当作品は反社会的な行為や犯罪を助長する意図は一切ありません。
空に上る太陽はぶ厚い舗装に遮断され、光源の一切の閉ざされた下水道を、一人慎重に歩を進める。
暗視ゴーグルが無ければ視界の一切を奪われた狭苦しく饐えた臭いが漂う空間。足場のすぐ横には汚水が流れるであろう溝が通り、その足元も僅かに汚物でぬかるんでいた。
昔、
やめよう。俄然気に入らない事であるが、今の私は汚らしい孤児ではなく、誉れ高き百合ヶ丘女学院のリリィだ。今現在自身がすべきことは、下らない幼い日の感傷でセンチメンタルに浸ることではなく、黒尽くめの潜入用制服に身を包み、暗闇の中でさえ油断なくグングニル
当初は電灯の一つさえ無い暗い地下道であっても、当然監視カメラの一つや二つが仕掛けられていると予想していたのだが、電気工事さえ行われた形跡は皆無で、頭上の道路の舗装と共に余程急ピッチで行われていたのだろうか。陥落地帯においての土地開発は危険が伴う。そのようなリスクを冒してまで工事を慣行したのだから、余程後ろ暗い事情でもあるのではなかろうか。
暗視ゴーグルのヘッドマウントディスプレイの視界端に映るデジタル時計へ目を向けると、いつの間にかアンナマリアと別れてから10分程の時間が過ぎようとしていた。
胸元に取り付けられた無線機のスイッチを押し、今回の任務で相方を務める
「こちら
数瞬の間、骨伝導イヤホンに無音が流れたが、一鳴りのノイズの後にアンナマリアの声が聞こえて来た。
「こちら
「
糞っ垂れな事に任務はつつがなく順調だ。これみよがしに設置されているマンホールを潜ってみれば、罠の一つや二つが襲い掛かって来ることを想定していたのだが、特に罠といった罠は無く、監視カメラやセンサーの類の一つも無い。余程に目標施設のセキュリティが強固なのか、単に工事の予算や工期が足りなかったのか、陥落地帯の僻地へ侵入してくるような馬鹿はいないと初めから高を括っていたのか、そのどれでも無い別の理由があるのか。
暗闇の中で一人
汚物の悪臭を纏った
山間部にそびえる
男達の顔には疲れがにじみ出ており、制服らしき白い作業着はくたびれており、どこか焦燥を浮かべた顔立ちをしている。
「はぁ……」
男が一人、深いため息を吐いた。
「どうした、ため息なんて吐いて。そんなんじゃ午後の仕事で体が持たないぞ」
「仕事に不満は無いが、来る日も来る日も単純作業。こんな娯楽も少ない職場だとは思ってなかったんだよ。」
もう一人の男が、ぽろりと落ちた自身の煙草の灰を足で踏みつぶした。
「まぁいいじゃねぇか。娯楽なんて狭い宿舎でやる酒とトランプぐらいしかないが、モニターの数字に異常が無いか監視することと、異常が出たら上に連絡するだけ。それだけで結構な稼ぎになるんだから、この時代だったら上等な仕事だろ」
「だけどこんな仕事、どう考えてもまともじゃないだろ。
「へぇ、じゃあリリィ達のガーデンとかはどうなんだよ。拳銃がおもちゃに見えるような物騒な
灰皿に煙草の吸殻を放り込んだ男が、じゃあな、と片腕を上げると『仕事場』へ去って行った。
「はぁ……」
去り行く愛煙家仲間を見送り、一人になった男が二回目のため息を吐く。
酒と煙草、そして衣食住にすら困らない今の職場には感謝はしているが、どうもきな臭い仕事の手伝いをしているような気がしてならない。
もとはと言えば男は陥落地帯の出身者で、今から約二年前、後に『甲州撤退戦』と名付けられた人類の生存圏を賭した大規模な戦いにおいて、自身の生家を追われたのが原因だった。
