……ごめんなさい。帝国編が完全に終わったらにしようと思ってたんですが、うまく切り上げられなかったので、ここで所謂、一方その頃をやりたいと思います。
「クソッ、何でうまくいかないんだ!?」
ハイリヒ王国王城。時刻は深夜、警備の者を除くほぼ全ての者が寝静まる中、一人の少女が苛立たしげに壁に拳を打ち付ける。
そんな少女の後ろに立つ男が慌てて少女を咎める。
「お、おい!? 静かにしろよ! 誰かに聞かれたらどうすんだ、中村!?」
「辺りに人が居ないのは確認済みだ! 僕に指図するな、檜山!!」
「ッ!?──チッ!」
神の使徒の一員、中村恵里と檜山大介は他の人の目を盗み、度々こうして密会を行っていた。
全ては自分たちの欲する物を手に入れるために……しかし、その企みは序盤にて既に頓挫していた。
当初、恵里は魔人族に自分の力を売りつけることで彼らの力を利用しようと考えていた。自分の力を使い、王国の上層部の人間を傀儡に変え、魔人族の手助けをすることで、自らの望みを叶えようとした。
しかし、アルディアスの力を見た瞬間、それらの計画は音を立てて崩れることになった。
(ふざけんな!? あんなに強いなんて聞いてないぞ!? あんな力があったら僕の力なんて必要ない……! そもそもあんな奴相手にどうやって均衡を保ってきたんだよ!?)
偶然にも、恵里がアルディアスに感じたことはハジメと一致していた。何よりも……
(
彼女はその生い立ち故に人を見る目には自信があった。その人物の求める言葉を掛けるのも、他者を好きなように誘導するのも何てことは無い。
しかし、奴だけは駄目だ。そもそもの格が違いすぎる。どれだけ知恵が働こうとも、対策を施そうとも、人が天災に対して無力なように、通り過ぎる間、此方に被害が出ないように祈るしかない。そういう存在だ。
(だけど、このままじゃ人間族の敗北は必至。何か手を考えないと……!)
「随分お困りのようですね」
「「ッ!?」」
思考の渦に入り込む恵里の近くで男の声がした。檜山とは違う、穏やかで温かみのある声。
バッと慌てて声のした方に振り向くと、そこには聖教教会の司祭が纏う法衣とは対を成すかのような、黒地に金の刺繍が施された法衣のようなものを羽織った老人が一人佇んでいた。
「……おい、檜山。こいつ何時から居た?」
「し、知らねえ!? 俺も今気付いて……!」
「チッ」
何の役にも立たない檜山に苛立ちながらも、目の前の老人に意識を向ける。
構える二人に対して、何の警戒も持たずに後ろに手を組み佇んでいる。一見すれば王都に住む老人がただ迷い込んできただけかと思うが、ここは王城だ。警備が見回っている手前、簡単に侵入することなど出来る訳が無い。
だとすれば、王城の、もしくは教会の関係者かと思うが、目の前の人物は見たことがなく、こんな時間にウロウロしているのも不自然だ。
(どうする? 殺すか? まだ適当に誤魔化せそうだけど……万が一上に顔が利く男だったら面倒だ。こんな爺が役に立つかは分からないけど、傀儡にした方が早い)
恵里は檜山に顎で指示を出す。一瞬動揺した檜山だったが、強く睨みつけられ、怯えるように老人の背後に陣取る。
「お爺さん、こんな時間にどうしたの? お年寄りがこんな時間に一人でウロウロするなんて危ないよ?」
「いやはやお恥ずかしい、今夜は月が綺麗ですので、つい……ですが、夜の散歩も中々良いものですよ?」
「まあ、気持ちは分かるけどねぇ。でも夜は悪ーい狼が出るんだよ? お爺さんみたいな人はガブッと食べられちゃうかも」
老人と会話をしながら、ちらっと後ろの檜山に目配せを送る。それに小さく頷き、檜山が老人ににじりよる。
屈強な兵士ならともかく、老人一人くらいなら素手でも殺すことは簡単だ。
「それは恐ろしいですね。しかし、それならお嬢さん方も危ないのでは? あっ、もしかして逢引の最中でしたか? それなら申し訳ありません。私、お邪魔してしまいました?」
「ハハハ、そんなんじゃないですよ。彼とはそういった関係では無いですから……ホント、ふざけたこと抜かすなよクソジジイ」
その言葉を最後に檜山が拳を振りかぶる。
「死ね」
振り下ろされた拳が老人の後頭部に直撃する瞬間──
「「グッ!?」」
恵里と檜山をとてつもない重圧が襲った。
まるで肺が潰されたかのように呼吸することすらままならず、思わずその場に膝をつく。
「な、なんだ、よ……今の!?」
「か、体が……!」
感じた重圧は既に霧散したが、二人は胸を抑えながら、必死に酸素を取り込もうと荒く呼吸を繰り返す。
膝をつく二人とは対照的に、老人は何事も無かったように涼しげにその場に佇んでいる。
「最近の子供は血の気が多いですねぇ。いえ、血気盛んと言った方がいいでしょうか?」
「お前……一体……!?」
震える体に鞭を打ち、顔を持ち上げた恵里と老人の目が合う。
その瞬間、全てを理解した。
目の前の男はただの爺なんかじゃない。この重圧にこの視線。それは彼女の記憶を呼び覚まし、強い既視感を感じさせる。
(
アルディアスと初めて邂逅した時と同等、もしくはそれ以上のプレッシャー。
間違いない。目の前の男は奴と同じ、自分たちなど到底叶わぬ存在……理外の化け物なのだと。
(クソッ、頭に血が上ってて油断した! こんな化け物が他にも居たなんて……! マズイ……マズイマズイマズイ!!)
