恋するカレンチャン   作:高崎ヒビキ

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それは、知らない方が幸せかもしれない。

だけど、それを人は求める。

傷つくことがあると、分かっていても。

傷ついた果てに得られるそれが、素晴らしいものだと信じているから。


第3話 さよならと言わないで Part2

 ――高松宮記念当日。

 

 中京競馬場は、普段とはレベルの違う熱気に包まれていた。

 

 それもそのはずだ。中京競馬場では、年に二回しかGI競走が行われない。そのうちの一つにして、春のGI競走の幕開けであるこの一戦。当然、ファンもこぞって集まるのである。

 

 里宮さんと一緒に観戦することになった俺は、早めに現地入りした。取る席は、もちろんゴール板の近くであるE-1席だ。

 

「天候は晴れ、バ場状態は良……か」

 

 ターフビジョンとアナウンスで発表される天候などを確認する。

 

 カレンチャンの過去の勝利の多くは、大体良バ場の時だ。前走オーシャンステークスのバ場は重バ場であり、俺はカレンチャンの敗因がそこにあるとみている。

 

 過去には、太陽が出ていて、かつ良バ場の時だけ圧倒的な強さで勝つウマ娘がいた。その戦績故に、“太陽の女王”なんて名誉なのか不名誉なのか分からない異名を持っていた。引退後のインタビューで、そのウマ娘は『その二つが揃っていないと、どうしてか勝つことが出来なかった』と首を捻っていた。

 

 話が逸れたが、つまり何を言いたいのかというと、ウマ娘ごとに相性のいい状態がある、という事である。

 

 高松宮記念の前に行われる条件戦が終わろうとする頃、里宮さんが来た。恐らく、地下バ道でカレンチャンと打ち合わせをしてきたのだろう。既に俺の周りはファンで溢れかえり、里宮さんもここに来るのに一苦労したようだ。

 

「こんにちは」

 

「こんにちは! ……あれ、アドマイヤベガさんはいないんですね」

 

 やけに笑顔だったが、不思議そうな顔に変わった。

 

「まあ、今日高松宮記念を見に来た理由は、半分は里宮さんが誘ってくれたからですが、もう半分は個人的に見に行きたかった……という事なんですよ。個人的な行動に、アヤべさんを巻き込む理由は無いので」

 

 そうは言っても、一応アヤべさんは誘ってはみたのだ。だが。

 

『別に、トレーナーが個人的に行きたいんでしょう? だったら、無理に私を連れて行く必要はないわ』

 

 と断られてしまったのである。……別に、人が一人増えたところで、大して困る事など無いのだが。

 

「もしかして、いた方が良かったんですか?」

 

 カレンチャンもいつも絡んでいるから――そういう意味で、聞いてみた。

 

「ああ、いえ、そういう訳じゃなくて……。いつも一緒にいる気がしたんで、なんか意外だなぁ……と思って」

 

「……まあ、そうかもしれないですけど」

 

 確かに、菊花賞でアヤべさんが軽い怪我をしてから、若干神経質というかになったような気はしている。もう一度怪我をして、苦しむところを見たくはないから。あんな苦痛、一度きりで十分だ。

 

「あっ……。そろそろゲート入りですよ」

 

「みたいですね」

 

 里宮さんに言われて、内馬場越しにあるゲートの方へ目を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歓声がスタンドの方から聞こえる。

 

 お姉ちゃんが『私はゴールの近くにいるからね』と言っていたので、ゲートに入る前に目を凝らして見てみる。確かにお姉ちゃんもいるけど……、もう一人、誰か横にいる。アヤべさんじゃなければ……お兄ちゃんだ。

 

 見に来てくれてるんだから、絶対に勝たなきゃ。そう思い、ゲートの方を向く。

 

 正面、横、背中――四方八方から送られるのは、今にでも王を玉座から引きずり下ろそうとする、革命者の目線だ。

 

 ――ゾクゾクする。

 