農業を営んでいたこの男は疎開先でも農業に従事したいと希望していたが、同じような境遇の農家の家族は少なくなく、休耕農地を分譲してもらおうと希望しても家族のいる者へと優先的に譲渡され、結局彼の番には猫の額ほどの土地も分け与えられなかった。
そのような時世の中で、路銀に困り始めた所でたまたま見つけた仕事が、このよからぬ空気が隠し切れないこの仕事であった。
仕事の内容と言えば、一日八時間三交代で二階にあるモニタールームで監視カメラに映る毒々しい『植物』の映像とそれにまつわる計器類を監視するだけ。
たったそれだけで一般人の倍ほどの給金が出るのは破格だった。
「元はと言えば全部あのヒュージ共が悪いんだ。それに結局奴らに負けやがったリリィ共だって……」
そこで言葉を切る。
やめよう。彼女達には何の咎も無い。年端の行かない女子供に守られておきながら、何様のつもりだったのだろうか。
悲しいかな、男は極めて善良な市民であり、本来であればこのような所で腐るべきでなく、牧歌的な只の農民に過ぎないのだ。今となっては後の祭りだが。
二本目の煙草を咥え、箱型のライターで火を付けると、肺の中はニコチンとタールを含んだ紫煙で満たされる。
煙草はいいものだ。
人の欲と疲労を暫しの間忘れさせ、フラットでリラックスした自分を取り戻させてくれる。
「随分美味そうに吸うじゃねぇか。えぇ?」
後頭部に硬く冷たい金属の筒が当てられた。指間から滑り落ちた煙草が地面に跳ね、オレンジの火花を散らす。
女の声だ。声変りをしたのかしていないのか、判断の付かない幼い声を通して自身を銃で脅しているのは恐らく少女だ。
「インタビューの時間だ。なぁに、対して時間は取らせねぇよ」
「……俺に何の用だ」
「そこの箱物の中身と侵入方法が知りたい。あ、カードキーとかあるのか?」
思わず首元に下げられた身分証に目をやる。
「へぇ、そいつか」
首元に伸ばされた手が、身分証をぶら下げる紐をむんずと掴むと、力づくで紐を引きちぎった。
ぐぇっ。喉笛に紐が引っかかった衝撃で思わず蛙のようなうめき声が漏れる。
「ついでに幾つか聞きたいことがあるんだが、勿論良いよな?」
「……何が聞きたいんだ」
「よし、それじゃ、そこの元お役所内の中身と警備体制、んでもって捕まってるリリィ達の居場所だな。順番に答えてもらおうか?」
「くそっ、何でこんなことに……」
頭を抱えて、ベンチの上で崩れるように首を垂れた。
頭部を追随するように動いた金属の筒が、後頭部をコツコツと叩いた。
「いいからとっとと吐いちまえよ。給料安いんだろ?」
「え?……そこまで悪くないが」
気まずい沈黙。
「……市役所を改装した薬品工場だって聞いている。俺みたいなシステム監視の人員が常に数人待機していて、中には銃で武装した奴も数人がかりで警備をしている」
「警備方法や巡回ルートは分かるか?」
「わからない。俺はモニタールームと職員寮とこの喫煙所を往復するぐらいしかしていないからな」
「けっ、つまらねぇ男だな」
「……捕まってるリリィってのは知らない。なぁ、やっぱり、ここって何かやばい事でもやってるのか?」
思わず振り返ると、そこには死人のように青白い肌を黒いジャンプスーツで包んだ少女が、こちらを銃口で睨みつけていた。
「お前、まだ子供じゃないか……それに、その武器、もしかしてリリィか?」
「質問するのはこっちだ。あたしの質問以外は黙ってろ」
「……リリィが捕まってるなんて話は聞いたことは無い。強いて言うなら、時折来るトラックドライバーに、荷物運搬用エレベーターから流れて来る荷物を渡すぐらいだ」
「運搬用のエレベーター?なるほどそこを辿っていけばいいんだな」
