恋するカレンチャン   作:高崎ヒビキ

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第9話 春の歌 Part2

 5月12日土曜日。曇り空の日。

 

 

「――お久しぶりです、兄さん。10年ぶりくらいになりますか」

 

 

「――俺はもう、すっかり大きくなっちまって、それどころか老けていくばっかりな気がしちゃいますよ」

 

 

「――酒の味、俺は慣れないですし、下戸だと分かったんですよ」

 

 

「――俺は酒の良さは分からなそうですが、……ああ、兄さんも分からないか」

 

 

「――まあ、分からない方が、幸せなのかもしれませんね」

 

 

「――そうそう、カレンチャンも、すっかり立派になったものですね。今や立派なGIウマ娘ですよ」

 

 

「――情けないと言うか申し訳ないと言うか、俺はカレンチャンのトレーナーじゃないんですよ。約束破っちゃって、本当に申し訳ないです」

 

 

「――しばらく行かないうちに、話したい事ばかり増えてしまって困りますねぇ」

 

 

「――だから、」

 

 

 カタン、と写真の入ったフレームを墓石に置く水無月。水無月にしては珍しく、スーツに身を包んでいる。

 

 その写真の中には、幼い水無月とカレンチャン、そしてもう一人が抱き合って笑っている。灰色――どちらかと言えば葦毛ともいえる髪色の、幼い水無月よりも何回りか大きい男子が、真ん中でにこやかに笑っている。

 

「もう一回逢いたいよ、……兄さん」

 

 涙を滲ませながら、花を手向ける。墓前には既に、花が供えられていた。

 

 立てた線香から棚引く煙は、風に吹かれて溶けていく。

 

「せっかく持ってきたけど、こいつはどうするか。……分からないもんなぁ」

 

 少し高い酒の瓶をカバンから取り出すが、どこに置けばいいのか分からず、結局カバンに再び戻す水無月。

 

「映画とかだと中身をかける事もあるが……やめとくかね」

 

 ははは、と寂しげに笑いながら、今度はポケットからスマホを取り出す。そして画面を墓石に向けた。映っていたのは、カレンチャンが勝負服を身にまとい走る姿――高松宮記念での姿だった。

 

「見えるか分からないけど、……見えるなら是非見てください。俺なんかに比べたら、ずっと立派ですよ」

 

 トントン、という足音が水無月の耳に入る。

 

(……命日が近いから来た人、かね)

 

 水桶から柄杓で水を汲んで、ゆっくり水をかける。

 

「そう言えば、兄さんはいつもカレンチャンを、俺とは違う呼び方していましたよね」

 

 その違う呼び方を口にしようとした、その時だった。耳に入った足音が後ろで止まったことに、水無月は気がつく。

 

「俺はまだ、そうやって呼んだ事ないなぁ……。なんかあれなんですよね、色々あって呼ぶ資格がない気がしちゃって」

 

 自分には関係ないと思い、もう一度柄杓に水を汲もうとした時だった。

 

「お兄ちゃん……?」

 

 その声に、思わず振り向く。

 

「……カレン」

 

 それは、口にしようとしていた呼び方だった。

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりだね、結城君」

 

「お久しぶりです、お父さん」

 

 カレンチャンの両親の家の玄関で、カレンチャンのお父さんが出迎えてくれた。

 

「あら〜、随分大きくなったのねぇ」

 

「好きでなくとも、大きくなりましたよ」

 

 カレンチャンのお母さんも一緒だ。艶やかな芦毛は、最後に会った時から変わっていないように見える。

 

「もう……ほら、そこの三人! 家の外で何かに浸ってないで、早く入ってよ」

 

 カレンチャンに背中を押され、家の中に入る。

 

 記憶にあるカレンチャンの家とは、色々変わっていた。まあそれもそうだ、カレンチャンが引っ越すまで住んでいた家とは違うのだから。昔の俺の家はカレンチャンの家の隣だったが、そこから少し離れた所に今のカレンチャンの家があるようだ。

 

 居間に案内されソファに座った。俺の左側に二人が座り、向かいにはカレンチャンが座る。

 

「そう言えば、カレンを乗せてきてくれたのかい?」

 

「たまたま会ったんで、一緒に乗ってきました」

 

 カレンチャンも俺と同じで、兄さんの墓参りに来ていた。生憎命日はど平日で行くことは出来なかったが、同じ週の土曜日は予定が空いていた。お互いにとって、都合が良い日が今日だったというわけで。

 

(……そういや、アヤべさんは一人になっちまうんだったな)

 

 俺はいないし、同室のカレンチャンもいない。まあ……オペラオーやドトウがいるから、問題は無いはずだが。

 

「ところで水無月くん、」

 

「何ですか、お父さん?」

 

「トレーナーとして頑張っているみたいだけど、どんな感じかな?」

 

「あら、それ私も聞きたいわね」

 

 二人に仕事について聞かれた。……二人とも、俺がどんな仕事しているのかくらい、分かっているはずなんだが。とりあえず、実際にあった事――二年間とプラスアルファについて説明した。と言っても、真新しい情報は無かったと思う。

 

「水無月くん、やっぱりいいトレーナーになったのね」

 

「『やっぱり』って……どういう事ですか?」

 

「三年前に水無月くんがトレーナーの試験に受かったって聞いてね、その時お父さんと話したのよ〜。『きっと水無月くんは、いいトレーナーになる』って」

 

 ピロン、とスマホの通知音が鳴る。

 

(……誰だ?)

