春風と衝撃   作:オルンガだー太郎 

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#9:最初の衝撃

『さあ、盛り上がりを見せた本日の交流戦もいよいよ最終レース! 選手が続々とゲートに入っていきます』

 

しっかりとウォーミングアップをして、蹄鉄の調子を確認する。

いつもより体が熱く、柔らかく、そして軽かった。 

 

「ディープインパクトさん、結局あのチームに入るのですか?」

 

対戦相手のウマ娘がにこやかに話しかけてきた。

暗く燃えるような鹿毛の長い髪。

そして光を吸い込むように真っ黒な瞳。

現役でクラシック級のGⅠレースに出ている、一流のウマ娘だ。

 

彼女の走りは何度か見たことがあった。

末脚の伸びに自信があるタイプで、最後方から一気に捲る追込の走りに定評がある。

 

「うふふ。あなたが変なチームに入って勝手に潰れてくれば、私のチャンスが増えるので別に良いのですけれど」

 

「……どうするかは決めてません」

 

トントン、とジャンプして最後の確認。

うん。調子は良さそうだ。

 

「けど、私が勝ちますよ」

 

長身の彼女をにらみ返す。

逆説的ではあるが、今までこんなに勝ちたい、と思ったことはなかった。

 

暗い鹿毛が揺れて、クスリと笑った。

夏のマンホールで跳ねるオタマジャクシを見下ろすときのような、なにか憐れみのこもった目線。

 

「可哀想な娘。みんなの期待を一身に背負って。お姉さんと一緒ね。『早く楽になりたい』って魂の叫びが聞こえてくるわ」

 

姉を引き合いに出されて、瞬時に頭に血が上った。

全身の血管がボコボコと騒ぎ出す。

 

「……ッ!」

 

安い挑発。

頭ではわかっていても、体が反応してしまった。

衝動的に襟首を掴もうと腕を伸ばす。

 

しかし、同時に指の傷にヒリヒリと痛みを感じて、我に返った。

一本、赤い糸のような切り傷が太陽に照らされてほんのりと輝いている。

血はもう止まっていた。

 

伸ばしかけた手を下ろす。

暗い鹿毛の、その真黒の瞳に穴を開けるように、鋭く睨みつける。

 

「…………私にも、聞こえますよ。『ジュニア級未満の娘に負けちゃいそうだよー』って、あなたの心の泣き声が」

 

ファンファーレが天高く鳴り響いた。

 

暗い鹿毛は不敵に笑って、ひらひらと手を振りながらゲートに入っていく。

彼女は姉が破れた皐月賞で共に走っていたウマ娘だ。

ただ、それだけのこと。

私には何も関係がない。

 

観客席の熱気が身体中を包む。

どこまでも飛んでいけそうな気がして、早く走り出したかった。

ベンチを出る前に小岩井トレーナーから伝えられた言葉を思い出す。

 

『プイちゃん、時間がないから一つだけ、いいか』

 

レース前に誰かから指示をもらうのは初めてだった。

いままで、決まったトレーナーがいなかったから。

 

『檻を脱出するセオリーは、昔も今も正面突破だ。覚えておくといい』

 

よく分からない、意味深な言葉だった。

すぐに呼び出しがかかったから、どういう意図なのかは詳しくは聞けなかった。

……まったく、なぞなぞやってるんじゃないんだから。

ため息と共に、記憶の中の彼のニヤけ面を吹き飛ばす。

 

枠に入る。

両腕も広げられないほど小さな箱。

それが一瞬のうちに3200メートルの奥行きへと変わるのだ。

一瞬の沈黙が競技場を包む。

聞こえるのは周囲の息遣いだけ。

 

2回深呼吸、トントンとジャンプ、足に力を溜めるイメージでグッと前を睨む。

いつものルーティン。

スッと息を小さく吸い込むと、ゲートが開いた。

 

バカッ、と音がして、横一列のウマ娘たちが前へ飛び出していく。

ぐう。

出遅れてしまった。

やっぱりスタートは苦手。

体は熱かったけど頭は冷静に、周囲を見渡してポジションを見定める。

そういえばスタートの修正についてトレーナーが言ってたっけ。

あの日の練習を思い出しつつ、しっかりとステップを踏んだ。

 

「!!」

 

スタートの横一線が崩れて、出遅れた私の周りに他のウマ娘がまとわりつく。

このままでは囲まれる格好になってしまう。

まだ序盤だけれど、少しだけ脚を使って前へポジションをずらす。

すでに右側の内ラチ側には2人が、そして前を塞ぐように無数のウマ娘が見える。

 

バ群に巻き込まれるのは避けたい。

集団を回避して前に出るため、大きく外へズレようとステップを踏む。

ロスになるけど、仕方ないか。

 

「んっ!?」

 

私の前にいた選手が、進路を塞ぐように私の左側へと下りてきた。

そして首を振ってみれば、いつの間にか後ろにも選手がいる。

四方を完全に囲まれてしまった。

辺りを見回しても、脱出できそうな隙間はない。

さらに驚いたことに、周囲の彼女たちの顔には見覚えがあった。

 

