森林地帯の奥深く。
天高くそびえる木々を縫うように進んでいくと見える小さな湖畔。
人の手が届いてないそれは、乱雑なれど自然によって培われた一種の幻想的な光景を創り出していた。
そして、その湖畔の縁に一人の老人──創造神が目を瞑り、木々の縫って流れる風を感じながら横になっていた。
ある日を境に、彼のお気に入りの場所と化した湖畔。流石にやるべき責務がある以上、頻繁に来ることは出来なかったが、それでも暇さえあればここに来るほど、彼はここが気に入っていた。
そんな彼の顔に影が差した。
「お父さん、寝てるの?」
「起きてますよ」
「……何してるの?」
「風情を感じてました」
「……?」
私の顔を覗き込むように見下ろす少女──ロシーダは「ふぜい?」と首を傾げる。
そんな彼女の姿を片目だけ開けてじっと見つめる。
肩口で切り揃えられていた純白の髪は背中に届くまで伸び、今はリボンで一纏めにして纏められている。所轄ポニーテールと言われる髪型だ。
私の腰程度だった身長は10cm程も伸び、体つきも女性特有のものへと変化していた。
私がロシーダと出会ってから既に三年の月日が流れていた。
少女から大人の女性に片足を踏み入れ始めた彼女は、自分の目から見ても非常に美しく育ち、最近は彼女に言い寄る男も居るらしい。
それを聞いた私は、その男がロシーダに相応しいか確かめるために少し”お話”をしに行こうとしたが、他ならぬ彼女本人に止められた。
そもそも今は恋人とか興味ないし、それっぽい誘いは全て断っているらしい。
ちなみに、誰にでも名前を君付けで呼ぶ私だが、本人から「何か壁があるから嫌だ」との言葉を貰い、呼び捨てで呼ぶようにしている。
首を傾げていた彼女はそれ以上考えても無駄だと判断したのか、肩を竦め私の隣に腰掛ける。
「決まったよ、名前」
「……名前?」
「忘れたの? お父さんが名前無いって言うから私が付けてあげるって」
「……ああ、そういえばそんな事言ってましたね」
数日前のことだ。どんな会話の流れだったかは覚えていないが、突然ロシーダが私の名前を訪ねてきた。周りの人に聞いても「創造神様は創造神様だから」としか答えてもらえなかったようで、それなら本人に聞いてみようと思った次第らしい。
しかし、生まれてこの方、神としての呼称以外で呼ばれたことがなかった私は素直に名前が無いことを告げた。すると彼女は目に見えて驚いた後……
『名前が無いなんて可哀想。それなら私が付けてあげる』
そう言った後、顎に手を当て、「むむむっ」と頭を捻り始めた。
正直、あっても無くてもどちらでも構わないのだが、せっかく彼女が真剣に考えてくれているのだから聞くだけ聞いてみようと思い、待っていたのだが、中々良い名前が思いつかなかったようで、次会うときまでに考えておくと次回に持ち越しになった。
「それで、決まりましたか?」
「……シュパース」
「シュパース?」
「うん。『楽しみ・楽しむ』って意味なんだって。最近何か楽しそうにしてるし、私も一緒にいて楽しいし、ピッタリかなって」
「シュパース……シュパースですか…………うん、良いんじゃないですかね」
「本当? 良かった、気に入らなかったらどうしようと思ってたよ。他にも『冗談』って意味もあるみたいだし、存在が冗談みたいなお父さんにはピッタリかなって」
「存在が冗談みたい!?」
いきなりの暴言に私は目を見開いて驚愕する。これはもしや、あの有名な反抗期というやつでは無いだろうか。
ある程度まで成長した子供が必ず通ると言われている、親からすれば地獄の期間。可愛がっていた子供からウザがられ、酷いと顔も合わせてもらえないという。
戦々恐々としている私の心情を見透かしているのか、ロシーダはクスクスと笑みを浮かべる。
「ウソ。ちょっとからかっただけだって」
「心臓に悪いですよ」
私がわざとらしく胸を抑える仕草を取ると、ロシーダは「ごめんごめん」と笑いながら謝罪する。
私を崇拝する者がこの光景を見れば、白目を剥いて気絶しかねない光景だったが、私達からすればいつもと変わらない日常の光景だ。
ロシーダが自分の事を”お父さん”と呼ぶことを新鮮だからという理由で受け入れていた私だったが、彼女と同じ時間を過ごす内に、彼女の人となりを知り、謙虚なれどハッキリと自分の言葉を伝えてくる彼女の在り方に好感を抱くのに時間は掛からなかった。
今では彼女の将来が気になったり(主に恋人関連)いつか彼女にもウザがられたりすることがあるのでは無いかと戦々恐々したりと、まるで本当の父親のような気持ちになっていた。
「……うん」
