【完結】魔人族の王   作:羽織の夢

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今回は特に独自解釈、オリジナル展開が強い展開になっています。


第六話 【光を呑み込む闇】

 エヒトは歓喜していた。

 ついに自らに相応しい器を手に入れられることに……。

 

 300年前のことは、今思い出しても腸が煮えくり返る程の怒りを感じる。

 自身の器に相応しい存在、アレーティアを見つけ、聖光協会の力を使い、彼女の外堀を確実に埋めていった。そして、ついに両親すら手中に収め、もうアレーティアを手に入れたも同然だった。……その筈だった。

 アレーティアの叔父であるディンリードが、エヒトの企みに気付き、彼女をどこか分からぬ場所に隠してしまったのだ。

 アルヴにその体を乗っ取らせて記憶を探らせたが、アレーティアの隠し場所どころか、神代魔法の記憶すら消されており、アレーティアの痕跡は完全に途絶えてしまった。

 

 しかし、今ではそれこそが自分の神運だったので無いかとさえ思っている。

 確かにアレーティアは神の器として申し分ない力を持っていた。しかし、アルディアスはアレーティアを遥かに超える才覚を持って生まれた。

 アルヴからの報告を受け、自らの目で確認した時は、思わずその場で歓喜の雄叫びを上げてしまった程だった。

 その瞬間、エヒトの中からアレーティアの存在など一切どうでも良くなり、只々、器が完成するのを待ち続けた。

 今まで何百年と待ち続けたのだ。今更10年、20年などあっという間だと思っていたのだが、心の底から欲するものが目の前にあるのに手にできないもどかしさがここまでのものとは思いもしなかった。

 だが、それも今日で終わる。

 アルヴに誘導されたアルディアスが、自身の真下に位置する場所に移動する。

 その瞬間、エヒトはアルディアス目掛けて飛び出した。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……ククク、ハハハハハッ!! ついに! ついにだ! どれだけこの日を心待ちにしたことか!!」

 

 周囲が闇に覆われた漆黒の世界で、エヒトは歓喜の雄叫びを上げていた。

 ここはアルディアスの肉体の内側、文字通り、魂が内包する精神世界。

 アルディアスの中に侵入を試みたエヒトは、事前のアルヴの説明のおかげか、一切の抵抗をされること無く、アルディアスの奥底まで入り込むことに成功していた。

 

「ククク……いや、落ち着け。まだ完全に掌握した訳では無い。奴の魂を探し出し、完全に破壊すれば、もうこの肉体は私の物だ」

 

 今でこそ、アルヴの言葉のおかげか、一切の抵抗も見せる様子はないが、エヒトの本性を知れば必ず抵抗してくるだろう。自分が負けるとは微塵も思っていないが、相手はあのアルディアスだ。負けずとも大切な肉体に傷がつかないとも限らない。

 

「……しかし、魂はどこだ?」

 

 エヒトが周囲を見回すが、魂らしきものは確認できない。

 人の魂とは、暗闇に包まれる精神世界で唯一輝きを放つ存在。例え、どんな悪人だろうとも、“人“である以上、それは変わらない。

 

「ん? あれは……?」

 

 そんな中、エヒトはある一点に目が止まった。

 魂の輝きは、多少の色の違いの差はあれど、殆どが白い輝きを放っている。

 だが、それは黒かった。白の概念など微塵も存在しない、真っ黒な魂。

 しかし、それは決して魂が淀んでいるだとか、汚れている訳では無い。

 例えるならば、雲一つない夜空のように、不純物が一切入っていないブラックダイヤモンドのように、何者にも染められず、全てを染める漆黒の黒。

 

「……素晴らしい」

 

 神であるエヒトの目を持ってしても、息を飲むほどの美しさ。このまま持ち帰ってしまいたいと思わせる程の至宝がそこにはあった。

 

「これを破壊しなくてはならないのは少々躊躇うが……この肉体を完全に掌握する為だ、仕方あるまい」

 

 少しの逡巡を見せるも、自らの器には変えられないと、アルディアスの魂に手を伸ばす。

そして、エヒトの手が魂に触れた瞬間──

 

