春風と衝撃   作:オルンガだー太郎 

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#3:楽しかった?

翌日。

朝起きたときから、すでに練習参加を承諾したことを後悔していた。

ハルウララのチームのトレーニングに混ざるのは気が重かったけれど、約束してしまったものは仕方がない。

授業が終わっていつもなら自主練を始める時間。

私は部室棟の細長い廊下の奥、トレーナー室の前にいた。

 

小岩井 弥太郎(こいわいやたろう)』と書かれたネームプレートの前で首を傾げる。

昨日もらった名刺を確認するまでもない。

指定されたのはこの部屋のはず。

目の前のドアを見れば一目で分かる。

 

周りを見渡しても、ドアに大きな絵が描かれているようなトレーナー室はここだけだ。

誰かの似顔絵と桜の花びらと蝶が、荒い線と極彩色でいっぱいに表現された、悪く言えば幼稚な、良く言えば心温まる絵。

……いや、別に良く言ってやる義理はないのだけれど。

ハルウララが描いたもので間違いないだろう。

 

知らない集団の中に入っていくときはいつも緊張する。

二度深呼吸をして、それからドアを開いた。

 

「こ、こんにちは……」

 

「あっ、プイちゃん! こっちこっち!」

 

ハルウララが手招きしている。

部屋が間違ってなかったことに安堵しつつ、彼女の隣の席に座った。

他のメンバーも全員ーーといってもあと2人だけだけどーー集まっていた。

 

私が席に着くと、照明が落とされてプロジェクターが回りだす。

投影されているスライドには『レースの分岐点を考えよう Part38』の文字。

その横にトレーナーが立って、指し棒を握っている。

最初は座学、と昨日言っていたが、何をするつもりなのだろうか?

 

「じゃ、まずは一本レースの映像を見てもらおうかな」

 

彼がPCを操作して動画を再生した。

流れ出した映像は、少し昔の日本ダービー。

各ウマ娘のパドック・パフォーマンスからレースが終わるまでが、約10分間に編集された動画だった。

このレース自体は、昔テレビで見たから結果は覚えている。

世代の3強が揃って抜け出して、デッドヒートを繰り広げたのが印象的だった。

1着の娘がウイナーズ・サークルで泣いているところで映像が止まり、部屋の照明がついた。

 

「さて、ということでこの年のダービーは10番の娘が勝ったわけだけど」

 

ポンポン、と指し棒を手慰みながら、トレーナーは部屋を見渡す。

 

「ズバリ、彼女の勝因はどこにあると思いますか!」

 

「はい! 集団をコントロールした序盤のコース採りだと思います!」

 

「え〜、私は最後の直線まで脚をためてた作戦勝ちだと思うけどなぁ」

 

彼の問いかけに勢いよくメンバーが答えていく。

いきなりこっちに話を振られたので、少しだけ胃がヒュッとなった。

トレーナーは笑顔で頷き、他にあるかな、と聞いた。

 

「うーん、パドックでも自信満々そうだったから、事前の準備がよかったのかなぁ」

 

ハルウララが首をひねる。

そして横を向いて、プイちゃんはどう思う?と聞いてきた。

 

「え? え、えっと…… 」

 

頭の中ではなんとなく分かっている感覚を、言葉に成形するのは難しい。

それに今まで私は、単純な脚力の差で相手をねじ伏せてきた。

レースを理論立てて考えたことはない。

というか、考える必要がなかったのだ。

 

「えー……。す、末脚に自信を持ってるような気がしたので、最後の直線に入る前までにしっかり視界を確保できる位置にいたのが良かったのかな、と……」

 

自分が喋るとは思っていなかったので、答えがつっかえつっかえになってしまった。

正しい答えかどうか自信がなかったけど、トレーナーの男がニコッと笑う。

 

「いい視点だな。流石だ」

 

「プイちゃんすごい!」

 

