カレンチャンが外を見ると、傾き始めた太陽のせいか、空の色が少し変わっていた。
車の中では、お互い無言が続く。
気を効かせてなのか癖なのかカレンチャンには分からないが、水無月が時代遅れの――それこそ『おじさん』と呼ばれてしまうような、そんな微妙な選曲のプレイリストを再生しているのも一因ではある。
だが最大の原因は、やはり少し前の水無月の言葉だった。
――『カレンなら、俺よりもいい人と結婚した方がいい人生を送れると思いますよ』
本人は気にしていないのか、平気で鼻歌を歌っている。
偽らざる本心からの言葉だという事は、声音、そして水無月の雰囲気からカレンチャンも察していた。
だとしても、何かを思ってしまうのが、年頃の少女というものである。
『何か』に突き動かされるように、口を開こうとする。
「っ……」
だが『何か』に突き動かされた口は、言葉を発するまでにいかない。無意識が、傷つくことを恐れ、拒んでいた。
少しして、車が赤信号にひっかかり止まる。偶然なのか、そのタイミングで歌が1曲流れ終わり、雑音を除けば車内は無音になった。
「ねえ……お兄ちゃん、」
口を開いていた。本当は、傷つきたくないのに。
「家で言ったあの言葉……本当なの?」
目を閉じろ、耳を塞げ――何処かから声が聞こえてくる。それに逆らうように、運転席に座る水無月に顔を向けるカレンチャン。
言われた水無月の顔は、最初のうちこそ呆けたものだった。だが、言わんとしている事を理解したのか、その顔を穏やかな笑顔に変えながら口を開く。
「本当さ。俺はカレンチャンには合わない男だよ」
「で、でも……」
言葉が続かない。何と言えばいいのだろうか。
――そんな事ない
そう言えば、心は楽になったのだろうか。
「なんだかんだ言って、カレンは後輩の面倒見もいいし、色んな人と仲良くなれる……。そんなにいい人なんだから、俺なんかと結婚しちゃいけないぞ?」
カレンチャンのそんな気持ちも知らず、水無月は言葉を続ける。
だが次の言葉は、もやもやを別の形で吹き飛ばしてきた。
「俺は……カレンをスカウトし忘れるような、ひどい男だからな」
「……別に、気にしていないのに」
もう過ぎたことだというのに。
結果論だとしても、今の日々が楽しいというのに、まだそんなことを言っているとは思わず、さすがに反論が口をつく。
「そ、そうだよな。悪い悪い……」
声音に含まれる呆れや怒りに気付いたのか、水無月が謝る。
「……関係ない事を聞くけど、」
「ん、どうしたカレン?」
「私がここに座るのは……初めてでしょ? 私以外にお兄ちゃんの車の助手席に座った人って、誰かいるの?」
少なくとも一人はいる事は分かっていた。
(……なんで聞いてるんだろ)
カレンチャンの心の声になど気づきようもない水無月は、ハンドルから左手を離し頬にあて、思い出すように首を傾けながら答える。
「あの噂が立った――カレンも覚えているとは思うけど、あの時に里宮さんは乗っけたかな。あとは……アヤベさんも乗っているな」
「えっ……」
隠せなかった。
明らかに動揺した声が漏れる。
(ど、どうして……?!)
その声に対し、何を感じとったのか分からない返答が返る。
「もしかして、俺が無理を言って乗せたか、俺が無理を言われて乗せたか……どっちかだと思った? アレはそうじゃなくて、お互い何となくすれ違っていた時に、アヤベさんと相談したくて乗ってもらったんだ」
水無月の全くもって理解していない答えに、カレンチャンの騒めく心は一旦落ち着く。
「そ、そうなんだ?」
心の上下を誤魔化すように答える。
「ああ。……あれ、でもそれだと無理を言って乗った貰う事になっちゃうのかな?」
「……違うんじゃないのかな?」
だが。
「大阪杯の少し前のことでな。あの時……ちゃんと話せて、本当に良かったよ」
水無月の笑みには、懐かしみ以外の何かが含まれていた。その笑顔に、胸の奥がズキンと痛む。思わず、キュッと握った手を胸に当てた。
(そんな風に、笑わないでよ……)
目尻が熱くなる。
零れた滴を水無月に見せまいと、窓の外を向いた。窓に映る水無月の顔を見ると、カレンチャンの様子には気付いていないようだった。
普段は気付いてくれないと嫌なのに、今だけは気付いていなくて良かったと思えた。
(……ほんとに、どうしちゃったんだろ)
日々見る景色が変わっていくように、心の内も変わっていくというだけの事。でもそれが、カレンチャンには理解しきれていなかった。
気が付くのは、きっともう少し先の事。だけどその少し先がいつになるのかは、誰にも分からない。