならいいかと思った。
「じゃあ、はい。よろしくお願いします」
「やったーっ!」
「いいのか? 確か君のクラスは13時から全体講習があったはずだと思ったけど」
私のコップにウーロン茶を注ぎながらトレーナーが尋ねてきた。
絶妙なタイミングに舌を巻きつつ、その質問に少し驚く。
「ええ。でも、私は講習を免除されていますので……。でも、そんなことをよく知っていますね?」
「トレーナーはねぇ、なんか色々覚えててすごいんだよ!」
まあな、と胸を張るトレーナー。
自分のチームに関わりのない、いち生徒のカリキュラムまで把握しているのは『色々おぼえててすごい』というレベルではない気がするけれど。
実際、彼の言う通り、明日の午後は暇だった。
チーム練習に参加すれば、余計なスカウトが来ることもないだろう。
そういう意味では、私にとっても都合が良い。
お腹が満たされると、なんとなく寮へ帰る元気も湧いてきた。
隙を見て立ち去るべく、礼を口にする。
「あ、あの。ありがとうございました……」
「あ、待って。明日はこの部屋に来てくれ。ノックなしでいいから」
トレーナーの男が名刺を手渡してきた。
シンプルなレイアウトの紙に彼の名前と、トレーナー室の部屋番号が記載されている。
ハルウララがまた何かを話しかけてきそうだったので、伏し目がちにモゴモゴお礼をする。
それから急いでその場を後にした。
普段は通らない大通りを通って寮へ体を運ぶ。
この道を通ると寮までこんなに近いのか。
いつもは裏の暗い獣道を通って帰るから知らなかった。
アツアツの人参で軽く火傷した口内が、少し痛い。
じんじんする箇所を舌でなめながら寮の共用リビングへ入ると、寮長の先輩に声をかけられた。
「おや? ディープ。なんだか嬉しそうじゃないか。何か楽しいことでもあったのかい?」
「……! いえ、なんでもありません。」
何となく気まずくてそそくさと自分の部屋へ立ち去る。
嬉しそう、私が?
ふぅ、とため息をついて、部屋のドアを開ける。
まだルームメイトは帰っていないようだった。
シャワーを浴びるために着替えを取り出す。
ふと、服から人参の香りが漂ってきて、バーベキューの余韻が蘇った。
暗い夜道に突然現れた炎の暖かさ。
騒がしいが、疎外感を感じない明るい雰囲気。
ほっぺたが落ちるほど美味しかったホクホクの人参。
そして、ニンマリと幸せそうなハルウララの笑顔。
ハルウララ、彼女は本当に裏表がないウマ娘なんだ。
相変わらず好きにはなれなかったが、彼女に対する警戒心はもうなかった。
「変なウマ娘……」
いや、彼女だけではない。
トレーナーらしきあの男と、チームメイトのデュオペルテさんとタイド……なんとかさん。
食事中とはいえ、みんな何とも緩んだ雰囲気だった。
今まで練習参加したチームはみんな、トレセン学園にふさわしくピリッとした雰囲気があったものだけれど。
変な集団。
それが彼女たちの第一印象だった。