そうであるならば、流れる時間もまた、昨日とは違うはずだ。
でも、昨日と同じように、時間は流れていく。
昨日の自分と何も変わっていなかったことに、気が付いた。
久しぶりに来る遊園地というのは、存外楽しいものだ。あっという間に時間が過ぎていく。
「景色いいなぁ……」
「ほら水無月さん、現実逃避しないで楽しみましょう!」
ただ……。
「ひゃああああぁぁぁ――!」
「ンぎゃああぁぁぁぁぁぁ――ッ?!」
俺の絶叫の方が、聞くに堪えないくらいひどい。
フリーフォール(厳密にはドロップタワーと言うそうだが)だけは勘弁してほしい。こう何と言うか……内臓とかがふわ~っとしていくような、あの感覚が怖い。なんで里宮さんは楽しそうなのか、俺にはさっぱり分からない。
ガコン、という音とともにゴンドラが一番下で止まる。安全バーを上げて足を地面につけるが、変な浮遊感が体から抜けない。
「ふふっ、楽しかったですね」
「そ、そうですかい……。俺は楽しむどころじゃなかったけど」
……今までジェットコースターにすら怖くて乗れなかった俺からすれば、フリーフォールなんて狂気の沙汰でしかない。
関係ないが、里宮さんは何時だかに飲みに行った時と同じ格好をしている。俺はまあ……デニムパンツとシャツとジャケット、という適当な組み合わせだが。
「もうそろそろ日が暮れるけど……どこに行きたいんですか?」
今は午後4時。山に囲まれているのも相まってか、日が沈むのが早く感じる。ライトアップされるし照明もあるが、やはり日が沈んでまで遊ぶことはない気がする。
「じゃあ最後は……アレに乗りましょう!」
そう言いながら里宮さんが指さしたのは。
「……アレ?」
遊園地の代名詞と言えるものだった。
まあ、代名詞とか御大層な言い方をしてはみたが。
「これ乗るの久しぶりなんですよ~」
「まあ……仕事も忙しいですからねぇ」
観覧車である。ゴンドラがのんびり回るアレ。
運がいいのか、スケルトンのゴンドラに乗ることが出来た(レーンが分かれていなかったので運次第だ)。少し揺れながら、ゆっくりと上がっていく。
風があまり入ってこないせいだろうか、里宮さんがポニーテールをほどく。長い髪がふわりと広がり、またふわりと下に落ちる。
西の方を見ると、山並みに日が沈んで空が紅く染められている。ゴンドラが周りよりも高いので、夕焼けが綺麗に見ることが出来る。
「……」
俺はその絶景に息を飲み、つい黙り込んでいた。一緒に里宮さんがいることを忘れてしまうくらいの絶景に、心を奪わる。
その時だった。
「あ、あのっ……」
「はい? どうしました?」
そろそろゴンドラが行程の四分の一を過ぎようとするタイミングで、里宮さんに声をかけられる。ゴンドラに射し込む夕陽が、俺と里宮さんを照らしている。
「その、今日はありがとうございました!」
ぺこり、と頭を下げられる。
「え? ……あ、ここに一緒に来てくれてってこと?」
「……はい。無理にお誘いしたのに、一緒に……その、はい」
「『無理に』なんて、気にしないで下さいよ。俺だって最近、そういう所に行ってなかったんで。今日は楽しかったですよ」
実際、最後に遊園地に行ったのは、トレーナー養成機関に入学する直前だった。それっきり忙しかったのとチケットとかきっかけが無かった、というのもあって行こうと思わなかったのである。
この週末も特に遊び行く予定も無かったので、誘われていなかったら、いつも通り家で何もせずにのんびりしていただろう。
「それで……私、水無月さんに言いたい事があるんです」
「言いたい事……ですか?」
わざわざ観覧車のゴンドラの中で言いたい事とは、一体何だろうか。まあ過去にも、こんな感じの場所で『大事な話がある』とか言われて、大したこと言われなかったこともあるしなぁ……。
特に身構える気にもならず、いつも通りの調子で里宮さんの方を向く。
夕焼けのせいで分かりづらいが、里宮さんの顔をよく見ると、顔が赤くなっているのが分かった。そんなにゴンドラの中が暑いわけでもないんだが……。
「……暑いなら、窓でも開けましょうか?」
「そ、そうじゃないんですっ。そうじゃなくて……そうじゃ……」
そうこうしているうちに、ゴンドラがいよいよてっぺんに着こうとする。
すると意を決したのかのように、里宮さんが顔を上げる。
「実は……、と言えばいいのかな……? 私、ヤマノの社長の娘なんです」
「ヤマノ、っていうと……大阪に本社があるあのスポーツ用品メーカーの?」
ウマ娘向けにも製品を卸していて、アヤべさんも使用している有名なスポーツ用品メーカーだ。
「はい。……って言っても、別に創設者の一族って訳じゃないですよ?! あくまで、今の社長の娘ってだけですから!」
「そうなんですか」
「……えっ……? あの、……それだけですか?」
ん?
