楽玲短編詰め   作:赤鱶

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その一歩は

雨が降っていた。

 

季節は違えど、偶然にもあの日とよく似た光景が目の前に広がっていて、斎賀玲は思わず目を瞬かせた。

 

雨の匂い。 雨粒が土を打った、籠もるような匂いが立ち込めている。 或いはだからこそあの日を思い出したのかもしれない。

 

(いえ、今はもっと大事な事があるでしょう……!)

 

想い人とはクラスが違う。 それはつまり、探すか連絡しなければ会えないということでもあり、またある理由から連絡を取るのは非常に躊躇われた。

 

(今日こそは……今年こそは……!)

 

昇降口の向こう、灰色の世界を傘が色とりどりに染めている。

視界の隅で下駄箱に真剣な眼差しを向けるもの、肩を落とすもの。

出来ることなら自分もそちらに混ざってしまいたい、しかしそれもまた、出来ない理由があった。

 

(ご無体な……)

 

本命だなど言えるはずもない。 匂わせることすら躊躇われる。

想い人にとっての自分が、どのような存在であるのか、とんと見当が付かなかった。

少しでも恋心が伝わってしまって、けれど興味ないと切り捨てられてしまったら?

結局の所、斎賀玲の心中の大部分を占める怯えはそれに帰結すると言えた。

だから、ラッピングには気を遣った。

ピンクは避けて淡いパステルカラーの包装紙を使い、チョコレートブラウンのリボンで留める。 持ち前の器用さが幸いして完璧な仕上がりとなったその代弁者は、鞄の中で主人が最後のハードルを飛び越えるのを待っていた。

 

季節外れの大雨が、ただ一つの輝きを思い出すから、それだけの理由で憂鬱を吹き飛ばしてしまった。

あの日から全ての雨は、斎賀玲の敵ではない。

もう少しだけ踏み出せたなら、もし万が一にでも両想いになれるのだとしたら、きっと自分は雨が好きになるのだろうという確信があった。

 

どれもこれも、陽光のような彼の輝きに魅せられたからこそ――   

 

 

「あれ、斎賀さんは迎え待ち?」

 

「いえ、今日は寄っていくところが……ら、らくろうくん…!?」

 

後から声を掛けるのはやめてほしい、心臓が保たない。

毎朝のように自分がそれをしているのを棚に上げて、そんな筋違いな感想を抱く。

振り返れば、想い人があの日と似た出で立ちでそこにいた。

 

「か、傘は、……お持ちに、」

 

「朝は晴れてたんだけどなぁ……ご覧の通り、持ってないんだよね」

 

陽務楽郎が斎賀玲が車で送り迎えをされる日もある事や鞄に折り畳み傘を常備している事を知っている、それを斎賀玲は分かっていた。

その上でそれを「あてにしない」姿勢が自分の事のように誇らしく、また少しだけ寂しい。

溢れそうな想いに押されるようにして、口から溢れたのは偶然か

 

「ろ、ロックロールまででしたら、かか傘の半分をお貸しすることも吝かではないと言いますか、濡れると大変でしょうし!」

 

「えっマジいいの?」

 

「ふぇゃい!」

 

自分がこれからロックロールに行くのは、コトの成否に関わらず確定事項であった。

特に陽務楽郎の予定を把握しているわけではないが、最近ゲームを漁りにロックロールを訪れたという話は聞いていない。

店主からの情報提供もあり、数週の間に訪れるであろうという予想は外れていなかったらしい。

 

よりにもよって今日というのは少しだけ都合が悪い、いや着く前に渡してしまえるなら問題はないのだが、斎賀玲にはハードルが否応なしに高さを増していくのが感じられた。

 

 

 

 

しとしと、そう表現するのが相応しい2月の雨は、しかしあの日とは違い季節柄相応の冷たさをもって肌を刺すものだ。

だからこそ斎賀玲は、自らがその冷たさを感じない今が信じられなかった。

その意味を考えると、頭が茹だってしまいそうになる。

 

ちら、と視線を向けた先、陽務楽郎の左肘とビニール袋に包まれた鞄が氷雨に濡れているのを見て、堪らない気持ちを抱く。

ここで傘を反対側に傾けるよう進言することは容易いが、それはついに出来なかった。

その実行は彼の善意を反故にする行為であった。

またその躊躇いと不実行は斎賀玲自身の先程の疑問――陽務楽郎にとっての斎賀玲とはどのような存在なのか――の答え、その最低ラインを保証する何よりの物証、陽務楽郎の厚意、それをもう少しだけ味わっていたい、そういう少しの我儘な恋心の発露でもあった。

