だけど、いざこの手に持つと、まだ似合わなかった。
だから今は、ここに置いておこう。
拾って欲しい人は、まだ気づいていないけれど。
「やぁ、尻軽男」
「ごふっげえっほぐふっ」
突然のストレートな悪口に、思わず咳き込む。
「何だとコノヤロウ……なんだ、鏑矢か。そういう言葉、言うところは弁えろって教わらなかったのか?」
大阪杯から二日後の火曜日、昼頃の食堂。
もちろん、トレーナー以外にもウマ娘――というかウマ娘の方が主な利用者である食堂で、こんな事言う奴も、そうそういないのではないだろうか。口に何も入ってなかったから、良かったようなものである。
「僕は別に、君のネット上での蔑称で呼んだだけだよ」
「悪意しかねえじゃねぇか!」
公衆の面前で、俺が人としてクズみたいな呼び方をされると、正直辛い。ほら、目線がなんか冷たいよ!
俺の文句を涼しい顔で受け流しながら、鏑矢が俺の横に座る。鏑矢が選んだのは、焼き魚定食だった。ついでに言うと、俺はハンバーグ定食である。
「そう言われる理由、心当たりあるでしょ?」
「……いや、全く無いが」
「……冗談で言ってるのかい、それ? 君がアドマイヤベガさんにとった、あの行動のせいだけど……」
え、あれなの?
「じゃあ、お前だって知ってるだろ。言質取られてたんだから、仕方がなかったんだって」
何でも言ってくれ――そう全国に放送されるであろうカメラの前で、うっかり言ってしまったせいで、逃げも隠れも出来なくなってしまった。真面目な話、俺はやりたくはなかったのである。
「むしろ、あの場をどう躱せると?」
「『まあ、それはちょっと後でな……』って言えば良かったんじゃなくて?」
俺の声の真似うまいな。
「……言えれば、それが最適解だったんだろうな」
「どういう意味?」
そうか。鏑矢は、あの場の空気感というか、圧力というかは知らないのか。
「……どいつもこいつも、『ほら、早くやれって』みたいな顔して、圧力かけてきやがったんだ。拒否ろうとしたんだが……空気に負けた」
俺を撮ってたカメラマンや、その他報道関係者の顔に、はっきり書いてあった。
「それでも男なの? 軟弱者だなぁ」
「逆だ逆。『男なんだからそれくらいやれ』って空気だったんだよ……」
世の中、『女なら』は否定されるが、『男なら』は全く否定される気配がない。それこそ、一種の男女不平等だ。ほんと、アレはよくないと思うんだ。
器用に魚の身を解し、鏑矢が骨を取っていく。それを横目に見ながら、ふと気になったことを聞いてみた。
「鏑矢、オペラオーと一緒に食べるとか、そういう事はしないのか?」
「そっくりそのまま、その言葉をお返しするよ……と言いたいけど」
「?」
鏑矢が箸を止めて後ろを向くので、俺も後ろを見てみる。
そこには、オペラオーやアヤべさん、メイショウドトウやナリタトップロードが一緒になって、和気あいあいと昼食を食べていた。
「……なるほど」
「アレには割り込めないよ」
ほのぼのする光景に、心が穏やかになる。
すると。
「こんにちは〜。……と、ついでに割り込みますね」
「「ん?」」
明るい声が前から聞こえ、顔を再び前に向ける。まさに今、里宮さんが目の前に座ろうとしていた。どうでもいいが、俺と同じくハンバーグ定食だ。
「えっと……何故ここに? 女性トレーナーなら、この席にはいませんよ?」
鏑矢が、俺の疑問を俺より早く口にする。
「同期のお二人がいたから、ですけど?」
「「……」」
何を当たり前の事を、と言わんばかりの顔でそう答えられた。ド正論すぎて、反論しようがない。……というか、あれなのだろうか。女性は女性同士で食事をする、という発想自体が前時代的なのだろうか。
「今更なんですけど、慎人さん」
「はい?」
「水無月さんに対してみたいに、私相手でもタメ口でいいんですよ?」
言われてみれば、鏑矢は里宮さんと話す時は、いつも所謂丁寧語というやつで話している。鏑矢の性格的に、タメ口で話しづらいんだろうが、かえって距離を感じてしまうということなんだろう。
……もしかして、そういう関係とか? ん、どんな関係のつもりで今考えた?
