春風と衝撃   作:オルンガだー太郎 

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#10:春を告げる風

唸る風を吹き飛ばして第4コーナーを回る。

阪神の最後の直線は356メートル。

急勾配の坂が牙を剝く。

 

相変わらずこのコーナー付近に差し掛かると有記念のことを思い出すけれど、もはや支障はなかった。

えぐり取るような角度でグイグイとカーブを曲がっていく。

 

前の逃げを切らせず、後ろからも差させない。

桐生院さんと考えたレースプラン通り、早めに勝負をかけた。

コーナーの終わりを待たずに先頭に立つ。

 

ウララ先輩の引退レースが終わってからも、しっかりとトレーニングを積んできた。

桐生院さんはそれに一生懸命付き合ってくれたし、小岩井のおっさんも、チームメイトのみんなも。

 

息を意識的に大きく吸い込んで、止める。

膨らんだ肺から酸素が体に浸透して、エンジンが爆発的にピストンする、そんなイメージ。

 

ガチッとギアが上がって、翼を広げる。

明らかな私の独走態勢に、観客席から大歓声が上がった。

 

脚は加速して止まらない。

自分の想定通り、いやそれ以上に脚が伸びていく。

 

気づいたら前には誰もいない。

飛翔するような感覚で高揚する心のままに、翼を広げた。

 

『ディープインパクト1着! やはりこのウマ娘は強いのか!』

 

1番にゴール板を駆け抜けると、喝采に会場が包まれた。

 

ああ、楽しい。

大地を踏みしめて、思うがままに風を切る感覚。

親しい仲間の思いを背負って、その上で世界と連結する。

こういう感覚は走っている時にしか味わえない。

 

「ディープさんっ!」

 

桐生院さんが観客席から走ってきた。

ガシッと握手をして、肩をぶつけ合う。

今日のレース展開は、概ね彼女の予想通りだった。

1人で走っていたら、こう簡単には勝てなかっただろう。

 

「桐生院さん、あなたのおかげで、走れました。ありがとうございます」

 

「……!」

 

感極まったのか、彼女にぎゅっと抱きしめられた。

レース場のビジョンに私たちの姿が大写しになっていて、ちょっと恥ずかしい。

 

まあ、でも。

これも最後だからいいかな。

 

トレセン学園に新規でトレーナーとして採用された人は、1年の間どこかのチームでサブトレーナーとして研修を受ける。

それはつまり、桐生院さんの研修がもう終わるということを意味していた。

 

控え室に戻って、ウイニングライブの準備をする。

衣装に着替えてダンスの確認をしていると、ノックの音が聞こえた。

 

「失礼……お、プイちゃん。頑張ったな。見てたよ」

 

小岩井トレーナーが笑いながら部屋に入ってきた。

その後から、みんなも続いて入室してくる。

 

デュオペルテ先輩に、フロウ先輩、ドミさんと、それから。

 

「プイちゃんっ。今日もカッコよかったね! ライブも応援しちゃうよ〜!」

 

「ありがとうございます。ウララ先輩」

 

引退した身ではあるけれど、今日は私の復帰戦ということで、わざわざ応援しにやってきてくれた。

彼女にいいところを見せられて一安心というところ。

 

「ディープさん、そろそろリハーサルの時間です。準備はいいですか?」

 

「はい、大丈夫です。……それでは、行ってきます」

 

来てくれたメンバーたちに背中を叩かれながら、桐生院さんの後を追ってステージへ向かう。

 

応援してくれている人たち、そして仲間たちのために、一生懸命歌おうと思った。

 

リハを終え、本番の幕が上がると大きな拍手が出迎えてくれる。

 

ライブで歌ったり踊ったりするのは好きだった。

走っている時とは少し違う楽しさがあるような気がする。

 

もしかしたら、『楽しい』にもいろんな種類があるのかもしれない。

これから私は、一つづつそれを集めていくんだ。

そんなことを思った。

 

ライブが終わると、小岩井のおっさんが運転する車に乗って東京へトンボ帰りする。

 

チームメイトの応援に行くとき、出場する選手とトレーナーは新幹線か飛行機移動で、他のメンバーは車移動することが多い。

今回も、本来なら私はホテルに一泊して、翌日新幹線で帰る予定になっていた。

 

けれど、今日はなんとなく皆で車に乗りたいような気分だったのだ。

みんなで遠征するのも、これで最後だし。

 

できれば車中でずっと起きていたかったのだけれど、レースの疲れがそれを許さない。

高速道路に乗ったあたりで瞼を閉じたことは覚えている。

目覚めた時にはもう高速を降りていて、夜もとっぷりと更けていた。

 

「ねえ~、葵ちゃん。本当に独立しちゃうの? もう一年くらい、サブトレーナーやってもいいんじゃない?」

 

しんと静まり返った郊外の住宅街の道を通っていると、突然フロウ先輩が泣き出した。

桐生院さんの研修はもうすぐ終わりを迎える。

4月になれば、一人前のトレーナーとして羽ばたいていくのだ。

 