トレーナーとハルウララがまっすぐにこっちを見て褒めてくる。

こんなに素直に賞賛されると少し照れてしまう。

きまりが悪くて周りを見渡すと、他の2人もニコニコと笑っている。

みんなの前で褒められたけれど、特に誰にも悪く思われてはいないようだ。多分。

少しだけ安心する。

 

トレーナーがもう一度電気を消して映像をリピート再生する。

もう一度パドックにウマ娘たちが集い、そこで一時停止のボタンが押された。

 

「さて、色々答えてもらったけど、大事なポイントがいくつかあったね。まずはこの場面……」

 

トレーナーが映像を都度止めながら、細かいポイントを解説していく。

パドックでの振る舞い、過去のレース傾向、コースの特徴、スタート前の様子、枠番に、スタートしてから5秒間のポジション争いの動向……。

店頭販売の包丁売りでもこんなに流暢にはできない、と思うほど立て板に水の喋りが止まらない。

今までは感覚で捉えていたレースの世界が、見事なまでに言葉へと変換されていく。

ただ昔のレースを見返しているだけなのに、彼の解説が、指摘が、質問が、場の熱をどんどん高めていく。

私もいつしか、完全にのめり込んでしまっていた。

 

「はい、まあ今日はこんなところだね」

 

指し棒をカシャ、としまったトレーナーが、部屋の電気をつける。

眩しさに目をしかめながら時計を見ると、いつの間にか1時間半が経っていた。

まるで時間が削り飛ばされてタイムリープしたかのように感じる。

 

周りを見渡すとみんなの顔がギラギラと輝いて、今すぐにでも走りたい、という表情。

私も早く芝を踏みしめたくて足がウズウズしていた。

 

「じゃあ20分後にグラウンドへ集合して……」

 

「わたし一番ッ!」

 

「あっ、ウララ先輩ずるいっ!待ってくださいよ〜!」

 

トレーナーが口を開いた瞬間に、メンバーはみんな急いで部屋を出て行ってしまった。

私も付いて行きたかったけど、衝動に遠慮の念が勝る。

瞬く間に部屋には、私とトレーナーだけが残された。

 

私も行っていいですか、という言葉が喉元で急停止していた。

振り返ってトレーナーの顔を見つめ、そのまま固まった。

人生で一度も口にしたことがないセリフは急には出てこないものだ。

 

パクパクと口が開いたり閉じたり。

そんな私の様子を見て、コードを片付けているトレーナーがちょっと笑った。

 

「なあ、このあとみんなで走るけど、一緒にどうだ?」

 

「は、はいっ。よろしく、お願いします」

 

ゲートが開いたときみたいに、私は部屋を飛び出してハルウララ達の後を追った。

いままで一つのレースをこんなに多角的に考えたことはなかった。

いま学んだことは個人練習では絶対に実践できない。

チーム練習に混じるのは億劫だったけれども、この機会を逃す手はなかった。

 

ロッカールームに駆け込むと、ちょうど他のメンバーはもう出て行くところだった。

私も着替えて、急いで後を追う。

芝に出るとチームのみんなが準備をしながら待っていてくれた。

 

「あ、す、すみません。遅くなっちゃって」

 

「え? ううん! ウォーミングアップしよ!」

 

軽くストレッチをして、まずコースを流すようにみんなで走る。

ハルウララが先導しながらコールを叫ぶ。

 

「レッツゴー! ふぁいお!ふぁいお! ほら、プイちゃん次ねっ!」

 

「えっ!? れ、レッツゴー、ふぁいおっ、ふぁいおっ」

 

今までチーム練習に参加するときは、なんとなくこういう役割を免除されてきたので戸惑った。

見よう見まねでコールを叫んでみる。

芝を踏みしめながら、時折コールしながら、いつになく頭は回転していた。

これまでは感覚の赴くままに走っていた直線やカーブが、レクチャーを受けた今、全く違う光景に見える。

早く全力でここを走ってみたい。

まるで長期離脱明けの選手のように、走ることに飢えていた。

 

