終結プログレス 作:カモカモ
人間の口を合法的に軽くする代表的な方法は、飲酒であるけれど、別にそれだけではないな、と久佐持丹月は思う。
雰囲気に酔う、という言葉がある。例えば親戚一同が会す場で、もれなく親戚一同の良家故に溢れるオーラ的なものに当てられて、そんな人たちから恋ばなしろよおい、という圧をかけられてしまった義理の弟(厳密には、同居人の妹のカレシ)の陽務楽郎君が、しどろもどろに赤裸々に惚気を披露しているこれも、雰囲気に当てられてのことだろうと思う。
曰く。
「俺の前だけでバグ……ポンコツ…………ちょっとだけおっちょこちょいになるところ」
とか。
「未だに、手を繋いだら一瞬固まるところ」
とか。
それは、好きなところなのか、かわいいところなのかと判別し難く、まあ総じて惚気の類いを暴露し始めて5分ほど経過した。
相変わらず、この斎賀の一族というのは、一定数がこういう甘酸っぱい話に飢えているのか、興味津々で特に丹月からしたら義理の姉にあたる(予定)人物は、筆舌に尽くしがたかった。
だけどまあ。
(分からなくもないか……)
丹月の同居人たる百とその妹の年齢差は7歳で、その恋人も同じ年齢なので、丹月からしたら彼ら彼女らは9歳の差があることになる。
そんな二人の惚気とかリアクションは、もう既に自分達からは失われたもので、そういうものは総じて眩しく見える。
若い二人の──というか片方はもう意識すら失ってしまったようで百に介抱されている──そんな爽やかな甘さを感じるエピソードをBGMとしてアルコールを呷り、ふと、思う。
(俺って百さんのこと、好きだよな)
一般的に好きという感情は、嫌いという感情と対極的なものとして扱われる。だが、それは理論としてはすっきりするが、実際とはかけ離れている様に思う。
嫌いではない、から好きなんて分かりやすく人間の心は動かないし。好きじゃない、から嫌いとも言えないことの方が多い。
でも、丹月は自らの百への気持ちを、好き、と定めた。
この定義付けが、誤っているとは思わないし、実際にそうだろう。なんせ、判定しているのは自分自身なので。
けど。
(あんな風に、いろいろ言えるかな)
好き。
でも、どこが、と聞かれたら困る。
流石に、三十分もすれば若い二人のエピソードも弾切れになりそうで、そうなったら確実に矛先が向くのは自分と百だ。そうなる前に、具体的なエピソードを掘り出さなければならない。
困ったときは、当事者に聞くのが手っ取り早いように思った。
ので。
ちょんちょんと、百の肩を叩く。
怪訝な表情。
丹月は、あの二人の会話の邪魔にならないように、邪魔をしたらとんでもない流れ弾が飛んで来かねないので、右手で音が漏れないように百の耳を覆って。
「俺って、百さんのどこが、好きなんでしょうか」
「お前…………本気でアホなのか」
返ってきたのは答えじゃなくて、罵倒。
なんで?と思って、普通に気づいた。
恋ばなハイエナな親類ども。
そいつらの前で、客観的に見たらこそこそ話を。
つまり。
斎賀一同の目がギラリと光ったような感じが。
これから一緒に流れ弾を食らうことになる斎賀百は心底めんどくさそうに、ため息混じりに。
「草餅め」
やらかしでしかない。
「腹、切りたい…………」
「「辞世の句を」」
「楽郎君!? 京極ちゃん!?」