恋するカレンチャン   作:高崎ヒビキ

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第10話 小さな恋のうた

「すまん、今日はアヤベさんのトレーニングが……」

 

 

「今日も無理なんだよ。宝塚記念が迫っているからな」

 

 

 

 

 すげなくかわされる日々が続く。

 

「もう……口を開いたらアヤベさんアヤベさんばっかり」

 

 6月7日午後5時30分。カレンチャンと水無月が『兄さん』の墓参りに行ってから3週間後の火曜日。

 

 まあ実際、1か月後には宝塚記念が迫っているので、水無月の言葉もあながち嘘ではない。

 

 そうは言っても、水無月が自分の事に構ってくれない――というよりは、急に(あくまでカレンチャン目線の話ではあるが)アドマイヤベガの方に行動の中心が移ってしまい、どこか面白く無さを感じていたのではある。

 

 カレンチャンはグラウンドの端にあるベンチに座り、トレーニングするウマ娘たちとそれにつくトレーナーたちを眺めていた。

 

 その中には当然ながら、アドマイヤベガと水無月の姿もある。次の出走予定がセントウルステークスである以上、カレンチャンに本格的なトレーニングの予定はまだない。

 

 里宮に頼めば、きっとトレーニングの予定を組んでくれるだろう。だがそれでは、水無月に近付くのが難しくなってしまう――そんなジレンマに陥ってしまった。

 

「はぁ~……」

 

 お兄ちゃんはおかしな事を言っていないのに、何で胸が苦しいんだろう――ため息をつきながら、そんな事を考えていた。

 

「……どうしちゃったんだろ」

 

 今の自分の気持ちの理由が分からない。

 

「私も……もっと長い距離が走れたら、お兄ちゃんは……」

 

 そう言いながら、脚を撫でる。

 

 ダート2,100メートルのレコードを持つ母から受け継いだ脚で、彼女はスプリントしか走った事がない。スプリントのみを走ることは里宮と話をして、肉体的な面から判断したものだ。その時の事は、自分でも納得している。

 

 だけど、今だけは。

 

「クラシックディスタンス……走れればいいのに」

 

 誇りを持っていた自分の足が、今だけは憎たらしく思ってしまう。

 

「――何かお悩みのようですね、カレンチャンさん!!」

 

 突然大きな声をかけられる。

 

「きゃっ?! ……って、バクシンオー先輩」

 

 手を差し伸べながら立っていたのは、カレンチャンの先輩で『最強のスプリンター』と今でも言われるサクラバクシンオーだった。いつも通り笑顔にあふれているが、その中に心配そうな様子を覗かせている。

 

「お隣失礼します! ……それで、何か悩んでいる様子でしたが?」

 

「あはは……やっぱり、先輩にもそう見えちゃいましたか……」

 

 悩み……かはよく分からないが、顔に出ていたようで、誤魔化すように笑いを付け足しながら答えるカレンチャン。

 

「もし良ければ、その悩みを私に教えてくれませんか? もしかしたら、誰かにその悩みを言うだけでも、気持ちが軽くなるかもしれませんよ?」

 

「……先輩」

 

 いつもの底抜けた明るさとは違う、先輩として後輩のために尽くそうとする姿がそこにはあった。

 

「私は学級委員長……ではもうないんですけどね。でも、その頃と同じ気持ちでいますよ。どんな人のためにも頑張る、学級委員長の頃の気持ちで。だから……教えてくれませんか?」

 

 普段なら、カレンチャンは悩みなどをマヤノトップガンたちに話す。だが今は、バクシンオーの様な年上の人の優しさに縋っても良いような気がした。

 

 分かってもらえなくてもいい。ただ、聞いてくれるだけでも。

 

「……愚痴みたいになっちゃうんですが、先輩は大丈夫ですか?」

 

「はい、お気になさらず」

 

 その優しい声に、いくらか気持ちが軽くなったような気がした。なんで気付いていなかったのだろう、自分のすぐ側に頼れる人がいたという事に。

 

「実は私……昔からお世話になっている、気になる人がいるんです。その人はトレーナーなんだけど、今はクラシックディスタンスを走る娘につきっきりで、なかなか声をかけられないんです」

 

「……」

 

 真面目な顔をしているバクシンオーの顔を見ながら、カレンチャンは思っていた。

 

(……気付いているのかな、バクシンオー先輩)

 

 多少遠回しな言い方はしているが、昔からお世話になっている人もクラシックディスタンスを走る娘も、カレンチャンの人間関係を知っていれば、すぐに分かってしまう事だ。

 

 ましてや、バクシンオーはカレンチャンと同じ、スプリントを主戦場にしているウマ娘である。そこまで言ってしまえば、きっと分かっている。

 

「私の母は、ダートとはいっても2,100メートルでレコードを記録しているんです。それなのに私は、……スプリントしか走れない。自分の脚が嫌いじゃないのに、その二人を見ているとスプリントしか走れない事が嫌になってしまって」

 

「……」

 

「……なんて、本当にただの愚痴になっちゃいましたね。すいません、先輩。でもおかげ

で、いくらか気持ちが楽になりました。ありがとうございます」

 

 そう言って、立ち上がってベンチから離れようとした。

 

 だが。

 

「――分かりますよ、その気持ち」

 

 その一言が、離れようとする足を止めた。

 

「……え?」

 

「私も分かるんです、カレンチャンさんの『クラシックディスタンスを走りたい』という気持ち」

 

「どうして……なんですか?」

 

 カレンチャンの頭の中にあるバクシンオーのイメージと言えば、上手く丸め込まれてスプリントを走っているものだった。それなのに、どうして……?

