春風と衝撃   作:オルンガだー太郎 

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#5:『勝利したことがないウマ娘』、ハルウララ

それから数日間は、勉強もトレーニングも手につかなかった。

頭を動かしていても体を動かしていても、交流戦のことが気になって心が落ち着かない。

 

そもそもチーム戦を戦うには最低でも5人が必要で、ハルウララのチームは現在3人体制。

つまり、不戦敗を避けるには2人の新規加入者が必要なはず。

小学生でも分かるくらいに崖っぷちの状況だ。

 

けれど、いつまでたっても彼女たちがメンバー募集をしたり勧誘をしている様子はない。

トレセン学園の生徒向けポータルアプリにも募集のエントリは出ていないし、ここ本館のエントランスにある掲示板にもチラシが貼られていない。

全然動いていないように見えるけど、何か当てがあるのだろうか?

 

いや、私がメンバー募集を見逃してるだけかも。

流石に1人で2レースを走るつもりな訳はないだろうし。

でも、掲示板を隅から隅まで見ても、やっぱりどこにもハルウララの名前はなかった。

 

「あ、あの……、ディープインパクトさんですよね? もしかして、入るチームを探してますか……?」

 

「え!? あ、いや。その……さ、探してませんっ!」

 

話しかけてきたスカウトっぽい人の声を振り切って、掲示板の前から逃げ出した。

変なところを見られてしまって恥ずかしい。

赤面を隠すように、どこへ向かうでもなく廊下をズンズン歩いていく。

 

というか、なぜ私がメンバー不足の心配をしてやらなければならないんだ。

時々グラウンドで見かけるあのチームの練習は相変わらずワイワイしていて、危機感が感じられないし。

いや、そんなの余計なお世話か。

どうせあの変なトレーナーが、何か策を練ってるんだろうと思う。

でも、レースまでたった3日しかないけどな……。

 

「あーもう!」

 

気づいたら、ハルウララのトレーナー室の前まで来てしまっていた。

もうここには近づかないと誓ったはずなのに。

 

ドアに描かれた、相変わらずバカみたいな絵。

この桜の木の下で笑ってる人の顔っぽいのは、あのトレーナーだろうか?

 

別に用があるわけじゃないけど、なんとなくドアに耳をつけて中の様子をうかがってみる。

特に何の物音も聞こえてこない。

部屋には誰もいないようだった。

 

「なんだ、チーム加入希望者か?」

 

「はわっ!」

 

突然背後から声をかけられ、思わず脇へ飛びのく。

心臓が口から出そうなくらいバクバクしている私の前に、例のトレーナーが笑って立っていた。

彼が鍵を開けて部屋に入り、私を中へ促す。

激しい動悸とともに私は再びこの部屋へ足を踏み入れた。

 

ソファに促されて座ると、彼はお茶を入れに立った。

前に来た時は気がつかなかったけれど、改めて部屋を見渡すとその書類や資料の数に驚く。

調度品にも気を使っているのか、腰掛けたソファは異様に座り心地がよかった。

 

「……?」

 

何故か、虫かごがポツンと棚に置かれている。

広くはないけれどよく手入れされた部屋の中で、明らかに浮いているアイテムだ。

気になって見ていると、コトリと茶碗がローテーブルに置かれた。

 

「どうぞどうぞ。粗茶ですが」

 

「……ありがとうございます」

 

彼は正面の椅子に腰掛けて、長い足を器用に組んだ。

少し物憂げな、気怠そうな表情。

その中で、恒星を1センチ四方に圧縮して埋め込んだかのように両の瞳だけが異様に強い光を放っている。

食えない雰囲気の男だ。

微妙にウェーブがかった長めの黒髪が、窓から吹いた風で揺れている。

20代前半と言われればそう見えるし、あるいは40代と言われても納得できるような、どこか怪しい雰囲気の年齢不詳さがあった。

 

「で、今日はどうしたのかな」

 

改めて聞かれると自分は一体何をしに来たのかわからなくなる。

何か聞きたいことがあった気がするけど、うまく言葉にできなかった。

 

「えっと、その。交流戦とか、大丈夫なのかなって……」

 

一瞬キョトンとしたトレーナーが、プッと噴き出す。

 

「あはは! 心配してくれてるのか?ありがとうな」

 

「べ、別にそういうわけじゃ……ないですけど」

 

彼が促すので、茶碗を手に取る。

口に含むとほろ苦い茶の後味が口に広がった。

何か甘味が欲しいところだけど、流石にお茶請けを要求できるような厚かましさはない。

 

「いや、光栄な話だね。あんな有名チームから交流戦を申し込まれるなんてさ」

 

裏表のない、率直な言葉に聞こえる。

本当にそう思っていることが分かるような真っ直ぐさが、彼の言葉にはあった。

不自然なまでな落ち着き。

この男は事の重大さを理解しているのだろうか。

 

「わかってるんですか。あのチームは、あなたたちを再起不能にするつもりですよ」

 