 

それだけで、いつもならもうそれだけで天にも昇る心地になれたであろう。

だが今日の斎賀玲には、あと一つだけ必ず遂行しなければならないミッションがあった。

 

楽しい時間はすぐに過ぎる。

タイムリミットは刻一刻と近付きつつあった。

具体的には60歩、曲がり角の先のゲーム屋まで。

この夢のような時間も、もしかしたら今年こそは渡せるかも知れないという希望も、あと少しで記憶の中に置き去りになる。

 

勝負の時であった。

 

 

 

「今日はそのっ! バ、バレンタインデイですけどっ……楽郎君は戦果は如何ほどでありますでしょうか……?」

 

聞きたい事の方が先に口から飛び出ていった。

作ってきました受け取って下さい、とはどう頑張っても言えなかった。

 

言ってしまってから気付くがもう遅い。

あなたがバレンタインチョコをどれだけ受け取ったのかが気になっています、とも取られるその疑問は、例えば彼とその悪友のような関係性であれば気兼ねなく聞けるものである筈だが、しかし斎賀玲は自らがそこに位置付けられていない事は分かっていた。

 

(こ、これはもう実質告白みたいなものでは……!?)

 

死、その一文字が脳裏を過ぎる。

だからこそ心底疑問であると言わんばかりの声色で紡がれたその答えは、斎賀玲に大いなる安堵を齎した。

 

 

「それ雑ピ、いや男子連中にも散々聞かれたけどさ、ホームパックの個別包装とかチロルチョコとか、見るからに義理ってわかるようなのばっかり積み上がってるだけなんだよな」

 

得間さんにはブラックサンダー貰った、ちゃんと斎賀さんも見てあげなさいよ、らしいけど何のことやら。 そんな呟きが耳に入らなかったのは幸か不幸か

 

むしろ誰にもらったのか記録しておかなくちゃいけないのが大変、代わり映えしないし。 武器強化のために周回しなければならない、それと全く同じ口調でそう続けられた事で、斎賀玲はライバルが出現しなかった事を知る。

いつぞや岩巻真奈から告げられた、陽務楽郎がモテるタイプである、という情報は確実に斎賀玲の余裕を削り取っていた。

もともと欠片もありはしないものを削り取れば負数の領域は際限なく拡大していく。 まるで黒死の天霊のヒットポイントのようであった。

それが大きく削られる事は無かった。

しかしこの負数の余裕、即ち過大な不安を解消するには、行動が足りない。

 

であるなら。

ポーションの一投に等しいその返済は、牛歩の歩みであれ月面を歩いた大いなる一歩となるのだろう。

 

 

「だったら、…あの! えっとあのその!」

 

何か言おうとしなくていい。

何も言わなくていい。

昨晩までと今朝、そう優しく背中を押してくれた岩巻真奈さんの声が蘇る。

一区画先で待っているであろう彼女を呆れ顔にさせないためにも、例年のように甘さを失ったチョコレートを半泣きで処理するような忸怩たる思いをしないためにも、なによりも自らの恋心をほんの少しだけでも彼に意識させるために、ありったけの勇気を振り絞って鞄を開く。

 

幸いな事に、陽務楽郎は何も言わずに待ってくれていた。

 

「……バレンタイン、なので……」

 

恐る恐る表情を窺う。

唇が、これ義理? と動くのが読み取れてしまった。

 

「ひっ……ひぇ……」

 

義理だと、いつもお世話になっているからと、そう言えてしまえばこの緊迫も襲い来る不安も何もかもを捨ててしまえる。

でもそれは、長きに渡る道程を、これからの僅かばかりの希望を、すべてまとめて側溝に叩き込むような蛮行であるのだ。

それは、誰に言われるまでもなく分かっていた。

 

義理ではないと否定することは、まだ出来ない。

いま告白してしまえるなら、今までにだって出来ていただろう。

けれど、声に出して訊かれていないから、ただその一点において、答えを返す必要はないと言い張る事ができた。

首を縦に振ることも横に振ることもなく、雨音だけが過ぎる。

 

もう怖くて顔は見られない。

それでも、声だけで全てが分かったような気がした。

 

「……ありがとう、玲さん。 ホワイトデーを楽しみにしておいて」

 

 

 

 

もう二人の間に言葉は無かった。

 

あの日のように、雨が降っていた。

 

 

 




つづかない。
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