止まれと思えば流れ、
時間の濁流に翻弄されるまま、とうとうその日はやってきた。
交流戦当日。
レース場には大観衆が押し寄せた。
ここ、観客席から見渡しても蠢く頭でスタンドの大半が埋まっている。
単なる交流戦にしてはかなりの数だろう。
いろんな意味で、注目度の高い一戦なのだ。
私はというと、観客席最前に席を取ってもらっている。
双眼鏡を使わなくても選手たちがよく見える位置だ。
ダートコースのさらに内側、オーロラビジョンの側に両チームのベンチがそれぞれ設営されていて、選手たちがその近くでウォーミングアップをしている。
配られたマッチプログラムによると、勝負は5対5のチーム戦で3本先取。
短距離、マイル、中距離、長距離にダートマイルと、ごく一般的な形式だ。
監督側のチームは、G1勝利ウマ娘を含むベストメンバーを揃えてきたと言っていいだろう。
対するハルウララのチームのラインナップは以下の通り。
1戦目、短距離(芝):タイドアンドフロウ
2戦目、マイル(芝):デュオペルテ
3戦目、マイル(ダート):ハルウララ
4戦目、中距離(芝):助っ人A
5戦目、長距離(芝):助っ人B
「この助っ人Aと助っ人Bって、誰なんだろうね!」
「助っ人を出すチームとか聞いたことないんだけど……」
「でも楽しみ! もしすごい人だったら盛り上がるなぁ〜」
私のすぐ後ろで、観客たちが口々に助っ人について噂をしている。
おそらく、あのトレーナーが言っていた条件交渉とは、チーム外の人員の参戦を認めさせることだったのだろう。
URAが介さない非公式のレースだからこそまかり通る荒技だ。
それにしても、こんな野良試合によく2人も借り出せたものだな。
助っ人を2人呼んで、どうにか不戦敗は免れたことになる。
しかし、ハルウララのチームはまだ問題を抱えている。
仮に助っ人でそれなりに戦える選手を連れてくることができたとしても、勝負は三本先取。
現行のチームメンバー3人で、少なくとも1勝か2勝する必要があるのだ。
私自身チーム練習に参加して、彼女たちの力量はある程度把握しているつもりだ。
リーダーのハルウララは一度もレースに勝ったことがないし、他のメンバーにしても、GⅢで掲示板入りがやっとのデュオペルテさんと、この間ようやくオープン入りしたばかりのタイドアンドフロウさんの2人だけ。
シニア級の選手をずらりと並べた監督のチームから1つでも勝利を奪うのは至難の業だろう。
希望のかけらもない予測を遮るようにして、ファンファーレが鳴った。
赤髪を揺らしてタイドアンドフロウさんがゲートインしていく。
問題行動が多い(らしい)のに、ゲート入りはスムーズなんだな。
そんなことを思っていると、早くも第1戦の短距離レースが始まった。
今回の交流戦は全ての試合が9人立てのレース。
対戦している2つのチームの選手以外は、まだデビューしていない生徒が走ることになっている。
どちらのチームの選手も1着にならなければ、その試合はドローとなる。
『さあ、第1レースのスタートです! まず先行していったのは……』
スタジアム実況まで呼んできているなんて。
野良のレースにしては豪勢なことだ。
勝負は1200メートルの芝コース。
ウマ娘たちの蹄鉄の音が青空に抜けていく。
「あれ……」
レース展開を見ながら思わず声が出てしまった。
勝負は早くも最後の直線に入って、2人が完全に抜け出す格好になっている。
タイドアンドフロウさんと、監督のチームの選手だ。
相手はたしか、G IIの勝ち鞍もある実力者だったはず。
だというのに、この間オープン入りしたばかりのタイドアンドフロウさんがぴったりくっついている?