アルディアスと同等の化け物。そんな相手に手を出してしまった。少し話した感じでは理性的な人物のようだが、自分たちが殺しにかかったことくらい気付いていない訳がない。
青褪める恵里だったが、老人は最初と変わらない声色で話を続ける。
「そんなに固くならなくても大丈夫ですよ。中村恵里君、檜山大介君」
「ッ!?」
「な!? 何で俺たちの名前を!?」
「何でも何も、王都に住む人で、君たち神の使徒を知らない人の方が少ないと思いますけど? まあ、私はこの国に住んでは居ないんですがね」
「……僕たちに何の用? てゆーかアンタ誰?」
「神です」
「「は?」」
「だから神様です。この世界の」
「「……」」
つい先程まで表情を強張らせていた二人だったが、途端に別の意味で顔が引き攣っていくのを感じた。
誰だって目の前で自分の事を“神“と名乗る人物が現れればそんな表情になるだろう。
「あ!? その顔は信じていませんね!? ホントなんですよ! 私偉いんですよ!!」
「あー、と……うん」
「……」
何とも言えない顔で曖昧な返事をする檜山に対して、恵里はじっと老人の顔を睨み続ける。
老人の“神“発言には若干引いたが、先程感じた重圧は本物だ。
(このジジイ、何者だ?)
「むう、昔は私が現界すれば、誰もが歓迎してくれたのに……時の流れとは残酷なものですねぇ」
(ホントに何なんだこのジジイ)
終いには拗ね始めた老人にどうしたものかと二人が顔を見合わせていると、第三者の声が割り込んできた。
「おい! 貴様ら、こんなところで何をしている!!」
「ッ!?」
先程の老人の声が聞こえてしまったのか、城を巡回する警備兵の一人が姿を現した。
目を鋭くさせていた警備の男だったが、恵里と檜山の姿を捉えた瞬間、目を丸くして驚きを露わにする。
「あなた達は神の使徒様? 何故こんなところに?」
「え? あ、いや、ちが、俺は……」
「チッ……すみません。実は城内に不審な人物を見かけて、後を追いかけたらこのお爺さんが居たんです。王城の関係者でしょうか?」
「……いえ、私は王城に勤めてそれなりになりますが、存じ上げません」
二人の後ろに居る老人を見て、再び目を鋭くした男を見て、ホッと息を吐く恵里。
どうやら城の関係者では無かったようだ。少なくとも自分たちの事を上に報告されるといったことはなさそうだ。
「もしかしたらどこからか迷い込んでしまったのかもしれません」
「分かりました。ご協力感謝致します。後は私にお任せ下さい」
それだけ言って、恵里たちを下がらせ、老人の前まで歩み出る。
「ご老人。ここは栄あるハイリヒ王国の王城です。王城の者の関係者でしょうか?」
「どうしましょう。意気揚々と出てきたは良いですけど、神だと信じて貰えないのは想定外でした」
「……聞いているのでしょうか、ご老人」
「このままじゃ、アルディアスくんに会っても適当にあしらわれてしまうのでは?」
「ッ!?──おい、貴様!! 今、アルディアスと……魔王の名を出したな!?」
「それはマズイ、非常にマズイ。一体どうすれば……」
「聞いているのか貴様!? さては魔人族の手の者か! 人間族でありながら魔人族に手を貸すとは……! 今すぐ投降しろ!! さもなくば、今すぐこの場で……!」
此方に目もくれない老人に男が腰の剣に手をかける。ようやくそこで、老人の目に男の姿が映り……
──ああ、良い方法がありました。
瞬間、恵里と檜山の視界いっぱいに……赤い花が咲き乱れた。
「「……え?」」
二人の目の前に居た警備兵の男の首が消失し、そこから噴水のように血が吹き出す。そのまま重力に従って落ちてくる鮮血は雨のように二人の頭に降り注ぎ、全身を赤く染めていく。
「ヒッ!?」