すると、突然ロシーダが一つ頷き、上半身を持ち上げる。私が首を傾げながらそれを見ていると、懐から取り出したメモ帳のようなものにサラサラと何かを書いていく。
「それ、何ですか?」
「ん? ネタ帳。ちょっと本を書いてみようかなって」
「本?」
「うん、子供でも見やすいように絵本なんか良いかなって思ってるんだけど……」
「どんな内容なんですか?」
「んー……まだ秘密。でも、完成したらお父さんに一番に見せてあげる」
私の方を見ながら悩む素振りを見せたロシーダは、少しした後、首を振って教えてはくれなかった。
気にはなるが、無理に聞くことでもない。それに完成したら見せてくれるようなのでその時を楽しみに待っていることにしよう。
「さて、お父さん。午後から用事あるんでしょ? もう行かないと皆待たせちゃうよ?」
よいしょと立ち上がり、お尻を手で払いながら立つように促してくる彼女に向けて私は片手を伸ばす。
「引っ張ってください」
「子供か」
「大人とは時に子供に戻りたくなる時があるんですよ」
「カッコつけて何言ってんの?」
爽やかな表情で「フッ」と笑みをこぼす私に向けて、娘から半目でジトっとした視線をもらうが、そんな程度で心が折れるような軟な精神はしていないし、短い付き合いでもない。
それに、何度もやったやり取りだからこそ、彼女の次の行動も簡単に予測できる。
「……ハァ、しょうがないなぁ」
一つため息をついた後、笑みを浮かべながら私の手を取った。
その時に浮かべる彼女の笑顔が好きで、毎回こんなやり取りをしていることは私だけの秘密だ。
◇ ◇ ◇
「失礼します、創造神様」
「? どうしましたエリュシファン君」
場所は変わり、国に戻った創造神──シュパースは執務室で各地から集められた情報がまとめられた資料に目を通していた。すると扉がノックされ、入室を許可するとこの国の第一王子である、エリュシファンが神妙な顔つきでシュパースの前に立つ。
「単刀直入に申し上げます。例の女との接触をお控え頂けないでしょうか?」
「ッ!?──……私をつけたのですか?」
「申し訳ありません。御身をご不快にさせたこと、心の底より謝罪致します。しかし、つけたわけではありません。最近、待女に年頃の女性の趣味をお聞かれになられたことがあると耳に挟みました。勝手な行動をお許しください。お望みならばこの命、今この場で御身に差し出しましょう」
「そんな必要はありません。それよりも、何故そんな事を?」
いつもの柔らかな雰囲気は鳴りを潜め、射抜くような鋭い視線がエリュシファンに突き刺さる。常人ならば顔を青白く染め上げ、腰を抜かすほどの威圧感だが、エリュシファンは少しも怯んだ様子を見せない。
「この国のためです。三年程前から創造神様が進める、人が人の可能性を広げるための自己成長計画。突然、そのような取り組みを始めたのもその女の影響なのではないでしょうか」
「……あれは私がそうあるべきだと判断して行っているだけです。彼女は関係ありません。それに何か問題が?」
「確かに、私達の事を考えてくださっていることは分かります。しかし、自らの力を高め続けるというのは誰しもが出来ることではありません。事実、国内にも今の現状に不満の声が出てきていると聞きます」
エリュシファンの言っていることは嘘ではない。今までシュパースに頼りきりだった反面、自分で何かを成すということを続けられず、愚痴を周りに溢す者がチラホラと出ている。
国が割れる、というような事態になる程では無いが、強固だった国の盤石な態勢に罅が入っていることは間違いない。
「その報告は私の元にも届いています。しかし、その壁を乗り越えてこそ、更なるステージに君達を押し上げることが出来るはずです」
「……人は創造神様が考えるほど強くはありません。御身の力がなければ、満足に生きることも出来ない脆弱な生き物です。だからこそ、御身や私のような強者が導かねばならないのです」
「……」
「それとも、その女に何か弱みでも握られているのですか?」
「なっ!?」
「それならば、私にお任せください。御身の無礼を働く者に生きている価値などありません」
「エリュシファン君……」
「小娘一人消すなど造作もない事です」
「エリュシファン君……!」
「我らが神を謀ったこと、その命を持って償いと──」
「エリュシファン君!!!」
部屋中に響き渡る怒声がエリュシファンの声を遮った。その剣幕に流石のエリュシファンも僅かに目を見開いて動揺した様子を見せる。
「彼女に手を出すことは私が許しません」