「……は?」

 

 エヒトの目の前に、天にも届く程の闇が現れた。

 

「ッ!?」

 

 エヒトは思わず手を離し、その場を離れる。

 すると、エヒトの目の前に存在していた筈の闇は、まるで全てが幻だったかのように消えて無くなっていた。

 

「な、何だ今の光景は……」

 

 想定外の事態に困惑するエヒトだったが、一つだけ今の現象に心当たりがあった。

 魂とはその人物の核そのものだ。それは人柄であったり、人生であったり……力の大きさを表している。

 もし、仮に魂と魂が接触した場合、より強い魂が弱い魂を喰らわんとするだろう。

 つまり、先程エヒトが見た光景は、自らの魂とアルディアスの魂の力の差が可視化された光景と言えるだろう。

 

「ありえん!?」

 

 エヒトの絶叫が響き渡る。

 それもその筈だろう。自分は神だ。ただの人如きに圧倒されるなどあってはならない。

 しかし、現実にエヒトはアルディアスの魂に圧倒された。それが全ての事実を物語っている。

 

「どうした? 随分と動揺してるじゃないか」

 

「ッ!?──き、貴様! 何故ここにいる!?」

 

 エヒトが動揺していると、突然後ろから何者かの声が聞こえた。慌てて振り向いた先に居た人物を捉え、エヒトは驚愕に目を見開く。

 

「何故……といわれてもな。ここは俺の世界だ。何か問題でもあるのか?」

 

 そこにいた人物──アルディアスは僅かに首を傾げながらもなんでも無いように言葉を返す。

 まるで、此方の神経を逆撫でするような返答に怒りが沸くが、何とかギリギリで飲み込む。恐らく、自分という異物が入り込んだ影響で本来の肉体の持ち主の意識も精神内に入り込んでしまったのだろう。

 

「……いや、すまないね。想定外のことに、思わず混乱してしまったんだ。君ほど聡い人物ならもう理解していると思うが、私は──」

 

「人間族の神エヒト。創造神などと言われ、人間族に信仰されてはいるが、その実態はこの世界の人をただの遊戯の駒としか見ていない邪神……だろう?」

 

「……どうやら説明は要らないようだな……いつから気付いていた?」

 

 無駄に敵対して、面倒な事態になるのを防ぐ為、あくまで表面上は善神を取り繕うとしたエヒトだったが、アルディアスの言葉を聞き、その必要が無いと判断したのか、鋭い視線を向ける。

 

「最初からだ。今まで一度も貴様らを崇拝したことなど無い」

 

「……なるほど、アルヴは初めから失敗していた訳か……ならば何故、私の降臨を拒否しなかった? まさか、私が本当に魔人族を救うなどと信じている訳ではあるまい?」

 

「ああ、そんな都合の良いことは微塵も思ってなどいないさ。俺が拒否すれば、お前たちは民に危害を加えるだろう?」

 

「ああ、そういうことか。相変わらず、国の為、民の為とくだらない奴だな。お前の力は評価に値するが、そこだけは残念だ……まあ、私にとっては必要なのは器のみで他はどうでもいいがな」

 

「だが、奪えなかった。俺の魂に触れた瞬間怯んでいたな。神ともあろうものが、情けない」

 

「貴様ッ!」

 

 先程、エヒトがアルディアスの魂に触れた瞬間を見ていたのだろう。アルディアスの顔には薄っすらとだが、明らかにエヒトを嘲笑するかのような笑みが浮かぶ。

 それに対して、エヒトはそれまでの落ち着いた態度から一変、全身から怒りを露わにし、アルディアスに怒鳴りつける。

 エヒトにとって、人は自分を楽しませる為のゲームの駒でしかない。それは器として認めたアルディアスとて例外ではない。その相手から嘲笑を受けることはエヒトにとって耐えられない屈辱だろう。

 

「人如きが! 神であるこの私を侮辱したことを後悔しながら死ね!!」

 

 エヒトが掌をアルディアスに向ける。

 エヒトが求めるものはアルディアスの肉体だけだ。精神がどうなろうと関係ない。先程はアルディアスの魂の大きさに驚愕したものの、時間を掛けて力を送り込み続ければ、破壊することは十分可能だ。しかし……

