季節は梅雨終わり。
さて、雨というとどのようなイメージを持つだろうか。行く末を見えなくさせる憂鬱や不安と言った暗いイメージだろうか、それとも全てを洗い流し心機一転、前を向いて歩けるようにしてくれる。そんなイメージだろうか。
「そこは神秘的とかじゃないのですか」
「そうか?前向き後ろ向きって何かの影響があった方が良いだろ。神秘的なんてものは何の役に立たない」
「……罰当たりですね」
「え?お前どっかの信者?」
そう言って俺は横に立つ少女、
俺たちが今日来ているのは都内の美術館。たまには美術館というのもいいものだ。なんの価値があるのかはさっぱりわからないし、どこがすごいのかわからないが、頭を空っぽにできる。
「さとり。あなたの不遜な態度についてはもう何も言いません。しかし、用があるなら、手短にお願いします。まさか、このような場所に連れ出して、ただお喋りをしたいというわけでは、ありませんよね」
このお姫様は相変わらずというか何というか。ま、たしかに用もなくこんなところには来ない。家で研究してた方がマシ。
「俺の家に呼んでもお前は来ねぇ。ならどっか連れ出すしかない」
「それで、どうして美術館なのですか?」
「お前、こういうの好きだったよな?ガキの頃、よくお忍びで来ていたのを覚えていた。だからだ」
こいつがまだアリステラで王女をやっていた頃。交渉の席で王が出した条件が、留学だった。もう十年も前のことになる。思えばあの頃が一番楽しかった。
「……昔のことです」
「お姫様なら芸術も嗜んでおかないとな」
そう言って頭に手を置いてやり、美術館近くの喫茶店に向かう。
「ま、話と言ってもそう重大なことじゃない。民草の戯言だと思ってもらっても構わない」
「前置きは結構。本題を」
そうかい?前置きもなく行ってしまうと、お姫様のことだから、腰抜かすと思ってクッションを挟もうと思ったのに。
「それじゃあ遠慮なく……」
——俺、近界を旅してくる。
ガタッと音を立ててお姫様は立ち上がる……かと思ったら中腰くらいの姿勢で止まり、すぐさま落ち着いたかのように振る舞う。
相変わらず面白い反応をしてくれる。
「…………」
「落ち着いた?」
恥ずかしかったらしい。
深呼吸を一回、二回、三回。ようやく落ち着いたのか、俺と目を合わせる。
「——わかってるの?あなたが近界に出るということがどのようなことを意味するか」
「わかってるよ?みんなから喜ばれる」
別にこの旅が初めてじゃない。もちろん一人旅は初めてだが、過去に数回、一回につき三つの国での旅をし、成功させている。
「ええ。そうですね。喜ぶ人もいるでしょう。でもそれよりも、遥かに多い数の人間が、あなたを恨んでいる」
俺はそんなに恨み事を買い込んだ記憶はない。勝手に風潮されて噂が一人歩きして、悪い方に傾いただけだ。
「しかし、突然どうしたのですか?ここ数年、大きく動いていないあなたがなぜ急に……まさか!?」
お姫様の言おうとしていることを察して遮るように言葉を発する。
「急でもないんだ。前々から考えていた」
正確には地下施設を作ると思い始めたあたりからくらいだが。
ま、なんにせよお姫様が思っていることが目的じゃない。
「ま、決心がついたのはこの前なんだけど……悠一から『弱くなった』なんて言われてさ、武者修行にでも行こうかなって。幸いボーダーは軌道に乗ってる。強い子たちもどんどん出てきてる。今なら少し留守にしても問題ないだろ?」
別に悔しいとかじゃない。たしかに負けたのを気にしていない訳ではない。しかし、なんなのだろう、あの日から境になんか自分に、自分という存在に違和感があるんだ。
要は、自分探しの旅ってやつだ。
「それでやっぱ最初はお姫様に話しておかないとなって」
「本部で聞くこともできたはずです」
ま、確かにそうだけど……
「俺の性格上絶対城戸さんと喧嘩になるし、お姫様から言っておいてよ」
今の城戸さんに俺の声は届かない。いや、物理的な会話的なことではなく。もっと根本的なとこの問題だ。
「はぁ、さとり。あなたの要望はわかりました。私は止めません。しかし近界へ行くのなら、いくつか絶対に守ってほしいことがあります」
絶対ね……他ならぬお姫様のお願いだ。大人しく聞いておこう。
まず一つ目と言って人差し指を立てた。
「一つ。絶対に戦争に参加しないこと。二つ絶対に人を殺さないこと。三つ必ず帰ってくること。守れますか?」
「……もちろん」
一つ一つ指を順に立たせて、まるで子供との約束のように丁寧に言葉にする。
なんだ、そんなことか。身構えて損した。
「よろしい。それで、期間はどのくらいを予定しているのですか」
考えていなかったな。別に長くなってもいいが、安全性重視なら長居は無用とも言える。だが、目的は武者修行。そう、修行なのだ。
ここは強くなるまで、と言いたいところだが。
「んー。十一月には帰るよ」
残念なことに現代日本の便利さを覚えた俺にそこまで長旅はできない。
「いつから?」
来月から。そう答えるとお姫様は眉間に手を当て、さらに困惑の表情を浮かべる。
「三ヶ月ですか。長いですね」
長い。確かに長く感じる。
過去の旅では一回の旅を二週間かけて行っていた。その点俺は、周る国を決めていない。三つの国で終わるかもしれないし、終わらないかもしれない。いや、確率的に言えば、明らかに後者の可能性の方が高い。そう思えば確かに長いだろう。
「ま、出ていくのが夏で帰ったら冬。秋の味覚が味わえないのが少し惜しいが、その分夏の暑さを味わわなくていいのはデカい」
「近界は避暑地感覚で行ける場所ではないのですが」
そんなことはわかっている。
さて、店も混んできたことだし、残りはお姫様を送りながら話すかね。
千七百七十七円……いいことがありそうだ。
近くの駐車場に車は止めてある。
しかしまぁ、梅雨終わりでもこの快晴の中外に置いとくと熱はこもるもんだな。暑くて気持ち悪い。
「ところで、どのようにしてあちら側へ行くのですか?城戸たちに知らせずいくなんて、無理なのでは?」
「あ、その点は問題ない。自分用のはもう作ってある。行こうと思えば明日にでも行ける」
地下施設の訓練とは別のもう一つの目的。研究。そこにはもちろん
「もう驚きません……あ、送るなら玉狛支部でお願いします」
「陽太郎か?」
「もちろんです」
即答か、このブラコンお姫様め。