「うわあああッ!?」
突然の惨たらしい人の死に、檜山だけでなく、恵里の口からも小さな悲鳴が漏れる。
そんな現状を
「申し訳ありません。お二人の事を考慮していませんでした。汚してしまいましたね」
人一人殺したというのに、そのことに一切触れずに、恵里たちを血で汚してしまったことに後ろめたさを感じている老人に恵里は戦慄する。
彼女も自身の目的の為ならば、誰であろうとも殺す覚悟はしていた。だが、この世界はともかく、地球でその考えが間違っていることは百も承知だ。その考えが他のクラスメイトどころか、自身が心から欲する者に拒絶されることも分かってる。
それでもやると決めた。自分のやり方が世間一般でいう“悪“に値するものでも貫くと決めた。
だが、目の前の老人は違う。
そこには何の感情も存在しない。悪意も愉悦も後悔も……
そんな恵里を尻目に、老人は徐ろに両手を持ち上げ、パンッと掌を合わせる。
思わずビクッと体を震わせる二人だったが、何時まで経っても何か起きる様子はない。
「な、何を……!?」
しかし、すぐに違和感に気付いた。いや、正確には違和感が無くなったことに気付いた。
男の血を頭から浴びた二人は全身を赤く染め、とてつもない不快感を感じていたのだが、それが一切無くなっていた。慌てて自分の体を確認するが、今までのことが全て幻だったかのように血の一滴も付いていない。
「あれ? 俺は……」
「ッ!?──嘘……」
すると、自身の足元から声が聞こえ、そちらに視線を向けると、首を消失した筈の男が五体満足の状態で放心したように空を見上げていた。
そんな男に老人は手を差し伸べる。
「大丈夫ですか?」
「……え? あ、ああ」
「こんなところで寝ていては風邪を引いてしまいます」
「そ、そうだな……ところでアンタは……?」
「そんなことは別にどうでも良いでしょう? 貴方はいつも通り職務を全うした。特に問題は起こらなかった。何も見ていない……そうですね」
「……ああ、そうだ。何も無かった……何も……」
「いい子です。さあ、お行きなさい」
何も無かった、問題はない。男はブツブツと呟きながら、恵里たちなど視界に入っていないかのように建物へと姿を消した。
「……生き、返った……!」
蘇生魔法。ファンタジーではありがちな魔法だが、この世界に死んだ人間を蘇生させる魔法など聞いたことがない。恵里なら、生きているかのように見せることは可能だが、あの男は確かに死んで、そして生き返った。そんなことが出来るのは……
「正確には
「……アンタが神だってことをか?」
「ええ」
「まさかとは思うけど、アンタがエヒト神?」
「違います。そうですね、まずは一つ一つ説明しましょうか」
それから老人が語った内容は恵里と檜山を驚愕させるには十分の内容だった。
目の前の老人がこの世界の真の神であること。エヒト神が元人間だということ。そして、自分たちに声をかけた理由を。
「……つまり、魔王に戦争を仕掛ける為の兵士に僕たちを選んだと?」
「ええ、その通りです」
老人の言葉に更に眉を顰める恵里に対して、檜山はその顔に笑みを浮かべ始める。
「ヒャハハッ、流石神さんだ! よく分かってんじゃねえか!! どいつもこいつも俺を天之河たちのオマケみてぇな目で見てやがったが、やっぱり分かる奴には分かるんだな! 俺があんな奴よりも──」
「馬鹿は黙ってろ」
「ッ! 何だとてめえ!?」
「相変わらず、頭が空っぽなんだね……ねぇ、お爺さん。何で僕たちなの? 実力で見れば僕たちよりも強い人はいる。それこそ光輝君とかさ」
「……一つ聞きますが、君たちはアリを二匹比べて、どちらが強いか分かりますか?」
「「ッ!?」」