そこで、初めて気づいた。

交流戦において、対戦するチーム以外の選手は基本的にメイクデビュー前の娘が走る。

つまり、今走っている9人のうち、あの暗い鹿毛と私を除いた7人は、私がレース講習で散々潰してきた娘たちなのだ。

 

別に、事前に話し合ったというわけではないのかもしれない。

しかし、まるで図ったかのように私を囲む檻が形成されていた。

彼女たちの矢印は間違いなく私だけに向けられている。

今まで嫌という程浴びせられてきた悪意の視線が私を貫いた。

 

最初の1000メートルの標識を越える。

あの暗い鹿毛がどこにいるのかすら、囲まれてしまって見えない状況。

このままでは、勝負にすらならない。

 

どうする。

どうすればいい。

 

バシッ、と音が聞こえて、反射的に少し屈む。

耳のすぐ横を、なにか物体が飛んで行った。

前を走る娘が芝と泥の塊を跳ね上げたのだ。

 

「んぎゃっ!?」

 

後ろから間抜けな声。

どうやら、命中してしまったみたい。

御愁傷様。

私を囲っていた檻が、少しだけヨレて、ひしゃげて、やがてもう一度元に戻る。

 

「…………」

 

メイクデビュー前とはいえ、流石にトレセン学園の生徒たち。

檻を形成している個々の能力は高いんだろう。

 

けれど、おそらくこのフォーメーションは前もって練習していたわけではないだろう。

冷静に考えてみれば当たり前の話だ。

私が今日走るのは、ついさっき決まったことなのだから。

もしそうだとすれば、付け入る隙はある。

 

目の前で通せんぼしているウマ娘の腕がブンブンと振れている。

私を前に行かせないための牽制のつもりか。

単純にそういう癖の娘なのかもしれないけれど、

 

『いいか、檻を脱出するセオリーはーー』

 

はあ、とため息をついた。

あんまり選びたくない手段だけれど、仕方がない。

歯を食いしばって覚悟を決めた。

 

グッ、と足を踏み込む。

上半身を前傾させて、前の彼女に体当たりをするような格好を取る。

そして、私の顔をめがけて、後ろ手に振り上げられた拳が飛んできた。

 

ゴイン!

 

鈍い音がして私の目に衝撃の火花が散る。

体の軸がブレないように、しっかりと足を踏み込んだ。

 

()ッ!!」

 

レース中の接触はよくあることだ。

抜こうとして偶然に体がぶつかったり、転倒したウマ娘に後続が偶然巻き込まれたり。

ましてや、振り上げた手が顔に当たってしまうなんてのは茶飯事。

だから、彼女が勢いよく振った拳を、私のおでこが完全に迎え撃つ格好になったのも、偶然だ。

 

前の娘の足取りが予期せぬ激痛でふらつく。

檻のフォーメーションが崩れて、蓋が開いた。

視界がひらけて、緑の絨毯が前方へ伸びる。

即席の檻ゆえに、崩れたバランスに対するカバーが遅い。

その隙を突くようにまた少しだけ脚を使って、光の射す方へと突破した。

脱出、成功。

 

『さあ、レースは後半戦へと突入していきます!! ディープインパクトは現在2番手まで上がってきました……』

 

強く、強くターフを蹴り上げて走る。

第3コーナーを過ぎて、勝負は私と暗い鹿毛の叩き合いになった。

 

最後方からの追込が彼女の戦い方だったはず。

それがこの時点でハナをきっているなんて、何かしらの指示が出ているのだろうか?

まあ、ルーキーを潰すために、自分がペースを作ったほうがいいという判断なのかも。

 

長距離のレースにも関わらず異様なまでのハイペース。

後ろの集団を置いてけぼりにして、2人だけでグリグリとコーナーを回っていく。

いつもならこんな無茶な走りはしない。

だが今日は、脚が一歩先のターフを踏みしめて止まらないのだ。

 

『さあ、勝負はいよいよ最後のカーブに入っていきます……』

 

並みのウマ娘が相手であれば、すでに千切って独走しているであろうスピードと展開。

それにトレーナーから散々叩き込まれて進化した私のコーナリングも冴えている。

 

だが敵もさるもの。

私の進路を的確に妨害しながら、第4コーナーを回ろうかという地点に至ってもその集中が切れる気配がない。

揺れる長い鹿毛が切り裂く風のせいか、その独特なステップのせいか、人が泣き叫ぶような音が聞こえてくる。

どういう走り方をすればあんな音が鳴るんだ?

 

「……ハッ!」

 

最後の直線に入った瞬間に、鋭く息を入れて目の前の相手がスパートをかけた。

少しずつ差が開いて、その背中が遠くなっていく。

マズい!