 

「なッ!?」

 

 アルディアスに向けて魔法を放ったエヒトだったが、闇を照らし出す閃光が収まると、そこには何事も無かったように佇むアルディアスの姿があった。

 

「何をした!!」

 

「何をしたも何も……お前が一番分かってるんじゃないのか?」

 

「何を……!」

 

「……ずっと疑問だった。お前たちが何故、人の肉体を求めるのか」

 

 神は地上の世界に直接干渉できない。故に器を求める。

 この世界のあらゆる書物に記載されている内容だ。アルヴからも直接そう聞いている。

 しかし、干渉できないならば何故、地上に存在する器を乗っ取ることができる? そもそも、神の力を持っているのなら、わざわざ器を選定する意味など無い筈だ。それこそ、何百年もの間を探し続けるなど必要など無い。

 だが、現にエヒトは待ち続けた。

 

「恐らくだが、お前たち神は器がなくともこの世界に干渉することは出来る。だが、器が無くてはこの地上で魔力を十全に発揮することができない」

 

「ッ!?」

 

 魔力とは人の肉体から時間と共に無尽蔵に生成されるもので、特定の亜人族以外のトータスに住まう全ての種族が保有している。

 そして才ある者程、多くの魔力をその身に宿す事ができる。

 

「だから、待つんだろ? 自らの魔力を宿しても、耐えうる器を求めるが為に」

 

「……!」

 

 アルディアスの推測はほぼ当たっていると言っていい。正確に表すならば神域外での魔力の行使に弊害がある……と言ったところだ。

 先程の魔法も本来の威力の半分も出ていなかったのだろう。尤も、たとえ十全に使えなかったとしても、仮にも神が放つ魔法だ。まともに喰らえばひとたまりもないのだが。

 

「思いもしなかったか? 弱体化しているとは言え、己の力を受けて平然としていることが。思いもしなかったか? 魂魄に干渉してくることが。 思いもしなかったか? “人“如きの魂に気圧される自分が」

 

「ッ!?」

 

 その瞬間、ようやくエヒトは目の前の存在をただの駒から自分を害する可能性のある敵として認識した。

 その判断をしたエヒトが次に選択した行動は──この場からの逃走だった。

 

(見誤っていた! 奴の力はすでに神にも届く! この場では私に勝ち目は無い!! しかし、この場さえやり過ごせばどうとでもできる!!)

 

 18年待ち続けた器だが、今退いたとしても、まだチャンスはある。それこそアルディアスがこの世界に存在する限り、何度でも。

 何より、器を奪うのに正面から当たる必要はない。奴の弱点は知り尽くしている。

 

(……殺してやる。奴の大切な民を……魔人族を滅ぼしてくれる! 守るべき者を全て失い、絶望する貴様の肉体を今度こそ奪い取ってやる!!)

 

 アルディアスは何よりも魔人族の民を大切に想っている。その民が傷つく光景は、彼にとってこれ以上無い苦痛だろう。

 煮え滾るほどの怒りを感じながらも、それを抑え込み、逃走を図るエヒト。

 しかし、そんなことを許す程アルディアスは甘くはなかった。

 

「逃がす訳がないだろう」

 

 アルディアスが小さく呟くと同時に、暗闇からいくつもの線がエヒト目掛けて飛び出した。

 

「なッ!?」

 

 甲高い金属音を響かせながら、一直線に伸びるそれは、あっという間にエヒトに巻き付き、その魂を縛り上げる。

 

「こ、これは……鎖!?」

 

 周囲の暗闇に紛れて一瞬何なのか分からなかったエヒトだったが、目を凝らすと、自身に巻き付くそれが鎖だと分かった。

 アルディアスの魂と同様に全てが黒く染まった鎖。しかし、その鎖からは膨大な魔力を感じる。それこそ、神代魔法すら凌ぐほどの……

 

「“封神黒鎖(ふうじんこくさ)“。俺が初めて作り出した概念魔法だ。俺が指定した対象のみを捕縛する鎖。魂だけのお前にはなかなか効くだろう?」

 