この新入生勧誘が最も盛んな時期に、チームが惨敗すれば入部希望者はいなくなるだろう。

そして、チーム力から考えれば十中八九そうなることは明白だ。

目の前の男が率いるチームは、チームですらないのだから。

あの時の監督の口ぶりからして、私の加入と同じく、このチームを潰すことを狙っているのは明白だった。

 

「君は優しいね、プイちゃん」

 

「……その名前で、呼ばないでください」

 

プイちゃん呼びはともかく、優しいと評価されることには慣れていなかった。

なんとなくむず痒い。

トレーナーが湯呑みをコトリと机に置く。

 

「まあ、仮に負けたとしても彼女たちには得るものがあるし、悪い話じゃないんだよ」

 

なんのてらいもなくトレーナーはそう言い放った。

一瞬で、全身が沸き立つほどの怒りを感じる。

私の一番嫌いな言葉。

 

負けても得るものがある。

勝てなくてもよかった。

勝ち負けが全てじゃない。

 

ギリギリ、と奥歯がこすれるのを感じた。

握る手のひらに力がこもる。

 

甘ったれた考えだ。

負け犬の思考だ。

レースの勝者はただ一人。

結果がすべてでそれ以外に意味はない。

大人なのに、トレーナーなのに、そんなことも分からないのか?

 

目の前で穏やかに微笑む男。

どうしようもなくこの男の、ハルウララの優しい世界を壊したい。

ゴポリと濁った衝動が全身を駆け巡った。

 

「あなたがそんなだから、去年の有記念はああなったんじゃないんですか」

 

一瞬、沈黙が場を支配する。

言ってから、しまったと思った。

余計な口を挟んだ。

冷や汗が背筋を伝う。

 

「ああなった、ってのは、どういうことかな?」

 

一層激しく瞳がギラリと輝いたように感じた。

穏やかな口ぶりが、逆に怖い。

くそ。

この男の前ではなぜか冷静さを保てない。

 

しかし、前から一度、理由を聞いてみたかったことではある。

なぜハルウララを有記念に出したのか、その理由を。

 

ちょうど5ヶ月前、ハルウララは師走の中山の地で惨敗した。

私はテレビで見ていたので、よく覚えてる。

しんがりで1人、ぽつんとゴールした彼女を巡って、世論は真っ二つに分かれた。

 

最後まで諦めない姿を、夢をありがとうハルウララ。

実力もないくせに、勝つ気がないなら出てくるなよハルウララ。

 

そして、私はどうしようもなくハルウララが嫌いになった

ずっと信じてきたものと、彼女を取り巻く全てのものがあまりに食い違うから。

そんな彼女と奇妙な縁で繋がり、4か月後の今、そのトレーナー室に座っている。

 

ふと、顔を上げると目の前の男は変わらず微笑んでいた。

ずっと和やかに雑談していたのかと一瞬思ってしまうような、そんな穏やかな笑顔。

 

「今でもね。あの決断が正しかったのかどうかはわからない」

 

茶碗を片手にトレーナーは窓の外を見る。

その視線は遠く、何かに思いをはせているような雰囲気。

 

「ウララはレースに一度も勝ったことがないウマ娘なんだ」

 

知っています、と私の口が答える。

 

中央のウマ娘は未勝利のまま一定期間が過ぎると、レースを辞めるか地方への転校を余儀なくされる。

結果を出さなければ居ることができない厳しい世界。

 

そんな中で、未勝利のまま中央に在籍しているハルウララの存在はあまりに異色だ。

もちろん大っぴらには論じられないけれど、ネットなどでは彼女の扱いをめぐって様々な噂が流れている。

 

「まあ、でも勝ったことがないっていうのは問題じゃない。彼女はもともと、根本的にそういう事柄とは無縁だったんだ」

 

「勝ち負けと、無縁? そんな……そんなの……」

 

「おかしい、と思うかい?」

 

わかるよ、とでも言いたげな口ぶりだ。

私を見つめる彼の顔は、不思議なことに、扉に描かれたハルウララの絵とそっくりに見えた。

 

もともと、ハルウララはテレビ出演がきっかけで、幼少期から有名だったウマ娘だ。

成長した彼女が育成年代のレースに出るようになると、あまりに負け続けるために一種のカルト的人気を獲得する。

そんな『最弱』のウマ娘が、その知名度と業界への貢献を活かしてトレセン学園に転入した。

ここまではあまりにも有名な話だ。

彼女のファンは美談として、アンチは恥ずべき話として語るエピソード。

 

「けれど、学園へ転入してきてトゥインクル・シリーズを走るうちに、ウララは走る意味を見失っていった。あの頃、特に有の前は理由もわからず苦しそうだったのを覚えているよ」

 

声の抑揚や手の仕草で、いちいちこの男の動作に目が惹かれてしまう。

先週の座学の時は意図してやっているのかと思っていたが、どうやら普段も同じ調子のようだ。

内容はともかく、彼の言葉に集中させられてしまう感覚がある。

 