「恐らくはそうだ。知ってることなんてそれぐらいだ。どうするんだ?俺はこれから殺されるのか?」
「するかよ。お前達の親玉とは違うんでね」
男が両の掌を向けて銃口に頭を下げた。
「……ここがやばい場所だってのは薄々気づいてた。やるなら徹底的にぶっ壊してくれ。給料の未練なんて忘れられるぐらいにな」
「……任せな。派手にぶっ壊してやるよ」
少女がそう言い切った瞬間、目の前に星が散った。つむじを思い切り銃で殴られたようだ。
殴打の衝撃で男が握りしめていた金属製のオイルライターが地面に落下し、甲高い金属音を立てた。
「随分上等なライターじゃねぇか。どうやら金払いはいいらしいな」
戦利品のライターを拾い上げ、太腿の薄いポケットに挟み込むようにしまい込むと、二回りも身長が違う男の脇へ腕を差し込み、少女は喫煙所の裏手へとその身柄をずるずると引きずって行く。
「こちらフィリア、職員へのインタビューによる情報提供の結果、やはり何かの薬品工場らしい。ただ、リリィが捕まっているのは職員には伏せられているようだ。今から例の侵入ポイントからの施設内への潜入を試みる。以上だ」
百合ヶ丘女学院特別寮:特殊任務作戦支援室
百合ヶ丘女学院の特別寮は床が軋むほど古い木製の家屋だが、こと特務リリィの支援室に限っては異なり、地下空間を削掘して作られた鉄筋製のシェルタールームとなっており、内部には通信機材や簡易工廠設備といった機械が所狭しと置かれていた。
薄暗い密室の中に石上碧乙の香水の匂いがほのかに香る。
『こちらビーチェ。フィリアは無事に施設内へ侵入しました。侵入前に遭遇した職員へ尋問を行った結果得られた情報を共有致しますわ。事前情報の通り、薬品工場のようです。但し、職員はあくまでも雇われただけの一般人のようで、薬品の内容や、捕まっているリリィのことは知らされていないようです』
「なるほど、足の付き辛い一般人を職員として働かせているということですか。G.E.H.E.N.Aの職員では無い辺りが、随分と秘匿性を重視しているようにも見えますね」
『はい。ただ、気になるところが、職員の武装は拳銃等々の近代火器のようで、マギ兵装、つまり対リリィを想定しているような物ではない様なのです』
「確かにそれは妙ですね。リリィが捕縛されているとしたら、脱走したリリィを鎮圧するための人員がいないのは不自然です。その職員が虚偽の申告をしている、もしくは知らされていない。ということは無いでしょうか?」
『その可能性も棄却しきれませんわ。この情報だけを元に動くことは危険ですが、参考にはなるかと』
「……了解しました。フィリア、ビーチェ共に細心の注意を払って行動すること。特にフィリアは対リリィ戦闘に備える様にお伝えください」
「
長距離通信にしては
通信を終えた北河原伊紀が頬に指を当て、疑問を口にする。
「聞いている限り随分と警備が手薄ですが、いくらなんでも手薄過ぎますね。それほどまでにリリィは厳重に監禁されているということなのでしょうか?」
その問いには気分が悪くなるからか、誰も答えようとしない。
が、空気を読まない千秋が、突拍子も無い言葉を口にする。
「その可能性も勿論あるけど……もしかしてリリィなんて最初からいなかったりしないのかな?」
「……どういうこと?」
ロザリンデの平時ではありえない冷たい怜悧な眼差しが千秋を射抜く。その眼光をまるで意に介さず千秋が続けた。
「こんな山奥にこっそりと建物を建てるぐらいなんだから、何かしら後ろ暗い事情はあるとは思う。それでもって製薬工場なんて言ったら殆ど黒だと思う。だけど、その職員さん達が