 

「カレンチャンさんへお返し、なんておかしな言い方ですが、私の話も聞いてくれますか?」

 

「……はい」

 

 カレンチャンがバクシンオーの横に座り直すと、バクシンオーは懐かしむような笑みを浮かべながら、口を開く。

 

「先程私がカレンチャンさんの気持ちを分かる、と言ったのは、実は私とカレンチャンさんには似ているところがあるからなんです」

 

「似ているところ、ですか?」

 

(もしかして、バクシンオー先輩にもお兄ちゃんみたいな人が……。って、そんな人の話は聞いたことないか)

 

 バクシンオーは自らの脚を撫でながら。

 

「実は、私の母は一番の得意距離が2,000メートル前後だったんです」

 

「……えっ?!」

 

 どこから見てもスプリンターの走りの先輩が――?

 

 驚きのあまり、カレンチャンはバクシンオーの顔を凝視してしまう。特段気にした様子ではなく、頬をかきながらバクシンオーは続ける。

 

「意外でしょう? この事を告白すると、驚く人が多いんですよ」

 

「……」

 

「私も本当はクラシック三冠、そして有馬記念や天皇賞に走りたくて、そして走れるもの

だと思っていました。だって、かつての母の姿を知っているから。ですがトレーナーさんは、スプリングステークスに出走して以降は、私をスプリントにばかり出走させていました」

 

 確かに、バクシンオーはマイル戦すらほとんど出走していない。カレンチャンが把握してる限りだと、スプリングステークス以外では毎日王冠と春秋マイルくらいだろう。

 

「最初のうちは、トレーナーさんに言われるがままにスプリントを走っていましたが、ある時どうしても気になっちゃったんですよ。『何で私は、ずっとスプリントばかり走っているんだろう?』……って」

 

「……そう、なんですか。それで、気になってからどうしたんですか?」

 

 アイデンティティクライシス――ではないのかもしれないが、バクシンオーにとっては目指す理想の姿とは全く違う姿になっていたのだ。どうやってその気持ちを立て直したのか、気になって尋ねるカレンチャン。

 

「少し迷ってから、トレーナーさんに聞いてみたんです。『どうして私は、スプリントを走っているのか』と。そしてもう一つ、付け加えたんです」

 

「?」

 

「『嫌いになったりしないから、本当の事を教えて欲しい』――だったと思います」

 

「……」

 

 嫌いになったりしないから――そう言えば、答えてくれるのだろうか。カレンチャンの脳内に、よく知る人達の顔が浮かぶ。

 

「トレーナーさんは、……本当に泣きそうで申し訳なさそうな声で、教えてくれたんです。『君の筋肉は明らかにスプリンターだけど、クラシックディスタンスに憧れる気持ちもとてもよく分かる。だから――』」

 

「……」

 

「『――だから、君を騙してしまっていたんだ。本当に申し訳ない』って」

 

「先輩……」

 

 自分だけじゃなかった。長い距離が走れない自分に、悩んでいたのは。

 

「……私やカレンチャンさんの様に、親が長い距離を走っていた場合、自分もそうなれるって思うのは自然な事なんです。でも、忘れないでください」

 

 バクシンオーの顔は、どこか晴れやかな笑顔だった。その笑顔に、カレンチャンは見惚れていた。

 

「カレンチャンさんが気になる人の担当の娘が、クラシックディスタンスで見せる輝きがあるように――あなたにも、スプリントでしか見せられない輝きがあるという事を」

 

「――!」

 

 ハッとさせられた。

 

 自分には出来ないものばかりを見ていて、自分にだけ出来る事を数えていなかった。ただそれだけだというのに、ストンとその言葉が心に入ってくる。

 

「きっと貴女の気になる人も、貴女の走りを『好き』って言ってくれますよ」

 

「はい……! って、あれ?」

 

 今の言葉に、ふと気になる事があった。

 

「どうしましたか、カレンチャンさん?」

 

「今先輩、気になる人『も』って言いませんでしたか?」

 

「言いましたね」

 

 恥ずかしがることもなく、あっさりとその事を認める。

 

「えっと、先輩。それって……」

 

「……」

 

「…………」

 

「~~~~っ?! い、今のは聞かなかったことにしてください~!」

 

 顔を真っ赤にしたバクシンオーは、ベンチから立ち上がるとあっという間にどこかに行ってしまった。

 

「……バクシンオー先輩にも、そんな所があるんだ」

 

 自分が届くことは出来ない人だと思っていたけど、同じところがあったと思えるだけで、なぜか心が軽くなる。『も』という言葉に自分が反応したということは、つまりはそういう事なのだ。

 

「私と、同じ……」

 

 呟いた言葉は、誰かに届くことを望むかのように、風に乗って消えていった。




あかん、このままじゃストックが終わってしまう
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