ウォーミングアップを済ませた後でシチュエーション別の練習。

座学で見た映像を逐一参照しながら、チームで繰り返し走り込む。

ひたすらにレースを理論立てて考え、それを実践に落とし込んでいくのがトレーナーの方針なのだろう。

左回りのコーナリングで1時間、右回りで1時間。

気づけばあっという間に2時間が経っていて、グラウンドには照明の影ができていた。

 

「よし、最後にみんなでスタートを確認しようか」

 

グラウンドに仮設されている模擬ゲートの前に集まる。

スタートか、と私は思った。

昔からスタートダッシュだけは苦手だった。

狭いゲートに押し込まれるのは嫌だったし、誰かのタイミングで走り出さなければいけないのは性に合わない。

まあ、それは多くのウマ娘が同じことだけれど。

 

さて、と彼が手を叩いた。

グルっとメンバーを見渡し、咳ばらいを一つ。

 

「ウララ、スタートについて気をつけなきゃいけないことは何だったか覚えてるか?」

 

「えっとね~……」

 

そのままポカンと口を開けて、ハルウララは黙りこくってしまった。

カラスの鳴き声が響く中、奇妙に静まり返った時間が流れる。

やがて何かに思い当たったのか、彼女の目が夕焼け色に輝いた。

 

「えーーーっと、『飛び出し』と、『3歩』だよねっ!」

 

「お、よく思い出したな。その通りだ。今日はもう時間がないから俺が説明しちゃうけど」

 

そう言いながら、彼がタブレットに何かの資料を映し出す。

チームのメンバーが近寄って、画面を見下ろす。

私も横から内容を目にした。

 

「スタートに関してはフィーリングで何となくやっちゃってる娘も多いんだけど、細かく見ると2種類にパート分けをしてトレーニングができる箇所なんだ」

 

まさにスタートを『フィーリングでなんとなくやっちゃっている』私は、ドキッとした。

彼が画面をスライドさせると資料映像が流される。

 

「まずはゲートからの飛び出し。ここに関してはもって生まれたセンスに依拠する部分が大きい。ゲート入りしてから扉が開くまでに、呼吸を合わせるためのルーティンを確立することが重要だ」

 

私を含め、レースを走るウマ娘たちはゲートの中でのルーティンを決めていることが多い。

特定のストレッチをする娘や、心の中で決まった言葉を唱える娘など。

その点でいえば私は前者だ。

2回深呼吸、トントンとジャンプ、足に力を溜めるイメージでグッと前を睨む。

……もっとも、それで上手にスタートダッシュを切れたことは、あまりないけれど。

 

「そして、もう一つ大事なのがスタートしてから最初に踏む3歩だ。君たちはたった3歩でスピードに乗ることができる。実はこの3つの踏み込みの良し悪しが、最後の直線の伸びにまで関わってくるんだよね。じゃあ、具体的にどうすればいいかというと……」

 

今までは認識の中で、スタートは『良いか悪いか』の2種類しかなかった。

『スタート』という単一の概念が、タブレットの中で幾重にも解剖されて複雑に絡み合う。

感覚で処理していた事象を改めて理論で考えると、こんなにも抑えるべきポイントがあったとは。

 

一通り彼の説明が終わり、実戦形式でスタートだけを練習する。

広いコースの中の、ゲートから100メートルだけを繰り返し走る。

それでいて、単なる反復にならないように短期的な目標とチーム分けが設定された、少し異常なまでにゲーム性が高く工夫されたメニュー。

コーナリングのトレーニングで提示された課題が、また形を変えて顕在してくるような驚きに満ちた練習の構成。

スタミナの残量など気にならないほど、否応もなく熱中してしまう感覚がそこにあった。

 

もっと、もっと出来る。

まだ良くなるはず。

やがて、気づいた時には本格的に空が暗くなっていて、照明が明るく芝を照らしていた。

トレーニング終了の時間。

 

一瞬に感じたけど、気づけば結構走り込んでいたようだ。

今日は終わりだ、と意識した瞬間に、ドッと疲労が押し寄せてきた。

トレーナーがメンバーを集合させ、明日の予定を伝える。

 