「いや、『それだけですか?』って逆にどういう事なんです?」
至って普通の返事をしたつもりだったのだが。
「あ、その……、私が世間一般に言う社長令嬢だって知ると、途端に言い寄ってくるかよそよそしくなるかの、どっちかばかりだったんです」
「……」
「時には、それを知っていて声をかけてくる人もいて……」
何と言うか、別方向に下心丸出しの男もいるものらしい。……まあ、そんな男ならよく見てきたものだが。
「俺は別に、里宮さんが社長令嬢だとしても、そんな事気にしませんよ。今まで一緒に頑張ってきた、同期のトレーナーって事に変わりはないんですから」
敢えて強調するなら、これが嘘偽りの無い本心だ。何があっても、里宮さんは同期のトレーナーの一人でしかない。
「……本当に、そう思ってくれるんですか?」
「本当ですって。あと、鏑矢だってそんな事気にしないやつですよ」
どちらかと言うと、何に興味があるのか分からんやつなのだが。あいつ、人並に感情は持ち合わせているくせに、そこだけが変というか。
「他に、里宮さんが社長令嬢である事を知ってる人っているんですか?」
「知っているのは……桐生院さんだけです」
「葵ちゃんが、ねぇ」
まあ、葵ちゃんなら里宮さんでも信用出来るだろう。葵ちゃんも、生まれた家が桐生院家と言うだけあって、そういう生まれの面倒臭さはよく分かっているはずだし。
「……ん、どうしたんです里宮さん? 目が……」
視線が気になり里宮さんの顔を見ると、ジト〜っとした目で俺の顔を見ていた。
「い〜え、何でもないですぅ」
「……『言いたいことがある』って事で観覧車に乗ったんですから、言っちゃって下さいよ」
溜め込んだままにされるのもあれなので、ここで言ってしまった方が楽だろう――そう思って促す。
「水無月さんって、桐生院さんのこと『葵ちゃん』って呼んでいますよね。確か……トレーナー養成機関にいた頃から」
まあ、言われてみれば。
「そうかも……しれないですね」
「『そうかも』じゃなくてそうでしたよ。それも……、桐生院さんに会ってすぐに」
「……そうだったかな?」
数年前の事なのでよく覚えていない。鏑矢あたりにでも聞けば、意外と覚えていそうだな。
「ねえ水無月さん……、なんで桐生院さんの事を、『葵ちゃん』って呼んでいるんですか?」
「えっと、それは……」
何と答えたものか。それが今までの当たり前で、しかも里宮さんに聞かれた事も無かったから、あまり気にしていなかった。だが面として聞かれると、答え方に悩んでしまう。
「まああれですよ、仲がいいからってだけで、特別な理由は――」
「じゃあ私は?」
「へっ?」
里宮さんが急に立ち上がって俺の方に顔を寄せてきたので、間抜けな声が漏れる。乗り出してきたことで、長い髪に少し隠れているその顔はいつになく、真剣にも焦っている様にも見えた。
観覧車はすでに4分の3を回りきっている。
「私は……水無月さんとは仲良くないんですか?」
「……あ~の、えと里宮さん? そういうのは、また今度にでも――」
「嫌です。今答えてください」
(なんか押し強いねぇ?!)
いつもらしくない里宮さんの勢いに、少し押され気味なのが分かる。え、これなんて答えれば正解なのよ?