 去年のスプリンターズステークスは、一昨年のスプリンターズSの覇者も去年の高松宮記念の覇者もいなかったので、自分たちが覇者にならんとする、全員がライバル――という目線だった。

 

 だけど、今回は違う。玉座に座っているのはカレンだ。

 

 相手が革命者だというのなら――カレンは王として、全てを蹂躙しよう。強さも誇りも全てを踏み躙って、玉座を守って見せよう。それが王たるカレンの、責務なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあ、スプリントGI秋春制覇を狙うスプリンターズS覇者のカレンチャン、既にゲートに収まっています』

 

『一番人気のロードカナロアがゲートに収まりました。ペースを握ると思われるエーシンダックマン入りました。そして、最後に……18番トウカイミステリーが収まって……これで18人ゲートイン完了です』

 

『さあ春の寒風を吹きとばせ! 春のスプリント王決定戦高松宮記念……今スタートです!』

 

『まず誰が行きますか。一番内からロードカナロアが綺麗にスタートを切りました。ハナを切る勢いです。さあそして……中からエーシンダックマンと、そして、おや――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『カレンチャンだ。カレンチャンが二番手で追走!』

 

(二番手につける――!)

 

 

 ――――?!

 

 

 後ろから、他の娘の息を飲む音が聞こえた気がする。上手く出た足に任せ、隣の枠のエーシンダックマンのすぐ後ろにつけ、受ける風の抵抗を減らす。

 

 高松宮記念は6ハロン1,200mとアヤべさんが走る距離に比べ、遥かに短い。一瞬の迷いや戸惑いが、刹那の思考が踏み出すその一歩を遅らせる。時には、序盤の位置で全てが決まる事もある。

 

 去年のスプリンターズSで7~8番手でレースを進めたのは、はっきり言って誤算だった。あの時は末脚で差し切ったけど、やっぱりこの位置が一番やりやすい。周りの娘達がカレンをマークするつもりだったのか、僅かに控えたのも都合がいい。

 

 一バ身ほど離れて、二番手で追走する。後ろがロードカナロアで、さらに残りは固まっている。バ場は良とはいえ、パワーがいる状態だ。良バ場にしては少しペースが遅い。

 

 第3コーナーに入っても、二番手を維持する。ダックマンから離れすぎず、しかし後続には追いつかれない程度の速さで。悪くはない、お姉ちゃんと練習した通りだ。焦らないで、この位置で走る。

 

 そして、第4コーナーを抜ける。ここからは、皆が一気にスパートをかける。

 

 

 

 

 

 

 ドラマやアニメで、物がゆっくり動くシーンが挿入される事がある。

 

 そう見えるのは、アドレナリンというホルモンのせいである。興奮している時に分泌されるアドレナリンは、身体能力や集中力を、一時的に大幅に上昇させるのだ。

 

 アドレナリンの効果は、もちろん感覚器官にも働く。その場を切り抜けるために、情報を限界まで集めるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スパートをかける、まさにその瞬間。

 

(……視界が、スローに)

 

 アドレナリンのせいで、景色がゆっくりと流れる。後ろからカレンを抜かそうとする足音が、耳朶を打つ。そして――

 

「――見えたッ!」

 

 ダックマンの横、カレンが駆け抜けるべき道が。

 

 スパートをかけると、再び景色が早く過ぎる。

 

「あっ……!」

 

 彼女の驚愕の声が横から聞こえるが、構わず突き進む。例えタフな展開であったとしても、お姉ちゃんと練習のおかげで、一気に進める。

 

 ゴール板まで、あと1ハロン。

 

 聞こえる、横から、後ろから。お前を踏みつぶして超えてやる――そう思わせる足音が、カレンを取り囲もうとする。

 

 だけど、ここで負ける訳にはいかない!