一体なんだったんだろう、今日のトレーニングは。

事務連絡が耳を通り抜ける中、放心状態で立ち尽くす。

今まで経験してきたものとは全く違う練習だった。

練習の方法の差異とか、そういう表層の部分ではなくもっと根本的な観点。

()()()()()()()()()()()()()()()()が他とは異なっているような気がした。

 

「おつかれさま、プイちゃん! 今日のトレーニングどうだった?」

 

ハルウララに笑顔で話しかけられて、我に返る。

照明に照らされた彼女の髪の毛がキラキラと光って、目が眩んだ。

夜の闇に浮かぶ桜の花の、一種恐ろしいまでの純粋さが彼女にあった。

綺麗だ、と単純にそう思った。

 

「あ! プイちゃん、ケガしてる!」

 

その声でふと下を向くと、確かに右膝のあたりを擦りむいていた。

気づかなかった。

いつ切ったんだろう?

 

ちょっと待ってね、とハルウララがしゃがみこんで、ポケットから何かを取り出す。

ペタリと何かを貼られて、驚いて少し後ずさった。

 

「ば、絆創膏……?」

 

「えへへ。わたし、よく転んじゃうからいっつもポッケに入れてるんだ。いっぱい持ってるから、一つあげるね!」

 

ファンシーな柄の絆創膏。

そのパッケージを一つ、私のポケットに突っ込んでくる。

ハッキリ言って余計なお世話だったが、抗議する体力は残っていなかった。

礼を言おうとして顔を上げると、夕日をバックにしたハルウララがニコリと笑った。

 

「今日も楽しかったね〜!」

 

楽しかった。

そうなのだろうか?

いま私の心を占めている感情に、名前を付けられない。

いや、付けたくないのかもしれない。

バケツに突っ込まれた花火のように、高揚していた心がスッと冷たくなった。

 

「……ッ! 失礼、します」

 

「あっ、プイちゃん!」

 

思わずハルウララを置いて走り去ってしまっていた。

ロッカーに走って荷物を荒々しく掴み、急ぎ足で出ていく。

ドアを開け、中庭を抜け、門をくぐってアスファルトをダッシュ。

そのまま寮へ駆け込んでリビングを抜けて部屋へ駆け込んだ。

ルームメイトがまだ帰ってきていない暗い部屋でひとり、膝を抱えてしゃがみ込む。

 

心臓が不安定に跳ね回り、ぎゅっと手で握って押さえつける。

呼吸で肩が上下する。

ちょっとした吐き気すら胸の中に感じた。

手のひらで踊らされるように熱中してしまった自分に腹がたつ。

 

「……ぐ、う」

 

走るのが楽しかった、と認めるのが怖かった。

 

私はレースに勝つためにここに来た。

それ以外の全ては削ぎ落とさなければならない。

今までずっとそうやってきたし、勝つことでようやく存在を証明してきたのに。

私は、最強のウマ娘にならなければならないのに。

 

「何をやってるんだ、私は……」

 

頭を抱えて、そう呟いた。

もう、あの変なチームやハルウララに近づくのはやめよう。

自分の存在が根底から揺るがされるような、そんな不安定な気分だった。

 

そもそも、自分は彼女のことがあんなに嫌いだったじゃないか。

自分から関わり合いになる理由なんてない。

余計なことは考えず、自分のためだけに走らなければ。

 

着替えようとしてジャージを脱ぐと、カラン、と絆創膏のパッケージが床に落ちた。

一瞬、ゴミ箱に捨てるかどうか迷う。

 

「………………」

 

結局バッグの中に箱を放り投げた。

ボスン、とベッドに飛び乗ると、スプリングが少し軋む。

白い天井に今日のトレーニングの光景が浮かんできて、断ち切るように目を閉じた。

 

また、明日からはひとりでトレーニングをする。

もうハルウララたちとは関わらない。

それで、いつも通りだ。

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