恋するカレンチャン   作:高崎ヒビキ

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臆病な私では、今ある日々を変えることは出来ない。

臆病な私は、今ある日々が変わるのが怖いのだ。

だから、せめて、今ある日々が輝いていますように。

眩しすぎて忘れたくなるほど、輝いていますように。


第4話 君のせい Part1

 ――自分の気持ちに正直になれ、とはずいぶん陳腐な言葉な様な気がする。

 

 その分だけ、誰にでも言いやすいものだろう。言いやすくなければ、それを目標にすることは出来ない。

 

 だとしたら、今の私の気持ちを正直に言う事は、簡単であってもいいはずだ。

 

 もしそうであれば、どれほど気持ちが楽であっただろうか。

 

 あの日抱いた、あの気持ちは、あの感情は。

 

 今はまだ、正直に言えるものではない。

 

 いえ、どう言えば正直なのかも、分からないでいるだけ。

 

 でも、正直に言えるようになるのは、もっと先でもいい――そう心が、どこかで気付いている。

 

 そうだというのなら、今はまだ、その気持ちに噓をついていよう。分かる時まで、嘘をついていよう。

 

 苦しいのは、苦しくなるのは私だけ。トレーナーは苦しくならないから――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高松宮記念の翌日。3月26日月曜日。

 

「よし、今はあと二周だ」

 

「……分かったわ」

 

 俺が声をかけると、アヤベさんは一言だけ返事をして、トラックを走るのを再開する。

 

 なんとなく、あの日――おそらく土曜日なのだろう――以来、少し雰囲気がとげとげしているような気がする。身に覚えがなく、このままではまずいと思い聞いてみたのだが、『別に……』と一言。

 

 なんだか、担当になったばかりの頃に戻ってしまった気がして、少し寂しさを覚える。走るその背中は、いつもと変わらないというのに。

 

 トラックの端で、ボーっと走る様子を見ていた。その時だった。

 

「よっ、水無月」

 

「……なんだ、鏑矢か」

 

 テイエムオペラオーの担当トレーナー、鏑矢が声をかけてきた。本人のまじめな性格を反映するかのように、上下ともスーツを着ている。

 

「ずいぶん郷愁漂う背中をしていたからね、声をかけたんだけど……」

 

「そう見えるか……」

 

 どうやら、悪い意味で背中で語ってしまってたようだ。

 

「にしたって、アドマイヤベガさん、いつになくやる気みたいじゃないか」

 

「そうかね」

 

 ……やる気、か。

 

 まあ、そう見えなくもないのだろう。だが俺には、あの走りは、何かを誤魔化すためのものに見える。本当は、その誤魔化しているものが何かを、聞くことができればよかったのだが。

 

「お前んところは、もう勝ってるから気楽でいいよな……」

 

「そんな訳ないよ。覇王たるためには、まずは春の盾を取らなきゃいけないんだし……」

 

 覇王ことテイエムオペラオーは、今年に入って京都記念と阪神大賞典を連勝している。『世紀末覇王たる者、もちろん春の盾を、この手に収めて見せようっ!』と力強くオペラオーが宣言したので、鏑矢には思っていた以上に負担がかかっているようだ。

 

 それを言えば、俺だって負担はあるのだが。

 

「これでアドマイヤベガさんが勝てなかったら、大変な事になるねぇ」

 

「シャレにならん事言わないでくれ……」

 

 ぶっちゃけ、俺がアヤべさんの大阪杯出走を発表した時点で、『お前は自分の功績のために無理をさせるのか』などといった、誹謗中傷が来ている。それを言いたいのなら、中山記念出走の時点で言えばいいのだから、彼等の言葉など自己満足の正義感でしかない。

 

 とはいえ、復活を期して出走したGI競走で大敗し、そのまま引退したウマ娘がいない訳ではない。そのウマ娘はメディア達に可愛がられ、トレーナーはそのメディア達に叩かれまくったらしい。

 

 文句をつける人々の大半は、誰がそれを決めたのかを考えなどしない。ただ、目の前にある事実から、身勝手な――それは自分にとって都合のいい――憶測を立てる。そうして出来たありもしない事実が、独り歩きして人を傷つけるのだ。

 

 そして彼等は、解き放ったその責任を、自覚していない。いや、自覚しようとはしないし、なんなら人になすり付ける。今度はそれが、自分にとって不都合な真実だから。

 

 俺の考えを知ってか知らずか、鏑矢が口を開く。

 

「まあ、阪神競馬場は相性は悪くないからね。アドマイヤベガさんが選んだとしても、不自然ではないけど」

 

「そう言ってくれるだけ、ホントありがたいよ」

 

 そう漏らした俺に対し。

 

「そんなに嫌なら、本気でアドマイヤベガさんを信用すればいいじゃないか」

 

「俺がそこまで言ったら、かえってアヤべさんが緊張しちまうだろうが。これくらいでいいんだよ」

 

「ふぅん……? そうは言うけどね、水無月の今の態度と行動こそ、アドマイヤベガさんを困らせているんじゃないかな?」

 

「何……?」

 

 呆れた様な、しかしどこか諭すように。

 

「考えたことは無いのかな? 『まあそこそこでいいよ』なんて言われたり――まあ、顔がそう言ってたりすると、『自分はもうその程度なんだ』って普通は思うものさ」

 