「……承知いたしました。出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありません」
深く頭を下げた後、エリュシファンは踵を返し、扉に向かう……が、扉の前で立ち止まり、背を向けたままでシュパースに語りかける。
「創造神様の意志が固いのは分かりました。私も御身のためならば、この命すら捧げる覚悟です。どうか、そのことをお忘れなきよう」
その言葉を最後に、エリュシファンは執務室から完全に退室した。
「……」
しばらくの間、シュパースは彼の退出した扉を只々見つめ続けていた。
◇ ◇ ◇
「本当に行っちゃうの?」
「ええ、もう決めたことです」
いつもの湖畔でシュパースとロシーダが二人並んで地面に腰掛けていた。穏やかな表情をするシュパースに対して、ロシーダの表情は暗い。
「そんなに慌てなくても少しずつで大丈夫なんじゃないの?」
「私の自業自得ですが、私は彼らと寄り添いすぎた。だからこそ私の存在は彼らの進化の妨げにしかなりません」
国民の意識改革を初めて五年。少しずつ変わり始めたイーシュバルディだったが、同時に大きな問題に直面することになっていた。
神の恩恵を当たり前のものと考えるようになっていた一部の国民が、表立って抗議を行う事態にまで発展していた。あくまで一部の国民のみで国そのものが崩壊するような事態までには発展していないが、捕らえた彼らの言い分を聞いたシュパースは正に足元が崩れていくような錯覚に陥った。
『神様が私達を助けてくれるのは当たり前』
多少の違いはあったが、捕らえられた者の大半がそのような事を喚いていた。
確かに人類を守ることこそが自らの使命だと思っていた。それは今でも変わらない。しかし、奇跡に頼り切り、自ら歩みを止めることを、今の私は良しとしない。
問題が表面化し始めてたのは丁度去年のこと。この一年、ずっと悩み続けた。どうすれば彼らにこの意志が伝わるか。私がするべきことは何なのか。
その末に出た結論が、何も手を出さないことだった。
私が居れば、必ず彼らは私を頼ろうとする。ならば、その私が居なくなれば、きっと彼らは自分達で未来を切り開いてくれる。
そう信じて、この地を、この世界を少しの間離れることにした。
イーシュバルディの民にはこのことは伝えていない。伝えれば必ず反対されることは目に見えていたからだ。
最後にロシーダの顔だけは一目見ておこうここに立ち寄った。彼女が居なければ彼女の住む町まで行かなくてはならなかったので、彼女がここに居てくれて良かった。
ロシーダにだけは伝えておきたかった。
「……分かった。お父さんが決めたのなら、私からは何も言わない。また会える?」
「ええ、何年後になるか分かりませんが、必ず君の元に戻って来ます。娘の晴れ姿もみたいですしね」
「だから興味ないってば……でも……うん、約束」
「はい、約束です」
シュパースの言葉に少し表情に明るさが戻ったロシーダの姿にホッと安堵する。そのまま別れようとしたシュパースだったが、一つ、忠告というわけではないが、一人の人物について教えておく。
「ロシーダ。イーシュバルディの第一王子、エリュシファン君のことは知っていますね?」
「ん? うん、遠目に顔を見たことあるくらいだけど……」
「無いとは思いますが、彼には注意しておいてください。彼は君の存在を知っています。とは言え、私と懇意にする女性が居るというだけで顔まで知っているわけではありません。元々私と君が親しくすることにあまり良い顔をしていなかったので、私が居なくなったことで何か行動に移す可能性があります」
思い出すのは二年前の彼の言葉。私が国から消えて、彼女の元にいるのだと判断する可能性もなくはない。
しかし、彼はロシーダの存在は知ってても、その居場所や容姿まで知っているわけではないので気にしなくても問題はないだろう。
「まあ、頭の片隅においてもらえるだけで大丈夫です」
「うん、分かった」
「……それでは私はもう行きます」
「……うん。バイバイ、お父さん」
彼女の言葉に後ろ髪を引かれる思いを感じるが、大切な娘に背を向け、湖畔を後にする。
「……」
そんなシュパースの背中をロシーダは見えなくなるまで見つめ続けていた。
時系列分かりづらいかもしれないので簡単にまとめたものを。
・創造神、ロシーダと知り合う。
・国民の意識改革を行う。
|
| 三年後
↓
・シュパース命名。
・エリュシファン、ロシーダの存在を知る。
・水面下で不満が募り始める。
|
| 一年後
↓
・創造神に対する不満が表面化。
|
| 一年後
↓
・世界を離れることを決意。
次で過去編は終了です。