ゴールデンウィーク間近の5月2日。俺は、ボーダーの特殊官として出かける準備をしていた。お天道様はとっくに登っている。清々しいほどの快晴だ。眩しく目が眩む快晴、これが本当の、正解の快晴だと言わんばかりの快晴だった。
特殊官。正式には特殊監督官。というのは今、俺のいるボーダーでの立ち位置だ。公式ではあるが公にはできない立場。公式であって非公式。発言権も命令権もあるがそれ以外の権利はない。部下もいなければ上司もいない。孤立した立場。自由ではあるがそれ故に責任が重い立場。お願いはできるが命令はできない立場。そんな面白い立場に俺はいる。これには海よりも深く、マリアナ海溝よりも深い、そしてあのガラクタのように不快な訳があるのだが、それは今はいい。今度じっくり話そう。
さて、今日の用事の確認をしよう。内容は、民間人数名と密航したとされる隊員が属していた隊長
っと、考え事はこの辺にしておこう。お迎えが来たようだ。
「よう、レイジ。アッシーご苦労」
「いや、それよりなんだその格好は」
「ははは。似合うだろ?」
さすがレイジだ。まずそこに突っ込んでくれるとは……その格好、つまり服装だ。俺の着ている服は黒スーツに黒ネクタイ。ま、要は喪服だな。喪に服する服。葬式などできる服の喪服だ
「ふざけていないで、着替えてこい5分やる」
「何を言う。真面目だぞ。なんて言ったって我らがボーダーの隊員が消えたのだろう」
「まだ、鳩原は死んだと決まったわけではない。いくらなんでも不謹慎だ。着替えてこい」
そう言って目に力を入れ睨むレイジ。スゴ味があるぜ。ま、そこまで言われちゃしょうがない。大人しく着替えてこよう。大人らしくしたつもりだったが、もう少し大人しい服に着替えてくることにしよう。
「それで、さとりさん。どこに行けばいいんだ」
「え?聞いてないの?てっきりレイジが知っているものかと」
助手席に乗りシートベルトをしながらなんとなしに答えてそう問うた。
「まじかよ」
いやそれはこっちのセリフ。ま、あらかじめ面談をどこでやるかと聞いていなかった俺が10割の過失なんだろうけど。んなの迎えにレイジをよこした林藤のおっさんが教えとくもんじゃないのか……
ちがうかー。はっはっは。すみません。
「とりあえず。二宮に電話するか」
「……そうしてくれ」
車の発進はできないから携帯を発信させよう。
——コール3回。あ、切れた
「電話にでんわ」
イテッ!レイジが小突いた。
「おいコラなんで殴る」
「あんたがふざけるからだ」
何にを言う俺は電話に出ないと伝えただけだ。ま、しばらくすれば折り返してくるだろう。
…………。
「なぁレイジ。お前の車、俺の携帯と繋げていいか?無音じゃ気が乗らん。音楽でもかけよう」
「俺の車じゃないし、これからするであろう要件を考えると気なんて乗らんでいい」
即却下だよ。拒否だよまったく……どうやらレイジは音楽は嫌いらしい。
「ジャズでもかけるか?しっぽりと、しっとりとした雰囲気にできるぞ」
「……やめてくれ」
眉間を押さえながら、苦言を呈するように言う。やはり音楽は嫌いらしい。
——バイブが数回
お、携帯が鳴った。折り返しか?