「……足切りがしやすいからでは?いかにもG.E.H.E.N.Aの考え付きそうなことだとは思いますが」
伊紀の訝し気な目線が千秋に向いた。
「それも理由の一つだと思う。だけど、対リリィを想定していない人員って言うのが気になるの。私はこんな裏事の経験なんて無いけど、G.E.H.E.N.Aがリリィを監禁しているような施設で、監禁しているリリィ達が蜂起でもしたら、取り押さえられるのは基本的にリリィしかいない訳だから、警備のリリィがいないっていうのは確かに不自然だよね。でもそれだけなのかな?」
暫しの沈黙の後、ハッと目を見開いた碧乙が食い気味に声を上げた。
「外部からの攻撃、というより、私達のような反G.E.H.E.N.A陣営のリリィによる襲撃を想定していない…!?」
上級生二人の真意を悟った伊紀の口から「あっ!」と短い感嘆が漏れ出た。
千秋がずり下がった眼鏡を取り、シャツの裾でレンズを拭き始めた。女所帯で蒸された狭い空間で眼鏡が曇ってきたようだ。
「ねぇ、今回の任務って本当にG.E.H.E.N.A絡みの事件なのかな……?」
太いダクトの管の中を
狭い空間ではどうも任務の事だけでなく頭が回ってしまう。もしかせずとも、実践慣れしているとはいえ、潜入任務などという任務を新人に
「あのイカレ女共、戻ったらシメてやる……!」
ダクトの進路上の下部から薄暗い光が漏れていた。恐らく室内の換気口を兼ねているのだろう。
恐る恐る這い進み、ダクトを切り抜いて嵌め込まれた網格子の隙間から部屋の中を盗み見る。
部屋の中には複数のモニターが配置されほの暗い青い光を放っていた。
漏れ出ていた光の正体は恐らくこれが原因だろう。
モニターの並べられた机の前、衣緒里の覗き見る真下には安楽椅子のように座り心地の良さそうなオフィスチェアが置かれ、男が一人気だるげにコーヒーを啜っていた。
ここが先程締め上げた男の言っていたモニタールームなのだろうか?
角度が悪くモニターのすべてが見えるわけでは無いが、モニターに映っているのは、何も無い廊下や殺風景な部屋ばかり、恐らく警備用のカメラ映像だろう。
なんにせよ、流石に太く硬質な素材で作られているとはいえども、狭い網格子の上を通過する際には、どうしても服と格子が引っ掛かり音を立ててしまう。
持参した
その時、コンコン、と扉を叩く音が鳴った。
ガチャリ、とノブを捻り男が部屋に入って来る。
「交代の時間だ」
モニターの前に座っていた男が、椅子の座面をくるりと捻り壁の上を見やった。
「もうそんな時間か!」
男がうれしそうな声色を上げ、卓上のコーヒーカップを煽り立ち上がった。
「何か異常はあったか?」
「万事異常無し、だ。そもそもこんな辺鄙な山奥で警備係なんているのかねぇ。知ってる顔の奴しかモニターには映らないよ」
「まったくだな。むっさい男どもじゃなくて、たまには可愛い女の子とか映ってくれないかねぇ」
「おいおい、そんなことがあったら、上に連絡する手筈だろ。まぁそっちのほうが仕事に張りは出るだろうがな」
がんばれよ、と交代に来た男の肩を叩き部屋を立ち去って行った。
一人残された男は、まだ体温の残る椅子に深く腰掛け、長い伸びをした。
この部屋の住人は、皆ブルーライトを放つ液晶の板をひたすら監視し続けるのが仕事なのだろうか。
狭苦しい部屋で健康に悪そうな画面をずっと見続けなければならない事にはすこしばかりの同情を覚える。
幸い今度の監視員は、カフェインも取らずに背もたれに寄りかかっている。もう少し待てば夢の中へと落ちてくれるだろうか。
「はぁ、次の交代まで6時間もあるのか……時計を見えない所に移動させて正解だったな。あんなのが目についてたら、時間が気になってしょうが『オラァッ!!』なッ!?」