「…………」

 

「それに、これで勝てなかったら……なんて君があまりにも気にしていると、『絶対に勝たなきゃいけない』ってプレッシャーになると思うけどね。中途半端にそんな感じより、いっそ『勝って来い』の方が、頑張れるものじゃないかな」

 

「そりゃ、分からない訳ではないが……」

 

『勝って来い』と言った方がいい、というのは分かる。だが今回は、正直不安要素があるから強く言えない。

 

 アヤべさんの前走中山記念は、焦った娘のお陰でハイペースとなり、結果最後尾から差し切って勝利した。しかし、追い込みが決まりやすいとされるハイペースだったにも関わらず、着差はクビ差だった。

 

 そういうのもあり、メディアでは脚部不安が治りきってないのではないか。そんな中出走させるトレーナーは、自己顕示欲にまみれた悪い人間だ――みたいなことを言っている。

 

 大昔でもあるまいし、出走するかしないかは本人が決めるので、俺が無理やり走らせようとしている訳ではないのだが。

 

「まあこの話は、君の心がけ次第だと思うから、これ以上は言わないけど」

 

「……」

 

「それより、アドマイヤベガさんが走り終わりそうじゃないか。担当トレーナーは君なんだから、ちゃんと見てなきゃいけないでしょ」

 

「……話しかけてきたのはお前だろ?」

 

 ネチネチ文句を言っていても仕方が無いので、走り終わりゴール板の近くにいるアヤべさんの所に行く。

 

「次は何をするの?」

 

「五分くらい休憩したら、次は坂路で走るか。ラストのあがり勝負に備える必要があるし、それで良いかな?」

 

「……分かったわ」

 

 そう言うと、一人でスタスタと水筒などを置いてある方へ行ってしまう。……やっぱり、何か様子がおかしいんだよなぁ。

 

「随分嫌われているようだね」

 

「そう見える?」

 

「むしろ、それ以外にどう見えると思ってるのさ」

 

「……反抗期?」

 

 そうは言っても、俺はアヤべさんの親ではない。冗談交じりのつもりで言ったのだが。

 

「それも……あるのかなぁ」

 

「は?」

 

「いや、だから反抗期ってのも、あながち間違ってないような気がするって事」

 

「……」

 

 意味も理由も分からないよ。

 

 それにしても――と鏑矢が話題を変える。

 

「昨日のアレ、もっとネタにされると思ってたんだけどねぇ」

 

「あ? ……あ、それの事? 前にも言ったろ、取材ならもうされてたって」

 

 俺とカレンチャンが一緒にいる事は、結構前から知られていた事だ。

 

 まったく、メディアはお暇なヤツばかりなのか、その事をカレンチャンとカレンチャンの両親に取材したのである。その結果、カレンチャンは夢を追いかける健気な少女、と見られるようになった。

 

 逆に、俺はヘタレだとか情けない男みたいな、ありがたくない評価を頂いたが。

 

「記事は見たけどねぇ……。言われたい放題だったな」

 

「うるさいやい」

 

 一度見たが、あんなもの、とっとと黒歴史入りである。月光蝶で消し飛ばしてしまいたい。

 

「その記事に書いてあったけど、」

「?」

 

「自信が無くてアドマイヤベガさんを選んだ、って訳じゃないよね?」

 

 ……はぃ?

 

「自信が無い? そんな事書かれてたっけ?」

 

「……無意識に忘れようとしていたね? 書いてあったから」

 

「……言っておくが、自信が無いって訳じゃないぞ。お互い、存在に気がついてなかっただけだからな」

 

 後で二人で確認したので、間違いないはずだ。

 

「ところで、急にこの話に変えてきたけど、今のアヤべさんの態度に関係あるからなのか?」

 

「……さあ?」

 

 鏑矢が肩をすくめる。

 

「何だと?」

 

「気になったから聞いただけで、深い理由は全く無いから。それに、僕が話を聞いただけで分かるようなことなら、君はとっくに原因に気がつけると思うけどね」

 

「…………」

 

 ぐうの音も出ない正論に、反論する事は叶わない。

 

「そろそろ、休憩の五分が経つ頃かな。僕はこれでおさらばするよ」

 

 そう言うと、手を振りながらトレーナー室のある方へ歩き去って行く。その姿を、ただ見送るしか出来なかった。

 

「私をほうっておいて世間話……どういうつもり?」

 

 いつの間にか、アヤべさんが来ていた。……耳を絞ってるんですけど。

 

「いや、声を掛けてきたのは向こう――」

 

「何の話をしていたのよ?」

 

 言い訳がましく口をついた言葉は、アヤべさんの声に遮られた。

 

「……話す必要ある?」

 

「……別にいいじゃない」

 

 むぅ。プライベートな事、とか言ってすっとぼけるべきか。まあ別に、言って困るような事を話していた訳じゃないし、答えてもいいか。

 

「アヤべさんの大阪杯と、カレンチャンの事だけど」

 

「……そう。じゃあ、トレーニング始めようかしら」

 

「あ、ちょっ、待ってくれ……」

 

 俺の答えを聞くと、アヤべさんはさっさと坂路に向かってしまう。俺は荷物を抱え、慌てて追いかけた。




完全にアドマイヤベガ編。まあ、主人公はアヤべさんのトレーナーなんで、仕方がないんです
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