「そういうことです。私と君たちにはそれだけの隔絶した差が存在する。私からしたら誤差のようなものなのです……あ、誤解しないで頂きたいのですが、君たちを虫のように思ってる訳ではないですよ? あくまで例えの話です」
「……じゃあ、適当に選んだとか?」
「いえ、それも違います。君たちが一番強く、個を持っていたからです」
「個?」
老人の要領の得ない返答に首をかしげる恵里。檜山も同様のようだ。
「実はここに来る前にエヒト君が生み出した人形を戦力に加えようとしたんです。ああ、人形というのはエヒト君が作った臣下のようなものたちのことなんですが……そのままでは味気なかったので、私の力を少し分けてみたんです。そしたら全員発狂してしまって……」
「「は?」」
「力とは器が大きければ受け止められるというものではありません。器も重要ですが、何よりも大切なのは蓋……力を抑え込む強靭な精神力です。命令を聞くだけの人形ではそれが出来ず、殆どが理性すら失った魔物と化してしまいました。まあ、それでも使えないことは無いんですが、一人くらい話の出来る兵が欲しいじゃないですか……それで君たちです」
体が震える。言葉の端々に存在する狂気に……それを微塵も感じさせない神を名乗る老人に……
「君たちの精神は素晴らしい。他者に理解されなくとも個を貫き通す意志。それが善性だろうと悪性だろうと関係ありません。勇者も中々でしたが、芯が安定していません。その点、君たちなら耐えられるかもしれません。どうでしょうか? 私と共に来るつもりはありませんか?」
そう言って、二人に手を差し出す老人。
普通なら、迷うこと無く断る提案だ。しかし、背筋に悪寒が走ろうとも、脳が全力で拒否しようとも、体は吸い寄せられるように無意識に前に一歩み出る。
「……アンタに協力すれば僕は強くなれるのか? 光輝君を手に入れられるのか?」
「私がやれるのは君の力を最大まで引き出すだけです。流石にアルディアス君相手は無理ですが、神の使徒全員を圧倒するくらいなら出来ると思いますよ。ただし、この力は一種の契約です。一度手にしてしまえば裏切ることは許されません」
「……」
老人の言葉に顔を俯かせ、一度目をつむるが、すぐに顔を上げる。
どうせこのままじゃ何の手立ても無いのだ。なら、悪魔だろうが神だろうが、利用出来るものは全て利用してやる!
「光輝君は僕の物だ。手出ししたらアンタでも殺すよ」
「契約成立ですね」
方や眉を顰めながら、方や笑顔で、二人は握手を交わす。
「お、俺も! 俺にも力をくれ!!」
「ええ。構いませんよ。では……お二人共そこに立っていてもらえますか? 簡単にこの場で済ませてしまいましょう」
それだけ言うと、二人に掌を向ける……変化はすぐに訪れた。
「ウグッ、ァァァァアアアアッ!?」
「えっ!? な、中村!?」
とてつもない絶叫と共に、恵里が胸を掻き毟りながら地面を転げ回る。その光景を怯えた表情で見つめる檜山。
「落ち着いて下さい。これは予測範囲の兆候です。今彼女の体では打ち込まれた私の力によって、細胞の破壊と再生が繰り返されています。それによって、器を無理やり広げ、私の力を受け止める領域を作り出しています。これを耐えきることが出来れば彼女は一つ上のステージに到達出来ることでしょう」
「で、でも俺は……」
「はい。君には彼女のような反応は見られないようですね。つまり、器を広げる必要が無いということです」
「じゃ、じゃあ俺は!!」
器を広げる必要が無い。それはつまり、あの女と違い、自分には力を受け止める器が最初から完成してたということに他ならないのではないか。
(やっぱり俺は特別なんだ。このジジイから貰った力があれば、天之河を……いや俺から香織を奪った南雲だって……!)