「フロウさん……ありがとうございます。でも、すみません。やっぱり一人のトレーナーとしてやっていくのが昔から夢だったので……」

 

「うう〜、ヤタローちゃんも止めてよぉ。葵ちゃんいなきゃ事務仕事とか困るっしょ?」

 

ハンドルを握る小岩井のおっさんがちょっと笑った。

 

「うーん、まあそうだな。でも葵は一人で自由にやるのが向いてると思うからさ。俺からも独立を勧めたんだよ」

 

ええ~、とフロウ先輩が嘆きの声をあげた。

おっさんは桐生院さんに最初から結構仕事を任せていたし、初めから1年で彼女を育成するつもりだったのだろう。

デュオペルテ先輩がフロウ先輩を慰めながら、おっさんの方を見る。

 

「でも、そうすると来年は弥太郎さんだけでチームを運営することになるのですか?」

 

「いや、まあその辺は学園とのギブアンドテイクというか。来年度は何人かサブトレーナーを見繕ってくれるって話がついてるよ。葵は優秀だったから、2人くらいいないと穴が埋まらないと思うしね」

 

助手席で桐生院さんが照れている。

学園に何をギブしたのかは知らないけれど、きっと高知への長期出張の条件とかそういうことだったんだろう。

おっさんは、本当にそういう小細工が得意だ。

 

「で、どうだった? プイちゃん」

 

運転席から急に話しかけられて少しびっくりした。

バックミラー越しに、彼が笑っているのが見える

 

「どうって、何がですか?」

 

「今日のレースだよ。走ってみて、どうだった?」

 

チラリ、と桐生院さんと目が合った。

鼻で少しため息をついた。

ここで変な意地を張っても仕方がないか。

 

「楽しかった、です」

 

そっか、と彼は満足げに前を向いた。

ぎゅ、と横に座っているウララ先輩に抱きしめられる。

やわらかい感触と、私の好きな匂い。

 

「今日は随分と静かだな、ウララ。寝てるのかと思ったぞ」

 

「うん……えへへ。なんだか、嬉しくって」

 

ウララ先輩の柔らかい指が頭皮を優しく刺激してきて気持ちいい。

まるで桜の大木に抱きついているような安心感があった。

 

「なんか、こう。『ワーッ』ってなる嬉しさじゃなくて、じんわり、幸せだぁって、思う」

 

そんな風に優しい声を出さないで欲しい。

彼女のお腹に顔を埋めた。

 

「あのね、初めてペルちゃんがチームに来たとき、すーっごく、嬉しかったんだ。わたし、今までずっと1人で走ってきたから。なんて言うんだろ。お友達はいたけど、そうじゃなくて、一緒に同じ方を向いて走る仲間っていうか……」

 

わかるよ、と小岩井トレーナーが穏やかに返事をする。

 

トレセン学園の中で、彼女の存在は異質だ。

『周囲と違う』ということが、時にどれほどの孤独を生むのか、私は知っている。

 

「それでね。ペルちゃんがおふろちゃんを連れてきて、それからプイちゃんが入ってくれて、ドミちゃんも。……わたしね、みんながいてくれて、とってもとっても幸せ、だなあ」

 

このチームは、私だけじゃない。

先輩にとっても大切な居場所だったんだ。

 

私は、彼女の居場所を守れただろうか?

いつも貰ってばかりで、私は何か彼女に返せたのか。

 

否応もなく時は過ぎ去っていって、二度と戻ることはない。

最後なんだ。これが。きっと。

そう思うと、止まらなくなった。

 

「引退レースもプイちゃんと一緒に走れて、それで……って、プイちゃん!?」

 

「うっ……ぐうっ……せんぱい……」

 

ボロボロと大粒の涙が溢れて流れ落ちる。

 

ウララ先輩が大声を出したものだから、車が路肩に止まって、全員がわたしの方を見た。

恥ずかしかったけれど、そんなことはどうでもいいと思った。

 

いつの間にか寮の近くまで帰ってきていた車が、桜並木を徐行していく。

桃色の花びらが月夜に輝いて、舞い散るのが見えた。

 

みんなに慰められながら、撫でられながら、ただ温かさを感じていた。

これからもこの場所を大事にしていこう。

誰がいつ出て行っても、いつでも帰ってこられるように。

時が流れても、大切なものをいつまでも受け継いでいけるように。

 

大好きだと、そう思った。

 

 

 

 

「え? 新人さんなんですか? いや、流石にちょっと……」

 

「あ、もう私チーム入るの決めたんで」

 

「話だけでも、ですか? いや~、この後は予定が詰まっちゃってて、すみません」

 

甘かった。

あのディープインパクトのいるチームで研修をしていた、と言う肩書だけでは、私のような2年目の新人トレーナーのスカウトに乗ってくるような娘はいない。

 

4月の陽光の下、精力的に足を動かす生徒たちを見ながら、ベンチでうなだれる。

 

ダメダメ、しっかりしないと。

ここでへこたれていたら、ディープさんたちに申し訳が立たない。

それに、私は桐生院の名を継ぐトレーナーなのだから。

 