「グッ!?」

 

 “封神黒鎖“──アルディアスが初めて作り出した概念魔法。そこに込められた概念はただ一つ、『お前を絶対に逃さない』

 神は肉体を持たず、魂だけの存在だ。故に肉体が朽ちても神自身は死なない。

 そこでアルディアスが生み出したのがこの概念魔法だった。神の魂を拘束、捕縛し、その魂を完全に消滅させる。鎖全てが魔力で構築された実体のないアーティファクト。

 振りほどこうと必死に抵抗するエヒトだったが、鎖は微塵も緩むこと無く、それどころか逆に締め付ける力が増し始める。

 

「無駄な抵抗は止せ。その鎖は捕縛対象の魔力を奪い、力を増す。肉体を持たぬお前に抗うすべはない」

 

「馬鹿な!? いつ、魔法を使った!?」

 

 どんな初級魔法でも、発動した瞬間は周囲の魔力に僅かな揺らぎを発生させる。

 この精神世界に入り込んでから魔力の揺らぎは一切感じられなかった。

 

「お前が俺の中に入ってきた瞬間だ。発動させておいた魔法をお前の周りで待機させておいた。それだけの話だ。わざわざ俺の中に入り込んでくると知っていて、何の対策もしていないとでも思ったか?」

 

「ッ!?──クソッ!!」

 

 アルディアスは今日、この日の為に考えられる対策は全て取ってきた。

 中でも特に警戒したのは二つ。一つ目は肉体が奪われる可能性。二つ目が肉体の乗っ取りが失敗したエヒトの逃亡を許すことだ。

 一つ目は言わずもがなだが、二つ目、万が一にも逃げられた場合、間違いなくろくな事にならないだろう。

 だからこそ、その可能性を確実に潰す必要があった。

 

「諦めろ。お前が人を玩具にして愉悦に浸っている間、俺たちは力と知恵をつけ続けてきた」

 

「……なッ!?」

 

 鎖に縛られながらも、アルディアスに憎悪の視線を送っていたエヒトだったが、自身の背後に不穏な気配を感じて視線を移す。そしてそこにいた存在を捉え、驚愕に声を洩らす。

 エヒトの背後……そこには、天まで届く闇が広がっていた。先程、アルディアスの魂に触れた時に見たものと全く同じものだ。

 すると、炎のように揺らいでいた闇が次第に収束、形を持ち始める。

 

 それは──命を狩ることを喜びとする死神のように……

 それは──憎悪に身を焦がし、怒り狂う鬼のように……

 それは──哀しみに暮れる人のように……

 それは──人の想いを壊すのが何よりも楽しみな神のように……

 

 様々な感情が籠もった黒い瞳で、エヒトを見下ろしていた。

 

「ヒッ!? 離せ離せ離せ離せ離せ!!」

 

 言いようのない恐怖を感じたエヒトはなりふり構わず、鎖から逃れようともがき続ける。しかし、そのエヒトの必死さに反して、鎖はびくともしない。

 

「我は神だぞ!! この世界を支配する絶対なる存在だ!! それを……貴様のような人如きに……! ありえん! ありえてたまるか!! 認めるものか!!」

 

「認めるも何も、これが現実だ。もし、(お前)(俺たち)を侮っていなければ、結果は変わったかもしれんな。お前は間違ったんだよ……何もかもな」

 

 人の形をした巨大な闇がゆっくりとエヒトに向かって手を伸ばす。

 

「やめろ、来るな!! 我は間違ってなどいない! 神に間違いなど存在しない! 我は……我は……!」

 

「……もういい、喚くな。自らの選択に後悔しながら……」

 

「──死に……たく、な……」

 

「死ね」

 

 世界を覆う程の闇が、ちっぽけな光を覆い尽くした。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「器の獲得おめでとうございます。使い心地はいかがでしょうか。何か問題はございませんか?」

 

 天から降りてきた光の柱が消えると、そこには体の感触を確かめるように自身の掌を見つめるアルディアスの姿があった。

 ついに我が主が器を手に入れ、地上に降臨された。歓喜に身を震わせながらも、すぐさま跪き、頭を垂れるアルヴ。

 しばらく自身の体を見下ろしていたアルディアスだったが、アルヴの声に反応を示し、此方に跪く姿を視界に捉える。

 