下バ評を覆す予想外の健闘に場内が沸き立つ。
もし、ここで勝つことができればハルウララたちにとっては相当大きな一勝となる。
チーム戦において、先に取る一勝の重みは絶大だ。
ラスト3ハロンで抜きつ抜かれつの大熱戦。
私も思わず立ち上がりかけて、手に持っていたマッチプログラムをカバンにしまおうとした。
「痛っ……」
一瞬、焼け付くような痛みが左手に走って、見ると指に小さい切り傷ができている。
紙で切ってしまったのか。
接戦に沸く場内の中で、私の指にじんわりと血が湧いている。
ワッと会場がさらに一段盛り上がって、ハッと顔を上げるとゴール前の100メートル。
文字通りのデッドヒートだ。
タイドアンドフロウさんの赤いショートカットが揺れる。
もしかしたら、番狂わせがあるかもしれないと思わせるような、鬼気迫る走り。
『大接戦だー! ここでゴール!!』
しかし、実力差はそう簡単に埋まるものではない。
結局、タイドアンドフロウさんはクビ差だけ届かなかった。
これで監督側のチームの勝利。
ハルウララ達にとっては、0勝1敗だ。
ああ〜、と周囲からため息が漏れ、そして拍手が選手たちに送られる。
切った指が風でヒリヒリと痛い。
口に咥えてみたけど、血が止まらないようだ。
しょうがないのでバッグから絆創膏を取り出して、薬指に巻くことにした。
ファンシーな柄のキャラが笑って私を見ている。
ご機嫌な、バカみたいな笑顔。
どこかの誰かと一緒だ。
コースの方を見下ろすと、負けて帰ってきた仲間を、ベンチでハルウララが笑顔で迎えている。
その一方、オーロラビジョンを挟んだ反対側、相手陣営は勝利を称えるでもなく淡々と選手が戻っていった。
一体どっちが勝ったのかわからないほど、両陣営の様子には差がある。
タブレットを片手に作戦を練っているハルウララのトレーナーの様子を観客席から見ていると、なんだか落ち着かなかった。
いや、確かにいい勝負だったけど、普通に負けてるじゃん。
何か作戦があるんじゃなかったの!?
別に自分のレースでもないのに、心臓がドキドキしてきた。
助っ人を呼んでいようが、勝利が必要なことに変わりはないのに。
そんな状況で何を落ち着いているのか。
「あー、もう!」
いてもたってもいられず、乱暴にカバンを掴む。
彼女たちが控えるベンチ、内バ場の方へ向かうことにした。
観客席の階段を降りてレース場の内部へと続くゲートを抜けた。
なんとなく内バ場の方へ続いていそうな通路を何本も通る。
しかし、レース場の中は迷路のように入り組んでいて、ベンチの方へ近づいているはずなのにいつまで経ってもたどり着かない。
『……さあ……いよいよ……ます……』
コースの方からは実況と大きな歓声が漏れ聞こえてきて、第2レースの始まりを告げている。
焦る気持ちとともに、細い地下の廊下を進んでいく。
「ね、『ハルウララのチーム』、勝てると思う?」
進行方向を塞ぐように2つの尻尾が揺れている。
聞きたくもないのに、その会話が耳に入った。
「いや、無理っしょ。力量差ありすぎだし。ていうか、あんな問題児チームでよくやってるよね」
トレセン学園の制服を着た2人の間は通れそうもない。
かといって外脇は壁ギリギリで、こちらもすりぬけられそうになかった。
「あ、次ハルウララ走るって」
「てかアンタ、『先輩』付けなよ」
「あはは、先輩って感じじゃないでしょ。どう見ても」
2人の口調に、特別な悪意は感じられない。
いたってナチュラルな会話なんだ。
彼女たちにとって、普通の生徒たちにとって、ハルウララはそういう存在だということ。
私は、どうだろう。
私にとって、あのウマ娘は。
そう思った瞬間、唐突に、私の心の一番なだらかな場所にハルウララが座った。
「あの!」
思ったよりも大きい声が出て自分が戸惑ってしまう。
けれど、恥ずかしがってる暇は、今はない。
早く行かなければならないところがあるのだ。
怪訝な表情で2人が振り向いた。
「……え、知り合い?」
「いや〜? キミ、中等部の娘? 観客席ならあっちの……」
モタモタしていられない。
言葉を遮って、ベンチの場所を聞く。
「えっと! あの。中バ場の方に行きたいんですけど、どっちに行ったら、いいですか?」
私の真剣さが怖かったのか、それとも普通に優しいウマ娘たちだったのか、すんなり方向を教えてくれる。
そのことが逆に、ハルウララやあのチームの評判を端的に物語っていた。
教えてもらった方向にドアをいくつか開けて、ようやくそれらしきゲート前に出た。
急いで外に飛び出すと、一気に視界がひらけて太陽が眩しくなる。
青い芝に足を乗せた瞬間にワッと歓声が大きくなった。
10メートルほど先のベンチでハルウララたちが喜んでいる姿が見える。
そっとコースの方を伺うと、第2レースがちょうど終わったようだ。
ハルウララのチームがみんなで抱き合って、走り終えたデュオペルテさんを迎えている。
か、勝ったの?