 

「ハァァァ――――っ!!!!!!」

 

 叫びながら、ゴール板を駆け抜ける。

 

 視界の端、サンカルロをクビ差抑えた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィナーズサークルに行くと、そこにはお姉ちゃんだけじゃなくて、お兄ちゃんもいた。当たり前だけど、お兄ちゃんはお姉ちゃんの後ろにいる。並んでても……いいのに。

 

 言う事は、決めていた。

 

「お兄さん、お姉ちゃん……私が1着だよ! 今日もカレンが、一番カワイイ!」

 

 お兄さん、という単語に戸惑う顔が見えたが、気にしない。二人が意味を分かっていれば、それで十分なのだから。

 

 息を整えて、ゆっくりと歩く。後ろにいるお兄ちゃんに向かって。

 

 意味が分かっていない様子のお兄ちゃんの手を取り、カレンは声を出す。

 

「お兄ちゃん、カレン、キラキラしているでしょ? 約束……叶えたよ!」

 

 あの時と同じ言葉で、忘れられなかったあの言葉で。

 

 視界が滲んでしまったのは、きっと目にゴミが入ったせいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 アドマイヤベガは立ち上がって、食堂の大型のテレビから離れる。テレビでは、今も高松宮記念の中継映像が流れている。カレンチャンのファンは、カレンチャンが勝ったことに大盛り上がりだ。

 

 そんな彼女たちとは対照的に、アドマイヤベガの心は落ち着いていた。否――冷えきってしまっていた。追いつかれそうだったが一着でゴール板を駆け抜けたのを見た時、確かに喜んだ。同室の彼女が勝ったのだから。

 

 だが、カレンチャンが水無月の手を取り何かを涙目の笑顔で伝えた時、その言葉を聞いてカレンチャンと抱き合った水無月を見た時、音が消えたような気がした。

 

 日曜日なので、当然廊下に出たところで、ほとんど生徒の姿は見当たらない。いるとしても、テレビでレースを見ているはずだ。

 

(何でイライラしてるのよ、私は……)

 

 理由は分からない。だが心は落ち着かない。胸のざわつきが、何故かとても痛い。

 

「……走ろうかしら」

 

 大阪杯は来週の日曜日。走っておくのは悪くない。走ればきっと、この胸のざわつきも消せるだろう。

 

 そう思い、アドマイヤベガは栗東寮に向かう。フジキセキのいる受付を顔パスで通過し、階段を登って二階に上がる。廊下を小走りで移動する。

 

 ジャージを取るために、寮室のドアノブに手をかけ――手が止まる。

 

「……約束、したじゃない」

 

 トレーニングを再開した日のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今日からトレーニングを再開する訳だが、一つ約束して欲しいことがある』

 

『……何かしら?』

 

『土日の自主練習は、基本的に禁止だ』

 

『……』

 

『そりゃ、アヤべさんは嫌だろうけど……。アヤべさん、自主練習始めたらボロボロになるまで、みっちりやっちゃうでしょ? それが今回の怪我の原因な気がするんだ』

 

『……まあ、そうかもしれないわね』

 

『でしょ? 怪我でもう一度苦しんで欲しくないから、土日の自主練習は禁止だ。もしやりたかったら、俺がいる時か、せめて俺に連絡をしてくれ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だったら、連絡すればいい――スマホをポケットから出して、水無月にかけようとする。

 

 ふと、アドマイヤベガの頭に、よぎる光景があった。それは、カレンチャンとカレンチャンを抱き締める水無月の姿。

 

 二人の関係なら、彼女は水無月から聞いている。幼馴染で、トレーナーになると約束したけど、それを果たせなかった――寂しさの滲む顔でそう言っていたことを、よく覚えている。

 

 今電話をかけたところで、水無月はきっと電話に出ないだろう。そう思い、アドマイヤベガはポケットにスマホを戻した。

 

 窓に手を当てながら、呟いた。震えそうな声を、どうにか抑えながら。

 

「じゃあ、どうすればいいのよ……? 私のこの気持ちは……」

 

 桜が舞うのが窓から見える。

 

 寮舎のすぐ側の花壇に植えられた、アネモネとエリカが春風に揺られる。

 

 誰もいない廊下から、答えが返ってくることは無い。

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