「はいはい。こちらさとりさんです」
『二宮です』
やはり折り返しの連絡。
「よ、二宮。お前が電話に出ないせいでレイジに小突かれた、後で一発殴らせろ」
憂さを晴らしてやる。八つ当たりしてやる。今日の天気のように晴れにしてやる。
「——なんのことかわかりませんが、もう到着します、どこ「あ、そうそう。お前どこにいるんだ。てか、俺らはどこに行けばいい」……』
迷子だ。自宅前から一歩も進んでいない迷える子供だ。子供じゃないな迷える大人だ。
『吉祥寺です。適当に店入ってるんで着いたら連絡ください』
切れた。
「よしレイジ吉祥寺だ」
「吉祥寺のどこだよ」
わからんが、あのインテリスーツがいそうなところなど吉祥寺にそうないだろ。あ、いやあの店か。
「とりあえず駅までよろしく」
そう言うと車は動き出した。
「よう二宮、久しぶり。電話を挟めばさっきぶり」
「連絡をしてくださいと言ったはずですが」
二宮がいた店。もとい俺が一方的に待ち合わせにした店。それは駅から徒歩5分のところにある店だ。夜は酒場としても使える店で、飲み物の種類が豊富だ。そして美味い。
「ま、会えたからいいだろ。てか、相変わらずスーツ着るとお前はどこぞのマフィアみたいな風格になるな」
や、ほんとまじで、これが俺よりも下とか思いたくないわ。知り合いにイタリアンマフィアがいるが、混ざってもわからねぇくらいだ。裏社会の住人Aと言った感じだ。
「それならさとりさんは用心棒ですね」
「……。ま、そんなことよりだ。お前もう成人してるよな、せっかく会ったんだなんか呑もう」
「結構です。この後も用があるので」
「え?何デート?」
スーツでデートとかハードボイルドだな。
「……冗談だよそんな睨むな」
「鳩原と密航したと思われる人間の自宅へ向かいます」
「へぇ。随分と勤勉なんだな」
こいつにしてはめずらしい必死さだ。いや、元来こいつはこのような男か?意外とムキになりやすいタチなのだろう。
「それには俺も同行してもいいのか?」
「…あんたの立場で良いも悪いもないだろう、好きにすればいい」
じゃ、好きにさせてもらおう。
そうなると酒はダメだな、また今度にしよう。とりあえずブレンドだな。
「ブレンドでいいな?というかそれにするぞ」
有無や意見は関係なしに俺はブレンドコーヒーを二人分注文する。ここのは深煎りで美味いんだ。
お待たせしました。と言う店員さんの声に安堵を覚えたのは初めてだった。いやだってこいつ何を聞いても一単語で終わらすんだ。静寂が訪れるなんてもんじゃない静寂が住み着いていたよ。寛いでいたね。
お客様が神様なら店員さんは天使だ。俺の場合は神なんてものになるつもりもないから、一方的に店員さんを天使にしてしまうが。
拝んでおこう。ありがたやありがたや。
「さて、それじゃ始めようか」
「その前にひとついいか」
俺はコーヒーにミルクを入れながら、二宮の質問の続きを促す。
「あんたはあいつが、いやあいつらがしようとしていたことを知っていたのか?」
今更なのだが基本こいつは歳上には敬語だ。しかし、俺に話す時は曖昧になる傾向があるな。動揺か?それとも焦燥感からか。どちらでもいいというのが思うところだ。敬語であろうとなかろうと。話す上で支障はない。
だが読んで下さってる方には見分けし辛いだろうて。
「質問に質問をぶつけるようで悪いが、それを知ってどうする」
「返答次第ではあんたを吊し上げる」
怖いことを言うな。
コーヒーに広がるミルクを眺めながら俺軽い殺気を二宮にぶつける。
「吊し上げたところで、俺は何も変わらないぞ。俺の立場も微動だにしない。その事実は俺を落とす理由にはならない。お前は俺のことを知らなすぎる」
たとえ総司令官の城戸さんや本部長にたれ込んだところで、今回の解決には繋がらない。
が、さすがの俺でもそんなことされれば足場は狭くなるだろう。だからこれはブラフだ。ハッタリだ。
俺の殺気を感じ取ったのか。二宮は一口、コーヒーを含み一息置く。
「——その後のことは吊し上げた後考えればいいことだ」
「…………」
大の大人、二人が睨み合う。
再び静寂が登場する。
いやいや、大したものではないか。ここまでムキになっている二宮は久しぶりに見るが、それよりもこいつは俺が思っている以上に、考えている以上に落ち着いている。理性を保っている。素晴らしいよ。二宮匡貴。熱いコーヒーを一気に飲み干す。
「——ハ!ハハ!ハハハハ!」
睨み合いの末、思わず笑ってしまった。いやはや、可笑しいもんだと。
俺の笑いに周りの客と店員からの視線が刺さる。衆人環視に晒されるものの俺はジェスチャーでお詫びをすると視線は外れる。
「——いやいや、あまりにも面白いもんだからつい。悪いな二宮」
怪訝そうな顔をするな。謝っただろう。
「さて、笑わせてもらったところだし、そろそろ返答をしてやろうか」
心して聞けよ。二宮。俺は、
——俺は、全てを知っている