まさかの展開に驚いて棒立ちになっていると、ハルウララが私に気づいて私の手を引く。
そのままベンチに連れて行かれて、歓喜の輪が私を囲んだ。
ものすごい力で彼女たちに抱きしめられ、もみくちゃにされる。
「すごいすごい! プイちゃん、 これで1対1だよ!」
「く、くるし、です……」
次は3戦目、ダートのマイルレース。
ハルウララの出番だ。
「よし、ウララ。行ってこい」
「うん! 見ててねっ」
みんなに背中をバシバシ叩かれながら、彼女がコースへ飛び出していく。
ぴょこぴょこと跳ねるように。
まるでこれから遠足に行く小学生のような足取りの彼女。
私が言えた話ではないが、その背中があまりに小さくて心配になる。
「あ……」
分かっているのだろうか。
レースは情け無用の残酷な世界。
自分の全生涯をかけて敵を全て葬り去り、ただひとり勝者だけが自分の存在を確立できる。
あなたは、これからそんな場所で、勝たなきゃいけないんですよ。
「が、がんばってくださいっ」
声が聞こえた、と思ったら自分の口から出た言葉だった。
思わず両手で口を抑える。
少し先にいるハルウララが、私の方を見てニッコリ笑った。
そのまま両手を大きくブンブンと振りながらパドックの方へ消えて行く。
絶対に負けられないレースだというのに、なぜあんな表情ができるのだろう。
胸が少しだけキュッと、熱くなる。
ああ、こんなに。
こんなにも私は彼女に負けて欲しくないのか。
「来てくれてありがとうな、プイちゃん」
小岩井トレーナーがヘラヘラ笑いながら、手を差し伸べてきた。
昨日、日記を盗み見てしまった小さな罪悪感があったので、軽くその手をとる。
「……勝てると、思ってるんですか」
グッと手に力が入った。
驚いて顔を上げると、彼が不敵に笑っている。
「まあ、ウララに期待してみようぜ」
あの日記の、震えるような筆跡が目に浮かぶ。
彼も以前はハルウララを勝たせられないことに絶望していたはず。
なのに、なぜそんな風に笑えるのだろう。
「ほら、始まるぞ」
パドックを通ったハルウララがスターティングゲートに入るのが見える。
相手は去年のダートGⅠレースの覇者。
監督のチームのエースで、現役バリバリのチャンピオンだ。
『第3レース、今スタートしました!』
実況の声とともにゲートが開いた。
スタート直後から相手は集団を飛び出して大きく逃げを打つ。
ハルウララは集団中央に構えた。
普段のレースであれば好位置と言えるポジションだが、相手が逃げるチャンピオンであれば話は別だ。
このまま気持ちよくハナを切られてしまうと、最後までペースは落ちないだろう。
この展開がハルウララとトレーナーの作戦通りなのかは全くわからない。
不安になってトレーナーの方を見ると、心配するなという風に彼が肩を竦める。
チャンピオンがチラッと後ろを振り返って、集団との差を確認した。
もう何バ身か分からないほどに後続を突き放しての先頭。
レースが始まってまだ三分の一だが、これだけあればセーフティ・リード。
私でもそう思うだろう。
彼女はもう一度前を向いて、自分の走りに集中し始める。
すると次の瞬間、狙いすましたようにハルウララがスパートをかけた。
「え!?」
ハルウララが、ロングスパート!?
