恋するカレンチャン   作:高崎ヒビキ

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何となく、鉛筆だけで絵を描いた。

褒めてもらえたから、その時は満足していた。

でも今見ると、どうしても物足りなく思ってしまう

どうしてあの時私は、モノクロを選んだのだろう。


第13話 君は天然色 Part2

 朝、校門から敷地に入り、上履きに履き替え登校する――普段通り、そう言い聞かせているのだが。

 

 

「水無月くん、先生の話聞いているのかな?」

 

 

「結城〜? 今日なんか、ボーッとしてないか?」

 

 

「大丈夫、結城くん? ちゃんと前見て歩かないと危ないよ?」

 

 

 水無月が思っているよりも、彼の行動は既におかしくなっていた。

 

 不思議なものである。と言っても、『普通でいよう』と意識しすぎているのと、していないのでは案外違う事は誰にでも分かるものだ。

 

「ふぅ~……」

 

 誰もいない男子トイレの中で深呼吸をする。水無月の通う小学校は6時間目の後に清掃がある。つまり、清掃の後は下校となるのだが、下校時刻と生徒が学校を出なくてはいけない時間は同じではないため、すぐには帰らない人も多くいる。

 

 だから、清掃終了後に誰かと校内に残っても、不自然に見える事は無いという事だ。

 

「清掃が終わったら、すぐに教室に行って、それで……」

 

 続きを確認しようと呟いていたら、他の男子がトイレに入ってきた。仕方なく水無月は口を噤み、トイレの外に出る。

 

 水無月の清掃場所は、残念ながら教室からは遠い職員室だ。頑張って自分の担当する場所の清掃を素早く終わらせないと、声をかけたい人物は帰ってしまうかもしれない。

 

「……頑張るか」

 

 聞かれても良いような言葉をつぶやき、教室に戻る。

 

 緊張しすぎているのか、それとものぼせているのか――無理に誘おうとしなくても、机なり下駄箱なりに手紙を入れておけばいいという事に、彼は気付いていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 本来は校舎の中を走ってはいけないのだが、今回は事情が事情(身勝手なのだが)なので、先生の目を盗んで走る水無月。階段はいつもと違って、一段飛ばしていく。

 

 そんな事をすれば脚は疲れてしまうはずなのに、何故か疲れを感じていなかった。

 

(多分まだセーフ!)

 

 ガラッと勢いよく教室のドアを開けると、声をかけたい人物が運良く残っていた。

 

「あれ、どうしたの水無月くん? ずいぶん息が荒いけど……」

 

「あ、そ、大した事ないよ……」

 

 そう言う桐生院さんは何をしていたの、とか聞き返すことも出来ず、しどろもどろな返事をする。当たり前の様に振舞えないような、不思議な気持ちが水無月の心中に溢れる。

 

 桐生院の机の上には、彼女の物と思わしき赤いランドセルがある。

 

「ねえ、桐生院さん、」

 

「?」

 

「ちょっと……一緒に屋上に行かない?」

 

 大胆な誘いだな、と思いながら。

 

 そうでも思っていないと、頬がやたらと熱くなっている事に気づいて、恥ずかしくなってしまいそうだから。

 

「別にいいけど……どうして?」

 

「それはその……えっと、着いたら話すよ」

 

 言ってしまったら、意味がなくなってしまうから。

 

「……?」

 

 水無月が教室を出ると、首を傾げながらもランドセルを肩に桐生院は後ろをついてくる。

 

(……来てくれるんだ)

 

 最悪ついて来てくれない可能性もあったので、そこにはホッとする。

 

 無言の二人は、廊下を進み階段を上がり、不用心にも鍵がかかっていない屋上へ繋がるドアにたどり着く。

 

 錆びているのに誰も油を差していないせいか、蝶番から軋んだ音が立つ。

 

 開けた扉から吹き抜ける風は、水無月の心にわずかに残る迷いを、どこかへ吹き飛ばしていく。不思議とその風に、優しさを感じていた。

 

「ねぇ……何にもないなら、私帰りたいんだけど……?」

 

 別に屋上には誰もおらず、誰かの為に水無月が呼んだようには受け取れない。桐生院がそう思うのも、無理はないのかもしれない。

 

「桐生院さん……言いたいことがあるんだけど、その――いいかな?」

 

 当然と言えば当然なのだが、こういうのは初めてで上手い言い方が分からない。そのせいで、何とも言えない尋ね方になってしまった。

 

「いいけど……どうしたの、もしかして風邪ひいてる?」

 

「ひ、ひいてないって……」

 

 あぁ、声が震える。手が震える。

 

 彼のここまでの短い人生の中で、こんなに緊張してしまったのは初めての事だった。例えそうだとしても、もう退くことは出来ない。

 

 振り向いて、しっかりと桐生院の顔に目線を合わせる。

 

 そして口を開いた。

 

「僕……桐生院さんの事が、そ、そのっ――好きなんだ。だから、付き合って欲しいんだけど……ダメかな?」

 

 覚悟していた割には、『付き合ってください』とは強く言えなかった。でもこれが、水無月に出来る今の精一杯。

 

 桐生院は僅かに呆けた様子を見せたが、すぐに口を開いた。

 

 

 

 

「ごめんなさい水無月くん。私、……恋とか好きとかよく分からないの」

 

 

 

「え……」

 