男の虚空に吸い込まれていくはずだったぼやきに、頭上から落ちて来た換気口の格子と女の低く短い怒声が答えた。
それなりに重量のある鉄製の格子を天頂部に受け、椅子ごと、背中側にもんどり打って倒れた。
何が起きたかわからぬままに頭を押さえながら体を起こそうとした瞬間、ダクトの暗い穴から黒い影が男に飛び掛かって来た。
「モニター越しじゃあなくて悪いが、可愛い女の子様が出て来てやったぜ」
男の腹の上で腰を下ろし、口元を万力の様な力で締め上げながら、衣緒里がニタニタと狂暴な笑みを浮かべた。
しかし、美少女に見下ろされている男は、頭から血を流し白目を剥いていた。
「……ケッ!運の悪い奴だな」
気絶した男を床に転がっていたケーブルの束で縛り上げ、厳重に轡を噛ませて簀巻きにすると、倒れていた机を起こしモニターへと臨んだ。
「こちらフィリア。例のモニタールームに侵入した」
『……!?随分とお早いですね。モニターには何が映っておりますの?』
「廊下やら殺風景な部屋ばかりだな。多分監視カメラじゃないか?カメラの場所は……」
衣緒里が殺風景な部屋を見渡すと、部屋の薄暗さで気づかなかったが、壁にはこの建物の図面を表したであろう絵がモニターの右手側に張られていた。
細部は違うが、作戦開始前のブリーフィングで見せられた見取り図と、この壁に貼られている図面は酷似している。
紙の図面を凝視すると、赤いペンで印を付けられた箇所が点在している。各階層に二つほどだろうか。
「ご丁寧にカメラの位置のわかる図面までこしらえてくれてたみたいだ」
『なるほど。ではカメラの死角を縫うように探索すれば、安全に調査を進められますわね』
暗視ゴーグルを降ろし側面部のボタンを操作すると、衣緒里の視界と映っていた景色が一瞬切り取られた。暗視ゴーグルに搭載された撮影機能だ。
「そっちに画像を送った。確認してみてくれ」
『了解いたしました。暫しお待ちを。……はい。確認いたしましたわ。カメラの数の設置数は12個のようですわね』
「12個……丁度壁のモニターの数と一致する。道案内を頼む。どこから調べればいい?」
『そうですね。地図によると、今いらっしゃるのは二階のようですわね。では、ひとまず二階から……いえ、お待ちください。これは……?』
「どうした?」
『送って頂いた図面なのですが、先日のブリーフィング後に頂いたCADデータと照合すると、地下に当たるフロアがそちらの図面には無いようなのです』
衣緒里が小さな体躯を屈ませて、壁面に広げられた図面の下部を凝視すると、確かに一階に当たる箇所より下の階層を表す表記が無かった。
この施設は、一帯が陥落地帯に指定される以前からあった建物を改装して稼働している施設の筈。地震や地盤沈下で地下が埋まったり、わざわざ埋め立てたようなことが無ければ、地下一階も存在していなければ不自然だ。
「なるほど、目標は地下室ってことだな」
『単に地下が使われていないという可能性は?』
「さっき外で会った男には、少なくとも中で何が作られているかの情報は知らされていなかった。そんな秘密主義の奴らがいちいち秘密の工場の場所をカメラで見せると思うか?」
『なるほど。一理ありますわね』
「それに、地下を目指すならこの換気用のダクトを辿って行けばいい。地底の階層があるなら、換気が必要になるからな。道案内はやっぱりパスだ。このまま本願まで一直線に進ませてもらう」
『了解いたしました。念のためですが、対ヒュージ、そして対リリィ戦闘に備えておいてくださいまし』
「了解。通信は以上だ」