そんな俺の、妄想というか邪推というかは、全く気付かれなかった。というか、気付かれたら恥ずかしいから、それでいいのだ。
「……分かったよ」
「……おぉ」
「いや、君は何を感動しているんだい?」
「何となく、だな」
今まで丁寧語だった相手に、タメ口で話そうとするのを見ると、なんか感動するらしい。ソースはたった今の俺。
「で、里宮さんはカレンチャンと一緒に食べたりしないんですか?」
「食べないですよ。ほら、あれを見てください」
「……あれ?」
指さされた方を見ると、アヤべさん達のように、カレンチャンも他の人に囲まれていた。なるほど、まああれじゃ無理だわな。
「まあ、ファン感謝祭が近いからね」
「そうだったな」
ファン感謝祭――という名の、ほぼ文化祭なのだが――が今週末に行われる。それの準備などで、より同じクラスの生徒と話したりするのだろう。
「それで、暇なんですよね〜」
「いや、まあ確かにそうですけど」
里宮さんがボヤく。ファン感謝祭の一週間前は、ファン感謝祭当日にレースに出走する娘を除き、トレーニングはしていけない事になっている。
なんでも、過去にファン感謝祭でいい所を見せようと頑張りすぎた娘が、怪我をして引退せざるを得なくなった事が、あるとかないとか。まあ確かに、紅白リレーがあるから、走っておきたくなるのかもしれないが。
そうなると、当然ながら暇――というか、メインの仕事が無くなるのがトレーナーである。もちろん、仕事が無いなんて事はなく、ファン感謝祭明けのトレーニングのメニューを考えたり、書類仕事を処理したりと、やる事はある。
それを、そつなくこなしてしまえる人からすれば、この一週間は暇な一週間に早変わりしてしまうのである。恐らく、里宮さんもその手の類の人なのだろう。俺は、基本的に毎日同じくらいの量の仕事をするタイプなので、まだ仕事は残っている。
「暇なのは分かりましたよ。……それで、何だって言うんです?」
わざわざ自分が暇だ、と言うのだから、何かしら理由はあるはずだ。
「えっと、それでですね……。そのぉ……」
「?」
急にもじもじし始め、言葉がすぐに出てこなくなる。いや、言いづらい事なら言わなきゃいいだろ、と思ってしまうのはいけないのだろうか。
「……一緒に、呑みに行きませんか?」
「……は?」
聞き間違いでなければ、里宮さんは『呑みに行かないか』と聞いている。はて、何故俺たちなのだろうか。一度だって飲み会に行った事は無い俺を含める必要は、流石にないと思うのだが。
「いつも行く居酒屋があるんですけど、私一人で行くと、『まあ今回は控えとけ』ってお酒飲ませてくれないんですよ」
少し頬をふくらませながら、言葉を続ける里宮さん。
「はぁ……。えっと……他の人には聞いたんですか?」
「聞きましたよ? そしたら――」
『あ、今日? ご、ごめんごめん。今日は急に仕事が出来ちゃって……。ま、また今度ね!』
『え? ……悪い、今日は前から予定があるんだ。また次の機会にしてくれ』
「――ってみんな予定やら仕事やらがある、って言うんですよ!」
「そ、そうっすか……」
まあ確かに、今日に限って予定が入る、という事は有り得なくはないだろうが。
「で、何故俺たちに?」
「それは……水無月さんとまだ一度も呑んだ事が無いのと、お暇そうだったからで……」
「……」
うん、まあ確かに、仕事は順調に消化しているから、暇ではあるけどね? 面と向かってそう言われると、何かなぁ……。
「という訳なので、一緒に呑みに行きませんか?」
妙にニコニコしながら、俺と鏑矢に尋ねてくる。
さて、ここで皆さんに問題です☆
里宮さんが教えてくれた、ここまでの状況をまとめましょう。
1 呑みに行きたいが一人だと酒を呑ませてくれない
2 誘ったところ、皆何故か予定が入っていた
3 俺は初めて(鏑矢は知らん)なので来てくれそうだから声をかけた(意訳)
この三つの事実から導き出される、ある一つの推測は何でしょうか☆
(嫌な予感しかしないんだけど……)
口が裂けてもそんな事は言えず、思わず沈黙を選ぶ。この笑顔、ハイライトが無いとかそうじゃないんだけど、なんかヤバそう。
よし、ここは道連れにしてやる。
「だとよ、鏑矢。一緒に――ってアレ?」
隣にいるはずの鏑矢に声をかけたが、いたはずの席はもぬけの殻だ。慌てて辺りを見回すと、既にトレーを返却している姿を見つけた。まさか、俺が箸を止めて里宮さんと話している間、沈黙を選んでさっさと食べていたのか? ……あいつ、絶対に理由分かってるだろ。
そういう俺も、何となく理由は察している。ぶっちゃけ、とっとと断ってしまいたい。だがここで断ってしまうと、里宮さんのフラストレーションが爆発してしまうのではないだろうか。
「ど、どうしますか……? 一緒に、行ってくれますか?」
それに、……上目遣いは卑怯でしょ。余計に断りづらいじゃないか。
「……分かりました、行きますよ」
「やったぁ!」
その笑顔は綺麗なのだが、マジで嫌な予感しかしないし、それが当たりそうな気がする。普通、女性と二人で呑みに行くというのは、嬉しいイベントなのだろう。だが、今回は間違いなく例外だ。
どうしよう、胃薬とか買っておくべきなのか?
里宮さん編となってしまいました。本当はファン感謝祭編のはずだったんですが、筆がのってしまい……。