「……使い心地、か」

 

「?──エヒト様?」

 

 長年待ち望んだ器が手に入ったというのに、想像していた反応とは違う様子に首を傾げる。

 ……もしや、何か器に不都合が? それとも自身が何か粗相をしてしまったのだろうか。

 アルヴが不安に表情を青褪め始めると、不意にアルディアスが口を開く。

 

「使い心地も何も……18年共にあり続けた体だ。問題など、ある筈もない」

 

「なッ!?」

 

 アルディアスの言葉に目を見開くアルヴ。

 

「き、貴様! まさかアルディアスか!!」

 

「ああ。仮にも18年の付き合いだ。間違われるとは心外だな」

 

「馬鹿な!? あり得ない!?」

 

 アルヴが困惑の声を荒げる。しかし、確かに目の前の人物からは神性が全く感じられない。

 何故だ!? 確かにエヒト様がアルディアスの肉体に入っていくのを感じた。ならば、我が主は一体どこに……!

 

「エヒト様は……エヒト様はどうした!?」

 

「エヒト? ああ、()()のことか?」

 

 アルディアスが片手をアルヴに差し出し、掌を上に向ける。

 すると、突然アルディアスの掌に淡い灯火が現れる。今にも消えてしまいそうなくらい弱く、小さな炎。

 傍から見ても、初級の魔法か何かくらいにしか感じられないものだが、アルヴにはそれが何かすぐに分かった。

 それは間違いなく魂だった。だが、中身が伴ってなく、最早ガワだけのスカスカの抜け殻状態。しかし、僅かに感じられる神性は間違いなく自分の主のものだった。

 

「エヒト様!? 貴様! エヒト様に何をした!?」

 

「俺の体を使って勝手なことをしようとしたから対処したまでだ」

 

「話を聞いていなかったのか貴様は!? エヒト様は魔人族の為に──」

 

「それはもう良い。お前たちの本性は最初から気付いている。善神とはとても言えない、人の作り上げてきた物を壊すだけの邪神共が」

 

「ッ!?」

 

 アルディアスの言葉に絶句するアルヴ。

 奴の言葉通りならば、主があんな目にあっている原因は間違いなく……!

 

(いや、今はエヒト様をお助けするのが先決だ)

 

 自らの失態で敬愛する主をあんな目に遭わせてしまったことに表情を青褪めるアルヴだったが、今優先すべきはその主の安全の確保だ。弱ってはいるが、まだ完全に死んでいる訳ではない。神域へとご帰還させることができれば、ゆっくりと傷を癒やすことも可能だろう。

 

「ま、待て。待つんだアルディアス。君はどうやら勘違いしているようだ。私達は決してそのような邪神などではない。話し合えば分かる筈だ。まずはエヒト様を此方に渡しなさい」

 

「……」

 

「聡明な君なら分かる筈だ。物心付く前から側で成長を見守ってきた私の言葉が信じられないか? 私は君を本当の息子のように大切に思っているんだ。さあ……」

 

 黙ってアルヴの話を聞いていたアルディアスだったが、徐々に灯火を持つ手をアルヴに差し出す。

 

「そうだ。やはり君は物分かりの良い私の自慢の息子だ。今回のことも、初めて自分以外の魂が肉体に入り込んだことで驚いてしまったんだろう? エヒト様はお優しい。事情を話せばきっと分かってくださる」

 

 簡単に此方を信じたアルディアスに嘲笑が浮かびそうになるのを必死に押し殺しながら、差し出されたエヒトの魂を受け取ろうと手を伸ばす。

 そしてアルヴの手がエヒトの魂に触れようとした瞬間──

 

「愚かな」

 

 アルディアスが小さな灯火を握りつぶした。

 

「……え?」

 

 辺りにガラスが砕け散るような音が響き、アルディアスの拳からはキラキラと輝く粒子のようなものが舞い散り、消えていく。

 

「エヒト様アアァァァァァ!!」

 