ここで離されると致命的だ。

観客席の歓声がどおっと大きくなった。

 

序盤からロスが大きかったせいで、私の足はほとんど残っていない。

そもそも、3200メートルを実戦で走った経験なんてない。

走れども走れどもゴールが見えない。

ぜぇぜぇうるさい自分の呼吸で、喉が苦しい。

肺が潰れそうに痛い。

 

徐々に相手から離されていく。

当然だ。

相手はすでにGⅠで結果を残しているウマ娘で、私はメイクデビューも済ませていないルーキーなのだから。

 

「ハァ……ハァ……ぐっ……」

 

ディープインパクト、お前はよくやったよ。

新人であれば、こんな長距離を走りきるだけでも十分。

それを2着でフィニッシュするなんて大したものだ。

素晴らしい素質。やはりあのお姉さんの妹だ。

きっとあの名門チームに入れば、その素質をぐんぐん伸ばしていけるだろう………………

 

なんてね。

 

最後の直線に入って、ゴールの脇に立っている人たちが目に入る。

私の帰りを待ってくれている人たちが、あそこにいる。

桜色に輝く瞳が私を見ている。

声を張り上げて、心配そうに。

 

ああ、そんな顔をしないでくださいよ。

ウララ先輩。

 

『さあ、差が2バ身、3バ身と開いていく! ディープインパクト、もはやこれまでかっ!! …………いや、これは……』

 

一歩。

衝撃を大地に響かせる。 

深く、クレーターを残すくらいの勢いで、右足を内ラチ側に踏み込む。

大地の鳴動よりも低い、その音をしっかりと轟かせる。

相手の耳の繊毛を、限界まで振るわせるひと踏み。

この時、やや自分の体を大きく横に振って、相手の視界のほんの隅っこに私の存在を刻み込むのがポイントだ。

 

すると、ほら。

ほんの半身か1バ身分だけ相手の体が内側へ傾く。

私をインから抜かせまいと、必死でディフェンスしてしまう。

フェイントだと頭ではわかっていても、極限の状況の中で体が反射してしまう。

このたったワンステップで目の前の視界が開けた。

一筋の光が差す。

生死を分かつ活路。

私の、進む道。

 

『ここでアウト! ここでアウトのコースを選択ッ! 残り200メートルを切って翼が生えたようなディープインパクトの走り! 並んだ!並んだ! 残り100!』

 

ガソリンのタンクはエンプティ。

だというのに、また別の領域から燃料が供給されているような、そんな感覚を覚えた。

もう一段、さらに足が回転する。

脳が処理するより早く体が動いた。

 

相手を抜かすとき、その顔が気にならなかったのは初めてだった。

私の目は、光は、ベンチの仲間を捉えて離さない。

自分ではなく、誰かのために走ることが、こんなに気分のいいことだとは知らなかった。

 

視界が光に包まれる。

そして、ゴール板を通過した瞬間、全ての音が消え去った。

 

『ディープ1着!ディープ1着! こんな、こんなウマ娘がいていいのでしょうか! トゥウィンクル・シリーズに新たな怪物が現れたっ!!』

 

肺に酸素を取り込もうと心臓が爆発しそうな勢いで拍動する。

勝った……のか?

スタンドからは割れんばかりの歓声。

みんなが私を、誰かの仲間としての私を称えている。

 

「プイちゃんっ!!」

 

「うわっ」

 

急にハルウララが抱きついてきて、ターフに倒れ込んだ。

腰の上でウマ乗りになった彼女が私の手を握る。

 

「プイちゃん、すごかったねぇ。あんなに楽しそうなプイちゃんを見たの初めてだったから、私まで嬉しくなっちゃった!」

 

相変わらず、陽だまりのように温かい手。

あなたたちの、あなたのために走りました。

流石にそんなことは言えなかったが、達成感が体を包む。

生まれてから今に至るまで、こんなレースは初めてだった。

 

「ありがとうございます。ウララ先輩」

 

「せ……! はわ…… と、トレーナー!プイちゃんが先輩って呼んでくれた!」

 

小岩井トレーナーがタオルを私の首にかけて、手を差し伸べてくる。

がっちりと握手をして、彼の顔を見た。

 

「すごい走りだった。プイちゃん、ありがとうな」

 

礼を言うのはこちらだと思った。

彼の言葉がなければ、バ群を抜け出せたかどうか分からない。

そして、彼にはひとつ、伝えなければならないことがある。

 

「いえ、あの。お願いが……あるんですが」

 

胸に抱きついてくるウララ先輩の頭を撫でながら、私は彼の顔を見た。

言うべきことなら、とっくに決まってる。

この先の数年間を、このチームで。

ハルウララや目の前のトレーナーと一緒に過ごしたい。

 

「私をチームに入れてください」

 

ぐっ、と彼の手が私を引き上げる。

こっちは最初からそのつもりだよ、と彼は笑った。

 

紙吹雪が宙に舞う。

心臓がドキドキして、むず痒い。

呆れるくらいにいい気分だった。




たくさん読んでいただいてありがとうございます。
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次の話で第1部完です。
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