天井に空いた換気用ダクトの暗い穴からひゅうひゅうと流れる空気の音が虚ろに鳴り、衣緒里を地下の世界へと誘っていた。
どれくらい進んだのだろうか。
下水道を一人で歩んでいた時よりも、この狭苦しい空間を這って進む方が体に応える。特に下の階層へと降りる度に、管がL字状に折れた箇所を通過しなければならず、何度か体を厭な方向に捻りながら出なければ進むことが出来なかった。
先程のモニタールームを出てから二度のL字管を通過しているので、終端が近いことが精神的な救いとなっていた。
ダクト管が曲線を描き、角を曲がった先の管の床部分から、先ほどのモニタールームの様に、格子状の光が漏れ出ていた。
ここから先は職員にすら知らされていない。未知の空間であり、内部の設備も大幅に手を加えられている可能性がある。
格子の隙間から下の部屋を覗き込むと、眼下には床をいくつも走る配管が見えた。
格子を丁寧に外し、頭をひょいと換気口から出すと巨大なタンクの様なものが部屋の中央に鎮座し、配管はそこから生えていた。
内部を頭だけで見渡し、監視カメラや警報機が無いことを確認すると、音も無く地下に舞い降りた。
油断なくグングニルカービンを
部屋の中央のタンクから生えた配管は、タンクの下部から床に沿うように設置されている。これは恐らく給水設備の様な物だろう。このような形状の場合はだいたいの場合、吸い上げた液体を貯蔵するのではなく、液体を分配して配水するための設備である。
まさか捕らわれたリリィへ
胸糞悪い想像に衣緒里が顔をしかめた。
タンクから伸びた配水パイプは、衣緒里から見て部屋の奥の壁を貫通するように並んでおり、その壁には鉄製のドアが付いている。
あの奥か。
壁沿いを注意深く進み、ドアの前にたどり着くと、ドアノブ代わりの金属製のバルブを片手で掴み数度回すと、がちゃりと錠が開いたことを知らせる。
この先に捕らわれたリリィ達がいるのだろうか。
ふぅ、と一人大仰な深呼吸をする。精神を統一するように、数秒の間目を閉じ、やがて眼開くと獣の様な闘志が滾る眼光が薄暗い地下に輝いた。
ドアを足で蹴破るようにこじ開け、秘密の花園へと突入した。
「おい、これ……」
扉を開いた先は、広々とした明るい大部屋となっており、ほの暗い給水設備室の隣にあったのは、輝く人工的な照明に照らされ、豊かに繁茂した背の高い草花達であった。
広い地下空間をほぼ隙間なく繁茂し、衣緒里が現在立っているのは、壁面部の床から3メートルほどの高さで設置されたロフトのような構造物であった。
先程の部屋とは比べらない程の広さを持つ空間であり、おそらく元々あった地下フロアを拡張したのだろう。
壁面から生えた配管は壁に沿う様に地面へと流れ、植物の間を沿う様に設置され、ちょろちょろと清廉な水を零していた。
しかし、問題は広大な地下空間では無く、人工的に栽培されているこの草花である。
背の丈は約2メートルほどの高さに伸び、棘の様な細長い葉を身に纏った植物達、わざわざ人口的な光源や水源までを用意してまで地下で栽培しなければならない植物、それは、
「こちらフィリア。薬品工場とやらに潜入した」
『……捕らわれたリリィ達は!?リリィ達は無事ですの!?』
「人っ子一人いねぇな。地下は無人だった」
『外れじゃありませんか!』
「いや、ビンゴだ。ここが例の薬品工場に違いない。なんせ大量の材料を栽培してるからな」
『栽培……?何かの植物を育てていますの?』
「あぁ。ここで作られているのは『アンプル』なんて最新の薬じゃない。それどころか、もっと原始的なドラッグ―――大麻だ」
次回、特務編完結