 一瞬呆然とした表情で固まっていたアルヴだったが、すぐに我に返り、叫び声を上げる。

 

「ああ!? 待って、駄目だ! エヒト様! エヒト様ァァ!!」

 

 必死に舞い散る粒子をかき集めようとするアルヴだったが、完全に粉々に破壊されたエヒトの魂をそんなことで集めることなど当然出来ず、一つ、また一つと消えていき、最後の一欠片もアルヴの掌の中で宙に溶けるように消えていった。

 

「……許さん。許さんぞ、人如きがあァァァ!!」

 

 エヒトが完全に消滅したことに、嘆き、滂沱の涙を流しながら、アルヴはアルディアスに憎悪の目を向ける。

 

「アルヴヘイトの名において命ずるッ! “跪け“!!」

 

 アルヴの口から出たのはただの言葉にあらず。神の名を名乗ることで言葉に強制力をもたせる“神言“。

 真名を名乗ることでさらに力を強化したソレは、地上の“人“なら誰しもが抗えない絶対強制命令権。

 言葉一つで地上の生き物全てを支配するその力は、間違いなく神の名を冠するに相応しい力と言えるだろう。

 

──たった一人を除いては……

 

「“貴様がな“」

 

「ッ!?」

 

 アルディアスの言葉を聞いたアルヴがその場に跪き、頭を垂れる。その、エヒト以外に誰にもしたことのない行動を自分がしたことに目を見開き、動揺する。

 

「馬鹿な!? 今のは“神言“! だが名を名乗らずに何故……!!」

 

 “神言“とは自らの名を名乗ることで初めて効果を発揮する。何故アルディアスが使えるのかという疑問はあるが、それよりもアルディアスは今、自身の名を名乗らなかった。だが、現に自分の“神言“は無効化され、今、自分は無様にアルディアスに跪いている。

 

「エヒトの魂を覆い尽くした時に奴の記憶も視た。殆どが神性を必要とするものだったが、これは俺にも使えそうだったのでな。だが、戦闘の最中、わざわざ名を名乗るなど、敵にこれから何をするか教えるようなものだ。だから俺なりに作り変えてみた……そうだな、お前たちが使うものが“神言“ならこれはさしずめ、“魔言“と言ったところか」

 

「作り変えただと……!」

 

「俺は貴様らのように信仰されている訳ではないからな。だが、神性を必要としないなら話は別だ。貴様らに出来て、俺に出来ない道理はないだろう?」

 

 なんでもないように告げたアルディアスに今度こそ絶句し、言葉を失うアルヴ。

 確かに“神言“は神にしか扱えない魔法という訳ではない。しかし、人が習得しようとすれば、人生の全てを掛けて挑み、それでもなお、殆どの者が習得することは出来ないだろう。

 それなのにアルディアスは、あっさりと構造を理解し、習得しただけでなく、術式の改変まで行った。

 

「ふざけるな!? 貴様如きが私よりも上に立っているとでもいうのか!?」

 

 怒りに震えながら、ゆっくりと、しかし確実に体を持ち上げ始めるアルヴ。

 

「腐っても神……といったところか? 俺の“魔言“に抗うとは……まあ、完成したばかりだからな。まだ詰めが甘いか?」

 

 アルディアスが意外そうに見つめる中、アルヴは片膝をついた体勢でアルディアスを睨みつける。

 

「殺す殺す殺す殺す殺す!! 絶対に殺す!! お前だけは私の手で確実に──?」

 

 怨嗟の言葉を投げつけていたアルヴの声が不意に止まる。

 何か胸の辺りに違和感を感じたアルヴは視線をアルディアスから自身の胸元に移す。

 そして、自身の胸から黒く輝く刃が飛び出ている光景を目撃した。

 

「……は?──あっ……ガアアァァァァ!?」

 

 一瞬遅れ、激痛を感じたアルヴはその場に倒れ込みそうになるも、貫いた刃のせいで倒れることも出来ない。

 

「あ……グッ……き、貴様は……」

 

 激痛に顔を歪めながらも、横目で後ろを確認すると、そこには先程アルディアスをアルヴの部屋に通した銀髪のメイドの姿があった。

 