「あの有は、そんな状況下のウララが求めた光で、俺もその賭けに乗った。ただそれだけの話だ。彼女には彼女で証明したいことがあって、俺は俺でそれを見てみたかったのさ。まあ、結果はああだったが」

 

勝負するってのは、そういうことだからね、と彼が笑った。

抽象的な話で、よく要点が掴めない。

を走って何かを確かめたかったのは分かったけど、勝てなければ何にもならないのではないか。

 

「でも負けたってことは、結局何も確かめられなかったということでしょう」

 

「そこが面白いところでね」

 

ズズ、と小さな音を立てて彼が茶をすする。

つられて私も茶碗に手を伸ばしてしまった。

ほんのり小さな温かみを手に感じる。

 

「有のあと、ウララはより()()()()()()なった。ダイスは振ってみるまでわからないもんだな」

 

「……どういう、ことですか」

 

勝負に負けて、ハルウララがよりハルウララらしくなった。

何が言いたいのだろう。

煙に巻かれているようでもあるし、本心を打ち明けられているようでもある。

それは、と彼が口を開いた瞬間に、ドアが開いた。

 

「トレーナー! 来たよーっ! あれ、プイちゃん!」

 

「よぉ、ウララ。 お客さんだ」

 

彼がハルウララをソファに促す。

リュックを抱えながら、ドスンと彼女が私の横に座ってきた。

密着した太ももが体温で少し温かくなる。

 

「ね、なんの話してたの?」

 

「ウララが有記念でがんばってたって話だよ」

 

「え! プイちゃん見てくれてたんだ。うれしいな。ありがとー!」

 

ええ、あなたが負けるところを見てました。

 

そんな言葉が口の中で雲散霧消する。

目の前の彼女があまりにも屈託のない笑顔でこちらを見ていたから。

 

ハルウララの笑顔。

そういえば、有で負けた後もカメラに向かってこんな顔をしていた。

あの時、彼女はどんな気持ちだったんだろう。

 

結局、特に返事はせずに曖昧な苦笑いを返した。

これ以上ここにいて、話すことはないのかもしれない。

さっきの話の続きは、もうトレーナーもしてくれないだろう。

私はカバンに手をかけて立ち上がろうとした。

 

「あれ? もう行っちゃうの? にんじんケーキ食べていきなよ!」

 

「……え?」

 

予想外の彼女の言葉に戸惑っていると、トレーナーが机の上に白い紙の箱を置く。

ハルウララに気を取られていて気づかなかったが、いつの間にかポットに紅茶も用意されている。

彼女が箱を開けると、宝石と見まごうばかりに光り輝くにんじんケーキが出てきた。

 

「こ、これって」

 

無意識にゴクリと生唾を飲み込んでしまう。

少し前に受けた雑誌のインタビューで、私が好きだといった店の商品だ。

偶然かもしれないが突然に好物が目の前に出てきて、その魅力に抗うには空腹が過ぎた。

 

「紅茶にミルクいれる?」

 

小さなミルクポットを片手にトレーナーが聞く。

こういう小さな雑貨にもこだわる男なのだろう。

 

「うん!!いっぱい入れてほしいな!」

 

「……あ、私は、そのままで……」

 

ミルクティーが小さく湯気を立てる横の皿にケーキが鎮座している。

名工の彫刻のような、幾何学的な存在感に目を奪われてしまう。

スポンジにフォークを乗せるとシルバーの重みでスッと切れる。

口の中に持っていった一切れは、ほっぺたが痛くなるほど甘かった。

 

ハッと気づくと、向かいでトレーナーがニコニコと私を見ていた。

取り繕うように質問をする。

 

「で、でも、チームメンバーが5人揃ってないのに勝負を受けてよかったんですか?」

 

「まあ条件交渉は十分にさせてもらったよ。そういうの俺、得意だから」

 

口いっぱいにケーキを頬張りながらトレーナーは答える。

トレーナーはねぇ、なんかお話とか上手なんだ、とハルウララが笑った。

 

何度か会話してみて、『お話が上手』なのは嫌と言うほど分かった。

怪しいこの男を見ながら紅茶を口に含む。

キャンディの様に甘いアッサムの香り。

それが何故かケーキに合うから不思議だ。

私がアッサムを好きなことを知っていて、この紅茶を用意してくれたのだろうか?

いや、ただの偶然か。

 

「あー!! なんかこっそり食べてんだけど!」

 

「あらあら。私たちの分も、当然ありますよね?」

 

ドアが開いて、他のメンバー2人が部屋に入ってくる。

自分達だけズルい、と憤る彼女たちをトレーナーがなだめながら、部屋が随分と賑やかになった。

 

結局、私はこの日もチーム練習に参加することになってしまった。

レースはもう3日後に迫っている。

だというのに相変わらず、練習では“勝つ”という単語は出てこない。

この中で焦っているのは自分だけなのではないかと、なぜか私が不安になってくるのだった。

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