 

 音を立てたのは、俺のスマホだった。そのまま電源を入れて、何の通知かを確認する。

 

(アヤべさん? どうしてまた?)

 

『今日はいつ戻ってくるの?』

 

 単刀直入に、メッセージが送られていた。

 

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 

 カレンチャンがスマホの画面を覗こうと、身を乗り出してきた。

 

「……なに、大した事じゃないさ」

 

 適当にはぐらかしながら、画面を何となく隠してメッセージを返す。

 

『分からないけど、カレンチャンの家にいるから、ちょっと遅くなるかもしれない』

 

『そう。……帰る時になったら教えて』

 

『了解』

 

 ……はてさて、何で帰る時に連絡する必要があるんだか。アヤべさんは俺の母さんでも奥さんでもないんだし、そんな事しなくてもいい気がするが。

 

 まあこういう感じで、時間を伝え忘れたりすると、よく分からんが不機嫌になっちゃう事が前にあった。割と困るというかなんと言うかなので、それ以来忘れず答えるようにはしている。

 

 それから4人で思い出話にふける。離れていた間に生まれてしまった隙間が、埋まるような感じがしていた。

 

 小一時間は過ぎたのだろうか、そんなタイミングでお母さんがニコニコしながら、何かを持ってきた。

 

「何ですかそれ?」

 

 アルバム……いや、賞状とかが入れられるファイルだろうか。形状からある程度推測はできるが、ブツが浅葱色――つまり透けていないので、中身が分からない。

 

「これ? これはねぇ――」

 

 わざとらしく潜めていた声を、さらに覆い隠すかのように。

 

「だ、ダメっ……!」

 

 顔を真っ赤にしたカレンチャンが、そう言いながらブツをお母さんから奪おうとする。気になって目線を横にやるが、お父さんに止める気は無さそうだ。むしろ、それがじゃれついているように見えるのか、いい笑顔を浮かべている。

 

 そんなカレンチャンを余裕の笑顔でかわすと、俺にブツを手渡してくる。

 

 お母さんに手で制されているカレンチャンが、変わらず顔を赤くしていた。

 

「……」

 

「……お兄ちゃん」

 

「なんだ?」

 

「……中は見ないで」

 

 本当に申し訳ないとは思うが、そう言われてしまうと、やる事は決まってしまう。

 

「すまん、カレン」

 

「謝るなら見ないでよ〜っ?!」

 

 いやまあ、それは全くもってその通りなのだが。

 

 中を見てみると、そこには予想通り賞状や写真が入っていたが、それだけではなかった。保育園の頃の落書きも入っている。

 

 俺がそれらを一枚一枚丁寧に見ていると、お父さんが後ろから覗き込んでいた。

 

「おや、これは……」

 

 ある一枚の絵に、お父さんの視線が止まった。

 

「はい?」

 

「……ははは、懐かしいなあ」

 

 言われて同じ絵に、俺も視線を向けた。

 

「あッ……」

 

「あらあら、可愛らしいわね」

 

 絵がちらっと見えたのだろうか、カレンチャンは顔を赤くして固まり、お母さんはニヤニヤし始める。

 

 その絵というのは、黒っぽい服を着た俺と白いっぽいドレスらしきものを着たカレンチャンが描かれたものだ。俺とカレンチャン、と断言はしてはいるが、やはり子供の頃の絵らしくカレンチャンしか判別できない。断言できたのは、下に『お兄ちゃん』と書いてあったからだ。

 

「これは……?」

 

「そう言えば、カレンってちっちゃい頃よく言っていたわね」

 

「確かに、よく口にしていたね」

 

 二人はうんうんと納得している様子だが、俺にはさっぱり分からない。

 

「そういえば……カレンったら、昔から変なところで恥ずかしがり屋さんでね。水無月くんには言ってなかったことも、結構あるのよ」

 

「あぁ……、確かにそうかもしれないですね」

 

 恥ずかしがり屋、ってところがね。

 

「それで、これは何を描いたものなんですか?」

 

「……お父さんが言っちゃえばいいんじゃないかしら?」

 

 こんな感じだもの、というお母さんの背中の後ろでは、真っ赤な顔をしたカレンチャンがちらちらと顔を覗かせている。

 

「これはね、カレンと水無月くんの結婚式……を描いたものだったかな」

 

「あ~、何で言っちゃうの!」

 

 たまらず、といった様子でカレンチャンが声を出す。

 

「確かに……小さい頃って、そういう事をなぜか平気で言えちゃうんだよなぁ。今は無理だろうけど……」

 

 子供の頃は、不思議と大人になると言えないようなことを、割と平気で言えるものだ。まあそれは、ただ単にその言葉の意味をよく理解していないだけ、という訳なのだが。

 