「あ~……うん、まあ、仲いいと思いますよ?」
自分で眼前の人物と『仲がいい』とわざわざ言うのは、何か変な感じがする。多分彼女が求めているのはこの答えだから、これで問題はないはずなんだが。
「じゃあ、私の事……えっと、『未来ちゃん』って呼んでくれますよね?」
「……えっ、と……え? そうなるの?」
てっきり、『葵ちゃん』と呼ぶ理由を無理やり聞き出そうとしてくるのだと思っていたら、まさかの方向になってきたぞ。
「あ、あの、まあそれは今度」
人の呼び方っていうものに結構迷ってしまうタイプなので、無意識に先延ばしにしようと口が動く。
「またそうやって、逃げようとする……」
「うグッ」
的確に痛いところをつかれ、思わず呻く。
そんな事をしていると、里宮さんの顔が更に近づいてくる。普段なら感じようがない温もりが、否応なく感じられる。吐息が顔にかかり、下がれないのに体を後ろに動かそうとする。
お互いの顔が触れる――そう思われた瞬間。
ガチャン、
という音がして、ゴンドラのドアが開いた。どうやら、いつの間にか降り場まで来ていたらしい。……里宮さんの顔が急激に赤くなり、俺から一気に離れる。
見られただろうか、降り場の係員に。まあ見られたとしても、気にする必要はないと思うが。
「あ……、あっ、ありがとうございました~っ!」
開けられた瞬間、里宮さんはゴンドラから飛び出した。
係員がニヤニヤしながら俺と里宮さんの背中に目線を送っているあたり、やはり見られたのだろう。だがまあ、俺と里宮さんはそんな関係ではないし、恐らく想像しているような事にはならなかったので、真顔で降りた。
「景色良かったですねぇ。ありがとうございました」
「い、いえいえ。お楽しみいただけたようで何よりです」
係員の残念そうな空気を背中でひしひしと感じながら、階段を下っていく。正直な話、残念そうにされても困るのだが。
階段を降りきって辺りを見回すと、近くのベンチに座っている里宮さんを見つけた。
「大丈夫……というか、落ち着けましたか、里宮さん?」
「ちょ、ちょっと待ってください……」
里宮さんはそう言うと、ポケットからヘアゴムを取り出し髪をまとめて、いつものポニーテールにした。そしてスっと立ち上がった時には、顔はもう赤くはなかった。どうやら落ち着けたようだ。
「……お騒がせしました。その、私もちょっと焦ってしまっていて」
「『焦って』……? ああ、まあ普通ならそういうものですかね」
確かに、見られたら恥ずかしいものを見られたら、焦って慌ててしまうのも無理はないだろう。俺だって、隠している事を見られたら焦るだろうし。
「多分……水無月さんが思う、『焦って』じゃ――」
小声で呟くのが聞こえたので、思わず声をかける。
「あれ、もしかして俺、何かまずい事でも言いましたか?」
もしそうだとしたら、すぐに謝罪せねばならん。これは、別に里宮さんが社長令嬢だから、とかそういう訳ではない。人として当然のことだ。
「……いいえ、言ってませんよ。私の独り言です」
「そうですか? ならいいんですけど」
立ち上がった里宮さんは、遊園地の出口に向かって歩き始める。その足取りは、先程逃げ出した(恥ずかしさで焦ってしまった)ものとは思えないほど、軽く元気のあるものだった。
その後ろをのこのこついていく俺は、傍から見れば若干変に見えるかもしれない。どう見たって、格好が釣り合っていないからな。
「最後に色々あったけど……楽しかったですね」
「ははは……まあ、久しぶりの遊園地、楽しかったですよ」
いやほんと、行くのは面倒くさいとか思っていたが、行けば楽しいものである。今日については本当に、里宮さんに感謝しかない。
「帰りましょう、そしてまたいつか一緒に行きましょう、水無月さん。いえ――」
ふわりと髪や服をなびかせながら、俺の方へ振り返る。
夕日が眩しくて、思わず目を眇めた。
それでも分かる事があった。
「――また一緒に行こうね、結城君」
それはいつも見ている以上に、綺麗な笑顔だった事。初めて見るような、きれいな笑顔だった事。
そんな笑顔に、俺は一体何を返せたのだろうか。うまく返したつもりだったが、よく分からなかった。
◆◆◆
4月16日月曜日。すなわち、二人が遊園地に行った翌日のことである。
「どうだったかな、里宮さん。ちゃんと伝えられたのかしら?」
まだ高く上がっていない太陽が、眩しく照らす廊下。そこを桐生院が、トレーナー室に向かって歩きながら呟く。
これで里宮が水無月に伝えられれば、きっと二人の関係は変わっていくだろう。そんな期待があって、桐生院の足取りは軽い。
「さて、仕事仕事……。と言うよりは、ミークの為の研究かな」
トレーナー室に入り、抱えていた資料を一旦机に下ろす。椅子に座って資料を読み漁ろう――そう桐生院が思った時だった。
「失礼します! あ、桐生院さん!」
「急に誰……って、里宮さんじゃないですか」
ドアが急に開けられ驚いた桐生院だったが、里宮を見て胸をなでおろす。冗談抜きで、本当の犯罪者かと思ったほどである。
「それであえて聞かなかったんですが……、昨日はどうでしたか?」
「そうです、それを言いたくて来たんです」
(……これは、期待していいのかしら?)
いつになく明るい感じの里宮に、今回は作戦が成功したのかと、心の中で期待が膨らむ。
「ちゃんと伝えられましたよ――」
「……良かった」
「私がヤマノの社長令嬢だって!」
……。
……………。
……………………………。
「はああぁぁぁぁーーーーーーーっ?!」
突然響いた桐生院の絶叫に、里宮は首を竦めた。
お久しぶりです。生活に慣れなかったり課題があってなかなか書く暇が作れませんでしたが、文芸部の夏部誌用の作品未提出を生贄に書ききりました。これからも投稿はスローペースですが、更新を続けていくつもりですので、よろしくお願いします。