「何してるんですか」

 

顔を上げると、最強のウマ娘がそこに立っていた。

 

「あはは……。ちょっと休憩してただけですよ」

 

「スカウト、上手くいってないみたいですね」

 

「うぐっ……」

 

ディープさんが隣に座った。

木漏れ日が柔らかく彼女のスカートに落ちる。

これからトレーニングに行くのだろうか。

 

「チームのみなさんは、お元気ですか?」

 

「ええ。先輩たちはみんな元気そうです。後輩も2人入ってきて、おっさんが……小岩井トレーナーが大変そうにしてます」

 

「あはは……。ディープさんは次、天皇賞ですね。頑張ってください」

 

「ええ。勝ってきますよ」

 

そう口にする彼女の表情は、とても楽しそうだった。

まるで、今からレースをすることが楽しみで仕方ない、というような。

 

「桐生院さんのスカウトが上手くいったら、みんなでご飯に行こうって、ウララ先輩も言ってました」

 

「わわ……、頑張らないと。ウララさんとは今でも話すんですか?」

 

「そうですね。結構忙しくされてるみたいですけど、たまに遊びに連れて行ってくれるんですよ」

 

わっ、と歓声が上がってコースの方を見下ろすと、レース講習が佳境を迎えていた。

ボンヤリとそれを見つめていると、一人のウマ娘に視線が吸い寄せられる。

 

決して速くはないけれど、綺麗なフォーム。

白毛という以外に、目立った特徴がない。

いや、なさすぎる。

 

デビューもしていないこの年代において、ここまで特徴のない、言い換えれば欠点のない走りができるものだろうか?

 

結局、その娘は6着でゴールした。

誰と話すでもなくそそくさと荷物をまとめている。

 

「あの白毛の娘、面白いですね」

 

「! ディープさんもそう思いますか?」

 

「ええ。ああいう走り方の娘って、あんまり他にいないので……」

 

彼女の言葉を遮るように、後ろから2人のウマ娘が話しかけてきた。

 

「あーっ! プイちゃん先輩、こんなところに!」

 

「ちょっとアンタ! そんな呼び方、失礼でしょ!」

 

「うっせーなー。先輩っ、俺、今から走んスけど……」

 

「わ、私も! ディープ先輩……その、レースを見ていただければ……」

 

小岩井先輩のチームの1年生だろう。

2人とも元気そうないい娘たちだ。

ディープさんがポリポリと頭をかいて、彼女たちの方を向き直る。

 

「わかった。ここで見てるから、2人とも頑張ってね」

 

「よっしゃあ! 絶対1着取るから見ててくださいね!」

 

「バカ! 1着とるのはこのアタシなんだからっ!」

 

2人が競い合いながら駆けていく。

後ろ姿を見送るディープさんの表情は、陽だまりのように優しかった。

ふと、彼女がコース脇の方を指差した。

 

「さっきのあの白毛の娘、行っちゃいますよ。声かけなくていいんですか?」

 

指先の方向、ロッカールームに向かってあの娘が1人歩いていくのが見えた。

 

「あ、わ、私、行ってきます!」

 

「はい……あ、桐生院さん!」

 

駆け出した足を止めて振り返る。

 

「きっと、大丈夫です。すぐスカウトも上手くいきますよ。私の、元トレーナーだったんですから」

 

「……!」

 

そう言って、ディープさんが微笑んだ。

風にひらり舞う蝶のような、美しい笑顔だった。

 

「あ、ありがとうございますッ!」

 

手を振る彼女を背に、目的の方へと走り出す。

心臓がドキドキしてうるさかった。

 

さっき見た彼女の走りが頭から離れない。

初めてディープさんの走りを見た時と、種類は違うけれど、どこか似たような衝撃を受けていた。

 

全力で足を動かして、白毛のウマ娘の後を追いかける。

 

「あ、あの!」

 

ポツンとひとり、歩いている彼女の背中に声をかけた。

 

「…………はい」

 

物静かな、独特のテンポで会話をする娘。

おっとりとした雰囲気だが、その目には力強い輝きが灯っていた。

 

「えっと、あの、その。さっきのレースを見てて、えーと、つまり……」

 

また断られるかもしれないと思うと、話を切り出すのが怖い。

でも、何か感じるものがあったのだ。

 

この娘と一緒に飛んでいきたい。

色んな景色を、横で一緒に見たい。

そう強く思った。

 

「私は桐生院葵と言います。トレーナーです」

 

そう、私はトレーナーなんだ。

鋼の意志で前へ突き進まなければ。

 

「あの、お名前を聞かせてもらってもいいですか?」

 

春の風が優しく吹き抜けて、桜の花びらが彼女の白い髪にぽとりと落ちた。

小さな唇が、花咲くように開く。

 

「ミーク……ハッピーミーク…………です」




完結しました〜!
みなさま、読んでいただいてありがとうございました。
いただいた感想や評価のおかげで、ここまで書ききることができました。
また別の長編も考えておりますので、またお目にかかることがあればよろしくお願いいたします!
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