「そう言えば、水無月くんは20代も半ばになるのかな?」

 

「? まあ……そうですね」

 

 お父さんに問われ、首を傾げながら答える。

 

 人から言われてみると、改めて時の流れの速さというものを実感する。中学校の3年間があっという間だと思って、それから幾程の時が流れたのか。数えれば分かるだけに、それを無意識に拒む。

 

 ……ではなくて。

 

「えっと……それがどうしたんですか?」

 

 あまり話の繋がりを感じられず、疑問の声音を隠す事が出来ない。

 

「今時こんなことを言うと、色々うるさいものだけど……水無月くんもそろそろ結婚を考える時期じゃないのかな?」

 

 確かに、そういう事を言うのが憚られるような、そんな時代になってきたと思う。だが結婚に苦労した親や叔父さんから見れば、不安で仕方がないのかもしれないから、そこまで気にする事も無いような気がする。

 

「あはは……。まあ、確かに祖母からは時々、『早く孫の顔が見たいねぇ』なんて言われますけど」

 

 祖母と言っても父方の方だ。意外なことに、おじいちゃんはあまりそういう事を言わない。気になって聞いてみたら、『自分もよくそれを言われて、辛い時があったのさ』と教えてくれた。

 

 おばあちゃんがそれを気にする理由は、何となく分かってはいる。お父さんは一人っ子で、俺も同じく一人っ子だ。自分の名字を持つ血の繋がった孫を見ないと、安心出来ないのだろう。お母さんは妹がいるが。

 

「ちょうどいい、っていうのもおかしいけど……どうかな? うちのカレンと結婚する、っていうのは」

 

「……」

 

「えっ、ちょっ、お父さん?!」

 

 カレンチャンの顔は、どうやっているのか分からないくらいに真っ赤になっている。

 

「あら、確かにいいんじゃない?」

 

「お母さんも何を……?!」

 

 あっさり同意するお母さん。その言葉が信じられないのかなんなのか、カレンチャンは口をパクパクさせている。

 

「なに、2人ともお互いの事はよく分かっているだろう? きっと……いや、間違いなくお似合いの夫婦になれるさ」

 

「歳も問題にならないものねぇ。水無月くんとカレンの孫なら、私も見てみたいわね」

 

「そ、その……そういうのは、ちょっと……でもお兄ちゃんとなら……」

 

 年頃の女の子の前で、2人とも何を言っているのやら。カレンチャンはというと、顔を変わらず真っ赤にして伏せながら、何かブツブツと言っている。大方あれだろう、2人への文句に違いない。

 

「いやいや、カレンに俺は合いませんよ」

 

「うんうん、そうだよね……って、え?」

 

「カレンなら、俺よりもいい人と結婚した方がいい人生を送れると思いますよ」

 

 その言葉を聞いた三人から、やや間があって。

 

「そ、そうか……。まああれだよ、今の言葉を本気で受け取らなくてもいいからね」

 

 お父さんのその顔を見ると、もしかしたら本気で言ったのかもしれない。

 

 そうだとしても、今の言葉が俺の本心だ。スカウトをすることを忘れるような、そんなひどい男を選んだら、間違いなく後悔する事になってしまう。

 

 カレンチャンの良いところも悪いところも、色々分かっているから……こう思えるのだ。

 

「あら……もうこんな時間ね」

 

 言われて時計を見ると、既に針は午後4時を越していた。……思っていたよりも、4人で色々話し込んでいたようだ。

 

「そう言えば、水無月くんは車で来たのよね?」

 

「そうですよ?」

 

「ならちょうどいいから、カレンをトレセン学園まで送ってくれない? 行く方向もそこまで変わらないから、無理じゃなければお願いしたいの」

 

 実際のところ、送り届けるべき場所はお母さんも分かっているはずだが、美浦寮の方である。まあ大してトレセン学園から離れている訳でもないし、全くもって無理な話ではない。

 

「いいですよ。後はまあ……カレンがいいなら、ですけど」

 

 ふと気がつく、自分が自然と『カレン』と呼べていることに。『呼ぶ資格』とか……そういう問題じゃなかったのかもな。

 

「……じゃあお願いしてもいい、お兄ちゃん?」

 

「あぁ、任されたぜ。ちゃんと安全運転で送るんで、安心してください」

 

 一応、余程のことがない限り、どんな道でも制限速度は普段から守っているが。だって、移動式のオービス怖いからね。

 

「うん。安全運転で頼むよ、水無月くん」

 

「次に会う時は、彩結さんとも一緒がいいわね。ちゃんと連れてきてね」

 

「分かりました」

 

 母さんのことだ、俺が連れて行くと言えば喜んでくるだろう。……父さんも連れて行きたいな。

 

「じゃあ帰るか、カレンチャン。2人とも、今日はありがとうございました」

 

「……うん。じゃあね、これからも頑張るから」

 

 玄関に向かう俺の後ろを、自分より早いリズムの足音が追いかけてくる。いつかこの足音を聞くのも、俺ではなくなるのだろう。

 

 不思議とその時が、すぐそばまで迫っているような気がした。

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