「な、何をする……貴様……! 自分が……何をやってるのか分かってるのか……!?」

 

「もちろん、分かってる。300年も()()()の体を好き勝手に使ってるクソ野郎に天罰を与えてる……ただそれだけ」

 

「叔父様……だと? ま、まさか貴様!?」

 

 アルヴの言葉に薄っすらと笑みを浮かべたメイドの姿がぼやけるように曖昧になり、一拍遅れて、その姿が顕になった。

 月光のように輝く金髪に赤……というよりも紅に近い瞳。12歳程の少女の姿をしているが、その身に宿す魔力は常人を遥かに超えている。

 アルヴはその少女のことをよく知っている。知らない訳がなかった。

 300年前、エヒトの為に血眼になって探して、結局見つけられなかった存在。当時の吸血鬼族の女王。

 

「何故……何故ここにアレーティアがいる!?」

 

「気安く私の名前を呼ばないで」

 

「グッ!?」

 

 アレーティアが魔力で出来た剣を更に強くアルヴに突き刺す。

 

「ア、アレーティア……私だ、ディンリードだ。覚えていないかい? いや、覚えていても私のことをさぞ恨んでいることだろう。しかし、聞いてくれ……私は、君を想って──アガァッ!?」

 

「呼ばないでって聞こえなかったの? お前がディン叔父様の体を使ってるだけなのは知ってる……もう、その体に叔父様の魂が存在しないのも……」

 

 怒りに顔を歪めながらも、その声色からは隠しきれないほどの悲しみを感じる事ができる。

 アレーティアはすでに叔父のディンリードの行動の真意を知っている。自分を傷つけたのも、地下深くに封印したのも、全ては自分を守る為だった。

 12歳で固有魔法に目覚め、17歳で吸血鬼族の王位に就いた彼女の人生は生半可なものではなかった。それでも自分を頼りにしてくれる民の存在や常に側で支え続けてくれる叔父の存在があるだけでアレーティアは幸せだった。

 だが、そんな幸せも一瞬で崩れてしまった。守り続けた民に怯えられ、信じていた叔父に裏切られたことへの絶望。今思い出しても恐怖で足が竦んでしまう。

 しかし、それは全て自分を神の魔の手から守るための叔父が仕組んだことだった。

 

 事実を知ったアレーティアの胸中はどれほど荒れただろうか。

 自分は裏切られた訳ではなかったという安堵。

 もう二度と叔父に会うことが出来ない悲しみ。

 そして……理不尽な神への怒り。

 だからこそ、アレーティアはアルディアスに頭を下げて頼み込んだ。本来ならアルディアス一人で実行する計画だったのが、そこに自分も加えて欲しい……と。

 その熱意が伝わったのだろう。自分が失敗したら即座に逃げるという条件の元、アレーティアの同行が認められた。

 そして、その瞬間が訪れるその時までじっと待ち続けた。今、ようやく300年に渡る怨恨を晴らすことが出来る。

 

「その体はお前のものじゃない……返せ……!」

 

「グアァ!?」

 

 アレーティアは突き刺さった刃を力任せに引き抜く。その反動でアルヴの体が床に投げ出される。しかし、アルヴの苦しみ様に反して、傷跡からの出血は一切ない。

 

「な、何……だこれは……その、剣は……!」

 

「俺の“封神黒鎖“は実体のないアーティファクトだ。形を変えることなど造作もない」

 

 アルディアスの言葉を証明するかのようにアレーティアの手に収まっていた剣が形を変え、鎖に変化しアルヴを拘束し始める。

 

「や、やめろ……離せ……!」

 

 口では抵抗の言葉を出すも、まともに体を動かすことも出来ないのか、一切の抵抗もせずに鎖がアルヴの四肢を拘束し、鎖の先がアルヴの胸に突き刺さる。

 “封神黒鎖“はアルディアスが対象した存在のみを拘束し、破壊する魔法。故に、肉体が損傷することはない。

 アルヴの中に入り込んだ鎖が、傷ついたアルヴの魂を正確に拘束する。

 