 水無月が覚悟していたのは、『嫌い』や『他に好きな人がいる』と言った、まっとう(?)な断られ方だった。むしろそんな言葉だったら、素直に諦められたのだろう。

 

 だが、想像も出来なかった返答に、気の抜けてしまったような小さな声が零れる。

 

 桐生院の顔に、ふざけた様子も無ければ怒った様子もない。本人は、いたって真面目に言っているのだと分かる。

 

 分かる。分かるけど……。

 

「だからね、そういう事言ってもらってもどうすればいいのか、全然分からないの」

 

「……そう、なんだ」

 

「うん。だからごめんなさい」

 

 水無月の絞り出すような言葉に、桐生院も声を返す。

 

 その声に申し訳なさこそ含まれど、向く先は断った事ではないように感じられた。言葉の意味が理解できなかった、と言う方に向けられていたような――

 

「他に無ければ……もういい? 今日はピアノ教室があるから、そろそろ行かなきゃいけないの」

 

「その……うん、もう何も無いよ」

 

「ごめんね。それじゃあ、また明日」

 

 特に後ろ髪を引かれる様子もなく、さっさと階段の方に向かう桐生院。

 

 夕暮れに向かい徐々に赤みを増しつつある空に、九月末らしい夏を忘れられないような熱い風が吹く。

 

 桐生院の背中が屋上に繋がる扉の奥に消えた時、水無月は力無く膝をつき、ぺたんと座り込んだ。その背中が、小さく震えた。

 

 しみを作ろうとする滴を、風がどこかへと吹き飛ばす。

 

 滴は僅かに空で輝くと、儚く消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんね結城~、帰ってくるの遅くなっちゃって」

 

 午後六時……の直前。

 

 専業主婦の彩結の帰りが遅くなったのは、ケーキの為にあちこちを巡ってしまったからだった。……途中から、自分が食べたいケーキ巡りになっていたような気もしなくはないのだが。

 

「……あれ、結城? どうしたの~?」

 

 いつもなら『おかえり』とでも『何かあった?』とでも、まあ何かしら返事が返ってくるはずだ。しかし今日に限っては、返事は無く沈黙が出迎えている。

 

「トイレ……かしら?」

 

 さしもの水無月と言えど、トイレにいる時は返事をしない事がある。そういう事かなと思い、靴を脱いで玄関から上がる。

 

「あれ~……?」

 

 しかしトイレは開いていて、誰かがいる様子ではない。居間を覗き込んでも、勉強をしている姿もない。

 

 少なくとも玄関に近い部屋からは、人がいるような気配を感じられない。

 

(家出……はまさかしないわよね)

 

 と言っても、朝感じた何かを企んでいる様子が家出とも限らず、胸騒ぎがし始める。

 

 焦る気持ちを押さえて、まずは自分の部屋のドアを開ける。……誰もいない。次は夫の部屋、……もいない。

 

 となれば――廊下の奥。東側にあるのが水無月の部屋だ。ここまで見つからないとなると、家出したか誘拐された以外ならば、水無月自身の部屋に籠っているくらいしか考えられない。

 

「結城~……開けるわよ」

 

 声をかけてもやはり返事は無く、しょうがないのでドアを開ける。

 

 部屋を覗き込むと、机にはいない。どうやら、勉強に集中して黙っていた、という訳ではないらしい。

 

「……」

 

 まさかと思いベッドの方を見ると、水無月が膝を抱えて蹲っていた。らしくもなく、背中を震わせている。

 

「――結城」

 

 声をかけても、顔を上げようとはしない。だが小さく反応したので、声を聞く気もないという訳ではないらしい。ここまで凹んでいるのは何時ぶりかしら、と考えながら部屋に入った。

 

 ベッドに腰を掛ける。彩結の背中に、もたれかかったのか水無月の頭が当たる。理由は、何となく分かった。分かったとしても、あえて言わないのが優しさならば。

 

「生きているとね、悲しい事、辛い事…………色んな事があるの。けどね、そのどれもがいつかは笑って言えるような、そんな出来事になる」

 

 優しく声をかける。

 

「……」

 

「笑えるようになるまでは、別に無理に受け取れなくてもいいのよ。その辛さが受け入れられるようになるまでは、少しくらい目を背けたって良い」

 

「……」

 

 聞いていてもいなくても、これだけは言っておきたかった。

 

「だけど、目を背けてばかりじゃいけないの。心の片隅でもいいから、時には思い切って見つめてあげる必要がある」

 

「…………」

 

「でも、今日くらいは……逃げてもいいと思うわよ。男の子だからって、いつでも強くなきゃいけないなんて、私は言わないから」

 

 その言葉が、我慢の堰を壊したのだろうか。

 

 小さくすすり泣く声が、少しずつ大きくなっていく。顔が背中に押し付けられるような感覚がしても、背中が熱い滴で濡れ始めても、彩結はそれを止めようとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 変わりなく過ぎる日々は、明日も待っている。

 

 けど、本当に変わりなく日々が過ぎ続けるのだろうか。

 

 誰も答えなど持ち合わせぬまま、次の日は止める間もなくやって来る。

 

 誰かが望もうと、望まなかろうと、残酷なほどまでに時は流れているのだ。

 

 その一言が、一瞬先の未来にどれほど影響を与えてしまうのかも、分からないままに。

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