いくらマイル距離とはいえまだレースは半分以上ある。
ここからスパートをかけるのは流石に無謀ではないか。
しかもコース取りが上手くいっていないのか、かなり内ラチから離れて走っているように見える。
暴走だ。そう思った。
そのままハルウララがじりじりと先頭との差を詰めていき、あっという間にレースは終盤の展開。
先頭のまま最後のコーナーを回ったチャンピオンが、もう一度振り向いて後ろを確認する。
相変わらず集団とはかなりの差がついており、さすがの貫禄を感じさせる走りだ。
「ん……?」
なんとなく、彼女の走りに違和感を覚えた。
ハルウララに距離を詰められているはずなのに、スピードを全く上げなかったのだ。
一度追いつかせるところまでが作戦通り、という可能性もある。
だが、それにしても、ペースが変わらなさすぎる気がする。
まるで、2位に圧倒的な差をつけている、と思い込んでいるような。
「よしよしよし……」
トレーナーが横でつぶやく。
つまり、これが作戦だったのだろう。
外回りのロングスパートという奇策に出ることで、先頭に気づかれないように距離を詰める。
逃げるウマ娘が気づいた時にはもう遅い。
動揺と準備不足で最後の脚は残っていないという寸法だ。
『驚きました! ここでハルウララが並んだ! 並んだぞ!』
実況が興奮気味に叫ぶ。
最後の直線で並びかけてきたハルウララを見て、ようやくチャンピオンの顔色が変わった。
ハルウララが懸命に足を動かして外差しを決めようとする。
「行けっ! ウララ!!」
チームのメンバーとトレーナーが叫ぶ。
私も。
ゴールまであと100メートル。
しかし。
『いや、チャンピオン!抜かせない、抜かせないぞ! すごい執念だっ! 順位は変わらずそのままゴール!』
ゴール板を切ったチャンピオンが膝に手をついている。
ハルウララも出し切った表情。
会場は異様な盛り上がりを見せている。
それだけ接戦だったということだろう。
小岩井トレーナーを先頭にチームが暖かく出迎える中、ハルウララがフラフラとベンチに歩いてきた。
「ま、負けちゃったぁ」
「いや、いい走りだった! よくやったぞウララ!」
確かにすごいレースだった。
チャンピオン相手にアタマ差の2着。
彼女の戦績から考えると、信じられないくらいの好走だったのは間違いない。
しかし、負けは負けだ。
これで結果は1勝2敗。
もう後がない。
今日は観客席に、未所属のウマ娘たちも多く詰めかけている。
ここで負ければ『負けたチーム』として印象付けられ、潜在的な加入者を逃してしまうだろう。
ただでさえ『問題児のチーム』で、メンバーの少ない彼女たちにとっては致命的な事態だ。
「あ……」
ハルウララと目が合う。
昨日と同じ、優しく、お気楽で、能天気な笑顔だった。
「えへへ……プイちゃんに、いいとこ見せたかったんだけど」
しかし、心なしか残念そうな声色がこもっている気がする。
いつものように、バカみたいな顔で笑ってほしい。頼むから。
この状況になってもなお、負けて残るものがあるとトレーナーは言うのだろうか。
なにか得体の知れない感情がこみ上げてきて、ぎゅっと拳を握って下を向く。
「すごい走りだったよ! ウララちゃん」
その時、誰かの声が私の背後から聞こえてきた。
「あ! 来てくれたんだ!」
ハルウララが振り向いて、私の後ろの方へ向かって走っていく。
そういえば、残りの2レースは助っ人が走るんだった。
そのウマ娘が到着したのだろうか。
そう思って振り返ったとき、私は自分の目が信じられなかった。
「う、うそっ! 助っ人、って……」
声が上ずってしまう。
思わずトレーナーの方を見た。
彼が腕を組んで、ニヤリと頷いた。
「彼女が、助っ人Aさ」