「ィギッ、ァァァアアアアアアッ!!」

 

 アルヴの絶叫が響き渡る。

 肉体を傷つけられたのなら再生魔法で傷を癒やせば良い。痛みが酷いならば痛覚の遮断をすれば良い。しかし、魂魄そのものへのダメージはどうすることも出来ない。

 癒やすことも、防ぐことも、ましては抵抗することも出来ない。

 

「ま、待て! 待ってくれ!! 頼む、助けてくれ!! 何でもする! 私に出来ることなら何でもする!!」

 

 自らの避けられない死に恐怖したアルヴは、みっともなくアルディアスに懇願する。その姿に神としての威厳など全く存在しなかった。

 しかし、アルヴの魂魄を捕らえた鎖はゆっくりと締め上げ始める。

 

「アアッ!! そ、そうだ、アルディアス!! 君も神にならないか!? 君ほどの力があれば、神になるのも決して不可能じゃない!! 私も力を貸そう! だから……!」

 

 恥も外見も捨てて、アルディアスに提案する。そんなことにアルディアスが興味を示す筈が無いと知っていながらも、死にたくない一心で頭に浮かんだ考えを口にする。

 

「ほ、本当はこんなことしたくなかったんだ!! 全てエヒトに脅されていただけなんだ! 私は所詮エヒトの眷属に過ぎない! 逆らえなかったんだ!!」

 

 しまいには、自らの主であるエヒトへの裏切りといえる発言まで飛び出すが、鎖が緩む様子は一切ない。

 

「い、嫌だ! 死にたくない!! お願いだ! 助けてくれ! アルディアス!! 私達は親子だろう!? 頼む! 父を……助けてくれぇぇ!!」

 

 尚も締め付ける力が増し続ける鎖に、アルヴはアルディアスの情に訴えかけるような命乞いを始める。

 そんなアルヴの様子にアルディアスは怒る訳でも無く、侮蔑する訳でも無く、只々能面のような表情でアルヴを見つめ続けていた。

 300年もの間、魔人族の魔王として、神としてあり続けた存在のあまりにも情けない姿に哀れみの感情すら抱かない。唯一あるとすれば……

 

「もういい……貴様のような奴に今まで苦労させられてきたかと思うと、自分自身に腹が立つ」

 

 この程度の存在に、今まで良いようにされてきた間抜けな自分への怒りくらいだ。

 

「アルディアス、もう終わらせよう」

 

「ああ、そうだな。最後くらい神らしくあって欲しかったものだが……」

 

 アルディアスがアルヴに向けて手をかざす。

 

「やめッ──」

 

 アルディアスが何をしようとしているのか察したアルヴが、止めようと必死に抵抗するが、拘束された体は一切動くことはなく……

 

──消えろ。

 

 そのまま何かを握りつぶすような動作を取る。

 すると、アルヴからエヒトの魂を握り潰したときのようなガラスが砕ける音が響いた。

 

「あっ……」

 

 一瞬、アルヴの体が痙攣し、そのまま物言わぬ骸と化した(あるべき姿に戻った)

 

 長きに渡り、トータスを支配していたエヒトとアルヴの二柱は、アルディアスというたった一人の魔人の存在によってあっけない最後を迎えることとなった。




封神黒鎖(ふうじんこくさ)
アルディアスの作り出した概念魔法。アルディアスが選択した対象のみを拘束し、破壊する魔法。有機物、無機物関係なく、魂魄や霊体といった本来目に映らぬ存在すら、アルディアスが“認識“すれば拘束できる。肉体を傷つけずに魂魄のみを破壊することも可能。魔法名の由来は“神すら封じる鎖“

精神世界でのやり取り。
原作ではエヒトがユエの体を奪う場面はハジメたちの視点で行われており、光の柱に飲み込まれ、時々頭を抑える仕草が描写されていました。当小説では、独自の設定を組み込み、精神内でのやり取りを作ってみました。

真実を知った後でアルヴと対峙したアレーティア。
原作では真実を知った時はアルヴは既にハジメによって殺されていたので、知った上でアルヴと対峙した当小説ではアルヴに対して殺意MAX。

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