希望の見えてきた未来に、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる檜山。
「はい、君は……
──パンッ
「……え?」
有頂天になっていた檜山の耳に風船が割れたような音が鳴り響いた。
直ぐ側から聞こえた奇妙な音に視線を向けると、そこにある筈の物が無いことに気付く。
──檜山の左腕が無くなっていた。
「え? あ……あがァァァアアア!!」
一瞬呆けた後、理解する。あの音は自身の腕が破裂した音なのだと。その瞬間、左腕があった辺りから燃えるような激痛が走った。
右手で微かに残った左腕の根本を抑えながら、檜山はのたうち回る。
「腕が!? 俺の腕がァ!! 何で!? 俺は選ばれたんじゃ!?」
「選ばれた? いえ、逆ですね。あまりにも器が小さすぎて肉体が限界を迎えたのでしょう。残念です」
「あ、うぐぅ、た、助けて……助け、て……!」
「? 何故です?」
「へ? だっ、て……さっきみたい、に……」
「あれは私が神であることを証明する為にやっただけですし……駄目ですよ? すぐに神に助けを求めるのは。奇跡なんてくだらないものに頼らず、自分の力で道を切り開いてこそ、人は一番輝きますから」
「あ、ああ、アアアアアッ!!」
地に倒れ伏す自分を見下ろす神を見上げ、絶望に涙を流しながら絶叫する。
痛い。苦しい。寒い。怖い。何で、何で俺がこんな目に。
(殺す! 殺す殺す殺す!! 俺を見下す奴を! 俺を認めない奴を! 俺の女を奪う奴を! 俺を……おれを……おレを……オレを……オレヲッ!!)
痛みが、悲しみが、怒りが、絶望が怨嗟の激情となって檜山の胸に宿る。
しかし、彼の体に宿り切る怨嗟など、所詮ちっぽけなものだった。
──パンッ
再び、乾いた破裂音が響き、檜山の体は跡形もなく砕け散った。
そんな檜山が居た場所をじっと見つめていた老人だったが、すぐに興味を失ったように視線を外し、荒く呼吸を繰り返す少女に声をかける。
「おめでとうございます。良く耐え抜きましたね。意識はありますか?」
「ハア……ハア……ハア……これは……」
力を受け取った恵里の容姿は少し変化していた。
髪は真っ白に染まり、瞳は目の前の老人と同じ、黄昏のような淡い色に変化していた。
しばらくしてようやく呼吸が落ち着いてきた恵里は自身の体を見渡し、目を見開く。
目で分かる変化がある訳ではない。それでも自らに宿る力を確かに感じることが出来る。
「……凄い」
「ちゃんと理性は残っているようですね。わざわざここまで来たかいがありました」
「……檜山は?」
「そこです」
そのまま辺りを見回した恵里は、先程までいたクラスメイトの姿が無いことに気付き、老人に尋ねると、老人の指さした場所には、小さな血溜まりが出来ていた。
「そっか」
しかし、それを見ても恵里は何も感じなかった。元々利用できそうだから手を組んでいたに過ぎず、死のうがどうなろうが彼女にはどうでも良かった。
「では、行きましょうか。ご友人に挨拶する時間くらいありますけど、どうします?」
「いいよ、別に。友達なんていないし」
「そうですか」
それだけ言うと、踵を返して歩き出す。恵里も老人の後に続く。横に並びながらずっと気になっていたことを尋ねる。
「ところで、いつまでもお爺さんじゃ分かりづらいし、名前、何て言うの?」
「ああ、そう言えば、まだ名乗っていませんでしたね……私の名前は────」
「……何ていうか……ちょっと意外かな。てっきりもっと威厳のある名前かと思ってた。それって自分で付けたの?」
「いえ、元々私に名前はありませんでした。この名前はずっと昔、一人の少女が私に付けてくれたのです」
──名前が無いなんて可哀想。それなら私が付けてあげる。
老人の脳裏に無表情ながら、何故かウキウキとした少女の姿が思い起こされる。
「全く……可哀想なんて初めて言われましたよ」
「……」
老人の横顔を見た恵里は心底意外そうに目を丸くしていた。
常ににこやかな雰囲気を崩さず、一切真意を感じさせることの無かった老人の表情に初めて色が現れた。
それはどことなく嬉しそうで、同時に強い哀愁を感じさせる表情だった。
明朝、王城内で正体不明の血溜まりが発見され、一時騒然となるのだが、すぐにそれを大きく越える程の衝撃が王都中を駆け巡った。
それは聖教教会から発表された、神の使徒一行の異端認定だった。
>恵里と檜山
ありふれを語る上で欠かせない二人。初登場と同時に片方は退場です。
>ノイントら神の使徒
最初は彼女らの描写も書こうかと思ってたんですけど、恵里と檜山のシーンと少し被ってしまうところもあり、泣く泣くカット。楽しみにしてた方は申し訳ない。神の使徒
>神
作者の考える、ある意味一番ヤバい神。